はてなキーワード: 地震だとは
年明けすぐに発生した能登半島の地震で、東日本大震災のことを色々と思い出した。
当時小学2年生で、地震発生時は帰りのHR中。関東でもかなり揺れて、確か震度5強か5弱か。揺れてる最中のことはほとんど覚えていなくて、隣の席の机から水筒が落ちてきたこと、その席の子は背が高く頭が入り切ってなくて落ちた水筒が頭にぶつかっていたことだけ覚えている。
そのまま保護者引渡しになって、グラウンドで姉と一緒に親を待っていた。外出中だった母はすぐ迎えに来てくれて、かなり早く家に帰れた気がする。そのまま急いでコンビニに寄って水とカップ麺を買って、ガソリンスタンドで給油して、家に帰った。
この時私はだいぶ興奮していた。
楽しいとか面白いとか、そういうのではなくて、台風で学校が休校になるとかと同じ感じ。地震そのものはめちゃくちゃ怖かったので、どちらかと言えば目が血走ってるような興奮だった。
震度5の揺れなんて初めてで、5分近く揺れ続けたのも初めてで、学校であんな切羽詰まった教頭の放送を聞いたのも初めてだった。昔の地震の記録映像とかでしか見たことないような、知識としてしか知らないような規模の地震だったから、そういう時は学校で一晩明かすとか、しばらく店が閉まって学校も仕事も休みで社会機能が成り立たなくなるとか、そういうレベルのことが起きると思ってた。
実際は普通だった。
平時に比べたら普通じゃない。コンビニで酒が落ちて割れて中身が出たままとか、30分に1回は震度3が来るとか、全然普通ではない。でも、学校も休みにならなかった。テレビも番組は違うけど放送してた。コンビニは瓶が割れてても営業してた。電車も走ってたし電気もついてたし水も出た。
すごくびっくりした。
私の中では震度5強とかはめちゃくちゃ大きい揺れで、生きていくのがしんどくなるようなものだと思ってた。でも、家の皿が何枚か割れても、タワマンのエレベーターが止まったままでも、私から見える生活はほとんど変わらなかった。
今になって考えれば、それだけ災害に対しての備えがあったんだろうな、と思う。
10年以上前だから、今と比べればその備えも足りなかったんだろう。東北では関東と比べ物にならないような揺れだっただろうし、津波では恐ろしいほど被害が出た。東北に住んでいた従兄弟は中々学校が再開しなかったという話も聞いた。
それでも、これだけ大きいと感じた揺れでも、何も私の周りは変わらなかった。親も普通に仕事に行った。私も姉も変わらず学校に行った。あれだけ興奮していたのに、非日常は存在しなかった。存在させないような日々の努力が存在しただけ。
10年以上経って、能登の地震を見て、やっとそれに気がついた。当時より発達したSNSやテレビ放送で、東日本大震災の経験が垣間見えた。日本海に近い実家にいた友人は、津波から逃れるために避難したけど、家は被害に遭わなかったと聞いた。ここは大丈夫といって逃げない家族を引き摺ってでも避難してきた、というツイートを何件も見た。
潰れた家の写真もたくさん見た。
あの時の非日常だった部分が、今こうして活きている。そう見えた。日常のままあの日を通り過ぎた私たちは、血で滲んだ教えを、そうやって生かしていく。
多分、東日本大震災をまともに覚えているのは、私やその1個下の年齢くらいがギリギリなんだろう。今の中学生はそもそも生まれてなかったと聞いて、気が狂いそうになった。全然発狂した。あの震災はもっと最近だって。
そこにあったのは小学2年生の日常でも、私はその日常を続けられたことも、私の見えない場所に非日常だってたくさんあったことも、忘れちゃいけない。
能登半島地震で被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。募金など間接的な支援しかできませんが、復興をお祈りしています。
2011年(東日本大震災)や1945年(第二次世界大戦)を不謹慎だという連中に全てにぶちぎれた増田がすべての年を不謹慎の年と扱うリスト
それがオールアンラーッキーイアーズ(All anrakki iaazu)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
年 | 出来事 | 年 | 出来事 | |
2023 | 岸田文雄襲撃事件(まだ6月なので) | 1993 | 北海道南西沖地震 | |
2022 | ロシア・ウクライナ | 1992 | ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 | |
2021 | スエズ運河封鎖事故 | 1991 | 電通事件 | |
2020 | コロナウィルス | 1990 | イトマン事件 | |
2019 | 京都アニメーション放火殺人事件 | 1989 | エクソンバルディーズ号原油流出事故 | |
2018 | 福岡IT講師殺害事件 | 1988 | 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 | |
2017 | WannaCry | 1987 | ブラックマンデー | |
2016 | 相模原障害者施設殺傷事件 | 1986 | チェルノブイリ原子力発電所事故 | |
2015 | ISIL | 1985 | 日本航空123便墜落事故 | |
2014 | マレーシア航空17便撃墜事件 | 1984 | ボパール化学工場事故 | |
2013 | ロシア隕石落下 | 1983 | 大韓航空機撃墜事件 | |
2012 | 大津市中2いじめ自殺事件 | 1982 | ホテルニュージャパン火災 | |
2011 | 東日本大震災 | 1981 | 戸塚ヨットスクール事件 | |
2010 | sengoku38 | 1980 | ジョン・レノン銃殺事件 | |
2009 | 中央電視台電視文化センター火災 | 1979 | スリーマイル島原子力発電所メルトダウン | |
2008 | リーマン・ショック | 1978 | 制服警官女子大生殺人事件 | |
2007 | バージニア工科大学銃乱射事件 | 1977 | テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 | |
2006 | シンドラー・エレベーター | 1976 | ロッキード事件 | |
2005 | JR福知山線脱線事故 | 1975 | クアラルンプール事件 | |
2004 | 新潟県中越地震 | 1974 | ウォーターゲート事件 | |
2003 | コロンビア号空中分解事故 | 1973 | 大場政夫死去 | |
2002 | 日本人拉致問題 | 1972 | 血の日曜日事件 | |
2001 | アメリカ同時多発テロ事件 | 1971 | 全日空機雫石衝突事故 | |
2000 | 西鉄バスジャック事件 | 1970 | よど号ハイジャック事件 | |
1999 | 東海村JCO臨界事故 | 1969 | アポロ病 | |
1998 | エシェデ鉄道事故 | 1968 | 黒い赤ちゃん | |
1997 | ポケモンショック | 1967 | 四大公害病 | |
1996 | トランス・ワールド航空800便墜落事故 | 1966 | 黒い霧事件 | |
1995 | 阪神・淡路大震災 | 1965 | 第二次印パ戦争 | |
1994 | 中華航空140便墜落事故 | 1964 | ブルーボーイ事件 |
一部はツッコミどころとして用意したんだけど、その割には例示してくんないので代わりにだしてやるヨ
ただ今後はちゃんと例示するように
コロナ初期の時に高校時代の友達数人でzoom飲み会をやったんだよね。
最初は久々に話すけどみんな変わらないねって楽しくお喋りしてたんだけど、ちょっと前に起こった福島の大きめの地震の話が出たんだよね。
そしたらその子が「アレは人口地震だ」って言い出したんだよね。
固まる私たちをよそに「波長が人口のものと一致してるらしい」とか「日本は核兵器を作ってる」とかよく覚えてないけどつらつらと語り出してこれはやべえなって思って無理やり話変えたのよ。
幸いそれ以降その話題は出ず、楽しくお喋りして終わった。その時は。
そっからコロナが長引いて自粛モードも完全になあなあになってからまたその数人でちょくちょく会ってるんだけど当たり前の様に反ワクだし反マスクだしコロナはただの風邪って言ってる。
でもワクチンは打たないけどこっちにも打つなって言ってくるわけじゃないし(打ったの?ふーん笑みたいな事は言われた)マスクだってお店入る時だけは着けてくれるし変な商法に引っかかってるわけじゃないからこっちには何の実害もないので嫌いになったり縁を切りたいとは思わない。
その子は普段すごいしっかりしてて頭の回転も良くて友達も多いし東京生まれ東京育ちでおしゃれで新しいこと好きでリーダー気質でとても陰謀論にハマるようには見えなかっただけに本当に信じられない。
それって陰謀論じゃん笑って言ったことあるけどそっちが国に騙されてるだけ!って言われて説得は無理だなと悟った。
会うとすごい楽しくて大好きなんだけど、ちょくちょく出る「マスクなんかしてるの日本だけだよ」とか「コロナかかったけど全然大したことなかった笑メディアに踊らされてる」とかいう発言が地味に辛くてなんかバグが多い神ゲーをプレイしてるみたいな感覚になる。
旦那に言ったら「友達として正してやるべき」と言われたんだけど私は嫌われたくないし正直頭が悪いから逆に論破される自信しかないのでこのままにしておきたいのだが、もしかしてこれが「女の友情は浅い」と言われる所以か…と思った。
阪神淡路大震災の時、住んでいるあたりの震度は確か2か3だった。
「起きた?」「いや寝てた」「信じらんねー」「高速倒れてるのビビったよなー」
みたいな能天気な会話をしたはずだ。
俺にはたまたま兵庫在住の親戚がいたので、震災の翌週末だったかな? お見舞いに行ったのだが、具体的に何駅だったか忘れたが、電車がギリ動いてた駅から親戚の家まで3時間とか歩いた。
歩く途中で見た瓦礫の山は流石に忘れられないし、親戚の家・家具にもそれなりの被害があって大変そうだったが、本人たちは元気だった。
あと、同学年で一人か二人、親戚がお亡くなりになったみたいな奴がいた気がする。
俺にとっての阪神淡路大震災とは、決して忘れることは無いが、その程度の思い出である。
恐らくだが、直接の家族・親戚がお亡くなりになったとか、あるいはもう働いていて関西支社・支店とか取引先がどうこうとかいうような人を除いて、大多数の愛知県民にとっての阪神淡路大震災ってこんなもんだと思う。
一方、東日本大震災はどうか。
確か震度3だったと記憶しているが、ちょうど仕事の休憩中で、取引先の営業マンと
「今のけっこう揺れましたよねー」
とか話していた。個人携帯を仕事中に見られる環境じゃなかったし、テレビもない場所だったから、まったく情報を把握していなかった。
夕方になって事務所に戻って、その時初めて「やべー地震だったんだ」と知った。
その後、主にニュースで流れたショッキングな映像の数々や原発関連のあれやこれやは、10年以上経ってもそれなりの生々しさと共に思い出される。
東北の支社が大変だけど素人が行ってどうこうできる状況じゃないから、まずは自分たちの職場で東北の分まで働こうみたいな訓示があったような。
既にTwitterとかはあったから東北在住の知り合いにカンパしたりした。いきなり連絡つかなくなって、多分お亡くなりになったのであろう知り合いもいた。
俺にとっての東日本大震災とは、決して忘れることはないが、その程度の思い出である。
今年、主に関東~東北方面の東日本大震災被災者にとって阪神淡路大震災はもう忘れられてるというか震災=東日本大震災みたいな投稿を何件か見た。
中部地方在住俺、どっちも忘れてないし被災された方はそれぞれ大変だったよなあと思うのだが、身の回りでどっちも大した被害もなく過ごしていたので、なんか微妙な感じ。
万が一にでも起きてほしくないが、南海トラフって生き残れた場合には、俺の中でも震災=南海トラフということになるのだろうか。
これから観るつもりの人は回れ右!!観るつもりない人もこれだけ読んでもおもんないし回れ右!!観た人だけスクロールしてくれ!!!
すずめの戸締まりを観てきた。ネットでネタバレを踏みたくないのと、たまーにレイトショーで映画を観ると気分が良くなるので公開初日にレイトショーで。感想としては「すずめちゃんカッコイイな」とか「やっぱ映像綺麗だな」とか「今回はPV演出やらなかったんだな」とか「ドライブしてるあたりが一番面白かったな~」とかそんなところ。個人的には君の名は。と天気の子には及ばないけどなかなかいい映画だった。ネットでもいくつか既視聴者の感想を検索してみたが、刺さった部分の感想は人それぞれでありつつ、それなりに好意的な評価が多かったように思う。また、劇中でははっきり名前こそ出さないものの、「東日本大震災」が起こった世界を正面から描き、主人公の追悼と成長を描いている点も、今のところはおおむね評価されていた。一方で、事前の予告では東日本大震災を直接的に取り扱った物語であることは示されておらず(私の知る限りでは、緊急地震速報の流れるシーンがあるとかその程度の周知だったと思う。小説読めばわかったらしいけどまぁ読まないよね)、物語後半に割と不意打ち的に311の描写があることへのある種の懸念と、個人的な嫌悪感を示す人も多少見られたと思う。これらのレビューについて、皆それなりに首肯できる部分もあり、個人の感想と照らしあわせながら楽しく読ませてもらった。でも、これらの世に出てきたレビューを読みつつ、個人的に気になった点が一つある。
みんな「世界観と設定」について、全然話題にしてないな?ということ。この映画の最大の瑕疵、というか問題点になりえるとしたらこの世界設定の部分だと感じていたので。
あまりにみんな何も言わないので、匿名ブログを書いてしまった。匿名なのは卑怯といわれるかもしれないが、そもそもブログやってないので…。
すずめの戸締まりの世界観と設定について、私が映画をみた限りでの理解を以下に記す。あくまで私の理解なので、誤っていたらご指摘ください。
どうだろうか。列記すると滅茶苦茶カルトな設定だなと思う。作中ではもう少し自然に描いているのは確かだ。でもそもそもこの映画を観たら、「映画として面白かったかどうか」とは別に「この設定が受け入れられるか否か」がかなり心に引っかかるのではないだろうか。個人的にはちょっとウェッという感じで、この設定使うなら311じゃなくて君の名はのように架空の災害として扱うか、もしくは311はミミズ由来のものじゃなかったことを明示しとくべきじゃないかと思った。福島で地震に遭遇するシーンでミミズが現れないことから、「あぁ、すべての地震がミミズ由来ってわけじゃないのね…」と少し安心したら、そのあとの「草太さんが抑えてくれてるんだ!」というセリフでずっこけた。ほんとにカルトだよ。
「結局創作なんだからいいじゃん、現実と創作は別だよ」という意見もあるかもしれないが、311は実際に起こった災害であり、それを作中で扱ったにも関わらず原因ミミズなんです、はちょっとなんか、私はイヤですね、という感じ。
ちなみに「作中では311は止められなかったのか?」という至極当然の問いに対しては作中では特に答えはないが、ファンコミュニティ間では「そもそも震源地が海だから無理だった」とか「草太の父世代の閉じ師が出てこないことから察せる」とか色々考察があるようである。まぁ書いててむなしくなるような話題である。
なお、現実世界の話をすると阪神淡路大震災は震源淡路島南部の直下型地震、関東大震災は神奈川県西部、東京湾北部、山梨県東部が震源の三つ子地震だったといわれている。作中でもふたつの震災は起こっているっぽいので付記する。
上のような設定について、私は「みんな特に何も違和感をもたなかった」とはあまり思えない。みんな「違和感があるけど口にだしていないだけ」なんじゃないか……と、他人の心中を勝手に想像している。ツイッターやインスタ等の短文SNSだったら確かに「面白かった!芹澤いいわ~」で終わりだろうけど、ブログやレビューサイトで長文のレビューかいててこの世界設定に触れないとかあるの?と思っている。ただ一方で、確かに語りにくいよなと感じる部分もあって、これもその理由を列記する。
1について、実際の被災者の方はどう思っただろうか。上記の不意打ち的な311描写も含めて、東北の劇場では結構トラウマえぐられた人も多いのではと勝手な心配をしている。ちなみ当時東京に住んでいて被災といえば計画停電くらいだった私でも、日記のシーンと燃え盛る瓦礫のシーンはちょっと心にきた。
2については皮肉抜きに新海誠を尊敬する。「シン・ゴジラ」も「君の名は。」もアフター311の映画ではあったが、東日本大震災そのものとしては取り扱わなかった。押しも押されぬ超人気監督として、期待のかかった商業映画で東日本大震災をメインテーマのひとつに据えた心意気は本当に見上げたものであると思う。扱い方は個人的にはうーんではあるが。また、ここで難しいのが、すずめの戸締まりにおいて311はメインテーマの「ひとつ」でしかないところである。311の映画ではない。
3については、これからファン層以外にリーチしたときにどうなるのか気になるところ。例えば金ローで放送したときとかさ。
現在ネット上で閲覧できるレビューはほぼファンによるもので、おおむね好意的なものが多い。これから本職の映画評論家や、メディアによるレビューが始まるだろう。彼らはおそらくこの世界設定について、ファンレビューのように目をつむることはできないのではないかと思う。上記1のような問題もあり、どのような評価がされるのか気になるところである。
ちなみに、IGNJapanの11月12日(公開翌日)付レビューでは以下のような一文がある。
>> しかし僕が気になったのは別のことだ。3.11後の物語性や震災の歴史、そして天災を鎮める世界観として神道を引っ張ってくる意図についてはこれから他メディアでの評論やレビューで嫌になるほど言及されるだろう。そこに自分の関心はあまりない。 <<
この筆者本人は関心がないそうだが、記載の通りよくもわるくも嫌になるほど言及されるだろう。
みんなどう思った?俺はめっちゃ違和感あった。映画のできそのものを否定するわけじゃないけど、世界設定については滅茶苦茶やんけって思った。気にならないって人のほうが多いのかな?