はてなキーワード: 学習障害とは
もう、若者全てで納税も年金もボイコットして欲しい。ジジイは自分で生きていく、野垂れ死にしてたり孤独死したら、財産国民で分けてくれ(当方53のジジイ)。
減税日本の河村さんじゃないけど、政治家とか役人で年度終わりには予算全部使ってしまわなければならない仕組みになっているから、物を知らない若者だけが搾取され放題。
「本年も皆様のおかげで予算全額消化できました、ありがとうございます」で、どの省庁も村役場まで拍手して年度終わり。
20人程度の事業所でも、役員席に5,6人は天下りの役人がいて、それが居ないと入札も受注さえ出来ない。
オキュバイ東京は成功しなかったが、共産党のシールズとかワケワカランのは放っておいて、保守の中でもネトウヨでも、学習障害発達障害軽度知的障害で、もう生きていたくない若者も、病気で苦しいだけの老人も、命を終わらせる権利を持って、申請してから数ヶ月で死ねるようにして、治療だの何だの逃げ道は用意しても、死寝る権利を行使して欲しい。
選挙に出てくる野郎共女ども、全員どっかの息がかかった泥棒で、通名日本人だけど元社会党の李ナントカさんとか、ミンスのレンホーさんとか本籍地ガイジン選手ばっかりw バックボーン有りまくりの詐欺師揃いだけど、せめて維新とか減税日本とかの「金使いません」と明言してるのを選んでくれ。緑の党はミンスに占領されて党首が追い出されるけど(笑)。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
だいたい年に二三回はカラオケにいく機会があって、毎回決まってバンプ・オブ・チキンの『天体観測』を歌うんだけど、いつも画面を見ながらじゃないと歌えない。
バンプは一時期ハマったきりで最近はまったく聴いてないんだけど、十回二十回と歌っているのに(もっといえば一〇〇回は聴いているはずなのに)歌詞を覚えられないのはちょっと異常なんじゃないかと不安になっている。
ぜんぜん覚えられないわけじゃなくて、一部分があやふやになる。
〽(歌詞途中から)……ベルトに結んだラジオ雨はふらないらしい。***********はじめよう天体観測。……
ああもう、いま思い出してみてもこんな感じ。ひどい。
検索して歌詞を確認してみたら、ああ「二分後に君が来た。大袈裟な荷物しょって来た」だったなあ、そういえば、とは思う。歌詞が覚えられない、歌の流れのようなものに乗るのが苦手、みたいな症例があったりするのだろうかと思って調べてみたらアスペルガーだの学習障害だのが出てきて滅入る。
アーア、クソ食らえ。
掘り返すにしても賞味期限切れだろうが知らねぇよ、酔っているし関係ない。
ぶっちゃけ高学歴だろうが低学歴だろうが発達障害だろうが、知らんし当時もなに議論してるのオレにはよくわからんかったわ。
バカだし。
アァ、あと酔っているていうのは嘘で、勢いをつけるための嘘だ。
学歴とかでキャンキャン言うてるてめぇら幸せそうだなと思ってみていたよ、レペゼン生まれも育ちもクソの離島部落の母子家庭。
住んでた地域にゃ大学なんてモンなくて、金持ちで頭良くのボンボンだけがシマ出て高校とか大学とか専門学校とか行けたんだが、バカで貧乏育ちのオレには関係のない話で。
中学から周りのバカの大人にキッツイ圧力で責め立てられて、不登校だ登校拒否だ自殺未遂だ、本当に低能のゴミカスの大人しかいなかったからな、3年間毎日死ぬことしか考えてなかったわ。
学校でも家庭でも心療内科でも、どこにも居場所ないんだぜ?んで出来上がったのがこういうポンコツだよ。
高校でリベンジ、大学で大逆転みたいなこと考えてたこともあったわ、結局ヤンキーしかいない通信制高校でスクーリングでガクブル、何が東大だ、夢見てんじゃねぇよ、バカががよ、実家にも金ねぇしよ。
んで無職続いて親から働けと言われてパートに就くも、田舎の福祉施設、安い時給に休憩も取れずにサービス残業当たり前。
もうダメになってクリニックに相談しても「鬱ではない」とだけ増やされる睡眠薬、あぁ、とにかく自傷しまくって辞めたよ、半年もっただけで偉いだろ。
んで工場に務めるも、最初の説明とは違って休み無し、すぐに睡眠がとれなくなって自殺未遂して辞めた。
実家出て一人暮らし始めて、福祉、生活保護で生きようと決めて、精神科でようやく「鬱」の診断もらって、PSWさんがいなけりゃ書けないようなさっぱりわからん保健所や行政の書類を書いて提出して、精神障害手帳貰って、受給者証もらったよ。
今は就労移行支援受けてるけどさ、社会でやっていける自身がない、人がなんかだ、社会がなんかだ、マナーだ、礼儀だ、仕草だ、気持ちだ、全部嘘っぱちにしか聞こえない、そんなバカみてぇな嘘ばかりで社会は構成されてるのか?
自分は人間として生きるのを諦めてぇよ、ゴミクズが、生産性のない肉の塊が、どっかの安いクソアパートの部屋の片隅でプカプカ生きられたら、それでいいなと思っただけど、社会はそんな甘くないらしい。
嘘っぱちで塗り固められてるくせしていっちょ前に正義だとかみたいな面して、社会だ、社交だ、義務だ、就労だ、精度だ、金だ、なんだと責め立ててきやがる。
インターネットでは発達障害が、非定型が偉い、頭いいみたいにトレンディだったんで、ネットのお気軽ADHD診断でどうやらADHDみたいだと踏んだオレはWAIS-IIIを受けることにした。
オレはてめぇらより頭悪いが、でも非定型だと認められれば、社会の中でも、ダメ人間として認められれば、言い訳を増やすことができれば、それで良いと思った。
結果はIQは平均的、まっすぐ一直線、凡の凡、ディスクレパンシーなんて存在しない。
作動記憶と処理速度はガタガタに平均以下だったが、言語理解と知覚統合が平均より上だったせいか、総合的にはスコアは平均ってこった、言語なんか理解できないし知覚も統合できてねぇよ、ほら、ご覧の通りのバカでござい。
一縷の望みに賭けて報告したよ、精神科に。
「発達障害の特性はあるが、それと診断できない」だってさ、みなさんよりバカで低学歴でんでもって発達障害だと診断も降りないゴミカスが出来上がり。
みなさんが、社会の人たちが、インターネットのお前ら共が、なに言ってるかさっぱりなんだな。
非定型やニートや生活困窮者について「弱者の味方だぞ」みたいな面してさ、毎日まどろっこしい語り口で意味の分からないタームと目眩がしそうな論理を駆使してるのを見ると、あぁ、こんなのも理解できないオレはもう"そこ"にも居場所を作ることができないんだ、みえないんだよなって気になっちまうんだよ。
手ぇ差し伸ばしてくれやなんて言えねえぇよ、でもオレみたいなゴミクズより何億倍も優等生のてめぇらがさ、「オレはとっても弱者、そして弱者の味方」って言ってオレには手ぇ差し伸ばさないで程よい弱者に語りかけてるの見るの腹が立つんだよな。
大学出て、日本語できて、社交もできて、仕事やってるお前らのどこが、どこがだよ、ふざけんな。
ウィキペディアで自分の性格とかに似た”障害”を見つけて並べ立てて、オレはこれはオレの障害だと安心しているんだが、そのままでは現実味もない、素人の目で自己診断したところで障害でも何でもない。
すぐに逃げる、薬を沢山に飲む、侵せない自分ルール、生活費を削る読まない書物の壁、飲む、鬱、買う、じっとできない、上手くしゃべれない、頭が悪くて大変だ、文字も読めりゃしない。
回避性、境界性、強迫性、衝動性、パーソナリティ障害、強迫性障害、強迫ホーディング、発達障害、学習障害、色んな可能性を考えてるよ、このどれかがオレに当てはまると良いなと思ってる。
ただ、医師に相談できない、今までに鬱に強迫性障害、発達障害、睡眠相後退症候群を医師から否定されてきた、オレが希望にしてる、"かもしれない"障害が、全部否定されたら?死ぬしかねぇな、裸んぼで社会で生きてけないよ、障害は言い訳だ、免罪符だ、それがほしい。
実際のところ、診断書貰えたのは「社交不安障害」なんてありきたりなもん、これはこれで困ったもんで、リアルでもネットでも、友達が作れないんだが、まぁ、それくらいだ。
あとは「睡眠障害」なんて曖昧なものと、あと「鬱」なんて今の時代10人に10人が鬱だろ、意味なんかない。
特別になれなかった人間は特別になりたくて特別になれないから特別になれた方の、お前らに憎悪をむけてやる、それしかできないんだよ。
あぁ、タイトルのアレ、高学歴の発達障害よりも低学歴の発達障害よりも学歴ない障害未満の方が何倍も厳しいってことだ、そんだけ。
ほら、頭いい増田、なんか言って来いよ、それかもっとオレより頭悪いバカ、マウンティング取ってこいよ。
いみなんてねぇよ、全部、クソクソクソクソクソ。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/350910350/comment/n_kasei
そして最近知った学習障害界隈の継次処理、同時処理って話を思い合わせて、ああ、これって頭の構造のちがいなんだなあって思った。
同時処理的な思考回路を持ってる人間にとっては、それが既知のことかどうかなんてのはどうでもよくって、自分の腑に落ちるかどうかが重要で、そして一旦腑に落ちたら、それはものすごい力を発揮する。
ブコメの
にしたって、継次処理が苦手な人間からしたら、「マニュアル読むなんてそんなバカな時間つぶし、信じられん!」って感覚だし。だって、やってりゃだいたいは発見できるもんな。マニュアルって、どうしても自力でわからんときに参照するもんだろ?
まあ、世の中はいろいろあるってことかな。だから最大の違和感は、「京大のナンバーワン教官」の権威が横行しちゃうことなんだろう。それもまた、ひとつの捉え方に過ぎないんだし。
人生の助走期間と本番
https://anond.hatelabo.jp/20170725215558
少しだけカチンと来たので書かせて。うまく言葉にできんが。
なんともまぁ、典型的な社会的強者のモラトリアム的なナニカですなぁ。なんとも羨ましい、羨ましい。
日々を精一杯この人は送っているんだろうね。
そしてそんな自分を尻目に、日々を必死で生きて、それでも「普通の社会人」にすら届かない人々のことを、あなた達は無数のうごめく虫か何かだと思っているのでしょうねぇ。
常識に日々心身ともに殺されている広汎性発達障害やADHD、学習障害者
社会から明示・非明示に関わらず文化的な生活を阻害される身体障害者
まともな生育環境に育てず、まともな社会に受け入れられなかった反社会的勢力ルートを半強制的に選ばされたアウトロー達
理不尽なパワハラ、追い出し部屋配属により心身を殺された挙句放り出されたホームレス達
国際比較で圧倒的な有形無形の経済的資産を持っている日本の中だけでも、これらの人々はまだまだ挙げられるだろう。
つまり、元増田が「本番を全力疾走しようかどうか」とクヨクヨ悩んでいる間に、社会とその構成員からの扱いに、疲労と憎悪を積み重ねて、それでも必死にそれをごまかしながらなんとか日々息をしている人間達は。
良かったですね。
あなた達強者が自身の中にある、絶対に形になることのないであろう何となくあるもやもやモラトリアムちゃんを持て余している中
あなた達強者のすぐそばで、絶望的な未来を必死で見ないふりをして、なんとか日々を生き抜いて、
「ああ、今日もなんとか生き延びた」
そう言って、足りない睡眠の中、健康的とはいえない睡眠時間の中で、取れない疲労を少しでも削っている人々が、足元で、虫のようにうごめいておりますよ。
「虫だなんて思っていない!」と言うのであれば、そうですね。
「あなた達とは関係ない(と思いこんでいる)人たち」とでも言っておきましょうか。
そうですよね、あなたとその人達は違う人間なのだから、違う人生を歩いていくのは当然ですよね。
古代ギリシャに存在した各都市(ポリス)で言う、あなたは市民で、私達は奴隷で、それぞれ違うのだから、それを社会問題にしたってしょうがないですよね。そうですよね。
これだけは書いておくぞ。
その圧倒的な格差から、絶望と憎悪を増幅せざるを得ない境遇の者たちが、世界には星の数ほどいること。
そして、こちらの世界へ引きずり込もうと、時に手をこまねいて、時にいつでも引きずり込めるように闇夜に潜んで、常に待ち構えていること。
ゆめゆめ忘れることのないように……
知らないふりをして、忘れてもらったほうが、こちらとしては都合がいいですけどね。
あなたの腕や足が欠損したり、脊髄損傷で体が動かなくなったりしないかなぁ……
彼は大学卒業後、しばらくは地元で役人生活を送っていたという。その後、3年ほど前に退職し、無職の身になった。(現在は転職済み)
「足を踏み外したし、復帰の見通しが立っていないって、知人は心配していました。無職時代には電子書籍の出版だの動画作成だのしていると聞きましたね。そう、私は直人君のことが心配で心配でたまらなかったんじゃないかしら。高校時代、直人君がADHDか知的障害かになりかけて窮地に陥ったことがあったけど、知人は血相を変えて飛んでいったもの。」
直人を知る中学時代の知人によれば、直人は高校の頃から学習障害を患い、1年生当時の成績はそれほど安定していなかったという。
ちなみに自宅の郵便受けに入った大量のレターが入れられていたことは、近所の住人のほとんどが覚えている。
知人は直人の現在の姿をありのまま伝えることを躊躇し、この男女には「左翼関連の専門家をして活躍してる」とだけ話した。
「あら、立派になったのね。それにしてもなぜ左翼なのかしら。見当がつかないわねえ」と男女は怪訝な表情を見せた。
実家のあった地域は、古くからあるJR線と地下鉄線開業後近代化目まぐるしい住宅街に隣接している。
地元の人によると、この近くには市を代表する進学高校があり、受験シーズンには賑わっていたという。
その後、教育事情などの変化によって志望校の分散も進んだが、現在でも偏差値が高い高校として知られている。
ちなみに直人が何かと攻撃対象にするgudachanも、大学卒業直後だった一時期、面識があった。
吃音だか学習障害なんだか知らないが、口で何かを説明するのがつらい。生まれつきか、成長過程で苦手になったかはわからない。両方だろう。
ある程度はできるから障害者認定されづらいが、ああまた伝わらなかった、と思うたび心にひびが入る。
なのに役所の手続きとか、そもそも何に困っているのか?を説明するのに口頭だったり電話を使われたりする。
大事な時はさすがに文章で伝えているけれど、なぜ、という気持ちは抜けない。
今日も雇用保険の手続きで、これこれこういう証明が必要だから主治医に書いてください、と言われ、主治医にそれを伝える段でパニックを起こしてしまった。
ちなみにこれでも知能検査をしたところ知能に遅れはないそうだ。
耳も聞き取りづらい時があるのだがおそらく聴覚障害ではないだろう。
色々工夫はしていたつもりだがもうつらい。
そんな中バニラエアの件を見て暗い気持ちになる。おそらく自分の生きづらさは「甘えるな」の一言で終わるだろう。
生まれてこなければ良かった。
昔のおおらかな学校を小学一年生で退学になってる人だよ、かなり重度の発達だよ
学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算するまたは推論する能力のうち特定のものの修得と使用に著しい困難を示すさまざまな状態を指すものである。
まず、授業中に、机のフタを、百ペんくらい、開けたり閉めたりするんです。そこで私が、『用事がないのに、開けたり閉めたりしてはいけません』と申しますと、おたくのお嬢さんは、ノー卜から、筆箱、教科書、全部を机の中にしまってしまって、ひとつひとつ取り出すんです。
私はこの退学になった理由を、子どもらしい好奇心の旺盛な元気な子どもだったから、という率直な気持ちですべて本当のことを書いた。ところが、(中略)『窓ぎわのトットちゃん』をLD(学習障害)の子を多く診ていらっしゃる専門家や研究者から見れば、何もかもがLDに当てはまるということだった。こんなこと私は思ってもいなかった。
私は都内の中堅私立大学に在籍していた時、婚活をしていた。期間は途中の休止も挟んで3年くらい。
以下に当時の活動を列挙して行く。
これを中心に婚活していた。大手ではyoubrid、Yahooお見合い、ブライダルネットあたりに入会していたと思う。あといくつか小さなところにも登録していたけどよく覚えていない。
どこのサイトもそうだが、何万人もいる会員のプロフィールを全て見ることはできないので、フィルターをかけて検索することになる。
私がかけていたフィルターは、
・25歳〜40歳
・年収350万円以上
・大卒以上
とかだったと思う。
・とにかくプロフィールを充実させ、話の取っ掛かりをつくる
・1人の人とメッセージをやり取りするのは一日一往復まで。かわりに内容を濃くする
・ハンドルネームをあるSF小説のタイトルをもじったものにし、相手が気がついたらその話題で盛り上がり、気がつかなくても「ハンドルネームの意味はこれなんですよ〜」と言って話のネタにしたりした
検索していいなと思った相手にはメッセージを送り、何度かやり取りした後に会っていた。サイトはどこも一長一短で、合うか合わないかは人によると思う。私は街コンとか他の婚活方法よりも、メールである程度やり取りしてから相手に会える婚活サイトが一番性に合っていた。
合計10回くらい行ったかな。オタク向けのやつだと積極的な男性の割合が低く感じたし、そういった括りがないものの方が積極的な(暗に性的な接触を望む人含む)人が多かったと思う。
サンマリエに一度相談に行ったら、ドン引きするくらいの勧誘を受けて怖くなって入会しなかった。お金なかったし。住所と電話番号を書いちゃったからDMと電話が死ぬほどかかってきて困った。
活動場所はこんな感じ。一番活動してた時は同時並行で10人くらいの人とやりとして、朝1人会って夕方もう1人に会うみたいなスケジュールをこなしてた。勉強してバイトして婚活するのは結構消耗した。
会った相手に必ずきかれたのが、「どうしてその年で婚活しているの?」という質問。
相手によって答えを変えていたけど、端的に言うと私は、1人で生きて行く自信がなかったのです。
精神的に弱くて、実家がわりかし貧乏で、不器用で、人とも上手に関われなくて、高校も中退して大検で大学行って。
そんな私が、1人で生きて行くなんて到底不可能だと、それがわかっていたから、誰かに一緒に生きて欲しかったし、誰かに私と一緒に生きていきたいと思って欲しかった。
その誰かを見つけるために、より多くの選択肢がある場所で、「若い」というアビリティがある内に早く活動をしておきたかったんです。
ただ誤算は、婚活サイトで出会う真面目な人はすぐ結婚したいと思っているし、私はすぐ結婚できないということだ。私は学校卒業→就職というプロセス踏まないといけない。私がよく会っていた30代半ばの男性達がそんなもん待ってられんというのは当然の話であるわけだ。
(ちなみになんで大学で探さなかったのかというと、大学という「市場」で自分に優位性はないと考えたため。)
そんな中、私は婚活とは全く関係のないオフ会で出会った男の人と友達になり、その人の友達とも仲良くなってよく数人で遊ぶようになった。
そのうちの1人が、今の夫だ。
夫は物静かで喜怒哀楽に乏しく、口数も少ないのでどちらかといえば苦手なタイプの人だった。ただ、なんとなーくグループで遊ぶ内に、なんとなーく2人で遊びに行くことになり、なんとなーく交際し始めた。結婚の話なんてしたことなくて、緩やかな付き合いが続いた。
就職して2年目。私は仕事である失敗をし、リカバリーするために朝から夜までぶっ通しで働き、食事を取れなくなって眠れなくなって死にたくなって救急車で運ばれた。
それでも休職はしたくなかった。一度止まってしまうと、もう働くことはできない気がしたから。
病院に毎週通いながら会社に行くのは大層しんどく、トドメにADDだとか学習障害だとか診断されて、つらくてつらくて、夫(その時は結婚していない)当たり散らしてた。
夫は私が何を言っても一言も言い返したことはなかった。(あの時どんな気持ちでいたか数年後聞くと、「君が辛そうなのが本当に悲しくて、僕に何か言うことで、少しでも君が楽になれたらいいと思ってた」そうだ)
当時、狂ったように泣き叫ぶ私に夫は言った。
「つらいなら、病院に行かなくてもいい。会社に行かなくてもいい。病気でも障害があってもいい。僕は、君が生きていて、君が君であるだけでそれでいいんです」と。
夫は私の通院についてくるようになった。雨の日でも、待合室で二時間以上またされても、黙ってそばにいてくれた。
それは結婚した今でも続いている。
相変わらず生きづらいけど、しんどいけど、仕事続けながらなんとか夫と生きている。
今でもふと思う。
婚活サイトでフィルターかけていたら、歳が離れていて大卒ではない夫に出会うことはなかったんだなあと。
日本の「お客様は神様です」という風潮と、「誰かが何とかしてくれる」という風潮が嫌い。
ニーズに応えたくても、こちらはそのような能力も知識もありません、と言いたい例が多すぎる。例えば、特別支援学級に行かせたくないから家庭教師、特別支援学級に行っていても勉強に遅れを取らせたくないと言っているおうちがあったりするんだけど、こっちは生徒の特質を完璧に見抜けるわけでもなく、詳しく訊くことも出来ない。
そもそも説明に行っている人間が、学習障害の知識もない、と言うレベル。私自身も最近勉強するようになったくらいだ。
これから夏休みをきっかけに、家庭教師を頼む人は増えると思うけど、良い会社、良い家庭教師ばかりじゃないから気をつけてください、と言うしかない。また、子供の勉強嫌いや、興味のなさは、親が思っているより遥かに深刻で、どうにもならないことだと思ったほうがいい。努力はダサい、めんどくさい、ラクしたい、もっと楽しいことがある、子供はそう言うから。それに、高校行って、偏差値が高い大学に行けば将来安泰、というレールはとっくの昔に崩壊してますしね。
優等生が肯定される時代は、もう終わったのかもしれない。SNSに加工した写真を載せれば、簡単にいいねがもらえるのだから。リアルでコツコツ勉強するより、ネットに逃げて、賞賛されるほうが楽しいと思うんですよ。
ネットに逃げないコツは、ちゃんと子供と向き合うこと、子供のいる環境を理解すること、そこまですれば、彼らに必要な勉強方法もなんとなくわかる気がするのですが、気のせいでしょうか。
ちなみにスマホ1台あれば、YouTubeの勉強を教える動画も見られますし、色んな学習アプリが使えます。それもわかっていてほしいですね。