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はてなキーワード: 姨捨とは

2013-09-01

社会保障費を減らす方法

65歳以上で通院日数が一定数を超える人は強制的に死んでいただくことにしたら

社会保障費が抑制できるんじゃないの、って思ってる。

介護医療にかかる負の稼働も軽減されるしいいことづくめ。

非人道的とは思いつつも、過去には姨捨山という名の口減らしがあったわけで、

老人を支えきれずに若年層の負担を強いるなら、一度検討して欲しい。

2011-09-17

若者世代が生き残るたったひとつの冴えたやり方

はてなーが大好き、「最近の若者はかわいそう論」。

 

 

ぶっちゃけ老害搾取される若者っていう構図は、

現状の年齢別人口構成と出生率を考えるとどーにもならんよね。

日本いるかぎりはさ。

 

じゃあ海外に逃げるか。といっても、

それでもたぶん日本の住み安さはまだまだトップクラスで、

それを選ぶ人はしばらくは少数派なのではないだろうか。

 

 

はい若者アウト!ってどっかのお気楽ブロガーも言ってたけど、

 

ほんとに日本にいる限りどうにもならないのか。

と言われるとちょっと違うんじゃないかと思う。

 

若者VS高齢者の構図で若者ジリ貧になってるのは

 

①  高齢者の数が多い(選挙に行く人の割合も多い)

② 彼らがすでに既得権益を手にしている。

 

このあたりが本質的な理由とすると、

若者が勝つためには、

 

A 高齢者よりも数を増やす。

B 高齢者から既得権益をもらう。or高齢者既得権益を持ってない領域をみつける。

 

という方向性が考えられます

 

「何をアホな…」と思った人。よくきいてください。

 

 

上記の2つを日本全体でやるのは無理。

 

 

じゃあ、日本の一部でならどうか。

 

今、首都圏に住んでいる若者が、過疎化が進んでいる地域

大挙して押し寄せ、その地域でのマジョリティになる。

 

家賃は安いし、環境も良いし、

最初の方は歓迎もされるんじゃないかしら。

 

もちろん、仕事はないから、仕事を興せる力のある人が

ある程度まとまっていく必要はあるけど。

 

あと年金は払わない。

 

まあ、その地域にすでに住んでいる高齢者の援助と

自分の親くらいに仕送りをしてやれば、いいんじゃないのかしら。

 

 

他の高齢者は、無視。

しっぺ返しだよね。

 

名付けて『日本姨捨山作戦』

 

 

若者の移住先は北海道九州あたりがおすすめ

一次産業がしっかりしてるし、交通網も整備されている。

 

一次産業はどこでも、後継者不足であえいでいるから、

若者

 

一次産業で資金作り → 起業 → 成功

                     → 失敗 → 1次産業に戻って借金返済

 

みたいなのを基本方針にしてみたらいいんじゃないかしら。           

 

  

なんてことを妄想するのが楽しいんだが、皆様はどう思う?

 

 

 

追記① 9/17 14:00

皆様ご意見どうもです

 

>要するに別の土地ユートピアを作ってこうぜ!って話

 

要約すると、たしかにこんな話ですね。

 

歴史を見ても、既存環境勝ち組になれなかった人が、

「じゃあ他の土地で一旗あげてやるか。」っていうのは割とスタンダードかなと。

アメリカ開拓史なんてまさにそう。)

 

から若者世代でも既存システム内で自分の居場所がある人は、(今すでにメリットがある人)

特にこんな話には関心を持つ必要がそもそもないけど、

 

そうじゃない人は、総体としてはかなりの人数はいるんだから

まとまってどこかの土地に移住すればいいんじゃないのかな。

 

いまの日本は、全体的に高齢化が進んでるけど、

局所的に、若者ばっかりの土地があればいいんじゃないかなという話。

 

 

本来であれば、こういう話はもっと行政がやるべきであって、

 

税収がない地方が、もっと人を呼び込みたい。

じゃあ、金もってる団塊の世代集めたいから、

彼らの第二の人生向けに商業施設とか生涯学習の場を誘致して、

他の場所と比べて安いお金で家の建て替えができるようにする。

とかだったらちょっと現実性あるでしょう。

 

地域単位での、海外から移民受け入れとかもね。

 

これと同じレベルで、

若者を集めた方が、地域としては持続的に発展するし、

どうせなら、日本人の方が良いと考えれば、

じゃあ若者にとって良い環境を整えようかっていう地域

出てくればいいよね。

 

から行政の指導力があればそれなりに現実的。

 

実際は行政にはあんまり期待できないから、

若者が自発的にそういう流れをつくるのが良いかなーと。

 

2010-10-16

我、思う。自殺の自由は本当に有るのか?

ふと思ったが、何で周りは自殺すら否定するのかい?

職がないし国土狭い、無駄な人員を養う金が無い…そうなったらさいっそ

昔あった姨捨山ならぬ、国営の自殺場作っても良くないか?

精神障害を苦にして死にたいと思う人間だってたくさんいるのだろうし。

1年位様子を見ても、自殺する意思が変わらないとか

理由を尋ね自殺するのに値すると言うものには自殺する場所を指定し

好きな方法で死ね土地があってもいいのではなかろうか?

これで自殺による事故物件も少なくなるだろう。

もしかしたら官営の自殺場があって、いつでも自殺が自由にできるならそれが支えになっちゃって

自殺の自由」と逆説的なことになるが、自殺をする人が減るかもしれない。

もっとも私は、もし官営の自殺場ができたら即、自殺の申し込みに行くね。

2010-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20100909131729

そして産まれる元気な子供社会お荷物扱いされて、姨捨山に捨てられるわけですね。

2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020154231

長生きすればいずれ自分を高齢になるのに

アトム草薙少佐が実用化でもしない限り

俺等が老人になる頃には自己責任姨捨山法が成立しているし、医療も受けられないだろうから長生きできないよ。

ましてや自分介護を受ける立場になる可能性は限りなく0だよ。

2008-12-25

死について考えない振りをし続けようと想う

著名人の死を目の当たりにして、

今日考えた事を書いてみようと想う。

まず、「死」そのものには尊厳なんて無い。

当たり前の事だが「死ぬ事」と「死」は違う。

ベッドの上で看取られる事も、山で遭難して動物の餌になる事も、

根本的には何も違わない。

精々「生き残った人間の当人に対しての感情」が、違うくらいじゃないかと想う。

どう違うのかを言及できないくらい「生き残った側からみた死」については考えてこなかった。

それが少し悔やまれる所だが、これから死ぬまでに考えればよいか。

病床と言うベッドで死を迎える事は、澁澤翁が何か書いていたな。

勿論未読。僕にとってはまだ読めないものだ。

山で死を迎える事は、当人が望む場合もある。

鳥葬とまでは言わないが、散骨を望む人もいる。

姨捨山を思い出す。おいてけ堀というマンガ日本昔話も同時に思い出す。

どちらも、子供心に嫌なにおいがした。

生きている時間をうまく使える人間は、

死の間際に、何を見るのだろう。

死にたいと声をあげる輩の多い。

不遇な死を迎える人間も多い。

これも、全く、自然活動の中では、意味の無いようなものだな。

死には、死という事しか意味がない。

死にたい奴が生き残り、

生きたい奴は生きて、

それで世界は回っている。

死を迎えた人間は、

そのままその世界から居なくなるだけだ。

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