俺は昔放送部だったんだけど、アナウンスや朗読は文頭から文末まで抑揚を付けず、右肩下がりになだらかに読む方が良いと指導されてた。
強調したいところをちょっとだけ声の高さを上げて読む必要はあるんだけど、それを意識しすぎて声がうねる様な読み方にしてはいけないってのが鉄則だった。
こういうのってNHKのアナウンサーへの指導をベースにしてて、実際に地域の放送部合同での合宿とかでNHKからアナウンサーの指導役的なポジションの人を招いて指導を受けたりしてた。
なんでそんな事になるかというと、当時は放送部にとっての大会=NHK放送コンクール(今はどうか知らん)だったから。
審査基準がNHK関係者のそれだから、当然普段の指導もそれに合わせるよね。
地域による指導傾向の差もあったとは思うんだが、少なくとも俺達が受けた指導では朗読する際に『演技は禁止』が鉄則だった。
情景を伝える為にある程度の抑揚は必要だとしても、『演技』というほど主観的であってはならない。
放送部のそれは文章を読み上げるテクニックを競うのであって、演技力を競うのではない、ってのが放送部における朗読の指導だったんだ。
どうしたって演技が入ると抑揚が強くなって文章がうねって聞こえる様になり、単純な聴きやすさでは劣って聞こえる傾向あったしね。
ゲームでの声優さんの演技が合わないって人も、これと似たような事なんじゃないかと思うんだ。
声優さんがやってるのはあくまで朗読じゃなくて演技だから、どうしたって抑揚が強くなって文章としては聞きにくくなるんよ。
演技関係はほとんど分からないけど、演じる際に聞き取りやすさを最優先するかって言ったらそうではないだろうし。
それに加えて声優さんの演技の為に作ったキャラ像と自分の中でのゲームキャラの解釈が合わないと、違和感はより強くなるだろう。
特にその声優さんが得意とするパターンの演技に聞こえたなら、その声優さんの色でキャラが塗りつぶされたと感じる人もいるんじゃないだろうか。
そういう人にとっては極力演技はいらないから、セリフを聞きやすく読み上げて欲しいんだと思う。
ただ、だからってそれを理由に声優さんにヘイト向けるのは違うよね。
役者に対して演技の質を云々するならともかく、「お前の演技なんからいらんから朗読だけやってろ」って言ったら相当な侮辱でしょ。
そもそも声優さんはこういう演技してくださいって言われてやってるだけだし、それを制作側が嫌だって言うなら宮崎監督みたいに素人連れてくればいいだけ。
そっちの方が売れるならそっちを選ぶでしょ。
需要があるなら、そのうち自分の好みに合わせて聞こえる音声をAIが変化させるスピーカーとかヘッドフォン、イヤフォンみたいなのが出てくるでしょ。
立場でいえば下請けに近い声優さんにヘイトが向くのはやっぱおかしいと思うんだよなぁ。
]]>プリキュアという集団が持つ多様性の無さを。
たとえば戦隊ヒーローは汚らしい外見のデブであっても「心に勇気と優しさを持っている」という条件を満たすだけで慣れるわけだろ?
それどころか初期状態ならヘタレでも許されるし、なんなら正義感とかなくてもあとで成長すればオッケーだ。
プリキュアは違う。
プリキュアは最初から「清潔感」「正義感」「優しさ」「勇気」「誠実さ」といった要素が一通り求められる。
汚らしく卑怯で身勝手な臆病者がレギュラープリキュアになったことは一度もない。
それはまるで宝塚のような厳しい審査基準があるわけだな。
性別という壁が取っ払われたというが、むしろ「性別という壁を超えられるだけのスペック」が求められることをより強烈に掘り下げてしまった感がある。
次のプリキュアは犬とのことだが、畜生の癖にプリキュアになるからこそ、その心は清らかで美しく義侠心に満ちているのだろう。
いやはやげんなりだ……「ヒーローになるには相応しい人格が必要である」という考えは分かる。
だがそれは多様性の否定であることは間違いない。
せめて外見審査か内面審査のどちらかだけでもなくなれば多様性が保証されていることを信じられるのだがなあ……。
]]>私が持っている意見は以下となります。
本当に個人的な見た目の好み(ルッキズム全開で)を言うなら、私は(追記:今回の候補者の中では)安井南さんの顔が好みです。でも彼女の顔もべつにいわゆる「和顔」ではないね、。歴代のミス日本を見てもいわゆる和風美人な人ばかりではないしバタ臭い感じの顔の人がずらっと並んでいる(古いたとえで恐縮ですけど、吉永小百合じゃなくて原節子って感じ。「有色人種としての美しさ」って言われても定義は難しそう)。
ちなみにハリウッドの俳優たちの多くは(まぁ米国なので当然ではあるけれど)結構多様なルーツを持っている。世界はだんだんゆっくり、そういう方向(どんどん混ざっていく)に向かっていくのでは。
あと、まぁ悪い大人の顔をして言うのなら、ミスコン運営サイドは西欧的ルッキズムというよりも「お、ウクライナルーツなのか、反戦アピールできるし、(ミス日本をありがたがるような保守層から見たら)革新的に見えるんじゃね?」みたいな下種な話も出てたんじゃという気もしています。
なのでまぁミスコン止めろもう、というのなら共闘できるよ。でもその戦いは別の誰かや戦っている相手を差別する言葉を使ってするなら、なんかいやだなー、という感じです。
ミスコンなんて、あんなもん止めたったらええわ、うっとおしい。
]]>ミス日本に選ばれた方の外見や出身地が話題になっている。
ミス日本のエントリー資格は以下の3つで、その点彼女は全く問題ない。
・地区大会開催年の12月31日時点で、17歳から26歳までの女性
・日本国籍を有すること
・未婚であること
重要なのはあくまで国籍で、出身地やルーツは関係ない。
どこ情報かは失念してしまったが、確か過去にクォーターの方がミス日本のファイナリストに選ばれたこともあった気がする。
そもそも、ミス日本は外見を最重視するコンテストではない。
内面の美や日本に対する知識・深い理解も問われる。
Wikipediaによると、日本に元気や活力をもたらすような人物として成長することを願って選抜や育成が行われるらしい。
外見の美しさだけではミス日本に選ばれることはないといえるだろう。
ミス日本がどのようなコンテストであるかがあまり知られていないのは、今回の騒動(と、呼ぶほどではないかもしれないが)が起きた原因の1つだと思う。
ミス日本の意義や目的、審査基準などがもっと周知されれば良さそうだ。
ただミス日本がキャッチコピーとして「日本らしい美しさ」を掲げているのも事実。
そしてこのような表現では、いわゆる「日本人らしい見た目の美しい人」をイメージしがちなのも仕方がないと思う。
そこで考えたのだが、そもそも「日本人らしい見た目」とは何なのか。
両親ともに日本人でも、西洋人のような顔立ちをしている人もいる。
反対に、両親や親戚に外国の方がいるけれど、その人自身は日本人にしか見えないケースもある。
このような方々がミス日本のグランプリになった場合、「日本人だけど見た目が日本人っぽくないからミス日本にはふさわしくない!」という意見が出るだろうか。
両親ともに日本人で、外国で生まれ育った人の場合はどうか。
たとえば、外国で生まれてしばらく外国で過ごし、成人する前に日本国籍を取得・日本に移住した場合。
見た目も国籍も日本人だが、ルーツが日本にあるとはいえないだろう。
このような背景の人がミス日本のグランプリになったら?
日本人と外見の特徴が似ているものの、ルーツが外国にある場合はどうなるのか。
両親ともに日本人ではなく出身地も外国、現在の国籍は日本、そして外見はいわゆる日本人に見える……
このような人がミス日本のグランプリになった場合、仮に討論が起きるとしても、外見とは違う部分が焦点になるのではないだろうか。
いずれにせよ国籍要件を満たしていれば全く問題ないが。
言いたいことをまとめるとこんな感じだ。
・ミス日本は外見や血脈を重視するコンテストではない。
・そもそも日本人らしい外見とは何か
2つ目はこれまで意識してこなかったものの、改めて考えてみると難しいと思う。これを機に、自分の考えをとことん突き詰めていきたい。
]]>観客はネタ中で明言はしていないけどこのネタは「中田のんとかさんや、キンコンの西なんとかさんや右目と左目で形が違う変な眼鏡かけてる人みたいないけ好かない学歴優秀なのがメディアで最先端を語ってるけど、よく聞いたら無茶苦茶で意味不明」って茶化すネタだと気付く必要がある。気づくと途端にその邪悪さに気付き面白くなるのだけど、気付かないと最後まで怪しいセミナーみたいな感じでむしろ不快感しか感じない。
もちろん元ネタになった人っぽさを出せば伝わりやすくなるが彼らを貶めたい訳でも無いのでそこまでも出来ない。なので圧倒的話術で不快感→気付きに持っていく必要があるのだが4分はあまりに短い
審査員が気付いていたかはあまり重要ではない。客席のウケ状況も審査基準だし漫才自体の要素が良くても冷え冷えの客席で票は入れられないだろう。
]]>それならもう大学学費無料の方が良いじゃん
]]>知り合いにいない
読みやすい
からかわれなそう
などなど
審査基準を乗り越えたのを
ピックアップして
決めた
]]>みてねに通報とか、相手からしたらふつうに全面戦争でケンカ売ってると受け取るからな。
あとお前のせいでみてねの審査基準変わったら、迷惑だって分かってんのか?
ほとんどのユーザーはお前みたいに繊細バカじゃねーんだぞ。
徹頭徹尾、これはお前の問題だってことを理解しろ!
ふつうのユーザーのうちの家族にまで迷惑掛けるつもりか?
]]>https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/document/tokkyo_shinsakijyun_point/01.pdf
107Pもあるからあおいそれと読めないけど。
新規性・進歩性があるかどうかを基準に沿って審査するんだけど、
一般人からしたらガバガバに見えるからよく分からんのよな。
]]>実際にOPでもそういうシーンありましたし(当該部分)、
ゲーム情報サイトにもそういうイベントスチルが掲載されていました(こことか)。
CEROの審査基準では「水着・コスチューム」などの存在がレーティング引き上げに関係してくるらしいんですが、この水着描写も抵触するのでは?と疑問です。
もちろん全編ハレンチな姿でどうこうってゲームではないのはこっちも承知していますが。登山服着用しないと難度が跳ね上がるっぽいですし。
まあここなちゃんはスクール水着で冬のK2単独登頂成功すると思いますけど…
]]>栃木県スポーツ協会が行った競技場の芝管理業務委託先公募に絡み、自民党の県議2人が公募開始の数日前、協会を所管していた県教育委員会事務局の当時の幹部に「東京の企業が取ればあなた方の首が飛ぶ」と発言するなど、地元企業の選定を働きかけた疑いのあることが10日、分かった。共同通信が関係者から入手したこの面談の備忘録に発言が記されていた。
ド直球の強要で、脳が昭和で停滞したままの地方議員の面目躍如といった感がある。
問題の競技場とは県総合運動公園のカンセキスタジアムとちぎのことで、昨年6月に下野新聞が記事にしている。
カンスタの芝管理業務を評価次点企業に委託 審査基準の曖昧さ浮き彫りに…栃木県スポーツ協会|社会,県内主要|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン)
栃木県スポーツ協会が2020年、宇都宮市西川田4丁目のカンセキスタジアムとちぎ(県総合運動公園陸上競技場)の芝管理業務の委託先を公募した際、審査委員の合計評価が最高点だった都内の専門業者ではなく、次点の地元の一般企業を選んでいたことが19日、分かった。
また、知事の記者会見でも質問がでている。知事は、知事は確認・検証を行うといっているが、その後、特に何がしかの対応をしたという話は出ていない。
栃木県/令和4(2022)年6月28日(第5回知事定例記者会見)
記者:知事が会長を務めていらっしゃる県のスポーツ協会が2020年に行った、カンセキスタジアムの芝生の管理の業務委託先を選ぶ公募型プロポーザルで、3人の審査員の採点の合計で、最高だった東京の企業さんではなくて、30点以上低い地元の警備会社が選ばれていました。この点、地元紙さんとかが報道されていたのですが、弊社の取材では、その裏に、協会の所管課であるスポーツ振興課の当時の幹部の方々が、複数の県議会議員の名前を出した上で、東京の企業を選ぶと県議ににらまれて大変なことになるとか、地元優先が県議の意向だとかで、次点だったこの警備会社を選ぶよう圧力をかけていたといった疑いがあることが分かりました。
これが事実だったら入札妨害とか偽計業務妨害が疑われるような行為だと思いますが、県として、当時の幹部さんたちの行為が事実であったかどうか調べるお考えはありますか。
選定された地元の警備会社とは「北関東綜合警備保障」(以下、北綜警)のことである。(07_選定結果の公表)
北綜警は、本件以外にも多数の指定管理業務を請け負っており、本件以外の入札に関しても疑われるところではあるが、今季5期目の県知事とも関係が深く、現会長をはじめ元刑事部長などの県警OBが多数在籍しているため、今後、捜査等の進展が行われる見込みは薄いと思われる。
(なお、北綜警は、昨年、群馬県において談合事件で排除措置命令を受けている。さすがに、隣県までは影響力を及ぼせられなかった模様である。)
]]>北綜警などに排除措置命令 群馬県内の入札で談合、公取委|社会,県内主要,速報|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン)
まず生活保護みたく申請をさせてくれない
]]>賃貸はもちろん住居や土地の売買でもそう
この人の審査にハネられるような類の人間はそのまま全員死んでくれていい、むしろ社会で積極的に死なせる(社会的に、て意味じゃないよ、そんな甘っちょろいもんじゃない)必要がある
今の日本は人口が多すぎるので、そういう人間が死ねば程よい人口になりまた大家さんや僕のような優秀で善良な日本人だけになり日本は確実に復活する
]]>国会は法律
行政立法は
法規命令 委任命令法律の委任 執行命令書式とか書類とか?
行政規則 内部の規則
廃棄物処理業の許可は根拠が法律なので行政手続法が適用される。
法令に基づかない申請は行政法上の「申請」に当たらない。
審査基準は講学上の行政規則。
標準処理期間には補正や事前の指導情報提供含まない。
申請書に不備がある時は補正を求めるか拒否。
拒否理由を示すこと。あきらかに適合しない時は聞かれた時に答えるでよい。
独立法人 民間 透明性 効率化
国立科学館 造幣局
特殊法人 総務省管轄 法律に基づき直接設立
NHK 日本タバコ産業
公共組合 国が設立 強制加入
健康保険組合
蚊がくん、造幣くん独立してる。靴を履いて立っているイメージ 羽が透明で透明性。民間人。
特殊性癖のあるエリートNHKとタバコ野郎。相当ダーティで総務省。
力づくで加入させるマッチョなコウキは健康体取っ組み合いが得意。
債権者代位権 できない
夫婦、財産分与、慰謝料、認知、遺留分、債権譲渡通知(債権譲渡通知請求はできる)
フーフーザーサイ医者認知🦏権譲渡の請求権
転用事例お金でなくてもおkということは無資力でなくてもおk
登記、賃借、債権譲渡通知請求、担保価値維持、共同相続人の代位債権
東京に賃借して🦏を譲り受けて飼う🦏の名前はタンポで共同で相続して飼うのでお金の分担するから請求
詐害行為取消権 基本金、特定物おk、詐害行為前に発生原因が起こってたら取り消させられる。方法は裁判のみ。
忘れやすい取り消せるヤツ 遺産分割
取り消せない
婚姻、相続人の承認放棄、離婚による財産分与、債権譲渡の通知
コンソーリ🦏つーちゃん
原則詐害行為にならない
弁済、代物弁済(過大な分はなる)、相当な対価を得てした財産分与、既存の債務に担保上乗せ
便💩、大きすぎの便💩はハミ出た分のみ、財産💸💸💸、財産の上に柿🍏🍎🍐🍊🍋🍌🍉🍇
]]>不利益処分、処分基準は努力(対策されないように)公表も努力。処理期間はそもそも処分なのでなし。理由を書面で示すは義務。差し迫った必要のある時は後でおk。
]]>あれは良くも悪くもポイント乞食のためのカードであって、審査もゴールドとそう変わらないはず。もちろん審査基準は非公開だから断言はできないけど、大した稼ぎもないうちの母(父とは死別)でも通ったし、周りでゴールドからの乗り換えで落ちた人を見ない(まさに積み立てのために乗り換えた人が周りに二桁人いる)。もっとも、年会費は高いし免除にならないから、フルで積み立てポイントを貰った上でそれ以外に年間200万円はそのカードを使わないとゴールドからの乗り換えは割に合わないが。
だから、コンビニやマックでの高ポイントはプラチナプリファードの大きな売りになるんだよ。富裕層ではなく中間層でポイント大好きな人たちがターゲットなんだからドンピシャなんだ。
]]>Audiostockに投稿している生徒も少なくない。
レッスンにて審査に落ちた曲の添削をすることも多々ある。
審査の仕様もわからないまま助言するのも説得力もないので
1年半ほど前から投稿を始めた。幸い一度も審査に落ちたことない。(リテイクはあるが)
審査に落ちるクオリティは生徒の曲でしか判断出来ないので
ネット上で審査に落ちたとボヤいてる人たちの曲もたくさん聞いた。
戯言も込みでそりゃ落ちるわというクオリティの低さばかり。
どの分野でも言えるだろうが質が悪い人ほど文句垂れてるなという印象。
そしてそういう人たちは謎の自信に満ちている。
自信があるのは良いことだ。ただ身の丈を考えろ。
審査料無しで審査してもらい、その上掲載費無しでずっとサイトに乗せてもらうんだぞ。最低限敬意を払え。
以下、落ちた人の戯言について私が思うこと。
昔の基準を知らないので実際はわからないが
曲数がない最初のうちはとにかく曲の数を集めることに重きを置くだろう。
89万曲も販売されている今、数ではなく質を求めることになるのは当然。
「昔合格した曲を削除したが、同じデータを再アップしたら不合格になった」という人も何人かいた。
それは上記のように審査基準が変わったことによるものだと思われる。
理不尽だとは思うが、さすがに1曲1曲過去のデータと同じかどうかなんて調べないだろう。
審査員ガチャをすり抜けて合格してよかったね。
ただ考えてみてほしい、審査通ったり通らなかったりしてる時点で品質が悪いということに。
通した審査員からすればお情けの合格だろう。別に不合格でもいいのだ。
そしてそもそも受かることが目的ではないはず。受かって初めてスタートラインに立つのだ。
その後単曲で売れるかサブスクで使ってもらえないと意味がない。
曲を聞いて欲しいだけならYoutubeにでもアップしてろ。
ノイズ判定だけならあるかもしれないが、そもそもの品質(あくまでAudiostock基準での)の判断は人間がやるしかないと思われる。
曲に沿った説明文になってるかの判断も考えると結局人間が審査しているだろう。
多少あるかもしれないが君たちの曲との質を比べてみろ。
そのクリエイターが居なくなった所で君たちがそこの枠に入ることはまず無いぞ。
意図的なノイズは説明文に記載しろと書いてる。
私はルール読んでませんよと言ってるようなものだ。
説明文は審査員に向けてではない。音楽を分かってない大多数の購入側に向けてだ。
自分よがりの音楽、アーティスト性のある音楽はAudiostockでは厳しいだろう。
「そういう音楽を求めてる人もいるかもしれないだろ」と思う輩もいるだろうが、
そういった音楽はクリエイター本人直接依頼するので素材サイトなど使わない。
「品質が基準を満たしていないためAudiostockでの掲載を見送らせていただきます。」
といった不合格用のテンプレがある。これが来たら君の曲はクソと言われてると思っていい。
少し調整したところで受かることはまずないだろう。(審査員ガチャで運よく受かるかもしれないが)
このテンプレに対して「何が問題なのかわからないので修正しようが無い」と言ってる人がいたが、全部問題なんだよ諦めろ。
ミックスを変えて何度も投稿している人もいたが根本的に曲がクソだから味付け変えたところで意味ねーよ。自信があるなら祈りながら審査員ガチャ回しとけ。
つらつらとAudiostock側を擁護するような視点で書いたが、もちろん不満点もある。
英語のボーカルサンプルを使う場合ぶっちゃけ入力がめんどくさい。
使う人そこまで考えてないと思うよ? 反社会的な内容だったらダメだろうけどそれも混みで買う人の自己責任かと。
そして声ネタですら記載必須とは。なおかつタイム表記も必須ってめんどくさい。
生徒の話だとボーカルチョップですら内容を書けと言われたとか。
曲の最初は0.5秒以内、最後は5秒以内に収まってないと確実にリテイクになる。
せめて最初は1秒くらいあってもいいのでは?と思う。
せめて1000円刻みでいいからパターンが欲しい。これは審査とは関係ない。
言いたいことはわかるがもう少し言い方があるだろ。これも審査とは関係ない。
審査で落ちたり合格したりする人は自分の曲のクオリティを疑え。
「自分のクオリティは極端に低い」と自認するところから始まる。
何が悪いのかわからない時はAudiiostockに投稿しているクオリティの高い人に聞いてもらえ。
仲間内で聞いてもらったところで悪くは言えないからヨイショされるのがオチだ。
クソクオリティが一朝一夕で向上することはまずない。
一年、少なくとも半年はひたすら勉強、研究しろ。
ただ、品質はどうあれ曲を作れるのは普通に凄いことなのだ。そこは誇れ。
]]>ただ審査基準が謎なのは同意
特に準決勝までは不透明すぎるから逆にあってもいいかもだよね
]]>自分が大学に進むときには、親に相談した。
そもそも国公立しか無理だぞと言い聞かされていたし
受験のパンフレットをみても
受験料やら入学金、寄付金なんて考えただけでも私立は無理だ。
となって国公立を受験。
奨学金も調べて特定の職や教職になれば返さなくて良いというのがあったし
親の年収も審査基準になってた気がする。
親も学資保険に入っていたり、子としても県民寮とか学生寮を選んで
小遣いはバイトで稼いで、といったことをしていたなぁと記憶してるんだけど。
金のことを考えずに私立大学に行って奨学金もらって
あげくに奨学金は返せないです、そもそも返す気ないです。なんで返さないといけないんですか。
政府が悪いです。
という理屈が全く理解できない。
親がいない子はどうなんですか!みたいなのもあるけど
朝日新聞奨学生のように新聞配達しながら大学行くとか足長募金の奨学金とか
そんなのもあった気がする。
そういう子の方がバイトもちゃんとして勉強も出来ていたし
なんというか
奨学金もらうって将来のために頑張る人の制度だと思ってたけど
今の奨学金って
返す必要ないぞーとか美味しいことで釣ってるわけなのかな?
そんなことないよね?
]]>あなたの提示した論点は適切なものだと思うし、こういう議論がもっとされるべきだと思う。駅の広告としてふさわしくないと万人が納得する例としては、個人情報を暴露するような個人の権利を侵害するもの、人間や動物の死体の画像など万人が不快に思うもの、AVや風俗店の広告など露骨に性的なものがあげられると思う。一方で、特に性的な要素がない2次元美少女イラストは広告にしても問題ないと言えるだろう。規制の線を引くとすればこの間にあるべきで、個人的には問題になった雀魂の広告には性的な意図があると思うしアウト寄りだと思う。
]]>JRは広告出稿にあたり既に審査を設けていてそれをクリアしないと出稿できないんだけど、
外部の人間が審査基準を変更させるならある程度説得力を持った論説を用意する必要があると思うよ。
たぶん基準変更のポイントになるのは他者を羞恥させるかどうかで、性的消費および性差別を助長する表現だから、という方向では厳しいように見えるんだよね。
個人的には色んなジャンルの識者を集めてシンポジウムでも開いて議論してほしいんだけども。
少なくともtwitterで炎上させてもしょうがない。
]]>多数派の場合は、多数決で民主的にそれができます。
少数派でも侵せないものを自由権として守るのです。
たとえば今だと多数決ならとある宗教を「邪教」として禁止さえできそうですよね。でも、多数決でも、「内心で信仰させろ」「儀式は続けさせろ」までは侵せない理由付けが「自由」です。
https://twitter.com/jikapan/status/1583275451552006144
反多数決主義の難点という議論がアメリカで古くからある。選挙で選ばれていない裁判官がなにゆえ選挙で選ばれた国民代表議会の法律を覆すことができるのか、というやつである。これは、単なる哲学的問題ではない。19世紀末から20世紀前半にかけて、産業資本の著しい発展の弊害が顕在化してきた。それに対して立法的対処を行ったところ、裁判所が「契約の自由」を盾にしてそれを違憲にしたところから来ている。
もう少し具体的に言おう。ニューヨーク州議会が、パン屋の労働時間を規制する法律を作った。一日10時間、週60時間までという規制である。これに反して処罰を受けたあるパン工場経営者は、労働者をどのくらい働かせるかについては、契約の自由があるのだからそのような規制は違憲であると主張した。そして連邦最高裁はその主張を認めたのである。このような判例法理が通用した時代のことを、この著名判例(Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905))の名前をとってロックナー時代という。
すったもんだの末、ロックナー判決は否定されるに至る。どのように否定されたかというと、これがある意味羮に懲りて膾を吹くというようなやり方なのである。すなわち、裁判所は議会の制定した法律については、原則として合憲の推定を与える。議会制定法については、①目的が正当か、②目的と手段が合理的に関連しているか、しか裁判所は審査しない。換言すれば、手段の必要最小限度性を要求しないということであり、まことに緩い審査基準である。こうなるとまたしても困った事態が発生する。確かに、労働関係の規制については、そのくらいゆるい審査で良いかもしれない。しかし、議会に自らの利益を代表してもらうことができないような少数派の利益を押し潰すような法律を議会が作った場合も、そんな緩い審査基準を適用して良いのだろうか。連邦最高裁は、戦前の判例の中で、キャロリーヌ・プロダクツ判決(脱脂粉乳の規制に関する法律が問題になったのだが、それは措く)の脚注4で、人種的・宗教的あるいはその他の少数者の利益が問題になった場合などは、別の処理をするかもしれませんよ(この事件はそういう人が問題になっていないが)、ということを仄めかしている(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938))。
このような戦前のアメリカの判例を取り入れて始まったのが有名な二重の基準論である。二重の基準論は、精神的自由については厳格な審査を、経済的自由については合理性審査をという図式として受容されているのだが、実際には、一般的には裁判所は合理性の基準という緩い審査しか行わないが、政治過程の中で不利になっている少数者の利益が問題になる場合は、審査基準を厳格化する、というものなのである。一般論としては合理性の審査しかしない、というのがミソなのである。
芦部説はこのような議論を巧妙に換骨奪胎(?)し、精神的自由の制限は、政治過程そのものを傷つけるおそれがあるから、原則として審査基準が厳格化する、という議論を立てた。こういった議論はアメリカにも見られる。ところが、これを逆に考えると、精神的自由の制限であっても、政治過程そのものを傷つけるおそれがない場合には、裁判所は合理性基準で審査するべきだ、ということにならないだろうか(ロバート・ボークというある意味悪名高い裁判官が直球でそういうことを言っている)。これが問題になる典型的な事例が「わいせつ」である。少なくともハード・コア・ポルノ※に関しては、その禁止が政治過程を傷つけるとは言えないだろう(アメリカの場合、猥褻obscenityに該当する言論については、第一修正によって保護されないので、合理性審査すらしなくても良いということになっているのだが、それは措く)。わいせつの規制は、精神的自由の制限ではあるが、厳格審査に服しないというのが、反多数決主義の難点に対して一般に合理性審査を行うという解決法を用意した司法審査論の帰結となる。
ハード・コア・ポルノに対する規制を(も)廃止するべきだと考える者が、表現の自由論や民主主義を素朴に信奉するのも考え物である。一般論として合理性審査をもたらす反多数決主義の難点という論点それ事態を疑ってかかる、つまり、多数決によって事態が進行する議会政、多数決主義それ自体を排撃したり、あるいは、ハード・コア・ポルノの規制に対しても厳格な審査をもたらすような議論を何とかして立てるほかあるまい※。そういうことをしない表現の自由の信奉者は、表現の自由で戦死せざるを得ない。
※長谷部恭男『憲法』などを読むと、刑法175条違憲論が、単なる「表現の自由」によって支えられているわけではないということが分かる。
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