はてなキーワード: 封建的とは
そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続の社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性は財産の相続権がないわけだから。
んで、この社会は「男子優遇社会」なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子は相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり「男子優遇社会」の中で相対的に弱者だった。これが前近代の封建社会における弱者男性だよ。
上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代の自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性の人権なんざ薄っぺらい封建主義から人道人権が重要な近代主義に移行する仮定で、女性を尊重するに当たっての「物語」として男性は女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。
でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的なものだから仕方ない。
「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐性なのだ」みたいな価値観。日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画にだってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。
しかし、前述したように封建的だった時代から男性は女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会の優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化が要請された。
時代が進み現代になっても、この文化はあちこちに根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。
現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎の家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会は個人主義自由主義の社会だ。
にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性がその男性の能力や財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから、弱者搾取ではないか? これが現代の弱者男性でしょ。
別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。
ごめんまだ230年くらいだったわ
フランス革命(フランスかくめい、仏: Révolution française, 英: French Revolution )とは、フランス王国で1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きたブルジョア革命[2]。フランス革命記念日(パリ祭)はフランス共和国の建国記念日でもあり、毎年7月14日に祝われている[3]。
フランス革命を代表とするブルジョア革命は、封建的な残留物(身分制や領主制)を一掃し、
資本主義の発展(法の下の平等・経済的自由・自由な私的所有など)
資本主義憲法の確立(人民主権・権力分立・自由権(経済的自由権)等の人権保障を中心とする原理、典型例としてフランス憲法)
を成し遂げた[2][4]。
フランス革命はアメリカ独立革命とともに、ブルジョア革命の典型的事例である[2]。フランスでは旧支配者(宗教家・君主・貴族)の抵抗がきわめて激しかったため、諸々の階級の対立・闘争がもっとも表面化した[2]。
私が指摘をしていたのはNumberの中野遼太郎さんの記事で「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」が日本にはまるでいない、「日本の草サッカーのレベルでさえも、体育会系的な序列でガチガチで封建的なんじゃないのか?」と言うようなニュアンスを汲み取ったので、「それは違うよ!もっと日本の現実を見なよ」といった意味で記事を書きました。
「日本サッカーのレベルの低い原因」に関しては、今回はテーマが別ですね。
ちなみに私も海外の人達が一般レベルでサッカーが上手いのは知っています。サッカーが生活の一部のようであり、あなたが言うように日本と世界には根本的にはそうゆう所から差があるんだろうなとは思います。
前から好きで読んでいたのだが、最近の展開の中で以下のような点がモヤモヤしている・・・。
・白黒ハッキリしない: 最初は人間とバケモノ(呪霊)との戦いだったから分かりやすかったが、最近は人間の呪術師(超能力者)同士で戦い出していてもやる。お前らそれどころじゃないだろうと。少年向けにはもっと白黒分かりやすく敵味方がいて戦う展開の方がいいと思う。
・旧家 名家を悪様に描きすぎ: 呪術師の中の名家が出てくるんだが、京都の封建的な家で男社会で、財産を巡って骨肉の争いをして・・・とロクな描き方じゃない。長い歴史の中で、人間社会を平定してきた功績があるはずで、もっとリスペクトがある方が自然だと思う。思えば学校だったり家だったり上層部と呼ばれる集団だったり、既存の価値観に対して挑戦的、攻撃的な描き方が多すぎる気がする。人間は社会を守るように描いてほしい。教育的にもよくない。
・女性キャラが強すぎ: ちょっと穿った見方かもしれないが、女性が強く描かれ過ぎている気がする。特に直近は超越的な力を手にした女学生が男性優位の家を破壊するような描写があってモヤモヤしている。もっと内面に踏み込んで、強さも弱さも描いた方がバランスがいいんじゃないか。男は結構内面の弱み描写もある気がするから、バランス的にもいいと思う。
あらすじはこれなんだけど、
https://bungakublog.com/itousachio-nogikunohaka-arasuji
それにしたっていくらなんでも自由恋愛がそこまで厳しいものだったの?
さすがに男女が仲が良いくらいで村中が大騒ぎになるような時代とも思えないが。
民子が亡くなった後に、自由恋愛を禁止した村の人間が号泣するのもわからん。
いや時代がそういう価値観だったら号泣しねえだろ。そういう思想がフツーなんだから。
結局なにをいいたいのかさっぱりわからん。
文学の名作ではあると思うけど、なんか設定がいろいろ無理があると思う。
誰か説明してくれ。
アジアのどっかの国だと思ったが、食堂のおばちゃんと仲良くなった。
聞くと両親が中国系で、なんかの罪で追われたために移民したのだという。
おばちゃんに日本人だと伝えて仕事は何をしているとか意気投合していたのだが、
しばらくして、奥から娘さんらしき人が出てきた。
お互いにつたない英語であるがまあまあ意味はわかる。マジメで働き者とかそういう感じの。
10分ほどして、さらに女の子が2人あらわれた。おばちゃんの次女と三女だという。
オイオイどういうことだ。
近所で働いているが切り上げてきたのだという(このあたりが牧歌的である)。
このあたりで鈍感なワイも気づき始める。
「(おばちゃん、3人のうちどれか貰ってくれいうとるやんけ!!w)」
3人とも、あんたならまあええわ的な雰囲気をかもしだしている。ヤバイ。
なんだかんだのらりくらりと話題をそらしながら、その場をのがれた。
しかし考えると、情報化社会で婚活だの出会いサイトだのいっているが、
本来、男女のなれそめとはこうした「紹介」によるものだっのではないか。
そこにどこか牧歌的な、良い意味で日本が忘れた古き良き封建的時代をかんじたのである。
俺自身も東南アジアで仕事してたこともあるし、マイノリティが多い地区で育ったので、そういった出自の同僚や友人も多い。
むしろ俺が嫌悪感を覚えるのは外国人達を政治的な目的で利用しようとするリベラル連中だ。
外国人達に対して「封建的な日本社会から差別を受ける可哀想な外国人」といったラベリングを勝手に貼って、
「そんな可哀想な外国人を助けてあげる、進歩的で人権意識の高い私達」を演出しようとするリベラル連中に無性に腹が立つんだ。
リベラル連中の憐憫なぞ無くても、外国人達は雑草精神で力強く生きてるよ。仲間同士で散々愚痴ったり、見えないところで仕事サボったりして、図太くな。
第一外国人の生活の実態なんて俺の方がよっぽどか知ってるっつうの。一緒の学校に行き、一緒に遊んで喧嘩して、一緒の職場で働いてたんだから。
俺の大切な仲間たちを道具として使うな!という怒りが沸々と湧いてくる。無邪気な善意をばら撒いて、安直に支持を得ようとするリベラル連中の浅ましさに嫌気が差す。
そんな軽薄なリベラル連中が一泡吹かされてるのが内心愉快に思えてしまう時がある。で、自分の精神状態の奇形さに気付き、自己嫌悪に陥る。その繰り返しだ。
・さらに、別姓を選択する理由の一つに「相手方の両親が同じ姓を名乗ることを許さなかった」というものが出てくる。相手方の両親が「選択」するという制度上の盲点が問題となる。
この視点は持ってなかったけれど、言われてみればそうだな。
緊急避妊薬を求める運動を見て、妊娠をされると困るような間柄の男性が緊急避妊薬を強要するというケースは考えてないんだろうなって思うけれど、こういうケースもあるだろうね。
「結婚は勝手にしろ、だが、お前なんか認めないから〇〇の姓は名乗らせない」という親はいるだろうね。
・そのため、別姓を選ぶことが「ババア」「離婚リスクあり」「ワケあり」を示すことになり、夫婦別姓はごく一部に限られるようになる。
これはどうなんだろう。
同姓を選ぶほうが封建的な前時代的思想をしている人たちみたいな扱いを受けて、先進的な人は当然別姓を選ぶよね?という無言の圧力となる感じもする。
今でも専業主婦は女性の一番の人気"職業"だと思うけど、経済的な圧と社会的な圧に負けてそれを選択できない女性が多々いるのも知ってるからね。
今時はほぼ自動的にだれもが職業婦人になり、専業主婦は強い意志と実行力で勝ち取るものになったと思うよ。
・制度が始まってから5年後の国勢調査で、夫婦同姓と別姓の夫婦の格差が如実にデータで示される。世帯収入・結婚継続率・出生率すべてで同姓夫婦が上回るという結果が出てしまい、夫婦別姓は「負け組」のレッテルを貼られる。
都会のパワーカップルがそれぞれの名前を変えたくないからと別姓を選ぶシナリオは容易に想像できて、世帯収入は別姓のほうが上かもしれない。
結婚して3年もすれば相手のぼろが見えてくるけれど、離婚したら名字が変わるのはその時に踏ん張る力になるだろうからね。
出生率は周囲を見る限り実家のサポートがあるほうが上がる可能性が高いと思う。
夫婦別姓シナリオだと、点数を稼いで保育園に入れ、不足分は保育サービスを利用するという方向だろうね。
夫婦同姓のほうが別姓よりも実家サポートは多そうなので、家族のパワーで解決するか、金で解決するかの違いくらいしかないかもしれない。
○○家のために孫の育児を分担するじゃなくて、嫁のために嫁に尽くせだなんて、どんだけ上から目線なんだ。
もちろん庶民において家なんてのは明治以降に導入された制度だが、農村共同体社会からの接続はあったんだ。
封建的なところ理不尽なところもあって女性がしわ寄せを受けていた点がいろいろあるのは確かだが、家制度をほぼまるごと完膚なきまでに消滅させてみんな幸せになったのかい?
育児やら介護やらといった家事労働を社会化するのはいいけど、そのコスト負担のコンセンサスなしに放り投げられてしまった結果が、現在の経済低成長の原因の一つであろう。
もとには戻らないだろうが、上層女性が母親・姑ともに育児・介護労働から解放された分、保育労働者や介護労働者に負担がのしかかることになる。