はてなキーワード: 守護とは
こんなことは増田でしか書けない。先日、と言ってもコロナの前だから2月だけど、職場の同僚たちと数人で飲んでいた。その中に去年離婚した女性がいて、仮にAとしよう。Aは新しい彼氏候補を探していると言っていた。俺は、この場にいない同僚の男性の名前、Sを出して、「Sさんはどう?独身だよ」と勧めてみた。うちはときどき職場結婚もあり、職場の人間同士が付き合っても特に後ろめたさを感じない。
俺「そう?めっちゃいい人だと思うけど」
A「めっちゃいい人なのはわかる。でもSさんは、そういう対象じゃないかなー…ねえ?」
C(女)「うん、そうだね…。Sさんすごいいい人なんだけど、付き合うとかって、ちょっと考えられないかな…」
その場に居た女性陣全員がSさんを「付き合ったり結婚は考えられない」と暗に匂わしてきた。俺は悪気があってSさんの名前を出したつもりはなかったけど、なんとなくそうなるのかなとは薄々思っていた。
Sさんは、いわゆるインセルだ。うちには転職で入ってきたから俺より年上だけど、同僚ぐらいの感覚で会話をしている。今まで何度も転職を繰り返してきたらしい。Sさんは古典的なオタクで、世代的にはオタク第3世代にあたるのかな。エヴァの洗礼を受け、萌系全盛時に10代後半から20代前半を捧げたような。生涯で一番好きな作品は『守って守護月天』だと言っていた。若い頃から休日のアキバ通いを続けており、王道SFのスターウォーズや、特撮も超好き。あと全然関係ないけれど万年筆を集めていたりもする。今から考えると古いオタク。俺らが子供の頃には気持ち悪いオタクとして蔑まれていたけれど、現在は市民権を得ている。と思っていた。
確かにオタク趣味そのものが気持ち悪いとは言われなくなった。しかし、Sさんはいまだ恋愛対象として見られないらしい。Sさんにも彼女がいたことはあったそうで(中国人と言っていた)、誰しもがSさんを恋愛対象と見ないわけではないが、今回の飲み会での周りの反応を見る限り、Sさんはその生涯において、恋愛経験を積むのが難しかったのではないかと思う。だから勝手にインセルじゃないかと思っている。
モテるオタクはたくさんいて、顔がブサイクでも太っていても彼女いる人はたくさんいる。でもその中にはSさんみたいに、恋愛対象として見られない人がいる。カテゴリは全然関係ないのかもしれない。でもやはりブサイクとか気持ち悪いと言われる人の方が、インセルである確率は上がるんじゃないか。
俺はモテる方ではないが、経験人数は10人(プロを除いて)を超えている。付き合った人数は3人いる(1〜2年続いてフられる)。数は決して多くはない。だから、明らかにモテない側として今まで生きてきたし、周囲にもそう振る舞ってきた。だが、やはり素人童貞や彼女いない歴=年齢とは一線を画す。
よく「童貞をこじらせて」とか「モテない人間の逆恨み」みたいな例を出されたとき、まだ童貞だった10代のときは共感できた。でもそういうのを通り過ぎた今、「あれは若いときだけの悩み」という感覚に変わってしまっている。
しかし実際には、20代になっても30代になってもあの頃のままの人たちがいる。一昔前は「妖精になれる」と言われた人たち。彼らの人生を想像するだけで恐ろしい。若い盛りを「対象外」として過ごし、そのまま歳を重ねていく彼ら。その内側に募った感情というのは、もう想像を絶する。ただ恐怖だけがある。自分がいくら嫌なことがあったとか、苦労したとか、つらい経験をしたといっても、彼らの人生の悲惨さに比べたら、毛ほどの痛みもないんじゃないか。
それは例えば、ペニスを失う苦しみに近いのではないだろうか。彼らにはペニスはあっても、身体的快楽を得ることはできても、男性として人に好かれたりときめかれたり、愛されたりすることがない。「いい人だけど…」と言われながら男としては見られない。それが身近な一人や二人からではなく、誰からも、生涯において対象外とされる恐怖。そんな人生をどうやって生きていけばいいのだろう…。
意識の高いはてなー必読書って感じで出版されたときにさんざんブクマしたじゃないですか。
ファクトフルネス読んだはずなのになんでこいつらこうも読んだ本を無視してるんだ?って思ったよ。
いいかい?
目次だけ見ても全部とはいわんがこれブクマカじゃね?って心当たりがあると思うよ。
日本の治安の件では「ネガティブ本能」と「恐怖本能」が指摘されてたね。
グッドニュースはニュースバリューがないからメディアはついドラマチックなバッドニュースばかり伝えようとすること。
「悪い」と「良くなっている」は両立するということ。
詳しくは本読んでねって感じだけど。ていうか読んだやろ? 日々ブコメ書く前に思い出してな。
人々を2つのグループに分けて、その間には決して埋まらない溝があるに違いないと思い込む。
好きだよねーこういう話題。
よくやるよくやる。
子供にトンカチを持たせると何でも釘に見える。
自分の専門で何でも解決できるとつい思いがちだが、専門外のことは何も知らないものだ。
よく専門外のことにいっちょかみするよね。
物事が今のままであり続けるのはどうにもならない理由があるからで、昔からもこれからも永遠にそのままだってやつ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/20011
だから「アメリカと日本は韓半島を分断させ、南北統一されることを妨害しているんだ」は進歩派的には正しいけれど保守派的には”アメリカのおかげで韓国がある”ので間違い
訴えた生徒らが仁憲高校学生守護連合を立ち上げてほかの学校の生徒も参加して全国学生守護連合結成 #MeToo この学校だけが特別ではない
今回偏向政治教育を行ったのが全国教職員労働組合(全教組)と呼ばれる進歩派組織に所属する教師
文(進歩派)が積弊清算して差戻し、今や教科書検定する側になるまでに
「反日」がセンセーショナルだから見出しに使われるけれど訴えた内容的には偏向政治思想の強要
(反日もそうだけれど、文大統領万歳とかチョググ無罪とかの進歩派支持になることの強要)
韓国では財閥企業に入らないと人権はなくそのためには一流大学を卒業しなければならなく入学するためには内申点が高くないと試験のテストがいくら良くてもダメなため、それを人質に思想強制
外部の大人とか的には
反日だからニュースバリューがあるんじゃなくて学生が教育部に対して請願をだしたから
思想強制反対と訴えた学生に対して学校は社会奉仕措置…保護者にも特別教育
ソウルの教育長が進歩派で教師が行った教育は正しくて生徒が間違っていると発言
実際のところ、ジャンプ本誌で連載が始まった時点ではこの漫画を読む気にはなれなかった。
既にAmazon上のレビューに書いてある通りである。物語の中で語られる様々な専門用語、世界観に対する長大な説明、作者のエゴ、長年看板作家として一線を張り続けてきたプライドが裏目に出ている――などなど、実際にここまで既存のレビューが指摘していたかはともかく、本誌連載当初の時点での僕自身の評価も、これらのレビュアーの意見とそう変わるものではなかった。読みにくく、物語は柔らかさを主張しているようでその台詞回しは硬質で、目がところどころでセリフに行き詰まる――
でも、何故なのかこうも思えたのである。「連載話を一週間ごとにバラバラに読むのではなく、コミックスの形でしっかり腰を据えて読むことができるのであれば、これはひょっとすれば面白い作品に映る可能性を秘めているのではなかろうか」と。そして、実際にようやくコミックスを手に取りこの作品を読んだ時点での感想を述べさせてもらうならば、その予感は正しかったのである。
物語は星間飛行どころか銀河間航行ですら可能となった近未来であり、一部の人々は生身の身体を捨て自身にサイボーグ処置を施し強かに生きている。そんな世界において、自身に巨大な生命維持装置を直結させ、無数のチューブを接続していなければ生きられない少年、ハチマルが主人公である。もちろん、この作品のタイトルは黒澤明監督による『七人の侍』の文字りとなっている。
極めて脆弱な身体を持ちつつも、幼い頃から(身体の虚弱さのために熱中することとなった)全没入型VRゲームによって鍛えられた勝負勘と、反射神経は余人を凌駕する(アニメ作品『オーバーマン・キングゲイナー』のエピソードを彷彿とさせる)主人公にとって、この「サイボーグを是とする世界」は極めて相性が良く、やがて彼は類稀なる自身の戦闘センスを開花させていく。
ここでポイントとなるのは『三身一体』のキーワードである。本編において、「ロッカーボール」と呼ばれるエネルギー体によって自己改造を施したサイボーグ戦士のことを「侍」と呼ぶのであるが、この侍は単独では秘め持った力を十全に発揮することができないのである。ここでポイントとなるのが先程言及した『三身一体(勿論、これはキリスト教における神学的概念である「三位一体」をアレンジしたキーワードである)』という言葉で、侍は単独ではなく、追従型の動物を象った戦闘補助パートナーである「キーホルダー」と、侍の力の源である「ロッカーボール」に対する強い探知力を持った「姫」の両者と共にあることで、初めて「三身一体」となり力を発揮できる、といった物語の構造が示されているのだ。
「姫」は戦闘能力を持たないため、必ず侍と対になって守護される必要があり、そのために侍は自身の心を極限まで純化させ、「姫」を護衛する必要があるのである。この「純化」のプロセスが少年漫画の媒体にうってつけで、いわば虚仮の一念によって主人公は「強がり」を純然たる「強さ」へと純化していくのである。この辺りに少年漫画誌に長年連載を続けていた岸本氏のストーリー構築術の妙があると思わされる。
長くなったが、この作品に向けられたネットの悪評の多くは、これをコミックスという媒体で腰を据えて読むことによって引っくり返ること請け合いである。最近では某レンタルショップにおけるレンタルサービスもあることだし、是非ともコミックス媒体において、諸氏にはこの漫画に対する改めての評価を行ってほしいと思う。
逆に、歴史を書き換えた者こそが勝者になれる感じもしてて。その典型が明治維新。千数百年にわたって天皇が仏教の守護者だった歴史をなかったことにした。
日本の歴史は一旦GHQによって書き換えられたわけだけど、それをさらに上書きするための鉄砲玉が首相や萩生田周辺の幸福の科学とか日本会議なんだろう。日本人に最も親しまれている歴史書は教科書なんで。
彼らは高杉晋作ばりのヒロイズムに酔ってて、ドーパミンがドバドバ出てそう。ナチュラルにMDMA食ってる感じ。
公文書を気軽に破棄したり改ざんしたりするのは、少なくとも近代国家ではないということを自覚して欲しいとは思う。それを宣言したとして国民が受け入れるのかどうかは知らん。
4月25日(元暦2年3月24日) - 壇ノ浦の戦いに平氏一門が滅亡、安徳天皇が入水。
5月1日、中央アメリカ - 大西洋 - 中央アジアにかけて日食発生(1185年5月1日の日食)。
源頼朝の命により土佐坊昌俊、義経を襲撃するも失敗、後白河法皇より源義経頼朝追討の院宣を賜る。源頼朝大軍を発する。
7月18日(元暦2年6月20日)(玉葉巻四二など多数から)、
8月6日(元暦2年7月9日)(吾妻鏡巻四など多数から)、京都一帯に大地震(文治地震)。御所の建物も危険視され、園庭に幄を設けて御所とした。地割れが走り、液状化によって水吹き出す[1]。
9月8日(寿永2年8月20日) - 第82代後鳥羽天皇が即位(-1198年)
鎌倉幕府が成立した年とされる(ただし、どの出来事をもって鎌倉幕府の成立とみなすかの解釈に差異があるため、1180年、1183年、1185年、1190年、1192年と諸説ある。詳細は鎌倉幕府を参照)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1185%E5%B9%B4
イベント起こり過ぎでは?
そうだね。
でも実際問題として、もしもこの世界に安易に他人に「死ね」と言う人や、ミスをした人に対して「死んで詫びろ」という態度を取る人が一切居なくなったのなら、自殺する人の数は3割ぐらい減って今の7割ぐらいで済むようにはなるんじゃないかな。
自殺には多様な要因があるのは知ってるけども、『世の中全体を飛び交う安易に向けられる他人への殺意や嫌いな人間が死ぬことへの期待』はその中でも1、2を争うものだと思うよ。
あーでもどうだろうね。
『富裕層でない人間が健康で文化的な最低限度の生活を送るためには働くか、働くことが出来ないことを証明しつつ罵倒されながら生きるかの二択しか存在しないっていう状況』の方が死因としては強烈なのかもね。
『病気を始めとした身体的な苦痛』も結構な強さはあるんだろうけどなあ、うーん。
とりあえずこの辺がトップ3なんかね。
当選して二週間で「表現の自由」という自分の守備範囲ど真ん中にボールが飛んできたのに見事に何もせず、すべて終わってから毒にも薬にもならないコメント(脅迫を非難する言葉すらない!)をツイッターに投稿するという無能っぷりを発揮してしまった山田太郎さんの今後について考えてみたい。
「菊タブー」という言葉に代表されるように、日本で最も激しく時に暴力を伴って「表現の自由」を脅かしてきたのは極右だったというのは常識である。
「表現の自由」を守ると言って参議院議員になった山田太郎にとって、極右や公権力による「反日」表現への暴力や殺人をほのめかしての脅迫という問題は、真っ先に反応してみせるべき問題だったはずだ。
この問題に対して事実上何もせず、極右と重なる部分も大きい自分の支持層を気にして脅迫を非難することすらしなかった山田太郎は「表現の自由」について何もできない無能であるということを当選二週間で明らかにしてしまった。
山田太郎に名誉挽回の機会は与えられるだろうか?おそらくないだろう。山田太郎がその存在感を示すためには、以下のステップを踏む必要がある。
今回の件を通じて、山田太郎が自民党内で権力を持つ政治家に反対することすらできないヘタレであることは明らかになったし、そもそも今の自民党は党内からの異論を受け入れるような体制にはなっていない。待ちの姿勢でいる限り、山田太郎には永久に名誉挽回の機会はやってこないのである。
待ちの姿勢でいる限り、金輪際チャンスがやってこない山田太郎が活躍するためには攻めるしかない。
「表現の自由」に関する大きな問題で、支持層であるエロマンガ・エロゲー愛好者たちにもウケが良く、話題性も大きい問題とは何か。例えば刑法175条である。
第175条
1 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
刑法175条に関するよくある誤解として、刑法175条がなくなると子供がエロ本を読み放題になるというものがあるが、刑法175条はゾーニングについては一切触れていない。刑法175条は子供にエロ本を見せることを禁止する法律ではない。
もう一つの誤解が、「わいせつ」の定義である。日常会話で「わいせつ」と言った場合はエロ動画やエロマンガなど性的な描写を含むもの全般を指すが、刑法がいう「わいせつ」は事情が異なる。現状の警察による判断では、刑法上の「わいせつ」は無修正の性器が描写されているかどうかだけである。
だから、男女が性交をしている様子を映した動画でも性器にモザイクがかかっていれば「わいせつ」ではないし、芸術写真でも性器が無修正でうつっていれば「わいせつ」だというのが警察の考えである。
これはおかしいということは長く言われてきたことであるし、「表現の自由」への直接の侵害だと多くの人が訴えてきた。
もし山田太郎が主導したことで刑法175条が廃止されエロマンガ・エロゲー・エロ動画へのモザイクが不要になったとすれば、これはエロマンガ・エロゲーを愛好する支持者からも評価されるし、左派からも評価されるし、「表現の自由」に関心の無い一般国民からも評価されるだろう。
しかし当然この問題はそこまで簡単ではない。まず、「エロを無修正にするために活動しています」と大っぴらに言うのは世間体が悪い。選挙区内の女性有権者の印象を気にする議員はあまり積極的には賛同してくれないだろう(この点、比例選出でエロゲー・エロマンガ愛好家を支持者に持つ山田太郎は都合が良い)。
次に、日本コンテンツ審査センター(かつてのビデ倫)という天下り先を失うことになる警察とそこから献金を受ける自民党議員が猛反発するだろう。エロ動画からモザイクをなくすことは、警察から利権を奪うことにつながるのである。
これらの万難を排して刑法175条を廃止し、山田太郎が「表現の自由」の守護者としてその名を歴史に残せるか、正直に言うとあまり期待はできない。しかし、今回の件で失った名誉を取り戻すためにはそれくらいのホームランを打つ必要があるということもまた事実なのである。
最初は別に嫌いじゃなかったし、苦手とも思わなかったんですよ。
初めまして。トマレモです。
名前は、ちょうど目の前にあった、カゴメのトマト&レモネードドリンクから。
甘酸っぱくて美味しかったよ!
これは某グランドでオーダーな運命の二次創作で且つ、BLにも関する話なので、苦手な人、地雷な人、嫌悪感を覚える人は見ないでね。
そういう人で目に入っちゃった人は、速やかにバックして記憶をDELETEして下さい。
そして、私の言う「よく」は、大概、私のTwitterのタイムラインでのこと。
では、よろしくどーぞ。
えーと。うん、苦手じゃなかったんだよなぁ。帝都が来たあと、以龍か龍以か迷うくらいには。
でも、その後に、違う龍馬右のcpに轢かれて、そっちにどハマリしてから、ジリジリと苦手感が出てきた。
「なぁんかなあ……」
ってくらい。
これは、Twitterでフォロワーさんが、私の心境にドンピシャな呟きをしてたのを見て、「あーーー!!それーーー!!わかるーーー!!ありがとうございます!!」となったから、言語化しやすい部分。
ギャグにする人もたくさんいた、偶然誘われ忘れてしまった岡田以蔵。その立場を、私のタイムラインでは主に龍以の人が、かわいそかわいそしてお涙頂戴のネタにしてたのを見て、『あ、私はこれ、駄目だ合わない』と思った。
うん、ある時点では、それは間違いではないんだろう。龍馬は土佐を出た。以蔵は残った。
でもその後、史実ネタになるけれど、龍馬は以蔵に会って話をしてる。
龍以の人も以龍の人もこの辺ネタにするの好きだよね。「一緒に行こうよ」と手を差し伸べる龍馬。先生に義理立てしてか、その手を取らない以蔵。何回も色々なパターンを見た。泣いたこともあるよ。いい話は刺さるものだもん。
でも、ここで思う。
岡田以蔵よ、お前、どこが置いて行かれてんの?
先に出ていった。うん。でもその後に一生会えなかったわけじゃないだろ。
会いにきてくれて、何くれとなく、同じ未来を見ないかって話をきっとしただろうよ。
EXP先生の幕末むかしばなしでも、「土佐に戻ってこいよ」って言ってるコマあったじゃん。お前、望んで土佐に居たんだろう。望んで、武市に付き従ったんだろう。
自分で仕える相手を選び、単純バカ扱いに反駁せず、更には思考を放棄して、かと言って忠を貫き通せもせず。
それで、最後には原因は全部坂本龍馬で、おまんがわしを置いていったのが悪い???
どこの悲劇のヒロイン様だよ、勝手過ぎるだろうよ、その言い分。
そんでもって。
坂本龍馬は、抑止の守護者って立場で、記憶を保ってる。というのがよくある見解だよね。マイルームボイスでも明らかに、帝都のことを覚えてる感、ある。
帝都で、最後の最後で、かつての頃のように大切な幼なじみと笑いあえた。
それは、長く長く抑止力として過ごしてきたであろう龍馬にとって、どれだけぶりの、嬉しくて温かい記憶になったんだろう。
その記憶を持って、カルデアに来て、その近々の愛しい記憶を持たない、別人の同じ幼なじみに切り掛かられる。その別人とこれから仲間として戦っていく。
ねえ。どっちがしんどいよ、これ。
それで、イベントやらなんやら、基本突っかかって来るのは以蔵の方じゃん。
くっそ甘えてるよね。何かあれば「りょおまああああ!!」って叫んでさ。それで龍馬は、はいはいって来てくれる。
うん、以蔵スキーな方々は「素直になれないよね」と言ってるのをよく見る。
あれだけ、あれだけのことやらかしておいて(少なくとも、龍馬は手を出したりしてない。何か以蔵へきついことを言った訳でもない)、以蔵は自分勝手に頼るんだよ、龍馬を。
まあ、私は左右で言えば、右の立場に思い入れしやすい傾向がある。単純にキャラの好みとしても、龍馬の方が好きだ。
それにしたって、英霊の成り立ちやらエピソードやらがあるにしたって、横暴じゃない?
喧嘩して「自分、まだ怒ってるんですけど?」っていう面倒くさい奴かよ、被虐待児の試し行動かよ…どんだけ甘やかされりゃ気が済むのさ。
坂本龍馬、以蔵が本気で拒めば多分。「わかったよ」って離れてくれるよ。自分が寂しかろうと、それが大切な幼なじみの本当に願うことならね。(二次では、それを超えてくるところが尊い扱いされるやつね)
カルデアで以蔵から責められて、気をつかって、それでもぐだぐだ出身として一纏めに扱われて、その度にご挨拶代わりに何かにつけて大声で怒鳴られて文句言われて(以蔵にその意識はないだろうけど)さ。
そんなことが年がら年中起きてりゃ、そりゃあ、龍馬の方も疲れるだろうよ。偶然、思わず、誘いを忘れるくらいに。
というわけで、私の地雷蔵さんは多分、作者の同情をたっっっぷり詰め込んで「かわいそかわいそ、いぞーさんいいこいいこ、かわいいかわいい」されて造られる、ヒロイン蔵さんなんだろう、と自分の中で着地したわけだ。
スパダリ系・いっそ完全にクズ・ショタにポメなんかは、全然平気だしね。支部では今も、お世話になっておりますう。
てわけで、まあ、こんなのを読む人は居ないだろうけど、読んだ人が居たらお疲れさまでした。