イスラム教徒、2100年には最大勢力 世界の宗教人口予測
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H0I_W5A400C1EAF000/
]]>・欧米の結婚では「愛を神に誓う」が、日本の結婚は愛など前提にしていない
・日本は同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない
・憲法改正なしで同性婚を導入するべきではない
キリスト教、というかカトリック教徒における結婚は「配偶者への永遠の愛を神に誓う」儀式によって成立する。
「健やかな時も、病める時も~」っていいうやつだ。
プロテスタントも結婚式を教会で挙げるので、本質は変わっていない。
欧米人にとっては神に愛を誓うことで結婚は成立するのである。
言い換えると愛する者同士は結婚する風習がある。
(もちろん、実際に愛し合っているかは問題ではない)
欧米において、同性愛者同士が愛し合っているなら結婚を認めることは文化的に筋が通っている。
一方、日本は歴史的に「結婚式」が存在していなかった。
結納や夫婦のみでの三々九度的なものや宴会は存在していたが、神前や人前での儀式は存在しない。
現在の神前式はキリスト教の結婚式を参考にして明治時代に開発されたものである。
近世以前の庶民の結婚ではハレの日が存在せず、淡々と同棲が始まることも普通だった。
大抵の結婚は家の都合や成り行きで決まり、ぬるりと「男女の組合せ」が「夫婦」となっていた。
これが日本の結婚で、そこに「愛を誓う」というプロセスは存在しない。
このように「欧米の結婚」と「日本の結婚」は、「カミ」と「GOD」、「保険」と「共済」のように似て異なる風習である。
同性愛者が「我々は愛し合っているから結婚したいのだ」と主張しても、「日本の結婚」からは「まあ、嫌い合っているよりはいいかもですね」という感想が出て来るだけであろう。
日本は歴史的に男性同士の同性愛をタブーとしていない。
それに加えて、日本は嫡子を跡継ぎにすることへの拘りが弱く、それなりの武家であっても養子を迎えて跡継ぎに据えることも多かった。
この2つから考えると、日本では男性同士の結婚が行われ、養子を跡継ぎにする事例が多々発生していてもおかしくない。
何故発生しなかったのか。
しっかり供給しろという気持ちでいっぱいである。
しかしながら、現実は非情だ。
そのようなことは起きなかった。
日本では同性婚のハードルが低かったにも関わらず、発生しなかった。
日本においては男性同士の同性愛が広まっていたにも関わらず、男性同士の結婚が発生しなかった。
そして、男女は愛と関係なく結婚をしてきた。
欧米では愛する者同士が結婚するという風習から同性婚が認められることは妥当性があるが、日本においてはそのような風習がないため、「日本の結婚」が同性婚を認める理屈がない。
「日本の結婚」は男女間のみに発生する風習であったから、憲法は「両性の合意のみ」と定義したのである。
それでは同性婚を日本で実現するにはどうするべきか。
憲法改正が正道である。
政治上のテクニカルな手法では「憲法24条は同性同士の結婚を禁止するものではない」という解釈で「法律上の結婚」において同性婚の導入は可能であろう。
逆に言えば、法律で同性婚を禁止することも実現可能なのだ。
憲法改正がなければ、同性愛者はそのような不安定な立場に立たされる。
「日本の結婚」に同性婚を取り入れるのであれば、国民投票による憲法改正が必須だ。
国民投票を経れば、同性婚は日本の新たな風習として始まっていく。
時が経てば、胸を張って「同性同士の結婚は我が国の風習で、国民投票で認められている」と言えるようになるだろう。
個人的に「欧米に倣って同性婚を導入しよう」というのが気に食わない。
日本でホモフォビアが決定的になった理由は、欧米に倣ったからである。
その過ちを全く反省せず、脳死で「欧米では~」と同性婚を導入しようとするなら、それは愚かとしか言いようがない。
何より同性愛者をバカにしている。
イスラームは2070年から2100年の間に世界最大の宗教人口となる見込みだ。
彼らの圧倒的多数派が同性愛を禁止している。
「日本の結婚」に同性愛をしっかりと組み込んでおかなければ、50年後に「世界では~」と言って同性愛を禁止するであろう。
同性愛者は遠い国の人達ではない。
隣人が末永く安心して夫婦(夫々、婦々とかいう呼び方になるのか? これも決めなければならない)でいられるよう、しっかりとした地盤を作っておこう。
長文読了感謝。
旧統一教会問題を追及する紀藤正樹弁護士は一連の会見に「宗教人として重要な守秘義務がされていない」とバッサリ。
さらに新教区長に任命された20名の教区長についても
「女性がいない。これは統一教会の教義である男尊女卑を表している」
と厳しく批判した。
ちょっとわらた
]]>宗教人が共産党支持する会 仏教、天理教、キリスト教 対話と共同のかけ橋に 奈良
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-02-27/14_02.html
]]>宗教人と共産党 対話 仏教・キリスト教・神道・天理教…幅広く 田村副委員長・山添参院東京選挙区予定候補が参加 東京
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-06-07/2016060701_04_1.html
部下が有能ぞろいだから余計に思うのかもしれないけど、秀吉とか家康と比較しても、信長本人に戦略的才能とか壮絶な政治力とか、まして武芸の才能とかカリスマ的統治能力とか、別にそれほどなかったのでは? 桶狭間なんてぶっちゃけ運で勝ったって最近言われてるようだし、他では戦でそれほど成果上げてないし、宗教人の怒り買いまくって反乱されて対応しきれないから逆ギレで虐殺して一層ひどい目に遭う無能だし、無警戒にヨーロッパ人に教会作らせまくったせいで国を亡ぼしかけたし、人望ないから人に裏切られてしまいには寝首掻かれて死ぬし。なのに、戦国の梟雄として、日本の項羽か何かみたいな扱い受けて今でも妙に人気が高い。まあ、銃に目を付けるとか楽市楽座で経済回すとか海外との交流に積極的とか権威に捉われず明確に統一目指したとか、それなりに頭柔らかかったのがすごいのかもしれないけど、それってむしろ「何の才能も無い無職だけど田舎守護の息子に転生したので現代知識で内政チートしてみた」感しかなくて、信長本人は割とキングだったんじゃね?って思いを深めるんだよね。本人的にはいつそれがバレるかドキドキしてたせいで、あんなに短気な性格になって人を寄せ付けなかったのかも、とか想像してみたら、信長=キング説はちょっと面白い。
]]>何度も書いているけどと書いてあるのを適当にピックアップしただけで本当に何度も書かれているかは確認していない
]]>クライアントに寄り添うだけなら、医師免許がなくとも、飲み屋のねーちゃんも、宗教人も、占い師でもやっている。
患者向けでなく、医療従事者に対しての文章を書くのが、春日武彦、信田さよ子なのさ。
医師免許を持ってんだから、単なる共感以外の仕事を行わなければ。
]]>宗教人口1名。創造主と付喪神が同居しているような雑な宗教で、しかし戒律だけはやたら厳しく私は日々その戒律に従い行動している。
戒律を破りたければ、戒律を破る前に教祖と相談して色々な理由を付け戒律を変更する。
酔っ払ってうっかり戒律を破ったときは自我が崩壊して死ぬ。
私の考えが知りたいと私に絡んでくる人は、私が私の宗教と戒律に基づいて下した結論に対し、なぜそんな風に考えるのか、どうしてそう思ったのか、とかめちゃめちゃしつこく食い下がって尋ねてくるので、私は仕方なく普段秘密にしている宗教の話をしてあげる。
他人の考えを理解したいとはそういうことだ。
育ってきた環境も信じている神も言葉を使う文脈も全部違う人間の考えをなぜさらっと理解できると思い込んでいるのか甚だ疑問だが、理解したいならまず宗教の話から聞いてもらう。
ほら、少数民族の文化とか紹介する系のあれも結局信仰の話から入るじゃん?
世のことわりに対する認識が違うんだよお前とは。
でもそうやって宗教の話をして差し上げると、あんなに熱烈にあなたの考えを理解したいと言ってた人々はドン引きしていなくなってしまう。
とっても寂しい。
寂しい。せっかく一生懸命説明してあげたのに。
]]>5月の令和への改元の時にも同様の声明が出されており、意見を異にする牧師の方が記事を書いていました。
キリスト教界の反日的な傾向(1)~その原因を探る~
https://salty-japan.net/2019/05/05/anti-japanese1inchristiancommunity/
キリスト教界の反日的な傾向(2)~その原因を探る~
https://salty-japan.net/2019/05/13/anti-japanese2inchristiancommunity/
日本キリスト教協議会(NCC)などが声明を出すが、NCCは個別のキリスト教組織の連合体であり、各団体の
NCC担当者や議長や委員会が声明を出している。キリスト者の総意と思われても迷惑するものもいる。
NCC総幹事の金性済(キム・ソンジェ)牧師が5月の記者会見の場で、
「若者は天皇制や立憲民主主義の問題を語っても聞く耳を持たない。日本国内の日本人自身の市民運動で
自己完結できるのか。隣の韓国をはじめ北東アジアと国を越えて一緒に考えていくのが一つの突破口」
という趣旨の話をしたが、韓国と区別する北東アジアとは北朝鮮のことではないのか。
在日大韓基督教会は李仁夏牧師のもとでNCCに加盟、後に李仁夏牧師はNCC議長となる。
現在、NCC総幹事である金性済(キム・ソンジェ)牧師は、かつて李仁夏牧師が赴任していた川崎教会の後任牧師。
彼らの持つ韓国独自の神学は、韓国でも少数派となる進歩的「民衆神学」派、親北朝鮮のグループゆえに、
現在の文在寅政権になる前まではKCIAの監視が厳しかった。
李仁夏牧師がNCC議長を務めた当時WCCの会議において日本のNCCがホスト役になって、北朝鮮のキリスト教団体
である朝鮮基督教連盟とコンタクトを取り始めた。
はたして、北朝鮮に「本物のキリスト教団体」が北朝鮮政府によって公認されるだろうか?
1970年代、金日成ら北朝鮮の指導者たちは、宗教人が皆いなくなったので宗教をも存在しないと公言。
しかし南北対話の道筋がつくと対外工作組織として朝鮮基督教徒連盟を設立し、キリスト教徒がいると発表。
金日成の姻戚で朝鮮基督教徒連盟を作った牧師の康良煜(カンリャンウク)こそが、1972年南北赤十字大会で
北朝鮮でのキリスト教消滅を宣言したその人である。
耳目をひきそうなところを要約すると、こうですが、本文も長いですがわかりやすい記事なので是非ご一読ください。
天皇制や政教分離について意見を述べたら「反日」だとは増田も思いません。
天皇行事の宗教性や祭事に対しての公金支出に関しては増田も大いに議論があって良いと思いますが、乗る叩き台に
ついても素性を吟味したいですね。
]]>宗教人が集まった宗教団体のコミュニティ部分だけをオタクに当てはめただけで、宗教要素が無いような気がする。
皮肉かもしれないけど。
]]>2004-07-06
日本人の多くが宗教を敵視するのは、すでに宗教人だからである。
]]>自国でしか役に立たないし他所の国のチェックなんてできないんじゃない?
]]>女性専用車両の意味を勝手に決められても、法律でも鉄道会社の広報でも何を示すかは明らかにしてるんだから。
]]>人間の構造的バグだと思う。
良い表現。これがある限り宗教人口は増え続けるんだろうな。
]]>なるほどね。
最初は戦後の名前を引き合いにだしてるのか思ったが、グーグル先生で調べてみるとどうもそれとは違った「大日教」が存在したようだ。
同じbotのつぶやきには「大日教祖杉本と信者某との質疑応答」とあるので、教祖の名前が違うからだ。
(大日然教教祖を調べると「折茂なみ」となっている)
あとは戦前の「天津教」皇祖皇太神宮天津教 - Wikipedia
(現 皇祖皇太神宮天津教)が戦後の一時期は「宗教法人大日教」という名称だったのでこれかと思ったが、教祖名も違う。
とにかく、一次ソースが気になる。
んで、色々とネット上の情報だけで調べてみた結果、@hukei_botは「昭和特高弾圧史」からの抜粋であることは間違いなさそうだ。
Googleブックス(書籍検索)で「昭和特高弾圧史, 第 4 巻」を引き出し、書籍内検索で「杉本」と検索すれば同じ内容が引っ掛かる。
現在のGoogleブックスは著作権のある書籍は全文表示ができないから(開始当時は見えちゃった気がする)ブツ切りのような情報しか得られないのが難点。
同じく「特高外事月報」と合わせて見ると、全日教教祖は1942年当時60歳、起訴時東京在住、滋賀県出身の大日行者、杉本金治郎というのが裁判記録らしきものから分かる。
他、この宗教の手がかり的な部分の抜粋
「昭和特高弾圧史, 第 4 巻」
108 ページ
... は神去り給ひてより其の誠が大日如来に包摂せられ其の如来は宇宙に瀰漫せる大
自然の誠にして人類並に一切の物を創造し且永遠に之が霊的及現実支配を為たりと
称し、大日教なる教理を創説し爾後之が宣布に努め来たりたるものなる処、該教理たる
や大 ...
「特高外事月報」
59 ページ
... 知得したりと構し、大日教なる教理を創説し衛後之が宣布に努め来たりたるものなる
慮、該教理たるや大日如来は宇宙に瀬夏せる大 ... 四月頃道了奪が大日如来なることを
悟り、大日如来の信仰に韓ずると共に大日如来の霊に感應権力に別記治安維持法違反
事件 ... 三月十九日警視聴に於て検挙送局したる宗教結社大日教のも決して少とせず。
CiNiiでも引っ掛かった。
CiNii 論文 - 内務省による宗教弾圧 : 創価学会の場合を事例として
CiNii 論文 - 宗教法人法の改正をめぐる問題点 : 宗教団体に対する管理の要素の導入の有無と是非(松本保三先生退職記念号)
戦前・戦中の宗教弾圧の歴史を語る上で出てくるみたいだよ。
1942年の治安維持法違反・大日教事件として記録されている。
しかしまあ、通常のGoogle検索では引っ掛かららんのだね。
戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表) - Wikipedia
↑これにも出てこなくって、忘れられた宗教みたいだ(前述の竹内文書教のせいもあるだろう)
疲れたのでこれまで。
(追記)
ちょっと馬鹿なこと書いちゃったかもしれない。
大本教も創価学会も重要人物が獄死しているんだった。
(追記2)
↑当時60歳というのが厳しいだろう。
宗教団体法とか治安維持法について知っていたけど、ちょいちょいググってみて、改めてこのあたり軽く考えてたな、と思ったりした。
追加の情報としては
「昭和特高弾圧史: 宗教人にたいする弾圧」
28 ページ
明石博隆, 松浦総三 て、此の大日もその為に行を積んでゐるのである、その修行も半ば
に至ってゐるから纏て太平ハ、大日が ... が昭和二、三年頃以降全宇宙に於ける最高至
本金治郎当六十年の主宰する大日如来信者の集団「大平山大日教」の布教内容に ...
「大平山大日教」ともいう様子。「大日教」が「大日経」の意味で使われる事が多いからかな。
https://www.google.com/#tbm=bks&q=%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%95%99]
]]>○参考人(鷹司信輔君) 私は神社本庁の鷹司として参りましたので、神社、神道のものの考えといたしましてこの点を申上げたいと思います。
この問題につきましては、是非日本の伝統を保有して行きたいと考えております。併し私共は決してキリスト紀元を排斥するものではございません。キリスト紀元の便利なところもございますので、現在のように元号式の年代表示法と、キリスト紀元法とを適宜に併用して行くのがよいと考えております。日本の元号は千三百何年の長い伝伝統を持つておりますのでありまして、それは国民の象徴と仰ぐ陛下の御名によりまして常に公布せられました。これは決して天皇主権などというような権力関係のものとは思われません。朝廷から兵馬の権も政治の権力も全く消え失せた時代にありましても、日本人は元号だけは朝廷の公布せられましたところに従つております。官公文書はもとより私人の往復文書、日記等何にでも元号を用いておりました。神社人も仏教徒も又キリスト教徒もこれを用いて怪しまなかつたのでございます。国民のあらゆる党派、教派の人々が如何なる対立関係に立つた場合でも、多くは元号だけは同一のものを用いておりました。このあたりに国民統合の象徴というような意義も感ぜられるのでございます。英国におきましては、公文書にエドワード七世第何年とかジヨージ六世三年とかいうように、君主の在位年限を以て年代を表示する方法が用いられておるようでございます。法学書や歴史文献におきましても、そのような年代表示法がキリスト紀元と併用されて用いられておる例が決して少くありません。その一般的な普及程度においては、大小の差こそあれ、これは日本の現行の一世一元の制と本質的には同様のものであろうと思われるのであります。英国では外交的文書や條約文書等は勿論キリスト紀元一本で君主の年号を用いないのでありますが、日本におきましても同様でよいと思います。外交文書には現在でも公式にキリスト紀元が用いられております。キリスト紀元を採用せねばならんからといつて必ずしも日本式の元号を廃止せねばならんとは考えられないのでございます。
我々神道人といたしましては、キリスト紀元による年代表示の方法が外交文書で用いられようと、学校の教科書や年表で用いられようと決してこれに反対するものではありません。我々の間におきましても年表的な場所では大いに利用しておるのでございますが、あらゆる場合にキリスト紀元一本に統一されて強制されるということは到底承服しがたいのでございます。キリスト紀元一本になるという法案は、必ずしも政教分離の憲法に反するものではないという理論は、理論としては成立ち得ると思います。政教分離の米国におきましてもキリスト紀元を用いております。又キリスト教に対してはむしろ反抗的でさえあつたナチス、ドイツでもキリスト紀元を用いておりましたし、又反宗教無神論者の指導下にあるソ連邦においてさえもキリスト紀元を用いられておるのであります。元号とか紀元というものは、少くとも近代国家においては政治的主権というような問題には直接的な関係を持つものではないと申せます。併しながら我が日本の国民感情を考えますと、決してドイツやソ連と同様には行かないと思うのであります。ドイツやソ連では、過去におきまして長いキリスト教文化の伝統がありましたので、国民はキリスト紀元を用いても、それがキリスト教という一宗教に特殊な関係を持つておるということを全く感じない程までになつておるのでございます。非キリスト教的な宗教教派が別段に存在しないからでありましよう。ところが我が日本におきましては、国民の圧倒的多数が神道と仏教に属しております。キリスト教徒は全日本人口のうちの僅々百分の一に過ぎんのでございます。ここで今後は一切キリスト紀元を用いる。少くとも公式文書ではキリスト紀元以外のものを用いてはならんということになると、神道人や仏教徒は何んだか、国家が特にキリスト教を支持しておるように感ずるでありましよう。これは法理論的に申すのではございません。感情の問題と申すべきでございましようが、政教分離の憲法の円滑なる連用という点から考えますと、このような感情問題も極めて愼重を要することと存じます。
今日では国家の公式文書に用いられるのと同様の元号が、神道人、仏教徒、キリスト教徒のいずれによりましても用いられておりますが、国家がキリスト紀元一本で行くことになりますと、神道や仏教では自然国家と別の年代表示法を持つことになりましよう。神社の祝祠などにキリスト紀元を用いたり、仏教寺院の墓碑銘にキリスト紀元を用いることは、我々宗教人として想像し得ないことでございます。現にこの問題が新聞紙上に報道せられますと、全国の神社人や氏子、崇敬者から随分と熱心な反対意見を申し送つて参つております。過去の東京新聞社の世論調査でも、現在のままの元号を存置するがいいという意見が、キリスト紀元一本の意見よりも二倍以上も多いということを報道しております。これはキリスト教文化の伝統が浅く、神道や仏教徒の多い日本の世論としては当然のことであろうと存じます。元号とキリスト紀元の便利、不便利の問題や法理上の問題や議論は多いここと存じますが、私は全国の神社、神道人を代表する宗教人の立場といたしまして、神道人も仏教徒もキリスト教徒も、如何なる敵宗派に属する人も極めて自然に受入れることのできる元号を存続させて頂きたいと切に希望するものでございます。日本人のあらゆる政派、教宗派の人々がひとしく国民統合の象徴として仰いで来た皇室と縁りの深い元号が将来も尚用いられて行くことを我々は希望するものであります。右のような考えを持つております。
第007回国会 文部委員会 第8号
昭和二十五年三月二日(木曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/00703020804008c.html
]]>心の持ち方ってつまりは宗教だからね、そこんとこ理解しとけよ。お前の宗教人に押し付けんな。
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