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2010-03-27

金儲けのためなら差別していいらしい

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20100327123058

商売上の戦略だからおkっていってる奴は女のほうが結婚出産退職しやすいから女を幹部候補正社員として雇わないのは経営上合理的。だから男女差別って批判するなって事なんだろうか。はんせん病の奴が泊まったら客減るから泊めないホテルってのも経営上合理的だから差別じゃないんだろうなあ。たぶん悪いのは偏見を持つ客であってホテル側が差別に加担したことにはならないとか思ってるんだろうな。

あと割り増しじゃなく割引ならおk見たいな意見もあるが、通常料金あげて割引すれば結局同じことだろうに。

全商品で特定の性別や人種だけ割り引いたら、実質賃金格差が出るけど、差別じゃないんだろうな。

昇進格差賃金格差差別に含めないなら、男女差別なんかほとんど残らないに思うが、こういう人達にとっての差別ってどういう状態の事なんだろうか。

2010-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20100227022243

デフレ貨幣価値独立事象じゃなくて、デフレ実質賃金独立事象の間違いでは?

貨幣価値金融引き締めをすれば生産性が上がろうが下がろうが上がる。

生活が豊かになる=貨幣価値が上がるじゃなくて生活が豊かになる=実質賃金が上がる。

グローバル化で安いものが入ってくるというのは実質価格の話で名目価格で安いものということにはならない。つまり、貨幣価値が上がったんじゃなくて輸入国の実質賃金が上がったということ。その不均衡が是正される場合も実質賃金が下がればいいだけで名目賃金が下がる必要はない。実質賃金が下がる場合も金融が十分緩和されてれば名目賃金まで下がらない。

2010-01-20

朝鮮生活水準日本の統治下で向上していた件

http://anond.hatelabo.jp/20100119124726

上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。

日本植民地経営朝鮮人の暮らしは悪化したのか?

植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。

水田開発や農業技術の向上は、ほとんど朝鮮の民生向上に繋がりませんでした。そのことは統計数字が示しています。

最初にいただいた反論は、日本植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。

  • 朝鮮人所有の土地面積が減少している。
  • 工業化は大して進まず、民族資本もあまりたいしたことがない。
  • 日本統治化で、米の消費量はむしろ減っている。

まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。

また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。

重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。

で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮生活水準大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、

この論文では日本統治下での朝鮮大衆生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆生活水準植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。

言うまでもなく、識字率とはハングル識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまい言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者アマルティア・セン生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率栄養摂取などに着目しようというものだ。

ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人健康を損ねるレベルカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。

一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。

これらの要素から、木村教授アマルティア・センの基準に基づいて、

日韓併合後、日本の統治下で、韓国生活水準は損なわれた側面も当然あったにせよ、全体としては改善されたと結論付けている。

M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.

http://www.jstor.org/stable/2122408

日本植民地経営だけが素晴らしかったのか

日本英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義排外主義の立場の人の言い分ですね。

しかし香港シンガポール英国植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。

経済発展の結果を以て日本植民地経営の良さを言えるのであれば、英国植民地経営もまた良かったことになります。

でも英国植民地が悪い見本であると言うなら、日本だってどっこいどっこいなんじゃないかと。

この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリス植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツフランスベルギーオランダ、そしてポルトガルアフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチ宗主国フランスである。

http://www.jstor.org/stable/2724912

日本の統治はどう有益だったのか

北朝鮮」も日本植民地でしたが、先進国になっていますか。

あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人努力の賜物だとも言えますよね。

まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。

教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。

後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリー引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。

前段については、「北朝鮮経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国経済成長韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験技術、各種インフラ教育制度官僚機構などを日本植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。

2009-12-22

デフレ下の貨幣錯覚

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51333370.html

マイルドインフレが望ましいのは、貨幣錯覚によって実質賃金や実質債務を切り下げて企業収益を上げる効果があるからだが、それは調整コスト節約するだけで大した問題ではない。

マイルドインフレ下の貨幣錯覚は少なくともプラスの効果をもたらすが、デフレ下の貨幣錯覚はどうだろうか。素人なりに考えてみた。

賃金について考えると実質賃金の維持のためには名目賃金の引き下げが必要ということになる。しかし貨幣錯覚がある以上、名目賃金の引き下げは従業員の不満を招くことになり困難。だとすると賃下げではなく新規採用抑制に向かうと考えられる。つまりデフレ下の貨幣錯覚失業率(特に若年者)の増大につながるわけで、これは日本の状況にも合致していると思う。

債務の場合には貨幣錯覚以前の問題で、物価連動債以外はデフレで実質債務負担が増えるため、新規の投資抑制することになり経済にとっては明らかにマイナスになる。

これだけの問題がある以上、

デフレ自体は善でも悪でもなく、

などというのは誤りで、デフレ問題に全力で取り組むべきだろう。

2009-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20090723231609

元増田です。

米が下がっても肉野菜家電や服や家賃も下がるなら実質の収入が減るとはいえなくなる。実質賃金が下がらないなら結局仕事価値が下がったことにもならないはず。

うん、それは否定しないけど、生活が苦しくなるものは存在すると思う。いろんなものの価値はなだらかに下がっていくけれど、新技術や新商品の先頭には稼ぐ余地がある。

いいたかったことは、

  • 技術の進展が起こっていると、常に高効率化と新商品開発をしているものしか余裕のある生活はできない。
  • そして、先進国の新商品開発はもうあまり功を奏さなくなってきている

ということと、

  • いままでは世界の一部だけで陳腐化がおこってたから、途上国がなぜか苦しくなってたけど、グローバル化のせいで、国に限らず世界的な規模で貧と富の移動が行われてる

ということ。ちょっと書き方間違えたかな。

でも家賃は面白いよね。今書いたこととあんま関係がないみたい。不動産は持ってれば富を生むようでいて、その時々の経済の動向でころころ変わる。賭け事の一種みたいなものだと思ってる。

2009-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20090723202823

世の中が便利になっても働く時間が減らないのは、働いて得られる収入が減るから。昔、働いて出来た仕事が、世の中が便利になれば、簡単に出来るようになるから、仕事価値が下がる(物が安くなったり、同じ値段でも機能が高くなったり)。例えば、米が増産できるようになったら、値段が下がった。米農家収入が減った。兼業したり、規模を増やしたり、他の商品作物を作ったりするようになった。商品作物を作る農家が増えると、また別の商品作物を導入した。同じことがほとんどの業種に言える。

あらゆる業種でそれが起きれば生活は苦しくならないだろう。米が下がっても肉野菜家電や服や家賃も下がるなら実質の収入が減るとはいえなくなる。実質賃金が下がらないなら結局仕事価値が下がったことにもならないはず。一部だけ切り取って考えるからマクロ経済がわからなくなる。買う側売る側の両方を考えないとだめ。

2009-01-27

[][]競争力生産性、時々床屋

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫

経済概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場競争している産業生産性は、貿易対象にならないサービス産業生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。

先進国床屋途上国床屋より何倍も稼ぐのは、先進国世界市場競争してる製造業生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない床屋に、ずっと高い賃金水準をもたらす、と言うのは誤解か。

この誤解って、一向になくならないよな。

競争力とか生産性重要だ、と言う人ってたくさんいる。

マクロ経済学って、難しいね。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業生産性は、製造業労働者実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカ製造業生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカ製造業労働者実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業生産性、あるいは貿易対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。

製造業貿易対象になる産業を特別視するのは間違いか。

でも普段の経済ニュースではこれと全く逆だよな。

2008-08-19

”大きな誤り”の始まり

 標題は竹中氏が定期的に公表しているポリシーウォッチ(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080818/plc0808180311001-n1.htm)のタイトルだが、今回の議論は承服できない。

 まず竹中氏は、政策の基本的な方向という点について、中国と同じく我が国も大きなリスクに直面していると述べる。経済の弱さは08年第2四半期のGDP統計にも現われているとおりである。近年のGDP統計の弱さについては、対前期比で見ても対前年同期比で見ても景気の弱さが現われているという点はその通りだろう。

 続けて、竹中氏は1990年当時の日本経済は、政策の大きな方向を誤ったがゆえに「失われた10年」を経験したと述べる。氏曰く、「当時は二つの誤った政策、つまり一つは好況投資など政府による財政支出を拡大するという偏ったマクロ政策であり、もう一つは97年の消費税引き上げをきっかけに財政再建に走ったこと」とのことである。そして、現在は「日本経済運営の大きな誤りをもたらした「ばらまき派」と「増税派」が要職を占めていることが政策の基本的方向を誤るというリスクをもたらしている」とのことである。このような言葉を耳にすると、小泉政権時にも歳出削減を柱とした財政再建策が構造改革の一環として採用されていたが、この点はどのように考えればよいのかという疑問が浮かぶ。

 さて、竹中氏の論説の中で、最もいただけない箇所は次の記述である。

危惧(きぐ)される具体的事例が、目の前で起こりつつある。原油価格高騰などに対する救済措置だ。原油価格の高騰で、漁業関係者らに大きな影響が出ているのは事実である。しかし経済政策として重要な点は、今回のように輸入価格が上昇し「交易条件」が悪化している下では、国民生活水準低下は避けられないという事実である。厳しいが、これが資源輸入国の現実なのだ。政治指導者国民に、「我慢しよう。歯を食いしばって、これをしのごう」とまず訴えなければならない。にもかかわらず現状は、国民に対し痛みに耐えることを訴える政治勢力は皆無である。与党野党もばらまき型の政策を求め、一部メディアもこれをあおっている。

 まず「我慢しよう。歯を食いしばってこれをしのごう」という発想は、小泉政権の下で「構造改革なくして成長なし」と唱えた際の「今我慢すれば(構造改革の結果)きっと良くなる」という考え方と同根であることに留意すべきだ。

「交易条件」が悪化している下では、国民生活水準低下は避けられないという事実はその通りだが、問題はこの「交易条件」の悪化は甘受せざるをえない痛みなのかという点である。竹中氏は「米国経済が回復すれば日本の景気は良くなる」と論じる与謝野氏を批判しているが、今般の原油価格高騰を避けることが出来ない問題であると捉えている点においては与謝野氏と同じ穴の狢であり、竹中氏も同様に批判されるべきである。

 そして、「歯を食いしばってこれをしのごうと言うべきだ」という発想は、「政府が自ら無為無策であることを主張せよ」といっているに等しい。そしてこれは「原油価格上昇という供給ショックは黙って甘受すべきであり、その環境条件で淘汰される企業があれば致し方ない、相対価格自律的調整が進むまでショックを耐え忍ぶことが必要で、構造改革を徹底的に進めるのが必要である」という我が国において根強く生き残っている清算主義という魔物を体現したものに他ならないのだ。言うまでもなく、清算主義が不況脱却において「無理筋」の考え方であることは大恐慌における教訓や、我が国の長期停滞の経験から実証済みである。

 90年代以降の長期停滞期の経験に鑑みれば、バラマキ政策は景気の下支え以上の効果を持ち得なかったことは明らかだろう。そして景気悪化局面での増税は、更なる奈落の底へと日本経済をいざなうことも明らかだろう。さらに、現状に対してひたすら耐えることを国民に要求することも誤りなのである。

 では、どうしたらよいのだろうか。基本的な経済学が教えるところによれば、輸入価格上昇による交易条件の悪化、つまり購買力の低下に対しては、購買力を向上させる政策を採ればよいのである。購買力を向上させる政策とは言うまでも無く金融緩和策である。

 金融緩和により市中に流通するマネーサプライの量を増加させることが出来れば、人々はそれを貨幣として溜め込むのではなく何かしらの形で消費しようとするだろう。失業率が十分に高い水準にあるのならば、実質賃金の低下を通じて失業率は低下し、家計の平均的な購買力は増加する。さらに失業率が十分低い水準(3%前後)に到達すれば、金融緩和は雇用者の賃金自体の上昇をもたらすことで家計購買力はさらに増加する。購買力の増加は、基本的には相対価格に影響を与えないと考えられる。しかし価格高騰が進む原材料は、我が国の家計にとって必需財でありかつ非競争輸入財としての性格を有している。家計にとって一定量の支出が必要であるということが価格上昇による購買力の低下を現在実感させている一因であるが、所得上昇が明確になればこれまで支出が出来なかった奢侈品・娯楽品への支出が進むだろう。このような効果は原材料に対する他財の相対価格を低める圧力をもたらすことになる。

 原材料価格高騰のショックがなぜ問題なのかといえば、原材料価格が他財と比較して急激に上昇することで、他財の原材料価格に対する相対価格(原材料価格/他財価格)が高まるためである。では、このショックを緩和するにはどうしたらよいのだろうか。

 一つには技術革新といった手段で原材料価格自体を引き下げることである。これは原材料に対する他財の相対価格が高騰した現状を緩和させることを意味している。しかし、原材料価格自体を引き下げていくのは短期的には容易ではなく、竹中氏が言うように「我慢しよう。歯を食いしばってこれをしのごう。」と国民にこれまで以上の負担を要請することになってしまう。そしてこのような政策が効果をもたらすのは技術革新が伴う以上長い時間がかかり、そしてこの政策を推し進めるのは原材料価格以外の財の価格ベースではマイルドデフレにある我が国経済にとっては得策ではない。

 原材料価格高騰のインパクト(つまり原材料の他財に対する相対価格の高騰)を押さえるもう一つの方法は、他財の価格押し上げることである。原材料価格ではなく他財の価格押し上げることは、原材料価格自体を抑制するという方法と同様に、原材料価格の他財に対する相対価格の上昇を抑えることに繋がる。そしてこの、他財の価格押し上げることは、GDPデフレーター、CPIコアコアといった国内財価格デフレに陥っている我が国の内需を掘り起こすことに寄与し、失われた購買力を回復させることに繋がるのだ。

 このような原材料価格と他財との間の相対価格の調整は、産業構造の調整を伴うという意味である程度の時間が必要かもしれない。しかしながら、金融緩和策を進めることは、相対価格一定の元で購買力を上昇させ、原材料価格高騰の影響を和らげる。ノーベル経済学賞受賞者でもあるアカロフ教授は、マイルドインフレ効用として相対価格の調整がより進み易くなる点を指摘しているが、現在の我が国においてCPIコアコア、GDPデフレータで見た物価指数マイルドデフレを示しているのであれば、そのような状況からの脱却を目指す金融緩和策は相対価格の調整がスムーズに為されるのを後押しするのではないかと思うのである。

 竹中氏の議論は、「失われた十年」で得た教訓を全く踏まえていないという点でご自身が批判しているバラマキ政策や財政再建派と同じではないだろうか。そして論説を読んで、竹中氏の「構造改革」を支える思想国民に痛みを強いるものでしかないということにも改めて失望した次第である。これではリフレ政策をいくら取り入れたところで結局の所掛け声だけで終わってしまったのは当たり前だ。繰返しになるが、GDPデフレーターやCPIコアコアといった指標でマイルドデフレが続いている我が国において原材料価格高騰による購買力の低下を抑制するための政策手段を採ることはたやすい。金融緩和を行えばさらにCPIは上昇しインフレが進むのではと懸念する向きもあるかもしれないがそれは杞憂である。欧米諸国のCPIの伸びはヘッドラインで4%??5%だが、我が国は前年同月比で2%の伸びである。そして欧米CPIコア(我が国のコアコアに相当する)は2%程度だが、我が国のCPIコアコアの伸びは0.1%に過ぎない。さらにGDPデフレーターがマイナスである国は何処にもないのだ。

 政府として今何を議論すべきだろうか。当然ながら、同じ狢同士で批判しあうことではないのは明白である。金融政策は政府からの独立性が付与された日銀によって為されているという点は留保すべきだが、以上の論点を考慮に入れれば、政府検討課題として金融緩和を行うための具体的政策手段としてどのようなものがあり得るのかという点も少しは議論の俎上に乗せても良いのではないだろうか。90年代の誤りがなぜ生じたのか、それは、経済政策における金融政策の有効性を過度に軽視するという大きな誤りを見過ごしたためである。だからこそ90年代の誤りは起きたのである。交易条件の悪化という事実の前で、自ら国民に対して痛みを求めるという無為無策をつまびらかにすることこそ愚の骨頂である。勇気を持って経済問題に対して果敢に戦った先人が居たことを忘れるべきではなく、そして我が国のリーダー勇気を持って果断に金融緩和の実行を論じ、そのための具体的政策を実現していくために何をすべきかという点も考慮に入れても良いのではないだろうか。金融政策の決定に対して異論があれば、政策決定会合における議決延期請求権の行使や、極論かもしれないが、例えば政府紙幣の発行、国債発行による日銀引受けといった策もある。現状空席となっている副総裁・審議委員の席を埋めることや、政府による政策目的の独立性を発揮する重要な機会でもある総裁・副総裁・審議委員の任命がスムーズに行くように制度整備を進めることも重要だ。

 先程、「金融政策は政府からの独立性が付与された日銀によって為されている」と指摘したが、日銀が与えられている独立性は政策手段の独立性であり、政策目的の独立性ではないことに注意すべきである。政策目的政府認識を一にすることが望ましく、正しい政策目的は正しい現状認識と正しい将来の見通しから育まれるものである。昨日の金融政策決定会合においても日銀経済見通しを下方修正しつつ現状維持を決定したが、これまでデフレ脱却が進まなかった大きな理由は、日銀が判断の根拠である経済見通しを常に楽観的に捉え、その結果として性急な金融引締め(量的緩和解除→利上げ)を行ったことではなかっただろうか。02年以降の景気回復期におけるメインエンジン外需だと言われるところであり、昨今景況悪化のリスク要因として取りざたされているのは原材料価格の高騰やサブプライムローン問題といった海外経済の景況悪化であるが、我が国の景況悪化要因として国内政策の要因も影響している可能性も排除できず、寧ろ現在の状況は外需の低迷が鮮明になったことで元々隠されていた内需の弱さが顕在化したとも捉えることが出来るのではないだろうか。

 景気対策として効果を持ちうる規模の財政政策を行うのであれば、名目成長率が低下している現状では政策目的であるプライマリバランスの黒字化を放棄せざるを得ないだろう。景気対策財政再建ジレンマに直面すれば結局のところ最低限の政策しか行うことが出来ず支出した金は無駄金になる懸念すらあり、景気後退が顕在化している中で増税を行うのは論外だろう。以上を踏まえれば、竹中氏のバラマキ政策・財政再建派への指摘は正しいだろう。但しデフレ脱却を主要政策課題の一つとして掲げ、そのための政策努力日銀に対して在任中求めてきた竹中氏だからこそ、景気後退色が濃厚になった現状において「歯を食いしばってこれをしのごう」という更なる痛みを強いるような議論を聞きたくはないと感じるのは自分だけだろうか。論説のタイトル通り、今回の選択が「大きな誤り」の始まりにならないことを祈念するばかりである。

(※)沢山のブクマが付いていて驚きますが(汗、文章を修正しました。ご容赦を。

2008-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20080807201830

すべての商品値上げして人件費増やしても実質賃金で見ると意味なくね?

結局値上げも労働者の敵だろ。

2008-06-20

競争力生産性、時々床屋

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫

経済概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場競争している産業の生産性は、貿易の対象にならないサービス産業生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業の賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。

先進国床屋途上国床屋より何倍も稼ぐのは、先進国世界市場競争してる製造業生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない床屋に、ずっと高い賃金水準をもたらす、と言うのは誤解か。

この誤解って、一向になくならないよな。

競争力とか生産性重要だ、と言う人ってたくさんいる。

マクロ経済学って、難しいね。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業生産性は、製造業労働者実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカ製造業生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカ製造業労働者実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業の生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。

製造業、貿易の対象になる産業を特別視するのは間違いか。

でも普段の経済ニュースではこれと全く逆だよな。

2008-01-28

製造業賃金水準 クルーグマンプレストウィッツ、山形の説明

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫

経済概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場競争している産業の生産性は、貿易の対象にならないサービス産業生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業の賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業生産性は、製造業労働者実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカ製造業生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカ製造業労働者実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業の生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p117-p118(日経ビジネス人文庫

賃金はその国の平均生産性によって決まってくるのであって、ひとつの工場生産性によって決まるわけではない。ある国に最先端の工場がいくつかできても、その国の平均生産性はそれほど上昇せず、したがって、賃金が高くなるとは予想されない(そして、全体的な生産性は低くても、小数の製品アメリカに近い生産性を達成できた国は、そうした製品を輸出するのが通常である。経済学ではこれを比較優位と呼ぶ。)

プレストウィッツによると、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金らしい。

クルーグマンによると製造業生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱うのはよくないらしい。また、最先端の工場がいくつかできても、その国の平均生産性はそれほど上昇しないらしい。

山形浩生

日本床屋官僚ガーナの 20 倍稼ぐのは、生産性が 20 倍だからではありません。両者の生産性は似たようなもので、せいぜいが倍ってとこでしょう。

そこでぼくは、全体としての賃金水準がその経済の平均的な生産性で決まるんだと指摘しました。そしてその平均的な生産性押し上げている要因の大きな部分は、製造業生産性です。トヨタソニー任天堂が、ガーナでの相当産業(またはその他貿易財製造業)より何万倍も高いから、それが平均的な生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない他の職業についても、ずっと高い賃金水準をもたらすんだよ、と。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070219/p1

山形によると日本床屋官僚ガーナの 20 倍稼ぐのは、製造業が平均的な生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない他の職業についても、ずっと高い賃金水準をもたらすという事らしい。

2008-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20080113193059

一応つられておくがニートが使う金は一体どこから出てくるんだ?

低価格志向をやめて給料上がっても実質賃金変わらないんじゃないの?

収入倍でも支出も倍なら数字変わってるだけで生活楽になってないわけで結局社会全体で生活楽になるには生産性あがるしかない。

2007-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20071208135632

これ自分だけやれば倒産するだけじゃね?

社会全体ですれば物価も上がって実質賃金はあまりかわらないから、日本人外人並みの給料になるだろな。

今すでに進行中かもだが。

2007-02-20

賃金の決まり方

一般教養マクロ経済講義を受けただけのぼくが、一昨年買ったけど全く読んでなかったミクロ経済教科書片手に、論争の経済学的な面を経済学的に完全(誇張)に解説し、論争そのものがなんだったのかまとめてみせよう。(数式は基本的に使わず、微分じゃなくて差分で説明してます。)

まず経済学の一番の基本である需要と供給(wikipedia)は押さえておこう。需要、供給、均衡のとこと図に目を通せばいい。価格ごとに需要量や供給量が決まる。そしてそれぞれの曲線の交点が実現される量と価格になる、ってのを押さえればおk。あとわざわざ書いてないけど、これが労働市場にもあてはまって、その場合は価格が賃金で量が労働者の数となる、ってのも一応。

そして限界生産性の原理なのだが、まずは準備から。

1. 雇う労働者の数が決まれば生産物の量が決まる(生産関数)

ほんとうはもっと一般的に労働者以外の生産に必要なもの(生産要素)の数量にも生産量は影響されるんだけど、以下ではその辺は一定として考えるので気にしない。生産物というのは、例えば喫茶店だと客へのサービス全てのこと。

2. 1の関数から、雇っている労働者数ごとに、そこから1人雇う人を増やしたとき生産量がいくら増えるか決まる(限界生産性)

限界生産性というのはすでに雇ってる人数で変わってくるってのがポイント。(導関数なんだから当たり前だけど。)

ただ、今回の論争では限界生産性と言った時点で、すでに生産物の価格も入ってるようなので、売り上げ = 生産物の価格 * 生産量 ということにして

(※労働者以外の生産要素は一定として考えて、労働者だけ1人増やした場合と比べるのだけど、レストランなんかだといくら人数が増えても食材が一定じゃ生産物は増えようがないじゃない! とお思いの方は「生産物の価格」のとこを「生産物の価格 - 原材料の価格」としてくだされば以下の議論に支障はございません(売り上げと呼ぶのがちょっとアレになるけど)。)

2'. 1の関数から雇っている労働者数ごとに、そこから1人雇う人を増やしたとき売り上げがいくら増えるか決まる(限界生産性)

こっちを使う。生産したものは売れるということで、売れ残りとかは考えない。「限界生産性でなにかが決まる」といっても生産物の価格が入ってるので、価格に影響をあたえるものは、そのなにかが決まるにあたって影響することに注意。山形循環論法とか言ってた半分はそのこと。

そして賃金が限界生産性に等しくなるということを言うのにあと2つ必要:

3. 限界生産性は(労働者以外の要素が一定で)労働者が十分に多いとき、労働者がさらに増えるにしたがって下がっていく(限界生産性逓減の法則)

限界生産性ってのは従業員が増えたときの売り上げの増え方なわけだが、その増え方は徐々に減ってくということ。

4. 生産者(雇用主)は利益を最大化しようとする

これが重要。この仮定のもとで、労働者の価格(賃金)が与えられたとすると、もしも限界生産性がその労働者の価格よりも高いとすると、限界生産性ってのは労働者以外を一定にして労働者を1人増やしたときの売り上げの増加なわけだから(上の※も参照)、

売り上げの増加 = 限界生産性 > 労働者の価格 = コストの増加

となり、つまり1人増やしたほうが利益は増える。そうして 限界生産性 > 労働者の価格 である間は労働者の数を増やしていくわけだが、3 により次第に限界生産性は下がってくるので、最終的に 限界生産性 = 労働者の価格 となるところまで増える。(論理的にはイコールでなく≦となるんだけど、これは労働力連続的な量じゃなくて離散的な量にして、微分じゃなくて差分で限界生産性を定義したからで、あんまり本質的でもないし、大雑把に見ればイコールになるんだということで気にしないでくれ。) 限界生産性がその労働者の価格よりも低いときは、従業員を減らすとコスト減が売り上げ減より大きく、利益が増えることになるので、減らしていって結局イコールらへんで落ち着く。

というわけで、限界生産性原理が出てくるわけだがこれってどういうことだろう? 限界生産性で賃金が決まったんだろうか? 賃金は最初に与えられたとしたのに? 普通に考えて、決まったのは、ある賃金のもとで雇おうとする労働者の数だ。つまり決まったのはこの生産者の企業の労働需要(曲線)なのだ。wikipediaの労働経済学のとこにも

労働の需要主体は企業である。ミクロ経済学によれば、企業の労働需要(雇用量)は実質賃金限界生産力が一致するように決定される。

と書いてある。(その下に賃金決定の理論というのも書いてあるがとりあえずそれはスルー。) もちろん教科書にも普通に同じ意味のことが書いてある。

ここまでくれば賃金の決まり方はわかったようなもんだ。需要と供給で決まる、ってそれは最初からわかってるか。わかったのは、限界生産性が賃金と等しくなるということと、賃金は需要と供給で決まるということの関係だ。

限界生産性は各企業の労働需要曲線を決める。そしてこれを足し合わせればマクロな需要曲線がでてくる。足すってのは価格ごとの需要量を足す。でも、なんでも足し合わせればいいんじゃなくて、同じような労働力の需要について足す。プログラマーだとか、経理がわかる人だとか、コンビニ店員ができる人(ほとんど誰でもいい)とか。あと地域もある程度限定して足すもんだろう。そんな風にすれば首都圏で働けるプログラマーマクロな需要曲線なんかがでてくる。そしてそれと供給曲線の交点によって賃金が決まるってなわけだ。

ここで供給曲線というものにも注意。さっき、限界生産性でなにか(ってのは賃金じゃなくて労働需要曲線)が決まるとしても、生産物の価格が影響すると書いたが、賃金が決まるにはさらに供給曲線の影響もある。半分って書いたのはそういうこと。

というわけでそろそろ論争のまとめ。上に見てきたように、賃金は限界生産性に関することと供給曲線と生産物の価格(これは2'の定義だと限界生産性のとこに含まれ、2だと含まれない。けどどっちにせよ影響はする)によって決まる。山形の最初の議論は、供給曲線と生産物の価格(これらには関係がある)に関することで、それが賃金に効いてくるということだった。それに対し池田は賃金は限界生産性で決まるんだ、とイチャモンをつけた。つまり山形のそれに対する反論のとおりで批判になってない、ってことだろう。あとはなんかごちゃごちゃ言い合ってただけ。

…。まとめとかいってもすでにありふれた見解で全然面白くねーよって? そうですね。そうでした。ついでに池田の間違ってるっぽい発言を(山形あやしいのは多いのだけど、間違ってるってほどでもない)挙げて、どう間違ってるか書こうかと思ってたんですが、もうかなり疲れてぐったりしてるので、探して挙げるのはやめます。

1つの企業だけ見れば、賃金は限界生産性によって決まるんじゃなく、世間の水準としてすでに決まってて(1つの企業の需要を足したところで影響は無いし)、限界生産性が等しくなるのは、雇う人数を調整するから。

というのが正しいのだけど、これと矛盾してるあたりです。各自で読んでください。ぼくが思うには池田限界生産性原理のなんたるかがわかってません。山形限界生産性自体がなんかあやしい(「各人の限界生産性を足しあわせて平均することになりますな」とか。意味が通るように「各人の限界生産性」ってのを好意的に解釈することもできるけど…)。

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