はてなキーワード: 対向車線とは
3週間に1度の、精神科への通院途中だった。車同士、交差点でこちら青信号、あちら赤信号で、左方から来た相手の右側面に激突。直前で避けようとしてハンドルを右に向けたせいか、こちらの車が対向車線に飛ばされる。幸い他に通行車両はなく、車は全損したものの、奇跡的に物損事故で済んだ。
警察を呼ぶまで相手の方と謝り合うも、お互いに青信号だったと言うので二人して首を傾げる。15分もしないうちに警察が来て、それぞれ分かれて事情を話した。こちらは青信号だったと伝えると「それじゃあぶつかりようがないでしょう」と言われた。パニック状態だったこともあり言っていることがよく飲み込めなかったが、「相手の方も青だったとおっしゃってました」と言うと「じゃああなたが赤だったんでしょ、あなたが原因だわ」と言われ、え…、と面食らっているうちに警察の人はその場を立ち去って別の人と話しに行ってしまった。
当時鬱病を患っていた私は、この時点でなぜ自分は信じてもらえないのかとどうしようもない悲壮感に襲われた。自分がブスでデブで無職だから、信じるに値しないのだと思った。そしてそのうち、自分が青信号だったという確信はあるけれども、これ自体が自分の妄想なのではないかという疑念が頭をもたげ始めた。精神病なら、そういうことがあっても何らおかしくないのだ。私は、たしかに青信号を通過したはずだが、実はそう思っていたのは自分だけで赤信号を自覚なく通行して殺人を犯しかけたのかもしれない。そのように段々と自分に言い聞かせていった。
そうこうしているうちに現場検証?の人がやってきて、道路を一つ一つ見ながら状況の説明を求められた。この時にドラレコも回収された。既に上記の思考回路に陥っていた私は、あまりの惨めさに耐えきれずボロボロ泣きながら説明をした。そして罪悪感のあまり(特段法定速度を超えてはいなかったはずだが)、私もスピードが出てたと思います、すみません、と必死で謝った。
どこからかそれを聞いていた事故の相手の方がいつの間にか、あの人もスピード出てたって言ってるし…と車越しに言っているのが聞こえた。さっきまでお互いにごめんなさい、身体は大丈夫、と言いあっていたはずの人だった。
一連の説明を聞いていた検証の人は、号泣する私に向かって大丈夫ですよ、となだめてくれた。タイヤ跡で大体わかりますからね、〇〇さん(私)そんなおかしなこと仰ってないですよ、スピードも言うほど出てないと思うんですよ、60キロって書いておきますからね。そんなようなことを、ゆっくりと言ってくれた。嬉しかった。こんな自分を信じてくれる人がいて、また涙が溢れた。
結局後日、ドラレコ映像から私の説明に誤りがなかったことが確認された。保険会社の人が優秀だったこともあり、動いている車同士ではまず出ないと言われている10:0の判定が降りた。そんなことより何より嬉しかったのは、自分がまだ本格的におかしくなっていないことが証明されたことだった。自分の認識が社会の認識と一致している。自分はまだ大丈夫なんだと思えて、本当に嬉しかった。
たまに冤罪のニュースを見るたびに、この交通事故のことを思い出す。「じゃああなたが赤だったんでしょ」と言われ、そうなのかもしれないと、あのとき私は自分に言い聞かせてしまった。私はあまり真っ当な精神状態ではなかったので信じられないほどあっさりと認めかけていたが、普通の人だって、何日も勾留されて恫喝され続け屈してしまった多くの事例がある。
心が弱くて詰められたらすぐ認めてしまう人がいる。警察官の方、もう少しだけお互いの話に耳を傾けてほしかったですと今なら言える。
そしてあのとき優しい声をかけてくれた現場検証の人、いまでもお名前と担当部署の印刷された紙切れを大事に取っています。信じてくれて、温かい言葉をかけてくれて本当にありがとう。
バイト直接関係ないけど、車で出勤途中、脇道からノーブレーキ&結構なスピードでセダンが飛び出して来てこっちに曲がって来た。なんかスピード出してる車がこっち来てるな、と思ったけどまさか二段階停止するとこから減速すらせずに大通りに出るとは思わなかった。思いきって突き進むのと急ブレーキ踏むのどっちがいいのか一瞬迷ったけど、その一瞬が命取りな気がしたので押し通ーる!! 幸い対向車が来てなかったので対向車線まで大きくはみ出して避けられた。セダンを運転していたお爺さんが「すまねえ」の意で手を挙げたのがチラッと見えた。余裕で八十超えていそうな老夫婦。免許返納してくれぇ……。
お正月二日だというのに、とても忙しい日だった。いつもの日曜日よりも忙しかった。こんな日に限ってオーナーとのシフトで、お客様が次々来店しているというのに、
「どうせ暇だからワンオペしてて。レジ見ながらカフェマシンの掃除やって、それでも暇だったら品出ししてていいよ」
と言い、そそくさと近くの道の駅に出掛けて行ってしまった。オーナーが店を出るのと入れ違いにお客様が次々と来店。オイ、駐車場に車が沢山入って来たの監視カメラで確認してからわざと出ていきやがったなこの野郎!!
死ぬほど忙殺された30分間。勿論、カフェマシンの掃除どころではない。レジ待ちの長蛇の列が出来た。そういう時に限って超ノロノロで小銭を一枚一枚出して来る客がトップに来たという。列の様子をちらりと窺ったら、三番目くらいに並んでいた、ジュース一本買いたかっただけらしいお客様が脱力感全開で天を仰いでいた。どうもすみません。でも、私にはなすすべがありません。
わざわざ店が混雑する直前を狙って出ていったオーナーだったが、流石に悪いことをしたと思ったのか、予定よりも一時間早く帰って来た。
「忙しすぎて何もやれていません!!!」
と、顔を合わすなり私は胸を張って言ってやったら、
「すみません、それでいいです」
とオーナーは言った。
夜遅いのに子連れのお客様が多かった。ある母親と小学校低学年の娘の二人組のお客様が来て、箱のアイスと箱のお菓子を買っていかれたのだけど、帰る時、母親がアイスの箱を娘に押し付けて、その後で何故か、
「こっちの方を持った方がいいよ」
と母親はお菓子の箱(ポッキーか何かで、アイスより軽い)を娘に差し出した。娘はそれを受け取る代わりにアイスの箱を母親に差し出そうとしたのだが、母親は娘の手をバチンと叩き、そしてアイスとお菓子の箱両方を娘に無理矢理押し付けた。何だったんだ一体。
コンビニでバイトを初めて以来ずっと思っていることだが、この県の人達って、何故か子供をコンビニに連れて来ておいて、買うのは親が欲しかったビールやコーヒーだけっていうことすごく多いな。他県出身の私は、わざわざ食べ物やお菓子のある店に、買ってやる気もないのに子供を連れて来る(しかも夜遅くに)っていうことがあり得なく思える。
店に連れて来たけれど子供は特に欲しいものを見つけられなかった、とかいう訳ではなく、店に入ったらビールや缶コーヒーの売り場に直行する大人。子供が何か欲しがると、
「買わねーよ!」
と人目も憚らず子供殴ってる。
まあ、夜のコンビニだし。そんな遅くに子供を連れて回る大人に常識はないのかもしれない。県とか関係なく。
しかし、日常生活の中でも、この県の人達って自分のお金は徹底的に自分にしか使わないんだなあ、と思うことが多々ある。毎日徒金をよく使い、冠婚葬祭や祝いの類いは可能な限りケチる。やっぱり県民性?
以前、身内に葬式があった時に、私の実家からも花輪か献花を出すから、葬儀屋さんに献花代と香典の相場を聞いたらすごく安くて驚いた。葬儀屋さんはといえば、私の故郷県は相場が高いことで知られていると言った。
やっぱり、県民性かな……。
運転免許取って十六年にもなるというのに、自分の正面から救急車がやって来たという経験は、今日が初めてだった。
私は幅にそこそこ余裕のある県道(追い越し禁止)を走っていて、救急車は私から見て左手の細い脇道から県道に入り、こっちの方に向かって来た。
だから、私はただ救急車が前方を横切って対向車線に入るまで待っていればよかったはずなんだけれども、対向車線を走る車が悉く救急車に道を譲らない。そのため、救急車はこっちの車線に侵入してきた。
え、待って待って待って、私はただ停止するだけじゃなくてもっと端に避けなきゃダメじゃんね。そういう所に限って自転車専用レーンがあるので、慌てて後方確認して自転車が来てないことを確認して端に避けた。焦った。最初から気を利かせて端に寄せて停車してればよかったな。
キミの頭が悪いことはわかった。
車を運転してたらギリギリ赤信号でも惰性で突っ込むんじゃないか?
信号のないところで対向車線の右折車が後続を待たせてても譲らないだろ?
そのせいで交通の合理性が失われても気にしない、そういうタイプだ。
積もり積もって全体の車の動きが遅くなるとか考えない。自分だけで見れば「合理的」とか、そんな言い訳してさ。
自分のことではないと言ってるが、本当にそうか?
この違いがわからず選挙に行かない者を「合理的」なんて言ってしまうのにさ。
選挙において、
全体をみると自分の一票の影響力は限りなくゼロに近い。だから投票にはいかない。
ってのは、全体に見て自分の世代の投票率を下げ、政治への影響力や政策から得られる恩恵を下げることは周知の事実だ。
どうせ交通ルールやマナーを厳守するのは「道徳」とか思ってるんだろ?
自分に短期的、直接的に利益がないように思うか投票には行かない、とか言ってる馬鹿は、勉強とかしても仕方ないから学校とか行かない、とか言ってる馬鹿な学生と何が違うんだ?
たしかにそんなこと言ってる馬鹿にできることは確かにあまりない。
キミの言ってることで間違いないのはそれくらいだ。
紛らわしい標識に引っかかり切符切られたりトラブるのではといつもビクビク運転してる身として、世間の見識が定まらないのは何とかして欲しい。
togetterのブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1772691)を見ると、導流帯(ゼブラゾーン)について
「(違反にはならないので)通行できる」派
「(違反にはならないが)通行すべきではない」派
が混在している。
ブコメの経験談によれば警察の説明がその都度食い違うこともあるらしい。
この食い違いの原因はおそらくゼブラゾーンの敷かれる場所によって立場が変わるからではないかと私は理解した。(間違いあればご指摘いただきたい)
まず以下のような "ゼブラゾーンが対向車線との境界になっており、そこをきっかけに車線数が増減しているような場所(https://pbs.twimg.com/media/E-9CSjXVcAA_Dtr.jpg:medium)" では、対向車線と正面衝突するリスクがあるので、当然通行すべきではない。
したがって、このような場所を想定した警察の説明は「侵入するな」に傾く。
「導流帯は車両の安全かつ円滑な走行を誘導するために設けられた場所であります。当該場所を通行すること自体は法令上、違反行為とはなりませんが、導流帯を設けている主旨に鑑みて侵入しないように指導しております」
「法令上、車両が通行することは想定しておりませんので、通行方法は定められておりません」
「導流帯の通行実態が認められ、交通の危険を生じさせている場合には、立ち入り禁止部分規制の実施や、物理的に侵入できないようポストコーンを設置するなど、必要な安全対策を検討いたします」
「導流帯を設けている主旨に鑑みて」とわざわざ言うのは場所によって敷設の主旨が違うからだろう。
一方、 "中央分離帯があり、間違って右折レーンに入ってしまった直進車両に車線変更を促すためのゼブラゾーン(https://pbs.twimg.com/media/E-9CS-FVQAACvFe.jpg:medium)" の場合、対向車線と衝突するリスクは無いのであえて避ける必要は無い。
警視庁の相談室に問い合わせてみた。「あのゼブラゾーンは、通過しても特に罰則はありません。オレンジでくくられている場合は、進路変更禁止違反、はみ出し禁止違反になります」との回答だった。
では、あのゼブラはなんのために? じつは右折レーンの手前にあるゼブラは、直進車が間違って右折レーンに入らないように書いてあるのだ。「この先右折レーンがありますよ」という親切なお知らせ、ということ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6867654ab5a57d40b1eaea1230873743fc85cc
https://pbs.twimg.com/media/E-9CTGIVUAECmES.jpg:medium
今回の件の動画で(https://youtu.be/xFsfCbbUA6c?t=105)、最初の契機となった女性の車が黒い車を追い越すシーンも後者に当たる。
Googleマップ https://goo.gl/maps/HA5prkqdWfdjNM7x5 (西から直江町の交差点に入ってきて右折し大垣一宮線を南進したと思われる。)
もしもこの例のゼブラゾーンを通行すべきではないとすると、最初から右折するつもりの車が交差点直前でわざわざ車線変更を繰り返したり、交差点直前まで車線変更をためらいそのまま直進左折レーンに行ってしまう事態を招くだけでかえって交通の妨げになる。
ただ、そこで事故が起きた際に過失割合が変わる可能性があるのは、上記のように導流帯の通行方法が敷設の主旨によって決まっておらず、一般通念として「侵入すべきではない」と捉える人も多いためその点が加味されるというかごねる余地だからではないか。これは別に右折車両がゼブラゾーンに侵入したことに落ち度があるという訳ではない。
府中市内の五輪自転車コースにアスファルトが撒かれていた廉で会社員が逮捕された件で、報道が警察発表の素通しな為にミスリードされてる人が多いので説明したい。
報道はこれ
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
アスファルト舗装の為の建材の事を合材と呼ぶ。小石や砂とアスファルトを混ぜたもんである。石油精製塔で軽い方からLPG、ガソリン、灯油と抜いていって一番下に残ったのがドロドロのアスファルトだ。
冬にはカチカチだが真夏にはぐにゃぐにゃする、それ位のちょう度を持っている。屋根の防水には素のアスファルトを使うが、道路の舗装には砂と砕石を混ぜたものを使う。これが合材。
合材をそのまま撒いてロードローラーで固めても一応の舗装にはなるが非常に脆く直ぐにボロボロと崩れてきてしまう。だから舗装に使う合材は150度位のアチアチな状態にして現場に持って行く。
砂や砕石などの土木用資材を扱う卸業者を砂場と呼ぶが、アスファルトはこの加熱の要があるので専門の業者の扱いになる。砂場は結構あちこちにあるが、アスファルト屋は数が少ない。
合材は冷めたらいけないので直前まで取りに行けない。また持ってくるときもカバーをかけて冷めないようにする(量が多い場合は表面積/体積比が大きくなり冷めにくいので省略することもある。)
工事が終わらず通勤時間にずれ込むと渋滞の原因になり、工事許可を出す警察署に怒られるので前倒しの計画にする。つまり工事自体は3時とか5時に終わって合材待ちの状態にすることが多い。
この事件の場合、合材の散乱が見つかったのが明け方なのでばら撒きはその直前のやはり明け方だろう。
するとこれは通常の工事で合材を持ってくる時間である。なので意図的に撒いたとする可能性は低くなる。
日本で生活していて雨の日に車が跳ねた水被ったという経験がある人は居ないのではないか?少なくとも20年前からは無いと思われる。
また真夏の日にアスファルトがドロドロに溶けてしまったり、バス停で停車場所に出来た轍からバスが抜けられずに四苦八苦した事も見た事がないだろう。
雨の夜の運転で路面が光ってどこが車線だか全くわからんっていう経験も。
これは90年代の中ごろに合材の技術革新があり、浸透性舗装というのが開発され日本ではそれの採用例が増えてきた為なのである。
これを開発したのはアメリカの会社で水はけを良くするのが主目的だが多くの利点がついてきた、かなり画期的なものなのである。利点はこういう感じ。
路面に水が溜まらないので水撥ねもしない。雨が降ると従来型舗装では路面に水膜が張られ、それが対向車線のヘッドライトを反射するので車線がどうなっているのか判らず雨の夜の運転は危険だった。その危険も無くなった。
従来型舗装の上を車が走るとタイヤの水捌けの為の溝によりゴムの角が打ち付けられるのでゴーーというロードノイズが発生する。浸透性舗装では路面が穴だらけなのでそこに音が吸収され渋滞型と比べると無音に近いと言っていいほど静かだ。録音スタジオなどの吸音ボードに構造が似ているからだね。
従来型舗装が熱せられるとアスファルトのちょう度が下がり、砕石から遊離して表面の方に寄ってくる。この為酷暑では路面表面がドロドロ化するのが常態化しそこに重量のある車が止まると凹んでしまう。特に停止線前での轍が酷くバイク事故の原因になっていたりした。バス停では毎度同じ場所にバスの車輪が止まるので4か所が凹んでしまい、出発時にバスがそこから抜け出すのにシーソーのように何度も車体を揺するユーモラスな光景が良く見られた。浸透性舗装の技術評価では従来型に轍掘れ耐性は劣るとされているが、実際は酷暑のアスファルト緩みに起因する事が多いので段違いに浸透性の方が良い。
夏の日光も乱反射するから照り返しが穏やかだ。しかも路面の下の水分が蒸発する時の気化熱で路面温度も下がる。
摩擦表面はつるっぺたの方が表面積が高くてブレーキも理論的には良く効くのだが、実際はほこりや水など不安定要素が多く、浸透性舗装のように引っかかる角が連続するような構造の方が安定して制動力が得られる。
いい事ばかりだが欠点もあって
普通の合材はアスファルトと砂、砕石を混ぜただけだが、それでは浸透性のような雷おこし構造にならない。
そこでポリマーに水と乳化剤を吸わせ、それをアスファルトに混ぜて砕石にまぶすという方法で雷おこし構造を実現している。石同士が柔軟性のあるアスファルトで接着されているが、石同士が噛み合っているので転圧されても潰れないって状態だ。美味しんぼの銀五郎もこの構造真似すれば良かったね。
こんな特殊構造なのでかなり高額な上にホムセンなどには卸されていない。専門の卸業者からトン単位で買わなきゃならない。
道路は上から見るとアスファルト舗装しか見えないがその下には必ず50cm位の砕石層を入れなきゃならない。
一番下は砂でそれを転圧、その上に砕石を50cm入れて転圧、最後に合材を撒いて転圧だ。浸透性舗装では水が路面の下にじゃんじゃん行くので特にこの辺りをしっかりやっておかないと砂が流れて陥没してしまう。この辺もコスト高の原因だ。
https://www.asahi.com/articles/ASP7M6FXVP7MUTIL04W.html
見ると「豊島区の区道路整備課アホやろ」と思ってしまう。路面の下の砂が流れちゃってるのが原因なのだよ。それが路面下の施工不良のせいなのか水道管破損のせいなのかが問題。朝日の記者も突っ込めよ。
この合材を使ってるのは日本の他限られた国だけだから、外国に行った時には雨での路面水撥ねやスリップ、路面光りなんかは解消されていない事もあり注意が必要だ。雨の夜に特段の注意をしなくて済むのは日本他その合材採用した国だけなのだ。
合材の技術革新すげぇんよって事言いたくて長くなってしまったがNHKのこの映像の最後のシーンを見て欲しい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210722/k10013153791000.html
落ちてる粒と歩道の舗装の粒が同じじゃないか?歩道の舗装は浸透性だ。対比として従来型舗装がこれだ。
故に撒かれた合材も浸透性合材である。浸透性合材はホムセンとかじゃ買えずに専門卸でホカホカのを買うしかないから五輪嫌がらせの為に撒いたという可能性は低くなる。
しかも道路工事で合材取りに行く時間だ。これは工事業者が誤って落としたのではないかという気しかしない。
ダンプは普通のトラックと違い後ろアオリが上ヒンジになっていて、下側にロックがある。そのロックをし忘れると下側からザラザラーと流れ落ちてしまう。それで落としたんじゃないか?
まず逮捕するには居場所が不定で逃亡や証拠隠滅の恐れがある時(罪状が重い場合も逃げる動機が大きくなるので加重評価される)に限られる。合材を道路に落とすと言うのはかなりの迷惑行為なのだが、それにしたって逮捕はないだろう。
この報道は「間違っている事を書いていないがミスリード」の典型だ。「アスファルトの粒が」となったら浸透性舗装合材だしそれは普通の人は買えない。そこは説明しないと視聴者の多数は判らない。未明に通行となったら道路工事で合材を取りに行く時間と重なる。これも説明なくば視聴者多数は判らない。
そこで「会社員が」と言われれば昼はスーツ着て働くリーマンが夜に撒いたってイメージになる。土木会社の作業員や運転手だって会社員だから間違ってはいないが視聴者の認識は間違いだ。
因みに植物油には植物性コレストロールが含まれるがこれは体内に吸収されずに排出されるのでコレストロール0と表記しても間違いではない。しかし全ての植物油はその故にコレストロール0なのでその表示を見て買う顧客は優良誤認している。
「間違っていないからミスリード起きててもヨシ!」みたいな報道は止めて欲しいもんである。それはまるで浸透性報道といった趣だ。浸透性舗装は優れているが浸透性報道は劣後なものだ。
最後にトリビアだが、昔のミシンや機械などは真っ黒の艶てか処理がされていたがこれにはアスファルトが使われていて「ジャパン/ジャパニング」と呼ばれていた。
チャイナが陶器でジャパンは漆器だったのでその延長で言われたのだが、アスファルトと日本は切っても切れない縁なのであった。そんな日本で足元のアスファルトに技術革新が起きてるのに気が付かないのはよろしくない。
こういう心配は多くありますが、そういう心配はまずいらないでしょう。
メーカーが責任を問われた交通事故事件としては三菱自動車のリコール隠しがありました。
この事件は解明には長期間を要しましたが自動運転は、その記録が残るように様々な制約があるので、責任追及にはそこまで困難はないでしょう。
もちろん、導入初期は混乱しますが、それなりに落ち着くでしょう。もっとも、人間が運転しての事故でもかなりが裁判沙汰になっていますが、自動運転になり車両側に映像も含めて多くの情報が残るようになれば、全体としては交通事故に起因する様々な訴訟等は減っていくと思います。
②、③はそもそも制度設計の問題で、自動運転に対応できる法律や現実的な車を作るだけ。
むしろ、スマホでゲームしながら運転しても何も警告されない今の自動車と比べれば、車内モニターがされたり、遠隔操作される自動運転車ははるかに安全であるのは間違いない。
むしろ、問題は根本的に自動運転が技術的に確立できるかということであり、それを社会が受容できるかという話。
昨年、某大学の研究者と話をしましたが路上でネコが寝ていたら自動運転車は手前で停止するが、ネコがどかなければたとえ回避可能なスペースがあっても対向車線にはみ出していくということは難しいし、5年後でも難しいだろうという。
結局、レベル3か、遠隔操作型あるいは緊急時に運転手が交代できるレベル4くらいしか2020年代は実現できないのだろうと思います。
スクールゾーンになってたり歩行者横断多しの標識がある意味がわかってない奴は車やバイク・自転車に乗る資格ないからね?
事故が多い危ない道路を制限で走ってる車やバイクを煽ってるバカが絶えないから。
今日も見かけたけど、スレスレまで近づいたりハイビームを点滅させてたり、無灯火で接近したりをしててほんとやばいやつがいた。
最終的に追い越ししていったのを見たけど、対向車線側に飛び出した上に煽っていた車に並走してなんか怒鳴ってたのを見て、
たまにここでも見かけるけど「制限速度を守って走ってるのは迷惑」って言う増田。
それ、交通法に文句を言ったらどうかなって思うんだよね。つーか警察に言ってこいと。
事故が多い場所で守る事の何が悪いのか、何が迷惑なのか分からないね。
というか交通法を守るのが悪いことならなんで法があるの?って思う事があるよ。
前述したキチガイなんてのは、そんなに多く居ないって言う人もいると思う。
だけど、それに近いレベルの危険運転をするあほたれは結構居ると思うね。
ちょっと遅いってだけで必要以上に速度を上げる人。結構多いと思うよ。
ちんたら走ってんじゃねえって文句垂れる人もいるけど、交通法守ってるんだよって話では?
まあそれは置いておいて。制限速度30キロの理由がわからない人は、本気で事故ってこの世から消え去ってほしいね。
少しでも自分のやってることに罪悪感を感じるのならゾーン30を検索して理解すると良いよ。
とはいえ…罪悪感を感じる事が出来るのなら、そういう事しないと思うけどね。
私は10年ほどの間、クロスバイク→ロードバイクと自転車を愛好していました。
自動車との共存というのは自転車乗りにとって頭を悩ませるところです。
私自身は、
自転車の権利を主張する乗り方→自転車も車も共存する乗り方→車を優先する乗り方。
自動車が責任を引き受けて、円滑な道路運行を管理しているという意味もあります。
例えば、単純に自動車の視界と自転車の視界では見えている範囲が違います。
自動車ドライバーは道路の中央に位置するところで、道路の全体を見ながら運転しています。
しかし、自転車乗りは道路の左端に位置しており、視界が悪く、また車両が存在している場合には、
対向車線の状況を知ることは出来ません。
こういった単純に道路の状況を把握するという基本的な事柄でも自転車と自動車では大きな差異があります。
ベテランのドライバーは道路の状況を把握し、その時の各車両の優先順位を瞬時に判断し、
どの車両を優先させるのが安全で円滑な道路運行を可能にするか常に考えています。
そういった中で自身の経験から推測する自転車の軌道と、実際の軌道が異なる場合には慌てることになります。
増田氏は接触があった過去の運転方法を、これが本来正しい運転なので、ドライバーは把握してほしいと主張されます。
それは間違っていないのかもしれません。しかし、最良のやり方でしょうか?
私は交通するといううえで最大の目標とするべきは事故を起こさないということだと主張するものです。
日本の交通法規は現実の道路事情を反映していない部分が多々あり、各自がそのことを理解し、現実的な道路運行をしなけば事故を発生させることになります。
そういったことを考慮して、私は自転車人生の中で、妥協ではありましたが自動車を優先した運転をすることを選択しました。
私は都市部に生活するもので、通勤と趣味で自転車に乗っていました。
通勤の際には、自動車がたくさん走る道路を使うことがあります。
ロードバイク乗りにとっては歩道を走るのは、嫌なものですが、私は危険な箇所、
自転車は歩道を走ると自動車に認識されているところでは迷わず歩道を走りました。
自動車がロードバイクを追い越すのが困難なところは徹底的に避けました。
自転車を思う存分に乗り回したい。
自分だけは交通事故を起こさない、そんな過信は禁物です。自転車の事故を起こして相手に怪我をさせた際に備え、自分のため、相手のためにも、自転車保険に加入しましょう。
男子小学生(11歳)が夜間、帰宅途中に自転車走行中、歩道と車道の区別の無い道路において、歩行中の女性(62歳)と正面衝突。女性は頭蓋骨骨折等の傷害を負い意識が戻らない状態となった。
男子高校生が昼間、自転車横断帯のかなり手前から車道を斜め横断し、対向車線を自転車で直進してきた男性会社員(24歳)と衝突、男性会社員に重大な障害(言語機能の喪失)が残った。
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotsu/jikoboshi/bicycle/bicycle_insurance.html
先日、時差式信号の交差点で右折した際、自分の不注意で事故を起こしかけたため、自戒と反省の念も込めて記しておく。
その時、私はある交差点の右折レーンの先頭で右折のタイミングを待っていたのだが、対向車が途切れなかったため信号が青のうちは右折することができなかった。しばらくすると信号が黄色から赤に変わりつつあったため、これで対向車が途切れて右折できるだろうと思い、車を進めた。すると向こうから対向車が交差点に進入してきて、クラクションを鳴らしながら通り過ぎていった。幸い衝突は免れたものの、タイミングが悪ければ事故になっていてもおかしくない状況だった。赤信号で突っ込んでくるなよ、危ないなぁなどとその時は思っていた。
その後しばらくして、あの時なぜ対向車が突っ込んできたのだろうと気になり、Googleストリートビューで当該の交差点を見てみることにした。交差点をいくつかの方向から見てみたが、別に何てことのない、普通の交差点だ。ふと信号機を見てみると、「時差式信号」と書いてあるのに気づいた。恥ずかしながらその時の私は時差式信号についてよく理解していなかったため、Googleで検索して調べてみた。Wikipediaによると、時差式信号とは交通量の多い右折車側の青信号の時間を延長することによって右折をしやすくするものだということがわかった。つまり右折車から見て対向車線の信号は先に赤になり、こちら側はまだ青であるためその隙に右折できるというものだ。そして時差式信号の危険性として、「時差短縮側(先に赤になる方)の右折車が自分側の信号が赤になったのを見て対向車線の信号も赤になったと勘違いして発進し、対向車線の直進車両と衝突する事故が多い」という旨も記載してあった。
これを読んで、私はやっとあの時起きたことが理解できた。つまり、あの交差点では右折しようとした私側の信号が時差短縮側で先に赤になり、対向車側の信号は時差延長側でまだ青だったのだ。青信号で直進している相手から見れば、私は直進車を妨害して無理やり右折しようとする危険な車だったというわけだ。あの時の直進車に申し訳ないと思うと同時に、今更ながら恐怖を覚えた。あの時対向車と衝突しなかったのは、単なる偶然だった。もし対向車がもう少し速く交差点に進入していれば、対向車の信号が赤だと思い込んでいた私には避ける術はなかった。日頃から運転には気を付けているつもりだったが、気づかぬ内に思い込みで「対向車の信号は赤だろう」「対向車は来ないだろう」と「だろう」運転をするようになってしまっていたのだ。
今回の件は私の不注意によるものであり言い訳するつもりは毛頭ないのだが、このような時差式信号というものに対して違和感を覚えたのも事実だ。調べてみたところ、私のように時差短縮側の右折車が勘違いして発進し事故を起こすというケースが全国的に相次いでいるらしい。思い込みで運転するのが危険なのは今回の件で深く胸に刻んだが、それでもやはり人間はミスをする生き物である。それぞれが気をつけなければならないのは勿論だが、交通システムに関しても極力ヒューマンエラーを少なくできるような仕組みが望ましいのではないか。
ちなみに時差式信号の危険性については下記が参考になった。図3がまさに私が犯した過ちの状況を表している。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalip1984/19/0/19_0_869/_pdf
ということで国道17号、埼玉県庁前の時差式信号の交差点を進行する際は十分注意してください。南から北(大宮方面)へ向かう側が時差短縮(先に赤信号になる)側のようです。私のように思い込みで判断せず、右折の際はしっかり目視で対向車が来ないか確認して頂ければと思います。
全体として良い映画だとは思うんだけど、クライマックスシーンでどうにもノリきれなかった感じがあって、その理由について考えていた
クライマックスシーンというのは主人公が両親を亡くした原因になった人物が旅館に泊まりに来るってところだ
主人公から見て対向車線でまず事故が起きて、それを咄嗟に回避しようとした後続のトラックが中央分離帯を乗り越えて突っ込んできたことで主人公は両親を失うことになる
つまりそのトラックの運ちゃんが避けてなかったら主人公の両親は死んでなかったってことで、親の仇であるということもできる
客がそのトラックの運転手だと知ってはじめ取り乱した主人公だが、若女将としてやってくる中で身につけた寛大さのようなもので赦して大団円、って感じだった
俺がノリきれなかったのは、多分そのトラックの運ちゃんを加害者と見ることができなかったからだ
彼自身腎臓を摘出するくらい大怪我を負ってて、食事は塩分と油分を抑えたものしか食えない状態になってる 反省というか後悔もしている
「目の前で事故が起きたから咄嗟に避ける」ってのは「躓いて頭から転けそうになったから咄嗟に手を付く」みたいなもので、なんとかしようとしてなんとかなるものじゃない
俺はどうしようもない事故に責任を見出すことを可能な限り避けたいと思っていて、その価値観だとあのトラックの運ちゃんは被害者ではあっても断じて加害者ではない マジで何も悪くない
「事故被害者がもうひとりの事故被害者に出会うシーン」としてしか見られていなくて、赦しなんかが介在するようなものなのだと気付くまでにラグがあった
まあ気持ちはわかる 結果的に両親を殺したようなものと解釈できる人に対して複雑な感情を抱くのは当然だし、それも結構すぐ引っ込めてるんだから本当に偉いと思う
俺だって同じように両親を亡くしたらそりゃ相手のことを恨めしく思うかもしれない いまでさえそうなんだから小学生ならなおさらだ
なんというか、事故への考え方のせいで物語の解釈が滞ってクライマックスシーンを受け止めきれなかったのがかなしい
トラック運転手のおじさんが事故について語るところで「親の仇やんけ!」となるのが正常で、「へーこの人も同じ事故の被害者か」となってしまったのが全ての敗因
シュッと解釈ができる男になりたい
(追記)
なんか伸びてら!
なるほどなあ、「赦しがテーマ」みたいなこと書いてる人がけっこういたからそうなのか〜と思ってたけど、やっぱあれ許す許さないの話じゃないよね!俺の感覚が間違ってたってことでもないのか
つかおっこちゃんの立場つらすぎるんだよな でも現実的にはあれでも相当いい形に落ち着いてる トラウマで引き籠り続けるとか心療内科に通い続けて生きるってよりは奮起して若女将やる方が社会的にも経済的にもいいって世の中なのは確かなんだよな 世の中がクソって話か?
あの話じゃ子供に多くを背負わせすぎだとは思うんだけど、じゃあ背負わせないであれより幸せになれるルートがあるのか?と思うとなかなか…
用事で小田原まで出る必要があり、例年この時期であれば死を覚悟する国道135号線を車で行くことにした。対向車線が伊豆方面、すなわちリゾート方面。
やはりそもそもの車両数が少ない。みんな自粛頑張っている。それでもやはり都会から来ているらしき車はあって、体感的には4対6くらいで地域外ナンバーと湘南・伊豆・相模ナンバー。地域外は川崎横浜大宮品川といろいろ。
面白いのは、大抵黒かシルバーの高そうなセダン。レクサスかベンツが多い。もしかしたら伊豆の別荘に行くような人たちが動いているのかも。少なくとも今日動いているのはファミリー層ではなさそう。チラホラとわナンバーもいたけど、それは仕事かもね。
正直リゾート地は今安売りもしてるし、天気もいいし、空いてて快適だし、覚悟を決めて行っちゃってる人はそれなりに楽しいと思う。せめて元気にいっぱいお金を使って経済支えてほしいな。よろしくお願いします。