はてなキーワード: 嫌厭とは
7月からコンビニ3社でレジ袋が有料化 注目高まるエコバッグも新型コロナ感染リスクに不安の声…対策法は?
https://www.nippon.com/ja/news/fnn2020060549399/
>可能であれば、マイバッグは(店に)持ち込まないというのが、感染対策上はいいということになります
>また、街行くエコバッグの利用者66人に「洗濯をしたことがあるか」と尋ねると、半数以上の52%が「ない」と回答。
>こうした中、環境への配慮から始まるレジ袋の有料化。正しいケアさえすれば、エコバッグも安心して使えるという。
>洗濯できるものであれば洗濯して持ち込むというのがいいし、お店に持ち込む前にアルコール等でしっかりと清拭して(店に)持って行かれるのが望ましいと思います
断言しても良いけど、毎回買い物する度にここまで手間をかける人なんていないよ。
例え意識が高い人であってもアルコールを振りかける程度で毎回洗濯なんかするわけがない。
良くて1週間に1度すればマシな方と言えるし、それならばリスク自体は変わらない。
エコバッグ何枚も買って回すとかする人とか今じゃ奇特な方でしょ。
生花や土に植えている植物はそれこそマイバックの使用なんて、非現実的だからそれこそレジ袋の利用は避けられないし、ホムセン関係は大きいものも多くてそういう意味では非効率的。
それに今ですらケーキ屋やパン屋とか個人商店レベルでは嫌がっている所も多いし、企業においても大手の大企業の良く判っていない上層部だけが賛同していて、現場レベルだと余計な手間ばかり増えて嫌がっている人も多いからね。
スーパーにしてもコンビニにしても店員に余計な手間が増えるばかりだからね。
それと喜んでやっているのか内心嫌がっているのか知らないけど、百貨店なんてただでさえ不景気及び消費税の増税、そしてコロナ禍の直撃で瀕死状態なのにここで更なるレジ袋有料化は余計に客足自体が遠のく悪手にしかならないのも目に見えてる。
それにエコバッグ自体小さいものが多いし、大きいものは入らないので絶対客とのトラブルも今後増大するよ(笑)
はっきり言って代替不可能のものも多かったのにも関わらず、強引に強行させたLED普及の時と同じで良く判ってない人が作った机上の空論による産物であり、これを作った人達はそれこそまともに買い物とかした事ない人達なんじゃないかな?
環境対策で一番有効なのはそれこそ人間の活動を潰す事だから、究極的に言えば人類が絶滅する事だってのは専門家も皮肉交じりで言っている事だからね(笑)
この辺もトランプ大統領がパリ協定から離脱し、環境政策自体嫌厭しだした理由なんだしね。
そもそもあの辺の環境対策とやらも排出権辺りから本気でおかしいものばかりだったから。
海洋汚染についてはポイ捨てが原因ならばそれを減らす努力をするのならば、ポイ捨てを防ぐためにゴミ箱を増やす方が効果的であり、レジ袋以外にも要因自体多いのだからはっきり言ってこんなもの家計のコスト増加及び更なる経済の停滞を招くだけであって、害悪でしかないよ。
今じゃ逆にゴミ箱を減らすとか却って不法投棄やポイ捨てする状況を生み出している本末転倒な結果を訳だしね。
ゴミ箱に関しては彼ら曰くテロ対策とか言っている側面もあるからこれだけが問題ではないのだけどさ。
それにそもそも日本だけで禁じても海外から流れて来るものについては意味がないと言える。
また他の人も言っていたけど、市や省庁が収入を増やしたいだけとかポスト先が欲しいとかそう言う思惑で言っているだけである事ももう一般人は見透かしているからね。
しかし当時の児童ポルノ禁止法でも著作権でも何でもそうだけど、意味のない自身の利益の口実に使う様な対策ばかりして余計に事態を悪化させたりする事ばかりしているなと思うね。
そしてこの手の綺麗なお題目で短絡的な規制をやらかす連中ほどやたら海外デハーとか言いたがる人多いのも事実だよね。
これにしても現状ただでさえコロナが問題になっている中でやらかすから、不潔で不衛生である点が更に問題視され、またコロナ禍で企業や経済の回りが悪くなっている上での家計への直撃を招き、不経済的で、より気軽な買い物が嫌厭される状況を作り出すのだから、ただでさえ不景気な上消費税増税とコロナ恐慌が重なり、悪化している中でやるのは経済的にも致命的な打撃を招く一つの要因と化すし、現状それこそあの人達の大好きな海外では万引きが増加した事例もあるから社会不安の悪化にも貢献する上に米国のカルフォルニアでもレジ袋を禁じたら却ってゴミ袋や紙袋の使用が増えて、CO2発生量が増加したと言う本末転倒な結果を招いているみたいだしね。
先進国がスーパーのレジ袋を禁止しても意味ないよ、という記事。
「海のプラスティック廃棄物の半分は中国、フィリピン、インドネシア、ベトナムの4カ国から来てる」また「カリフォルニアがレジ袋を禁止したら、ゴミ袋や紙袋の使用が増えて却ってCO2が増加した」#環境 https://t.co/g16JFm2Njx— 北欧の理想と現実 (@yasemete) June 21, 2019
これじゃ昨今コロナ禍において地方自治体が言っていた三密ならぬ三不を招く状況になる事でしょ。
エネルギー的や資源的にもこの手の意味のない所か害悪な環境対策の方がより無駄な浪費を招いているのは今まで言われている通りでレジ袋なんてそれこそ石油の残りカスから作られているのだから利用しないと逆に無駄な訳。
つーか、どっかの誰かさんも言っていたけど、変なリサイクルをする位ならばこの辺からも燃やした方が余程マシな訳。
SCP-2419みたいに亡霊の残骸が延々に再生するわけじゃないのだからさ。
ただあの人達はダイオキシンやら二酸化炭素やらがその亡霊の残骸みたいに思えているのだろうけど(笑)
しかしここまで環境問題もあの手の団体や政府や官僚が日本に限らず、悪用しているのだからそりゃ環境学や生態学、地球科学とかの専門家ほどうんざりする状況になっているのは理解できるよ。
この問題も変な国連を介したリベラル系団体や主婦系が絡み各国政府が悪用しだしてからより一層おかしな方向に行ったのも事実。
子供の権利や女性の権利とかでもそうだけど、この辺の団体は本当の意味で碌でもない事しかしないよね。
倫理や道徳や平等とかの綺麗事を言って自らの政治思想に悪用する様な事しかしでかさないから。
そもそも環境対策と言うのだけど、本来は人間の生存圏の延命対策なのだから、宇宙開発も見据えた循環システムの構築の研究にこそ力を入れるべきなのだけどね。
どうも省エネ化ばかりみてその辺すらおなざりにしてそこら辺の技術開発すら停滞させているのが今と言うのを実感しているし、その省エネ化すら的外れな所にばかり向かっているのが今だよね。
after緊急事態宣言を考えてみたが、所謂「夜の街」クラスターの原因となったと推測される接待飲食等営業や性風俗関連特殊営業は一時的にほぼ壊滅するんじゃないかと思う。
まずワクチンや治療薬が万民にいきわたらない限り、コロナ以前の経済活動は不可能だ。
仮に緊急事態宣言明けにコロナ以前の経済活動に戻すとなると、無対策の場合の実効再生産率が2を超える以上、再流行し医療の逼迫→再度の緊急事態宣言へと至るのは明白だと思う。
コロナの治療を医療崩壊が起きない程度に諦める(スウェーデン方式)選択であればコロナ以前の経済活動に戻すことも考えられるが、これには死生観の変革も求められ、政治、国民理解のハードルが高い。
諦めずに医療崩壊を防ぐためには2つの選択肢が考えられる。(あるいは併用)
一つ目が所謂諸外国のnew normal、専門家会議が語るところの新しい生活様式を市民が行うことだ。
これは実効再生産率0.5-0.7となる現在の経済活動の水準から若干元に戻し、医療を維持できる実効再生産率0.8-0.9となる程度の経済活動を行う選択と理解している。
この場合、濃厚接触を行う可能性が高い産業には自粛の継続なり接触頻度を低める工夫をしての営業が社会的に求められる可能性が高い。
二つ目が感染者のトレーサビリティを強化したうえで、徹底したクラスター対策を行うことだ。これは韓国、台湾が選択している方式と理解している。
この場合、国民は何らかの形で行動履歴を政府に常時提供し、感染者が判明し次第、過去の行動から接触者を割り出し通知する仕組みを構築する必要がある。
言うまでもなく、このどちらも前述の産業との相性は極めて悪い。
前者の濃厚接触はそもそもこの手の産業が提供している本質的価値そのものであるし、後者のトレーサビリティはこの手の産業の顧客が匿名性を一般的に求める以上、利用を嫌厭する大きな理由になる。
テレビ番組やネットでも「夜の街」産業従事者が緊急事態宣言が明け、元通りになることを心待ちにしている声が流れることがあるが、心の中で「まあ助からんやろうなぁ」と思う。
同じことはインバウンド関連事業者にも思う(海外旅行の復活には日本と旅行者の母国双方の感染が収束している必要があるが、それは年内どころか来年、再来年までかかるケースも多いだろう)。
何回言ったか分からんが政治に罵倒をもってあたるのは自民を有利にするだけだっての
国民が政治を嫌厭したら組織票を持つ自民、公明が有利になるばっかり
そんなことも理解せず、自民を罵倒し、自民支持者を罵倒し、自民が失策を犯すたびに責任とれだの、投票した奴は売国奴だのと言って無党派層を積極的に選挙から遠ざけようとする連中は自民のサポーターだしネトウヨに違いない
無党派層を遠ざけるために汚い言葉を使って政治こわ近寄らんとこさせるインセンティブがあるのが与党支持者!
自民党支持者もやってるじゃんとか言ってる人もいるけど、自民はそうすると有利なの!野党は不利なの!
まじめに日本の将来のことを考えてるなら考えが凝り固まってる強固な与党支持者じゃなくてもっとふんわりしてる消極的支持層や無党派層の方を向いておくれよぅ
ツイッターでUVERworldの男祭りが炎上しているという話を目にした。
検索してみると、なんとなくの流れを把握。
①トークショーへの"応募条件はなし"
↓
↓
↓
ぱっと見なので、もしかすると詳細が違うかもしれないので真に受けないで欲しい。
ちゃんと調べて欲しい。
でもなんとなく、自分が見た感じはこう。
まー、炎上するよな、という内容。
男祭りずるい!!とかではなく、なんで女性も応募は可能にしたんだ?っていう話ですよね。
ファンではない自分が思うのだから、ファンの人たちはもっと思うはずだ。
ただ、ファンではない部外者の自分が何より思ったのは、残酷だな、ということ。
まず男祭りとかやるのどうなの?という話だが、わかる。
男性だけのうおおおおおお!!という歓声の盛り上がり方は、確かに女性では出せないものだ。
ただ、これが悲願というのは女性ファンにとってとてつもなく残酷なことだと思う。
これは好きなバンドの悲願に、自分が必要とされていない、むしろ邪魔、という事実に他ならない。
女性である自分は、好きなバンドの悲願の中に混ざることができない。
そういうことだ。
女性であるという自分ではもう余程のことをしないと変えようのない部分だというのに、それを好きな人たちにいらないと言われたようなものだ。
お金をつぎ込んだのに!!とかそういう話じゃない。
いや、そういう人もいるかもしれないけれど。
好きなバンドが望んでいた光景の中に、自分がいては駄目だという事実を、女性ファンはどう受け取ったのだろう。
ここで言いたいのは、男尊女卑!!平等にしろ!!という話ではなく。
男女という肉体に違いがある以上、男女平等は無理なんじゃないかということ。
可能かどうかではなく、それを実現しようとする動きは大切であるのだけれど、やっぱり完全に男女平等という世の中は来ないと思う。
違いがあれば、無理なことだって当然出てくる。
出そうと思えば出るとか、声の高い男性もいるだろうが、大多数の話だ。
つまり女性という肉体に生まれた以上、内面がどうであれ男祭りという場の雰囲気を作ることはできない。
男性にも言える。
そのアイドルが「男性の手はゴツゴツして嫌だ。女性の方が柔らかくて好き」と言ったとする。
それを公言するアイドルの性格やばいのでは??という問題はとりあえず置いておくとして。
でも言ってしまえばそれも好みだ。
本人の好き嫌いは、倫理観等とは無関係のところから出てきてしまう本能的なものだ。
「そう思うのダメだと思いますよ!」と注意して治るものではない。そう感じてしまうのだから。
そして男性はもちろん、男性である以上、大抵の女性より手は骨太だろう。
自分は男性であるというだけで、好きなアイドルから嫌厭されているということだ。
これに限らず、男性というだけで男性恐怖症の人からは怖がられてしまうし、逆に女性もそういうことがあるだろう。
ここまで言ってしまうと、男女に限らず、身長とかそういう話にもなりそうだ。
性別はその最たるもので、人間をかなり大まかにわけることができる。
今回の炎上問題は、男女の身体の作りが同じにならない限り、これからもこういった性別に関連する問題は無くならないのだろうなと感じた話だった。
カバー曲とかが好きだった俺からすると正直さいきょうのコンテンツだった。
スコットマーフィーが一時期日本でフィーチャーされて、乾杯とかさくらをパンクアレンジして歌っていて
こんなにかっこいい曲になるのか!と思った。
さらに昔で言えばアニメタルなんかも大好きだった。なのでANTHEMを聴くときはえいぞう時代をよく聴いている。
そんなこんなで、同じ曲を長渕が歌うか、スコットマーフィーが歌うかの違いで曲のイメージが一気に変わるとか
水木一郎と坂本えいぞうでこんなに違うのかとか、そういうのが好きな性格なんだと思う。
ボカロで今やヒトリエのGt.Voのwowakaが「裏表ラバーズ」を出したあたりで、
そりゃもう録音環境の整っていない素人のカラオケレベルの歌ってみたが何個も上がる中で、
腹話が歌った裏表ラバーズは異彩を放っていた。
正直最初にボカロ音声で聞いたときは、無機質に早くてごちゃついた曲、というイメージを持ったが、
それこそ今や米津玄師であるハチのマトリョシカやらパンダヒーローなんかも、肉声ってのはここまでパワーがあるんだなと思った。
パンダヒーローでイメージをがらっと変えられて参ったのはKOOLの歌ってみただった。
だから、ニコニコ動画はなあ・・・っていう人を見ると、ちょっとだけさみしくなる。
終わんないからこのへんでいいや
人の創作物のキャラクターを勝手に恋愛関係にした妄想をしたりそういう創作をすることの是非と、ホモ百合の創作物が責められるのはまた別問題だと思うし、後者は実際のところただのマイノリティーの否定ではないかと思っているんだけど、ごっちゃにされがちじゃないだろうか。
私はオタクだし自分にマイノリティーの要素があるのは自覚しているけれどマイノリティーであることを人に責められたくないし、人のマイノリティーを責めたくもないし、そして責められるべきではないと思っている。
こう言ってはなんだけども、むしろ、マイノリティーを責める理屈が解らない。
自分がなんでこうなったのか解らないけど、私は同性愛や、男性女性以外の性別について、全く抵抗を感じない。当たり前に、そりゃああるでしょう、という感じ。
同性愛の人が身近にいたわけでもないし、同性愛ものを人より多く読んで育ったということも特段ないと思う。
なんでこうなったのか解らないけれど、そういう愛の形や、心の在り方に関して、抵抗がない。抵抗を感じる心持ちが解らないほどに、抵抗がない。
前に同性の友達に「実は同性愛者だ」と言われたことがあるけれど、「そうなんだ」で終わった。
たとえばおなじように男女のカップルが2組いたところで、その二人の間にある関係性や愛情が同じなんてこともないだろう。
男女だろうが男男だろうが女女だろうが同じ人間と人間の間にある関係性のひとつで、それ以外の性別だって人間で、性別なんてものは、一人の人間が持つ単なる要素のひとつでしかない。
単なる、とはいえ、その要素を持つからこそその人が成り立つのだから大ごと。
でも本人にとっても、周囲の人にとっても、その重視する度合いは変わる。
こんな風な考えだからなのかわからないけれど、私にはマイノリティーを責める理屈がわからない。
たとえば宗教上駄目というのもあるんだろうけど、そういうのを自分以外の他者にも適用するのは簡単じゃないし、戦争して力で捻じ伏せたところで他者の心にも自分の考えをインプットできるかっていうとそうでもなくて、じゃあ延々話し合えばできるかっていうとそうでもないし、戦争と話し合いとスキンシップと敬遠と嫌厭で許容できるだけの距離をはかりあって付き合うしかない。
私はただの恋愛ものが大好きで、すてきなふたりがお互いを好きであるなら、「一生添い遂げてしまえ」、と思うし、同性愛や男女以外の性別の人たちにも、そうであることについての葛藤とか苦しみとか悲しみとかを感じずに済んで欲しいなあと思うし、そんなものを除いた、同性愛や男女以外の性別の人たちの恋愛ものだって、もっと読みたい。
最初に書いた文の、前者の「キャラクターを勝手に恋愛関係にした妄想をしたりそういう創作をすることの是非」については……これに関しても発表されている創作物に対して自由な感想を持つことは責められるべきじゃないし、同じような感想を持つファンとファンでそれを共有することが責められる意味もよくわからない。
ただそれで発表されている創作物自体が損害を被るのは問題だし、そうなる可能性のある行動を軽軽に傍若無人に取るべきではない、とは思う。
あ、性的なものを堂々と多くの人の目に触れる場所に掲げるのも問題というか、普通に迷惑だと思います。
本当に純粋にこう思うのだけど、オタクがこれを言ったら、ただの自己正当化の屁理屈のように取られるのかなあ。
創作と現実はごっちゃにすべきでない、そりゃそうだけど、別に現実にだって普通にあるでしょ、そんなこと。それ自体が私の勘違いだろうか?いいやそんなはずない。
ちなみに私自身は異性に目がいく傾向があるけれど、たぶん同性の人にも恋に落ちるときは落ちるだろうなあ、という気がする。どうも私にとっての性別は、人を好きになるとき、そんなに重要視する要素じゃなさそう。
たぶんわたし、無神経なのかもしれないなあとも思う。