はてなキーワード: 外山恒一とは
政治運動の基本は仲間作りだ。
議会の中では、自分の仲間(党派・派閥)をどれだけ増やしていくか。
議会の外では、自分の党のために活動してくれる人をどうやって増やすか。
それは左翼団体や右翼団体のインディーズの政治運動でも同じで、
中核派がYouTubeやっているのも、若い仲間(同志)を増やすためである。
外山恒一が書いた「全共闘以後」という本でも、活動家は色々な手段で、仲間を見つけ繋がろうとする。
ひとりでは何も出来なくても、信頼できる仲間が増えたら、大きなことだって出来るようになる。
でもそういうことの積み重ねから、色々なことが始まるし、信頼関係も生まれる。
仲間作りができなくても(しなくても)バズりさえすれば、大量の人を動員できるし、自分の活動がマスコミの取り上げられたりする。
旧来の運動では、能力的にリーダーになれなかったような人でも、Twitterでの運動ならリーダーになれたりする。
どっと人が集まるけども、さっと人がいなくなる。
仲間作りをしなかった(できなかった)Twitter活動家はあっという間に孤独になってしまう。
信頼できる同志も、頼れる組織も何もない。
普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくらい典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。
選挙権を与えられて初めての選挙のときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一と中田考のせいだと思う。
特に外山恒一の2007年東京都知事選の政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。
イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一元管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。
消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。
私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。
しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰な人間が唯一可能な意思表示であり、一種の反射であるからだ。
多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。
投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。
それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。
投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的な判断を正しく下せるとは思えない。
しかしまあノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。
さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。
顔出しアイコンがインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民の意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者よ選挙へ行けと叫びだす。
選挙へ行かない人間は非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。
こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人に押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。
選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。
単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義に時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党や個人が存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間に選択を委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。
結果的にそれが自分に不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義は愚行権を正当化したのではなかったか。投票を棄権することそれ自体が社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。
もしあなたが特定の団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物やマニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか。
少なくとも私はそういう人間である。選挙自体を否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対に選挙に行きたくないと思う。
なぜ若者は選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。
この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。
繰り返されるスクラップアンドビルド。くだらない政治がここ20年近く続く。
中の人が限りなくバカだったと言えばそれだけの事だが、きっとたぶん小選挙区制が災いしたのだろう。
二大政党制を目指したとか言うが、そんなものは絵空事だ。出来上がったのは一強多弱。そして瞬間風速に翻弄される人々。
今回の事に限らず、ずっとこれ。思えば30年前は政権交代こそない物の、野党がそれなりに強かった。過半数取らないまでもコンスタントに議席を確保していた。
小選挙区という大いなる実験は失敗に終わった。もはや撤退すべき時だ。
大選挙区中選挙区が、広すぎるという意見もあろうが、今やネット社会。情報は溢れている。
握手をしたから、人柄を知っているからとか、正しい政策をする政治家を選ぶにはむしろ雑音だ。
政治的とかじゃなくて、エンターテイメントとして見てしまう。お笑い芸人的な。……失礼だけど。
政治にまったく目覚めてない純無関心層は選挙に行かないし、目覚めきって左右の政治思想の極北たるアナキズムやファシズムにまで行き着いた者も選挙には行かない。つまり選挙に行くのは政治的に寝ても覚めてもいない、寝ぼけた連中だけ!— 外山恒一 (@toyamakoichi) 2017年10月15日
投票率は5割でも高すぎるし4割ぐらいじゃまだ組織票に依拠してる連中がほくそ笑むレベルだが、3割を切るぐらいになれば奴らは本気でビビり始めるし、万一ビビり始めもしないようなバカ政府ならそもそも恐るるに足りない。選挙には行かないのが一番正しい(次善は毎回「外山恒一」と書くこと)。— 外山恒一 (@toyamakoichi) 2017年10月12日
東浩紀の呼びかける選挙棄権って、いわばサボタージュ・ストライキの呼びかけだと思うんだよな。
与党もひどいし野党もひどいし、解散に至る流れと解散されてからのゴタゴタはマジでどうしようもない。
にもかかわらず選挙が行われたなら国民はそのひどすぎるゲームに参加しなきゃいけないとされてる。
なんでそんなひどいゲームへの参加を強制されなきゃいけないんだ?
っていうか俺たちがそのゲームにいやいやながら参加するから、ゲームが行われるんじゃないか?
だったら降りちまおう。参加者がいなくなればゲームは成り立たなくなるだろう。
たとえば企業がひどい経営をして、抗議も無視される時に、労働者がそれでも仕方なく働き続けるようじゃ企業はひどい経営をやめない。
しかしストライキをすれば仕事が立ちいかなくなるので、企業は言うことを聞かざるを得ない。ストに対し給料支払いを止めてくるかもしれないが、そこは根競べだ。肉を切らせて骨を断つのだ。
そういうストライキと同じことを政治でもやろう……ってのが東浩紀の意図に感じる。
だが、そう、問題なのは、この政治というゲームは国民が参加しなくなっても成り立ってしまうことだ。
一般企業の経営ならば労働者がサボタージュをすれば回らなくなるのに、国家の経営は国民がサボタージュをしても一向に問題なく回せてしまう。
むしろ国家経営者にとってはその方が都合がいいくらいだったりする。
ではどうしたらいいのだ。このひどい政治ゲームに、システムに、組み込まれ続けるしかないのか。そこから逃げ出したり、システムに有効な異を唱えることはできないのか。
恐らく、その通りだ。参加し続けるしかない。
このクソなゲームに従ったままで勝ち、それにより状況を変える力を得るしかない。
ロッキーや、カイジのように、八百長じみた卑怯な試合と分かっていながら参加し、全力を出し、相手を追い詰め、喝采を浴び――だがロッキーと違い、その上で勝たなければならない。
ロッキーは結局負けて、それでも人間的満足を得たのでしたみたいな感じだったが、それではだめだ。勝ったはずなのに結局儲けをもらえないカイジでもだめだ。
「勝つロッキー」になる必要がある。或いはドニー・イェンが演じたイップマンとか、ノーホーマー・ノーサヴァイヴ編のニンジャスレイヤー。
そんなの現実にできそうか?
さあ……。
いちおう、幾つか抵抗したい人のための案を考えてみた。全部で五つ。
まず、現在の選挙ゲームに参加することを甘んじて受け入れた上でのプランは二つ。
でも政治的既得権益がない人間が出馬して勝てるか? 落ちる上に選挙活動費用がかさんで生活ブッ壊れるのでは? 死では?
第二に、ヤバそうな候補者、政党に入れて受からせる。共産党とか日本のこころとか幸福実現党とか?
これはストライキに近い。骨を切らせて肉を断つ。ヤバい奴らが力を持てば任期中ヤバい政治をされて国民はボロボロになるが、それと引き換えに今の主要政治家に危機感を持たせることができる。はず。はずっていうか民主党政権はまさにそういう効果が生まれるはずだったんだけどなんかあんまそうなってないらしいのは何でなんですかね。
第三、一般的な意味でのストライキをそのまんまやる。ただし超大規模に。国民みんなで勤め先に行くのをやめる。
「国家の経営は国民が参加しなくても回る」とか書いたけどそれは政治的な意味で合って、経済的な意味でなら国民が参加しないと回らない。
GDPも株価も落ちまくって凄いことになり、政治家は焦るはず。みたいな。
第四、子供を作るのを止めるし、引きこもる。はてなで言うところのサイレントテロ。
でもこれは効果が出るのがじわじわ過ぎる上に国民にとっても致命的すぎて、肉を切らせて骨を断つっていうか両方ただ死ぬ。
はてブではしょっちゅう言われる「そこまで不満があるなら国外に行けよ」。
だが実際、これは日本の政治ゲームへの参加を本当に放棄する数少ない方法ではある。
まあでも、東浩紀的なスタンスを極力保ったままでやるなら、明らかにアレな政党への投票を呼び掛ける、とかがまだ少しは意味があるかなあ。
それも、ただどこかへの投票を呼びかけるんじゃ、全然意味がないしインパクトもない。
それじゃ選挙に前向きに参加する普通の政党支持者と同じように見えてしまって、この選挙自体への抗議であるという意図が人々に伝わらない。
だから呼びかけは、たとえばこうだ。
「これはいわゆる普通の政治活動ではない。私は○○党を全く支持しない。ここはデタラメな政党だ。自民なり希望なり立憲民主の方がまだマシだ。
だが、その上で○○党への投票を呼び掛ける。これは、最悪な経緯で行われる現在の政治と選挙への、ストライキとしての投票だ」
みたいなね。
あとマック赤坂とか外山恒一とかみたいなのに声かけて政党つくってこれをやるとか。
東浩紀さん、或いは誰でもいいけど政治にうんざりしてる人、次はそういう感じでどう?
「今回の選挙、くだらなすぎる」 投票棄権の賛同署名を集める東浩紀さんの真意とは?
http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/hiroki-azuma_a_23237074/
これが「国難です」 "600億もかかる政治家の人間ドラマ"を見たかったのか?
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/kita-kokunan?utm_term=.xaDBzvaRb#.gyOXBvM9r
1980年代~1990年代、日本各地において管理教育に対する懐疑論が巻き起こっている中、外山恒一などの若者が管理教育廃止のために立ち上がりました。
彼らの運動には犠牲もありましたが、1993年には事実上の管理教育の終息を実現できたのです。
そして月日は流れること2013年に公共交通利用者を激怒させるような事件が発生しました。観光列車ブームが蔓延してしまったのです。
観光列車ブームは様々な効果をも起こしましたが、それはわずか。むしろ反発のほうが大きいです。
観光列車の走っている地域は走る前よりもむしろ沿線住民の鉄道離れが加速しているようです。あたかも観光列車が公共交通を駄目にしているかのようです。