はてなキーワード: 大成とは
うーん?
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1805/25/news032.html
どうにもメディアの記事の出し方が少し時代遅れになっているように見える。
すでに日本のアニオタの間では「日本のアニメはニッチなもので各国でもニッチなものである」
なんて勘違いした認識を持っている人はもうあまりいないだろう(10年くらい前の話じゃないか?)
にもかかわらず、どうにもこういった各国の事情を紹介する記事は
という誤ったナショナリズム的な警戒意識が透けて見えてしまう。
という視点だ。
マニアックな趣味である俺たちと同じ海外のアニオタはどういう作品に興味を持っているのだろうという言い方になっている。
つまりこれは海外のニッチなアニオタたちと意見を共有したい・交歓したいという視点だ。
「グッズやライブを楽しむ人を増やしたい、つまりアニオタを増加させる」
という戦略をとっている(コアではない人はライブやイベントまでいかないだろう)
ゲームオブスローンズを見ている人にアニメを一緒に見てもらう。
という戦略では決してない。
(もちろんゲームオブスローンズとアニメを一緒にみるのはありなんだけど。というか俺も見てるし)
にも関わらずいまだにメディアがこういった態度を取っているのは非常にまずい。
「世界中で協力して盛り上げていこう」
商業的にアメリカ1強(+日本)だったため、総数の少なかったアニメーションという媒体そのものが技術の進歩や後進国の発展によって増加しつつある。
アヌシーの南米などに対するフォローアップや中国産アニメの勃興にそれは目に見えて現れている。
そしてご存知の通り日本産アニメの海外における大幅な市場規模の拡大だ。
ニッチはニッチであり、今後もニッチのままだろうがそのニッチの数が大幅に増大しつつある。
日本のアニメの海外における今の市場規模の爆発的な増大はその流れに乗った物だ(そして同時に貢献しつつもある)
世界は今その勢いに乗ってアニメーション業界を盛り立てていこうとしている。
それを、ナショナリズム丸出しで日本人にマウンティングする記事には違和感しかない。
「世界のアニメーション業界の発展に貢献します。そしてそれが自分達の利益にもなる」
であって「某国が大成長して日本を飲み込もうとしている」なんてネトウヨみたいな言葉じゃない。
規制の激しく、党の裁量の大きい中国に対して警戒が必要なのはわかるし、難しい立ち回りを強いられているのもわかる。
でも他の国に対する記事もこんな感じの話ばっかりだ。
人の選分をしましょう。お人好しには詐欺師とか相手を利用したいだけのやつが寄ってくるよ。
9割の人間にはお人好しでいいが、1割には冷酷に当たり、無視しないとならない。
多分こういう事書いてたら、揶揄するような書き込みがここなら来るが、それも無視しないと。
たぶんそんな人を選り分けるなんて、、、って思ってしまうでしょう。
だけど。9割お人好しは幸せになれるが、10割お人好しには有害なやつがよってきて、逆に一番苦しむパターン。
基準としては下記の通りに。
https://tabi-labo.com/280848/changelife
それから、
北康利「本当は人一倍情が深いのだが、商売を続けていくうち、時に非情な決断をすることも必要なのだと悟った人間こそが商売人として大成する」
別に目に写って困った人を助けたらそれでいいじゃない?
ただ2点、
一つは、お人好しすぎるやつは、それにたらしこもうというやつに漬け込まれる。ゲス、詐欺師、悪友、取り巻き。
そういうやつは切らないとならない。けど、ゲス連中はあなたが聞くの当たり前だと思ってるから、むしろ普通の人よりもだいぶきつくあたってくる。それは覚悟しな。
さらに、何も考えてない「みんな仲良くしたらいいのに」みたいな周りが湧いて生きて、そいつらまで敵になる。けど、切らないとならない。ゲスにずっと苦しめられるだけだから。
そういうパッパラパー、まあこれもお人好しだが、お人好しの周りは、お前が我慢して苦しめ、だけ。まずたすけてくれないよ?ゲスを我慢しないお前が悪いんだという形でね。
9割お人好しでいいが、1割はとにかく冷酷でないとならない。
お人好しに生きるのってじつは辛いんだよ?
もう一点。
お人好しは、周りにどう思われたいという気持ちと関わってくる。だけど、上記のようなむしろお人好しだからこそ漬け込むやつに10割のお人好しは苦しめられる。
こちらが尽くしてもむしろ裏切られることはあるが、それでも構わないという気持ちを持たないと。
むしろ、たすけたいたすけたいと思うんじゃなくて、自然に気づいたことをするぐらいがいいよ。
お人好しはある程度人を見てね。
「本当は人一倍情が深いのだが、商売を続けていくうちに、時には非情であることも必要なのだと悟った人間こそが、商売人として大成する。 」 北 康利 、安田善次郎伝記内で。
もちろんそういう趣味自体は否定しないから「アナルセックス特集号」とか「アナル専門作家」とかいうことでやっていくなら文句はない。
普段そういうの描かない作家がバリエーション出しましたみたいな顔でアナルセックス描くのはほんとむかつく。
そのぐらいにはジャンルが違うんだよ。
具体的に今何にむかついてるかというと
こんちきはずっとweb雑誌で面白くもない一般漫画描いてたのが終わって、
ようやくエロ漫画雑誌に帰ってきて、それに気付くのが遅れてアマゾンじゃ売り切れてたからたくさんwebショップ探してようやく3月号の在庫残ってるとこ見つけて入手して、それがギャグっぽくお茶を濁したアナルセックス漫画だった時のむかつきがわかるか?
俺はマジでむかついてんだぞ。
のびのび輝けるエロ漫画を休んで一般漫画に身を押し込んだ覚悟がぬるいわけはないよな。
それなのにあんなに誌面から伝わってくるほどのこなし仕事感を放射してたのは何故だったのか?
お前は照れてるんだよ。
いまだに本気の自分をぶつけることを恥ずかしがってる。
エロ漫画描いてる時より一般漫画描いてる時の方が照れが激しい。
だからことさらにテンプレルーチン感の強い展開やキャラ出しばっかり選んだ。
お前いつまでそんなことやってるんだ?
お前みたいに斜に構えてパンツ脱げないまま歳食った作家でろくなことになってる奴は居ないぞ。
「なんでもっと全力でやってみなかったんだ」っていう後悔を抱えてつまんない漫画描いてるだけのやつになる。
お前みたいに結構画力が有って器用な奴ほどテクに驕って自分を大事にし過ぎて恥ずかしがってそういう末路になるんだ。
ISUTOSHIとか新貝田鉄也郎とかみたいにな。エロ漫画ならかるま龍狼とかがお前に似てるよ。
かつて人より抜きん出た技術がありながら斜に構えるのがかっこいいと勘違いして
一度も全力でやれずにパッとした代表作もなくいつが全盛期だったのかもわからないまま老い果てて取り返しが付かなくなった奴等だ。
あいつは木尾士目やひぐちアサ等がかっこつけるのやめてパンツ脱いで大成したのを見習えないみたいだ。)
お前はまだあそこまでいってない。まだギリギリ間に合うだろ。
今パンツ脱がなかったらもうチャンスはないぞ。
危機感がないのかガッツが落ちてるのかしらないが、今が正念場だと思ってくれよ。
エロ漫画でまで照れのあるお茶濁し漫画描いてる場合じゃねえんだよ。
もっとお前が全力でエロいと思えるエロエロでも、恥ずかしいぐらいのラブラブでも、そういうの描いてみろよ。
もう一回一般やりたいなら一般でもいいけど、「こなしてまーす」みたいな言い訳のオーラ出すのもうやめろよ。
入れ込むのでも冷めるのでもなく、落ち着いて自分を見つめて、自分の中から出てくるものを恥ずかしがらずぶつけてくれよ。
あれが全力だったと認められるか?
お前が全力だったと自分を騙しても俺が認めねえよ。
いい加減「結構描けてるよな」っていう器用さや技術に逃げ込むのやめて、そこから飛び出してくれよ。
まだ全然間に合うぞ。
最近のアニメ系カルチャーでいうとμ'sとかキズナアイとかかな。
アイドルというか、この人(達)はきっと大成する、みたいな「アイドル性」を嗅ぎつける嗅覚が鋭い人っているよね。
俺はまだまだで、 彼らよりは遅いがネットでバズるよりは早く見つけ出せる程度のアンテナ感度しかないけども。
最近の傾向としては、性的なポリコレ感覚やオトナ的なバランス感覚の優れた人で、かつ体当たり芸人ばりに挑戦を厭わない人が成功するように思える。
アイドルじゃないけどヒカキンとかも多分そうだろう。でもそういう意識ってガチの若い子にはなかなか備わってないもんだよね普通は。
人生経験に従って醸成されていく理想像、美意識みたいなものだから。
なので、なんらかのスキームによって中身年齢の高さを隠蔽しているアイドル的存在にアンテナを張っておくのがいいと思う。
つまり何が言いたいかというと、過去に見過ごしてしまった人のことを悔いてもしょうがないから、
その反省を生かして次の時代の担い手を初期から支えてあげようってことですな。それがある意味で償いだろうね。エンジェルになれということよ。
後継者講習会なるものに参加して来た。(http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/kokeisha/)
これは、20~40歳までの男女が3日間で教理を学ぶ合宿みたいなものだ。私も実家の流れには逆らえず今回参加した。
似たような行事(学修・リー講)にはよく参加はしていた。にもかかわらず大して得るものもなくなあなあで続けて来た信仰だが、今回の3日間では色々思うところがあった。
私の実家は教会で、生まれてからずっと天理教の教育を受けていた。毎日のおつとめや神名流し・路傍公演など経験させられて来た。しかも、管内の学校でがっつり教理を学んでさえいた。
だが私は釈然としない。本当に神様などいるのだろうか、いたとしてもコテコテの関西弁をしゃべるような神様なのだろうか
実家の教会を継ぐこともあり得るようなポジションにいる私だが、幼少のころの実家の貧乏な惨状を覚えているので、自身の子供に同じような経験をさせたいとは到底思わないし、性格がねじ曲がっているので教会長を引き継げる気もしない
あくまで天理教を否定しているわけではない。しかし信じてはいない。宗教は社会的にはセーフティネットであり、個人レベルでは内的なスタビライザーとして機能しているのだ。私はその一つとして天理教を見ている。
そんな状態で講習に参加した。
色々な講師のお話を聞いていると、どの講師も同じような話しかしていない。「夫婦仲良く」や「陽気ぐらしは自分がやればみんなに広がる」など、自明なことをつらつらと数十分と語っていることに改めて気づいた。天理教の教理のトピックは幾多にもあるはずだが、幼少から様々な講話や教理を勉強している私にとってはどれも何処かで聞いたような話(しかも自明的な内容)である。それゆえ眠くなっても仕方ない。最初の5分ほど講師の話を聞くといつもまぶたが落ちて来ていた
これは1意見だが、20~40歳の男子女子がそんな好んで教理を聞くだろうか?もっと面白い話や、エッジの効いた弁士オリジナルの教理の解釈を話せば良いのでは?と気になっていた。もし解釈が他人と大きくずれていてもそれでいい。ずれが聞き手に疑問を残す。疑問が議論につながる。議論こそが思考を引き起こす手っ取り早い方法なのではと思う。
また、気になったのがグループワークだ。
このような講習では、毎回知らない人とグループを組み、教理について色々議論する時間がある。3日間でトータル5時間ぐらいだろうか、
参加者は20歳を超えているから一部の大学生とその他大勢の社会人のはずで、前で人が喋っている時にベラベラ喋ったり、出会いを求めにギラギラした目で女性を見る輩はいないだろうと思っていた。
しかし実際は各班30人のうち、一人はそんな輩が存在していた。いったい何をしに来ているのか?天理教の教理を知っていながらどうしてああも横暴がでいるのか、「八つのほこり」を頭にきざみこめ低脳め。
講習中は基本的には各部屋での飲酒が禁止されているのだが、ゆうづとめが終わると、大勢の受講者が近くのファミマでカゴいっぱいの酒を買っている。部屋で消灯を過ぎても飲んでいるzちゅ後者を見ても監督者は見て見ぬ振り。過去には鍋や焼肉も宿泊部屋で行われていたらしい
私としては、同じ部屋の仲間と仲を深めれて楽しかったが、学修やリー講の時は厳しかった門限やその他ルールと比べると、後継者講習会はルールというものが全く機能していない。
おそらく社会人になると、いうことを聞かない適当な大人が増えているのだろうと思うと悲しくなった。
働きながら信仰をしている有名な方もたくさんいることに驚いた。
チューリッヒのCEOや万田酵素の社長など、大成しているひともいらっしゃるのだ。こういう大人になりたいものだと私は思った
芸術祭や音楽祭をやるのは、観光客を呼んでお金を落としてもらうためであって、芸術家を育てるためではないと思う。
瀬戸内芸術祭には行ったことがあるけど、ほとんどの場所が入場無料で、有料なのは直島の美術館や、既に名が売れている芸術家の作品だけだったように記憶している。
あれは芸術家の支援というより町おこしイベントだ。ああいう芸術祭に作品を出すことで有名になって売れっ子になる人もいるかも知れないけど、特に役所が旗降り役の芸術祭では、基本的に出展する芸術家に対して「作品を発表する場を提供してやるからありがたく思え」というスタンスではないかと思う。
やっぱり芸術は音楽でも美術でも贅沢品なんだと思う。大成するかどうか先の読めない芸術家の卵に税金を使うぐらいなら、最近問題のいわゆる非正規雇用の人々の貧困問題対策とか保育所の充実とかに使ってほしいと思う。
そもそもアートはアーティストになりたい人々と実際にアーティストとして成功する人の差が激しいジャンルだ。正直一部の才能や名声に恵まれた人以外に対するニーズはない。
だからそんな割りの悪い投資を税金を使ってすべきではないと思う。できれば昔のヨーロッパみたいに芸術に理解のあるお金持ちが「こいつは凄い!」と見込んだ芸術家のパトロンになるみたいなのがあれば良いけど、今時のお金持ちって芸術方面に投資する気があるように見えない。
申し訳ないが基本的にアーティストは自助努力と才能と運次第だと思う。それに生きてるときは全然評価されなかった作品が作者の死後に評価されることもあり得る。貧困生活に耐えてでもアートの道一筋で頑張るか、他の仕事をやりながら趣味としてアートをやるか、アーティスト志望者はほとんどこの二択から生き方を選ぶしかないんじゃないの?
彼女が最初に出した宣言の訳文を読んでみても、性犯罪や意に沿わぬ誘いは否定されるべきである、という前提の上で、男は女に言い寄る権利があると書いてあった。
それがどういう経緯があってか、欧米では「性犯罪者を擁護している」という論調で批判されたらしい。
この時点で、ドヌーブ氏が批判される合理性は無いし、氏を批判している側の方がおかしいことは明らかだ。
ここからは私の持論になるのだが、ドヌーブ氏が今回理不尽に批判されたのは、それ以外の理由があるのではないかと思っている。
私はドヌーブ氏の経歴を調べてみたが、17歳で女優デビューし、フランス芸能界における大女優として大成した、まさにフランスを代表する美人とも言える。
ドヌーブ氏の経歴については、検索するといくらでも調べることができるので、皆さんでも各自で知ってみてほしい。
御歳74になる大女優であり、男女関係に関する様々な経験や目撃を体験されているのだろうし、その人物の言葉だから非常に重みもある。
しかし、フランスを代表する国民的な美人であり大女優であるドヌーブ氏が「男性嫌悪をあおる女権運動は認めない」と発言したことについて、琴線に触れた人も多かったのではないか。
「それはフランス一の美人であるあなただから言えることなんだ」
「美人なあなたがそのことを言ったとしても、多くの国民は嫌みだと受け取るだけではないか」