はてなキーワード: 孤立化とは
今以上に富を取られるとなったら金持ちは資産を税制面で有利な海外に移転(海外投資とかタックスヘイブンの銀行とか)するようになるんじゃないかな。
そんで結局海外投資に費やすことで利益は圧縮されて、所得に課税しても税が取れなくなるのでは?
(投資で生み出した富もどんんどん別の海外資産へ投資されていく)
そんで国の側は税収が減っても再分配のつじつまを合わせないといけないから国債に頼ると思うんだけど、
結局「貧乏人はすべてその日ぐらしに使ってしまう」じゃないけど、金持ちにに回収されて海外投資に使われてしまうなら、
結果的に国債を使って金持ちの海外資産を増やしてしまうだけでは?と思った。
ブコメとかで「資金が循環するから意味がある」って意見が多かったけど、
再分配は仮に経済の流れが日本の中だけで循環するんだったら完全に成り立つと思うし今も内需が強い国なので部分的には成り立つと思うけど、
経済がグローバル化してるので投資先が海外に無限にあるような状況では日本の中でそれを完結させることは厳しいと思う。
そして最も思うのは、底辺だ貧乏だといってもそれは日本の中だけの話で、世界レベルでみたら日本では貧乏の人でも世界の平均以上の経済力を持ってるということ。
じつはグローバル経済の中で日本や先進国の大企業が貧しい途上国に投資して現地の経済が活性化して貧困から抜け出すということが行われているのであって、
実際に国際的な(国家間の)経済格差は縮小に向かっているという調査結果も出ている。
日本の中での格差拡大は、このグローバル化(国家間の格差縮小)の下で日本の状況が世界全体の経済格差の状態と一致していくという流れの中で起こっていることだと捉えられるんじゃないかな。
だから日本の中での格差縮小を目指すというのは「世界がグローバル化していく中にあって、上の方のごく一部の領域の中で均質化を目指す」という行為であって、
実際には海外への資金移動の規制とかを伴うし、反グローバル化というか、一種の経済的鎖国政策ともいえるのでは。
それって経済的な孤立化を招くと思うから危険、というかTPPを批准したりしてる状態でそれが可能なのか?って気もする。
中国の人々の愛国心が高まっているという。コロナウィルスいわゆる武漢ウィルスの世界的な蔓延で20万人に近い死者が出る状況で中国が孤立化するのは目に見えている。中国は世界中の国々から敵視される。無視される。結果として孤立する。中国の経済は立ち行かなくなる。中国はこれから貧困に直面する。世界の成長から取り残される。ひとり中国だけが取り残される。
この状況に危機感を覚えるのは中国共産党だけではない。中国に住む人々も同じ場所で生きていかなければならないからだ。中国はいっそう混乱する可能性がある。内政など中国共産党は武力で統治するほかないだろう。反乱が起きるかもしれない。国が分裂する可能性は低くは無い。中国の人々は自らの身を守るためにも精神的な安定を必要とする。中国はどんな統治体制であったとしても自らを育んでくれた国であると言う認識があるはずだ。
中国は武漢ウィルスを押さえ込んだ。武漢のロックダウンは解除された。すでに抑制できたとも言えるし日常生活が戻ったと言う認識が日本にいる中国人の若い人たちのなかにある。若い中国人と話をしていて彼女の認識がそのようなものであると聞いて驚いた。愕然とした。彼女は中国共産党の発表を信じていた。
これはおそらく彼女自身の精神を安定させるためにそのような解釈を必要としているからなのだろう。世界中に散らばる中国人達はそのような精神状態にあり、他の国の人々には簡単には理解できず驚かれているのだろう、と思う。
その独裁支配の中で、自分たちの正しさで他人に私刑を下すことができると思ってるのだろう。
その表出の一つがツイフェミだったり、ゲーム規制を推進した四国新聞だったりする。
彼らにとって、正義とは議論の余地もないほど自明であり、改めて証明する必要性もなく、懐疑的な態度をとる人は断罪すべきとなる。
また、他人に責められると、その正義を拠り所に益々孤立化・先鋭化することになる。
それは大昔から異端派宗教のいくつかがたどってきた道であり、紅衛兵や日本赤軍などもその一端に属する。
いずれにしても、その姿勢は「リベラル」という語から想像されるような自由主義とは全く異なるものであることは明白。
彼らが反アベなのも、本来なら自分たちが行使するはずの権力を握っているのがアベだからという幼稚な感情が本質的な動機である。
若い世代が選挙に行かない一番の理由が「めんどくさい」じゃん。
なら選挙に行くよりも選挙に行かない方がめんどくさくなるようにすればいい 。
当日投票もしくは期日前投票に行かなかった奴らは、その期間に選挙に行けなかった理由が明確に分かる書類を役所に提出することを義務付けて、それもバックレたら役所の人間が理由を聞きに本人に会えるまで何度も訪問するシステムな。なかなか会えない場合は職場訪問も可能にしよう。
あえて罰金は設けないことによって金で解決することはできず、とにかく行かないとめんどくさいイベントにする。
めんどいからとりあえず行くようになれば、せっかく行くのに白票で棄権扱いになるのはもったいないし、若者は選挙のときだけでも政治に関心を持つようになる。
若者がめんどいから行くようになれば、投票が政治への関心の窓口になって好循環が出来ると思うし、訪問によって地域住民の孤立化予防にも繋がってめちゃくちゃ良くないか??
私は上の子の妊娠の時に切迫流産になってから専業主婦になった。
下の子の産後の入院中も、イヤイヤ期の上の子をワンオペ育児で奮闘してくれた。
うんちの取り換えもするし、休日は家族で公園やらお出掛けをしてくれる。
ご飯も作ってくれるし、何も言わなくても皿を洗ってくれる。
会社が終われば電車に飛び乗り、急いで帰って子供達のお風呂にいれてくれる。
夫本人もよく、こんなに家族に尽くしてる男はいないだとか、育児も家事もかなり負担していると言っている。
こんな夫に対して私は感謝の言葉はどんどん少なくなり、代わりに、ああしてほしい、これはしないでほしいと注文がふえていってる。
なんだかわからないが、夫の行動にモヤモヤして爆発するのである。
先日オリラジあっちゃんのいい夫を止めたという記事を見て、このモヤモヤはなんなのかわかった気がした。
0歳児がウンチが出て泣いているとしよう。
私は、気持ち悪いんだろうな、お尻が痒くなっちゃったのかな、と考えてオムツを替える。
ここに決定的な差があることがお分かりいただけるだろうか。
極端に言えば、私は、子どもを公園に連れて行くのも、オムツを替えて風呂に入れること、家族にご飯を作るのも、皿を洗うのも全ては子どものためだった。
一方夫は全てではないにしろ、多くは私のために私を休ませようとして行動していた。
0歳児はオムツを替えてくれるお母さんに、オムツを替えてくれてありがとうだなんて言わない。
子育ては基本的に感謝されないし見返りはないと言っていい。無償の愛。
子どものためにしていることは感謝も見返りもなくて当然だと思ってた。
感謝されたいと思うのは当然だ。
妻から感謝の言葉なく、育児家事をやって当然といった態度を取られるといい気はしないだろう。
夫が子どものためにしていることに対して、なぜ私がお礼を言わなきゃいけないんだ?
夫はいつも、俺は報われないと言っていた。
夫は私を休ませようと子どもを公園に連れて行ってるのに、私は夫は子供が外に行きたがってるから行ってると思ってた。
私は夫に、その時1番子どものためになることをして欲しかった。
でも夫は、その時私が1番楽になることをしてくれていた。
先日のオリラジのあっちゃんが、いい夫を止めるといった記事をみた。
うちと状況が似てると思った。
私の想像だけど、あっちゃんは奥さんのことが大好きなんだろう。
仕事を制限して趣味の自転車もやめてまで、育児で疲れ切った奥さんを助けたかったのだろう。
ヘトヘトになった奥さんに笑顔が戻って、ありがとうと言って欲しかったのだろう。
でも奥さんはそれを、あっちゃんが子どものためにしていることと思った。
そしてすれ違っていく。
お互いイライラが募っていく。
あっちゃんは、イクメンでもなくいい夫でもなく、ただの愛妻家だったのではないかな。
切ないね。
そういえば、あっちゃん。
しゃべくりに出た時、最近の一番の楽しみは妻と晩酌することって言ってたな。。
反応があって嬉しい
問題の根本は、母親の赤ちゃんを守ろうとする防衛本能を煽る育児の孤立化だと思う。
というのも、夫が育休で家にいることから私は祖母宅やら支援センターに行く機会が減った。
私が頑張らなければと思い過ぎてたと思う。
大勢の人の中で子どもは育てなきゃいけないようになってるんだろうな
解決策は夫の育休というよりむしろ、夫婦共働きで時短勤務が最強なのではないかと思う。
http://www.kore-eda.com/message/20180607.html
Twitterとか見ると変な部分に突っかかって是枝監督に怒りをぶつけてる人が多い。
多分元の文章をまともに読んでないせいだと思うので、きちんと整理しておきたい。
一般的には「喜びを祝う気持ち」のことを指すけれど、文脈を見ると
国会の参院文科委員会で野党の議員が「(是枝に)直接祝意を表しては?現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相が文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKのニュースで目にしました。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。
つまりどこかに呼ばれて表彰、みたいなことは断るよ、ってだけの話なんだよね。
デマ。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。
「顕彰の問い合わせ」に対して「有り難い」って書いてあるじゃん。
何を勘違いしたのか
親から仕送り貰って、大学卒業したり優秀な成績残した時に親からおめでとうと言われた際に「親からの言葉は受け入れない」とか言ったら批判されるよね。
親からの「おめでとう」を断るのがカッコイイとか、それが許されるのは反抗期まで。 成人でもみっともないと言われるのに、還暦近い人がそんなの言うとか流石に度を越している。
国から給料貰っておきながら、国家も歌わず日の丸に敬意を示さないどっかの教員連中も同じ精神構造なんだろうね。いつまで経っても反抗期の子供なんだよ。
親と子供の関係に例える人なんか特に多いが、その例えは明らかに間違っている。
(文化庁は親ではないし、お金の出処は税金または文化庁への寄付であって"親"が汗水たらして得た金ではない)
まず、「告発を目的とした映画ではない」と発言していることは知ってもらいたい。
この「公権力を批判」というもの。人によって想定してることがぜんぜん違うんだけど。
「公権力そのものを否定する」というようなアナキスト的思考ならともかく、「社会の問題点を指摘する」レベルのことは独裁政権以外なら誰だってやっているよね。
以下の文にあるように、是枝監督が「映画を撮りながら考えていたこと」は「それほど目新しいものではない」。
「単身者が孤立」とか「自己責任論」とか、多くの日本人がすでにテレビや新聞、ネット上で共有している。
助成金もらっているからってこのレベルのことも言ってはならない、なんてことはないはず。
取材の中で「何故社会からこのような“不可視の”家族が生まれると思うか?」と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発を目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。あくまで私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本は地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家”主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉と視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。これは『映画を撮りながら考えたこと』という拙書でも既に述べている考え方である。まぁそれほど目新しいものではないだろうことは自覚しているが。
「北朝鮮情勢で日本孤立化。安倍総理が平和的じゃないからだ。」て言ってる人いるけど北朝鮮問題では最初から日本に発言力なんてなかったじゃないか。
北朝鮮が頑張って射程を伸ばしてたのはアメリカと交渉するためだろ。日本が標的ならそんなことしないよ。日本が射程に入ったの何年前の話だよ。
最初っから日本は蚊帳の外、北朝鮮は日本なんか相手にしてないんだよ。属国に話を通す理由なんてないからね。
「安倍総理は戦争したがってるからダメ、平和的解決を狙っている文大統領の方が上手、あれだけすり寄ってたトランプ大統領にも無視されて孤立化してる」っていてる人たちはなぜか自衛隊の行動範囲拡大や核武装などの軍拡には反対なんだよね。
拉致された自国民を救出にもいけず領有権を主張してる北方領土や竹島も奪い返せず貿易ではなにかと圧力をかけられ自国にいる外国の軍隊に何も言えない国が国際舞台で何を言おうと誰も聞かないんだよ。
同僚がグアムにいくというので、自身の知識再確認も含めて核爆発から身を守る方法について対応をまとめる。なお、私の知識は、「米陸軍サバイバル全書」の第23章「核・生物化学兵器から身を守る」のみであることに注意されたい。また、内容を転載するわけではなく自身で咀嚼した内容になっているため誤りが含まれる可能性もあり、また核爆発後のサバイバルに関しては、そもそも火の起こし方や水の濾過方法など、前提となる知識があるため、核だけを考慮しても生き残れない。なので、興味を持った方は原典を読むのをおすすめする。
当然ながら、核爆発直後に致命的となるエリアにいた場合、取れる対応は殆ど無い。核爆発により引き起こされる障害は
の3種類あるが、攻撃目標・タイミング(火球が見えてからでは遅い)がわからない場合、取れる対応は少ないだろう。
ただし、もし、事前の警報があり少しでも対応が取れる場合には、掩蔽物に隠れることが重要である。これは、爆風や爆風により吹き飛ばされた物体を防ぎ、熱と光を遮断し、核爆発直後(1分間)の深刻な初期放射線を減らしてくれる可能性が高いからだ。隠れる場所は丈夫なコンクリート製の建築物がよいだろう。
生き残った場合、5分以内に放射線を遮ることの出来るシェルター(追記:後述するがこれは核シェルターに限らない)に入ることが重要になる。これは、高レベルで初期ガンマ線を放射する放射性降下物から身を守るためである。シェルターに入るのと入らないのとでは被曝量が全く異なるのである。原典でも強く書かれているので引用しておく。
目安として、5分以内にシェルターに入るのが生死を分けると知れ。早くシェルターをみつけること――これが絶対不可欠である。
P.273
核爆発後にどれくらい活動してよいかの目安については原典を引用する。なお、数値には余裕を持たせているとのこと。
- 核爆発後4〜6日間は完全に孤立化する。
- 3日目。水の調達のためにシェルターを出ても良いが、被爆時間は30分を超えないほうが良い。
- 7日目。1回の被爆時間は30分以内にする。
- 8日目。1回目の被爆時間は1時間以内にする。
- 9〜12日目。被爆時間を2〜4時間にする。
- 13日目以降。きちんと防御整備されたシェルター内で休養を取りながら通常作業を行って良い。
P.276
掩蔽性能、水分食料の備蓄を考えると、シェルターとしてホテルやショッピングモールを選択するのが最適なのではないかと思うが、人が集まると考えられるので、その分物資の減りが早いとも考えられる。難しい所である。
さて、行動のタイムスケジュールがわかったが、その後生き延びていくための残留放射能対策を考えなければならない。残留放射能対策は、放射性下降物起因の体外放射能対策と体内放射能対策に分けられる。
の3点があげられる。時間は半減期、距離は距離による減衰、シールドはシールド材による減衰、を考慮する。ただし、放射性下降物が広い範囲に降っている場合には距離による減衰は期待できない、などはある。動く車があれば距離も稼げる可能性があるが、移動により被曝する可能性もあるし、現実的に考えてシールド、つまり十分な性能を発揮するシェルターを確保することが取りうる最大の防御となるだろう。
コンクリートの建築物以外にも、厚み1メートル以上の土砂で覆った地下式シェルターは放射性降下物に対して最高の防御になると書いてあるが、そんなものは当然無いだろうから、他に下記のようなものがシェルターになると掲げられているので、次善の策を取っていきたい。
P.275
身近にあるものを考えると、マンホールが簡単に空くのかどうか知らないけど、開けられればマンホールから地下に隠れるのが良いのかもしれない。(※追記:マンホールはそんなに簡単に開かないとのことです)その他シェルター地の選択と準備法などは原典に書かれているのでそちらを読むように。
また、シェルター内に放射性物質を持ち込まないようにシェルターに入る場合は、衣服を叩いたり振ったりして汚染を除去すること。髪の毛は沿ってしまうのが良いかもしれない。
続いて放射性降下物を体内に取り込まないようにするための対策。ちなみに汚染された飲食物や傷から体内に入ったものが問題になり、呼吸によって体内にはいる放射性物質はさほど脅威にはならないとのこと。
例えば放射線障害について知っておくことで、むやみにパニックに陥らなくて済むし、「これくらいなら…」といった正常性バイアスからも逃れることが出来る。正しい状況認識を持ち、落ち着いて全ての知識を動員し、工夫し、生き残りのために行動しなければならない。生き残ろう!
絶滅させようっていうのにその人一人自殺した所で日本人絶滅には全く意味が無い。
本気で絶滅させようと思ってるなら、もっと他の方法取らないとダメだろう。
テロも精々数百死ねばいい程度だし、核施設など狙えばまた少しは増えるだろうがそこに行くまでが難しいだろう。
某ゲームに出てきた特定言語話者だけ殺す寄生虫みたいな感じとかは日本人を絶滅させるとかいう目的にはいいかもしれないが、そもそもそんなフィクションの産物を設計するのは無理だろう。
草の根的に個人で出来そうな辺りでは、歴史ある国なら大なり小なり負の歴史を持っているものだしそこから引っ張り出してナチスなどといった絶対悪と同一の存在を見なすように仕向けたりして世界的に日本へのヘイトを高めていって、日本を孤立化させ日本人絶滅収容所などを作られても仕方ないあの民族は核で浄化するしかないと思えるようにもっていくのはいいかもしれない。
戦争辺りもいいかもしれないし、前案で世界からヘイトを募りつつ、自国の保守派をバカにして煽る一方日本の軍国化を批判して兵力を削ぐのが良さそう。その過程で内戦で潰れてくれればなおよし。
まぁ件名の通りで、
彼女いない歴7年の独身アラサーが道端で結婚に関するアンケートを受ける
→後日電話がかかってきて雑談の果てに店舗来訪アポを入れられる
→独身のうちから婚約指輪のダイヤを買っておくことで結婚生活に備えられますよ的な提案を受ける
→高かったので断る
というだけの話なのだが、話を聞いているうちにどうもこれは違法性はわからないにしてもアンフェアな気がしたので同様のセールスを他の人が受けたときの一助となるよう知見を共有しようと思う。
具体的な価格の相談になる前に交渉を打ち切ったので、提案を受けたプランが相場相応かについてはわからない。
店舗名は一応伏せておく。
一番はこれ。月々〇万、というような言い方をしているが、ようは総額で100万円近いダイヤモンドを分割払いで買ってね☆というお話だ。
いいと思ったら買えよと言ってるんだなと思って右から左に受け流した。
露骨なデート商法のような感じではないが、事前に担当者が長電話や店頭でカジュアルトークをしてきて個人的な関係を作ってから「今この場で買わないと担当に付かないんですよ!」ともとれる言い方をする。
保険の営業を見習え。あいつら何回提案お断りしてもこっちが話した情報からニーズを汲んで辛抱強くプラン作ってくるぞ。
他に要件があるのにそれを言わずにSMSで雑談仕掛けてくるので面倒だから無視していると拗ねる。メンヘラかよ。
日程確認のような要件言えば済む程度の話で毎日電話してこないで欲しい。
ようは結納や婚約指輪は新郎側の誠意が問われるから新婦側と相談して融通しようなんてとんでもない!という言い方だ。
こういうのに乗っかる人が他人の資産を勝手に断捨離したりするんだろうか。
これは新興宗教やアムウェイの勧誘で慣れていたので大したことはないが、姑息で気に入らない。
ようはこれまで何もしてこなかったんだからここで自分を変えなきゃ変わりませんよ!という文句だ。
なかなかいいことを言うじゃないか。多額の出費を伴わなければ説得力あるのにな。
自分には数人アムウェイ堕ちした旧友がいるが、ほとんどやる気がない適当な勧誘でテンプレとなる手口を教えてくれたことを大変感謝している。
積立貯金であれば多少は金利が多めについてこちらにリターンがあるようになっているが、この場合は分割払いの金利がモロにこっちにかかってくるので将来に備えてるのにむしろ金を多く払う羽目になるという意味がわからないことになる。
また、このことを指摘すると上述したように支出の問題を結婚に対する意識の現れと問題をすり替えてくる。
こういうとき投資をやっていると、「その金を自分で投資に回したほうがリターンがあるか否か」で情報を判別できるので便利である。
自分の場合は3時間かかった。ここまでの間に具体的にいくらのプランにするか、といった話は一切出てきていない。衰弱させてから意思決定させるという意図を邪推してしまう。
まぁでも担当者が要件を言わずに雑談から仕掛けてくるタイプで、私も雑談には結構乗るのでその人の癖もあるかもしれない。
ダイヤの格付けはどうでもいいくせにこういうところの格付けはこだわってしまう。職業病。
なんか都合が悪くなったら看板だけすげ替えて同じことやりそうな感じがある。
女性の目から見ても価格相応の商品を置いているのかが実に気になる。
話に乗って店舗に行ったのは単純に暇だったからと、身のある提案をしてくれれば聞く気はあったのだが、上述した値段以外の疑わしき点が積み重なって断ったほうがいいだろうなとなった。
自分流の断り方だが、「相手を尊重して一旦受け止めた上で互いの価値観の断絶をはっきり認識させて固く断る」というのが一番効果的だと思っている。
断り上手のような雰囲気を出したので最後にオチを付けるが、数年前に油断して朝日新聞を3ヶ月契約した時のことは本気で後悔している。
たかが2500円だが、近くに住んでいるので近所の付き合いとしてなどと言ってギブアンドテイクのギブだけをかっさらった販売員の兄ちゃんのふてぶてしさには今思い出しても虫酸が走る。
ネトウヨと統合失調症に関係があるのではという意見をときどき目にする。
主語を変えてみたけど、違和感がないので、ある程度は正しい気がする。
1.統合失調症の思考障害は解体した思考、話題がとりとめのないものになる等が含まれる。
2.統合失調症の認知機能障害は注意力・判断力・社会的相互関係の理解力・問題の解決力の低下等がある。これらの患者は思考の柔軟性に欠け、他者の意見に耳を貸し、また経験から学び取る力の低下が見られる。加えて機能遂行障害を伴うのが典型で、仕事や家族関係が破壊され、自己管理能力が喪失し、社会や家庭からの孤立化が発生する。
1.ネトウヨの思考障害は解体した思考、話題がとりとめのないものになる等が含まれる。
2.ネトウヨの認知機能障害は注意力・判断力・社会的相互関係の理解力・問題の解決力の低下等がある。これらの患者は思考の柔軟性に欠け、他者の意見に耳を貸し、また経験から学び取る力の低下が見られる。加えて機能遂行障害を伴うのが典型で、仕事や家族関係が破壊され、自己管理能力が喪失し、社会や家庭からの孤立化が発生する。
「価値」とはなんでしょうか。
しかし前売りでのこのような市場にて飛び交う価格は、あくまでもタレント看板だけの「タレント価値(ネームバリュー)」であって、
有名著名タレントだからというだけに殆ど依存された状態にあります。実際の中身はここでは完全に度外視された状態にある・・
これが実に不透明であり、不安定であり、実態のない価格になる・・。
とある、何代にも渡り市場の中でステータスを確立して来た、Aという人気ベストセラー自動車が新型をリリースすることになったとします。
「今まで総じてよいデザインだったし、エンジンも作りも他より毎度抜きん出ていたから、今回も良いに違いないだろう」という前評判は生まれやすいでしょう。
これはいわゆる「期待値」。実車の写真やスペック等、メーカー発表も何もない状態の中、価格だけを先に発表。
それを受けて早くも市場にて、期待値のみで価格が変動、高騰していく・・
中身を全く把握されないのに、定価と過去の実績や経緯から生まれた「期待価格」だけで市場価格が先行していく・・こんなことはあり得ませんね。
ライヴに特化すれば、これがあり得るとし、事前にオークション販売にて価格が釣り上がって行くことが、果たして健全な商法なのか!?と。
「事前価値」はあくまでも「仮の価値」なわけです。決定価値ではない。
もし本当にオークション販売など主催者がやるとすれば、せめてゲネプロのプロモ映像やステージ写真等を参考資料として、事前に揃え明かさなければならないことになります。
ライヴとは、行って初めて分かる、「開けてビックリ玉手箱」の要素が本分でもありますから、それはそぐわない。
だからゆえ、プランに基づいた「制作費」を基礎に定価を定め、なるべく均等広範に売ることが結局はベターなのです。
「高額転売」のみに言及特化しようとするため、その手法のみに知恵を講じようとしますが、それ自体はよいとしても、
その有り様がライヴ興行のあり方や根本的構造、ひいては多くのファンの純然なものまで大きく揺さぶり変えるとすれば、
メリットに対してデメリットの方が勝ってしまう、ということでしょう。
よって、オークション販売などは多くのアーティスト側が望まないことは容易に想像がつきますし、
長いプロモーション活動の中に位置づけられるライヴを、点ではなく線で勘案しているアーティストサイドとしては、
このようなやり方は不健全であると認識するでしょう。無論、時として特別な企画を全面にし、このような方式がとられることは有り得るでしょうし、
またそのような他のアーティストとは一線を画した、特異なアーティストが現れることもあり得るでしょう。
そしてそのアーティストが独自手法で探求していくという活動を行うことも、それはそれとして構わないとは思いますが。
但し、後者の場合そうした「広範な音楽市場から分離した」、「二極化や孤立化された」状態で長く売っていくことはおそらく至難の業であり、
極々狭い領域と特定ファンだけしか対象にしないと端から決め打ちし、僅かの利益で細々と生きていくとするならそれでもいいでしょうが、
そう望むアーティスト等皆無に等しいでしょう。
ライヴにおける本当のWin-Winとは、グッズや付加要素で、小手先だけで埋めるのではなく、多くのファンが一律に目の前のステージにて
アーティストの価値を共有する、ライヴ自体の価値を共有する、そのボルテージや反応によって更にアーティストが昇華する・・
その場その時だけの特別な空間でボールを投げ受けし合う・・ものにも多少よるものの、そこが核であり、それをファンもアーティストも期待します。
その本分を中心に置けば、ファンが二極化してしまうような売り方は受け入れられない、となるでしょう。
なので、高額転売に対する方法論は、諸悪の根源とも言える手法を販売元が公式的に成り代わり行うことではなく、
本人確認等のテクニカルなものを探求し構築、法的な整備、そしてファン側のモラル・・多面的に、同時に回して機能させることが総体的な抑制となるってことでしょう。
日本人は、一方的な自虐史観を止めるべきである。特定の思想(自虐史観)に偏らず、事実を正しく伝えること、ひとつの物事の正解をひとつに決めてしまうのではなく多方面からの視点があること、様々な考え方があることを許容することを教えるべきである。
日本も十数年以上前までは学校で自分の先祖がどんな人だったか調べる授業があったが、特定の圧力団体に配慮して廃止してしまった。その上、自虐史観に基づいて、自分の両親や祖父くらいの年代の人たちが侵略戦争したと一方的に弾劾されてきた。
このような教育を受けていて、どうして子供が親や先祖を敬えると思えるだろうか?自分の親や先祖がどのようなことをしてきたかを知らずして、どうして先祖に感謝し、敬い、自分のアイデンティティを確立させることができるだろうか?
これが現代社会の抱える問題、核家族化、孤独死、社会的孤立化などを作った一因だと思う。
移民国家の米国では、ファミリーヒストリーといって生徒が家系図などを調べて自分の先祖がどんな人だったか、どのようにして米国に来たか、どのような生活をしていたかなどを調べるクラスがある。移民国家だろうが外国人が多かろうがどのような背景があろうが、自分の先祖の人柄や生活ぶりに触れることは情操教育、アイデンティティの確立にあたってとても大切なことだと思う。
第二次世界大戦は日本の侵略戦争と言われるが、それならなぜ、日本が占領していた台湾、パラオ、タイなどは、今でも親日国なのだろうか?
学校教育では日本は侵略戦争をしたからアジアから恨まれている、アジアには親日国など存在しないかのように教えこまれ、そこに疑問を差し挟むことは決して許されないどころか、少しでも否定しようものなら、極右、危険思想を持ちはじめた生徒として弾劾され、洗脳まがいの自虐史観に基づく教育を受けてしまう。
中国人や韓国人が70年以上経ってもまだ恨み続けるほどの残虐行為を日本人がアジア各国でしてきたのなら、前述した親日国の台湾人やパラオ人、タイ人なども中国人や韓国人のように国家ぐるみで日本を恨むのではないか。
しかし、実際には親日国の国民は、日本人に親切で、日本語を喜んで使ったり、日本を好きでいてくれている人も多い。
そして中国や韓国は未だに国家ぐるみで反日教育を続け、日本を恨み、日本で強盗などの犯罪を重ね、最近は竹島問題、尖閣諸島問題、慰安婦問題のように日本の領土を強制占領し、侵略し、世界中で慰安婦像を作ったりしている。果たして中国や韓国の主張する日本人の当時の残虐な侵略行為は事実だったのだろうかと疑問を持つのはおかしなことではないと思う。
ここで大切なのは、反日国の話だけに耳を傾けることだけではなく、反対の親日国の話も、同じくらい丁寧に耳を傾けること、そして単純な白黒判断をするのではなく、それぞれの立場について、その考え方の背景やメリットなども考えた上で、自分自身がどのように思うかである。今までの日本には、このような姿勢が全くなかった。
反日国の話は今までの日本の自虐史観のベースになっているのでこの内容について深く言及することはここではしない。他方、日本では全く触れられることのない親日国の話の中には、日本人が当時、その国のための偉業をなしてきたことを逆に教えてくれる。
例えば日本統治下の台湾で八田与一はダムを作って台湾南部の嘉南平野の農業をおおいに発展させ、今でも現地の人はこの名前をよく知っているという。ところが日本人のほとんどはこの人の名前を知ることはない。
また、近藤兵太郎が指導した嘉義農林学校は台湾の学校だが、1931年第17回の甲子園で準優勝した。現地の人たちは近藤兵太郎を今でも尊敬しているという。
八田与一、近藤兵太郎のなした偉業を知ることは、ひいては自分の先祖に対する尊敬の念を生む。自分の先祖の人柄を知ることは、家族の絆を強くしてくれることでもある。
さらに、こういった事実を知らずして外交をするのは目隠しをして挨拶するようなもので大変危険である。日本は外交オンチと言われるが、その一因はこの一方的な自虐史観に基づく洗脳まがいの教育にあると思う。
まとめるが、親、祖父母、先祖を敬うということは、先祖のしてきたことを正しく知ることが前提となる。
しかし戦後の日本の教育は、自分の親、祖父母の世代で侵略戦争という罪を重ねてきたという一方的な視点に重点をおいて教え込んできた。
自分の親や祖父母と同世代の人間が、つまり自分の親や祖父母と変わらない人間がこのような罪を重ねてきたと教えこまれて、自分の親、祖父母、先祖を敬う気持ちが育つものだろうか?
この戦後の日本の反省教育が、現代日本社会が抱える孤立化、核家族化、孤独死などの問題を作った可能性があると思う。
一方的な敗戦国としての自虐史観以外を決して許さないという考え方は改めるべきである。多種多様な視点を持ち、多種多様な考え方が自由にできるようにしなければならないと思う。
ICJとかユネスコの件でまたぞろ「松岡洋右の再来か!!!!」と腐れ外交官の代名詞みたいな扱いを受けている松岡洋右さん。
しかし、彼はゴリゴリの右派とはいえ、「なるべくなら国連脱退したくない派」でした。連盟を脱退し、国際秩序へ挑戦状をつきつけるヤバさは認識していたのです。
国連を説得できないなら脱退しろ、と言ってきたのは本国政府のほうで、
アメリカに遊学した経験を持つ松岡さんにとっては「無茶振りにもほどがあるだろ」だったらしいですが、
そこはホモ・シャチクンスである日本人であるかなしさ、負け戦とわかっていながら国連へ赴きます。
で、一縷未満の望みに賭けて国連で大演説を行うわけですが、そもそもの満州国擁護からして無理筋もいいところなのですから
いくら弁舌さわやかな松岡さんも無理なものは無理。無茶振りやっといて、やっぱりダメした、からの暴発。このへん古きよき日本の惨敗パターンをなぞってますね(rf. 沖縄戦)。
彼も「全権」と名前はついてるとはいえ、実態としては本国の使い走り。大臣でもなければ現役の外務官でもない。「A(無理な命令)ができないならB(脱退)をやれ」という指示に従うしかありません。ここで本国に楯突いたらそれこそ独断です。
(無茶振りとはいえ)使命を果たせず、日本を孤立化への道に導いてしまった松岡の挫折感は相当なものでした。
彼が肩を落として議場を退場する様子を「堂々退場す」と書き立てたのは新聞でした。
国民は帰国した松岡を旗振って出迎えます。外交的には大失敗を犯した人物を立派な外交官として歓迎したのです。
「国益」と「浪花節」を取り違える国民性はこのころから変わっていません。
落ち込んで帰ってきた松岡さんでしたが、英雄として出迎えくれる国民を見てすっかり気をよくします。その後、右派から更に針を倒してファシスト的な方向へ進みます。
国連脱退により軍部のおぼえよろしきを得ていたこともあって、40年には外務大臣に就任。
香港工作など平行していわゆる三国同盟を推進するものの、そのドイツとの同盟が仇となって日米関係は悪化。ついには真珠湾へと至ります。
ところが、何をどうしたらそういう思考になるのかしりませんが、松岡さんはまさかアメリカと戦争になるとは考えていなかったらしい。日米が開戦すると男松岡は「陛下や国民に申し訳のしようがない」と泣きながら辞任。アメリカとの国力差を認識していたのはアメリカ帰りらしい慧眼でしたが、いかんせんその他が無能すぎました。その後、終戦までの四年はあんまりぱっとしない生活を送ります。
終戦後はA級戦犯として裁かれ、本人も死刑になる気まんまんで望みますが、ここでも彼らしいヘタレぶりを発揮。持病の結核が悪化し、法廷から「まあとりあえず裁判とか後でいいから病院いけよ」と病院送りにされ、そのまま不帰の人となります。享年66歳。最後まで、なんだか咬み合わない人でした。