はてなキーワード: 基地とは
https://newsee-media.com/nishinari-doctor
https://www.alphapolis.co.jp/novel/6072941/240171301/episode/6699872
「西成のマザーテレサ」と呼ばれていた彼女。(モーモールルギャバンというバンドのボーカルのお姉さんとしても、一部では有名らしい)
西成の人達と関わる内に、貧困ビジネスとそれに搾取される人々とも関わる様になり
怪しい人間ともトラブルになっていた事もあり、死の数日前は「私は殺されるかもしれない」と言っていたそうだ。
西成について多少なりとも事情を知っている人間であれば、まず間違いなく「何かがあった」と考えるだろう。
貧困ビジネスの闇は深い。
弱者救済の名の下に、反社の様な左翼の様な得体の知れない輩が集う現実がある。
にも関わらず自称交際相手の証言を鵜呑みにして「自殺」と判断する警察。
矢島祥子さんの倍近く歳上、生活保護受給、共産主義者同盟赤軍派、釜ヶ崎日雇労働組合副委員長、辺野古基地建設反対運動にも関わる「元交際相手」の存在。
全てが怪しい。
が、警察は動かないし貧困ビジネス関係者とのトラブルも、見てみぬふり。マスコミも同様。
不条理な事態に追いやられた遺族という「弱者」を救済しない、弱者の味方である筈の活動家達。
貧困ビジネスの闇は深い。
俺が小学校の頃、公園と林の中間みたいな公園の大きい植木の中にいい感じの空洞があって
そこで仲間と秘密基地作って遊んでいた事がある。
基地って言っても1.5畳くらいの空間で、今思えば色々汚いけど、
自販機の下漁って手に入れた小銭を貯めて駄菓子とか買い溜めしてそこに備蓄したり、
読まなくなった漫画本(週刊誌とか)を持ち寄って皆で読んだりしていた。
学校で「チクリ魔くん」って呼ばれてたクラスメイトがいたんだけど
そいつがある日、基地の噂聞きつけて入れてくれって言われたけど、当然断ったの。
どうせ仲間に入れたら先生にチクるだろうって。
そもそもチクらなくても一緒に遊んで面白くないから勘弁だって。
で案の定、そいつがホームルームの時間に基地のこと全部バラしやがった。
先生が基地まで来てお菓子とか漫画本も没収されてかなり説教された。
学校の仲間の遊びに加わる権利があると思います!仲間外れはイジメです!僕はイジメられました!
って主張してたけど、子供ながらに「コイツガキかよ」って思っていた。
自分の思う通りにならないからぶっ壊してやる!ってヤツはワガママなガキでしか無い。
当然それからもチクリ魔くんは皆から相手にされずぼっちだった。
構って欲しいそぶりだけはする誘い待ちで、話もやる事も面白く無く
人の悪口ばかりが多くて他人を不快にさせる様な事ばかり言ってて
その癖相手にされないと全力で被害者面して大騒ぎして場を壊そうとするヤツ。
その手の人間を見かけたり、遭遇する度にうんざりさせられるけど
ガチで友達いなさそうなヤツってのは色んな意味で「おかしい」と痛感させられるよね。
酷い偏見だと思うけど、チクリ魔くんみたいなヤツにコミュニティ壊された経験ある身としては素直に笑えない。
そりゃワガママなガキのまま成長してない様なヤツとは誰だって深く付き合いたく無いし
友達がいないのは当然を超えた当然なんだけど、
孤独でますます構ってちゃんも悪化しておかしくなっていくのだろう。
悪循環なんだけど本人は嫌われ者だから敢えて救いたい人間もいない。
大人の「チクリ魔くん」は、どうしたら救われるのかまるで分からない。
放っておいて害が無ければ放置で良いけど、そういう訳でも無いからなあ。
勝手にウザ絡みしてきては思った様に構ってくれないとキレて騒いで
例えば日本や韓国が中国に占領されると今はアメリカがほぼ抑えてる太平洋を、半分くらい中国に抑えられることになる。
そうなると軍事的にも経済的にもアメリカにとってダメージが大きい。
ぶっちゃけ日本や韓国にアメリカが基地置いてるのも、中国やロシアが太平洋を抑えようと動いてきた時に防波堤として日本や韓国を利用する為だからな。
だからいざとなればアメリカは日本や韓国の国民の犠牲を顧みない作戦(侵攻してきた中国軍を都市の住民ごと大規模空爆でふっとばすとか)を実行するだろうし、必要であれば日本の主要都市に核を打ち込むくらいのことまでやると思う。
ソ連という共通の敵を失ったことによって中国と西側諸国の友好関係が薄れていき、天安門事件によって決裂が明らかとなり軍事技術的にも独自路線を歩み始めた時期 そして第三次台湾海峡危機でアメリカの圧倒的な軍事力を目の当たりにしたことが、中国海軍のその後に大きな影響を与える
★劉華清 江沢民の後見人として党中央政治局常務委員と党中央軍事委員会副主席に任命される
051G型駆逐艦(旅大III型) 1番艦 湛江 就役 051DT型の発展版 フランス・イタリア・イギリスなどから導入した兵器の国産化を試みている
★052A型(旅滬型)駆逐艦 1番艦 哈爾浜 起工 西側技術を大規模に導入し、中国初の外洋型近代的駆逐艦として建造された
対空ミサイルやレーダーはフランス製、主機のガスタービンエンジンはアメリカ製、ディーゼルエンジンはドイツ製を導入、哨戒ヘリコプターはフランス製のライセンス生産
★湾岸戦争開始 米軍による一方的な空爆を目の当たりにし自国の防空システムの限界を認識した中国は、新しい防空ミサイルシステムHHQ-9Aの開発に着手
★ソビエト連邦崩壊 中華人民共和国の第一仮想敵国はロシアから台湾を支援するアメリカ合衆国に変わった
053H2Gフリゲート(江衛型) 1番艦 安慶 就役 053H2型に個艦防空ミサイルと艦載機の運用能力を付与したもの。
1989年の天安門事件を受けて西側からの軍事技術供与が停止されたため、2番艦以降は1番艦とは異なる構成になっている
2番艦ではガスタービンをウクライナ製UGT-25000(DA80)ガスタービンエンジンにしている。
053H1G型フリゲート(江滬V型) 1番艦 自貢 就役 053H2型フリゲート
プロジェクト877EKM(キロ級)潜水艦 1番艦 袁正64 就役 中国が初めて入手した近代的ディーゼル潜水艦
中華民国が遷台してから史上初めて正副総統の直接民選選挙、李登輝当選
アメリカは2つの空母戦闘群を派遣、ミッツ空母戦闘群は台湾海峡を通過した
中国軍はアメリカの空母戦闘群に対し何もできず、アメリカが台湾を支援した場合は止められないことを理解し軍備増強を大幅に加速した
艦隊防空能力強化のためロシアにソヴレメンヌイ級駆逐艦2隻を発注(中国語では「现代级」と表記されることから何を期待していたのかが理解できる)
対空戦能力を有する国産のミサイル駆逐艦整備計画が着手、複数のタイプ(052B型と052C型)の駆逐艦を少数建造し設計とプロトタイピングを繰り返すスパイラルモデルでの開発が始まる(「小步快跑」)
970型試験艦 就役 HQ-9A艦対空ミサイル、HQ-16艦対空ミサイル、Vertical Launching System、フェーズド・アレイ・レーダーのテストを行う
プロジェクト636(改キロ級)潜水艦 1番艦 袁正66 就役
956-E型(ソヴレメンヌイ級) 1番艦 杭州 就役 艦隊防空機能を有し、射程160kmの超音速対艦巡航ミサイルSS-N-22(P-270)を搭載しアメリカの空母戦闘群の接近を阻止する役割を担う
中国国産ディーゼル潜水艦で旧式化した035型に替わる新世代の潜水艦として建造
ロシア製兵器、フランス製戦闘システム、ドイツ製ディーゼル・エンジンを搭載した
052A型をベースとした中国版ソブレメンヌイ、本命の広域防空艦は052C型で052B型はその保険
国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルやフェーズド・アレイ・レーダーの完成は間に合わないため、ロシア製対空ミサイルシステムを搭載して建造
ZKJ-5戦術情報処理装置 今まではイギリス製をコピーしたZKJ-3かフランス製をコピーしたZKJ-4しかなかったが、新規開発された国産戦術情報処理装置をテスト
通信設備としてHN-900(中国海軍の第1世代戦術データ・リンク装置)を採用
ウクライナからSu-33の試作型T-10K-3を入手、後にJ-15の開発につながる
国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルやフェーズド・アレイ・レーダーを搭載した中国人民解放海軍の本命
039A型潜水艦(元型) 1番艦 330 就役 プロジェクト877EKM(キロ級)の経験で得られた技術を、039型潜水艦に盛り込んだ性能向上タイプ
従来の中国海軍のフリゲートと比較して武装のレベルが極めて高い、また船体の大型化によって外洋航行能力も大幅に向上している
054A型のテストベッドとしての性格があり、建造は2隻に留まった
2004年に就役した蘭州と共に、新世代艦のプロトタイプとして性能・運用試験を実施
094型原子力弾道ミサイル潜水艦 1番艦 411 就役 092型からは大幅に進歩したが未だ米英露仏のレベルには至らず
なお2005年当時の中国軍の評価は以下のようなものである、きわめて妥当な評価で当時の中国海軍がまだ立ち遅れていたことがよくわかる
■中台の軍事バランス ―中台の安全保障戦略に与える影響―(2005年5月発行)
https://jats.gr.jp/cp-bin/wordpress5/wp-content/uploads/journal/gakkaiho007_05.PDF
中国は、約3,200 機の作戦機を保有しており、編制上桁違いの優位があるが、第4世代戦闘機を150機程度しか保有していない〔USDoD, 28 July 2003, p. 23〕。
しかも、中国空軍の訓練時間は、新型戦闘機のパイロットを優先的に長時間訓練させていると見られるものの、全体として西側空軍の常識から見て極端に少なく、メンテナンスも劣悪で故障も多く、また1日に大量の航空出撃を実施するような演習をほとんど経験していない〔Allen, 1997, pp.224 –232〕。
このため、中国空軍の作戦機が台湾攻撃に必要な高い練度を獲得するには今後長い時間が必要である。
他方台湾空軍は、すでに F-16、ミラージュ 2000-5、および経国号を配備完了しているため、旧式機から第4世代への換装をほぼ終えている。
空中戦の態様は、戦場が中国から離れた台湾の航空管制の範囲内であり15、台湾側の方が各種装備が優越し、練度も高いため、台湾空軍側に有利に展開するものと推定されている。
特に、F-16 用のアムラーム・空対空ミサイルの売却が 2003 年に実施されたことにより、台湾空軍の空戦能力は飛躍的に向上した。
しかも、中国が保有している Su-27 および Su-30MKK の性能は、電子戦能力と戦闘能力において台湾が保有するミラージュ 2000-5 におよばないとされるし、遠距離からの攻撃では経国号の装備が勝っているとされる16。
このため、大幅な改良を加えない限り、Su-27 は量産されても台湾空軍に対して質的な優位を確保することができないと考えられ
中国海軍の水上艦艇の特徴は、艦隊防空能力(特にミサイル防御能力)が極めて低い一方で、対艦ミサイルの数量が圧倒的に多いことにある。
このため、中国海軍は防御を省みることなく攻撃を仕掛けることになる〔McVadon, 1997, pp.259-260〕。
ところが、中国海軍の水上艦艇には、視界外レーダー(OTH レーダー)がなく、敵の位置を計測してその対艦ミサイルのアウトレンジから対艦ミサイル攻撃をかけることが困難である。
このため、対艦ミサイルの「数の優勢」は当てにならず、中国海軍の水上艦艇は台湾軍が保有する大量のハープーン対艦ミサイル等によって多大な損害を受けることが必至である〔McVadon, 1997,pp.259-260〕。
HHQ-16艦対空ミサイルを装備し、中国海軍のフリゲートとしてははじめて艦隊防空能力を有する
054型はミサイル発射機を備えていたが、054A型では32セルVLSへ進化している
以降『40隻』を超える大量建造が行われる
052C型4隻の追加建造
2004年、2005年に就役した052C型2隻をプロトタイプとして性能・運用試験を実施し完成度を高める為の研究が行われた、結果2008年には艦隊防空艦としての完成をみた
052C型の発展型として052D型駆逐艦の開発が進んでいたが実用化には相応の時間を要するため052C型駆逐艦の追加建造が決定
もう少し前の話になってしまったけど
静岡県富士宮市で人を轢き殺した米兵が捕まって懲役になったけど、アメリカに移送されてすぐ仮釈放されて、アメリカ世論は日本が野蛮国みたいに反応してた、みたいな話があったじゃん
あれはアメリカが正しいよ
そんでここで考えるべきは、日本も同じになるしかないってことだよ
もっと大昔になるけど、日本人留学生射殺事件(ハロウィンの仮装してパーティ行こうとしたら別の家に行ってしまい撃ち殺された事件)の時とか、国をあげてアメリカを糾弾する運動をすべきだったんだよ
あるいはオーストラリアに入国しようとした日本人の携帯電話に二次ロリ画像があったから日本人が児ポ所持で捕まったとかも、被疑者を英雄みたいに取り返してオーストラリアと断交せんばかりの運動をすべきだったんだよ、お前んとこの貧相な文化と違うんだよって
ネトウヨとかは中韓相手ばかりイキってるけど中韓もそういう意味ではまともな国でしかないよ
韓国は在韓米軍に韓国人が殺されるたびにちゃんと基地を大勢で取り囲んで謝罪を取り付けてる
どこそこのチャイナタウン化を憂うなら日本も今からでも世界中にジャパンタウン(それは自国民保護の拠点でもある)を作る勢いを持つしかない
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
小池百合子知事が麻布十番駅を核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19
実は都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅は防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。
地下鉄の線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間が備蓄倉庫となっている。
更に鳥居坂のシンガポール大使館下に地下駐車場の入口があるのだが、
https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7
この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。
大江戸線は2000年に開通したが、90年代の麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたからなのだね。
土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。
シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルやツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールドが前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。
このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械が自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。
http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html
が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である。
沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターでグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。
それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事や下水管(雨水管)工事の現場でこういうデカいタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?
https://www.futamoto.com/product/ftu-d/
これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。
建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。
一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。
水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。
また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。
また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。
そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである。
この為に残土のトロッコやベルコンベアも必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。
しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから。
そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。
ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所が必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所がシールド基地となる事が多い。
因みに雨水管シールド工事での基地の役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである。
で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。
この辺の構造はみなとみらい線の元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネルの天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。
都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体は交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだが鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場と備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。
また、石原都知事は地下鉄開業後に自衛隊部隊を市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷へ防衛省が移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営の防災倉庫落成のデモの意味もあったのだ。
このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたものを核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。
更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃんと継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ。山手線2階建はどうなった?
就任当初に小池知事は廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校に転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事の独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物を秘書としていて音喜多ら都民ファ議員をパシリにしていて、その影響もあると思われる。
だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題が炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。
市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しかも結構な狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。
車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町駅から急坂を登らねばならない。
都市計画法と建築基準法に用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地に工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境や教育を保護するための規制だ。
だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者、工場労働者が居たら自動的に必須となるのである。
こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。
矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園が必要な場所ではない。
ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象で廃校されてしまった。
故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。
その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用の可能性は検討さえされていない。
こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ。
更に現知事の問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。
コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリにクラリオンの高額なアンプ、スピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。
大江戸線清澄白河駅も麻布十番と同じくコンコース上の空間が防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合はホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。
あと、東京都の防災倉庫に指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである。中央公園の新宿方広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工事基地となっていた。
その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。
だからこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…
江戸時代の古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。
エネオスのスタンドの斜向かいにマンシーズトウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルなディスコのマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこt
一の橋の交差点の五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。
これは、江戸時代の古川の改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり、一の橋からずーっと遡り、広尾の天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。
後にややこしいので川沿い広尾は近傍の地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。
六本木交差点のアマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電の線路だった。廃止されて道路になったもの。
で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止の六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線は新宿駅東口~東京タワー。
で、都バスは昭和40年(1965年)に車掌乗務から、ワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆どの車掌は退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。
この人達が最後まで残っていたのが新宿~東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである。
因みにこの路線は整理されて今では残っていない。
鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。
元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町+オサレな地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い。
都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番に南北線と大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番に鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。
先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから、麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのである。しかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である。
六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である。
ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビルも廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである。
実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQの財閥解体で解散させられたが六本木の不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである。港区にいる限り森ビルのブルドーザーから逃れられる者は居ないのである。核シェルターもいずれ森ビルのブルドーザーが…。