はてなキーワード: 宅配ピザとは
オレの知り合いで、30年くらい前にカナダ留学いった人がいる。
全寮制同士の交換留学だったんでホストファミリーについては全く影が薄いんだけどいろいろおもしろかったってさ。
・留学生が最初に教えられる英語の洗礼をうけた(つまり初日に同級生が教えてくれる英語は全部Y語だった)
・将棋ができたためチェスも教えられればすぐ理解できた。初めて教えてもらってチェスをしたその日にまわりの生徒に勝ちまくった。最後は校内一チェスがつよい先生と対戦させられて勝った(どっかの転生する異世界もののエピソードか?)
・金持ち学校で周り中わがままめな男子生徒ばかりだったため宅配ピザをしょっちゅう頼む。(ピザを宅配していい寮だったので合法)
そいつらは腹がいっぱいになるとピザの耳は残す。だがブドウ・桃の皮はいちいち剥かずにそのまま食う(欧米人なので。「干しブドウは皮ごと食べるものだろう?生もそうだ」みたいな)。
雑な食生活にビビった(どっかの転生ものか?)が、腹が減ったら(男子高校生だからたいてい減ってるし)もったいない、残すのならもらっていいか、といってピザ耳をもらって食ってたら、それ以降、嫌いだったチーズが好きになった。
・毎週ヒムを歌わせられたが実家の法事の浄土真宗のお経同様、全く意味がわからんかった。
・帰りについでにアメリカにトランジット指定して観光したらグランドキャニオンに置き去りにされそうになってヒッチハイクでもどった。ベガスは昼みただけでキレイな建物がいっぱいあっただけとの印象。
・カナダには耳かきが売ってなかったので帰ってきてから一年ぶりに耳かきをしたら、耳垢が固まってcの字の形でずぽっと抜けてきた。(ひとつなぎのワンピースか?)
まあひととおり留学でありがちな(??)冒険をした話をきかされたわけだが相変わらずホストファミリーについては印象が薄いわけよ。
あれ、ファミリー感動エピソードとかないの?なんで?とおもっていろいろ聞き出したら
・交換留学していたカナダ人男子学生がエビの目玉を好んで食うアピール(日本人でもおいしくないぞあれ)。
それ以外の変人エピソードもたくさんあって、カナダ側に在学中はかなりの変人として有名だったらしい。
ああ、あの子はねぇ…悪い子じゃないんだけど(困)みたいにいわれてたんだと…。
そのエビ野郎と同等の能力をもつ日本人(謎の国民)が来るぞ!っていわれてたら
同級生もホストファミリーも結構、最初から警戒して付き合うわな、ってことだったらしい。
その上、全寮制とあって、知り合いとエビ野郎やホストファミリーは、直接会った時間がとても短い~ほぼゼロだそうで、それ以上は掘れなかった。
(寮監の先生にはよくしてもらったようだ)
で、その知り合いはなぜかその後カナダにいっても母校訪問などということもせず(バンクーバーから遠いし)、
先生の消息もホストファミリーの消息も一切ノータッチで生きている。
あと留学にいかせてくれた日本側母校の同窓会名簿にも載ってない。
いろいろ理由があるそうだが、一つは留学からもどってきてまた2年に編入されたため、留学前と後で二学年分の付き合いが薄く広くなりすぎて面倒だそうだ。へえ。
当たるなら饅頭BBAんちがよさそうね。という話。
サイゼのメニューがどう美味いと思ってるのか語って欲しいところ
ワイくんもおいしかった・すごくおいしかったしか、基本的に感想が無い人なの簡単でいいよ
チェーン店には行かないので名前は出したく無いけど高級店には別に行かないよ
Uberで2品で5千円くらいのお手頃な価格感のお店にしか行かないよ
丸鷄のディアボラチキン(悪魔焼きチキン)とか丸鷄のローズマリーのローストチキンとか
ポロ・アロスト(鷄の丸焼き)やポルケッタ(豚の丸焼き)などのグリル系が美味しい店が好きだよ
グリルも低温調理(基本はオーブンでじっくり火を通すのだけどお手頃なお店へ行ってるので低温調理でローストポーク出すところもある)も
クッッッソ面倒いのでもうこの時点で大好きだよ。一応、家にはスパイス各種あるけどする気がしないよ
香ばしくて脂が甘くて肉はしっとりしてるのが好きだよ
ラザーニャとかは好きだし美味しいなって思うけど特に感動したことは無いよ。ただ自分で作るよりは美味いよ(当たり前)
自分でラザーニャ作って食べる時はコマ肉叩いて作るよ。トマトソースは自分で作るけどホワイトソースは面倒いから買うよ
ラザーニャのパスタは自分で作る時と買う時半々だよ。もちろん既製品のが美味いよ
ピザはナポリピッツァをメインにしている店で食べるよ(そうじゃ無い店でついでに食べることもあるけど)
専用窯がある店で最低限水牛チーズを使っている店を利用するよ。でも別にカンパーニャ産じゃ無いとイヤとか無いよ
ワイくんは、宅配ピザのナポリの窯のゴルゴンサルサとかフツーに美味しく食べれる人だけど(ピザーラは嫌いだよ。アメリカン風日本ピザじゃなくてフツーにブルックリンピザなら食べるよ)
それでも選べる時は薪窯でオーナーのバックグラウンド(○○の店で働いてた、各種団体の認定を受けている、規模の大小はともかく海外で賞を獲ってる、現地で修行した等)がわかる店を選ぶよ
繰り返すけど誰が食べても違うからだよ
とにかく低価格限定で美味しいと思うものについて書くならイタリアン離れちゃうけど
『リスカ 徳用チョコ 30本』が好きだよ。ほぼ、うまい棒がチョコ掛けされてるヤツだよ
anond:20220214081325 anond:20220214081949 anond:20220214100751 anond:20220215095305 anond:20220215095450
同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後の世代』だと思っている私。
私は昭和の終わりかけに、関西の大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。
現在は幼児をもつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードをネットで見るにつけ、自分の育った地域や時代か現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。
まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身が病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。
母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。
母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。
運動会や宿泊保育、遠足、卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)
今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。
私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初は自分の子供時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。
保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。
まず、入学時に必要なもののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆や消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要な学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。
私の実家は貧乏ではなかった。後に書くが、学用品を無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。
ランドセルはデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんをしたことも覚えている。
それから『子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないかは自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリの同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生やさん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)
主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日と10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。
大人は集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会の最後はシュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったからちゃうかな』そんな理由だった。
小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生の制服に、別にその子の意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。
学校の道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアンの問題とか。私の子供が入学して教科書に名前を書いていたとき、道徳の教科書を何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分のときとの違いにまた地味に驚いた。
小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。
他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制の否定、国歌を教えない、卒業式の定番『仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。
ある日の子供会の集会のとき、『天皇制はおかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日が祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校が休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。
洗脳レベルの教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。
ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリの同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後の世代』だと書いたのだ。
理由は、狭山事件の容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。
一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。
母は私立高校を卒業しているが、『タダだった』らしい。無料だから私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校の無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所の授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?
それから、これは自分の家族にはいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。
母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。
江戸時代の身分制度の名残で同和問題や差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。
その後、高校、大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。
まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。
確かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西の大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。
確かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロの団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホのマップが普及するより前は、宅配ピザの配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。
そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。
人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚のときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。
結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。
私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子は貧乏でいじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校の同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。
これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達の情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。
私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。
すると母と伯母が、
『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子で旧姓増田やろ?増田のおっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃんは滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田のおっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』
『増田のおっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学の同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』
こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親の実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。
これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。
『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』
と、当たり前のことのように言われた。
同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。
解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会のポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。
今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟のコネで団地に簡単に入れるという話も聞かなくなった。
実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件のひとつも見たことがない。通り魔やひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別に『B地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。
イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。
改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか『普通の生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…
何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。
どうでもいいけど誰かの役に立つかもしれない話。です。
「ワキガ~♪ワキガ~♪」と言われた。さくらさくらの音程だった。
仲良しの女子が、「やめろよ!!」とそのバカを追い払ってくれた。
相当臭かったのだろうか?
みんなやさしかった。
あの時、クサいと思いながらも普通に仲良くしてくれてた友人たちには感謝しかない。
高校時代は、それなりにデオドラントとかしててあまりワキガに振り回されなかったが、
体育着が少し黄ばむ。
母がたらいでせっせと手洗いしてくれてた姿を見てしまったり、
クラスの女の子が「私も悩んでて、○○皮膚科のミョウバン水貰ってるよ!オススメ!」と教えてくれたり。
今思い出すと、愛に満ちていて泣けてくるもんだな。
上京して、恋やら愛やらに憧れて、人並みに恋愛したりしてたけど、
でも自分はワキガだから、恋も愛もしちゃダメなんだなーと思ってた。
遺伝して私の様に苦しく絶望する人生を生み出してしまう可能性に私は耐えられないだろうなと思った。
ぶっちゃけ死にたかったし。家族が好きだったから死ななかったけど。
ファッション誌にある「日帰りワキガ手術」の広告とか真剣に読んで泣いてた。
「でもワキガじゃないだけ幸せじゃない?」と捻くれた感想しかなかったし。
とんねるずのバラエティを見て、「もとさや」みたいなバラエティで、
どこかの芸能人が「手術しなよ〜」ってカジュアルに言ってて衝撃だった。
手術が当たり前なのか?泣いた。
当時、ADSLでネットをつなぎ、「ワキガ 手術」を知らべて、
その女性が手術を受けた病院がなんと私の住んでる家から徒歩3分くらいのところだった。
マジ運命じゃん。
どこのだれか知らないけど、その女性のブログで具体的に進む事ができた。
勤めてた会社には「実家に帰る」と嘘をついて有給休暇を取得した。
そして手術を受ける事にした。なんかすごい!私の行動力すごい!
手術当日の朝に、大量のカレーを作ったのを覚えてる。
他の人は、親が付き添いで来てるけど、
私は独りぼっちで心細かった。
手術が終わる。
脇を固定されて、上に動かせない状態で、何もできなかった。
看護婦さんが「寝て帰ったら?」と言ってくれて、しばらく寝てた。
着替えもできないし、風呂も入れないし、食べて寝るみたいな生活。
ちなみにうんこは、後ろから拭かず、前から拭くように教わった。結構大変だった。
何日かして、固定してたワキのギブスが外れた。
ズタズタに傷だらけの脇を見て、また泣いた。
「ここからは積極的に動かしなさい!」「脇の皮膚を伸ばしなさい!!」と言われた。
数日後、仕事も再開。
家の鴨居に手を掛けて伸ばしたり、つり革に手を掛けて伸ばしたり。
それなりにやってたけど、今考えるとあんまりやってなかったかもしれない。
仕事やめて世界一周旅行をしたり、まあ、「第二の人生だ!!」って感じで。
暑い国に行っても、どんなに過酷な旅しても、何日もシャワーを浴びなくても、汗臭くない人生になった。
手術はやってよかったと思う。
でも、その手術の痕、とくに左、
それはまるで、わき毛の剃り残しのぷつぷつみたいに見える。
皮膚の伸ばしが足りなかったのだろう。
そのぷよっとした部分をぎゅーって絞ると、
信じられないくらい臭い垢が出るのだ。くさーー!!うええーーー!
だけどずっと気になってた。
ノースリーブを着なくても半袖でもしチラッと見えてしまったらと思うのがイヤなのだ。
手術した病院に何度か相談に行ったけど、「手術するほどではないね。」と、
ベロベロに皮が剥ける軟膏だったりを毎回処方され、
その後、遠くに引っ越してしまって、その病院に行けなくなってしまった。
ここからが本題です。
ある時、鼻の毛穴の汚れがどうにかならないかなー?って思って、
1000円くらいの毛穴吸引器を買った。
鼻に使ったけどイマイチで、ふと思い立って、
「ワキにイケるかも!!」
一番吸引力がある小さいノズルでワキの垢を吸ってみた。
どこかの誰かが、ワキガの手術の痕で悩んでたら、
参考になればです。
⭐︎日曜日
19時半を過ぎるまでNetflixに熱中する妻。妻の提案で宅配ピザを取ることになった。まずは食べ収めということだろうか?
⭐︎月曜日
20時まで待っても妻が何もしないので選手交代。サラダ中心のご飯を作る。(妻の分も)
⭐︎火曜日
妻がコストコへ買い出しに行き、彼女が大好きなチーズケーキを買って帰ってきた。晩ご飯、チーズケーキ。
⭐︎水曜日
大容量のチーズケーキが一晩でなくなるはずもなく、再びの、晩ご飯チーズケーキ。
⭐︎木曜日
残業で遅くなる予定で作り置きを依頼し、了承を得る。しかし、21時に帰宅しても何も作られていなく、買い出しにも行ってないため冷蔵庫に何もない。夜遅くまでやっているスーパーマーケットに俺が行き、野菜と弁当を購入。
⭐︎金曜日
妻の提案で近所の中華料理をテイクアウト。受け取りに行くのは俺。
⭐︎土曜日
待てども待てども妻が用意をする気配がない。20時を過ぎたので選手交代。回鍋肉と茄子の煮浸しとサラダ。
というわけで、一週間で夕飯を用意したのは2日間だけ、それも既製品のチーズケーキが出てきただけだった。野菜中心にはならず、食事の内容は以前より悪くなった気がする。
何だったんだろう、先週の妻の張り切り様は。
宅配ピザはたいして旨くない
出前館とかウーバーイーツとか、いわゆるフードデリバリーサービスなんて、自分で買いに行けいいんだからいらないと思ってた。
でも、伸びる分野だろうとは思ってたので出前館の株を買っていて、優待券をもらったので使ってみることにした。
ちなみに優待券は1000円券が4枚。1注文につき1枚だけ使える。
うちは東京の田舎の方で、出前館を使えるお店の選択肢は少なく、ガスト、ピザハット、ピザーラ、銀のさらなどもともと宅配サービスをやってる店だけだった。
ピザハットで注文してみたが、どうみてもピザハットの配達員が配達に来た。
注文システムだけ使ってるという感じなんだろう。
ただこれはとても楽だと思った。
今日、弁当買いに行こうと思った時に、「買いに行くの面倒だな、出前館使っちゃおうかな」って思ったくらい。
買いに行くよりちょっと高くつくとは言え、自宅まで食べ物が運ばれてくるというのはとても便利なことなんだなと思った。
出前館のいいところは一つのアプリで注文から決済までが済むところだと思う。電話も苦手なんで人とのやりとりが極力少なくて済むのもいい。
そういう発想だからTERFにもなるんだろうな……といろいろ納得してしまった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1625581
差別反対を主張していた人がこんなにもあっさり差別的発想に転んじゃうのって、やっぱり本質的に「差別のない社会」がどういうことか理解できてなかったんじゃないかな。
差別というのは、「○○人の血は汚れている」のような根も葉もない生理的嫌悪感に基づくものから、「○○人の犯罪発生率は高い」という統計的事実に基づくものまで色々ある。
アメリカでは黒人の犯罪率は他の人種と比べて高い。だから、もしも「社会の多数派にとっての安全」を「差別の解消」よりも上位に置くのなら、黒人ばかりを狙って職質をかけたりするのは合理的な行動ということになる。それによって黒人の手になる犯罪が未然に防がれるのなら、社会はきっとより安全になるだろう。
別の例を挙げてみると、キャリアの途中で退職したり長期間の休暇を取ることの多い人びとを職場から排除すれば、組織の効率性は上がるだろう。原理主義者によるテロが頻繁に起きている宗教の信者の入国を拒否したり、彼らを集中的にスクリーニングすれば、多くの人がテロから救われるだろう。そして性犯罪の加害者になることの多い人びとを子どもと関わる職業から排除すれば、子どもの性被害の数は大幅に減るだろう。
問題は、それは差別だということだ。そのような対応は差別的であるため、批判され、場合によっては法規制もされる。差別は自由で民主的な社会にふさわしくないものであり、この社会からなくしていくべきである。
逆に言えば、差別のない社会とは、一定の被害を甘受せねばならない社会だということでもある。
事前に黒人の犯罪者や退職者の多い属性やテロリストの多い宗教の信者を排除することは差別である。それを突き詰めた結果として、黒人の犯罪者によって金銭を奪われたり、会社の業績や病院の労働環境が悪化したり、狂信的なテロリストの仕掛けた爆弾で死傷したり、子どもが学校で性的虐待を受けるかもしれない。
もちろん犯罪者は裁かれるべきであり、彼らを無罪放免にしろと言うつもりはない。だが、一定数このような被害や効率性の低下が出ること自体は、差別のない社会が甘受すべきコストということになるだろう。属性に基づく事前の排除やスクリーニングを拒否するというのはそういうことなのだから。
私は差別に反対するので、それによって自分が旅行中に強盗に遭おうがアメリカの警察が黒人を狙い撃ちにするのは間違っているし、仮に自分の業務に支障が出ようが特定の属性の人びとに対する就職差別は許されるべきではないし、もしもテロによって家族を失ったとしても特定の宗教の信者だけをスクリーニングするのは道義的に正当化できないし、たとえ自分の娘が学校のトイレに連れ込まれて乱暴されたとしても、教員やその志望者が能力ではなくジェンダーやセクシュアリティによって選別されるようなことはあってはならないと考える。
差別は、場合によっては問題解決のための手っ取り早い手段になり得る。だから差別の解消を主張するというのは、実はとても覚悟のいることなのだ。
その覚悟を持っていなかった人たちが、時と場合が変わるとあっさり差別主義者に変貌してしまうのは驚くべきことではない。女性差別とさんざん戦ってきたのに、今「安全」を掲げてトランスジェンダーを排除しようとしている人たちがその典型だろう。
私たちは、差別に反対する覚悟を決めるべきだ。たとえそれによって不利益や被害が生まれても、それでも差別を許してはならないと言うべきなのだ。そのような覚悟のない反差別は、いずれあっさりと差別主義に転ぶ可能性を秘めているのだから。
理論的には完全な監視社会、例えば全員の脳内にチップが埋め込まれてて犯罪行為を始めると即電撃で無力化する社会では差別もないし被害も甘受しなくていいし法的自由も保証されるのではないか
マジレスすると完全に外形的な条件から「何が犯罪で、何がそうでないか」を決めるのは理論的に無理。なぜなら、理論的には、ある行為が犯罪かそうでないかは事後的にしか評価され得ないので。
意識のない他人の服を無理やり脱がせて体を触る行為は準強制わいせつかもしれないし救命措置かもしれない。他人の腕にナイフを刺すのは通り魔かもしれないし壊死性の毒があるクモに噛まれたので毒を除去しようとしているのかもしれない。子供を連れて遊園地に行くのは子守かもしれないし誘拐かもしれない。大量の宅配ピザを注文するのはパーティーの準備かもしれないし業務妨害かもしれない。カレーを食べるのは食事かもしれないし相手を油断させて毒入りカレーを食わせる計画の一環かもしれない。ファイティングポーズを取った男に蹴りを食らわせるのは正当防衛かもしれないし誤想過剰防衛かもしれない。これらの行為が行われた瞬間にチップで犯罪かどうか判定するのは不可能。
っていうか、他人から受け取ったキャッシュカードでカネを引き出しただけで刑務所に入ってる人は何人もいるわけで……
仮に外形的な基準じゃなくて「今自分は犯罪を犯そうとしている」という意思を基準にするとした場合、「嫌だとか何とか言ってるけど部屋までついてきたってことはセックスする意思はあったんだろ、嫌よ嫌よも好きのうちって言うしな、グヘグヘ」みたいな発想の人がいたらどうなるのか、ということになるので、チップを利用した犯罪抑制はどちらにせよ無理。何が犯罪で何がそうでないかは、ある行為が行われてから人の手によって評価され、判断されなければ理論的には決まらない。
ブコメ”加害者個人を排除する場合、最初の一回の被害は防げない”。その理論でいくと、差別される人種なり宗教は1回以上の被害が起こったので差別され始めたのでは?つまりどちらも根本解決にならないと思う。
根本的にわかってなさすぎて頭が痛い。人種集団や宗教の信徒は「個人」じゃないだろう、という話なんだけど。
今、目の前に一人の黒人がいるとする。名前を仮にボブとしよう。黒人が他の人種集団に比べて犯罪率が高いという統計的事実はある。だがボブが犯罪者かどうかはわからない。ボブがもし犯罪を犯したのなら刑に服すべきである。だがボブが犯罪を犯すまでは彼は無辜の市民なのであり、黒人だからという理由でボブだけ集中的にスクリーニングされたり職質されまくったりするのは不当な差別である。ボブが強盗なり殺人なりの犯罪に手を染めてはじめて彼を犯罪者として扱うことが許容される。
逆に言えば、我々は、ボブを事前にスクリーニングして強盗や殺人の被害者をなくすことよりも、たとえ強盗や殺人の被害者が出たとしても、ボブを人種に基づいてスクリーニングしないことを選ぶべきなのだ。
女性は早期退職する確率が高いが、ではどうせ無駄になるのだからと目の前の花子にろくにキャリアも積ませなかったり昇進させなかったりするのは正当か。宗教的テロを起こすイスラム教徒が大勢いるとして、では目の前のアブドゥルにだけ警察の尾行がついたり空港で差別的な扱いを受けるのは正しいか。性犯罪者の多くは男性だが、では資格も能力もあるのに目の前の太郎を保育園に採用しないのは許されるのか。
「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である」とかつてキング牧師は語った。私はその理想を信じている。そのために生じるであろう被害よりも、なおその理想は重いのだと信じる。それが差別に反対するということだろう。
始業開始前
勤怠システムで打刻する。
ブラウザの位置情報を求められるため(拒否や偽装してはいけない)
自宅の住所がだいたいわかる。
社内全体のチャットルームにもご丁寧にGoogleMap付きで流れる。
家が近いという理由で既婚のおじさんに2人で飲み行こうと誘われている。
始業開始
パソコンにインストールされている、スクリーンショットを定期的に撮って送るシステムをONにする。
セキュリティのために入れているという名目だが、明らかに監視ツール。下っ端ばかり入れていて上層部は入れていない。
今日の予定と社内連絡事項の伝達など。
在宅勤務にともない、朝礼後も常時カメラをつなげっぱなしの案がでたが回避した。
朝礼が終われば、Web会議を退出。Discordのボイスチャンネルに入る。
すぐに呼びかけができ、業務の相談ができるため、出社しなくてもコミュニケーションが取れるという理由で導入された。
生活の音や家庭の会話も丸聞こえ。いつ呼びかけられるかわからないため、常にイヤホンをしている必要があり、最近耳の穴がかゆい。
同僚の飼っている猫の鳴き声だけが癒やし。
就業中
業務中の作業については、クラウド上で文書作成をし常に何をしているか見れるようにしておかなければならない。
共同編集できるため、チームで仕事するにも効率アップという謳い文句だが、
一字一句リアルタイムに反映されていくため、開きっぱなしで文字を打っていないと、さぼっているとみなされ
何をしているのか先程のスクリーンショットツールでチェックされる。電話連絡もくる。
業務の進め方も、チームメンバーで話し合い作業を進め、最終決定だけ上司に決済してほしいのだけど、
何をするにも逐一上司に報告しなければならないため、
報告用の文書を作成、報告用のメッセージも書かないといけないため、その作業に時間がかかる。
こちらの内容で問題がないかご確認お願いします。と書いた新人が
何を確認すればいいかわからないメッセージの書き方を考えろと怒られていた。
社内の通話は記録されており、
メールのやりとりについては、上層部はいつでも誰宛であってもチェックできる。
簡単なメールでの連絡であっても、個人宛に行うと注意されるため、必ず上司をいれなければならない。
昼休憩
Uber Eatsや宅配ピザなど経費で落としてくれるのかなと思ったら、
経費などは一切でない。自分で作って食べるだけ。
15分で作って45分のランチ会。
作るのが面倒でも、何を食べるか毎回発表しなくてはいけないため、見た目も気にする。
普段は楽なので昼は毎日パスタを食べているが、それもなにか言われそうなので、毎回朝作り置き。
実家ぐらしの若い男の子は、毎回何を食べているか発表する度、食べているものに対して上司にいじられている。
誰が作ったものなのか考えないのだろうか。
このランチ会、イヤホンから聞こえる咀嚼音が気になって気分が悪くなりいつも食欲がない。
オンラインランチ会は休憩とみなされ、1日中デスクの前に座りっぱなしの状態が続く。
もちろんおやつは自己負担。咀嚼音が気になりおやつどころではない。こちらも休憩とみなされ休憩時間が短くなる。
業務終了
日報が必要なのは、理解できる。が、これだけツール入っているのに、それいる?という気分になる。
在宅に切り替わり、各々さぼらずに働いているか上層部は不安なんだろうけど、
これに加え評価が減点方式となった。書面に同意するとか合意とかもなく。
転職に失敗すると怖いので、辞めることも踏ん切りもつかずに、うじうじしている
この状況の中で在宅勤務で仕事があるのはありがたいけれど、動悸がして起きるような日が続いている。