はてなキーワード: 家事とは
女はこういうもんだという概念にそわないと旧時代の身勝手なリクツで責められると
一人でやる家事は当たり前の生活だけど、それが結婚となると評価と叱責を伴う苦痛な義務仕事になるようなイメージを勝手に思い描いてた
「男の体臭が臭い」から「1日十回風呂に入れ」 がダメなんだよ
「女は体格が男より小さい」から「外で仕事なんかしないで家事育児でもしてろ」だとダメなの
バカの思いつきも大概にしてくれ。
友人Aの友人という経緯で仲良くなった子が境界性人格障害だと思った
「本物」をみたという気持ちになった。
あれはみんな口を揃えて「関わるな、逃げろ」っていうんだなと思った。
結果的に私がその子をブロックした後、その子は私の友人Cに連絡している。
怖すぎる
ボダの被害に遭った人と共感して「ボダってこう言うところやばくない?」と言い合いたいがインターネットで調べたら調べなくてもいいぐらい全く同じ症状が出てきた
ボダの魅力って「この子優しいな〜」とか「この子まともだな〜」って最初がちで思うっていうか、詐欺にひっかる人ってこういう感じなんだなと。
「あなただけにしか言ってない」「他にこの話できるのってあなたしかいない」ってよく言われたり、家族、元カレの悪口や過去にあった嫌な思い出の話を一方的に話してきて、返信してないのに追撃でどんどん連絡がきて少しこの子おかしいな?と思った時にはすでに時遅しで、朝起きたら10件ぐらい連絡きて最後は必ず「送りすぎだね、気をつける!」が毎日。。。。
最終的に、養って生活費全面出して一緒に暮らしてる元彼(当時はまだ付き合ってた人)がいるのに家事もご飯も作らないで、
毎日酒飲んで体が二日酔いでだるくなって動けなくなり私に「男が私に家事してって言ってくるムカつく」とか言って私の我慢の限界になり
「やることやってから酒飲むなり遊ぶなりしなよ。お金を稼ぐのって大変なことなんだよ」って言ったらそれがマウントに捉えられたらしく、一方的な罵声の怒鳴り電話をしてきたり、呪いの儀式とかしてるみたい。
そして、その「やることやんなよ」っていう私の文章のスクショをとって第三者に「こんなこと言われた!あいつにいじめられてる!」って騒いでるみたいだけど、
一瞬追記にしたけど、今さら追記にしたとて誰も見ていないだろうから、みんなの反応を受けて思ったことを新しくここに書くようにする。
・「手伝う」という表現は主従を感じさせる、主体性を感じないのでよくない(「分担」のような表現にしたほうがいい)
濃淡はあれど、皆の意見はだいたいこの辺りに収束しているように思う。
一部を除いて、どれも確かにと思うような内容ばかりだった!ありがとう!
前提をそこまで詳しく書いていなかったんだけど、
我が家では明確な家事・育児の分担がほとんど存在せず(ゼロではないけど)、その時に手が空いていたり元気なほうがやるという形式。
そのため〇〇は私の仕事というよりは、(いま手が空いているから)〇〇やっとくね、という感じで、お互いお手伝い感覚だったし、そんな感覚なので〇〇やってくれてありがとうという言葉が飛び交う関係性を築けている。
とはいえそんなの家庭外の人には知ったことじゃないし、「夫は手伝ってくれる」という表現は特にワンオペ等で苦労した女性にとって、家事は女の仕事と言われているように感じて不快だろうなーとも思うので、増田も妻も表現には気をつけるつもり。
雑談の中でそこまで「正確な」表現にこだわるべきか?というと、そこまでしなくていいかもしれないけど。
話は少し変わって、妻から見た増田(夫)の家事・育児の分担割合を知りたいブコメがごく少数いたけど、増田も気になったので妻に聞いてみると、増田(夫)が家事8割程度、育児6割程度やっているように感じてくれている模様(実際にはそこまではやっていないと思う、たぶん多めに言ってくれている)。
自分が思っているより実際にやっている割合のほうが少なかったら嫌だなと思って聞いてみたけど、おそらく下駄を履かせてもらったとはいえ、半分程度はやれていそうで安心した!
「入浴時、左脳の血流量増加による反芻思考過多に起因するストレス、疲労感、の経験的回避」という仮説。
シャワーは浴びるけど入浴はしない。という状況を風呂キャンセルと定義。
入浴時、身体が温まることで血流が全身に巡り、特に脳への血流量が増加する。
左脳は言語や論理的な思考を司り、入浴中の血流量増加に伴い、左脳の活動が活発化し、自動思考(勝手に瞬時に起こる考えやイメージ)や
反芻思考(ネガティブな出来事を繰り返し思い出して悩んでしまう考え)が誘発されやすくなる。
入浴時は基本的に、注目する対象が少なく、自分と向き合うことになりやすく反芻思考や自動思考を止めづらい。
反芻思考の過剰な活性化は、ストレスホルモンの分泌を促し、結果的にストレスや疲労感を増大させる。
このような経験を回避するために風呂キャンセルを無意識に選択する。
これに、仕事や勉学、家事育児などの生活全般の疲れや、電気代ガス代水道代がかかるから、入浴時間が惜しいなど理由が合わさって、
”手伝う”は「他人の仕事を助けて一緒に働く。手助けをする。助力する。」なので、他人がやることを助けるというニュアンスになる。そのため手伝うでは主体性がないと指摘される。
夫も妻も家事育児を”自分がやるべきこと”だと認識おり手伝ってもらっているということだと思うが、一般的には妻が家事育児をやるものという認識があるため誤解が生まれる。
例えば、皿洗いを隔週交代で担当するとして、皿洗いを手伝うと表現するか?担当が決まっており、他人のする皿洗いを助けているわけではないので、手伝うとは表現しない。
いや、子どもがいる家庭を想定していたんだけど、確かにそうだわ。片方が子どもの相手をしているからもう片方が家事に専念できるっていう状況を勝手に想定していた。ありがとう。
全然ちがくね?
家事⇒自分のペースでできる。労働集約型。が、自分から取り掛からなければならないためダルい。家電の近代化でやろうと思えばかなり自動化できる。
育児⇒子どものペースに左右される。(特に子どもがまだ小さいと)思い通りにいかなかったり予想外の動きをされて困ることが多い。家事と比べると自動化には限りがある。
書いていて思ったけど「育児」の範囲の広さよ。個人的には子どもが小さいうちは(例:未就学まで)「育児」の方がしんどい。「その家事全部俺がやるから子どもの相手してほしいー」って何度思ったことか。思っただけだけど。
きのう妻の職場で「夫が家事育児を行うか?」という話題になったらしく、妻が「うちの夫は家事も育児も手伝ってくれる」と言ったら、職場の人から「手伝うんじゃなくて主体的にやらせないとダメ」と言われたそう。
私(夫)の感覚的には家事6〜7割程度、育児3〜4割程度やってるし、妻も私が家事育児をこなしている認識だから、表現方法の問題でダメ夫の烙印を(一時的にだけど)押された。
そんなこともあって、「手伝う」という表現はそんなにダメなのかな?ということを昨晩夫婦で話していた。
片方がほぼ100%ではなく、二人で半々程度やってるからお互いに「手伝っている」という認識なんだけど、世間的には「家事育児を手伝う」という表現は顰蹙を買うものなのかな?
(追記)
に続きを書きました。
専業主婦の妻が昨日から体調崩してるんだけどちょっとモヤモヤする。
働いてたら急に休むのは奥の手なわけで明らかに熱が出たとかじゃないと休めないじゃん。
ましてや責任もなく毎日家中のことをやってるわけでもないわけで
調子悪いくらいで何日もぐだぐだしてんなよと思う。俺だって休みてーよ。
俺は働きながら家事もやってるんだし、なんかなー。