はてなキーワード: 小屋とは
https://anond.hatelabo.jp/20190121113933
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僕の通っていた幼稚園は、運動会を開催するのに学校のグラウンドを借りなきゃいけないほど狭かった。
外で遊ぶスペースがないから、遊び時間にすることといえば、順番に遊具に登るとか、砂場いじりとか。
あとは紙工作。
僕は女子に混じって部屋の片隅に置かれた屋根付きの小屋に入って、おままごとをしていた。
おままごとが好きってよりは、自宅に置けない「小屋」の中にいることが好きだった。なんか、ゴージャスじゃん。おままごとは、おまけだ。
先生からは、〇〇しないの?と聞かれた記憶がある。もちろん、女子には聞かない。
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小学生になると、チビだったこともあり、体を動かすことから疎遠に。
だって、ドッチボールやるとチビだからって理由で真っ先に狙われるんだもん……。
休み時間は図書室に足繁く通い、「はだしのゲン」や「ズッコケ三人組」を読んでいた。あとは「怪人二十面相」とか。
ここでもやっぱり、「たまにはみんなで遊ばない?」と担任からいわれた。
もちろんチビだからという理由で、図書室に避難してきた女子には言わない。
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まわりは「俺」が多かったけど、チビに「俺」は辛い。完全に雑魚キャラじゃん……。
「自分」といったり、「私」といっていた。
大人は一人称が「私」のイメージがあったので、背伸びしたかったんだと思う。
掃除の時間に通りかかったところを呼び止められた。理由は忘れたが、さほど重要な話はしなかったと思う。
そこで僕が「私」というと、「六年生にもなって私はない。”僕ちゃん”ってわけでもないでしょ?俺って言いなさい」とブチギレ。
いや、知らんがな……。
なんか色々理由を並べられたあげく、僕が謝って終了。
分かる人にはわかると思うが、突然一人称を変えろって言われても、変えられるもんじゃない。
たいていは言葉に詰まるか、頭と口の同期がずれて、どもってしまうと思う。
どもりをからかわれるようになり、僕はお喋りじゃなくなった。
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中学生になると、母方の叔父祖父と顔を合わせるたび、玄孫(やしゃご)の顔を見たい、と言われるように。
叔父祖父に連れ添って出歩けば、知り合いに合うたび、「うちの孫です。まだ童貞ですが」ここ爆笑「もうちょっとしたら、お願いします」と紹介される。
相手がおじいさんだったりすると向こうものりのりで「最近のこはがっつきがないねー」と嘲笑され、若かりし頃の武勇伝が始まる。
それを道端の立ち話でするもんだから、恥ずかしくてしょうがなかったし、孫息子じゃなくて孫娘だったらそんなこと言わなかっただろう、とも思った。
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リンク先では、日本とアメリカの「男らしさ」の差異についても言及されている。
これについてはなんかわかる。
僕はアメドラが大好きなんだけど、人気になってシーズンが長期化すると、ヒョロガリキャラでさえ、マッチョ化していくんだもん。
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だけど、「男らしさ」を指し示すものが違うだけで、日本でも男らしさって求められていると思うよ。
それに、男友達だけの間で共有される悪乗りのような男らしさもあるよね。
僕が学生の頃って洋ゲーが本格的に流行りだした時期なんだけど、洋ゲーに手を出した子はみんな、日本のゲームのキャラをさして、「ホモくせー」といってたもん。洋ゲー遊ぶ俺、かっこいい。もう、ガキじゃないってニュアンスでね。
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※追記
指摘されて気づいたけど、叔父(おじ)じゃなくて祖父(そふ)だった。「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼んで育ったから素で勘違いしていたよ。
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※追記2
※http://b.hatena.ne.jp/entry/4663534515915863457/comment/superabbit
※superabbit 玄孫って曽孫の子供だから混乱。増田のひい爺さんなら玄孫だけど、おじいちゃんなら孫の子供=曽孫だよ?
いろいろすっ飛ばして書いてごめん。
玄孫(やしゃご)であっています。僕の従姉妹は16歳で結婚していて、子供も居ます。それを念頭に置いて、お前が結婚すれば曾孫(ひまご)の顔は拝めるだろうし、100歳まで生きれば玄孫(やしゃご)の顔も拝めそうだって意味で、ああ言ったわけです。
祖父は早婚→妊娠出産までを既定路線で話す人だったので、話の前提について説明する必要性を忘れていたよ。
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※追記3
※https://anond.hatelabo.jp/20190123210845
※追記読んで思ったけど、オマエが世間にバカにされるのジェンダーロールのせいじゃない。オマエのアタマが悪いからだよ
※オマエがジェンダーロールだと思うんならそうなんだろう、オマエの中ではな
アタマが悪いのは認めるけど、世間にバカにされることはないよ。交流がないし。この10年でバカにしてきたのは、親父と君ぐらいだよ。
あなたの部屋はブタ小屋だと、父に言われ続けてた。その時の記憶(13歳ぐらい?)は特にない。別に困ってないもんねという感じだったのかも。
祖母は部屋の様子を見るなり泣き崩れた。
「普通に育ててきたと思ったのに。」
そう言って泣いてた。
時は過ぎ31歳のわたしの部屋は、かつてないほどに荒れていた。まず玄関にDMが敷き詰められている。ドアについてる郵便受けが限界を迎え放出されてしまったのだ。
仕方ないので踏みながら部屋に入る。
と祖母に言われてたので若干びびりながら気持ちつま先歩きで通過。
ワンルームの部屋に入るとまさに足の踏み場も無い空間。お前は罪と罰か。ついでに煙草の空き箱も捨てちゃうぞ。
テーブルにはコンビニの弁当箱的なものが散乱。カップラーメンとか。汁の上に膜張りがち。
そこをかき分けてまたご飯を食べてるとですね、、、食べてるとですね!
コバエがどんどんご飯に突入してきて全然食べれないんですよね。あれには驚いた。いまどき東南アジアでもこんなことないぞっていう。ちなみにゴキブリは8年間で3匹とかしか出なかった。何故だろう。
気が滅入ってきた。
診断済みのADHDなんですが、この汚部屋に関しては自分のADHDの性質が爆発してるなと思う。つらい。
汚い部屋でも人は死なないけど、自分は汚い部屋に住んでる人間だという気持ちは簡単に人を殺す。
みたいな文章をツイッターで見かけたけど本当にその通りだと思う。出典気になる。教えてエロい人。
特にオチとかないんですけど、汚部屋は早めに立て直さないとかなりやばいことになるよっていう共有でした。せめて生ゴミは捨てような!増田との約束だぞ!
エピソード一個書き忘れてた。
15年前ぐらいににちゃんねるで「藻前らの汚部屋を晒せ」みたいなスレッドを見つけた。仲間がたくさんいる!自分の部屋も投稿しよう!と思い、ワクワクしながら投稿した。
「これは病気」
母の実家にはにわとりだかうこっけいを飼っている鳥小屋があった。
ベニヤ板とトタンと金網で出来た本当に簡単なものだったし、多分今入ればとても狭く感じるのだろうけれど、当時はそれこそ年齢が2桁に到達すらしていなかったので、秘密基地のような感じがしていた。
もちろんその秘密基地には私にとてつもない威嚇をしてくる鳥たちがいたから、私は鳥小屋に近づくことこそすれど中に入るのは祖父母が餌をあげに行く時か、本当に早起きできた朝の卵を取りに行く時だけだった。
タバコもお酒も揚げ物も大好きで、癌になってしまう条件は揃っていたし、さらに彼は病院が大嫌いだった。検査で癌が見つかった時には恐らくもう手遅れで、入院は緩和ケアのためだったのだろうと今は思う。
私が上座に座っている祖父の膝に上がると、よく煙を円の形に吐き出してみせてくれた。私は優しくて楽しい祖父が大好きだった。
祖父が亡くなったあと、正月か葬式か月命日か覚えていないけれど、祖母が毎日行っていた鳥小屋に行かないのに気が付いた。私は寒くてほとんど家から出ていなかったから、鳥小屋には行っていなかった。
祖母に「卵は?」と聞くと、彼女は「鳥は野良犬に食べられちゃったんだよ」と言った。
初めはひどい野良犬!と憤慨していたが、鳥小屋には鍵が必ずかかっていたし、特に鳥小屋に壊れているところも見つからなかった。けれど特に祖母を疑う理由も見当たらなかったのでその時はそれでなあなあになってしまった。
本当に野良犬に侵入されて食べられたのか、どこかに貰われて行ったのか、それとも、いつかの私たちのご飯になったのか。今さら聞くことでもないから聞けずにいる。
でも多分あの時の祖母にとって鳥小屋の鳥が消えたことはいいことだったのだと思う。
ただでさえ祖父に遺された家や田畑は祖母の手に余っていた。卵代が浮くとはいえ餌代もバカにならなかったであろうそれらは、祖母がひとりでの生活を固めていくには負担が大きかったのだろう。
これ書いた増田なんだけど、シュガーラッシュ・オンラインめちゃくちゃ面白かった!!
ディズニー映画が嫌いな人ほど見て損はしない映画なのではと思う。
まずね、ディズニー映画にGTA(グラセフのことね)が出てくるってだけで面白すぎる。そりゃあ、未就学児も見れるレートの映画だからストリップ小屋も立ちんぼも出てこないけど、やったことあるやつならニヤニヤしちゃうようなどうしようもなくGTAな世界が描かれてる。しかも、最終的にはそこにヒロインが住みついちゃうって展開も、是非は置いといてポリティカルにコレクトを追求した結果感があって良かった。
あと、主人公ラルフの気持ち悪いおっさん部分を取り出した分身がヒロインのベネロペに執着するシーンなんか見てられないくらいに良かった。
あ、そうそう。プリンセス全員集合のシーンも予想に反して良かったです。プリンセス達がインターネット内のディズニーサイトで働いてる設定なんだけど、その楽屋でスウェットのパジャマになってるところがキャバ嬢感しかなくて良かった。パジャマ姿を満喫した後、ドレスに着替えて出勤してくとこなんか最高。
そして、物語の最後ではラルフとベネロペが別々の場所で暮らすことを決める。劇中で2人の関係は親友として描かれてたけど、新しい生活を選んだ女が新鮮味のない男を捨てるための「前向きな(笑)離婚」にも見えた。しかも男側が未練タラタラの自分の執着心に向き合って、「俺だってめちゃくちゃ悲しいし嫌だけど、そんな姿キモいくて見苦しいだけだからやめろー!!」って説得までするんだからめちゃくちゃ泣いてしまった。
正直、子供向け映画としてはそんなに高く評価出来ないと思う。ファインディング・ドリーでさえ、最後はドリーに家族を見つけさせてあげてたのを踏まえれば。
コミュ障でキモいおっさんが新しい世界に行っちゃう幼女に執着して結局は捨てられちゃう身もふたもない映画だけど、俺にとってはめちゃくちゃ刺さって好きになってしまった作品です。
一人は大学の先輩。一個上で寮に入っていた時にだいぶ面倒を見てもらった。
一緒に飯食いに行ったりもした。
その数か月後元気かなあとふと思い出して友達に聞いたら自殺したよって。
一人は小学校中学校の後輩。二個下で一緒にゲームとかする仲だった。
進学先が違うので、高校に入ってからは余り連絡取ることもなく、若干疎遠になっていた。
いじめを受けたのか単にやる気が無かったのか不登校になり、退学してから通信制に通うも首つりで発見された。
いじめや退学は今の世の中別段珍しくないが、自分の身近で起こるとは思わなかった。
もう一人は近所のおばあちゃん。俺が歩けるようになったころから知っている。
夫婦と一人息子と暮らしていたが、その息子が40を超えても働いていなかった。
子供の頃はニートなんていないと思っていたから、昼間からよくラジコンで遊ばせてくれたり、お菓子を貰ったりしていても、なんも疑問に思わなかった。
その息子が肝臓をやられて亡くなった。
そのちょうど一年後、おじいちゃんが脳梗塞で倒れた。夜の10時頃に救急車のサイレンが鳴っていたのをよく覚えている。
その一年後、小屋や車庫が全て取り壊され、気が付いたときには倒れているところを発見された。何をしたかは聞かされてないが自殺だったらしい。
ちなみに秋田県
目の前をただ進めばよくて考えなくていいから
11月のフリプはヘビーレインに続いてまた自分が数ヶ月前にセールで買ったはいいけど積みゲーしてたビヨンドでガックシ
買うならすぐやるやつだけにしよう
ゴッドオブウォー終わったし次何しようかなと思ってバイオHDをはじめるけど難しい
アイテムボックスのあるセーブポイントの道中でかならずゾンビいるからこまめにセーブしたい派からしたら地獄
こうりゃくみても難しいわ
マップが似たような形してて覚えにくいし、行ったり来たりしないといけないし、固定カメラで思った方向に行かないのにゾンビが走ってきて焦るしでさんざん
エンブレムとっていったん洋館出て寄宿舎にいくときにリサの小屋いって戻ってきたところで玉がほんと尽きてこれ以上はちょっと無理そうと思って投げた
攻略見ててもきついってすごいわー
くやしいけどギブアップ
ケツのグラがやばかった
無駄に胸が揺れてた
じゃーなにしよーと思ってbrutalってのを少しやってみる
ローグ系で記号化されてる感じの不思議のダンジョンみたいなゲーム
見た目が地味でいまいちそそられず2,3階もぐったところで死んだところでやめた
ラインを追っかける音ゲーみたいなシューティングもよくわからんくてやめた
ヘビーレインをはじめたけど無駄な操作を細かく強制されるのと、コントローラをぶんぶん振り回さないといけないのが鬱陶しすぎてやめた
ディスガイア5を半年以上ぶりに起動したけど何をどうしたらいいか調べる・確認するのが面倒ですぐやめた
ブラッドボーンを始めたけどプロローグっぽいところでもうすでになんかめんどくなって操作できるようになって狼にそっこー殺された後生き返ってから操作できるようになったところでやめた
ビヨンドもめんどくさそうだし、他に持ってるDL済みのゲームみてもやりたいと思えるのがなかったからps4を片付けることにした
あーあ
肉屋でセルフケアに40秒、タナトが乗ると42秒、狂気回復の時間を含めて53秒くらい
吊った後に治療を優先すると発狂で居場所が通知され、離脱を優先すると治療に時間がかかるという編成
索敵と考えてアドオンと鎮静秩序にするのもありか?
ハッキリいってこの構成はもう弱いと思う
どれだけ心音広げてもマップ全体はカバーできない(ギデオン除く)
オバチャをつけていったとしても人数減らせなければ泥沼になる
ドクターは妨害遅延に強いけど結局歩いて殴るしかないのでデボアで補強
電撃は直線で35m~40mくらいまで届くからよっぽど広くない限り間に合う
ただネタ構成に過ぎないし、チェイスで電撃が使いにくくなるのが欠点
ドクターのアドオンは基本メリットしかないからなんでもいいけれど
とにかくLv3に早くする構成
巷じゃレア電極使えない、特に遅いから板グル窓グル拒否に使えないとか
電撃は広ければ広いほどチェイス以外にも索敵や破壊行動修理行動の拒否に使える
潜伏や都会を一切させないスタイル
不安とセットで爆音化や野蛮セットで幻覚(秩序の効果)加速でもいい
抑制懲罰でオーラやステインが見えて、服従でデッハしなやかバランス阻止
さらに秩序の幻覚で逃げ場所ミスを誘い隠れても抑制で見えるドクターが長生き
一発攻撃を当てたらなんとかなるから意外と初心者向きかもしれない
Lv2になってしまえば天敵のモロコシや竹藪がメリットになるし、壁エリアはなおさら
観虐の代わりにタナトを入れてより治療意識を高めるのもありかも
マイケルのLv3は射程がめちゃくちゃ長くて板前待機で相打ちを取りやすい
思い出髪束にして野蛮の代わりにファイヤーアップもあり
オブセを利用する構成
オブセ一人の凝視で欠片発動できるくらいになる(はず)
大幅強化されて強キラーの仲間入りか
アドオンは無くてもいいけど距離増加、罠範囲拡大、幻像時間増加がいいかも
ミントがあれば一番良い
一回吊ったら救助者か被救助者どちらも一撃になるから吊りループを狙う
罠に触れたらワープして攻撃して再設置、治療して触りに来れば遅延になるし放置するなら万々歳
一度吊ってからが本番
天秤で一撃も可能だし、デボアが溜まれば天秤無くても一撃になる
やったことはない
罠が作動すると本体の心音が消えて、幻像の心音が広がるアドオン
肉屋タナトナスコのテンプレ構成でかつ心音が消えたならかなり攻撃しやすくなる?
ただ本体の心音がどの程度消えるのかが疑問で幻像が消えるまでだとかなりシビアになりそう?
幻像が出現せず、罠を踏むとチェイス中に突然ハグの心音が消えるかもしれない
とするとあらゆる戦法が使えそう?
後で検証してみたい
板窓を封じるだけじゃなく、狭い通路を封鎖できるから救助されて離脱するときに閉じ込めれそう?
とすると天秤や肉屋との相性が良さそうか
靴で鈍足化できるけど、手で通行止めにするなら要らない気もする
アマンダは心音範囲が狭い+背が低い+しゃがめば心音消失があるのでナスコがより刺さりそう
這いずり放置特化
ノックアウトとフェイスマスクで鯖の治療をとにかくしにくくする構成
重傷アドオンが肉屋と重複するという情報があるのでより遅延になるはず
ただアプデでダウン中に95%まで貯めれるからノックアウト無しでナスコの方がいいかもしれない
地道に吊ったりトークン貯めたりして、通電前にオブセを殺せたら準備完了
ゲート近くで待機して開けに来たところを襲い、罠をつけて吊る
ノーワンでダウンして罠をかけたら通常より30秒早い罠を急いで解除しに走り回る
ハグと一緒に強化されて、それなりにまた見かけるようになってきた看板キラー
アドオンはあればいい程度
何とかダウンさせたら無理やり地下まで運ぶ。小屋タイプが一番いい
吊ったら罠を地下周辺に置きまくって救助者を地下に運ぶ構成
虹色の石があれば解除されてもそのうち空くから再設置に戻る必要が無い
祭壇 - 地下吊り加速だけどそんな恩恵無さそう
天秤 - 救助して罠意識してもたもたしてるところをザクっとただそんな離れないよなあ
死恐 - 救助を促す 血塗れのコイルをもっていけば罠解除にもリスクがつく最適解か?
以上
『ようこそ実力至上主義の教室へ(以下:『よう実』と表記)』というアニメがある。
あまりにアマゾンビデオが勧めてくるので1話と2話冒頭だけ見た。
端的に言えば中高生向けディストピア作品という感じ。それに昔天海祐希がやっていた『女王の教室』の要素もちょっと含まれているか。
中学生時代特撮ヒーローものに復学した派生としてエヴァンゲリオンのようなアニメに興味を抱いたのだが、そのころの自分に見せたら一発でのめり込んでいたことだろう。
まあ自分の実家のある地域は田舎過ぎて放送されていなかったんだけど。
ここからが本題なんだけど、『よう実』を見ていたら現代社会が急に怖くなってきた。
『よう実』の舞台は一般社会から隔絶された全寮制の高校で、スマホ型の端末に電子マネーが支給される。
その電子マネーは学内にある娯楽施設など(服屋とか映画館、カラオケ、コンビニ、ゲーマーズ風の店)で使うことが出来る。
んで1話のラスト、「お前らの態度悪すぎだから電子マネー支給基準を満たしてない。だから1円もやらね。」みたいなことを担任教師が言い放つシーンがある。
あのシーンで感じたことは、「態度の悪さ」というのがどこまでを示すのかということである。ついでに担任は遅刻欠席私語携帯弄りを例に挙げていた。
2話冒頭では「リアルタイムで生徒の動向を把握している」というセリフもあった。
つまり「態度の悪さ」というのは授業態度の悪さももちろんあるだろうが、電子マネーの使いっぷりや私生活の悪さも「態度の悪さ」として勘案されている可能性があるということだ。
例えば電子マネー。舞台となる学校では学校支給の電子マネー以外では買い物することは出来ない(学内で諭吉などの現金を扱っている描写もない)。
生徒の動向を担任や関係者がつけまわしているという描写もなかった。
ということは考えられることはただ一つ、生徒一人一人の電子マネーの利用実態が支給基準を決めるところに筒抜けということである。
言い換えれば生徒の消費行動を通じ、学内の統治者(?)が生徒の一挙手一投足を監視しているのである。
加えて生徒に支給される携帯端末は通信機能も有し、おまけにカメラまで搭載している。
これらの端末を使えば生徒間のやり取りや寮(劇中の寮は普通のワンルームマンションみたいな感じだった)での行動まで丸裸なのではないか。
それらのビッグデータを総合し「お前ら態度悪いから電子マネーやらねー!クソして寝ろ!!!」ということも可能なはずである。というか授業態度だけでは「態度が悪い」と断言できないはずである。
携帯端末や電子マネーのデータが筒抜けで、それらがクラス単位でのビッグデータとなり「態度が悪い」と判断されたと考えるのが自然であろう。
翻って現実社会ではどうか。自分も電子マネーを日常的に使っている。(関東在住なので)PASMOを使ってバスや電車に乗っている。
やろうと思えば『よう実』世界のように自分の行動を一挙手一投足監視することも可能ではないか。
少なくとも「最寄り駅は○○駅」とか「コンビニやキオスクではよく××新聞を買っている(から政治思想はこうだ)」といったことは筒抜けである。
また、自分は幸いスマホやガラケーは持っていないが、デスクトップパソコンは持っている。そうしないと増田には投稿できないし、アマゾンも使えない。
アマゾンビデオを見られるということはアマゾンプライムに入っている。実際、アマゾンでよく買い物をしている。今日もティーパックをポチった。
dアニメストアにも入っている。使う検索エンジンはFirefoxデフォルトのGoogleだ。Youtubeだってよく使う。
アマゾン、Google、Youtube、dアニメ、これら4つのサービスの利用履歴を洗うだけでも趣味嗜好や行動形態は相当絞り込めるはずである。
その結果『よう実』世界のように、「この人の態度は悪い」「この人は社会不適合者だ」といったことを閲覧・検索・購入データから判断される可能性もなくはない。
スマホに至っては常時身につけて歩くものである。GPSやカメラ機能でどこにいるかといったことまでもが筒抜けになるのは想像に難くない。
2話冒頭まで見た感じだと、『よう実』は監視社会は身近に迫っていること、またそれを可能にする事物はもうすでに日常に潜んでいることをテーマにしているように感じられた。
精神疾患を患っており、ここ一年で何度も警察のお世話になった身である。警察としては監視対象にしたい人間であることは疑いようのないことだ。
その際、日々使っているサービスにより監視されてしまうことが起こってしまうのではないか…といろいろ気をもんでいる。
いっそ東京の自宅を引き払い、パソコンもイエデンワも捨て、回線も解約し、セオドア・カジンスキーみたいに山奥の掘っ立て小屋で一人暮らすしかないのではないかとすら感じている。
16年前は真っ白でふわふわで目と鼻が真っ黒だった。今の彼女は耳や背中が茶色になってきて、目や鼻はブラウン化してきて、これはこれでとても愛くるしい。
そんなかわいい彼女を毎日大切にしているが、成犬になって落ち着いてきた頃から、子犬よりも成犬のほうがかわいい、むしろ子犬はやんちゃすぎて嫌だとすら思うようになった。
さて、最初の一文で最近調子が悪いと書いたということは、彼女はもうそろそろという意味だ。
そのことを必死に隠しながら生活をしている。しかし、一番気がかりなのは今の犬が大好きな爺さんだ。
最初は犬を買うことに大反対だった爺さんだ。昔、犬を飼っていて、しかしその最後の別れがあまりにも辛く、自分で作り上げた犬小屋を夜中にいきなりノコギリで解体しだした爺さん。そろそろ別れを感じ取ってるのか日に日に犬に構わなくなっている。もし今の犬とお別れがきたら今度こそ本当に気が触れるんじゃないだろうか。
なので、お別れが来る前に親と相談し、新しい子を飼うことにした。
そのため、土曜日に彼女を頂いた保護活動家の家に行き、新しい子を貰いに行くことにした。
16年前とおんなじ部屋に通されて子犬が何匹か駆け寄ってくる。
子犬はかわいい。16年前、4匹兄弟の中で唯一真っ白だった彼女を引き取ったことを思い出す。
でもそれ以上に気になったのが、成犬だった。
ほとんどの成犬は保護活動家の人曰く、性格が凶暴になったとか、大きくなって飼いづらくなったと保護活動家の人や別の施設や連れてこられたりするらしい。
または犬を飼っていた老人が無くなり、飼い主がいなくなった時に家族から連れてこられたりなど。
そのうちに一匹。すでに9歳になる一匹のコーギーが非常に可愛く思えてしまった。
その時「かわいい子犬は貰い手が見つかりやすいが、成犬どころか老犬になってしまったこの子は飼い主が見つかるのだろうか。」と脳裏に浮かんだと同時に「俺はこの子が良いと思う。」と言っていた。
父は「でも子犬じゃないとまたすぐにお別れが来るぞ」と言った。保護活動家の人も「情で選ぶと大変だよ。」といった。
二人の言うことはご尤もで、この保護活動家の家にいる犬すべてに飼い主ができるわけではない。この保護活動家の人も結局は子犬であっても決まらない子のほうが多いという。
俺はそういうことを思いながら、わかったといって、黒茶のミックス(保護活動家の人は柴犬とポメラニアンではないかといっていた)の6ヶ月の雄を選んだ。
顔合わせをする。彼女はビビリで他の動物をみると怖がるが、彼は小さいからか大丈夫だったみたいだ。
爺さんは大変よろこんで「犬小屋いるな」といって日曜日に早速犬小屋を作ってた。(といっても結局、小屋はお昼に外にだすときしか使わないんだけど。)
その度に「でも彼女は多分ビビるし、9歳だともう老犬だし」と言い聞かせ打ち消した。
偽善なのはわかってる。でもこの増田は嘘松なので偽善でいいのだ。9歳のいきなり天涯孤独になったコーギーなんて存在しない。いいね?
人生初のボランティア活動は思った以上に実のあるものになりました。
災害ボランティアに興味があるけどやったことのない、踏み出せない人の為に
自分が行ったボランティア活動について少し書きたいと思います。
北海道胆振東部地震では特に厚真町、安平町、鵡川町の3町での被害が大きかったのですが
その中で私は安平町(あびらちょう)に約10日間行ってきました。
一番大きく報道されている厚真町と比較すると建物の倒壊こそ少ないものの
つまりそのぐちゃぐちゃになっているお宅に訪問して片付け、清掃をし
物が多い家の場合は2班、3班合同で作業にあたることもありました。
大きなタンスや机を運ぶこともあれば
どの方も気丈に振舞われておりました。
ただ、それは人前だからの行動であることは明白で本当はものすごく辛いということも感じました。
私は無かったのですが、被災者さんが今後どうすればいいのかと泣かれてしまい
災害ボランティア活動で何より素晴らしかったのは他のボランティアさんとの出会いと
自分がやらなきゃという想いが強い人が多く
前向きで行動的な方ばかりでした。
その想いが強すぎて、仕事が少ない、与えられなかったりすると不満が出るくらいでした。
活動中には自分の経験や想像を超えたことがたくさん起こりました。
初めて会う人達ばかりなのに気が付けばチームワークが完成しています。
各々が自分の出来る仕事に自ら進んでいき効率化されるからです。
前向きな気持ちがあるからなのか、必ずその人の持ち味が発揮され
チームの一員として力を発揮します。
ボランティアはプロではなく素人なので作業中のミスや失敗は正直頻発します。
しかし誰一人として文句は言いません。すぐフォローに入ります。
とにかくポジティブ。
みんなでやろうという雰囲気が醸成されていて
会社でもこんなに気持ち良く働くことができたら…と何回思ったことでしょうか。
途中から住宅清掃班のリーダーとして業務を担当させて貰いましたが
メンバーのポジティブな考え方、行動に助けられてばかりでした。
たった1日一緒に作業しただけなのに別れ際の寂しいこと寂しいこと。
本当に素晴らしい出会いの宝庫でした。
長々と語ってしまいましたが
もしこの文章を読んで災害ボランティアに興味を持ってくれた方がいたら
おそらく散文になると思うけどなんとなく残しておこうと思う。雨だし、帰り道1時間ほど歩きながら暇なので一発書きする。
母は器用であったが、欲のない人だった。おそらく高卒(大学に行ったと言う話を聞いた事がないのでそうなのだと思う)で働き出し、その後父と紹介婚(これも謎、お見合いではないらしい)し、私と私の兄を育て、今は犬二頭と父とで隠居生活のようなものをしている。ど田舎の山の中に小屋つきの別荘を買えるほどの生活レベルだ。
両親は昔に比べるとさらに仲が良く、昔家庭崩壊していたことがまるでなかったことのように思う。家庭崩壊は、両親の問題ではなく、私たち兄弟が荒れていたためだ。
今の私はと言うと、妻を貰い、もうすぐ30になるが子どもはなく、忙しくも充実した日々を過ごしている。
子どもを持つ年齢/環境になって、考えるのは私の両親の話で、その中でも父のことは話を聞く機会が多かったのか、たまに学生時代の話を聞かされたのを覚えている。さらに言うと、「おそらくこう言う人生だったのではないか」と言うのが、私にも想像がつくものであるため、父の人生を不思議に思うことはなかった。
一方で母のことについて考えてみると、いかんせん分からないことが多く、母は一体何者なんだろうか。
断片的な情報からの推測であるが、高卒で就職し、のちに父と出会い、25歳ほどで遅めの結婚し、その後車の免許を取り名古屋での生活に備え(出身は京都)、私の兄を身ごもり、私が幼いころにはパッチワークをしていて、家のものがそれ風のカバーやシートでいっぱいで、家に帰るとよくミシンを動かしていたと思う。私が5歳の頃には既にあったパッチワークのカバーは隠居先の別荘にて今も使われている。
のち、小学校高学年くらいにはアルバイト(お好み焼き屋)を始め、のち天丼屋に代わり、私が中学くらいにはなぜか漢検二級くらいを取り、高校生になる頃には介護の仕事を始め、ヘルパーの資格を取ったりしていた。
この時の私は、母がアルバイトを始めたこと、検定や資格を取っていることに何も感じなかったが、今改めて考えると不思議なことに思う。
彼女の何がそれをさせたのだろう。当時の父の月収を知っているが、家庭的には裕福で金銭的にも余裕はあったはずで、今の私が同等くらい稼ぐのはかなり厳しい思うくらいだ。
学歴からのコンプレックスか、手に職をつけるためだろうか、はたまたただ単に暇だったからなのだろうか。母が飲食のバイトを始め1〜2年ほどで辞めたのは、何か嫌な事があったのだろうか。その経験から資格などに目を向けたのだろうか。
本を買う時はほとんど古本で、資格の本もほとんど古本でもで揃えていた。元々、おそらく本を読む人ではないため、家にある本はオレンジページやよく分からない流行った本(五体不満足など)しかなかった。歴史書や辞典など、自宅にあった本は殆ど父のものだった。母は幼い頃に両親の離婚(私から見たら祖母と祖父)を経験していることから、家族への執着が強くなっているようにも推測できるし、70年前の離婚は今と印象が違うだろう。子どもの頃は決して裕福ではなかったらしいし、その経験からなのかほとんど贅沢をしない人だった。日曜に父と映画を2本借り、父と共に途中で寝るような人だった。
私の母はおそらく打たれ強く、色んな物事に欲がなく、家族が全てのように振る舞い、難しいことはよく分からないが口癖で、残り物を晩御飯として食べ、たまに恋愛ドラマをみてそのままソファで寝て、父の背広にアイロンをかけ、私や兄が勉強をするとよく褒めてくれた。私は今書きながら泣いてしまった。料理が得意で私はご飯をたくさん食べた。たまに父のことをお父さんではなく、◯◯ちゃん(トシノリならトシちゃんなど)と呼んでいた事もあった。髪の毛を乾かすのはドライヤーでなく扇風機だった。私や兄の些細なことでも、さも大層なことのように人に自慢した。
私は私の母のことを理解出来ない。私は矮小で利己主義で打算的な人間で、友達も少なく、自分の話をするのが苦手で、人と喋る時は嘘の自分が自分の代わりに喋っているようにしないと他人と喋れない、嘘つきの惨めなマザコン人間だ。さらに言うと私は父も好きだからマザコンとファザコンを併発しているとも言える。
と、ここまで両親を賛美した上で、私の妻と言う存在に触れると、私は自らの過去に存在する母と父を尊敬しているだけで、今は妻が世界で一番大切なので、全ての物事の中で妻を優先しており、両親と妻の命が天秤に掛かれば迷わず妻を取るくらいだ。
1945~1950年生まれの団塊世代が、冷戦に直面したのは物心ついてすぐ
昭和30年代にはさんざん「今すぐ米ソ核戦争!」みたいに騒がれてた
当時の超有名作品だから観てない子供でも内容は大まかには知ってたろう
このころはしょっちゅう地上や離島で核実験やってたから死の灰も降ってた
公害が問題視されるようになったのは1960年代後半(水俣病工場廃液説が公認されたのは1964年)
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オイルショック(1973年)に直面した時期に団塊世代は20代前半
下手すっと就職の時期にちょうどぶち当たってる
連合赤貧だの中核革マル内ゲバだの陰惨な事件が相次いだのも団塊が20代前半の時期
「それでも未来があった」とか言うんだろうけど、団塊が20代の1970年代には
『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになって終末論が流行
「環境汚染や核戦争で人類の将来はヤバイヤバイ」てな言説もさんざん広まった
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いっけん関係ないかも知れないけど、団塊世代が10代の1960年代には
幼児が誘拐されて殺されてすごく騒ぎになった「吉展ちゃん事件」(1963年)とか
女子高生が殺されて冤罪疑惑が根強い「狭山事件」(1963年)
在日韓国人が差別にブチ切れて起こしたといわれる金嬉老事件(1968年)
などなどが起きてる
団塊が若かった頃「ひたすら明るくハッピー、暗い世相はいっさい無し」とかウソです
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兄弟たくさんで汚い小屋みたいな家に住んでるとかごろごろあった
団塊世代が10歳前後で『月光仮面』の放送が始まった1958年のテレビ普及率は50%以下
テレビが見られない、裕福な友人宅に頭を下げて見たなんて子がごろごろいたはず
今朝のことです。
家から最寄り駅へ向かう途中、地べたに座ってこちらを見ているおじいさんがいました。
これは関わらない方がいいなと思って横切ろうとしたのですが、おじいさんの脇に杖が転がっていて、彼が転んで起き上がれなくなっているのだと気付きました。
意識ははっきりしているようでした。
「どうも」
「家はお近くですか?」
「そこのすぐ裏」
私は肩を貸して一緒に家まで歩きました。
「お怪我はありませんか?」
「休めば大丈夫」
「いないよ」
家の前について驚きました。
それは家というより、大きめのプレハブ小屋といった感じでした。
引き戸を開けると中は部屋で区切られてもいなく、乱雑にイスやテーブル、ベッドなどが置かれていました。
「そこで大丈夫」とイスを指さすので座らせました。
「どうも」
「それではお気をつけて」
「どうも」
私は仕事があるのですぐにその場を去りましたが、あのプレハブ小屋で足腰の弱った老人が一人。
どうやって生きているんだろう、そのまま命を落とすことはないだろうかと、
私にできること、やるべきことはあるんでしょうか?