はてなキーワード: 外車とは
冒頭に脱線するがヤクザの様式についてマインドセットを準備したい。
金持ちが服装に金をかけないという話は自己啓発本やセミナー系の情報で見かける。
実際金のかかった服はあるだろうし平均以上であるかもしれない。
しかしよくわからない模様の布地で金のチェーンをして黒塗りの高級外車を乗り回さない。
金持ちであることをわざわざ毎回広告する必要がないし、外見と存在で金を稼いでいるわけではないためだ。
ではななぜヤクザは見た目で高級感を出すのか。それは高級感が目的ではなく「1番」であることを主張したいがためである。
実際の統計で数値的に1番というものではない。庶民や噂などを流布する層の一般が想像しうる「一番のもの」を選択する。
ここにタトゥー、入れ墨の問題もつながってくる。一旦派手の話はここまで。
二番目に、ヤクザというのは実際金があるからそういうものを買っているだけ、ではない。
商売の種類として見た目でするものであるから、広告業者が広告を出しているのとおなじ。
ラーメン屋の賄いがラーメンなのと同じ。一番をコレクションしている人間である必要のために持ち物が一番なだけなのである。
商売としては不人気商売、被差別商売、問題解決(非合法)、貸金業(非合法)などを行ったりするにあたり、問題解決に使うのが「1番」である。
1番高級な服を着て、1番高級純金アクセサリをして、1番高級外車に乗っている1番のおやっさんの言うことが、なぜ聞けないという交渉方法。
1番がものを言っているのだから黙れよ、1番の下には2番以降が控えているんですがそれらが何番かわからないあなたの上にのしかかってきますよ、困りませんか?という方法だ。
それはもちろん困らせに来るのだから困るだろう。
しかも1番と言われて実質なにかしら1番(実質の1位ではなく想像できる最上位の類のもの)を身についけている人間、ほぼ人物として1番であるという人間との交渉だ。
貸付金の取り立てや問題の和解、商売の風説などは実際に商品価値が高ければとか確実であれば法に則って正規の解決ができる、というものではない。
関係者の譲歩を引き出したりした結果、合意を得られた時点でのもので、合意の後の責任も果たせる範囲で強要されることはない。
強引に法的に取り立てたりすることはできるが法的回避方法がないわけでもない。
それを逃がさず大きな取り立てで強制的に回避できない方法で介入してくるとなると、それは太刀打ちできると判断される相手では物足りない。
「1番」がそれを執り行ってくるのだから、勝てないという精神的な屈服感を与える必要がある。
ここまでの「1番」や「高級」はイメージの問題で、その価値基準が一般市場に支えられているものだから庶民からの目線でそうみえるようにということである。
この話を私がしたところで、「私に」それがどうしたんだ、意味のない、という意見は寄せられるだろう。私もおなじ庶民なのでそう言われても仕方がない。
では実際にそういう格好をしている人に言えばいいじゃないか、と私が同じ庶民として進言すると、できるだろうか?
「アルマーニのスーツきて純金の喜平ぐるぐる巻いてでかいベンツ乗ってるけどなんなん?借金の取り立てを明らかに回りに迷惑がかかる方法でしてくるのは違法ってわかってんの?水商売とかくだらん仕事しやがって」
といえるかどうかである。言えないような仕組みのために、その仕事で幅をきかせるためにそのような恰好をしているのである。
ここで服は借りて着まわせばだれでもそのポストにつくことはできる。それよりも上の人としての価値(前述までの高級感)を上げるにはどうするか。
入れ墨である。体に特徴を持たせるのである。顔面の傷などもそうである。指がないといったものもそうである。
ここでまた話は脱線するが、僧侶は坊主である。なぜか。特徴をなくすためである。個人ではなく組織としての一部であるためである。
また、僧侶は結婚しない。社会的に生産をしない、継続をしない。するために自分の資産、持ち物を必要とする社会生活をしない。そのために自分の行動や行為は独善的なものをできるだけ排除してある。
僧侶が親切をしてくる、教えを説くのは独善的なものはできるだけ含まれていないという証明のためである。
何々をしなさい、という教えは僧侶が収益をあげ資産を築くためではない。個人として利益を得るためでもない。宗教は収益を与えるためではなく歴史の蓄積と人としての最善な選択への補助であることのためである。
この意味がもはや失われ自由化されているが、人がわざわざそのような立場に置かれる必要性もなくなっているためこの習慣が失われるとともに、人がそこに位置する意味と理解も失われている。
これとまったく逆が、超個性化である。ファッションで一番めだつ、はだかになってもだれかわかる特徴をもつ、莫大な財産を築くことである。
ただのマークではなくそこにメッセージを込めるというタトゥー、入れ墨がその立場を示すというだけであればファッションとなりえる。
海外でファッションになっているのは、人がどんな命を込めたメッセージでも、簡単に否定もできるし批判される側もその程度だと理解している。
個人がどれだけ大切に思って居ようが他人からしてみればゴミ同然なことが相互理解されているのだ。
なので大事だというものは相手にとっては大事なのだろうという理解もある。
主義主張を否定されると、日本では囲まれてボコられるという最終結果についてその順位と内容を吟味する必要がある。
外国人が入れ墨や個性の主張がなぜ自由なのかというと、最終的に銃撃戦で決着をつけることができるからだ。
入れ墨に問題があるか、入れている名前をバカにされたり、すてきだと言われたりする。その個人に踏み込んで問題がおきたとき最大の解決方法は殺し合いである。
最終的に相手を殺すことで決着するというのは対人の交渉でほぼ最大にして最終的に近い。これを緊急的にとはいえ選択できる状態、銃の携行があるということは、各個人の自由はかなりの広さで主張できて、相手もそれをまず認める方向になりえるし、ならざるを得ない。
その二番手である「かこんでボコる」ができるというのは組織力、どこに組織しているか、組織を指摘してくるかということである。
タトゥー、入れ墨を入れることができる、入れている、そういう側というなんとなくの組織感と、個人が特別な主張をしているという表現、これに銃を持たない入れ墨をしていない服装もふつうの人間が並んで立つと、どうなるだろうか。
どうもならなければ問題がないが、一旦会話が始まってしまったり交流したり、交渉が発生したときにどうなるかは考えないだろうか。
隣に立っている人間だとしても、一生なにも関係性は発生しないという安心感を持てるだろうか。
いま現時点でとなりにいる時点で因縁を感じざるを得ないしなんらかの問題が発生することを危惧されないだろうか。
そうなったとき、見た目やファッション、そしてタトゥー、入れ墨が個人の発言などに影響を及ぼしてくると想像される。
「おまえの一番愛するものに名前をきざんでもいないやつがそれ本当に大事といえるの?ちょっと貸してくれや」と交渉をされたとき
「命を賭してまもると決めてますんで」といえるだろうか。そしてまもるための最終手段を持っているだろうか。
持っていないという不安につけこんで、最大限安全な退路の選択をさせられ不利益を与えられる可能性が危惧されないだろうか。
「されない、どんな暴力にも屈さないし9条が守ってくれる」というならそれで守れるだろう。
しかし、実際ここで殴られた、引きはがされた、もっていかれたを解決できないかもしれないという不安が一瞬よぎったら、そこにあらゆる1番が押し掛けてくる。
たたみこんでくるように準備されているものと、突発的に不安な事象と遭遇する一般人、これで平等な交渉がなされるだろうかといえば不安ではないか。
だからタトゥー、入れ墨はダメなんだ、という現状はある。しかし私も完全否定はではないし、好みで選択すればとは思う。
それについてはその不平等な交渉の発生のために自分を飾るということが無ければという前提のもとにだ。
メメント、などである。忘れてしまうから体に刻んだなどである。
先般のりゅうちぇるについても、親が龍を背負っていたから自分はどうなった、というわけでもなく、龍をせおった父親はほかの父親の息子に対する愛よりふかかったのか、といえるわけではないはずである。
入れ墨をいれていない父親はよわいのでくじけておれるだろうが、芸能人になれた僕の父親はドラゴンの入れ墨をしていた、と言えるのか。
どうしてパパは僕を応援するために入れ墨をしてくれないの?などと子供が言い出したりするような言い回しでなければ、だ。
パパは弱くて忘れっぽいので、みんなとずっと一緒であることを忘れないために刻んだんだ、といえば、私も同情の念を抱かざるを得ない。
https://twitter.com/Miyki_Ono/status/1032259138384887813
まさにこれ、強くてパワーがあるのを嫉妬してるんでしょ、一番が怖いんでしょ、うらやましいんでしょ、という輩がでてくる。
こういった威力を感じて有用性を感じる人間が、ただ自分が満足するために体にほった名前ではない、人にみせて何かに使うため、少なくとも羨望や嫉妬を招くためにしているという前提を持つことが問題である。
それを交渉につかう、少なくとも現在SNSで自己の優位性主張のために利用しているという、この利用のために使われるべきものではないという事である。
それを使うから否定され敬遠さえるという事自体に気が付くべきだ。
個人の思いれだけの話である、という相互理解で入れ墨を見て、ほんとに守るべきと感じたならだれでも最終手段を持ち出せる、それが自由と平等の立場である、という環境だからこそ広くタトゥー、入れ墨が公に一般化している社会もある。
いまの日本では、より強い主張というものがあり、より多くの人間が威力としてあるぞという主張のために使われたり、それを手段として準備をするという優位性を感じて満足しようとする部分がある。
その差別性についての精神に、差別を指摘され差別されるべきところではある。結果として人には差があるという主張にブーメランで差別をされるべきという平等性がある。
なぜなら個人が暴力によって解決をするという手段がもとより否定されはく奪されているからである。銃や武器の携行の否定、復讐や実被害未然の防衛のための無力化攻撃の否定などである。
日本でタトゥー、入れ墨するなら、自分が弱いからという主張か、絶対に見せないという前提がなければむつかしいという現状くらいはわかったうえで
それでもなお入れざるを得ないという状況に自分が差し迫っているということでもなければ主張はできないだろう。
タトゥー、入れ墨をしているほかの人間もみな平等に自分の思いを主張しているわけではない。
隠していたり弱さゆえだったり、知らないところに入れている人間はいるだろう。それらを全員掘り起こして否定したいわけでもない。
主張をするなら、日本では反発をうける、その理由は前述のとおりで、それを超えて受け入れられ主張をしたいのではれば、方法としてなくはない、ということである。
子供になぜパパは一番じゃないの?最高はあらゆる高級品と体に印があって家族を愛してくれてるけど、うちにはなにがあるの?と聞かれて、答えるすべを庶民に残しているかということである。
ちょっと前に話題になった中古車にはひさし(ドアバイザー)がない、っていうのだけど
タバコを吸う人が雨の日に駐車場で待ってる時にどうしても車内で吸いたい、っていう人が付けるものであって
「雨の日に窓を少し開ける」とか「暑い日に少し開けて駐車しておく」とか言う人いるけど
雨の日はエアコン付けるべきだし、窓を開けて駐車とかは絶対止めておいた方がいい
おまけにドアバイザーがあると高速運転時の空気抵抗になるし、音の原因にもなるし、洗車の時に邪魔だし、まったく役に立たない
じゃぁなんでみんな付けてるのかっていうと、新車で買うときの基本オプションに入ってるからだ
なぜかほとんどの日本車は基本オプションを付けないと足マットすらない
だからみんな当たり前に基本オプションを付けるんだけど、その基本オプションのほとんどにドアバイザーが付いてくる
だいたい4パターンぐらい用意されてるんだけど3パターンぐらいはドアバイザーが付いてくる
だから何も考えないで選ぶとドアバイザーがついてくることになる
で、わざわざドアバイザーを選ばない人はどういう人かっていうと、車の見た目にこだわる人だ
それも当たり前で、自動車は設計する時にドアバイザーのことは基本的に考えていない
どこの自動車メーカーでもいいからホームページに乗ってる車の写真を見て欲しい
当たり前だがドアバイザーは付いていない
そりゃオプション品だから付けない写真なのは当たり前だが、付いていない状態の見た目が最もかっこよくなるようにデザインされてる
スポーツカーでもミニバンでも軽自動車でもみんなドアバイザーが付いていない状態の見た目を最大化して売ってる
クーペってのがどういう車かっていうと、ドアのガラス上部にフレームがない、ガラスがむき出しの車のことを言う
つまりドアの上部にドアバイザーを付けられないので、ドア上部の屋根につけることになる
そのままだとドアバイザーにガラスが接触して窓を開けられないので、なんとドアバイザーが水平に付いている
驚くほどダサいから基本的にクーペ買う人はドアバイザーを付けない
なので、見た目がカッコいいようなスポーツタイプの車とかは基本的にドアバイザーを付けない人が多い
それを証明するように基本オプションでドアバイザーのないプランを選ぶとエアロが付いたりして少し割高になったりする
外車も基本的に見た目を気にする人が多いという理由で付けない人が多い
日本人が日本車に付けている謎のアクセサリーといっても過言ではない
一方で中古車にドアバイザー付きの少ない理由はなぜか、というと少し事情が変わる
中古車でドアバイザーが付いていないのは試乗車であることがほとんどだ
試乗車は基本オプションなんて付けないからドアバイザーも付かない
それだけの理由になる
これを読んだ人は自動車を買う時によく考えて欲しい
https://www.fnn.jp/image/program/00313830HDK?n=13&s=nc via https://www.fnn.jp/posts/00313830HDK
https://www.gates-fukuoka.com/wp/wp-content/uploads/2014/07/satellite21.jpg via https://www.gates-fukuoka.com/satelight_nakasu/
https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/13/0000381613/75/img12a6300dzikdzj.jpeg via https://plaza.rakuten.co.jp/domonaran/diary/200704280000/
https://www.flickr.com/photos/nigeta/30125381103/ via http://sokorace.blog.shinobi.jp/%E5%A7%AB%E8%B7%AF%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E5%A0%B4/himeji_2ndfloor
夏休みに最終の追い込みをかけている。
この夏が勝負だ。
大学受験並みのスケジュールで朝食後からプリント、体操、制作、過去問題等と親子で向き合っている。
あと1か月の辛抱だ。
■ドラマ■
「名前をなくした女神たち」http://www.fujitv.co.jp/b_hp/megami/
「マザーゲーム」http://www.tbs.co.jp/mothergame/
「スウィート・ホーム」http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0410/
ドラマより壮絶かもしれない。
長文になるが、地獄の内容を箇条書きにしておく。
・幼稚園内すべて監視カメラがあり死角なしで常に職員が園内を監視している
・毎月一週間₍5日間₎の連続参観日がある
参加しているか毎回確認されており、行っていないと電話で叱れる
朝の9時から夜の19時半までみっちり缶詰で幼児教育について語られ洗脳される
参加しないとボロクソにdisられる
ご親切なことに親の分の昼食まで用意しロックオン
酷い月は3日連続で開催される
その場で立たされ、お宅のお子さんが可哀想だ等と叱られる
・小学校受験をしないなら、退園勧奨を促される
我が子は体が小さいから肉体労働は向かないから脳みそに金をかけろと言われる
・夫婦の職業、学歴。乗っている車。戸建てかタワマンかアパートかのマウンティングが当たり前。
年少で隣の席のママの最初の言葉が「ご主人はどちらの会社にお勤め?どちらの大学出身ですの?うちは京大ですの。」
運動会では乗っている車のチェック大会、ご主人のルックス品評会
小学校受験に失敗し、公立に通うことになったら幼稚園併設の幼児教室に通い続けろ
・毎月の教育費が16万 幼稚園と併設する幼児教育教室を含めた代金
金使え。日能研は糞。うちに金使え。
中途半端にやるならやめちまえ。
公立で野生児に育てろ。
・幼稚園、併設の幼児教室以外にお受験専門の教室に土日行かないといけない
担任から会うたびに受験専門のお教室決まりましたか?と聞かれる。
・県内、都内の有名小学校パンフレットがコンプリートセットで渡される。
毎年食育勉強会があり、自宅でも国産無添加指定の砂糖、塩、醤油などを使うよう指導される。
・育児の手抜きの重さを一生背負って生きろ!とかの格言プリントが定期的に届く。
白眼ンゴ
色々ありすぎて書ききれない…
近隣の公立で自殺者が出たニュースを見たのと、義母の勧めもあり2歳からA園へ入園させた。
A幼稚園は関東にある英才教育に特化した幼稚園で、幼稚園に入るのも受験がある。
外車に乗っているため駐車場の場所が優先的という謎のルールもある。
幼稚園に入園するには1~2歳に併設しているA園に入園していなければ入園は出来ない。
幼児教室に通って、就職活動並みの願書を親が書きテストを受ける。
一般で幼稚園から入園希望するなら、願書を受け取るには夜中の3時から並ばなければいけない。
3年間さぼりながらも続けてきた。
名指しで叱られて言い返したこともあった。
ママ友は一人もいない。
孤独だ。
子供は洗脳されているためチックなどは出ていないし楽しんで取り組んでいる。
夫は上の子はこの幼稚園でもう続けるが、下の子は現在通っている保育園にしようと言っている。
頼む!受かってくれ…
消去法とか。
あまりこだわりがなかったりして。
日本が誇る国産車だけれど、それぞれのメーカーに複数知り合いがいたりすると
結果、どこの車に乗っていても、「選ばれなかったメーカー」はいやぁな感じがすると思う。
白くてピカピカの外車の運転席で、ぼんやり前をみつめてる彼はバイセクシャル、本人曰く8対2で男の方が好きなバイらしい。
片思いしてる男性と何かあったらしく、不機嫌に眉をゆがめてる。
ハンドルをトントンしてる彼の指先をぼんやり眺めてたら、突然私にキスをしてきた。少し乱暴なキス。
あー、別に私のこと、好きじゃないんだろうな、八つ当たりでセックスしようとしてるな、こいつ。
わかってるけど、なんだか無性に抱きしめてあげたい気持ちになって、そのまま受け入れることにした。傷を癒し合うような、そんなセックスが必要なときもある。
ところが、いざ挿入ってなったら、ゴム持ってないとか言うから、「ちょっとそれは無理」ってお断りしたとこで目が覚めて、なんだ夢ならセックスすればよかった、つか、外車乗ってるイケメンゲイの友達とかいないわ、誰だおまえ。現実じゃ、とんとセックスご無沙汰なのに、夢の中のセックスすら断るとか、バカバカバカ私のバカ。夢の続きみよう、次こそセックスするぞー!って二度寝したら、夢の続きはみれなかったし、普通に会社に遅刻した。
泣きたい。
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20180318203608
最近極めてそれが激しいのは多分「最近の無能が有能の思い通りに動かない。有能と同じ土俵の上に立たない」からだろう。
最近の無能は例外はいるけど多くが「足るを知ること」を覚えてしまい、簡単に煽りに乗らない。
人類の歴史はある意味「有能が無能と同じ土俵で競争するか有能が無能を利用して無能が踏みつぶされ続けた歴史」だけれども最近の無能はそもそも同じ土俵には立たないのだ。
出来ないことはしないし、無駄なリスクや争いには首を突っ込まない。自分に必要がないことは関わろうともしない。
下手をすると私みたいに「ハイハイ私は無能ですから有能さんだけでやってね」と丸投げして後は知らんぷりをする。
理由はいくつかあると思うが、一つに桁違いに無能だとつらいが別に多少無能程度ならそれなりに生きていけること、
そして何より有能になることへの期待値の低さであろう。
例えば官僚。必死に成功しても最近話題のどこぞの元官僚みたいに下っ端にのみ偉そうで上にへーこら、用済みになったら政治屋たちにあいつが悪いと袋叩きにあったりするのだ。
袋叩きになってる側も見苦しいがしてる側も見苦しいだろう?
バブル期だと外車を乗り回し女を多数抱えるみたいなバカみたいな成功パターンがあったと思うが、今やそれも時代遅れである。
変にそんなのを抱えても今やめんどくさいだけというのが盛大にばれてしまっている。
そもそも今時の金持ち成功者なんてどこぞの会社社長みたいにツイッターで偉そうに叫んでるだけだったりする。
そんなのにいったい誰が憧れたりああなりたいと思ったりするものか。
独身志向の男たちが激増してしまったのも結婚という一昔前は一人前・成功の第一条件であった事象の没落とそれへの期待値壊滅が生んだ事象ではある。
結婚に昔レベルの価値があったら男たちに金がないと言っても今でも自発的非婚化なんて事象は起きていなかっただろうから。
他にもそういう事象は数え切れないほどあるだろう。
あっくん(団地住み、川沿い住み、隣の家と屋根が繋がっている、家の壁にマルフクの看板、家の近くの道が異様に広い、
最寄駅が信濃町、実家が西ノ宮、実家が焼肉屋、実家が肉屋、実家が靴屋、
親が居ない、親が若い、親が定年、晩御飯17時、箸が金属、冷蔵庫は下の部分が冷凍室、冷蔵庫にシールを貼っている、
苗字に金が突いてる、苗字に星が付いてる、苗字が1文字、苗字がない、
家の壁に共産党のポスター、家の壁に100万円で世界一周の旅のポスターが貼ってある、
黒人、中国残留孤児の子供、在日、君が代歌わない、祝日に国旗掲揚、毎月靖国に行く、
天理教、創価、イスラム教、カレーに豚肉を入れる、カレーが鶏肉、カレーに肉をいれない、
つり目、出っ歯、歯列矯正中、奥歯が全部銀歯、真性包茎、下半身に汗をかかない、足が臭い、
右手がフック船長みたいになってる、左手にサイコガンがついてる、爪が黒い、腕に火傷、
プールはいつも見学、友人のゲームソフト盗み常習犯、遊戯王カード盗んで転売、MTGのパック全部空ける、
カンチョーすると謝る、トイレするときに鍵を閉めない、布団を干さない、食パンに塩をかける、牛乳に砂糖を入れる、シチューをご飯にかける、パチンカス、金遣いが荒い、
車が外車、虫歯出来たことがない、ハンコ注射の痕がない、食パンは8枚切り、目玉焼きにコショウをかける、カルピスが薄い、
兄に用水路に突き落とされて死亡)