はてなキーワード: 大仏とは
まず、私は鎌倉に住んでいる。地元で商売をしているけど、飲食店とかの店舗系の商売ではない。おかげさまで食っていくことはできている。
私の住む街鎌倉は日本有数の観光地と言っても過言ではないと思う。特に昨年の大河で鎌倉を訪れる人は沢山増えている。鎌倉と言えば、八幡宮や大仏等の寺社仏閣、由比ガ浜等の海水浴も有名だが、飲食店も有名だろう。実際、テレビをつけていると、よく鎌倉の飲食店を特集する番組が組まれている。実際、鎌倉駅前にある小町通りには多くの飲食店がある。そしてありがたいことかもしれないが、鎌倉で自分の店を出したいという人もかなり多い。商売柄、そういう人たちとも付き合いがある。ただ、正直に言うと、鎌倉で新規開業する飲食店はうまくいかないケースが多い。それは次の理由からだと思う。
まあ、これは鎌倉には限らないことかもしれないが、飲食店の廃業率は高い。実際、小町通りにもしょっちゅう飲食店が新規開店しているけど、ほとんどの店は開業から半年以内に廃業する。まあ、半年ごとに通りの店が入れ替わるので、街歩きに飽きることがないというメリットもあるけど、店側が生き残るのが大変だ。まあ、ありていに言えば鎌倉というマーケットは生き残るのが難しいのだ。そして鎌倉は地価が高い。だから店舗系の家賃は信じられない程高いし、ぼったくりみたいな家賃を設定しているケースも多い。ちなみに私の住んでいる地域にある店舗用物件は家賃が相場の倍する上に、借りる際の条件として必ず1階の店舗スペースと2階の事務所スペースの両方を借りることを条件に付けている。こんなことしても借り手がいるのは、まさに鎌倉という土地だからであろう。当たり前だけど、高い家賃は店の経営を圧迫する。家賃が払えずあえなく撤退というケースも多い。正直、飲食店をする場合、かなり経費が掛かる街が鎌倉だ。
②戦略が間違っている
鎌倉で飲食店を開業する人に多いのが、高級店を作ろうとする人たちだ。相場より高い料金設定の店を経営しようとする。手打ちそばだったり、鎌倉野菜を使ったなんちゃら料理だったりと。ただ、この種の店は大体うまくいかない。鎌倉観光に来ているよその人は物珍しさで入ってくれるかもしれないが、彼らはリピーターにはならない。彼らは観光が終われば、自分たちの街に帰ってしまう。仮にまた鎌倉観光に来ることがあるとしても、鎌倉にはこの種の”高級店”は腐るほどある。だから次来るとしても他の店であることが多い。
ちなみ言うと、鎌倉に住む住民の多くはこういう店に通うことはめったにない。私も鎌倉に長く住んでいるが、よく通う店はマックかケンタッキーだ。地元民からしたら、ただ値段が高い店を普段使いしようとは思わない。鎌倉に住んでいる人間はケチが多い。だからみんなが思っているほど高級店志向ではない。実を言うと、地元の人間は変に高い店ではなく、リーズナブルで通いやすいお店を求めている。ただ、この街で飲食店を開業する人たちはそれをわかっていない。だから、新しいお店は地元の固定客がつかずに廃業するケースが多い。
実を言うと、鎌倉の人は新たに開業した飲食店にあまり興味がない。上記のような事情があるので、自分たちのニーズを満たしていることは期待していない。正直言うと、新規開店した飲食店を見て思うことは、「この店は後何か月持つかな?」というくらいだ。そして対しておいしくもないのに高い店も多いので、通おうとは思わない。余談だが、鎌倉に住んでいると、よく東京に住んでいる友人から「鎌倉でお勧めの店を教えて。」と言われることがあるが、多くの鎌倉民はその種の質問が大嫌いだ。まず、地元の人は鎌倉野菜を使ったなんちゃら料理の店とかには興味がない。だから、鎌倉にお勧めのお店なんてない。正直、私は友人からこの質問投げかけられた時、いつもグーグル先生の協力を得ている。
私はテニスが好きだ。
でも、チケットが高すぎて買えなかった。
仕方なく、奈良の大仏を見に行くことにした。
大仏は私の心の支えだ。
大仏は圧巻だった。
その姿はまるで神々しい。
私は大仏に近づいて、手を合わせた。
すると、不思議なことが起こった。
「お前はテニスが好きか」
「はい、好きです」
「ならば、全仏オープンに行け」
「でも、チケットがありません」
「心配するな。私があげよう」
そう言って、大仏は私にチケットを渡した。それは本物の全仏オープンのチケットだった。私は驚いて、感謝した。
「ありがとうございます!でも、どうして私にチケットをくれるんですか?」
「それは嬉しいです!でも、どうしてテニスが好きなんですか?」
そう言って、大仏は再び微笑んだ。そして、突然歌い始めた。
「テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス
ラケットを振れば 夢が叶う
テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス
テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス」
私は呆然とした。大仏が歌っている。しかも、テニスの歌を。これは一体何なのだろうか。
「どうした?歌ってみろよ」
大仏は私に言った。
「え?歌うんですか?」
「そうだよ。歌って楽しもうぜ」
「でも、歌詞がわかりません」
「心配するな。私が教えてやる」
そう言って、大仏は私に歌詞カードを渡した。それは手書きの歌詞カードだった。私は驚いて、見た。
「これが歌詞ですか?」
「そうだよ。さあ、歌おうぜ」
そう言って、大仏はまた歌い始めた。
「テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス
ラケットを振れば 夢が叶う
...」
トーマーッス
本日はイースター、日本においては大仏の日、佐官の日、反核燃の日、フォークソングの日となっております。
イースターエッグというのがありますが、アレにもいろいろ種類があるらしくゲームとかで使われるタイプのイースターエッグって卵探し、エッグハントの方なんですね。
卵をぶつけ合ったり、赤い卵を送ったり、卵を食べなかったり、一重にイースターエッグと言ってもいろんなことをするらしいです。
沢山の意味合いがあるようですが、一つのことに縛られすぎないようにやっていきたいところですね。
無理矢理に終わらせます。
ということで本日は【柔軟な思考よいか】でいきたいと思います。
ワイ
GPT-4
はい、日本の47都道府県それぞれの名産品を教えます。以下は、各都道府県の名産品の一例です。
北海道:海産物(ズワイガニ、ホタテ、ウニなど)、ラベンダー、ジンギスカン(羊肉の焼肉)
(22番目の静岡で止まったのでリトライしたら、今度は17番目で止まった)
(Regenerate responseを実行)
北海道:ジンギスカン、海鮮、牛乳、バター、クリーム、スイートコーン
秋田県:きりたんぽ鍋、稲庭うどん、なまはげ、秋田杉、きんかん
福島県:ふくしま和牛、ふくしまのもも、会津蕎麦、猪苗代湖、大内宿
栃木県:とちおとめ、うつぼやき、宇都宮餃子、塩釜あんかけ焼そば、日光東照宮
群馬県:赤城そば、焼きまんじゅう、草津温泉、おはぎ、みそ漬け
埼玉県:川越だんご、とんかつ、草加せんべい、熊谷うどん、秩父神社
千葉県:アンコウ鍋、佐原の町並み、烏賊の塩辛、あんぱん、餃子
新潟県:越後ぶらぶら茶、胎内の滝、いわしのなめろう、笹団子、上越地鶏
宗教と神とは別のものだ この2つを混同している人は多く、さらにややこしいことには、宗教に無関心な人も混同しているが、信仰のある人も別の意味で混同しているということだ 宗教とは「神についての説明のいろんなバリエーション」程度のもので、本物の神には特定の宗教のカラーはなく、それぞれの宗教や神話などが成り立つよりずっと前から原理的に存在している 神は本来キリストともムハンマドともブッダともぜ~んぜん関係がなく、彼らよりずっと前にいて、彼らが去ったあとも、今も変わらずすぐ近くにいるのだ
だから無宗教や無信仰は簡単に成立するがその一方で神の存在そのものを否定することは難しい 人類は神(っぽいもの)の存在を認識する(したっぽい気になる)機能を持って生まれ、その機能は自分の意思で好きにオンにしたりオフにしたりできないのだ あなたが「神なんていない!」と主張しても、そもそもその主張に至るまでの思考そのものが、神の存在を認識する機能による神の存在への認識が可能にした発想なのだ この機能による神の存在の認識が無ければ、実はあなたは「神はいない」と主張することすらできないのだ 「神はいない」と考え主張するためには神の存在を認識する機能が必要不可欠であり、この時点で神の存在を認めているも同然なのだ いったい何を言っているのかって?
神はKFCのカーネルおじさんのようにどこかに誰かの姿をして突っ立っているわけではない どこにもいないからだ どこにもいないのだったらいないんじゃないかと思うかもしれないが、残念ながら存在してしまうのだ どこにもいないが、いるかいないかでいったらいつでもどこにでもいるのだ 意味がわからないと思うだろうか
誰も世界中隅から隅まで神を探したことはない 神はいるという人も神はいないという人も、誰も神の姿は見たことがないし、そもそも探してすらいないのだ ではなぜ神がいるとかいないとか言うことができるのだろうか?探してもいないのに。 わかりやすく言えば、神に対するすべての人々の主張の論拠というのは、各々の「世界観」に根ざしているのだ この世界には神がいる、この世界は神が作ったと考える「世界観」が彼らに「神はいる」と主張させ、また一方で、この世界に神はいないと考える「世界観」が彼らに「神はいない」と主張させているのだ おわかりだろうか 実はどちらも同じ概念を元に同じことを言っているだけなのだ
我々は世界の隅々を確認する前から世界全体について語ることができるのだ これはよく考えたらとんでもないことなのだ 現実社会ではどうでもいい日常の些細なことでも事実をきちんと確認してから語れみたいなことを言われるのが当たり前になっているのに、世界とか神とかいうもっと遥かに大事な(切実という意味ではない)ことについては、全然何も確認しないで平然と語っているのだ これは我々が持つ「世界観」という概念、感覚から生まれるものなのだ 我々は世界観という、全く何の根拠もなくて全然人それぞれバラバラないい加減極まりないものを持つことができるのだ 世界は一つしかなくてみんな同じところにいるんだから、現実には統一されているべくあっても良さそうなものなのに、みんな好き勝手に都合よく人それぞれ確認もしないで勝手に持てるもの、それが世界観なのだ 人間とはなんとテキトーな生き物だろうか、だがこれほど高度ですばらしい機能もないのだ
世界観を持つこととは神の存在を無意識に認めることが前提になっている どういうことか? 人間の身体は地球全体や宇宙全体、つまり世界と比べて極めて小さいので、本来は物理的には一つの狭い視野、視点しか持つことができないはずなのだ しかし人間は高度な脳の機能により世界観というものを持つことができる あくまで想像とはいえ本来見渡せないはずの世界全体を見渡すような視点を持ち、その景観をイメージとして自分の手の中に持つことができる これはいわゆる「神視点」というやつだ 本来全知全能の神にしかできないはずの芸当なのだ 「世界観を持つ」とはすなわち「神視点を持つ」ということであり、世界観という感覚が自分の中に存在した時点で、「神が行うような行い」の存在を認めていることになる 世界観という感覚そのものが神の存在の感覚そのものなのだ
そろそろ僕が何を言いたいかわかってきてくれただろうか 我々は世界観という感覚を自分たちの中に持つことができ、その感覚こそが神の存在の感覚だと言っているのだ 神の存在の感覚とはすなわち神の存在のことなのだ はて?
神は西郷隆盛像のようにどこかに誰かの姿をして突っ立っているわけではない どこにもいないのだ どこにもいないけど神の存在を認識する機能をオフにできない以上、脳はもうどこかに無理やり神を仮定するしかなくなってしまうのだ 数学で「~をxと置く」みたいな言い回しをしていたのを思い出してほしい 神も「どこかに存在を仮定する」という意味で、「置く」ものなのだ 数学で置くときはなんでも好きに置いてよかったのを思い出してほしい もう神なんてどこに置いてもいいのだ みんな好きに置いているのだ メッカ エルサレム よくわかんない祭壇 さとしの板 サトシの家 空 宇宙 星 山 神社 神棚 大仏 どこでもなんでも大差ない そしてどこでもない場所、「いない」という仮定もこれらと同じ並びに含まれる 仮定する、置くという行為が神を存在させる どこにもいないけどオフにできない神の存在を認識する機能の落とし所として「いない」という仮定が選ばれたところで、神の存在を認識する機能はその機能を完遂したことになり、正しく神の存在を認識するだけなのだ 神はいないという「仮定」こそカミ的な存在の肯定なしにはできないことなのだ わかんないものを仮定すること自体が「神がするようなこと」なのだ 「神がするようなこと」を平然とできるのは神の存在を無意識に認めているからなのだ くどいですか?
人間は神の機能を持っていると言っているのだ 人間が神だとは言っていない
世界観を持つということは世界を持つということであり、神の存在の感覚を持つとは、すなわち神を持つということなのだ
神は世界そのものであり、世界観の中にいるとも言え、それは我々の中にあり、あげくの果てにはどこにもおらず、神のいない世界こそ神が作った世界なのだ
@fstora
このところ文系への風あたりが厳しいですが、絶対に人文科学(社会学・哲学・文学・歴史学)を生贄に差し出してでも俺たち社会科学(経済学・経営学・法学)は生き残っていこうな。
https://twitter.com/fstora/status/1607202975029825537
まず女性の社会学者はいらないです。全部デタラメで税金チューチュースキームを擁護しています。上野千鶴子から不正に加担しているのは免れようがない。
というわけで社会学者はまじでいらない。
あとジェンダーとかもいらないです。これもでたらめでなんら学問と関係がない。インチキです。
ロシアはなぜ勝っているのか?
https://note.com/jano66/n/naf5e6188b4cd
何故なら、食料の供給が少なくなったのは最近の話ではなく、ロシアのドンバス特別軍事作戦が始まる前の話だから。具体的には2020年から生産量が落ち込み始めた。新型コロナのパンデミックによって経済が鈍化し、その後の回復が必要な時だったんだ。
アメリカの金融・経済機関は大量に紙幣を刷って国民に配る事しか解決策が見つからなかった。
我々ももちろん紙幣をいつもより多く刷ったが、ロシアは期待する結果が得られるように、もっと慎重に正確にやるんだ。マクロ経済指標やインフレ指数などを注意深く見ながらやるからね。
少なくともプーチンは大変優秀な国際マクロ経済学者です。しかし、それにはブレーンがいます。どうせ信じないから書かないけど。女性です。
ポール・クルーグマンもアメリカの経済政策は間違っていたと言っているので、アメリカの経済学者は存在してる意義のない間抜けばかりです。
ロシアが勝利する第2の要因がヨーロッパが緑の党とかグレタみたいなデタラメをやって食料はない、ガスはない、石油はないという地獄に陥りました。
これもロシアは何もしなくても勝ってしまいます。これも経済学者がいたからです。
アメリカには一人も経済学者はいないので、英語の本なんて読んでも意味はないし、アメリカの大学にいかないと出世できないシステムがあるそうですが、そういうのも有害です。
これには日本人が全くできない「外交」が関係しています。外交ができないから日本人は武器を振り回すわけです。だから程度が低いわけです。
これもジェンダーとか社会の進歩と何一つ関係がないばかみたいな事をやっているから、全くレベルが低いわけです。いらないのですね。有害です。極めて有害です。国を滅ぼします。
少子化がこの30年間解消していないでしょう?だからジェンダーとか男女共同参画は全く意味がありません。大仏殿でも建てたほうがマシです。
AVのほうがよほど文化や人の幸せに貢献しています。学者は何一つできませんでした。とくに社会学者はマイナスです。なんの意味もない。知る限り唯一の例外は宮台先生くらいでしょう。
まともな学者だからああいう目にあったわけです。日本はジェンダーのおかげで馬鹿になって本当に大事なものがわからなくなっているのです。
屋久島・知床・白神山地あたりは森系で被ってるので、特徴を拾い上げて誇張したほうがよさそう
屋久島はなんつっても屋久杉、あと雨量が多いって話だから、その辺を組み合わせて、ムチャクチャデカい木がバンバン生えていて、ずっと雨が降っている山 みたいな感じが基本になりそう
知床は北海道、北海道といえば寒い ということで、氷雪系ダンジョンの雰囲気を入れつつ、海と山が合わさった特異な環境って話でもあるので、水場も増やすといい感じかも
そうなると白神山地はもう、ガッツリ、純粋に日本的な山、森 っていう感じでいけるかもしれない
京都と日光と奈良なんかも被ってんだよな いや実際詳しい人から見たら被ってねえよ殺すぞって感じなんだろうけど、素人目には区別がつかねー
とりあえず京都は有名どころの五重塔とか金閣寺とか清水とか千本鳥居とかをモチーフにしていけばなんとかなる つうか、日本モチーフのダンジョンって大体京都モチーフみたいなとこあるしな……
ダンジョンっていうか、もう大仏一本で行くのが逆にいいのかもしれねえ 雑魚敵はモチロン鹿ですよね
日光なんかもうお手上げだ あれ比較的山奥にあるイメージなので、山と社寺のイメージの融合ってところで独自性を出していけばいいのか? でもそういえば3猿っていう強いキャラがおったな まあボスポジションはそこだよなあ
原爆ドームって独自性すげえし、だいぶいい感じのダンジョンモチーフ感あるんだけど、ただ、まあ、怒られるよなあ…… 戦場跡とかと違って、あそこで死んでんのって全員(短期的には)被害者って感じだもんな 亡霊扱いしたらムチャクチャ怒られることは間違いない
逆に、一切敵が出てこない、寂しい雰囲気だけがある、異様なダンジョンとして出すのがいいのかもしれない
・富士山
・琉球王国のやつ
この辺はかなりオイシイ感じがあるな
富士山は山登りダンジョンにできて、金剛杖とか富嶽三十六景とかいろいろモチーフも多い 旧火山っていうのもなかなか良い
明治時代系は毛色を変えられていい感じだけど、攘夷要素なんかをこじつけるのが意外と難しそうだな
琉球王国はサイコーって感じだ 沖縄の気候って異国みたい、というか実際異国だったわけだし、毛色はもう変わりまくりや シーサーもおるし
隠れキリシタンもいい ちょっとおどろおどろしい雰囲気を出しつつ、キリスト教つながりでやりたい放題やれそう 関係者もう死んでるからある程度冒涜的でも許されそうだしな 偏執狂的な、しかしひたむきな信仰……みたいな感じで、いい感じに宗教モチーフのボスが出せそう
ダンジョンっすよねえ……