はてなキーワード: 基本的人権の尊重とは
ここに、
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/keikaku/pdf/h29_koudou.pdf
パンデミックを起こすのは新型インフルエンザ、特に、H5N1とほぼ狙い撃ちして対策を立てていたからだ。
ワクチンやら抗インフルエンザ薬といった、インフルエンザに絞った行動計画の細目はあるが、基本的な蔓延防止の施策については、どんな感染症についてもパンデミック時はこの行動計画が基本になっている。
今般のコロナウイルス感染症(COVID-19)での現状を顧みて、この行動計画がどの程度役に立ったのか、検証したい。
なお、
本政府行動計画の対象とする感染症(以下「新型インフルエンザ等」という。)は、以下のとおりである。
ただし、今般のコロナウイルス感染症(COVID-19)は「新感染症」には指定されないらしい。
SARSも一度は新感染症に指定されたにも関わらず、COVID-19が指定されないのはなぜなのかよくわからない。
「指定感染症」というカテゴリーに入れられたので、感染症法によって様々な制約と処置をうけることになったが、新感染症ではなく既知の感染症ということを強調している。
ただ、「指定感染症」のままでは、検査で感染が確定してしまうと、入院が確定してしまう。
原則的に感染症指定医療機関における感染症病床に入院しなければならないとされているからだ。
個人的には、指定感染症ではなく新感染症としたほうがよいと思うのだが(省令でよい)
この行動計画、「Ⅰ初めに 2.取組の経緯」にある通り、策定は2005年である。
パンデミックは現実に2009年に引き起こされたが、H5N1ではなかった。
幸いにも、病原性は従来の季節性インフルエンザ程度で済んだが、国外発生期はこうする、水際対策は、国内発生期は、と細かく設定していたものの、全く役に立たなかった。
通常、新薬は有効性や安全性を審査しなければならないのだが、全てを超法規的にすっ飛ばしワクチンを作らせたが、出来たころには流行は終わっていた。
個人的には、仮にH5N1インフルエンザであっても、対策は役に立たなかったのではないかと思う。
例えば、行動計画ではワクチンに期待している節があったが、未知の感染症に対する予防薬を作ることは不可能であるし(プレパンデミックワクチンとして当たりをつけて作るとされていた)、パンデミックが起きてから終息するまでの間に予防薬を作ることも不可能だと思う。
全ての新型インフルエンザ等患者の PCR 検査等による確定診断は、患者数が極めて少ない段階で実施するものであり、患者数が増加した段階では、PCR 検査等の確定検査は重症者等に限定して行う。
少なくとも、パンデミックがH5N1インフルエンザだった場合は国内発生早期においては全ての確定診断はPCRで行うつもりだったらしい。
これ、発生したのがCOVID-19じゃなくインフルエンザだったとしても、検査のキャパが足りてたとは思えない。
それから、鳥からヒトへのH7N9インフルエンザが大量発生した後も、SARS、MERSが発生した後も、パンデミック対策はH5N1インフルエンザを想定しつづけたというのはどうなのか?
昨今、マスクに感染予防の効果はないとされているが、この行動計画では推奨されている。
個人における対策については、国内における発生の初期の段階から、新型インフルエンザ等の患者に対する入院措置や、患者の同居者等の濃厚接触者に対する感染を防止するための協力(健康観察、外出自粛の要請等)等の感染症法に基づく措置を行うとともに、マスク着用・咳エチケット・手洗い・うがい、人混みを避けること等の基本的な感染対策を実践するよう促す。
一方で、
患者はマスクを着用することで他者への感染を減らすことができる。他者からの感染を防ぐ目的では、手洗い等との組み合わせにより一定の予防効果があったとする報告もあるが、インフルエンザの予防効果に関する賛否が分かれており、科学的根拠は未だ確立されていない。
つまり、国の推奨は、科学的根拠はないがマスクを着用すべきと言っている。
と言っている。
出来てるのかこれ?
国、都道府県、市町村は、新型インフルエンザ等対策の実施に当たっては、基本的人権を尊重することとし、検疫のための停留施設の使用、医療関係者への医療等の実施の要請等、不要不急の外出の自粛要請、学校、興行場等の使用等制限等の要請等、臨時の医療施設の開設のための土地等の使用、緊急物資の運送等、特定物資の売渡しの要請等の実施に当たって、国民の権利と自由に制限を加える場合は、その制限は当該新型インフルエンザ等対策を実施するため必要最小限のものとする。具体的には、新型インフルエンザ等対策の実施に当たって、法令の根拠があることを前提として、国民に対して十分説明し、理解を得ることを基本とする。
お久しぶりです。以前ここで実家にいた引きこもりでモラハラの弟の問題について書き込みしてた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20161019074216
https://anond.hatelabo.jp/20170201173533
心を折られた人間はどう立ち直ればいいのか
https://anond.hatelabo.jp/20181023041902
その後、弟はしばらく車上生活をしてましたが、秋を過ぎたあたりに車のバッテリーもあがって使い物にならなくなったらしく、にっちもさっちもいかなくなったあたりに俺がソーシャルワーカーと一緒に話し合いさせて生活保護コースで無事フィニッシュできました。
正直弟や実家のごたごたでは散々地獄みてきたつもりですが、最近のニュースみてるとウチはまだマシだったんじゃないか?と思えるような酷い事件ばかり。もしかしたら熊澤一家予備軍はほかにもいるかもしれないので、俺が弟のケースで経験したこと、後々考えてすべきだったこと、すべきでなかったことなどをまとめてみます。
まず最初に断っておきますが、熊澤英一郎さんのケースを安易にほかの引きこもりに結びつけるのはやめましょう。ある程度家族内でも同意がとれて、将来の心配はあるものの平和に引きこもりしている人たちについては第3者が無理に介入する必要はありません。問題はうちの弟や熊澤一家のように明らかに親や他の親族に対して精神的・肉体的・経済的DVを継続に続けて、親族が関係改善のために強く第3者の介入を望むケースです。
その上でまずすべきことは、やはり公的サービスに支援を求めることです。近年は地元の役所でも引きこもり対策の部署とか、ほかの家族間トラブルに対応できるソーシャルワーカーや、引きこもり専門のNPOなども探せば見つかります。とりあえずそういったところに片っ端から連絡して助言を求めましょう。ただ念頭に置いてほしいのは、これらの団体に連絡しても引きこもり問題が早急に解決することはほぼありえないという事実です。親や親族でも相談にはのってくれますが、肝心の支援については引きこもりに悩む当人が自発的にこういった団体に連絡して助けを求めないと何もできません。なぜなら日本には基本的人権の尊重があり、成人した人間の意志に反して何かのサービスや治療を強制させることはできないからです。そして想像にたやすいでしょうが、うちの弟や熊澤英一郎さんのような方々がそういった団体に自発的に連絡することはまずないです。親が頼み込んでも逆ギレして終わりです。
警察への通報はかなりハードルが高いです。まず警察は家庭内の問題には介入したがりません。警察は現行犯事案なら動けますが、家庭内で起こった事案はどうやっても事後報告になってしまうので、暴れている最中に動画撮影や音声録画しておくのを推奨しますが、そんなこと暴れている本人の目の前でするなんて相手を刺激しそうで怖いですよね。うちは母親の携帯電話を床にたたきつけてぶっ壊すシーンを隠し撮りして数日後に警察に見せましたが、「こういうのは壊されてすぐ通報してくれないと難しい」と言われました。
警察や行政が強制介入できる事案は自殺や他殺などの危険がある緊急性のある事案だけです。言い換えると、よほど運とタイミングがそろわないと、警察や行政は「何もかもが手遅れ」にならないと強制介入できないのです。
それでも僕が勧めるのは、まず継続的に第3者に介入してもらって、自分たちの家族内で起こっている問題がどれだけ異常なのかを再確認してもらうため。これをあきらめて家族内だけでとどめてしまうと、どれだけ事態が狂っていっても、その狂った日常になれて何も行動できなくなります。あと引きこもり事案だけでなく実親へのモラハラ事案や経済的DVなのも細かく記録してソーシャルワーカーに報告しましょう。まぁ大抵は「そんなに嫌なら親御さんたちがよそに引っ越すしかない」と言われるのがオチでしょうが、めげずに続けてください。なぜならソーシャルワーカーや役所の担当者は人によってかなり対応が違うので、担当者が変わったら嘘のように積極的に介入してくる場合も珍しくありません。なので対応に不満があったら違うソーシャルワーカーに変えてもらうのもお勧めします。うちのケースだと弟の連れ子だった甥っ子へのネグレクト・育児放棄という事案でやっと積極的に介入してくれました。なので事態が深刻化したら実親や親族へのDV事案で進めてもらうほうがいいと思います。
こまめに役所やソーシャルワーカーに連絡し続けると、最後にどんな結末を迎えても「やるだけのことはやった」と自分たちへの免罪符にもなります。実際にうちも後々いろんな方に少しずつ実家のケースを話しましたが、「そこまでご家族が努力しても弟さんがそうなったのなら、しょうがないですね」と言ってもらえます。
あとこれらの行政への連絡は、できれば同居している家族ではなくすでに実家から自立した兄弟や、ほかの親族が代行してあげたほうがいいです。日常的にDVの恐怖にさらされている家族にとって、行政に連絡するだけでも精一杯の行動ですし、その結果大した対応もしれくれず、逆に引きこもり本人に逆ギレされてDVがひどくなると「通報しても無駄」と早々にあきらめてしまいます。だから問題が起こっている実家から物理的に距離が離れている親族が介入してあげるほうが継続的なサポートにつなげやすいです。(俺がこの担当でしたが、平日に仕事休んでソーシャルワーカーや役所などに連絡したりするので、これはこれですごい負担なんですけどね>経験談)とにかく行政に介入してほしいなら、あきらめずに定期的にいろんなソーシャルワーカーや役所、警察に想像を続けるしかないです。何十回も続けると、何かのタイミングで動いてくれます。ま、それでも即解決というわけではなく、ようやくスタート地点にたったぐらいなんですけど。
熊澤英一郎さんはどういった方だったのかは断片的な報道からしかわかりませんが、よくこういった引きこもり問題が深刻化する事案では発達障害とかアスペとかの単語が並びます。あくまで弟のケースを見てきた経験から言うと、発達障害とかアスペなどは多少は関連性はあるでしょうが直接的な原因ではありません。だって発達障害とかアスペ抱えても頑張って生きてる人が大半ですから。そもそもうちの弟のように経済的にもキャリア的にも詰んでずっと家に引きこもっていたらまともな人間でも大半は鬱病などで心が病んでいきます。結局は当人たちが無理なく生きていける居場所があったかどうかじゃないかと思います。
これが当人がまだ20代で、実親も40代で体力的にも経済的にも余裕があってどっしり構えることができる状態なら、数年引きこもってもなんとか立ち直るケースもあると思うんですよね。でもこれが当人40代で実親も70代近くて体力も経済も限界だと、そんな悠長に対応できないんですよね。
最近世間を騒がしてる引きこもり自立支援サービス、俺としては強くはお勧めできないけど最終手段の一つとしてはありかなと思います。ただ引きこもり当事者への治療を望んでいるならやめた方がいい。あれは完全に現代の姥捨て山です。治療をあきらめた悪質な引きこもりと絶縁するための最後の手段です。うちが実弟の件でこれを使わなかったのはモラルの問題ではなく、ただ単に依頼する金がなかったからです。あのような引きこもり自立支援サービスを取り上げたテレビ番組を何度か見ましたが、何度か映像内に疲れ切った無気力な実親の顔がでてきますよね。youtubeのコメントでは「あんな子供に無関心な無責任な親だから子供がああなったんだ」と罵倒されてましたが、あれこそ俺の親と同じ顔です。あれは何をしてもうまくいかずに人生すべてを諦めきった顔です。
引きこもり自立支援サービスは僕からみても人権侵害だし、法律スレスレまあはアウトな業者もあるんでしょう。ただ現状では「暴力的な引きこもりの人権守るために回りの家族を生贄になるのを放置せざるを得ない」のが実情でして、そんな地獄から逃げたいと思う方がああいったサービスしか頼れずにいる現状を俺は同じ当事者だった者として非難できません。
最後に、これは当時の弟に伝えたかったのですが、どうしてもっと素直に助けを求めてくれなかったのか?ということです。彼が経済的にもキャリア的に積んで精神的に病んでいたのは誰が見ても明らかでした。もし4,5年前の時点で彼が素直に「どうしていいのかわからない。助けてほしい。やり直したい」と僕や親に話してくれたら、もっとましな選択肢はいくらでもあった。実子と離れ離れになる人生を送ることもなかった。話したところで何も解決しないと思っていたかもしれない。でもそんなことはない、悩みを言葉にして回りに伝えるだけでも解決につながるんです。そら君が望んだ人生とは程遠いかもしれないが、その現実を受け入れることさえできたら、ここまでひどくはならなかったのに。
もしこれを読んでいる方で当時の弟のような人がいたら、どうか勇気を出して自分から助けを求めてください。あきらめると被害妄想だけが増大して、周りの大事の家族を傷つけて、本来ならあなたを助けてくれるであろう人達が逆にどんどんあなたから逃げていきます。一度信用を失うと、同じ家族でも話し合いすらできなくなります。そしてご家族の方も、もし当人が助けを求めてきたら過去のわだかまりをいったん忘れて話だけでも聞いてあげてください。
男だけどレスしていい?今もう全然微妙だけど、25ぐらいまで男前ですね、イケメンですねって言われ育ったよ
無茶苦茶ドン臭かったから続かなかったけどホストもしたことあるよ今30ねもうおっさんだねゴメンねアニメはそこそこ見るからオタクだね
じゃあレスするね。
貴女みたいな知性のない現実を妄想化して散々男の足引っ張ってのうのうと生きてるのに下らない理由で男を見下してる恥知らずは吐き気がするよ、説明するね。
あのね、日本てなんだかんだ安全で平和だよね?夜中に女子供がコンビニ利用なんて出来るの日本ぐらいだよなんでだと思う?警察?法律?
違うよ少なくとも警察は女性を助けないし法律は事後処理だよ、ストーカーで被害届けだしても無視されるなんて常識だよね
じゃあ何でかなって『男一人ひとりが社会のお荷物だ、自分は何もできないって認識したとき人に迷惑かけず大人しく死を選んでるからだよ』。あのね、男って別にバーサーカーじゃないよ?死にたくないよ?でも死んでるんだよ?その結果「治安がいいんだよ」
で、女性みたいに「彼氏に振られた死のう」なんてバカげたセンチメンタルで死を選んでないよ?
社会の足を引っ張るのは「恥」だから死ねで死んでるんだよ追い詰められて「生きたいけど」「死んでる」んだよ
日本の男が生活行き詰まってヤケクソになって自暴自棄なって犯罪する事自体他所の国と比べて圧倒的に稀だよ?
歩行者天国程度で大騒ぎのビッグニュースだよこんな国日本ぐらいだよ
特攻隊って知ってる?男は国のため女子供のために死ねで死んだんだ。社会主義国の鏡だね
男にとっては毎日特攻隊の片道切符握らされて資本維持するために『出来損ないの烙印押された人は今も死んでる』よ
それもこれも女性が男女平等だとか女性の権利、女性の自由、女性の尊厳なんてワケの分からない事言い出して男のポスト奪って。
モチロン男どかした穴埋めになるはずもなく停滞させてた上に、身勝手放題ワガママ放題で傲慢でバカな女性が少し顔が悪るかったり体型が悪いのをあげつらって悪口言ってばっかで女性が嫌になってやる気無くしてアニメ、マンガ、ゲームに傾倒したからだよ。
ところで、権利、自由、平等、尊厳って何?大多数の男は一つも持ってないよ
セーフティネットだとかクソの救済にもなってないよ、ゴミのように使われてゴミのように死んでるんだ「ありがとね女性」
アニメ、マンガ、ゲームは経済状況最悪でも未だに需要が衰えないよ
なかには勇気出してアタックした人も居るよ、でも女性はこう言うよね「おじさん」って、そして犯罪者扱い、子供も出来ないわけだよ。
努力して金稼いでインフラ支えて社会に貢献した末に男として当然のエッチする欲求すらままならず、ある日死ねだよ最高にハイだね。
社会主義国の抑圧の中で男にかける基本的人権の尊重のコストなんて持ったいないって当の男は皆んな知ってるよ
僕はたまたま顔はよかったんだけど顔がイマイチでモテない人馬鹿にするつもりはサラサラないよ、悪いのは彼らじゃないのは男の僕は知ってる
で、そこまでして支えた女性って気楽に生きてワガママ放題言った末に「不幸な男をマネして不幸なフリして遊んでるよ」
それでも僕は女の子は大好きだよ、性の対だからね嫌いな男は居ないよ
でもね
日本の女は大嫌いだよ
男だけどレスしていい?今もう全然微妙だけど、25ぐらいまで男前ですね、イケメンですねって言われ育ったよ
無茶苦茶ドン臭かったから続かなかったけどホストもしたことあるよ今30ねもうおっさんだねゴメンねアニメはそこそこ見るからオタクだね
じゃあレスするね。
貴女みたいな知性のない現実を妄想化して散々男の足引っ張ってのうのうと生きてるのに下らない理由で男を見下してる恥知らずは吐き気がするよ、説明するね。
あのね、日本てなんだかんだ安全で平和だよね?夜中に女子供がコンビニ利用なんて出来るの日本ぐらいだよなんでだと思う?警察?法律?
違うよ少なくとも警察は女性を助けないし法律は事後処理だよ、ストーカーで被害届けだしても無視されるなんて常識だよね
じゃあ何でかなって『男一人ひとりが社会のお荷物だ、自分は何もできないって認識したとき人に迷惑かけず大人しく死を選んでるからだよ』。あのね、男って別にバーサーカーじゃないよ?死にたくないよ?でも死んでるんだよ?その結果「治安がいいんだよ」
で、女性みたいに「彼氏に振られた死のう」なんてバカげたセンチメンタルで死を選んでないよ?
社会の足を引っ張るのは「恥」だから死ねで死んでるんだよ追い詰められて「生きたいけど」「死んでる」んだよ
日本の男が生活行き詰まってヤケクソになって自暴自棄なって犯罪する事自体他所の国と比べて圧倒的に稀だよ?
歩行者天国程度で大騒ぎのビッグニュースだよこんな国日本ぐらいだよ
特攻隊って知ってる?男は国のため女子供のために死ねで死んだんだ。社会主義国の鏡だね
男にとっては毎日特攻隊の片道切符握らされて資本維持するために『出来損ないの烙印押された人は今も死んでる』よ
それもこれも女性が男女平等だとか女性の権利、女性の自由、女性の尊厳なんてワケの分からない事言い出して男のポスト奪って。
モチロン男どかした穴埋めになるはずもなく停滞させてた上に、身勝手放題ワガママ放題で傲慢でバカな女性が少し顔が悪るかったり体型が悪いのをあげつらって悪口言ってばっかで女性が嫌になってやる気無くしてアニメ、マンガ、ゲームに傾倒したからだよ。
ところで、権利、自由、平等、尊厳って何?大多数の男は一つも持ってないよ
セーフティネットだとかクソの救済にもなってないよ、ゴミのように使われてゴミのように死んでるんだ「ありがとね女性」
アニメ、マンガ、ゲームは経済状況最悪でも未だに需要が衰えないよ
なかには勇気出してアタックした人も居るよ、でも女性はこう言うよね「おじさん」って、そして犯罪者扱い、子供も出来ないわけだよ。
努力して金稼いでインフラ支えて社会に貢献した末に男として当然のエッチする欲求すらままならず、ある日死ねだよ最高にハイだね。
社会主義国の抑圧の中で男にかける基本的人権の尊重のコストなんて持ったいないって当の男は皆んな知ってるよ
僕はたまたま顔はよかったんだけど顔がイマイチでモテない人馬鹿にするつもりはサラサラないよ、悪いのは彼らじゃないのは男の僕は知ってる
で、そこまでして支えた女性って気楽に生きてワガママ放題言った末に「不幸な男をマネして不幸なフリして遊んでるよ」
それでも僕は女の子は大好きだよ、性の対だからね嫌いな男は居ないよ
でもね
日本の女は大嫌いだよ
ワイは憲法が専門じゃないんで知ったかぶり入るが、限界論については(考えるのは楽しいが)あまり実益のない議論って印象やな
限界論が問題になるケースを具体的に考えてみると、①96条自体を変更する、②国民主権原理・基本的人権の尊重・平和主義を変更するっていうケースやな
(さらに具体化すると、①’改正発議の要件を総議員数の3分の2から過半数に下げる、②’国防軍を創設する、といったところか)
この①②の変更について、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」があって、かつ、「国民投票〔において〕その過半数の賛成」があった場合に、裁判所が限界説を盾にこの憲法改正を覆せるか、という議論が限界論や
そして実際に弁護士さんが↑の戦術で憲法改正を覆そうとすると次のような課題が出てくる
(1) 投票した国民の過半数が合憲だと判断した憲法改正を裁判所が覆せるのか(裁判所の審査権が及ぶのか)
(2) そもそも上記のような訴訟をどういう訴訟形態で争うのか
(3) 憲法改正の限界を定める条文がないのに、限界をどう定めるのか
これはもうどう見ても負け筋や。(1)(2)がクリアできても、(3)でゆるゆるの規範立てられてよほどの場合以外OKってなるのが関の山やろな
(そしてその「よほどの場合」にはもはや8月革命説みたいな議論で改正を正当化せざるを得ない状況に陥っているのではないかと思う)
(4)に至ってはもはや未知数
憲法改正に反対するにしても、限界説から出発するんでなくて、そのときの情勢に照らして国民を説得していくのが得策やろな
一応文献としては、
法治国家を否定するラディカルな思想を持つ人がいても、おかしくはない。
しかし、日本が人治国家になったら法律は無用=法務を専業とする弁護士も不要となり、自らの存在意義を否定する「矛盾」に陥るのではないか?
オウム事件とこの集団対応は、この「前例のない事件に対しては前例のない体制で」でやってきた。それだけの大事件であり、特異な集団であり、特異な思想だったからです。
で、今回の支援要請につき、国が応えられないなんてありえない筈、と確信しています。
・その必要性があり、決して憲法に違反するものではなく、法令に違反するものでさえないのだから。
・日本が、テロと闘うならば、そのテロ行為の背景などにも対応していくことによってこそ、「闘う」といえるのだから。
助けてください。
社会は常に変遷して行く。かつてない状況に出会ったら、新たな対処方法を確立する必要がある。そこまではOKだ。
しかし、最初は手探りの試行錯誤ゆえ不具合が生じた場合、後でちゃんと不具合を修正できるのか?
滝本弁護士の独断で、関係者の利害を調整することなく、物事を強引に進めてしまった場合、その結果重大な人権侵害などが起きても、ちゃんと回復できる仕組みも併設されているのか?
新規の対応で失敗しないためには、ちゃんと保険もかけているのか?そこを注意深く観察する必要がある。
デリケートな問題を扱うにしては、十分な議論を尽くすだけの「慎重さ」が欠けていないか?
万一、間違った前例を作ってしまった場合、後戻りできなくなるのでは困る。
歴史を振り返ると、人類は多くの失敗を繰り返している。(同じ失敗を繰り返すのは、単なるアホでしかない。)
「前例がない」場合こそ、十分に時間をかけて話し合い、慎重に対処すべきという「共通認識」が必要だ。
民事および刑事の係争は、法律というルールに基づいて解決を図るべきだ。
なぜ、滝本弁護士は、他の利害関係者と対話の機会を持たないのか?独断と偏見で話を進めていないか?
司法試験の勉強をしたなら、少なくとも一度は日本国憲法を読んだことがあるはずだ。
1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。
そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
なぜオウムだけは差別して、議論の輪から外しても良いと言えるのか?(言っていないなら問題ない。)
「好き嫌い」という感情ではなく、「真偽」という論理、すなわち法律(ルール)に基づく説明ができなければ、法曹としては失格だ。
パブリックコメントを発する以上は、他者からの質問に答える義務がある。(質問を受け付けないのなら、それは単なる独り言でしかない。結果、他者も聞く耳を持たず、自身が孤立する結果を自ら招くだけだ。)
滝本弁護士には、公開の場で質疑応答を行なうだけの「誠意」を見せて欲しい。
「テロ」といえば昨今の「テロ等準備罪」を巡る議論を思い出す。
「日本では犯罪を実行したことを罰するのが原則です。それに対して、共謀罪は犯罪の計画に合意したこと自体を罪ととらえ、犯罪を実行する前に処罰しようというものです。深刻な犯罪を未然に防ぐことが狙いです」
「過失」を巡る法理の分類は、歴史的に「旧過失論」「新過失論」「新々過失論」(危惧感説)などが挙げられる。
テロ等準備罪は、危惧感説に基づく新しいタイプの法律と言える。日本では、藤木英雄先生が先駆者として有名だ。
藤木英雄(1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本の刑事法学者。元東京大学法学部教授。
戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである。
藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任を拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。
危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統的犯罪や交通事犯に対する過失責任の限定を意図していただけに、画期的な転換といえる。
危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者や検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件で採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。
日本ではまだ、危惧感説に基づく国民の合意形成が十分になされている状況とは言えない。(テロ等準備罪も始まったばかり)
従って、滝本弁護士が、「テロと闘う」という大義名分の下、かつてない法的判断を要求するつもりならば、日本国民に対する説明の義務が伴う。
滝本弁護士が単なる思い付きや感情論で言っているだけなら、後世に悪影響を残す有害な前例を作ってしまうかもしれない。
ハッタリではなく、滝本弁護士が藤木英雄先生の業績を踏襲し、発展させる意気込みがあるなら、一概に有害とは言えない。
従って、公開の場で議論を尽くされなければならない。
どのような方法で公開討論を進めていくべきか?日本国民全員で検討する必要がある。
(滝本弁護士には「オウム問題を風化させたくない」という思いがあり、さらに法治国家を否定しているわけじゃなければ、この結論に至るだろう。)
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平成26年 6月定例会(第3回) - 06月12日-04号
P.145
○議長(関口孫一郎君) 4番、針谷育造議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.145
◆4番(針谷育造君) 栃木新風会、4番、針谷育造でございます。通告に従い一般質問をいたします。質問の要旨は、1番といたしまして、栃木市総合計画への岩舟地域の位置づけについて、2番、小野寺北小学校旧校舎の保存と活用について、3番、岩舟地域の獣害対策について質問をしたいと思います。
それでは最初に、栃木市総合計画等への岩舟地域の位置づけについて伺いたいと思います。私は、今回の市議会選挙に当たり、大岩藤の発展なくして栃木市の未来は語れない。そのためには、発展の可能性が高いこの地域が将来の栃木市の鍵を握っていること、つまり栃木市の南西部、大平、岩舟、藤岡地域で連携したまちづくりが必要であると訴えてきました。その理由は、地形、地勢的にも発展可能性の地域として最適のところであり、さらに交通の要衝であることであります。群馬県、茨城県を東西に結び、両毛地区の主要都市をつなぐ国道50号線、さらに50号線に並行する県道小山岩舟線、桐生岩舟線の幹線道路が走っております。南北には、栃木市内を走る県道栃木藤岡線、さらには高速道路東北自動車道、佐野藤岡インターがございます。さらに、鉄道では、JR両毛線、東京と栃木市内をくまなく結ぶ東武日光宇都宮線の有機的結合による開発を進めるべきだと訴えてまいりました。交通の要衝であるこの地が、なぜ開発されなかったのかと考えてまいりました。幸い、手つかずの広大な平地林がこの地域にはございます。一方、市長の岩舟地域マニフェストでも、佐野藤岡インター周辺の産業団地の整備の推進、そして岩舟町・藤岡町大規模開発計画を再スタートさせ、地域産業の振興を図ります等とあります。
そこで、このような状況を踏まえ、栃木市総合計画等に岩舟地域をどのように位置づけるのか伺いたいと思います。
P.146
◎市長(鈴木俊美君) 栃木市総合計画への岩舟地域の位置づけについてでありますが、4月5日の岩舟町との合併に伴い、合併協議会で策定をいたしました新市まちづくり計画を踏まえ、新しい総合計画の策定に向けて現在改定作業を進めているところであります。主な作業といたしましては、岩舟町合併に伴う各種数値、数字の見直しに加え、岩舟地域のまちづくりの方向性を地域の姿としてまとめていくものであります。特に、地域の姿につきましては、岩舟地域におきましても、既存の総合計画と同様に、地域協議会の協力を得ながら策定をしてまいります。岩舟地域の地域の姿策定に際しましては、岩舟地域の資源や特性を生かしつつ、市町村合併のメリットであります広域的視点に立ったまちづくりが進むよう、まちづくりの方向性を描いてまいりたいと考えております。その上で、旧岩舟町時代に推進が図られなかった事業、例えば市域、市の領域の東西を走る国道50号線沿線、南北を走る県道栃木藤岡線沿線などは、大平地域、藤岡地域並びに岩舟地域を一体的に結びつけ、各地域の個性や特色を生かした土地利用構想をつくり上げ、栃木市南部、ひいては市域全体の発展へとつなげてまいりたいと考えております。なお、岩舟地域の施策の一部、具体的には岩藤大規模開発は、既存の総合計画における藤岡地域の地域の姿の中で、既にインターチェンジ周辺活用エリアとして位置づけております。さらに、私の今回のマニフェストの施策として具体的に織り込み済みでもありますので、現在改定作業を進めている総合計画の策定に当たりましても反映されておりますし、さらに追加して反映をしていく所存でございます。
以上であります。
P.146
○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.146
◆4番(針谷育造君) 大変前向きに、そして建設的な市長の答弁、ありがとうございました。それでは、この計画策定に当たりまして、今後の日程、方法も若干述べられましたけれども、どのような手順でなるのかをお伺いしたいと思います。
P.146
◎総合政策部長(赤羽根正夫君) 具体的な今後の岩藤大規模開発の手順ということでよろしいでしょうか。
〔「はい」と呼ぶ者あり〕
P.146
◎総合政策部長(赤羽根正夫君) そこまでの具体的な、現在の段階では、そこまでは至っておりませんが、まずは総合計画を今年度岩舟地域を中心として改定いたしますので、その中で、地域計画の中で十分、既に藤岡地域の中でもインター周辺ということでの位置づけはされておりますけれども、岩舟地域を含めた中での整合を図った中で、エリアどり的なものも含めて概要は詰めていきます。その後に具体的なエリアとか、既に現在も協議会等はございますが、休止状態というようなこともありますので、その協議会をどういうふうに立ち上げていくかということも含めて、詳細を詰めていく形になろうかと思います。
以上です。
P.146
○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.146
◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。それでは、ちょっと角度を変えまして、再質問になりますけれども、ご承知のように、4月5日に合併を果たしました。この合併によるメリットは、まさに市長の答弁のようにはかり知れないものが私はあるのではないか。栃木市の総合計画の基本構想や土地の骨格、土地利用構想の完成度は、大幅にアップをするのではないでしょうか。今まですっぽりと抜け落ちておりました岩舟地域が埋まることにより、岩舟地域は栃木市の南部の中心に位置することになります。栃木市は、将来的には大きな財産を得たと思う、私はそのように考えております。たびたび申しわけありませんが、このことについての市長のお考えを聞かせてください。
P.147
◎市長(鈴木俊美君) まず、今回岩舟地域が栃木市と一緒になることによって、栃木市の全体の形としては大変成形、縦長といいますか、長方形の形になったところでありまして、形の上でも、まず岩舟地域が加わっていただいたということは、栃木市にとって大変大きな意義がございます。それから、岩舟地域の持っておられる、いわゆるポテンシャル、将来への可能性あるいは魅力、こういうものについても議員がおっしゃるとおりではないかと思います。これからは、栃木市の、とりわけ南の地域の一角を占める岩舟地域としてのさまざまな発展が考えられるところでありますので、このことについても議員がおっしゃられるとおりかと思います。ただ、栃木市にとりましては、失礼ながら岩舟地域だけではなくて、他の地域も全て魅力的なところでございます。そういう意味においては、これからは栃木市の一角を占める岩舟地域の持てるポテンシャルを十分に引き出していくことができるように、そしてそれが栃木市にとって魅力となっていくように、いろんなことを手がけていかなければいけないというふうに思います。その手がけていく中では、まだまだ地域としてやり残している課題あるいはこれから充実させていかなければならない施設や、いわゆるインフラの整備などもやっていかないといけないこともありますので、これらについても他の地域と同様、これから内容の充実に努めていくことが大変必要だろうというふうに思っております。そのようなことを通して、何度も申しますが、栃木市にとっての全体の発展に、岩舟地域のポテンシャルが貢献してもらえるように、そして岩舟地域そのものがこれまでやり残していたものをきっちりとやり遂げていくことが、これからは大切になっていくだろうというふうに思っております。
P.147
○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.147
◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。それでは、少し具体論に入りまして、2番目の質問に入らせていただきたいと思います。岩舟・藤岡地域住民にとって、大規模開発計画は、まさに悲願50年の課題であります。この大規模開発計画の経過をお聞きしたいと思いますので、よろしくお願いします。
P.147
◎総合政策部長(赤羽根正夫君) ご質問の岩舟町・藤岡町大規模開発の経過についてお答えを申し上げます。
本開発は、針谷議員もご承知のとおり、旧岩舟町、旧藤岡町にまたがる地域における大規模な住宅地開発と同開発に伴う東武日光線の藤岡駅、静和駅間に新駅を整備するというものであります。本開発の経過でありますが、今から48年前の昭和41年に、東武鉄道株式会社より東武日光沿線開発に関して旧岩舟町、旧藤岡町への意思表明がなされたことが始まりでございます。しかし、同年10月に勃発した第4次中東戦争に端を発した第1次オイルショックの影響を受けて、東武鉄道株式会社による開発計画は、一時後退を余儀なくされました。その後、昭和50年には、開発手法として土地区画整理事業が検討され、東武鉄道株式会社より計画工程表が示されるとともに、昭和59年には同社から合計274ヘクタールの開発計画が提示され、地元説明会が開催されました。これを受けて同年、旧岩舟町の地元、御門地区において、岩舟御門土地区画整理準備委員会が発足され、委員会から町に対して技術支援の要請がございました。昭和63年には、行政側の事業化推進の母体として、県、旧岩舟町、旧藤岡町の関係者をメンバーとした岩舟町・藤岡町大規模開発連絡協議会が発足し、開発の推進に向けて、旧岩舟、旧藤岡両町の協力体制を整えてまいりました。
また、翌年の平成元年3月には、栃木市、小山市など当時の2市7町1村圏域を範囲として、栃木・小山定住圏計画、いわゆるトナンプランが策定され、岩舟町・藤岡町大規模開発区域については、豊かな自然環境のもと、産業と居住機能が複合的に整備される地域として位置づけられました。そのほか平成6年には、栃木県南部地方拠点都市地域の指定を受け、翌年3月に策定された栃木県南部地方拠点都市地域整備基本計画においては、この大規模開発を市町別の整備方針の中で、緑豊かな自然環境を生かし、居住機能を軸に「産・緑・住」の機能からなる複合都市開発を推進し、住宅・宅地と新たな産業集積による就業機会を提供していくものとして位置づけ、開発面積を旧岩舟町、旧藤岡町合わせて137ヘクタールと定められました。このような中、岩舟町・藤岡町大規模開発連絡協議会では、協議会が主体となって各種の調査を実施するとともに、地域内への説明会、関係者向けパンフレット配付、アンケート調査、先進地視察、東武鉄道株式会社との事業推進打ち合わせを実施するなどの活動を独自に推進してまいりました。しかし、1986年代から始まった好景気も、4年後の1990年代にはバブル崩壊により景気の後退を迎え、景気の悪化とともに活動が低下し、平成12年3月に協議会が主体となって実施した岩舟・藤岡大規模開発産緑住複合都市開発推進事業調査が完了すると、翌年3月29日開催の協議会総会及び推進事業調査報告会を最後に、現在まで協議会の活動は休止状態となっております。
以上が現在までの経過でございます。
P.148
○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.148
◆4番(針谷育造君) 大変詳しい経過をありがとうございました。ここで、次に移りますけれども、今の状況で岩舟町・藤岡町大規模開発計画の見通しについてお伺いすることも極めて困難かなと思いますけれども、とりあえず上げておりますので、ご回答をお願いしたいと思います。
P.148
◎総合政策部長(赤羽根正夫君) ご質問の岩舟町・藤岡町大規模開発計画の見通しについてお答えを申し上げます。
本開発計画は、先ほどの開発の経過に関する答弁の中でお答えいたしましたとおり、1990年代のバブル崩壊による景気後退や社会情勢の変化等により、平成13年3月の岩舟町・藤岡町大規模開発連絡協議会総会を最後に、協議会の活動は休止状態にあります。活動休止から13年が経過した現在、現行の栃木市総合計画においては、針谷議員の言われる大規模開発を藤岡地域の地域の姿の中でインターチェンジ周辺開発エリアにおける産業基盤整備地域として位置づけ、大規模開発の当初の目的である居住機能を中心とした複合都市の開発の趣旨からは方向転換をいたしました。少子高齢化が進む中、社会情勢の変化に伴い、交通の要衝である佐野藤岡インター周辺や国道50号線に隣接しているという地理的好条件を生かし、企業誘致を推進することは雇用の確保による若い世代の定住や新たな人口流入の促進及び市の財政基盤強化など、多様な効果を担うことから、事業推進に当たっては、製造業や物流関係の産業団地の整備なども今後視野に入れる必要がございます。今後は、当該地区の地理的条件等を考慮すれば、産業団地開発への可能性はあると考えられますので、具体的な整備区域や方針等を周辺地域最大の地権者である東武鉄道株式会社との折衝を踏まえ、地域の皆様や関係機関と協議しながら検討してまいりたいと考えております。
以上です。
P.148
○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.148
◆4番(針谷育造君) 大変ありがたい、産業団地の可能性は十分にある、そのようなことを聞きまして、非常に地域の皆さんも喜ぶ回答であったというふうに思います。私は、この産業団地等の雇用の確保の場の開発について、いささか角度を変えてお伺いをしたいと思います。よろしいでしょうか、議長。
P.149
○議長(関口孫一郎君) 再質問ということですか。
P.149
◆4番(針谷育造君) はい。
P.149
○議長(関口孫一郎君) はい。
P.149
◆4番(針谷育造君) 私は、この大規模開発計画を達成するために、実は栃木市役所1階へ東武宇都宮百貨店をテナントとして市長の英断で入れたということを聞いたときに、これは何かの布石ではないのかなと感じました。私が勝手に思っていることでございますけれども。承知のように東武鉄道は、資本金1,021億円、明治30年設立され、地元密着でその業績を伸ばし、現在は関連グループ93社を有する大企業であります。幸い栃木市内には、地域ごとにそれぞれ駅があり、多くの市民の足として利用し、親しまれております。この岩舟・藤岡大規模開発に栃木市の命運がかかっていると思ってもいいのかなと私は勝手に思っております。この計画は、先ほど赤羽根部長から言われましたように、137ヘクタールのうち、東武鉄道所有地55.3ヘクタール、内訳は山林が40.46ヘクタール、原野14.7ヘクタール、全体の40%を占めております。残りは岩舟、藤岡地域の地元地権者の所有あるいは町外の方、あるいは市外の方もいらっしゃると思いますけれども、81.67ヘクタール、これは山林と農地であります。東武鉄道は、平成25年6月、7月に、農業委員会の許可を得て農地を原野に変更いたしました。つまり農地が14.7ヘクタールだったものを原野に地目変更いたしました。東武の準備態勢は整ってきたのかなと思います。この開発は、東武鉄道抜きには前へ進まないと思います。たびたびで申しわけありませんけれども、市長のお考えを、簡単で結構でございますからお考えを聞かせてください。
P.149
◎市長(鈴木俊美君) まず、東武鉄道との連携という点に関し、議員からご指摘をいただきました本庁舎1階に東武宇都宮百貨店栃木店が入店をしていることについてでありますが、まずは栃木市の魅力を高めるには、どんな商業施設がよろしいかという観点から、あくまでそれを中心として選考した結果、東武宇都宮百貨店栃木店さんが入店をしていただけるということになりまして、このようないわゆるデパートの様相を呈する商業施設が1階にあるということは、栃木市にとっての魅力を必ずや高めていくであろう、かつまた中心市街地の活性化への、必ず少なからぬ好影響を与えてくれるだろうという思いであります。と同時に、東武鉄道というのは、我が栃木市を南北に貫く大動脈としての鉄道でありますから、かつその鉄道の存在を通して栃木市の観光の面でも、それから多くの人に来ていただくことをこれから考えていかなければならない上でも東武鉄道の協力は必要不可欠でありますから、そうした東武鉄道グループとのよりよき関係を築いていくことができるなら、それにこしたことはないということでございます。
一方、いわゆる岩藤開発における東武鉄道様の存在意義ということになりますが、まず第一は、何といっても対象となる面積の4割を占める大地主であります。したがって、これから開発計画を栃木市が本格的に進めていこうとするならば、まずはこの大地主の東武鉄道さんの協力がなければ、これは立ち行かないことであります。と同時に、他の地主、地権者の皆さんの協力もいただかなければならないのは、これはもう当然でございますので、その中でもとりわけ大地主としての東武鉄道さんにはご理解をいただくとともに、ご理解というのは従来の住宅地を中心とした整備開発ではなくて、産業団地等の造成を中心とした開発へと進めていく上でのご理解、そしてご協力が得られるかということが大切になります。この点、従来の岩藤開発で目標としていました新駅の設置、そして住宅地を中心とした緑の環境豊かな一大エリアをつくっていくということについては、恐らくこれからは無理だというふうに思います。新駅の設置ということに関しましては、東武鉄道さんはその後、板倉東洋大前駅をおつくりになりました。そして、住宅地等の造成についても、これまた板倉東洋大駅前に広大な住宅地をつくっておられます。失礼ながら、しかしその現状については、ご案内のような状況でありますから、経済状況等も考慮すれば、東武鉄道さんが再びこの地において、そうした計画をみずから実行していくという可能性は極めて低いだろうなと思わざるを得ません。
したがいまして、これからはやはり地元行政あるいは他の企業などの協力をいただかないと、なかなか厳しいだろうというふうに思っております。その点からも、東武鉄道さんにはご協力をいただくということは、ぜひともこれから求めていかなければならないところだろうなというふうに思っております。ちなみに、東武鉄道様が持っておられたこの地の一部が今は東武藤が丘カントリーになっているわけですね。ゴルフ場へと一部は変えておられたりしているわけでございます。そうした地域であることのご理解と、そしてそれには何度も申し上げますが、東武鉄道の協力なくしては、いずれにしてもなし得ないであろう計画になることは間違いのない事実でございます。東武鉄道とのよりよき関係を構築していく中で、そうしたことへのご理解とご支持、ご支援をいただけるようなことを目指していかないといけないだろうというふうに思っております。
P.150
○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.150
◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。
P.150
○副議長(海老原恵子君) 一般質問を続けます。
針谷育造議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.150
◆4番(針谷育造君) それでは、栃木市総合計画等への岩舟地域の位置づけについての最後の質問でございますけれども、トナンプラン等の経過と現状について、先ほど回答をいただいたというふうに理解をしておりますので、今後精いっぱいの努力と、そして全市的な合意を得ながらやっていただくことをお願いをしたいというふうに思っておりますので、この質問については割愛をさせていただきたいと思います。
最後に、要望ということで、栃木市総合計画に岩舟・藤岡大規模開発計画を含め、地域協議会、地元地権者の皆さんの意見を反映させ、16万4,000人の栃木市民の将来のためにも、揺るぎない計画を策定することを要望したいと思います。悲願50年の課題に明るい兆しが見えてきたと私は感じました。きのうの市長の答弁ではございませんけれども、死に物狂いで頑張るとは私は言いません。政治生命をかけて、ともに汗をかく覚悟でございますので、確実な歩みの一歩をお願いをしたいというふうに思います。
それでは、2番の小野寺北小学校校舎の保存と活用についてに質問を移らせていただきたいと思います。小野寺北小学校の保存について、栃木市の考え方を伺いたいと思います。最初に、小野寺北小旧校舎の沿革と保存運動の経過について申し上げ、議員各位の皆様にもご理解をぜひいただきたいというふうに思います。小野寺北小旧校舎の場所は、県道栃木佐野藤岡線の西側に隣接し、村檜神社、大慈寺の南約1キロ、小野寺地区の上耕地というところにございます。その歴史は古く、明治6年、大慈寺を仮校舎として開校、明治27年、ちょうど日清戦争の時代でありましたけれども、ここに旧校舎が建てられ、明治33年には南校舎を増築、明治41年には玄関と2階建ての校舎がつくられ、現存するのは明治27年と明治41年の校舎でございます。平成元年、新校舎の完成により、学童保育、地域の研修所、高齢者のふれあい館として地域に開放して現在までやってまいりました。この旧校舎は、県内では現存するものでは最も古いものでございます。120年の時を超え、6,000人の卒業生を送り出しました。
次に、保存運動の経過を若干述べたいと思います。平成21年、この周辺の山側が土砂災害特別警戒区域等に指定されました。当時の町長は、建物の老朽化等を理由に、平成24年12月議会で解体を明言し、平成25年度予算に新研修所の新築予算、同時に旧校舎の解体費を計上しました。旧小野寺北小校舎を保存する会は、このときに結成され、運動を始めました。旧校舎の学区内の90%を超える867人の署名をつけて陳情し、その活動状況が新聞各紙で報道されました。しかし、町は文化財的価値がないと解体の方針を変えませんでした。何度かの交渉を重ねましたが、意見は食い違い、そのまま経過が過ぎました。この新聞報道を見た宇都宮大学、梶原教育学部教授が現地を調査したことから、多くの専門家が強い関心を示しました。平成25年の10月3日には、東京芸術大学大学院教授、上野勝久氏、これは栃木県文化財保護審議委員会、この先生が足利の鑁阿寺を国宝にしたときのリーダーでございました。その先生が現地を調査し、文化財的価値を認め、メモという形で町長に提出されました。さらに、10月30日、小山高専の苅谷勇雅校長が、永峰助教と学生50人で現地調査を実施し、このような立派な報告書をつくっていただきました。さらに、小山高専苅谷校長は、12月8日、栃木市文化大使にもなっておりますけれども、講演会を開き、歴史的建造物を生かすことの重要性を、そして必要性を保存する会の皆さんは学んだと思っております。さらに、年が明けた平成26年の2月2日、東京芸術大学大学院教授の上野勝久氏の講演会を実施し、今やらねばいつやるの、今でしょうと保存する会のメンバーは、文化財的価値を再確認し、運動への成功をこのとき確信しました。私はそのように思っております。その後、小山高専名誉教授の河東義之氏、栃木県文化財保護審議委員並びに栃木市の文化大使を兼ねております。の現地調査と文化財的価値についての意見をいただき、このような中で、ついに町も解体しないことを決断いたしました。この間、全国の建築士会、文化財専門家から保存要望等が町に多数寄せられ、その結果、解体しないで栃木市に対応を委ねるということになりました。
そこで、この旧校舎保存の栃木市としての考え方を伺いたいと思います。
P.151
◎市長(鈴木俊美君) 旧校舎保存の考え方についてでありますが、4月、岩舟町の栃木市への合併に伴いまして、小野寺北小学校の旧校舎も当然ながら栃木市の所有と現在ではなったわけであります。旧小野寺北小校舎を保存する会の皆様からは、文化財の価値判断といたしまして、建築がご専門の先生方が調査した資料を提供いただきました。先ほど議員もお示しになったようなものであります。また、一方では、建物が土砂災害特別警戒区域に位置しており、利用者の安全確保の面からは、使用を控えなければならない状況であることも事実であります。引き継ぎました栃木市としては、まず改めて市として建築関係の専門家等に依頼をして調査を実施していくことから始まっていきたいと考えております。何分旧岩舟町からは、栃木市に対応を委ねるということになっておりますので、委ねられた栃木市としては、改めて栃木市としての認識を持つことから始めていかないといけないというふうに思っております。
具体的には、専門家による第三者的な調査を実施をし、建物の調査だけではなくて、その重要性や具体的な保存の方向性なども検証、検討していただくことになろうかと思います。その後において、その調査の結果報告等に基づきまして、残すべきかどうなのか、残す場合はその残し方はどうすべきなのか。つまり、現場に今のままで残していくのか。ただ、その場合は何度も申し上げますが、土砂災害の警戒区域ということもありますので、それらとの整合性をどう図っていくのか、あるいは財政的な負担は市にとってどのくらいになっていく可能性があるのか等々、栃木市の例といたしましては、旧栃木駅舎を、その部材などを残して、従来の駅と異なる場所に部材を利用して復元をし、現在に至っているという例もありますので、そういうふうな可能性なども含めて、要はもう一度全ての問題を検証するための調査をしていきたいということでございますので、少し時間をいただいて、今のような調査から実施していくことを始めたいというふうに考えております。
P.152
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.152
◆4番(針谷育造君) 全てはその調査にかかっていると思いますし、私は非常に文化財的価値が高いということは、専門家も申しておりますので、その調査に委ねるということで、私も了解をしたいというふうに思います。それらのこととは若干異なりますけれども、次の質問に移らせていただきたいと思います。
栃木県の文化財指定をお願いしたい、このことでございます。文化財価値については、建造物が専門の東京芸大の上野勝久氏は、県内で確認された明治期の小学校は、佐野市にあります三好小学校旧校舎、小野寺北小旧校舎、那珂川町にあります小口小学校旧校舎、これは希少な明治期の木造校舎として歴史的価値があり、この3校を栃木県文化財指定も考えてもよい、このような評価をしていただいております。ちなみに、建造物専門の河東義之小山高専名誉教授、同じく建造物で、那須烏山市にお住まいの文化財保護審議委員の斎藤弘江氏も同様の意見でございまして、県の文化財保護審議委員の中の4人の建造物の先生がいらっしゃいますけれども、そのうちの3名の方はこのようなことで意見は一致している、このようなことも心強いお話をされておりますので、ぜひともその専門家の皆さんにもぜひ入っていただきながら調査をしていただきたい。そして、あわよくば、私はなると思いますけれども、県の文化財としての指定をお願いしたいことをここでお願いをしたいと思います。
P.152
◎教育副部長(小林敏恭君) ご質問の栃木県指定の文化財登録についてお答えを申し上げます。
栃木県の指定文化財となる場合、所有者からの申請に基づき、県も調査を行い、その後、県の文化財保護審議会の審議と答申を経た上で、栃木県教育委員会が指定を判断いたします。指定された建物は、復元修理を基本として保存し、内部も復元し、保存することが原則になってまいります。県指定文化財の修理には、県の補助金が交付されることとなりますが、建物の利活用は限られたものとなります。一方、国の登録有形文化財という登録制度がございます。ご質問の県指定文化財に比べると、建物の外観の保存をメーンとする制度であり、外部についてもその4分の1が変更可能であり、内部については改装が自由で幅広い利活用が可能なものとなっています。ただし、文化財としての修理に対する補助金の制度はないことから、景観などの補助制度の活用の検討が必要となってきます。
小野寺北小学校旧校舎の文化財としての指定や登録についてでありますが、先ほど市長が答弁いたしましたとおり、少し時間をいただき、市の考え方がまとまった時点で、今後の利活用や建物の文化財としての価値を踏まえて、市や県の指定文化財がよいのか、国の登録有形文化財がよいのかは、適宜判断してまいりたいと考えております。
以上でございます。
P.152
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.152
◆4番(針谷育造君) 大変適切な答弁いただいたというふうに思っております。
3番の明治の小野寺北小校舎、これは私とすれば、地域の人もそうでありますけれども、活用して初めて生きるというふうに考えております。調査の結果がどうなるかわかりませんけれども、今のお答えの中では、解体するという話は出なかったものですから、次に移らせていただきながら、(仮称)歴史と文化の道ということで、観光、地域活性化の目玉になるのではないか、そんなところで意見を申し上げたいと思います。
ご承知のように、この地域は、慈覚大師円仁を生んだ地でございます。慈覚大師円仁は、794年、「鳴くよウグイス平安京」と覚えましたけれども、平安初期に下野の都賀郡で生まれたとされています。私は岩舟、つまりこの栃木市で生まれたことは、歴史的にも文献的にも確認できると考えております。9歳から15歳まで大慈寺で修行し、その後比叡山に登り、最澄の弟子になりました。42歳のとき、最後の遣唐使として唐に渡り、10年に及ぶ困難な旅を続け、その時代の国際情勢、政治経済、宗教、文化、風俗、人々の暮らしを自分の目と足で、旅をしながら書き続けた日記がございます。現在は国宝に指定されておりますけれども、「入唐求法巡礼行記」、膨大な、文庫本でしか私は読みませんでしたけれども、大変な10年間の唐の時代の生活や今言ったことが、元駐日大使のライシャワー博士により翻訳され、世界に発信をされました。ご承知のように、世界三大紀行文、マルコ・ポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵の「大唐西域記」の三大紀行文の一つとして紹介をされました。帰国後は、比叡山の3代座主となり、天台宗の中興の祖とも言われておる円仁でございます。また、大慈寺に隣接して村檜神社がございます。三間社春日づくりの社殿は、国の重要文化財に指定されております。また、全国に住んでいる小野寺氏を名乗っている人たちの発祥の地としても、小野寺は有名でございます。その小野寺氏の菩提寺の住林寺には、県指定文化財の平安期の阿弥陀如来座像が指定をされております。このように小野寺は歴史の宝庫でもあります。
このような地域の中で、小野寺地区を、小野寺地区に限らなくても構いませんけれども、歴史と文化の道としての観光地域活性化の方策を私はお願いしたい、そのように考えておるものですから、お考えを伺いたいと思います。
P.153
◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の小野寺地区の歴史、文化の道として、観光活性化についてお答えを申し上げます。
議員ご指摘のとおり、岩舟地域小野寺地区につきましては、慈覚大師円仁が修行をしたと言われる大慈寺を初め、国指定重要文化財に指定されている村檜神社など、歴史、文化的観光資源が集積している地区でありまして、合併前の岩舟町におきましても、これらの資源を活用した観光振興を図るための施策を進めてきたところであります。このような中、市では旧岩舟町を含めた新しい栃木市全体のさらなる観光振興を図るため、本年3月に栃木市観光基本計画を策定したところであります。この計画の中では、岩舟地域における具体的な施策の一つとして、小野寺地区を中心に慈覚大師円仁を初めとする地域の歴史、文化を伝え、観光情報を発信していくことを掲げております。このほか、この計画では、周遊観光モデルルートづくりを今後3年以内に優先的に着手するスタートアップ事業と位置づけておりまして、各地域が有する観光資源の特徴を物語としてつなぎ、周遊観光モデルルートとして設定してまいりたいと考えております。小野寺地区が有する歴史、文化的観光資源もこの重要な素材の一つと考えられますので、観光による地域活性化の取り組みとして、周遊観光モデルルートに組み込んでまいりたいと考えております。
以上でございます。
P.153
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.153
◆4番(針谷育造君) ご答弁ありがとうございました。周遊観光ということで、実は夕べ私のところにファクスが入ってきまして、地域協議会の委員の中から、ふれあいバスを使いながらこのことをぜひ地域の発信網、そして地域との、あるいはその地域外の人たちとの交流の場としてのふれあいのバスをぜひ利用したらどうだろうという提案を、夕べ協議会があったようでありますけれども、メールで私のところにいただいていることも申し伝えておきたいと思います。
最後の、非常に現実的な問題でありまして、早急にお願いしたい。4番の雨漏り等の修繕を早急にお願いしたい。保存するには調査が必要だ。しかし、現在の建物には雨漏り等修繕が早急にしなければならない必要性がございます。特に玄関等々、校舎の間の谷間、谷の部分であります。さらに、教室の雨漏り数点、校舎西側の堀ざらいと排水、校舎南側の雨水排水、雨どいの設置等、早急にお願いをしたい。また、地元には保存する会や地元老人会の皆さんが既に敷地の管理等に積極的に協力を申し出ており、除草や草刈り、清掃等も既に実施をしております。そのためにも、早急な修繕をお願いしたいと思いますので、ご回答をお願いしたいと思います。
P.154
◎岩舟総合支所長(大島純一君) ご質問の雨漏り等の修繕についてお答えを申し上げます。
小野寺北小旧校舎につきましては、これまで学童保育館、高齢者福祉施設、小野寺ふれあい館や地域公民館として利用をしてまいりました。しかし、土砂災害特別警戒区域内に位置し、老朽化も進み、利用者の安心、安全を確保するために、代替施設として近隣に小野寺地区公民館が整備されたことによりまして、現在は閉鎖をしている状況でございます。雨漏り等の修繕につきましては、雨漏り等の状況を早急に調査し、小規模な修繕等は早急に対応させていただき、大規模な修繕等が必要な場合は、先ほどの市長答弁で旧校舎保存の考え方についてお答えしましたとおり、市としての方向性が決まり次第、対応していきたいと考えております。
P.154
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.154
◆4番(針谷育造君) とにかく雨漏り等、家屋そのもの、校舎そのものが壊れるようなことのないようなことを早急に実施することをお願いしたいと思います。
それでは、次の質問に移らせていただきます。岩舟地域の獣害対策についてであります。まず最初に、岩舟地域と栃木市の実態について伺います。岩舟地域の実情を述べたいと思います。ご承知のように、岩舟の地域は、小野寺、岩舟、静和の旧村に分かれ、主に山間地帯の小野寺地区に被害が集中しています。主な被害は、稲、野菜等の農作物だけでなく、水田の掘り起こしを初め、畦畔、畑の土手等、被害は甚大であります。農地は、メッシュ状の金網で囲われ、電気牧柵等で囲われ、その費用は1戸当たり20万円を下らない、そのように申しておりました。何よりつらいのは、丹精込めた作物の無残な姿を見ることであります。近い将来は、イノシシの数が上回り、イノシシにじゅうりんされる様子が目に浮かび、人間がおりの中で生活する、そんな逆転が起きるのではないかと地元では大変嘆いております。岩舟地域と栃木市の実態についてお伺いしたいと思います。
P.154
◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の岩舟地域の獣害対策についてお答えを申し上げます。
岩舟地域と栃木市の実態についてでありますが、市内でのイノシシ、ニホンジカ、ニホンザルなどによる農作物被害につきましては、猟友会の駆除従事者の方から四半期ごとに提出される報告書や農業共済組合で把握されている被害状況等についても確認いたしまして、それらのデータと地元からの情報を加え、被害を把握しているところであります。平成25年度の具体的な被害につきましては、岩舟地域では、ただいま議員がおっしゃられたように水稲の被害が多く、特にイノシシの被害が拡大しておりまして、ニホンジカ、ハクビシンの被害も増加しており、面積では約2ヘクタールの被害となっております。
次に、栃木地域や都賀地域、西方地域では、水稲や芋類などの被害があり、面積は約26ヘクタールで、前年度に比べまして19ヘクタール急増しており、そのほとんどがイノシシの被害となっております。
また、捕獲頭数につきましては、岩舟地域分で、イノシシが162頭で前年度比81頭の増、ニホンジカにつきましては9頭でございまして、前年度の捕獲はありませんでした。岩舟地域以外の栃木市分につきましては、イノシシが504頭で前年度比81頭の増、ニホンジカが105頭で51頭の増、ニホンザルにつきましては、捕獲はありませんでした。全体を通してイノシシの捕獲が大幅に増えている状況であります。
次に、有害鳥獣対策としまして、岩舟地域では捕獲用の箱わなを設置し、地元猟友会へ駆除の業務委託を行ってきております。合併前の栃木市では、個体数を減らすための捕獲駆除のほか、荒廃した里山の手入れによる生息地域の環境の整備、それから被害農地を守るための侵入防止柵設置による被害防除の3つの対策を基本として実施してきているところであります。
以上でございます。
P.155
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.155
◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。
それでは、次に移らせていただきたいと思います。鳥獣保護法改正案等をどのように考えておるのかを伺いたいと思います。佐野市葛生地区の例を若干申し上げたいと思います。山からイノシシが出られないように周囲を金網で囲っています。金網は市が負担し、住民の手で設置しているようでございます。小野寺地区とは違い、農地の囲いはありませんでした。イノシシの行動は制限されているようですが、金網の設置できないところから時々出没するようですが、大きな被害はない、このように申しておりました。新聞報道によれば、2011年度現在、全国で鹿が323万頭、イノシシも88万頭に上ると推定され、農産物被害は200億円を超え、そのためにはこれらの数を管理せざるを得ないのが現実だと新聞は報道しております。そこで、2008年から市町村が中心に、銃やわなを使った集中的な捕獲や侵入防止柵が中心だったが、被害を減らすまでには至らなかった。そこで、国は2013年12月、鹿、イノシシ等の生息数を10年後までに半減するとした目標を設定し、鳥獣保護法改正案も国会で審議されているようであります。現在のところ、これは可決をして法案ができたようでございますけれども、保護するだけでなく、鳥獣の生息数を適正な水準まで減少させる管理の政策も導入するという大改正のようでございます。対策の柱は、市町村の境界を超えた広域的な捕獲事業を集中的に実施するとした。実施主体は猟友会、自然保護を行うNPO法人、警備会社等と書かれおりました。被害防止には、捕獲以外にも柵の設置や見回り等も述べられておるようでございます。さらに、補助金は、自治体実情に応じた頭数管理が進められるように一括して任せる等も必要であると提案されております。この改正案をどのように考えるのか、お伺いしたいと思います。
P.155
◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の鳥獣保護法改正案についてお答えを申し上げます。
まず、今回の鳥獣保護法改正は、農作物に深刻な被害を与えている鹿やイノシシなど、有害鳥獣を捕獲することにより、鳥獣の数を適正な水準に減少させ、生息地を適正な範囲に縮小させるために必要な措置を講じることとされ、従来の保護政策から管理へと大きく方針を転換するものであります。ただいま議員がご紹介いただいたとおりでございます。具体的な施策といたしましては、国や都道府県が鳥獣の管理に関する計画を定め、鹿やイノシシなど、その数が著しく増加し、またはその生息地が拡大している鳥獣の捕獲事業を直接実施できるようになります。また、一定の技能を持ち、適切な安全管理ができる捕獲の専門業者、例えば株式会社などもこれに含まれるというようなことでございますけれども、それを都道府県知事が認定する制度も創設され、その認定事業者は自治体の委託を受けて捕獲事業を実施することができることになります。さらに、法改正とともに、国の鳥獣捕獲目標として、10年後までに鹿、イノシシの数を現在の半分に減少させることが示されました。このように、今回の法改正によりまして、国、県が直接有害鳥獣の捕獲を行うことができることになりますので、現在市町村で行っている事業と相まって大きな効果を上げるものと期待をしているところでございます。
以上でございます。
P.156
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.156
◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。頭数管理の方法ということで、国、県が有効な、そして政策あるいは責任を持ってやっいてくということでございまして、まさに今そのことを実施していただきたい。そして、地域の方々も協力しながら頭数管理に邁進していって、農作物等が被害に遭わない農村や山村をつくっていただきたいというふうに思っております。
最後に、非常に難問でありますけれども、法改正を踏まえた抜本的な今後のイノシシ対策、今のお話で大分イメージはわかりますけれども、具体的にどのような状況になるのか、もしわかっておりましたらご回答をお願いしたい。以上です。
P.156
◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の抜本的な今後のイノシシ対策についてお答えを申し上げます。
現在岩舟地域では、猟友会2団体により、有害鳥獣の捕獲を実施しておりまして、捕獲要の箱わなをイノシシ用に24カ所、鹿用に2カ所設置しております。また、岩舟地域以外の栃木市におきましても、先ほど述べましたように、捕獲、駆除、これはわなを合計で87基設置しておりますが、とあわせまして、生息地域環境の整備、それから侵入防止柵の設置等によりまして対策を講じてきているところであります。しかしながら、イノシシなどの有害鳥獣による農作物被害は増加傾向で、なおかつ広域化しており、抜本的な対策とはなっていないものと考えております。抜本的な対策といたしましては、先ほど議員からの質問にありました鳥獣保護法の改正による個体数調整が最も効果的ではないかと考えるところであります。この改正法が施行されますと、国や県の新たな施策である捕獲事業者の認定制度や、わな猟の免許取得年齢の引き下げなどによる捕獲従事者の育成、確保が期待できますことから、市といたしましても、国や県、猟友会などと連携をしながら対策を強化してまいりたいと考えております。
以上でございます。
P.156
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.156
◆4番(針谷育造君) それでは、再質問というか、希望も含めて再質問したいと思います。
確かに先ほど言いましたように、この対策のために農家1戸当たり20万円前後のお金を使いながらやっているということになりまして、新しい法改正ができた後に農家の負担、個人負担というのはどのようになるのか、その辺のことがわかりましたら、あるいは今年度の栃木市の予算事業等がありましたら、お伺いをさせていただきたいと思いますので、ご答弁をお願いします。
P.156
◎産業振興部長(早乙女洋君) ただいまの再質問にお答え申し上げます。
農家の負担ということでございますけれども、現在行っている制度につきましては、市の制度であります獣害対策設備設置費補助金というものがございます。これにつきましては、イノシシの被害防止柵設置の場合は2分の1の補助ということでございまして、ただし上限が5万円というようなことでやらせていただいております。また、これとは別に国の制度で鳥獣被害防止総合対策事業費補助金というものがございます。これにつきましては、野生獣侵入防止柵を設置するというものでありまして、国の補助金、これが10分の10の補助でございますけれども、これにつきましては資材費のみの補助となりますので、施行については地元の方々にお願いするということになるものでございます。
以上でございます。
P.157
○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.157
◆4番(針谷育造君) 確かに農家負担というものは莫大になってきておりますので、ぜひこれらの制度を使いながら、そして地域の皆さんと市役所の担当者あるいはその関係者の皆さんで、よりよい対策を最後にお願いをし、私の一般質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
◇ 広 瀬 昌 子 君
平成26年 9月定例会(第4回) - 09月03日-03号
P.83
○議長(関口孫一郎君) 一般質問を続けます。
4番、針谷育造議員。
〔4番 針谷育造君登壇〕
P.83
◆4番(針谷育造君) 栃木新風会、針谷育造、通告に従い一般質問をいたします。1番、非核平和都市宣言について、2番、県内への指定廃棄物の最終処分場について、3番、下野新聞の集団的自衛権アンケートについて、4番、地方教育行政法の改正について、4点を伺いたいと思います。
私は今回の質問に当たり、大人の責任とは何かについて考えました。将来の子供や孫たちのために今私たちがやらなければならないことは、平和な社会を残し、子供たちに引き継ぐことであると思います。この議場にいる皆さんはそれぞれ親であり、お父さん、お母さんであり、おじいさん、おばあさんの方もいると思います。普通のこととして、当たり前のこととして平和についての質問をただいまより始めたいと思います。
1つ、非核平和都市宣言について。私は1945年、昭和20年の終戦のときに生まれ、69年間戦争のない時代を生きてきました。国民への平和への強い意思と戦争は二度とするべきではないとの理念で大人たちが憲法9条を守ってきた結果であると思います。平成24年3月1日、本市は Permalink | 記事への反応(1) | 00:26
大学で人権論という授業があって、ハンセン病の患者さんについて「感染力が低く殆ど感染する恐れはないのに不当に差別されてきた」と述べられていた。
ハンセン病が現代では完治する病気で感染力も非常に低いというのは事実であるからその人たちが未だに冷遇されているのであればひどい話だし是正されてほしいと思う。でも俺はその話を聞きながら「本当にうつる病気だったら差別されても仕方がないということだろうか」とも考えた。差別されることの不当さが「うつる病気ではないこと」に起因しているのなら、うつる病気を持っている人たちやあるいは持病が遺伝するとわかっている人たちは、差別されてしまったときどうやって戦うのだろう。
フィクションノンフィクション問わず、何かの媒体で障害をもつ人が取り上げられるとき、それが「健常者(という言い方もあんまり正しくないとは思うんだけど、少なくとも障害のあるなしにボーダーがあるならそこに含まれない人たち)にない特別な才能」によって許される、みたいな演出になっていることがよくある。例えば障害をもつ人々が描いた絵について、私たちにはない素晴らしい色彩感覚があると語るような。そういうのを聞くと、障害があることはマイナスで、そのマイナスが音楽の才とか絵の才とかでプラマイゼロもしくはプラスになっている、という捉え方なんだなあと思う。
障害のある人がみんな健常者よりも秀でた才能があるとは限らない。そういうのがなくて、ただ「障害をもっている」だけの人は、どうするんだろうなと考える。どうするんだろうというか、そんな捉え方の中ではどう、見られるんだろう、というか。
いつもそんなことばかり考えている。大義名分が救ってくれない人たち、その辺のボーダーの少しだけ外側にいる人たちが一番しんどいんじゃないかと思う。自分自身が色々な理由でカテゴリーの狭間にいる人間なので、語られない人たちに感情移入してしまう。差別される不当さや幸せになる妥当性に理由をつけると、その理由に当てはまらない人々にとってはつらい。
今これを書いていて、俺みたいなボーダーちょっと外の人もボーダー内側の人もそれに関係ない人もみんなまるっと幸せになれるように、っていう考え方こそが「基本的人権の尊重」か、と気づいた。
なんにもなくても仮にマイナスでも生きることが許されていてほしい。でも気持ちとして「うつる病気なのに表に出てくるんじゃねえ」とか「作業効率の悪い人にいてもらうと困る(から一般業務じゃない別の分野でやってて)」とかも、わかるんだよなあ。どうしたらいいんだろう。なんにもない人なんていないっていうのも、本当かよ、って感じするし。
http://anond.hatelabo.jp/20160921171221とhttp://anond.hatelabo.jp/20160924215458に関係する話を書く。なお、後者の増田はhttp://togetter.com/li/1028423 を元にかかれている。「日本国憲法」タグを辿って一番目と二番目にあったやつだ。
前者は「透析患者は自業自得であるから人権を否定」に対する批判、後者は「特定の嗜好を持っているという理由で人権を否定」に対する批判である。両者に批判されている言説に共通するのは、「自分が気に食わない人間の人権を否定」しているところと、「法律で定義できない案件」だ。
まずはじめに、すべての人間の人権は否定されてはならないというのが、日本国憲法の基本理念なのではないか。三大原則のひとつとして「基本的人権の尊重」を掲げている。憲法によってかなり強く人権の尊重が謳われているとみなして良いだろう。
前者の増田でも語られているが、憲法第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定がある。後者の増田では憲法第31条の「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」が引かれている。前者によってすべての人権は保護され、後者によってその蹂躙は大幅に制限されている。
自己責任の透析患者は殺せなどという主張は、明らかに「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を認めていないと取られかねないし、「生命若しくは自由」を奪おうとしているともとれる。そして自己責任論にもとづいてこれを正当化しようとしても、前者の増田が言うように、「自己責任の線引」は不可能であるから、法律によって規定することはほぼほぼ不可能である。法律で規定できないのなら「生命もしくは自由」を奪えないのは後者の増田の論法のとおりであろう。特定の嗜好云々にも同様のことが言える。
さて、上に、両者の言説の共通点を書いた。「自分が気に食わない人間の人権を否定」に対する批判、である。
あくまでなんとなくだが、最近のいろんな「トンデモ」なり、雑なりの言説の問題点には、この気に食わない人間への人権否定というのが根底にあるのではないか。
まずはじめに、「人権」というのは、中学の公民などで教えられている事項である。このあたりについては、上のまとめでのコメントにもあった「ピルとの付き合い方」氏がツイッターで有用な連続ツイートをしてらっしゃっている。
https://twitter.com/ruriko_pillton/status/77983255997482188およびhttps://twitter.com/ruriko_pillton/status/779832732985663489を参考にして欲しい。まだまだ同氏のツイートは続いている。ここで言われているように、近代的民主主義社会というのは、為政者による気分なりなんなりで刑罰を課すことを禁止する社会である。そして、「人の心の中を覗くことはできない」から「内心は規制しない」とある。
ここで考えて欲しい。内心を規制しようとするにはどうなるか。覗くことができないのだから、基準を作ることはできない。為政者が「なんとなくこいつは規制すべき内心を持っているに違いない」と思ったという理由でしか規制はできない。よってこれも、「基準をそもそも作れないのだから、法律による規制はできない」案件であり、透析患者の件の「自己責任を定義できないから規制はできない」に通づるものである。
しかし、昨今の風潮は何か。なんとなく「自己責任」のやつを助けてやるのは気に入らない、といった「なんとなく嫌だ」という理由で「生命もしくは自由」を規制しようという言説が書き立てられている。自己責任論が極端に語られるのは、何も透析患者だけではないだろう。内心は本当はわからない、というのと、どこからか自己責任か?は定義できないという意味で類似性を持つ。近代民主主義では、主権者は国民である。国民はもはやかつての王のような「為政者」だ。その「なんとなく」の気持ちで人権の規制を訴えるのは、民主主義の精神に反する。
以上より、この2つの事例について、「結局自分が気に食わない人間の人権を、まともに法的定義ができないような”なんとなく”で規制しようとしている」という大きな問題があるのではないか、と考える。そして、その問題は、「近代的民主主義」の精神に反するものである、とも考える。
前者の増田では、「全員が健康で文化的な最低限の生活ができるように、みんなでお金を出し合って支え合っていきましょう」という相互扶助の精神が語られている。この精神は、共同体を維持していくのに重要な精神だろう。しかし、「気に入らない」で制限を加えようという雑な言説は、この精神を否定するものであり、まともな社会から離れていくものであると思う。この「なんとなく」で人件否定、はなにもここであげた2つの例だけではなく、「コミュ障」だとか、「地方民」だとか、逆に「都会民」だとか、ある考えを持つ人だとか、いろんな「集団」に対して向けられてるような気がするし、しっかり考えて欲しいというところである。
もちろんこの程度で例示が十分だとは思っていないが、流石にすべて列挙し続けることは不可能だし、これもそれに当たるのでは、というのがあったら指摘を願いたい。
RTで絶賛されていたスピーチ(http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253905)を読んだが、何がそんなにすごいのか私にはわからなかった。
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こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。
なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。
しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。
日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。
安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。
この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。
はてブでポツダム宣言の現代語訳が話題になっていた。だが、外務省による文語訳が、現代語訳者により「この文章を理解できる日本人が何人いるか?」と揶揄されていたり、ブコメでも「いい加減なカタカナ混じりの変な訳」などとDISられていたりして気になった。そこで、文語訳の仮名遣い、送り仮名、句読法、一部の漢字を現代風に改めてみた。文法はそのままだが、普通に読んで理解できる文章になったと思う。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
米、英、支、三国宣言
1、我ら合衆国大統領、中華民国政府主席および「グレート・ブリテン」国総理大臣は、我らの数億の国民を代表し、協議の上、日本国に対し、今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり。
2、合衆国、英帝国および中華民国の、巨大なる陸海空軍は、西方より自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し、最後的打撃を加うるの態勢を整えたり。右軍事力は、日本国が抵抗を終止するに至るまで、同国に対し、戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられ居るものなり。
3、決起せる世界の自由なる人民の力に対する、「ドイツ」国の無益かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を、極めて明白に示すものなり。現在、日本国に対し集結しつつある力は、抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合において、全「ドイツ」国人民の土地、産業および生活様式を、必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、計り知れざるほど、さらに強大なるものなり。我らの決意に支持せらるる、我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく、また同様、必然的に、日本国本土の完全なる破壊を意味すべし。
4、無分別なる打算により、日本帝国を滅亡の淵に陥れたる、わがままなる軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御せらるべきか、または理性の経路を日本国が踏むべきかを、日本国が決意すべき時期は到来せり。
5、我らの条件は左のごとし
我らは、右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。我らは遅延を認むるを得ず。
6、我らは、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和、安全および正義の新秩序が、生じ得ざることを主張するものなるをもって、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は、永久に除去せられざるべからず。
7、右のごとき新秩序が建設せられ、かつ日本国の戦争遂行力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、我らの、ここに指示する、基本的目的の達成を確保するため、占領せらるべし。
8、「カイロ」宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国、ならびに我らの決定する諸小島に局限せらるべし。
9、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。
10、我らは日本人を民族として奴隷とせんとし、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるも、我らの捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰、加えらるべし。日本国政府は、日本国国民の間における、民主主義的傾向の復活強化に対する、一切の障害を除去すべし。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は、確立せらるべし。
11、日本国は、その経済を支持し、かつ公正なる実物賠償の取り立てを可能ならしむるがごとき産業を、維持することを許さるべし。ただし、日本国をして戦争のため、再軍備をなすことを、得しむるがごとき産業は、この限りにあらず。右目的のため、原料の入手(その支配とは、これを区別す)を許可さるべし。日本国は、将来、世界貿易関係への参加を許さるべし。
12、前記、諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。
13、我らは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意に付き、適当かつ十分なる保証を提供せんことを、同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす。
『咲-Saki-』界隈からホモフォビアをなくそう - Danas je lep dan.
僕は自分のブログにさえ自分がゲイであることを書けないヘタレなゲイで、カジュアルなホモフォビックな言動には本当に悩まされいて、見るたびにされるたびに「つらいなぁ」「もぅマヂ無理。アンフォローしょ・・・/エンきろ・・・」ぐらいな生き方をしています。それやめてよって言えない、うまく伝える自信がないので、見過ごしてきた。そしたら今回のid:Mukkeさんの記事があって、ホモフォビアを「ネタ」であるとしてスルーしてはいけないって丁寧に論述していて、とても驚きました。なにに驚いたかって恐らくLGBT当事者ではないMukkeさんが、『咲-Saki-』という作品に限った話をしているのに本当に丁寧になぜダメか、どうしていくべきかを書いていて、この問題に関することを過不足無く書かれていて、なんというか助かったんですね。
LGBT当事者としてこのような記事を自分が書くべきだったと思わずにはいられないくらい良い記事なのですが、一方で当事者としては色んなエピソードを盛り込みすぎてこんなにうまくまとまった記事にならないと思うんです。本当に僕は豆腐メンタルなので、腐女子がホモってツイートするのを見てうわって傷つくし、僕の言動がオネェっぽいみたいなからかいかたをしてくる人がいた日には1週間ぐらいくらーい顔して、「偉くなったらあいつからの仕事絶対断ってやる」みたいなくらーい発想を温めながら傷が癒えるのを待ちます。ほぼ初対面の人間に「君、彼氏いるの?笑」みたいなことを聞かれた日には、「えー、なんでそんなこと聞くんですかぁ?セクハラですよ〜笑(たとえいたとして、誰がお前のような無神経な人間に教えるか!死ね!!)」ってなりますし。・・・とまぁ、こんな感じになってしまうので、今回の記事で救われました。ありがとうございます。
出来たら恩返しをしたいのですが、他のマイノリティが似たような被害にあった時にそれは駄目って言えるようになることだと思うので精進していきたい所存です。
あ、増田だったらLGBT関係のこと書いたことありました。割と喧嘩腰ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20131111183828
では、女性は子供じみているのかというとそういうわけではない。
女性にはしばしばこういうことがある。
問題が発生した際に、自分の非を認めず、自己を正当化し、自分以外のモノを非難する。
これは、女性が社会の中で生きていく中で、より良い個として認めてもらいたいがために
自然的に発生した動物的な本能であるがゆえ、誰が悪いとか子供じみているとかいう話ではない。
仕方がないのだ。
そしてその行動は初潮が始まる頃から、閉経するまでの年齢に顕著に見られるのである。
特に閉経後、ガラッと精神的に自立を果たす女性が多いというのは異論はないのではないだろうか。
歳を重ねても、わがままばかり言っている女性も当然いるが、これはまた違う病気なので
かわいそうな目で見守ってあげることくらいしかできない。
女性にはこのような性質があるため、重要な決定や、論理的な解決を行うことができない。
そのため、重要な決議の場から女性が外されるということは、社会的にも女性の立場向上から見ても
これを理解できない一部の女性が、「女性差別だ!」「男性中心社会だ!」と声を荒げる所などは
まさに精神が未熟な証拠に他ならない。このシステムが論理的に理解できていれば
おわかり頂けただろうか。
女性差別というのは、社会を効率的に回すための仕組みを理解できない女性が世に生み出した悪魔なのだ。
では、女性は子供じみているのかというとそういうわけではない。
女性にはしばしばこういうことがある。
問題が発生した際に、自分の非を認めず、自己を正当化し、自分以外のモノを非難する。
これは、女性が社会の中で生きていく中で、より良い個として認めてもらいたいがために
自然的に発生した動物的な本能であるがゆえ、誰が悪いとか子供じみているとかいう話ではない。
仕方がないのだ。
そしてその行動は初潮が始まる頃から、閉経するまでの年齢に顕著に見られるのである。
特に閉経後、ガラッと精神的に自立を果たす女性が多いというのは異論はないのではないだろうか。
歳を重ねても、わがままばかり言っている女性も当然いるが、これはまた違う病気なので
かわいそうな目で見守ってあげることくらいしかできない。
女性にはこのような性質があるため、重要な決定や、論理的な解決を行うことができない。
そのため、重要な決議の場から女性が外されるということは、社会的にも女性の立場向上から見ても
これを理解できない一部の女性が、「女性差別だ!」「男性中心社会だ!」と声を荒げる所などは
まさに精神が未熟な証拠に他ならない。このシステムが論理的に理解できていれば
おわかり頂けただろうか。
女性差別というのは、社会を効率的に回すための仕組みを理解できない女性が世に生み出した悪魔なのだ。
では、女性は子供じみているのかというとそういうわけではない。
女性にはしばしばこういうことがある。
問題が発生した際に、自分の非を認めず、自己を正当化し、自分以外のモノを非難する。
これは、女性が社会の中で生きていく中で、より良い個として認めてもらいたいがために
自然的に発生した動物的な本能であるがゆえ、誰が悪いとか子供じみているとかいう話ではない。
仕方がないのだ。
そしてその行動は初潮が始まる頃から、閉経するまでの年齢に顕著に見られるのである。
特に閉経後、ガラッと精神的に自立を果たす女性が多いというのは異論はないのではないだろうか。
歳を重ねても、わがままばかり言っている女性も当然いるが、これはまた違う病気なので
かわいそうな目で見守ってあげることくらいしかできない。
女性にはこのような性質があるため、重要な決定や、論理的な解決を行うことができない。
そのため、重要な決議の場から女性が外されるということは、社会的にも女性の立場向上から見ても
これを理解できない一部の女性が、「女性差別だ!」「男性中心社会だ!」と声を荒げる所などは
まさに精神が未熟な証拠に他ならない。このシステムが論理的に理解できていれば
おわかり頂けただろうか。
女性差別というのは、社会を効率的に回すための仕組みを理解できない女性が世に生み出した悪魔なのだ。
2013年8月14日付け標記要望において、映画「風立ちぬ」なかでのタバコの描写について苦言を頂戴しました。ご指摘のとおり、現在、我が国を含む177か国以上が批准している「タバコ規制枠組み条約」の13条であらゆるメディアによるタバコ広告・宣伝を禁止しています。しかし、参照を指示された別冊を拝見する限り、この条項はタバコ販売の広告・宣伝を禁止しているのみで、本作品が条約違反ということには到底なりえません。
上記文書では、教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、高級リゾートホテルのレストラン内での喫煙場面など、こと細かに列挙していただいております。
特に、肺結核で伏している妻の手を握りながらの喫煙描写を問題視しておられます。しかし、夫婦間の、それも特に妻の心理を描写する目的で、この場面でタバコが使うか使わないかについては、表現の自由にかかわる問題であり、集団的な圧力を製作者にかけることの問題点を学会が十分認識されているのかはなはだ疑問です。
また「学生が『タバコくれ』と友人にタバコをもらう場面などは未成年者の喫煙を助長し、国内法の『未成年者喫煙禁止法』にも抵触するおそれがあります。事実、公開中のこの映画には小学生も含む多くの子どもたちが映画館に足を運んでいます。過去の出来事とはいえ、さまざまな場面での喫煙シーンがこども達に与える影響は無視できません。」というご指摘については、「言葉狩り」ならぬ「表現狩り」に近く、NHK-BS等での過去の実写映画の再放映についても逐一喫煙シーンをカットすべしというような、現代の映像版焚書坑儒につながりかねません。
誰もが知らない無名の学会ではありながら、有名医師や弁護士が名を連ねている貴学会が表現の自由の重要性を無視することはいかがなものでしょうか。研究者や法律家の社会的責任がいろいろな場面で取りざたされている昨今、貴学会におきましてもぜひ基本的人権の尊重をした学会活動をお願いいたします。
なお、このお願いは貴学会を誹謗中傷する目的は一切なく、貴学会がますます繁栄し今後とも非喫煙者が生活しやすい社会の構築に関わられることを心から希望しております。
どうぞその旨をご理解いただき、学会活動にあたっては表現の自由の扱いについて、特段の留意をされますことを心より要望いたします。
「日本国民」とは誰かを定めないことには国民主権もクソもないのだから、当然といえば当然か。
それを法律で定めていいのか、とは思わないでもないが。
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
有名な「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」のうち唯一前文で明示的には出てこなかった「基本的人権の尊重」がここで出てきたか。
この「侵すことのできない永久の権利」を憲法改正で奪うことができるのかどうか気になるな。似たような疑問を前文でももったが。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
自民党の草案で、この「公共の福祉」が削られ「公益及び公の秩序」に変えられたとネットで話題になってたな。なんでも人権制約の原理が「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に変わることで制約が容易になるんだとか。
正直、大きな違いがあるとは思えないが。
13条。7月7日。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
表現の自由みたいなのと比べると、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」ってえらく抽象的・包括的だな。
一つ一つあげてられないのでとりあえず「あらゆる権利を尊重すべき」的なことが言いたかったんだと理解していいんだろうか。
14条。7月9日。
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
3項 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
法の下の平等についての規定だが、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」以外の差別についてはどう考えるのか。
例えば最近話題になっている1票の格差も法の下の平等に関係する問題であるように思えるが、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」のいずれにも該当しない気がする。
15条。7月11日。
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3項 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4項 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
公務員の選定や罷免は国政に関係するのだから、これも国政の決定権は国民にあるという国民主権の一つの現れというふうに考えてよいのだろうか。
普通選挙とは、狭義では財力を選挙権の要件としない選挙のことをいうらしい。広義では教育や性別なんかも含まれてくるようだ。
そういえば歴史で、昔は一定額以上の納税者しか選挙権がなかったとかやったな。そのことか。
16条。7月13日。
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
ふーんという感じ。
少し気になるのは、これまで「国民」の権利等に関する規定という体裁をとってきたのがここにきて「何人も」となっている点。何らかの意図を読みとるべきなのか。
何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
公務員の不始末はこれを管理監督すべき立場にある国や公共団体が責任をとりますよ、という話だろう。
気になるのは、公務員が公務とはまったく関係なく個人的な怨恨から他人にけがを負わせたような場合でも国などが治療費等の賠償責任を負うのか、という点。
国による賠償というのは結局税金なわけだから、もしもそんな責任まで国が負わねばならないのだとしたら、ちょっと勘弁してくれ、という気持ちになる。
18条。7月18日。
もっともな規定だと思うが、「奴隷的拘束」「意に反する苦役」をどう捉えるかでかなり意味合いが変わってきそうでもある。
たとえば徴兵制は「意に反する苦役」なのか。あるいは、無理筋だとは思うがワタミのようなのを「奴隷的拘束」とする余地は全くないのか。
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
思想・良心の自由を侵すということの意味をどう考えるべきか。たとえば廃仏毀釈よろしく仏教施設を破壊し、ただし内心で信仰するのは自由だから思想・良心の自由は侵していない、という論法は可能なのか。
そもそも思想・良心のような内心の問題はいかなる権力によっても強制できないとも言い得るのだから(表面上は従いつつ心の中で舌を出すことが可能)、その意味の捉え方次第ではこんなものをわざわざ保障する必要はないとも言えるのではないか。
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。