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はてなキーワード: 小学二年生とは

2018-11-13

小学二年生とかけまして、カップリングときます。その心は、どちらも順序が大事でしょう。

かけ算があるのにとき算がないのおかしくない?

2018-05-24

悪いのはいじめる方なんだとやっと腹落ちした

小学二年生とき痴漢に遭って、母に言ったら「そういう人はいから、気をつけなさい」と言われた。

中学生ときにもまた痴漢に遭って、母に言ったら「痴漢にすら相手にされなくて自分には魅力がないんじゃないかって

悩んでいるような女の子いるかもしれない。需要があるだけましと思わないと」と言われた。

それ以降も露出狂や、チャリで追い掛け回してくる人、ノーマル痴漢など色々遭ったけど、人に言わなくなった。

社会人になって、会社を辞めていった元同僚と居酒屋で3人で飲んだとき、1人が酔いつぶれて寝てしまい、

起きているほうの元同僚に腕を掴まれて壁に押し付けられて無理やりキスされたということがあった。

通りすがりの知らないおじさんに痴漢されることには慣れていたけど、本名出身大学学部も好きな小説家も知ってる

一緒に働いたことのある一つ年下の人から強制わいせつをされたことにはさすがに衝撃を受けてしまい、

それを母に言ったら「モテてるじゃない(笑)」と言われた。

母に言う前に、母に言っても良い方向にはならないと予想はついていたから、数か月間は当該元同僚をLINEブロックしただけで

誰にも言わないで黙っていられたんだけど、結局喋ってしまい、しみじみと私は馬鹿なんだろうなと思った。

父親はというと、私が成績が下がったり部活試合で良い結果が出せなかったとき、ただでさえ落ち込んでいるのに罵倒してきて

良い結果を出せたときは何も言ってこないような人間なので、そもそも会話が無かった。

 

山口達也女子高生を家に呼び出して無理やりキスしたというニュースがあった。

女子高生母親は迎えに来てくれて、事件を明らかにして、泣き寝入りをしないという選択をした。

日大タックル問題では、加害学生被害学生の両親がそれぞれ、自分の息子を守り戦うという姿勢を見せている。

こうした「泣き寝入りをせず加害者責任を問う犠牲者」の存在に立腹し、執拗に叩くタイプの人は大勢いる。

泣き寝入りをしない選択は、「犠牲者の落ち度を責めるばかりで加害者は免責する人々」からの猛バッシングを受ける結果を、ほぼ確実に招く。

でも山口達也被害にあった女子高生とその家族内田理事被害に遭った男子大学生とその家族の戦いを見て、時代が明らかに変わっていることを感じた。

あらゆるいじめは加害した側が悪く、変わるべきなのも加害した側であると、現在は心の底から思えるようになった。

加害者に狙われることを出来る限り予防したり、狙われたときの反撃手段を得ることといった、現実的解決手段は当然必要だ。

でもその前に、被害に遭った自分を痛めつけているだけの人々が、まだ大勢いる。

被害だけではなく、パワハラなどの労働問題学校でのいじめもそうだ。老若男女も問わない。被害に遭った自分を責めている人がたくさんいる。

加害者にとってどこまでも都合の良い犠牲者」として、自分健康を害し続けている人々がたくさんいる。

 

母が大学時代結婚式場としても使われる大きな料亭バイトしていて、酔客に尻を触られることがよくあったと言っていた。

予備校バイトをしていたとき弁護士事務所秘書をしていたとき、妙な因縁をつけられたりセクハラされたりがあったとも。

全てを母は笑いながら話し、「バブルだったからね、女性からってだけでイベントに呼ばれて、

参加費無料なのに貴金属もらったりもあった。女は得」という話に繋げて終わらせようとする。

しかし、私が生まれ専業主婦になり私が小学校高学年になってから社会復帰した母は、

社会復帰以降は一切女性らしさを問われないオフィスワークをし続けてきたし、

50代になったいまは髪を短くして私服ジーパンばかりで、かなりの痩せ型であることもあってシルエットに女性らしさがほとんど見えない。

笑い話ではなく素朴な「嫌なことをされた」「それは辛かったね」というやり取りを、

望みながらも叶わなかったのは、母も同じだったのではないかと今は思う。

 

内田理事の件と、あとはネトウヨ懲戒請求された弁護士の反撃もそうだけども、

犠牲者法律リテラシーがあるからこそ互角かそれ以上に戦えるという例は多い。

たいていの被害告発告発者が戦い慣れておらず、観客は惰性で加害者擁護して、犠牲者プライバシーを失いボコられて終わる。

からme tooの強要なんてできない。それでも、悪いのは常にいじめる方であると言いたい。

被害予防と、万が一被害にあったときの身の守り方は学びながら、過去被害に遭った自分を責めることはもうやめて欲しい。

加害者には加害者事情があるだろうけれども、犠牲になった人間自分の心や生活よりも加害者理解大事にする必要は一切ない。

 

anond:20180525110834

2017-08-30

1992年個人的記憶

しか小学二年生だった僕は、ボロい一戸建ての社宅に住んでいた。

三つ年上の姉が家事をやっていたんだけど、細かい掃除まで手が届くわけもなく、家の中はいつも埃っぽかったのを覚えている。

カット済みの食材が届く宅配サービスを利用していて、姉がそれを調理して夕食を作り、夕方七時過ぎに帰ってくる父を待ってから三人で夕食を食べるのが夕餉の風景であった。

朝は六時に起きて、聖教新聞提供ラジオ番組を聞きながら朝食を食べていた。

家にはパソコン携帯電話もなかったしそれは一般的だったと思う。

友達に用があれば固定電話にかけるか、直接家まで行って呼び掛けた。

僕はスーパーファミコンを買ってもらえず、ファミコンしか持っていなかったがそれでもテレビゲーム自体を買ってもらえない友達もいたので、それなりに満足していた。

年賀状は当然プリントゴッコで、ピカッと光るのがひどく未来的に思えた。

死んでしまった愛犬のダックスフント、今は交流のないあだ名で呼び合っていた友達、よく遊びに来ていた姉の親友

いろんなことを思い出すのに、どうしてもその前年に死んでしまった母の仏壇場所がわからない。

2017-07-23

ボンヌ各位

埼玉のイボンヌことわたくし、ついにその名を返上か。ファイナリー効果的な対処方法を見つけ出したかもしれません。

思い返せば小学二年生、足の裏にイボができ液体窒素で焼かれ上げた断末魔。お医者さんも苦笑い、母は頭を抱えました。

時は経ち二十代。目頭にポツリと出来た小さなイボ。そこまで目立たないものの、よく見れば目ヤニのようでなんだか不潔。眼球キワのキワにあるために、液体窒素なんて恐ろしいものはお断わり。ハトムギ茶とかいう気休めは、休日に一週間の麦茶をまとめて沸かす習慣以外の何物も生まず、憂鬱な年月が流れました。

ところが数週間前にお土産でいただいたアプリコットオイル。どうもイボに効くらしいとのことで、風呂上がりに塗るようにしたところ、未だ目ヤニイボに変化は見られないものの、他のイボ(わたしはイボンヌ、イボがいたるところにある)が小さくなってるような気がします。

先ほどそのことに気づき、喜びのあまり他県のイボンヌ各位にお伝えしたく。

2016-12-12

最後にしたセックスを覚えていない

昨日は丸一日布団から出ることができず、今日はまったく作業に手がつかなかった。感情の整理のために文章に起こす。

最後セックスをしたのは三年半前、大学二年生だった頃のことだ。その年の頭にできた二つ上の彼女とした。

サークルで知り合った彼女はお世辞にも美人とは言えないが、いわゆる可愛い系の女の子で、特に付き合ってからはこちらのほうが歳上なのではと錯覚するほどだった。とても可愛かった。付き合っていた時期は私が大学一年から二年ということもあり、性欲に身を任せて彼女とひたすらセックスをしていた。徐々に彼女下宿に入り浸ることになり、付き合って半年弱の別れる寸前にもなると週四日ほど泊まることもあった。半同棲生活だった。

彼女就活ストレスを発散するためなのか、年度が変わったあたりから彼女から身体を求められることが多くなった。その頃には彼女とのセックスにも慣れてきて、お互いが満足するまで何度もセックスをした。所詮サル大学生ということもあり、単にセックスができることが嬉しかったし、何より彼女に求められてそれに応えることができることが嬉しかった。付き合い始めはセックスをするために付き合っていたところもあったが、その頃にはきちんと彼女と一緒にいることに幸せ見出していた。セックスのあとによく結婚しようねと幼稚園児のような幼稚な約束を交わして、そこからまたセックスすることもあった。本当に幸せだった。

彼女就活もあと面接を数回残す段階になった頃、私は彼女と別れた。

はいものように彼女下宿合鍵で入り、あまり自炊をしない彼女キッチンで夕食を作りながら面接終わりの彼女を待っていた。米を炊き始めたところで彼女が帰ってきた。しばらくして夕食ができあがり、食事をしながら面接感触が良かったとか、次の面接はいついつでおそらくそれで終わりとかそういった会話をした。

その後、彼女のあとにシャワーを浴びてごろごろとしているとムラっとしたので、いつも通りセックスをしようと彼女に抱きついてセックスを迫った。いつも通り彼女は受け入れ、その日も好きなだけセックスができると思っていた。しかし、その日は違った。抱きついた腕が優しくほどかれた。

「ごめん、今日は疲れてるの。先に寝るけど、今日はナシでね。ごめんね」

疲れていてもなんだかんだでいつもするじゃないか文句を言いながら彼女が入ったベッドに潜り込み、胸を揉み、服を脱がそうとした。ここでいつもの彼女と違うことにやっと気づいた。

「本当にごめん。今日だけは休ませて、ね?」

やすように頭を撫でてくれた。このとき今までに覚えたことのない感情に襲われた。彼女セックスを拒絶されたことが引き金となったのか、彼女もっと支配したいという気持ちが強くなった。

正気に戻ったときには彼女が泣きながら怯えるように震えていた。汗と涙で彼女身体は湿っていて、彼女の膣からは精液が溢れ出ていた。彼女が何度も小さな声でごめんなさいと許しを求めていた。混乱した。目の前の光景が何を意味しているのかわからなかった。そして、私は逃げるようにゆっくりとその場を離れ、自宅に戻った。自室についても何がなんだかわからなかった。

私は彼女レイプしたのだ。そう気づいてからはもちろん彼女下宿先に行くことはなくなり、会うことはおろか連絡すら取らなかった。私も、そしておそらく彼女の方もお互い気持ちの整理ができなかったのだろう。

彼女に連絡をしたのはあの日から二週間ほど過ぎた頃だった。一度きちんと話をしたいと短いメッセージを送った。返信がなくても仕方がないと思っていたが、五分もしないうちに彼女から返信が来た。彼女の方も話したいので一度彼女下宿先に来てほしいとのことだった。

下宿先に着きインターホンを押すと彼女がそっとドアを開けた。久しぶりだね、と優しく微笑んでくれた。

机を挟んでから少しの沈黙の後に話を切り出した。つらいかもしれないが、あの日のことを話してほしいと聞いた。彼女はうっすらと笑みを浮かべ、ごめんねと前置きをしてからその時のことを話した。

端的にまとめれば、別人のように豹変し、首を絞められ、レイプされて、とても怖かったとのことだった。

あの日見た状況からすぐに考えられたことだったが、本人から言われると息ができなくなるほどつらかった。彼女はあの時もこの話をしてくれたときも恐怖にさらされていたのだろう。そう考えると、目の前にいる彼女の浮かべる笑みがどれだけ彼女を追い詰めているのかを訴えているように見えた。私は本心から彼女に謝ったが、どんなに謝っても私自身その謝罪形式的ものしか思えなかった。

それからほどなく、彼女との関係を断つ話がまとまった。彼女からはまだ頑張れると交際継続することも提案されたが、無理をし弱った声で発された提案には賛同できるはずもなかった。こちらから別れを申し出ると、少し目を潤ませながら少し安堵が混じった声で、そっか、ごめんねと彼女は言った。

合鍵を返し、玄関彼女と別れの挨拶を済ませて、彼女と別れた悲しみや彼女を恐怖にさらした自分の不甲斐なさに対する怒りもそこそこに、私の母親への憎しみが心に染み付いた。

彼女と連絡を取れなかった期間、あの日から数日もしたら DVレイプについて調べる様になっていた。どうやら DV をしやす人間は両親との中が悪かったり自身DV虐待を受けていたりすることが多いらしい。調べていると段々と自己嫌悪に満たされていくとともに、幼少期母親から受けた行為について鮮明に思い出すようになった。

私が小学二年生の秋、母方の祖母の死をきっかけに両親の仲が悪くなり、頻繁に母がヒステリックを起こし父と激しい喧嘩をするようになった。私や姉が止めに入ると母は、この子達を泣かせているのはあなたのせいだと父に激しく怒鳴り、喧嘩はより激しくなっていった。それから子どもたちはあなたに近づけさせないと母は宣言し、同じ家に住みながらもほぼ別居状態になった。

家庭内で完全に父との交流が絶たれて一年ほどが経ったとき、台所で夕食の手伝いをしていた時だった。母に、そろそろ父と仲直りをしてもいいのではないか子供らしく思ったことを率直に言った。

母は、なんでそんなことを言うのと小さな声で囁き、私を蹴り飛ばし包丁を突きつけた。目の前の光景に身動きが取れず、全身が恐怖に包まれた。

あなたのためなのがどうしてわからないの」

母の叫びとともに顎に包丁があたり、血が流れた。直後、母親正気を取り戻したのか包丁を引き、涙を流しながら謝ってきた。それからは、ここまで苦しんでいる母はえらいに違いないと思い込み、母の言うことに従い続けた。母の要求に応えられたときには喜びさえ感じた。

しかし、高校二年のときにそれがある意味での洗脳であることに気づき、母に悟られないように家庭内で少しずつ母との距離を置いていった。自分で考えて自分気持ち自分で行動する、オトナになるためにはそれが必要だと思った。多少の反抗心も芽生えたが、また母をヒステリックにするのはこちらが無駄被害を受けるだけだと押し殺していった。

母による支配からは脱していたと思っていた。特に大学に進学してから自分意志で好きなだけ勉強できたのもあり、完全に自由の身だと錯覚していた。だが、現実はそこまで甘くなかったのだ。母による支配は私に後遺症のようにしてこびりついていたのだった。未だに母から支配を振りほどけていない自分に呆れ、怒り、苦しんだ。そして、よくも好きだった人を傷つけさせたなと、母に対する激しい憤りを感じた。

彼女妊娠することもなく無事就職し、きちんと生活をしていることを彼女の友人経由で聞いた。それを聞いて安心し、悔しいけれど彼女固執することなく生きていこうと心に誓った。そうは言うものの別れてから最初一年は未練が残りどうか復縁できないか方法を考えることもあったが、大学四年に進級するころにはもうすっかり諦めていた。彼女彼女らしく生きてほしい、そう思えるようになっていた。

それはさておき、ここ半年ほどでとある女性に興味を持ち始めている。大学の友人の高校の頃の友人で、Twitter 上でしか縁のない人だ。顔も名前も知らない人に恋をする、なんともまあ現代っ子である

彼女のいわゆる裏垢は私の他数人のみがフォローを許されている。そのアカウントでは彼女の家庭の事情が語られることが多い。彼女はしがらみに負けずに自分らしく強く生きようとしていた。そこに憧れて、おそらく惚れている。

地理的には遠距離となるのでなかなか踏み切ることができていないが、一度会って話してみて、できれば交際したいと考えている。しかし、その段階になるとまた改めて恐怖を感じる。また付き合って、愛している人に暴力を奮ってしまわないか、そう思うとより積極性が削がれていく。

付き合ってみなければわからない、そう思ってはいものの、以前付き合っていた彼女の事例と同様あるいはそれ以上に悲惨事態に陥る可能性があると考えるとどうしても前へ進めない。自分自分制御すればいいのだけれど、それができる保証がどこにもないという事実が行く手を阻む。結局、母による支配後遺症に悩まされ続けている、あるいは、未だに支配から脱却できずに苦しんでいるのだ。今もどこかで、人を支配するには恐怖を与えるしかない、そう思っている自分が潜んでると思うと、とても付き合える気がしない。付き合いたいけど、付き合うのが怖い。感情が入り乱れ、よく混乱する。

付き合っていた彼女と別れてからは、きちんと好きな人を愛したい、そういった気持ちを強く持つようになった。死ぬときにはせめて、最後にしたセックスはどのようなものだったかをきちんと覚えてあの世に送られたい。

2016-11-25

《雪を心の底から憎んでるんだが》

雪を無邪気に綺麗といえる自由があるのなら、雪を心の底から憎んでいるといえる自由も欲しい。

何故って寒いから

クッソ寒いから

北海道に生まれていたら、サラサラとしたパウダースノウ暖房が部屋に行き届いていて、全てが豪雪使用になっているのだから

「そういんもんだ」って覚悟しながら生きてこれたと思うんですよ。

ここまで魂の底から憎まなかったと思う。

だがしかし

日本でも本州屈指の温暖な土地で生まれ育った軟弱な静岡県民に、東京の底冷えのする寒さはキツイ。きっつい。マジきっつい。

大体静岡県の中でも我が家がある地域は、5年にいっぺん雪が降ればいいほう。

子供の頃から雪遊びが嫌いだった。寒すぎて。

ソリをすれば手がかじかんだりするし、お尻冷えるし、スケートすると足がかじかんで足痛くなる。寒すぎて。

小学校2年の時に、人生でありえないほどの大雪静岡に降って、翌日授業を急遽変更して先生雪合戦しよう!!と、

学校裏の八幡様クラス全員で雪合戦をしたんですけど、

クラス全員がきゃっきゃやってる中で、自分は五分とテンションが持たなかった。寒すぎて。

もう残りの時間は死相を宿しながら、石を入れた雪玉をもくもくと孤独に作ってるよーな小学二年生だった。

要するに、極度に新陳代謝が悪い寒がりってことなんですけど、

じゃあジムでも行って運動して新陳代謝あげろとかいうヤツは全員ぶん殴りたい。

なんでクッソ嫌いな雪に対して、こっちが折れて努力せにゃならんのだ。

今回の雪で、事務所の同僚がやんちゃな顔して

「雪ってなーんかワクワクするよなあ」とか、

乙女マインド友達と一緒に飲んでる時に

「雪ってずっと見ていたくなるよね〜」とか

無邪気に言ってくるんですけど、

こっちもそれを大人から波風たたせないでニコニコしながら頷いてんですけど、

東京の雪なんてボタボタしてて道路でぐしゃぐしゃしてて、全然キレイじゃねえし、すぐ交通乱れてイライラするし、

みぞれ混じりの雪など、もはや降ってくる凶器狂気しか思えん。

販売仕事やってた時には絶望的に客足が引いてものすごいマイナスだし(こんな日にきてくれる奇特お客様は本物の神様しか見えない)

とにかく百害あって一利なしだ。

2016-09-26

最近は女が強くなってるよなー

って公園帰りの男児たち(小学二年生ぐらい)が喋ってるところに先程遭遇しました

現場からは以上です

2016-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20160626132950

あっごめん「アイマスで」って前置きが完全に抜けてたわ。

ただ別にアイマス以外でも問題ないです、百合なら。

一次創作も抑えてるよー。

百合姫とメバエとひらりつぼみ作品ほとんど読んだと思う。

星川銀座四丁目

明日の君に花束

あの娘にキスと白百合

妹ができました

犬神さんと猫山さん

コンチェルト

最低女神

シュガールーム

制服ヴァンピレスロード

ナイフエッジガール

ニート女と小学二年生

バナード嬢曰く。

初恋テクトニクス

ふたりふたり

フラグタイム

ムルシエラゴ

よめとり

辺りが好きだったかなー。

2016-02-28

青二才の行動パターン 「称賛の要求」「注目喚起」「権力争い」「復讐」「無能証明

先日発売開始された「幸せになる勇気」を今読んでるんだけどね。この中に「子供問題行動」には五つの段階があるって書いてあったのね。それがとても興味深い

1「称賛の要求」つまりもっと褒めてくれという段階。そのためにいい子を演じたりする。あるいは親や教師の言うことにとにかく従おうとする。



2「注目喚起」せっかく褒めてもらえるための行動をしたのにそれが達成されたなかったとき、褒められなくてもいいからとにかく目立とうとする。積極的な子の場合ルールを破ったりいたずらをして注目を得ようとする。消極的な子は学力が異様に低下したり忘れ物を繰り返したりしてできない子を振る舞う




3「権力争い」

注目を集めようとしたのにそれでも思ったように注目してもらえなかったとき、今度は親や教師攻撃し始める。

積極的な子なら親や教師を口汚ない言葉で罵ったり反抗する。

消極的な子ならとにかく無視を決め込む。ふさぎ込む。引きこもる。



4「復讐

権力争いを挑んだのに、親はやっぱり注目してくれない。それどころか、親の力を駆使して制圧しようとしてくる。

そうなると子は今度は親に復讐を企てる。

積極的な子なら暴力暴言エスカレートして反社会的グループに属す。

消極的な子なら自傷行為や不潔・グロテスク趣味などに走る



5「無能証明

最終段階。

これまでのどれを通しても親が自分を見てくれないときに陥る段階。

人生絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分には何も解決できないと信じ込む。そしてこれ以上の絶望経験しないために、あらゆる課題から逃げ回るようになる。


周囲には自分はこれだけ無能なのだから課題を与えないでくれと表明するようになる。


そこで彼らは、自分がいかに無能であるか、ありとあらゆる手を使って証明しようとします。あからさまな愚者を演じ、なにごとにも無気力になり、どんな簡単な課題にも取り組もうとしなくなる。やがて自分でも「愚者としてのわたし」を信じ込むようになる。by哲人「幸せになる勇気







本日青二才発言

自分意見が正しいという絶対的な自信を持ち受け入れられないつらいわーおれ辛いわーなミサワアピールを繰り返す「称賛の要求」「注目喚起

女性批判をしたところで本質根本が変わるとは思えないし、思ってないけど、僕は「矛盾の多い母親」に苦しめられた経験があって、それを恋愛工学に「そこを幼稚な言い訳自己正当化する女の理屈を利用してセックスすればいいじゃん」と言われて…なんか疲れてるんだよ。わかる?この惨めさ

しかも、恋愛工学的な要素って割と恋愛に通じたゲッスイ女性の話からもそれを肯定する内容って出てきてるから、割と嘘じゃない(というか、女性によっては女性特有自己矛盾正当化を騙して泣かせるのがいい男)と思ってる感あるから辛いんよ



思い通りに行かないことがあるとすぐ癇癪を起こし母親はてな村かしんかいkanoseか本物川かはてな村にわかオタか女性全般か見えない何かなどを殴ってすっきりしようとする「権力争い」「復讐

で、女の人から「そんな言い方あんまりだ」と怒られたり、「うざいから無視しよう」とか言われる分には僕はいいんだけど、なぜか僕のホームグラウンドHatenaの中でも、村的なひとから批判されるからね?

いや、あの人達童貞か、いい時代に上がった既婚者か、2次元に逃げた連中だからいいよ




さんざん暴れた後は闇堕ちという名の言い訳をして結局何一つ成長しようとしない「無力の証明

僕が恋愛の話すると闇堕ちする。青二才恋愛部門だけは誰か別の人に書いてほしい。俺がこの話すると精神が壊しながら、「悲しいけど、」「もう信じない」「疑うことも考えることもない女は分相応に、」みたいな発言連発する(つーか、ゲスい人と過去トラウマ照らし合わせるとそうなる)から自己嫌悪

ライターが最短ルート出世するために最も試される「恋愛記事を書くスキル」が、僕の苦手ジャンル(書くと病む)だからブロガーやるしかないんだよなぁ〜

言われてみるとたしかにこいつ毎回同じことの繰り返しだわ。 青二才というよりは小学二年生






尊敬できない客である青二才イライラしたり説教することをやめることによって一皮向けたショッカーに祝福を

僕は今まで占い相談してて、どうしても苦手だと感じていたお客さんがいた。それは、「自分には何もできないんです」と表明してくるお客さんだった。いわゆる占いジプシーとかにはまっちゃうお客さんがそういう方が多かった。


昔の僕はそういうお客さんに、「弱音をはくんじゃねえぼけー!!」みたいなテンションで接してしまっていたように思う。

本書の中で哲人さんは青年さんのことを「尊敬している」と語っていた。

「私はあなたのことを格下とは思っていない」

あなたから学べることがたくさんあると感じている」

「だから私とあなたは対等である

みたいなことが書いてあった。


この、「相手から学べることを探そうとする姿勢」これこそが、敬意を持つために念頭におくべきことだよなーと思った


僕はこれまで、自主性を放棄したお客様に対して、敬意を持つことができずにいた。

こういう相手からは、学べることがないと感じていた。

からイライラしてたんだ。

からそういうお客様が苦手だったんだ。

なるほどな。

これからはそういうお客様からも、僕自身が学べることを探してみよう

そうすればそれは自然と敬意となるだろう。

そうすればそれは、そういうお客様が強く信じている「自分無能である」という前提を自然否定することができるだろう。

相手自然と自信を取り戻してもらうことができるだろう。

2015-11-10

男女別のメディアというもの

今、小学館学習雑誌は『小学二年生』までしかないらしい。

五年生と六年生が休刊になったのは覚えているが、その下もなくなっていたとは。

しかし、理由はわからなくもない。

もちろん少子化の影響が大きいのだろう。

だが、考えてみれば、男女向けのコンテンツを同時に載せるモデルに、そもそも無理があった気がする。

自分記憶を振り返っても、学年が上がるごとに、女子向け作品空気についていけなくなった。

おそらく、女子の方も同じことを考えていたに違いない。

だったらお互い、棲み分けた方がいい。別々に専門誌を買った方がいいに決まっている。

話は変わるが、インターネット基本的には今なお男社会である

からネトゲをやってもニコ生に行っても、チヤホヤされるのは少数派の女性と決まっている。

しかし、小町ガルちゃんなんかにはまとまった数の女性ユーザー存在していよう。

そして、男がこれらを閲覧するにあたって、本屋少女漫画を買うほどの心理的抵抗は必要ないのである

男女それぞれがターゲット雑誌で好き勝手書く分には、異性に見られるリスクもある程度抑えられたのに、

これではお互いの本音ダダ漏れだ。なんと恐ろしいことか。

今では調子こいたライター崩れが適当な男女論を書き散らし、さら混沌とした様相を呈している。

だがそれも仕方ない。

仮にインターネットがやらずとも、他の技術がいずれ達成していたことだろう。

それでもやはり、この箱を開けるべきではなかった気もする。

2015-10-22

ヤンキーベジタリアン中二病だと思うんだけど

どう思う?


うぐぐ、俺の右手には封印された悪魔が、、みたいな考えを持って人に見せつけるやつもさ、

あれは分別ある人間分別ないから中二病なんだよね?幼稚園児とか小学二年生かめはめはーとかレイガン!!とかやっても痛々しくはないだろ?

で、卒業するじゃない。いつかは。


ヤンキーも偉ぶりたいのか、もてたいのか、オラオラしたいのか、分からんが、50なってもヤンキーっていないでしょ?卒業したんでしょ?

いや、ずっと地方に留まって土方とかやってると40とかでもヤンキーみたいな人はいるとしてもさ。昔は悪かったぜーって犯罪自慢する馬鹿が。

あれもベクトルが違うだけで、中二病じゃないの?だって大体中学からだろ、ヤンキーって。だから、あれも一種中二病だと思うんだがなあ。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85 Wikipediaみるとコーヒーを上手いと思わないのに飲み始めるとかも中二病なんだな。

あー!!WIkiにはもうDQN系、サブカル系邪気眼系ってあるやん!!ほら、ヤンキー中二病なんだよ!!

なんであんまり広まってないんだろうなあ。


サブカル系に関しては一生中二病の人多いねコーヒーやら酒やら音楽やら文学やらアニメやらなんでもいいが。


あーあと、ベジタリアンもね。


ベジタリアンの84%がまた肉を口にするようになっていることが判明(米研究) http://karapaia.livedoor.biz/archives/52179817.html


>>最近動物権利保護目的とする団体アメリカ実施した調査では、ベジタリアンヴィーガン(完全菜食主義者)を合わせた84パーセントが、最終的には野菜だけの食生活を諦めていることが判明した。その内、53パーセント半年以内、30パーセントはたった3ヶ月でベジタリアン生活挫折している。


>>ベジタリアン生活を断念した経験のある人からは、「友人から理解を得られず、変わり者と思われることに耐えられなかった」。という声が多く聞かれる。調査によれば、63パーセントが「周囲と大きく異なる食事が嫌だった」ことが理由で肉食に戻っている。また「肉の誘惑に勝てなかった」といったこともベジタリアン生活挫折する大きな要因だ。43パーセントが「”純粋”な食事を続けることが難しかった」ことを挫折理由に挙げており、特に鶏肉への渇望感が最も強いようである



ほら!!この文章どう見ても中二病でしょ。



>>しかし、先月発表されたアメリカ研究では、かえって糖尿病悪化する可能性が示唆されている。さらオーストラリア研究では、喫煙飲酒が少ないにもかかわらず、ベジタリアンは一般よりもうつを患うリスクが18パーセント高いことが判明している。またパニック障害不安障害リスク28パーセント高い。

クソワロww



ということで、もっとヤンキーやらベジタリアン中二病としてもっと認知されるべきだと思いまーす!!

2015-08-31

夢のないこども

物心ついたときから夢がなかった。

プロ野球選手になりたいとかそういうたぐいの。

小学二年生とき七夕短冊に書きましょーねってときに書いたのが、大学に入りたいってのだった。

三年生のときは確か公務員になりたいと書いた。

あとものすごく好きなものもとくになかった。

生きてればそのうちそういうものができるだろうと思ったけど結局できなかったから、就活自己分析とかすっげー苦労したっつーか分析できなかった。

唯一語った無邪気な夢といえば、保育園のセンセイと結婚する!って5,6歳のときに言ってたことかな。

そのまま反抗期もないままつまらない大人になって無気力がどんどん大きくなってきている。

結婚どころじゃない。

生きる気力がない。

自分を不幸だとは思わないけど、幸せではないとも思う。

土日はリアルに寝てるだけだし。

寝過ぎると眠りが浅いせいかろくでもない夢をよく見る。

何のために生まれて何をして喜ぶ?

からないままでもいいから早く終わりたい

早く安楽死できるようになってほしい

2015-06-11

少年Aになれなかった男の手記。

僕はサイコパスだ。

自分以外の生物への共感性に欠けたモンスターだ。

僕は小学生の頃から生物を殺すのが好きだった。

小学二年生くらいだったか、小さなサイコパス最初ターゲット仔猫だった。

公園の片隅にいた仔猫を落ちていた鉄パイプで殴った。何度も何度も。

片目は潰れ、頭に重篤な傷を負いながらも、仔猫は生きていた。

そのうち友達が来たので、「そこに倒れてた」と嘘を吐き、みんなで仔猫保護した。

近くに大人がいたのでちょっとした騒ぎになった。

僕は犯人と名乗らず、あくま発見者の一人として一緒に仔猫の手当てした。

翌日、仔猫公園で死んでいた。僕は疑われることもなく、そのままだった。

二番目のターゲットは雀だった。

から落ちたばかりの子供だったのか、飛べずに道端を走り回っていた。

僕は雀を追いかけ、側溝へ追い落とし、逃げられなくなったところへ大きな石を落とした。

二三回繰り返したら雀は動かなくなった。死骸には唾を吐き小便をかけた。

三番目のターゲット人間だった。

特定クラスメイトを狙い、しょっちゅう首を締めた。

苦しそうに顔を歪ませるのを見るのが好きだったが、これはさすがに親の耳にも入り、叱られ止めさせられた。

この後もちょっとした虫などは殺し続けていたが、さすがに小動物は狙わなくなった。

僕は嘘吐きな性分で、同性からはよく苛められた。

同性はみな野蛮だと思い、僕は異性とばかり遊ぶようになった。

ある夏、僕は苛めていたクラスメイトを殺そうと考えた。

事故を装い高所から文鎮などを落として仕留めようと思ったが、実行はしなかった。

完遂する自信がなかったからだ。

そのうち苛めの対象は他の児童に移り、僕は人殺しにならずに済んだ。

ちょうどその頃、今話題神戸連続殺傷事件があったのだと思う。

その後も何かと殺人衝動が沸くことがあったが、実行には移さないまま季節は過ぎていった。

僕はおそらくサイコパスだ。

でも、僕は人を殺すことはなかった。

今でもその衝動妄想には悩まされているが、おそらく殺人者にはならないだろう。

では、実際に人を殺すことはなかったサイコパスな僕と、実際に人を殺してしまったサイコパス犯罪者とではどう違うのだろうか。

その答えは、きっと『あの本』の中にあると思う。

同じ性質を持った僕にとって、『あの本』は読むに値する一冊である

入荷されるのが待ち遠しい。

2015-02-20

母の思い出

子どもの頃、母はわたしが何をしても怒り狂い、問い詰め、暴力をふるう恐ろしい存在だった。

小学二年生の冬に校外学習があり、リュックサックを持って行く必要があった。その日は冷たい雨が降っていて、母は雨なら中止のはずだと言い張って、どうしてもリュックサックを持たせてくれなかった。学級担当ヒステリック女性教諭で、忘れ物をすれば、みんなの前で泣くまでののしられるのが分かっていたので、どうしようもなく追い詰められたわたしは、お昼休みに空き教室に隠れることにした。もうこの世界から消えてしまたかった。

しかし、そう簡単にことは済まず、生徒が一人行方不明になったということで、学校は大騒ぎになった。名前を呼ぶ声が聞こえたけれど、いろいろなことが怖くて出ていくことができなかった。

わたしを見つけたのは初老の校務員だった。彼はわたしを叱らず、校務員室で温かいお茶を飲ませてくれた。ほっとしたあまり、わんわん泣いてしまった。数少ない、大人に優しく接してもらった思い出の一つだ。

今になって振り返れば、母もつらかったのだと思う。わたしを産んだ後、母は体調を崩したらしい。パニック障害を患っていたと後で聞いた。もともと友だちがほとんどおらず、同じマンション主婦たちからも陰口を言われ、営業をしていた父は遅くまで飲み歩いてなかなか帰ってこない、祖母とも折り合いがよくない、その後に産んだ弟はアトピーぜんそく病気がち。その全てのストレスを、感情の赴くままに幼かったわたしにぶつけ、解消していたように思う。

そんな母もすっかり老いた。幼いわたしにしたことはすっかり忘れ、まるで最初から良い母であったかのような態度でいる。今は離れて暮らしていて、ほとんど会うこともないけれど、わたしの誕生日には必ず、「冷たくされてもいつもあなた心配しています。返事がなくてさみしいです」などというメールを送ってくる。一応は読むけれど、返信はしない。いじめた側は簡単に忘れるけれど、いじめられたほうはいつまでも覚えている。まさにその構図だ。

大人になって、母がつらかった気持ちは理解できたけれど、抵抗できない子どもストレスをぶつけ、暴力をふるっていた事実については、今後も赦すつもりはない。それは、子どもを身勝手理由虐待して殺した親のニュースを見たときに感じる嫌悪感と同質だ。

どんなにつらくても、してはいけないことがある。それをしてしまい、きちんと反省謝罪もしないのなら、相手が自分お腹を痛めて産んだ子どもであったとしても、赦してもらえないのは当然のことだと思う。

2014-10-21

天王星衛星写真に魅力を感じた小学二年生ときの気持ちは、

何でもないただの小石が好きな人の気持ちにけっこう近いのかもしれない。

という気がしただけだった。いちいち挙げないが違いそうなところがたくさんある。

2014-10-17

性の目覚めの低年齢化

ガンダムビルドファイターズトライを見て、ピクシブエロフミナちゃんを見て小学二年生がチンポビンビンにしてシコシコてるんだろうね。

2014-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20140605044007

22×22、って咄嗟に言われたら22×20=440と22×2=44を足すと思うけど、そんな感じに暗算してても「計算いね!」とか「すごい!」とかよく言われるわ。

小学二年生で暗記させられる九九が一桁の掛け算のみで構成されてるせいなのか、なぜか「二桁の掛け算は暗算ではやらないもの」みたいに考えてて思考停止ちゃう人が意外に多いんだよね。簡単な二桁の掛け算でも電卓でやろうとする。

消費税パーセント(今は8パーセントになったけど)の計算すら、やたら時間が掛かる人とかね。ゼロ一つ消して(小数点一個分下げて)半分にするだけなのにね。

2014-04-12

子供小学二年生になった。

一年生の間に見聞きした一部。

・一度も保護者に出ない親が複数いた(授業参観には来てた)

保護者会で、3分の1以下しか親がいないこともあった

・来てた親でも先生の話の間、携帯いじりする人も

・いじってる人の中にはLINE先生の悪口をやりとりする人たちが

先生が気に食わないと口論したあげく、転校させる親

他の学年でもいろいろ聞いた。

ちなみに学校は荒れていない。

よくある話なのかな

追記

都心から1時間半程度の所の公立での話

2013-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20130728123539

俺の小学二年生(当時)の甥っ子をひき逃げしておきながら謝罪も賠償もしてないようなやつがよく言うわ。

2012-06-17

 俺が初めて何かを書くってことを覚えたのは小学二年生で、当時好きだったアニメ(デジモンだったかな)の二次創作だったんだけど、一年かけて原稿用紙百枚書いたのね。一話一枚で。まあ全然中身も何もないし面白さもクソもないんだけど、とにかく百枚書ききって、あの束になった原稿用紙の厚さはなかなか誇らしいものだった。鉛筆の下手くそな字(まあ今でも字は下手なんだけど)で書きなぐった百枚は俺の原初の「文章」だと思う(もうなくしちゃったんだけど)。別にたいした理由はなくて、知っている表現手段が文章しかなかったってだけなんだけど。それ以来特になにかをするわけでもなかったんだけど、4年位前にmixiに誘われた。で、どうやら日記なるものがあるらしい。そこで俺はインターネットで文章を書くということを始めた。でもまあ、書くって言うのも名ばかりで、自分でもよくわかんないクソみたいなポエムだとかアホみたいな萌え語りだとかをやってた。正直あの時期のテキスト直視する気力はない。消しちゃったし。でもとにかく感想がほしくて、内輪だけの空間で、なんとなく書いていた。そんな時に、あれはゴルゴ31とかだったかな、そっから経由してある人の文章を見つけたんだけど、えらい勢いで打ちのめされた。ああ、文章ってこういう風に使うんだ、っていう。漫然と書いてた自分の文章がどれだけ拙くて幼い生成物だったかよーーーっくわかって。で、その文章って、まあこういうのってすっげぇ当人からすれば迷惑だしキモいんだろうけど、“俺がこのまま大人になったらどうなるか”っていうシミュレーションなんじゃねえかってくらいに志向性が近かったのもあって、ああじゃあ俺はこういう風に文章を書けるようになればいいんだ、って思った。本当に俺が文章を書き始めたのはあの瞬間からだった。文体パクったり展開パクッたり色々やって、自分志向性との違うところも見えてきて、俺は書くことを能力にするようになった。ブログを作った。ツイッターを始めた。そうやって広がっていったインターネットで、俺は書いた。誇るような量も質もないと思ってたけど、でも書くことが楽しかたから、書いた。

 で、書いたものが読んでもらえるっていうのは、当たり前のようで当たり前じゃない。まずなんとなく書いたものを読んでもらうって恥ずかしいじゃん。対面だと無理。死ぬ。でもインターネットそういうのない。だから書き散らかせば、「いつか」「だれか」の範疇で、読まれる可能性がある。その距離感が心地よかったのもある。でも俺のモチベーションでその時一番大きかったのは、その人に自分の文章を読んでもらえるかもしれないってことだった。そうなるまで結構時間がかかった(2年位)。その間に俺は一個大きい出来事があって、本気で死んでしまうくらいに泣いて泣いて、俺には文章しかないんだってことを吐きそうになりながら悟った。それしか俺は俺を超えられない。仕方ない。でもやるしかない。書くことは信じることだった。褒められたいのも読んでもらいたいのも欲望としてはあったけど、でも、そうじゃない領域で、俺はどうやったって書くしかないんだと思い知った。そういうなかで、その人に読んでもらえたのは、ぶっちゃけ昔思ってたほど劇的な経験ではなかった。だって俺は書いてて、その「いつか」「だれか」の射程内にその人がいつか入るのは確実だと思ってたから。でもね、やっぱりね、そうやってわかった振りをしてもね、「読んでもらえる」っていうのは、奇跡みたいなものだった。劇的でなくとも。俺が書いてきたことの証明みたいなものだったから。

 そういうことがあったから、俺はインターネットでなにかを書くことを、きっとやめないと思う。書くこと、読むこと、その間にある遇有性が孕む可能性の射程距離は無限だ。「いつか」「どこか」「だれか」に、限度はない。明日俺が交通事故かなんかで死んだとして、それがなんだっていうんだ。今日までに俺の文章は読まれた。変わらない。飽きられて読まれなくなっても「読まれていた」って事実は残る。それは消せない。消えない。じゃあもう、信じるしかないじゃん。そして俺にとって書くことは信じることだ。じゃあ書くしかねえじゃん。で、もちろん俺が今日まで文章を書けた理由って一個どころじゃなくて無数にあるし、どれか一個に劇的な物語を見出すような幼さは自分の中にもちたくないんだけど、でも、そういうことがあって、書くのをやめる人がいて、俺は今日もこうやって書いている、そういうことがあるんだっていう話です。それだけ。

追記:俺はブログ消した人じゃないです(マジで)。俺就労経験ないし。

2011-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20111227145958

小学二年生がそのゲンミツな単位を式の欄に書いててくれたら、教師も楽だろうね。

http://anond.hatelabo.jp/20111227143515

抽象化してしまった式で単位を問うのは本来バカバカしいが、小学二年生から単位を考えるのは大切だよ。

でも、単位抽象化されているから、数の順序が入れ替わったとしても、理解が正しければ問題ないよ。

その理解を教師はエスパーして、○を付けろって話なんですね。

http://anond.hatelabo.jp/20111227132557

1皿3個のりんごが5皿分あったら3*5で15個

5皿あって1皿3個ずつりんごを乗せたら5*3で15個

いやいや、そう書いちゃダメだろ。

5皿あって1皿3個ずつりんごを乗せたら「5*3」で15個

3皿あって1皿5個ずつりんごを乗せたら「5*3」で15個

こう書かなきゃ。

皿と個で入れ替わっていても、数の順序も関係ないんだよって話なんだからさ。

そんで、数の並びなんてどうでもいいんやでぇ、ってのを、小学二年生「同時に」教えるのだろ?

それができない教師はクソだって話だよね。

教師は大変だよね。

http://anond.hatelabo.jp/20111227130220

こっちは、「わかんねぇ」って書いたのにw

感覚抽象自分が言い出して、勘違いだと言い出したのも自分なのに、相手に説明を求める。

典型的増田だな。

ペアノの公理の話とかしたいの?

いやだから小学二年生に何を求めてるんだよ、お前はw

2008-08-23

収入0で17歳で子持ちになったオレが書いてみるよ

年収200万円台で結婚するという現実 - チョコっとラブ的なにか

憂鬱だ

増田さんへ。私は久しぶりに激怒しました。 - iGirl

ここらへんをぼんやり眺めていて自分語りちょっとしてみたくなってきたので書いてみる。ちょっと特殊な例だと思うし参考にしてくれる人がもしかしたらいるかなぁという期待を込めて。たぶんこういうことを書くのは最初最後特殊な例ゆえ個人特定できる人もいるかもしれませんが、そこはかとなく生暖かく見守ってばらしたりしないでやってください。お願いします。

17歳で子持ちに

まぁいわゆるデキ婚なわけですが、ちょっと普通デキ婚と違ったのは自分自身子供が生まれても尚まだ法的に結婚できない年齢である17歳だったところでした。子供が出来たころは一応自分高校生をやっていて(学年的には2年生)、相手普通結婚できる年齢の年上でした。まぁ客観的にみると完全にDQNですよねw。いや実際DQNだったんだと思いますが。18歳になったら結婚しようと思っていたのだけれども私の両親から猛反対をうけていたので(子どもを産むこと自体ね)それはかないませんでした。

あと、なんで子供産んでもらうことにしたのという問いは私には愚問なのですよね。個人思想的には中絶反対派なんだと思う。社会的にそうあるべきとまでは思っていないけれども。

年収0万から200万に

収入高校生の身で当然0だったので子供が出来たことが分かってすぐにバイト先を探して働き始めました。たしか最初バイトは時給1200円だったんじゃないかな。フルタイムで働いていたけど月収にして20万にも満たない。ボーナスなんかもバイトなので当然なくて年収でいうと200万ぐらいになると思う。ちなみに彼女結構稼いでるほうだったのですが出産に向けてだんだん仕事を減らしていくという感じでした。

んで出産

出産からわかっていたのだけど、男の子二人の双子でした。出産時の経済的負担は正直しんどかったです。切迫流産可能性があって彼女は3か月ぐらい入院してしまったのでその入院費用実際問題払えなかった(30-40万ぐらいじゃなかったかな)。なので彼女の両親から援助をしてもらいました。本当に感謝しています出産時の費用双子ということもあり帝王切開だったので保険が効いてなんとか自分で払えました。出産一時金も二人分もらえましたしね。

その後

出産前後から2-3社の転職を繰り返し、正社員にもなり年収でいうと400万弱ぐらいまでに、子供が生まれ半年ぐらいのころにはなってました。そのころにはそんなに経済的に本当に厳しいという感じはしていなかったと思います。が、200万の収入のままだったらどうだったんだろうと思うとちょっと空恐ろしいです。17,8の若造にそれだけの給料を払ってくれていた当時の会社には感謝したいですね。

いま

現在子供は7歳で小学二年生です。夏休み自由研究をまだ終わらせていないので、なんとかサポートしてやらないとなぁなんて考える毎日を送っています。ちなみに20歳の誕生日彼女とは籍を入れたのですが2年弱で離婚(ここはあまり突っ込んでくれるな><)。今は私と子供二人の三人で暮らしています児童手当と児童育成手当をもらっているのですが児童扶養手当が母子家庭のみ対象なのがなんだかなぁという感じです(いやたぶん所得制限にはひっかかるのですが)。所得制限してるんだから母だろうか父だろうが関係ないだろうと思うのですよねぇ。男性差別なんていってみたり。

なにがいいたいかっていうと

別に何がいいたいってことはないんだ。何かを主張したいわけでもない。ただ自分はこうだったよってことを軽く書いてみただけ。未成年の子作りを肯定しているわけでも、200万収入の子作りを肯定しているわけでもないです。ただ、同じような状況にたつことがもしあったときこんなことを書いているやつがいたなぁとちょっと思い出してもらえればそれでいいのです。それだけです。

あ、子供かわいいですよ。

追記 200808232043

id:tokoroten999 子供がその年齢でよく親権取れましたね、とマジレス

ん。争いが無かったからですよ。

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