はてなキーワード: 大成とは
婚活も男女のイベントも、専業主婦とリーマンの関係も、ほぼ企業と労働者の採用活動に近い。
そう考えた時、セックス経験が多いと男として優れてるのか。それは場合によるとしか言いようがない。
・売れてるフリーランス
・ヘッドハント、乗り換えて質を上げるタイプ
これは優秀な男だと思う。目の前の彼女と付き合って、いい女が居たらどんどん乗り換える。リストラされない。ルパン三世とかアイアンマン系。大成するし、
フリーターとかその類。転職しまくる事で一見上に似ているように見えるが、同じようなレベルの女と遊び続ける。
様々な経験はするが広く浅く、優秀かと言われると微妙。振られる事が多い。よくいるヤリチン
ブラック企業とはつまり風俗の事。簡単に金を払うだけで採用されるが、リターンが少ない。でもここである程度技術をこなせば、大企業も夢ではないかも。お前の事。
優秀かと言われると微妙だが、優秀で無いかと言われるとまた別かもしれない。大企業に成長するかもしれないし、就職したのは大企業かもしれない。比較しにくい。よく居る一途な漫画の主人公タイプ。
・無職
童貞のこと。俺の事。
起業周りで真に求められてるのはエンターティメントだからでしょ。それは数だけ増やすためにおバカが乗ってくれないかを狙うお役所様含めてね。
正直週刊ジャンプやらを読むような感覚で興奮させるエンターティメントを求めている。
そこに、バカをおだてれば、金も時間もかけないでも革新的な技術/ベンチャーが生まれるんだという連中が乗っかる。
でも、仮にそのいかがわしい奴が消え去ったとしても、まともなスタートアップやらは生まれないと思うよ。
起業が増えないってのは博士過程進学者が減っている、大学の研究力がどんどん落ちてるのと同じだと思うわ。
素人から見てよくわからないものに金を出したくない。探せば、素人にもすぐわかって金も時間もかけないでも大成果を出すものが生まれてくれる。
更に、挑んだバカは使い潰せばいいと
エンタメ的に興奮させるために金も時間も出さなくても1クールで成果が出るような求める風潮がああいうのを産んだからというのはあるだろう。
だからといってあれは一つの姿にしか過ぎない。だから、ああいうのをなくしたからと言って、夢や希望のない、博士アライさん、ポスドクアライさんみたいな起業しか残らんって。
友だちが統合失調症になった。私がアパートに様子を見に行ったときは既に「手遅れ」だった。
とはいえ、パッと見はそこまでヤバくない。一応、コンビニで買い物をして最低限の生活はしていたようである。しかし話してみると分かる。言っていることが支離滅裂だ。日本語で話しているはずなのに意味不明というのは何ともいえない恐怖である。何も返事のしようがないので気のない返事をしていると「あなたが適当な相槌しか打たないのは、黒幕の男性に操られているからだ」という。仕方がないので私がタクシーで精神病院に連れて行ったところ、そのまま保護室に入院となり、現在は退院したようである。
病状が進行してしまったこと自体は可哀そうだが、何人かの友人が怪訝な調子で話していたのと同様、私もかなりもやもやしている。あれから数か月経って今更こんなものを書いているのだから、そのもやもやたるやという感じである。
例えば、Eはかなりキツい口調で「なぜ働いていなかったの」と言っていた。あの子は一流の私立大学を卒業して以来、定職に就いていなかった。風俗の仕事ばかり転々として、会う度に職場が変わっていた。最も長く勤めていたのは、そこそこ特殊な風俗だったと思う。素敵な仕事だと思うが、病気になる前から不安定だった人間にとって、デリバリーで「変態」を相手にするという仕事が適切なのかどうか。
今振り返ってみるともう手遅れだった昨年の秋、私は「昼間の仕事をしないのか」と話した覚えがある。コンビニのアルバイトでもいいから(というのはコンビニで働く人に失礼な話だが)、週に何日か日中にシフトを入れれば生活リズムも整うだろうし、疲れたら今よりもよく眠れるのではないのかという話をした気がする。それに少し無理をしてでも人と接するのがよいとつくづく思う。
こうした話を私は以前にもあの子にした気がする。多分、仕事に関する私の考え方は変わらないので以前にもしたのだろう。しかしあの子は結局働かなかった。いや、働いてはいたのだが、自活はできていなかった。
じゃあどうやって生活していたかというと、結局親に依存していた。実家を出ていたこともあるが、そのときも親の援助で下宿をしていたし、最後に実家を飛び出したときも親が家賃と生活費を負担していた。しかし病状が進行したあの子は「親から虐待されていたので入院することは親に知られたくない。保険証も使いたくない」と言って私と精神科医を困らせた。
あの子には夢があった。作家になるという夢だ。とある雑誌に投稿し、投稿欄のようなものに掲載されていたりしたようである。
創作に打ち込みたいから働きたくないという気持ちはよくわかる。仕事で一日の大分を使えば、読書をする時間も、創作をする時間も限られる。何より働いていると「感性」が鋳型に嵌められて想像力が衰えると思う。
とはいえ、とはいえ私たちはもうこの歳だ。この歳で作家として世に出ていない以上、「才能」なんてないのだと自分に蹴りをつけなければならない。
もちろん遅咲きの作家もいる。華々しく世に出なくても、徐々に大成する人もいる。熱意があるなら諦める必要はないと思う。私は筆を折って「社会人」になれなんて言わない。でも働かずに創作や演劇に打ち込んでいいのは、そのことで病まない人だけだよ。そしてそんな人は五万といる。なぜあの子は働きながら執筆を続けるという手堅くも痛々しい生活を選ばなかったのだろう。
あの子は「安定した収入がないこと」「生産性がないこと」を気に病んでいた。それが最後には幻聴として聞こえるようになったようである。Yが「あの子はいつも『私は創作に打ち込んでいるから』と必死に説明していた」と回想していた。そんなに気に病むくらいなら尚更なぜ働かなかったのだろうと思う。開き直るか、働くか。
私は一度「なんで私がこんな仕事をという気持ちがあるのかもしれないけれど」というようなことを言って釘を刺したと思う。「こんな仕事」でも、何者でもない私たちはせっせと働かねばならないし、誰しもがそうしているのに。
退院したあの子は自宅で療養しているようである。実家が裕福なので、生活費や通院費に事欠くことはないのだろう。でも今後はどうするのだろう。あの子には、履歴書に書ける職歴がほぼない。面接に行けば必ず突っ込まれるだろう。Yは「このまま自殺するか、引きこもりになるんじゃない」と心配していたが、そうならないことを祈る。僕たちはみんな何者にもなれなかった自分と折り合いをつけて生きている。あの子もそこに加わってくれるといいのだが。
(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)
(ネタバレ注意。)
そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。
スター・ウォーズの世界は、その全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている。
ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。
だから、正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき、大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じにしかならなそうなのに、どうすんだと。
何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。
そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。
全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。
スターウォーズの世界設定では、ジェダイは世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛や結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界の歴史においてはep4~ep6の出来事が例外的なのである。
また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルークの家系が代々続くジェダイの家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖を比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。
ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代のライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいるから、おまえいらない」と言われる心配が無い。
ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別なジェダイなのである。
ジェダイだのフォースだのも、ルークの活躍を支援するために存在する。
ジェダイの思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルークは師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)
ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)
反乱軍の兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。
ライトセイバーやビームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。
このように、ルークの活躍をストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。
そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。
ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。
そんな退屈な平和。映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和。
ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。
観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。
カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆でジェダイになるなんて話が見たいか?
みんな大好き「血統の物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。
ベン・ソロがダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。
無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。
ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。
マスクの扱いが象徴的である。ダースベイダーにとって、マスクは生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスクは特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。
ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。
ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。
みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統の物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズは血統の物語じゃなくてもいいんだよ。
ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。
ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。
ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロがダークサイドに転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイの出自とか、レイロ(レイ/カイロ・レンのカップリング)とかは良かった。
特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。
なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去の正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。
みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るからに威圧的で尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。
ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。
カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから、自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。
レイはシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通のライトセイバー戦で終わってしまった。
で、キスしちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味なキスシーンよりはマシだったし。)
レイは自分のことを「レイ・スカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。
ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。
かといって、レイ・パルパティーンとか名乗られても、銀河に悪名高いシスの名前だからちょっと不穏すぎる。
このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロのファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイ・ソロって名乗るも、やっぱり違う。
書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。
まあ、ぶっちゃけスターウォーズに人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだから。スターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙を疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞。
ep7で、レイがスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーのマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージを言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。
ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。
ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススターの設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。
ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。
帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。
面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティブデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。
あと、バトルドロイドの可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎドロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。
だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。
これを書くべきかどうか私は悶々と悩んでいたし、だからこそ匿名での発表になってしまった。意気地無しですまん。
幼少から私は薄ぼんやりと自分は特別な何かになるんだと信じて疑わない子どもだったように思う。いや、子どもは普通そういう夢想に耽るものなのかもしれないね。
まあ、そんなどこにでもいる、世界で一人だけの特別な子どもだった。
問題はそれからだった。その「特別な自分」妄想は20を越えてもなお続いていた。
「私は絶対に大成する」と漠然と思いながら一日中YouTubeを見て暮らす大学生、それが私だった。
そんな自分に嫌気がさしながらも、変わる努力のめんどくささから目を背け、怠惰に時を貪った。
結局かつての自分が思い描いた20歳の自分の要素は5%くらいしかなくて、夜な夜な泣きながらストゼロロング缶を飲んで東海オンエアを見た。
東海オンエアはいい、最高にくだらなくて最高に面白い。時間を忘れ、今の自分の情けなさから逃れられる。
そして東海オンエアをずっとずっとずっと見た。見ていたらふと「あ、私って東海オンエアにはなれないんだな」と気が付いた。
気が付いた瞬間に目眩がして「酒飲みすぎたかなー」とか思いながら眠った。
そんできったねぇ自分の部屋で目を覚まして思った。「女買おう」と。
ちょっと前にレズ風俗レポでバズった漫画家がいることは、ここにたどり着いている人ならご存知だろう。私はあれを読んで以来ずっと女を買ってみたかったことを思い出した。
「レズ風俗……は、やり尽くされてるしなぁ」別にレポを書いて投稿する気などサラサラないのにそんなことを思った。
普段は面倒な身支度が何故かスルスルと出来て、やりたいことをやるとはこういうことかと思いながら家を出た。
そして女を買った。ハピホテに詳細が載ってないようなしょっぼいラブホで、初対面のおっぱいを揉んで、初対面のおまんこを舐めた。
ラブホ代の倍くらいの値段の安い女だった。
お店に勤めている女じゃなくて、その辺に立っている女だったから選んだ。そういうリスクを冒したほうが楽しそうな気がした。
リスクは楽しいが捕まりたくはないし、とりあえず身分証だけ見せてもらった。私の一つ歳上の女だった。
顔はイマイチ覚えていない。多分ブスではなかったと思う、ブスのおまんことか舐めたくないし。
おっぱいはおっきくて、おまんこはピンク色だった。ほとんどそれしか覚えていない。
行為が終わって一緒にシャワーを浴びたら、そこでまた触り合いっこをした。
気持ちよくはあったはずだが記憶にはない。というか全体に記憶が朧気なのだ。だからレポを書くつもりもなかった。
その後はホテル近くのコンビニで買ったストゼロを二人で飲んで、女に金を渡して一緒にホテルを出た。「結局女なんか買ってもなんにも変わんねぇじゃん」と思った。
ホテルから駅まで一緒に歩いた。何となく雑談をしながら歩いた。その女は大学生らしかった。「私と同じだね」とか言った気がする。
会話にも疲れ、東海オンエアを見ようとYouTubeを開いた。
「え、東海オンエア好きなんですか?!」急にボリュームの上がった声は楽しそうで、ああこの女も普通に生きてる人間なんだなと思った。
思ったらなんか笑えた。
私もこの女も変わんねぇなと思った。
結局何者にもなれないまま生きていくのかと、変に悲しくなりながらバイバイと改札前で手を振った。
もしここで中国政府が急に方針転換して「アニメとゲームと二次元は表現規制しない。政府批判OK、暴力表現OK、エッチなのもOK」としたら、瞬く間に中国のコンテンツ産業は大成長して世界市場を席捲制覇するだろうに。そうなったら香港の人達もデモや反政府運動よりアニメ視聴に傾注するようになるかも— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) 2019年11月27日
草。
まさか私以外にもこんな考えある人がいるとは思わなかった。
今のトップがアレだから、サウスパークが中国を皮肉る位には日本の方もまだ漫画や創作文化は助かっているけど、あそこ共産主義だけども実利重視だから、もしエログロ解禁とかになれば、一気に他分野と同じ様な状況に持ち込まれるんじゃないかなと思っていたりもする。
それに日本の漫画界隈も何を勘違いしたのか指摘されたにも拘らず、この期に及んで、自身でネット規制の推進側に加担し始めたしね。
手のかかる子ほどかわいいとはよく言うが
それはそれとしてクラスメイトや大人に暴言を吐いたり授業妨害するような子はムカつくし面倒臭いので
学校の先生にとって忘れ物もしないし指示をよく聞いてくれる真面目な子は本当に有りがたがられて重宝される
私もかつてはそういう子どもだったのでとにかくどの先生からも好かれて三者面談でも褒められまくっていた
が、「周りが友達とのおしゃべりに夢中になっているのに一人じっと先生を注視して指示をよく聞いている」
「先生にアホみたいな質問をせず誰にも頼らず自分で解決する(人に質問することができない)」
「必要になりそうな物はすべて事前に準備して自分で持ってきて忘れ物もしない(道具が足りない・忘れた時に周りの人に助けを求めることができないので)」
というのは結局のところ夢中になれるような友情を育むことができないし協調性もないし報告連絡相談ができない人間ということであり
先生たちが褒めるほど自分は立派な人間ではないというのは子どもの頃から気づいていたのだが
20代後半になった今、案の定わりと深刻にまずいことになっている
化粧のやり方が分からなくてずっとすっぴんだし大人の服装もよく分からない
言葉遣いもそう
職場には一人同世代がいるけどあとはみんな自分の親くらいのおっちゃんとおばちゃんばかりで
実際「なんだか娘みたい」とかわいがってもらっていたのだが
「手伝ってください」「これは一人ではできません」「量が多すぎて時間が足りません」「やり方が分かりません」「どうしたらいいですか」……
手間のかかる作業を簡単な仕事だと勘違いされて誤解を正せないままいつまでかかっているんだろうと不思議がられたことなんかが積み重なって
「娘の友達を見るような目で私を見てくれるおばちゃんたち」が「無能の部下に苛立つ上司」にパチッと切り替わってしまった
ずっと大人になれないし大人として見てもらえないと思っていたがあっさりと大人になってしまった
その中にはやんちゃな子もいれば大人びた生真面目そうな子もいる
やんちゃな子には高校くらいで部活で先輩に絞られて礼儀を知る陽キャになって大成するんだぞ
大人びた子には私みたいにならずにほんとに真面目で有能な大人になるんだぞ
と念を送っている