「大化の改新」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 大化の改新とは

2021-01-17

はてラボ人間性センター 2

■「大化の改新」の時に定められた元号は?

大化

(正解)

■「お嫁」「てんとう虫」「マツケン」に共通するものは?

サンバ

(正解)

将棋の成銀は全、成桂は圭、では成香は?

(正解)

テニス卓球で一人対一人で行われる試合シングルス、では二人対二人は?

ダブルス

(正解)

■優良運転者に与えられる免許の色といえば?

ゴールド

(正解)

anond:20210117134248

2020-12-11

anond:20201211112632

■北を向いて立っている人間が右を向いた後にまわれ右ををしてから左を向いたとき目線の方角を日本語で答えなさい

※東で不正解。「をを」ってなんだよ。まさかヒント?

→本当に東か?まわれ右ってわかるか?

 

ペペロンチーノレシピ記事に現れる警察といえば?

→乳化警察

 

将棋藤井聡太さんがプロになり始めて優勝した一般棋戦は?

朝日

 

■「大化の改新」の時に定められた元号は?

→書いてあるじゃん

 

■笑って

※「はい」じゃ、駄目だった

→お昼休みウキウキウォッチング

はてラボ人間性センターの難問・奇問・愚問

IT業界の著名エンジニア複数人所属希望を表明したはてなグループ名称は?

※調べてもわからない。

■北を向いて立っている人間が右を向いた後にまわれ右ををしてから左を向いたとき目線の方角を日本語で答えなさい

※東で不正解。「をを」ってなんだよ。まさかヒント?

ペペロンチーノレシピ記事に現れる警察といえば?

将棋藤井聡太さんがプロになり始めて優勝した一般棋戦は?

■「大化の改新」の時に定められた元号は?

桃太郎の家来は?

※「犬、猿、雉」「いぬ、さる、きじ」で不正解。なんで?

■笑って

※「はい」じゃ、駄目だった

2020-05-28

anond:20200527145007

そりゃあ、大化の改新の頃の人は645年と聞いて「現代だ!」と思ってたし、紀元前1000年頃の人はb.c.1000年と聞いて「現代だ!」と思ってよ。

2018-10-03

ウヨ歴史に興味がない

ここ10数年、右傾化ガーとか歴史修正主義ガーと言われて久しい。

ところがウヨが興味あるのは慰安婦とか南京とか戦前戦中の話だけで、それ以前はどうでも良いらしい。

過去10数年ぐらいに刊行されてる、吉川弘文館人物叢書だの、朝日選書だの講談社中央公論社だの各社の新書とかで、古代中世日本史の本を読むと、なぜウヨ激怒発狂しないのか謎でならない。

しろ古代史では『日本書紀』は大ウソだらけ、万世一系ではなく継体天皇の代からは新王朝可能性が濃厚、任那日本府は通説よりずっと規模が小さく「日本府」って名前も後世につくられた、「大化の改新」の中身はほとんど無し、厩戸王実在したけど聖徳太子の手柄の大部分は蘇我氏の業績、藤原氏中臣氏)を美化するための誇張が濃厚、壬申の乱記述天武天皇正当化する作為が濃厚――といった調子皇国史観絶対で「記紀の内容はすべて史実!」て言ってた戦前基準じゃ許されん話ではないか

神武天皇実在した」とかドヤ顔で語ってた自民党議員は怒らないのか?

中世史も、『平家物語』の名場面の大部分は創作源氏卑劣後醍醐天皇政治的無能だったか建武の新政は失敗、戦国時代には住民虐殺奴隷人身売買が通例……とかなんとか、そんな話がフツーに記されてる。

竹田恒泰とかの「日本伝統に詳しい人」と称する連中に言わせると、近代以前の日本には中国韓国のような野蛮で卑劣な話は一切なく、この世の悪はすべて戦後民主主義せいらしいが、全然そんなことはなかったと公然と書かれてる。

やれ「歴史戦」とか言う連中は、なんでこういうここ10数年の歴史学者の成果を「ブサヨ歴史捏造だ!」と言って怒らないのかw

ウヨ連中は本当に、明治期以降か下手すりゃ昭和戦前しか興味ねえんだろうな

専業主婦とか夫婦同姓が本気で日本伝統と思ってたり、小島毅が書いてたように「明治維新が起きたのは江戸時代儒教が広まったから」とか知らんで、本気で「中国韓国儒教国家だからシカラン」とかドヤ顔してる奴多いし

でもさ、ウヨって基本的に「昔は良かった史観」だろ? それがこんな近代以前にはまったく無知でいいのか

ま、あいつら「伝統興味ない」「天皇嫌い」が本音なんだろうけど

2018-08-06

anond:20180805172834

知ってるよ。

確か大化の改新に関わった奴も全員死んでるぜ?

2018-07-08

背景

仏教の原点に立ち返るって、

即ち蘇我氏以前の仏教を追求

することなんだよね

(大化の改新以降の仏教はすべて神道OS上のアプリケーション)

まり存在自体が反逆的だった

政権としても泳がせる訳にはいかなくて、

何としてでも極刑にするのは

確定路線だった

そこで、待ったをかけたのが

神道トップのあのお方

それは、原理仏教徒は

死後に発動する秘術を

体得している恐れがあり、

対策無しの執行危険という考えから

政権としては、反逆分子はさっさと

消し去りたいのだが、

どうも、そこら辺の折り合いがつかずに

特赦カードが出てきたりして、

このタイミングを逃すと

数年執行を断念しなければならない

状況まで追い込まれた。。

お気持ちを汲んで、

つべきだったのではないかな。。

2018-04-20

anond:20180420122332

1クールずつくらいで時代変わって一年がかりで日本史やるようなのが見てみたい。主役がどんどん変わっていくの。

第1クール大化の改新奥州藤原氏滅亡(藤原氏歴史に焦点をあてる。必然的平将門平清盛源義経源頼朝も出てくる)

第2クール元寇建武の新政鎌倉幕府に焦点をあてる。必然的北条時宗足利尊氏後醍醐天皇も出てくる)

第3クール南北朝時代〜豊臣家滅亡(戦国武将に焦点をあてる。必然的戦国オールスター

第4クール黒船襲来〜西南戦争徳川幕府終焉武士の滅亡に焦点をあてる。必然的幕末オールスター

2017-10-20

アニメガタリズきっちぃ……オタクの会話ってつまんねーな

いや、オタクの会話がつまらねーんじゃなくて単語を羅列してるだけのオタクの会話がつまんねーんだ。

こいつらには知識量以外でマウントしてやろうって気概がねーのかよ。

そこからこれに繋げるかって相手に言わせたい欲求が感じられねーよ。

とにかく脚本がつまらん。

誰の脳みそが腐ってるのかは知らんが空中分解したのか作ってるうちに何が面白いのか分からなくなり守りに走って爆死したのかは知らん。

安全運転のつもりでキープレフト意識しすぎてガードレールに擦りっぱなしになってる状態だぞ。

うーん。

とにかくセンスがねえ。

オタクがどうしてセンスがねえのかを凝縮したようなアニメだぜ。

とりあえず知識の量だけ増やせばいいんじゃなくてさ、その知識をどう繋げるかなんだよなあ。

歴史テストで繋がり把握せずに年号だけ死ぬ気で覚えて「それで大化の改新って何がどう凄いの?」と聞かれても何も答えられねえようなタイプの最低の頭でっかちが多すぎるんだよオタクは。

でもたまに面白いオタクがいる。

そういうオタクにはリスペクトがある。

アニメだけじゃなくて芸術社会にもちゃんと興味を持っているオタクは、アニメ以外が見えていて、そういうオタクはちゃんとアニメリスペクトしてる。

何かをリスペクト出来るやつは他のものリスペクト出来るもんなんだ。

当然その逆、アニメしかきじゃねえと宣言するような奴は実質アニメすらちゃんとリスペクトしてねえ。

アニメの事を知っている自分」というキャラマウント取るのが好きなだけの腐れ外道しかいねえ。

このアニメオタクはそういうオタクしかいねえ。

そういうクソ野郎クソ尼を煮詰めて作ったクソ煮込みでも面白い作品は有るんだが、このアニメ面白くねえ。

何で面白くねえかって言うと、出て来る奴らがクソしかいねえのにそのクソさを面白さに変えようとしてねえからだ。

何を描きてえんだこのアニメは。

オタクキモくて話がつまらいからクソ野郎ってのがテーマなのか?

それを描くならもっとクソ野郎に描かないと面白くはならねえぞ。

まさかアニメ名前連呼してれば面白いって考えてるのか?

バカジャネーノ。

同じテーマ山手線ゲームを12週間ぶっ通しで見せられて楽しめるってならそいつは頭がやべーよ。

精神年齢幼稚園だっての。

まさか俺が知らないだけで今時深夜アニメ見てるようなのは精神年齢園児と同じなのか?

からネットにはプリパラプリキュアの絵が溢れてるのか?

やべーぜオタク

まじでクソだな。

2017-06-11

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20170609215027

馬鹿だなぁ

天皇大化の改新の後から権力者認証する組織になって神格化されていった。

平安、鎌倉室町戦国江戸明治戦後天皇認証が無くては権力が維持できなった。

もしも皇室がなければ「朕は天皇なり」という名門の末裔が全国から湧いて出て争いになる。

王室もつ国家は全世界にたくさんある。歴史現実を見て欲しい。

左斜めから見ると世界おかしく見えるぞ

2015-11-20

みなごろしじゃー!!

確かに

いやなやつ+いやなやつ=みなごろし

物騒だけど、

「みなごろし大化の改新」とかってゴロ合わせもあったよね。

普通に参考書に乗ってたけど。

最近過敏すぎじゃね?

2015-10-23

ネット進化はすごいけれども

ここ20年のネット進化・一般化はものすごい。

人類ちょっと主語大きいかな、少なくとも日本人)が急速に技術的な進歩をしているように感じる。

私は今年30歳になる。こういう技術革新のど真ん中に生きている。

顔はアジアンビューティーの超失敗したような顔だよ。顔が残念からだと思うけど、脚はすらっとしてるねってよく褒められる(脚フェチの人、触りたい? ふふ)。自分でも脚のきれいさにはちょっと自信ある。背結構高いしね。

でもきっと、多分だけど、大化の改新のころもすごかったと思う。

大和言葉外来漢字にどう当てはめるか。すごく議論があって、そしてああい結論になった。今に繋がる音読みと訓読みの二本立てにした。

官僚制がようやく大和朝廷でも進展して、文字日本語を記録する必要があった。そして二本立ての和文がうまれた。その後ほどなく『万葉集』や『古事記』『日本書紀』ができた。

多分カタカナ発明も驚くべきことだっただろう。おいおい短縮しちゃうの? すげーな! って当時の人も思ったはずだ。特に僧侶

そして紫式部清少納言。1000年残るものを書いた。

書き言葉と話し言葉、微妙距離感を保ちつつ鎌倉室町を経て、江戸出版文化。これもインターネット並みに革命的だったはずだ。

明治維新以降の西洋文化の流入もインターネット並みに革命的だったはず。高度経済成長も驚くべきものだ。

そして、今。今私たちインターネットに驚いているが、多分100年後もの100年後並みの革新があり、日本人はそれを享受し驚いていることだろう。

私は150歳くらいまで生きたいなーと思う。こういうパラダイムシフトを感じることができるだろうから。今起点で考えると150年前はまだ江戸時代だ。150歳まで生きたら大きな「構造」の変化を見ることができるだろう。早くUSBに全人格コピーできるようにして、アイボなりペッパーなりファービーなりに刺して無限の生を生きたいです。

風呂入ってきます

2015-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20150514125316

教科書聖徳太子実在しない」

聖徳太子という伝説的人物が存在しないという話であって厩戸王子という人物は存在していた。

大坂の陣で戦った真田信繁実在するが十勇士を従えた真田幸村実在しなかった」という程度の話にすぎない。

教科書士農工商という順列は存在しない」

身分序列だったわけではないというだけで士農工商という区分存在していた。

教科書鎌倉幕府は1185年に始まった。大化の改新は646年」

鎌倉幕府の成立時期については諸説あり、どの時点で成立したとみなすかの話でしかない。

「1185年に始まった」と覚えるのではなく「1185年に何があったのか(そして1192年に何があったのか)」を覚えよう。

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