はてなキーワード: 対外的とは
はてな民の知能レベルでは理解できないかもしれないが大事なことだ。
今までどれだけ失言してもやめさせようという動きがなかったのに、今回の件で初めて森元首相が辞意をほのめかしているらしい。
前々からやめてほしいと思っていたが、今回の件でやめるのはすごく嫌な感じだ。やめるならもっと違うタイミングでやめてほしい。
外圧に屈して負けた形になってしまう。外圧に屈して負けること自体は問題なくて、「外圧がない限り誰も森元首相をやめさせられなかった」という形になるのが困る。
この人が派閥として非常に強力な存在であることはわかっている。いわゆる最大派閥細田派の清和政策研究会を裏から牛耳る存在である。
なぜか二階氏ばかりが目立っているが、二階派、麻生派よりこっちの方が大きい、菅氏も森元首相には全く口出しできない状況である。
https://decopachi.com/entry/jiminto-seiryokuzu2020
だからいままで何をやっても誰も言えなかったのだ。
そういう存在でも、対外的なやらかし一発で沈むということであれば、日本の政治家自体の重みというか存在価値が全く分からなくなる。
対外的に日本という国を背負って切ったはったをやることが求められている存在なのに、実際には内輪で議席争いだけやってて、対外的には吹けば飛ぶような存在であるということになってしまう。
これは本当によろしくない。
大失言だし、対外を考慮して辞めなくてはいけないというところまで来たのだから、ちゃんと細田派やら菅さんやら誰か別の人間がリーダーシップを取って
形式だけでも、同じ自民党内の人間が責任をもって森さんにやめろと進言し、それを受け入れた
という形を取ってもらいたい。
松本純ら自民の3人は小選挙区での選出だったため、辞職すると補欠選挙が必要になる。不祥事での選挙なので自民が負ける確率は高い。離党でしばらく離させて3ヵ月後に復帰させればもうみんな忘れてるし岩盤支持層もある。
一方、公明の議員は比例代表での選出。この場合、辞職しても公明党の中で補欠繰り上がりになり党の議席は減らない。また比例代表での離党は議席喪失を意味するので離党と辞職に差がない。しかも党内に国会議員経験者を増やすことが出来、対外的には潔いと思わせて党へのイメージを上げる効果もある。
このように、選挙制度から逆算した戦略の上、不祥事への対応を自民公明がやったにすぎないのだ。公明のほうがマシと考えてる人はバカと言える。
年あけて社長からいきなり「テレワーク整備しろ」と言われてアタフタしてるSEも多いと思うが、
◎セキュリティ万全
◎運用が柔軟
×クソ高い
・マイクロソフトやアマゾンクラウド上に仮想PCやVPNを作ってその中で業務を完結させる
・初期0円~(外部に依頼したら高い)
・月額5万~(運用しだい)
◎セキュリティ高い
◎運用が柔軟
◎「最先端じゃん、すげえ!」と一目置かれる
×知見がかなり必要
・ファイルサーバをMicrosoft365やGoogleクラウドに移行。
・初期0円~
・月額2万~
◎セキュリティ高い(設定次第)
◎費用安い
×高度な設定は知見がいる
・ChromeリモートやTeamViewer、AnyDeskなど種類多数
・初期0円
・月額500円/人(ライセンス)
◎とにかく激安
というわけで、1.か2.はほぼ、予算と人間が潤沢な大企業の選択肢である。
4は玄関と窓を全開にしながら素っ裸で生活するようなものでオススメしない。
今困ってるのはほとんど社員100名以下の中小企業だと思うが、
これはマイクロソフトかGoogleのアカウントを取ればいいだけなので1アカウントから試せるし、
管理画面もとっつきやすい。情報もWebをぐぐればすぐ見つかる。
◎月額数百円/人~
また、そこそこ簡単なわりに「弊社はクラウドに移行しました」と胸をはって言えるので、対外的な印象もよい。
もちろんクラウドだから、テレワークはどこからでも可能である。
マイクロソフト365、またはGoogleワークスペースは数分で登録可能。
管理画面をみて「これはいけそうだ」と思ったら自分たちでテストし、
「ちょっとむずいな」と思ったら、IT屋に10万くらい払って2か月くらい相談するのもいいだろう。
社員の命を守るためにがんばって下さい。
wosamu 私は会社のシステムに乗っかってるだけだからなにかいうのはどうかだけど、普通1か2だろみたいな。3はセキュリティ高いってどういう意味なんだろ。
MSやグーグルの管理画面からデバイスを管理できるので、たとえば以下のようなことが可能。
このあたりの設定がまあまあムズいので、知見が必要ってかんじ。
やっぱ端末からの漏えいをどぎゃんとせんかならん(宮崎知事)という意識は、どの会社も強いみたい。そのためのVDI。
従量課金はそのとおり。だから月額上限があるNTTのWebArenaとかさくらクラウドもオススメする。
codingalone 弊社は事業的な都合でコロナ以前から1だったので割とスムーズに移行したが、ふつうそうもいかんだろうな。
ここ10年というもの、表現者の端くれとして、気の合う仲間とライヴ演奏活動をしたり、パーティーなどに神出鬼没して自由気ままな音楽のやり方を実践したりしてきましたが、今年2月にコロナ禍が到来してからはそんなわけにもいかず、ただひたすらに自分が今までやってきた音楽表現を反省することに時間を費やしていました。
それをするため、都内にあるとある「ライヴハウス」に度々寄らせてもらい、お客さんを呼んで行うライヴの域に達しない程度の弾き語りをさせて頂いたりしていましたが、思うところあり、本日12月6日を最後に、その場所及びそこを活動拠点とする音楽仲間との接点を、表現者としての自分が精神的に落ち着くまでの間、解除させていただくことを自主的に決心致しました。
端的に理由を言うと、自分がその場所と関わり続けることが、何かの妨げとなっているとしか思えなくなったからです。
2017年の夏にその場所に初めて足を踏み入れてから、自分の表現者としての振る舞い方の幅が広がっただけでなく、より広義な音楽仲間との付き合い方を手に入れた気がしていました。過去作って恥ずかしさのあまり封印していた曲を掘り起こして堂々と歌ったり、慣れない類の音楽演奏に自分なりのやり方で絡む術を手に入れたり、色々と楽しい思いをしてきましたが、コロナの到来後、こうした音楽実践方法論が意味を持たなくなったばかりか、それによってある種の人を遠ざける結果になったのではと思わせる気配を、周辺人物数名の言動から感じ取れずにいられなくなり、その度に苦しい思いに駆られるようになりました。
なら、その事を一切考えずに人生を歩むのがベストなのです。そのために、自分が謝らねばならない相手が何人現れようが。
しかし、この決意をするにあたって決定的要因となったのは、つい2日前に目に飛び込んだあるニュースでした。
詳しいことは、そのニュースで告知された出来事の執行が遥か先の話ということで、ここでさえ語ることができません。基本的には、非常に目出度いニュースであり、自分もそう思ったはずです。もし、昨年11月のある日に「その場所」にいなければ。
その日、その場所で私は例によって、封印されていた昔の自作曲を歌っていました。本来なら、誰の心をも動かすはずのない曲の群れです。故に封印されていたのですから。しかし、その夜だけは違っていました。その後しばらくの間、かつてない規模で音楽的幸福を味わい、そして散りました。コロナのコの字も伝わってこないうちにです。その短い間の出来事が、まるで兆候のように感じられました。決定的な終幕は、「その場所」に導いてくれたある人に対して、自分が過剰に心配してしまったせいで訪れたのです。
その時に「その場所」との縁を切っておけばよかったんだと思いましたが、自分の音楽哲学を唯一受け入れてくれる場所を、そう簡単に蔑ろにできるわけがありません。そんな、自由な戯れへの捨てきれない思いを、コロナがぶっ壊しました。表面的には、です。
でも、結局一番情けないのは、自分の信頼されなさです。だからこそ、いい結果が出ないのです。
先の目出度いニュースに対して寄せられた嬉しいコメントの数に、改めて心を痛めました。そこまで見守られているのなら、自分如きに寄りかかる必要なんかなかったんじゃないかって。それに比べて、自分は何なんだ。いかなる建設的意見を呼びかけようが、誰も反応してくれない。
もう、自分は人に信頼されるために表現を行える身ではないのです。単に年輪を重ねた生きる屍ですから。文頭で一旦「表現者としての自分が精神的に落ち着くまでの間」としましたが、どうやらその時は自分が棺桶に入る時だと思われます。
以上、極めて個人的な見解になりましたが、従来行ってきた対外的音楽活動再開への道が益々狭まる一方なのは否めなく、今後は全く別のアプローチを探ることになるのは目に見えています。コロナの終息をそう簡単に願えないからには、今まで捉えてきた「絆」の在り方そのものを劇的に見直さねば始まらないのです。
「その場所」が誘ってくれた、全ての絆に愛をこめて。何よりも、命を大切にね。
今日クレーム対応をしていたことを思い出し、あとコロナ直前の出来事もあってぐるぐる考えてたら行き着いたことについて。
日本人のマナーや心構えは「恥」に立脚した文化のように思える。
美しく手順に従った所作などは外向きと言うよりも内向き、自らを律する(いわゆる「道」の類に多い)決め事がほとんどである。つまりは掟破りが「自分にとって恥ずかしいこと」ということだ。
まあ、そういう習性のクラスタがいる。一方で自ら恥をかくという感覚が搭載されておらず「恥はかかされるもの」という習性のクラスタがいる。日本のとくに都市圏ではこの2つのクラスタが住処を分けられずに混ざってしまう。そのうち「かかされる」クラスタがかなり厄介である。
上に述べたクレームもそうだが、かかされるクラスタの行動動機で考えうるうちの2つの例がある。「相手に恥をかかせれば自分に利益がある」と「恥をかかされた仕返しで相手により恥をかかせる」というものだ。
近頃では「クレームはよくよく聞けば『特別に便宜をはかれ』という主張に収束する」という考えがインターネットを通して共有されているが、そのよくよく聞かされている部分は「いかにあなたが恥ずかしい行動をしていたか」を手を変え品を変え説得、もとい洗脳しようとしているに過ぎない。商売としてどうなんだ、人間としておかしくないかなどという言葉は結局「恥ずかしいだろ?」ということを糖衣コーティングしただけだ。対外的には反省を促す言葉に見えて、ただ誠意をもとめている(その「誠意」の意味も歪んで認識している)。
しかしどうして、わざわざ恥をかかせにくるか。まあ、単にかかされるクラスタは喧嘩の文化圏に生息しているから、といえばそうなのだが、もうひとつある。
「恥をかいたことを反省するらしい」というのは学習できたらしい。
相手は恥をかいたとすれば改めて自分を律し自らを罰する、その隙につけ込めるという「得」は覚えられてしまったのだ。
流石に21世期に入って新世代は「恥ベース」と「規律ベース」を分けて考えるものだが、ひと昔前の、それこそ団塊ジュニアくらいまではまだ恥と規律が混ざり合っていた。だからそこに気づいた(気づいてなくてもうっかり使いこなせた)人や利用することを考えた国にああだこうだ言われてきたんだろう。
いまは過渡期だ。確かに恥をかかされて怒ること、かかされたから便宜をはかれ!というのは通じるかもしれない。あと、誠意を見せないならと行政に介入を求めたり、地域住民に知らせて回るのも構わない。なんなら追い出しだって通じる。おそらくは現代が失ったえた・ひにんの矛先がたまたまそこに向いているだけ、という言われ方もするかもね。
メンズエステ自体人生初なのだが、恐らくこれが一般的なメンズエステではない気がする。
日本にこんな世界あるんだという衝撃があったので備忘録として残す。
住所が書いていないので電話で問い合わせた。
どうやら移転も何度かやっているみたいだ(税務署?警察?のガサ入れでも入っているのかもしれない。大家さんにバレたのかも)
入ってみると、生活感漂うマンションの中にふすまで区切られた部屋が復数あった。
部屋は飛田新地の2階のヤリ部屋そっくりで、布団が強いてあった。(モチーフにしているのかもしれない)
ごくごく普通のマンションの一室なので、隣とか普通に住んでるのでは?声聞こえないのか?という疑問があった。
40分11000円、60分14000円。Webサイトには記載されていなかった。あれは完全に対外的には健全であると見せるための見せ方なのかなと思った。
③嬢について
部屋が2~3あるので、入ってると嬢が入ってきた。
今回の子はめちゃくちゃ大当たりだった。
本来この店は日本人以外のアジア系のセラピストしかいないのだが、初めて日本人が入ってきたらしい。
オーストラリアとタイのクォーターとのことで確かにハーフっぽい顔立ちで滝沢カレンを劣化させた感じだった。
ずっと日本にいる感じで鬼滅の刃の話とかワンピースで盛り上がった。
どうやら短期バイトとして入っているらしく、普段は看護師をしていて1ヶ月間の期間限定らしい。
なぜこんな可愛い子がこんな闇の深そうな所で働いているのか、めちゃくちゃ不思議だった。吉原の高級ソープとかにいても当たりのレベルだった。
④プレイの流れ
その後バスタオルで体を拭いて再度元の部屋に戻る。
仰向けになってと言われたので、布団の上で仰向けになるとそのまま嬢が馬乗りになってきた。おっぱいめちゃくちゃでかい。
乳首を手と口で攻められる。
フェラをされる。
ゴムをつけられる。
正常位で自然と挿入した。吉原や飛田新地以外にこんな世界があるのかという衝撃だった。
可愛い子でも正常位でやっていると顔が崩れたり可愛くない瞬間があるがこの子に関しては全くそんなことがなく、間近で顔を見てもずっと可愛くて最高の瞬間でしかなかった。
その後騎乗位に変更したが、前後の動きが激しくグリグリされた。
クソ最高だった
ただ彼女はもう今月でいないとのことなのでもう行くことはないだろう
2chを見ると化物屋敷と書かれていたのでたまたま大当たりを引いただけなのだと思う
推しなんてもんは、本来何かに熱中しいる人を他人から見てそのように捉えるもんにすぎず、そういう客体視点を取り込んで「推していく」なんて自認を持つようになる時点でキョロっているのだよ。
人というのは何かに熱中しては飽きていく、そしてそのサイクルごとに到達する深みもまちまちである、それが自然で正常な姿なのだ。
自ら枷を嵌めて一つに縛り付けるのは常軌を逸しているし、本来SNSなんかでその人の興味関心をずっと追跡できてしまうのがおかしいのだ。
それをおかしいと思わず、「見られている」自覚をアイデンティティとして内面化してしまうことで、見ている者に対してツワモノのように見せたいと願う、自己肥大の成れの果てだ。
そうなっている時点で実は熱意は趣味自体ではなく、自分に対して多く割かれているわけだ。
きみもそうだ。趣味自体ではなく、他人の振る舞いを気にしている時点で、翻ってそれは自分の振る舞いを気にしているということだ。
そのような俗っぽい感覚に堕することなく、好きなように好きなものを好けばいい。
そうしているうちに、気づいたらいつかは「○○さんは××を推してるんだね」と思われるほどディープに何かにハマる時も来るかもしれない。
オッサンには人権が無いし、人権を主張するオッサンはモテない。なぜなら、人権を主張するのは弱い男だからだ。弱い男は女にモテない。強い男は自身の人権を主張せずとも有利でいられるほどの強みを持つので特に主張しない。つまり弱い男はモテもしないし人権も無い。
世の中そうなっているように見える。
性的価値をとっぱらった真の男女平等、もはや「男女」を付けることすら不要の「人類平等」の観点からすると、危険労働も肉体労働もやさしさ・やさしくなさも人権擁護もポリコレも性差なく"平等"に行われることになる。言い換えれば、「女は女から降りた」、「男は男から降りた」世界だ。
しかし、それを主張することはいわゆるモテないタイプの男女平等と呼ばれ、女性から不評を買う。つまり女から降りたくないようだ。現代では弱い男は男らしくあろうとしても特にメリットがない、結婚できないし、出世しても責任や仕事が増えるだけで給料も増えない名ばかり管理職。男から降りたがってる人が増えているように見えるが、もちろん、数が激減してしまった"強い男の椅子"に座るために自分をシバいて男らしさ路線で行く人もいて、その辺の人生の選択の葛藤がある。
そもそも人権を主張するのは、表現の自由と同じ、弱者の最後の砦だ。
弱すぎて人生が不利すぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。
表現が歓迎されなさすぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。
現代では意味合いや印象がだいぶ変わってしまっていますが、そもそものポリコレや人権の発祥した歴史的経緯は、強者~凡人の人が「さすがにそれは弱者に対してひどすぎないか?」という良心が働いた結果、獲得したものでしょう?たぶん(独自研究)もうちょっと「みんなでそこそこ幸せになれないか?同じ人間なんだから」という意思が、そもそもの根源じゃないんですかね?
だから、ポリコレ、人権、表現の自由というのは、弱い側が有利・強い側が不利な概念なんですよ。そもそも強い側はあまり人権を主張しなくて済む。立場が強いので大切にされるし表現し放題だから。
だから弱い男は人権を主張することになるが、しかしそれは「私は弱い男である」と対外的に示してしまうことになり、つまりモテなくなる。しかも、主張してもあまり人権擁護は獲得できない。オッサンの人権擁護へ投じられる社会リソースはごくわずかだ。
では、なぜオッサンのモテが人権とリンクしているかというと、性的価値の低い弱い男を大切にしない女性の価値観が政治的影響力を増しているからでしょう。
男ならもう少しは弱い男をも大切にすると思うのですが。