はてなキーワード: 地学とは
をこまめにチェックしましょう。
協同出版の過去問は、受ける年の4月くらいからしか売っていないので、
前の年のものを「一般教養試験、専門試験」で買っといた方がいいかもしれません。
2冊で3000円がとんでいきます(;一_一)。
これを見て8割程度の点数があるならひたすらこの過去問を繰り返します。
↓
の順番で解いていきます。
2.一般教養Ⅰ
3.一般教養Ⅱ
を解くこと。
専門の分野は、
現役の講師の方は、
高等学校 理科|教科別発行教科書の紹介|協会概要|一般社団法人教科書協会
http://www.textbook.or.jp/about-us/publishing/high-science.html
現役生の方は
http://www18.ocn.ne.jp/~kyouka/
http://www18.ocn.ne.jp/~kyouka/sub1.html
↓
↓
一通りやってみる。
注意1:物理、化学、生物の中から、まず理科のどの科目を受けるのか決める。
注意2:自分の受ける科目の問題集は、国立大学や私立大学の二次試験も問題集をすること。
注意3:他の科目は物理基礎、化学基礎、生物基礎、地学基礎のセンターレベルの問題集をするのがよい。
注意4:科学と人間生活は、どの科目を選んでもきちんと問題集をやること。
注意5:地学が分からない場合、地学基礎の簡単な問題集に目を通し、その後問題集をするとはかどる。
↓
↓
できるまで繰り返し。
↓
神戸市の教職教養や、大阪、京都等近畿地方のものが参考になるか?
教職教養はH26年度から実施されたため研究中。各自調べてください。
↓
勉強の進捗具合は、
暇を作って
を読んで要点を理解すること。読んでたら眠くなります(*_*)
このほか、
http://www.hyogo-c.ed.jp/~kyoshokuin-bo/250712kenrituippan.pdf
http://www.hyogo-c.ed.jp/~kyoshokuin-bo/mentalhelthhome.html
なども目を通しておいたらよいですよ(^-^)。
の一番下にある、
ファイト(*^^)v
NHK クローズアップ現代の『どう教える”放射線”』にて、放射線に関する出張授業を取り扱っていた。
「アルファ線がヘリウム原子核のこととは知らなかった(意訳)」とインタビューに答えていて、
「おいおい、教師が教える内容を知らなくてどうするよ!?」とツッコミをいれたくなったが、ふと考えた、
(あれ?中学の理科で原子核とか放射線って習ったっけ?もしかして、高校では?)と。
学習指導要領を見ると、案の定、中学ではあくまで「物質は原子からなる」レベルの話しかしておらず、
高校になって
理科総合A「原子力に関連して,天然放射性同位体の存在やα線,β線,γ線の性質にも触れること。」
物理II「光や電子の波動性と粒子性,原子や原子核,素粒子における現象を観察,実験などを通して探究し,量子的な考えなど基本的な概念や原理・法則を理解させる。」
と定めているに過ぎない。
いやいや、これまずくないか?
高校生が通常のカリキュラムにおいて、放射線のことを学ぶ機会は理科総合Aか物理IIしかない。
自分が高校の時、1年は総合理科B(生物・地学)が必須で、2年から文系理系に分かれ、理系科目は物理・化学・生物・地学からの選択だった。
現在の一般的な高校も同様のシステムとすると、「理科総合Aを受けさせない高校に通っている、文系高校生または物理IIを選択しない理系高校生」は放射線に関して、中学生と同程度の知識しかない(=冒頭の教師みたいに原子核云々を知らない)ということだ。
うわあ、これじゃあ放射線に関するパニックが広がっても仕方ないわ。
「放射能が染る」とか言っちゃう人が出るのも当然だわ。
雑多に。
・(全般)論文の書き方:すべての基本。高校生までは起承転結(四段階)だが、大学生以降は序破急(三段階)が普通になっていくので慣れていくこと。
・(全般)プログラミング:すべての基本。言語学や論理学と密接な関係があるので、体得すれば実は論文の書き方に強力に役立つ。
・(全般)健康管理:健康を壊すと普通は勉強ができなくなる。体力と相談してがんばれるだけがんばる。
・(教養学部)教養:東大の特殊なところは、1、2年は教養学部というところに所属するところ。
ここで、広く、できるだけ深く、何でも雑食にガリガリ吸収して、自分なりの知の体系を、藁葺き小屋でもいいから作ることが求められている。多分。
・(文1・法学部)政治学:集団的意思決定に関すること。生臭いが、体得すると選挙や住民運動の時に、偏見に凝り固まった勢力から自由になって、自分の意見を持てるようになる。
・(文1・法学部)行政学:公務員はどう働くか。知らなきゃ公務員になった時にしぬ。公務員になりたいわけではなくとも、学者になったら役所と取引することになるので、彼らの行動様式を弁えておくのも大事。
・(文1・法学部)法学:公務員は何を守って働くか、倫理とはどう違うかなど。知らなきゃ公務員になる以前に試験の段階でしぬ。以下略。
・(文2・経済学部)経済学:財・サービスの一般的な流れに関すること。何で自民党が無駄な公共事業をやったかというと、彼らも決して馬鹿だったわけではなく、ケインズ経済学という思想的根拠があったことが分かる。これだけでも日本では重要。
・(文2・経済学部)経営学:お仕事の要素が入った組織をどう正確に効率よく運営するか。どこの組織に行くにも絶大な力になる。個人で生きていくなら別だが、事業を起こすなら必須。
・(文3・文学部)心理学:記憶と連想が切り離せないこと、情動(感情)や動機付け(欲求)のあり方をわきまえておくと、勉強のときに障害を取り除ける。
すなわち、沢山勉強して沢山思い出して連想することが知識になること、感情や欲求を適切に駆動し、不必要なら安定させること。
ついでに、生命反応や身体や神経や脳から、どのように心が生じるか学ぶのも悪い経験ではない(先に言っとくけど、心と身体の関係について論じる、いわゆる心身問題はまだ結論が出ていないので、深入りは禁物)。
・(文3・文学部)言語学:教養学部でやる外国語と文学部でやる言語学がある(正確には違うけど)。
外国でバリバリ働くビジネス目的と、論文を発表する・資料を原著で読む目的とがある。
長期的にどっちをやりたいかということと合致させた方がいいが、計画的に東大に入った入学者でなければ、よく分からないまま選択して二年間ババ引く可能性が高い。東大のシステムの疑問点だが、何か意味があるのかも知れない。何でこうなってるんだろう。
・(文3・文学部)社会心理学、社会学:人が集まるとどう振舞うかを理解するのは、ミクロ(個人)とマクロ(社会・集団)の関係をわきまえておくときに有意義。
・(文3・文学部)文化人類学、歴史学:昔の人の好みとトラウマ、成功と失敗を学んでおくことが大事。民族的歴史というものもあるので、「あー、日本人は災害時はこう振舞うのか、ではこうすればいいのか?」みたいなことができる。
・(文3・文学部)倫理学:いわゆる道徳・倫理を扱う倫理学にはいろんな学派があるが、それほど倫理学のフォローする領域は広い。
要するに集団のルールというのはどうやって決まるかということを、いろんな出発点(個人主義、生活、健康、生殖やエロス、プライバシー、コミュニケーション、権威、助け合い、暴力などなど)から積み上げているからだろう。
どれも集団生活を可能・不可能にする大事な本質には違いないので、広く浅く吸収していくとよい。(集団主義的なことを言うとあそこでは嫌がられるだろうけど、俺はそういう結論になっちゃった)
・(文3・文学部)哲学など:人間の脳の構造でいろんなものを筋立てして考える。倫理学もそうだが、哲学となると広すぎてちょっと大変。しいて言えば科学哲学とかやってみるといい経験になりそう。
・(文3・教育学部)教育学:教育学部に行く人以外関係なさそうだが、親になりたきゃちょっとかじっておくと後々いい感じになる。
・(理全般、特に理1・理学部)数学物理化学地学生物:文系でも「物質から生命反応が生じる」ということを了解しておくのは悪い体験ではない。
・(理1・工学部)工学:「社会のためにどう計画する?」ということは常に考えておいた方がよい。
・(理2・農学部)農学:別に農学部行く人以外は関係なさそうだが、安く安全に飯が食えるということは大事ですよ。TPP問題とかやりたくなったらどうぞ。
・(理2・薬学部)薬学:農薬や医薬をやりたい人以外には関係なさそうだが、有害物質問題とかやりたくなったらどうぞ。
・(理3・医学部)医学:普通の学生は「ものみんた(誰だ)の野郎! 健康について適当なこと言いやがって! 俺は気をつけよう」というときにのみ有意義。
理3の学生がまじめにやる分にはすごくハードなのでがんばって。
そうでなくても理3は超頭のいい人が入るところだから、超人的な世界で超人的に頑張ることを余儀なくされる。
(2011.03.27 18:37 追記)
twitterで指摘がありましたが、私は文3・文学部卒でして、文3・文学部についてながながと書きすぎました。確かに今読み返すと配分がおかしいね。
東日本沖で起きた巨大地震について http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/EastJM9.html
地震が発生したときの地震学者は《大変なことが起きてしまいました。》と勿論思うけど、その一方で「地震キター!これで論文5〜6本書けるから、私の学会での地位も安泰だ」とも思ってしまう者です。
「東日本沖で起きた巨大地震について」書かれた小山先生も《大変なことが起きてしまいました。》と思う一方で、「チキショー!これが富士山大爆発だったら俺のテリトリーだったのにい」とほんの少し、本当にほんの少しだけど、思ってしまったでしょう。
Amazonで「小山真人」と入力して検索すると解りますが、小山先生は以下の本を書いたり監修されたりしてます。
先生の次の本は「《東日本全体の地殻歪が再配列・不安定化》している。それに伴って富士山の活動も活発化してるため、いつ噴火してもおかしくないのだ」という内容になります。
その本の狙いの一つは「富士山噴火が近いので、観測・研究のために予算を投じるべきだ。ついては私、小山真人に研究予算をつけなさい」というものです。予算の確保も研究者の重要な仕事の一つであり、また、自己主張が強くなくては学者としてやっていけないので、このことは恥じることでも何でもありません。
を見てみましょう。
画面を下の方にスクロールしていって論文タイトルを眺めると、小山先生の専門は「火山」であることが解ります。先生の専門である「火山」と、先生が「東日本沖で起きた巨大地震について」で論じられた「地震」の間には以下の大きな違いがあります
科学的な観測が可能になってからは噴火の記録がない富士山は「いくつかの火山」には含まれません。2000年に噴火した際に素早い避難で被害を抑えた有珠山などが噴火予知しやすい火山になります。
地震予知が不可能なのは、地震学者が怠慢なためではありません。日本全国をカバーする満足な観測網がなく、地震発生時のデータが取れないためです。それでも「ある地域での大地震は周期的に発生する」という仮説のもとに粗い精度で「200年〜300年周期で大地震が発生する」と言っているのです。
このロングスパンの周期を突き止めるために、小山先生のもう一つの専門である「歴史地震」が用いられています。古文書に記された地震に関する文書を調べ「吉原では灯籠が倒れたという記述があるから、震度は6ぐらいだな」と見当をつける研究です。ひたすら古文書にあたり、いつの地震のものかはっきりしない記述の年代の見当をつけ、震度の見当をつけ、震源地を探っていくという考古学に近いものが「歴史地震」です。
地震予知の現在のレベルは「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」というものです。にもかかわらず《歪の再配列にともなう地震や火山噴火が、今後数年かけて東日本全体で起きていくことになるでしょう。》と断言できる理由が解りません。
今回うごいた太平洋プレートに沿った部分に歪みが生じているというのなら解ります。《実際にインドネシアでは》と小山先生が挙げている事例は、同じプレート境界で地震が続くことを示しています。なのでこの文章の主旨が「太平洋プレートの境界で、今回うごいていない、十勝沖・根室沖、伊豆諸島沖で大規模地震が続く可能性がある」なら理解できます。
もし歪みが異なるプレートもしくは内陸の活断層に生じると言いたいのであれば、同じプレート境界での地震を挙げるのではなく、内陸部で大地震が発生している事実、もしくは隣接する異なるプレートの境界で大地震が発生している事実を挙げなくてはなりません。
それでも地震や火山噴火が東日本全体で起きるという理由は何なのでしょう。現在の地震学で、そのような知見が得られるのでしょうか。
もし《歪みの再配列のために地震・火山活動が起こる》と言いきれるだけの知見があるなら、どこに歪みが生じていて、それがいつ頃解放されるのか言えるのではないでしょうか。「どこで解消されるか解らないけど、とにかく東日本のどこか」というのは、一体なんの根拠があって断定できるのでしょう。
小山先生が挙げられたプレート図を見れば解りますが、日本はいくつかのプレートがぶつかる地点に位置しており、大地震が起こりやすい国です。
しかしこれは、昨日今日そうなった訳ではなく、ましてや東北地方太平洋沖地震が発生してそうなった訳ではなく、日本列島が形成された頃からずっとそうなのです。東海大地震については、何十年も前から「いつ起きてもおかしくない」と言われ、東南海・南海地震についても警戒が続いています。
なので東北地方太平洋沖地震によって《地学的に平和で安定した時代は終わりを告げた》わけではなく、日本に住む以上は「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」状態にあります。
地震に対して備えるのであれば、地震のない日が何年も続いても、日々備えを怠らないことが重要となるでしょう。大地震が起きたからと言って慌ててパン・カップラーメン、トイレットペーパーを買い占めるのとは、異なる態度が重要です。
小山先生のテーマに「防災」もあります。事実を淡々と述べて行く中で防災意識が高まらず、歯がゆい思いをされたこともあるのではないでしょうか。そうした思いが、今回のようなある種「煽っている」文章を書かせているのではと思います。
ということです。
高校の必履修科目でさ
「日本史A」(2)または「日本史B」(4)または「地理A」(2)または「地理B」(4)
公民:「現代社会」(2)1科目または、「倫理」(2)と「政治・経済」(2)の2科目
理系でも受験に社会科をつかう場合、まあ国公立を受ける場合はほぼ必然だが、このうち一科目以上をBをとっとかないといけない。
理由はしらんけど受験校では現代社会よりも倫理と政治経済を履修させる傾向にある。
したがって大半の受験校では3~4科目、少なくても一つは4単位(週4日授業または2学年にわたって週に2回授業)の科目を履修する。
世界史はAかBか選べるとはいえ、全員が必修してるにも関わらず、国民の知識レベルはこんなんだからまともに守られていたとは思えないんだが、必履修科目未履修問題が起きて以来、ちょんぼは出来なくなってるはず。特に公立高校では。
コース分けが細分化するまえに、受験に必要ないが単位数として必要な科目は履修させたいから、どうしても1、2年は公民(現代社会、倫理、政治経済)の授業数が増える。
理科:「理科基礎」(2)、「理科総合A」(2)、「理科総合B」(2)、「物理I」(3)、「化学I」(3)、「生物I」(3)、「地学I」(3)のうち、「理科基礎」または「理科総合A」または「理科総合B」を含むたった2科目
やっぱ社会科は受験で使わなくても世界史は受けないとならなかった。
やっと国公立の前期が終了した……
巷にはこれから浪人生の成功体験記が溢れると思うから、少し早いけど、失敗談でも書いてみる。
ここでせっかくだし、オレのまとめでもしておこう。
中高一貫校に入学、もちろん例に漏れず勉強を全くしなくなる。高三の時は一応勉強をした気になる。
奇跡的に中堅私立にセンター利用でひっっかるが、事実上の全落ち。
そこは別に行きたくもなく出せと言われ出した学校なので浪人することにする。
浪人中は上位国立を目指してかなり真剣に勉強。しかしセンター大失敗。まともなに国公立には出せず、センター-30の
公立に出願。私立は上位には不合格、今年は中堅だけは受かった。後期は行くつもりのない地方駅弁。
たぶん中堅私立に行くだろう。でも個人的には納得して出した所だから、結果に悔いがあると言えばウソになるけれど、
去年のように行きたくないわけではない。
~これから浪人する君たちへ~
・予備校に通うなら、必ず友達を作ろう。いっしょに遊んだりする友達じゃなくて勉強の話ができる友達。
・予備校に通うなら、それなりのカッコをしよう。ジーンズに普通のシャツでOK。
オレは最初ジャージで通ってたら、最初に話しかけてくれた奴らに避けられるようになった。
で最後までそのまんま。友達できずorz
・現役時代は全く or 殆ど勉強しなかったけど、今年は予備校に通って真剣に勉強して旧帝か上位国立を
一年で目指そうというのは今年のオレの経験から言うと無理だと思う。
塾の紹介パンフとか見ればわかると思うけど、一年浪人してそういうところへ入学する奴は大抵が有名高校出身で、
去年の蓄えに浪人時代の勉強をプラスしてそういうところへ合格していく(例外はいるかもしれないけど)
それにもう一つは、予備校が授業を中心に行うところなので授業やテキストの質は高いのかもしれないけれど、
量がどうしてもこなせない。
毎日5時まで授業で、そっから今日の復習+先週の復習+英語の自習をしてたらすぐに9時になる。
本当にそういうところへ一年で生きたい人は宅浪するしかないんじゃないかな?
宅浪なんてムリだよ~なんて人は予備校に通って今の自分より2~3ランク上を目指すのが吉。
そうすれば現役時の1ランク上には滑り込めるはず。
実際オレがそうだしね。
・私立は過去問をやって合格ラインを超えたからといって安心してはいけない。
なぜなら、日本史世界史選択者には点数調整という大幅な減点が待っているから。
だから合格ラインが7割で過去問で8割なら落ちる可能性が高い。
実際、これで周囲の人間が何人も泣いてる。
・2chで参考書を調べてそれを買い揃えてやった気になるのは非常に危険
現役時代のオレがそうだった……orz
~予備校利用法~
この文章の内容自体が失敗談なので鵜呑みにしちゃダメだよ。
①毎日授業には必ず出て、終わったらその日の復習+先週の授業の復習
シス単のミニマルフレーズも暗記する。これに文法や英作で何度助けてもらったことか……
③土日は来週の分の授業をまとめて予習。これは①の先週の授業の復習の時間を確保するため。
先週の授業の復習を毎日やるには、これをやらないとできない。
④講師の言うことには基本従う
~なぜオレは失敗したのか?~
端的に言うと、自分レベルの人間が上位国立を目指すには勉強量が不足していたと思う。
去年は我流でやって失敗したので、勉強関係は全て塾にまかせていた。というか塾で課せられたこと以外はほとんど何もしなかった。
予備校の授業や教材は質は良かったのかもしれないが、やっぱり自分の学力を大幅に上げるには量をこなすのは必須だった。
けど予備校では、数学は一週間で12問くらいで、英語は1週間で多くて長文3本くらい。
でもこれは授業を行うという予備校のシステム上、仕方のないことだと思う。
だから個人的な結論で言うと、最初に書いたように、自分の現在のレベルと大きく離れた大学を目指すには宅浪って結論になる。
~浪人時代を通して~
確かに浪人して中堅私立しか合格できかったので周囲からは裏でかなりバカにされるだろう。
けれどオレは今年一年で今まで生きてきた以上のことを学んだと思う。
それを書こう。
こんなに集中して毎日勉強したのは初めて。いい経験になったと思う
現役時に妥協して何もしないで大学に行っていたらと思うと恐ろしい
・考え方が変わった
~最後に~
割と最近、「俺って頭いいのかもなぁ」ってそう思うようになってきた。
わかりやすいところで言うと学力がある。自分はなぜかやらなくてもできてしまう。
予習、復習もしてないし、ノートの取り方が上手いわけでも、特別な暗記術があるわけでもない。
普通にけっこう聞き流したり、よそ見していたり、落書きしたりしていても、
なぜか頭に入っていてテストで上位に入ってしまう。
それで塾とか予備校とか行ってる人を見ると「うーん、この人たち変なの」って思ってた。
だって普通に一日八時間、いや六時間は勉強していたらもうちょっといいとこ受かるでしょう。
単語、熟語、文法、構文を暗記していく。これだけだと思うんだけどね……。
といっても、このくらいの意見でもかなり日和っていて、
自分の場合は毎日映画見て、本読んで、休日はしっかり休んで、ってやってて受かったんだけどね。
自分でも不思議なんだけど英語だってぜんぜん勉強してないのになんか読めちゃうんだよね。
国語なんか、一ミリも勉強してないのに偏差値70オーバーが普通だったからね。
「っていうか、答え書いてあるじゃん?何でこの人たちは間違えんの?」って思ってた。
特別に英語耳を作ろう!とか頑張ったわけじゃないのに映画見てて翻訳の甘さに気づいちゃったりとかね。
「××が苦手」とか聞くと「なんで?参考書覚えるだけじゃん。何でそんなことに得手不得手が出てくるの?」って思う。
それ以外でも美術、建築、文学、地学、脳科学、哲学、サブカルチャー、
まぁ、一つのことを深くは知らないが(専門家には負ける)、どれも基本は満遍なく知っていて、
それらを繋ぎ合わし、応用して日々生活をしちょります。
はっきり言ってしまうと実生活であまり「この人すごいなぁ」って思うことがない。
「この人知識、薄いなぁ」「浅はかだなぁ」って」思うことの方が多い。
いや、ネットと教授陣は別よ。いわゆる大衆の現像を見つめているとね。
例えば人がなにかに感心していたりすると
「うわ、この程度で感心しちゃうんだ。今まで何十年も生きてきて
この程度のレベルのことに触れる機会なく過ごしてきたんだ……」
って反射的に哀れだな、って見下しちゃうんだよね。
もちろん、相手の言葉の持つ含意をすべて理解したうえででね。
で、最近になって自分は普通じゃなくてかなり恵まれている方なんじゃないか、って思い始めたのよ。
だってどうやら世間には、中学生にもなって九九がわからない奴がいるらしいし、
どんなに勉強したって結果が出てこないって人がいるらしい。
書店で英会話教材の山を見ていると、世の中の人ってどうやら頑張って教材と格闘して、
それでもできない、って人がいるみたいと思わせる。
背広を着た良い年齢の人が「中学英語の総復習」みたいなの広げててさ……。
こういう「できない人」に遭遇する度に「変なの」って思ってたんだけど、
どうやらこういう人が多数派らしいぞ? 俺の方が変らしいぞ? って気づいてきた。
だからさー、今まで特に頑張ってきたわけじゃないけど、
これからはもうちょっと頑張ってこの才能を活かしていこうと思っているわけですよ。
あいつらちょっと最近調子乗っていて悪い方向に進んでいくんじゃないかっていう予兆がある。
まぁ、それは冗談だけど、自分が天才だと自覚すると、なんか使命感が生まれてきますな。
みんなはどうかね……俺のこと天才かと思うかね……まぁそれはこれからの結果次第か。
少なくとも俺より偏差値低い大学に行っている奴や、俺より時間かけて勉強して成績悪い奴よりは優秀なわけだ。
それをどう活かすか……思い浮かばないってことは天才じゃあないのかもな。
01:03 百科事典
02:05 年鑑・雑誌
10:10(11-13) 哲学
11:14 心理(学)
12:15 倫理(学)
14:16(17) 宗教
15:18 仏教
16:19 キリスト教
23:28 伝記
25:29 地理
26:(29) 旅行
32:32 法律
34:335.336 経営
36:36 社会
37:37 教育
39:38 民族・風習
41:41 数学
42:42 物理学
43:43 化学
45:46(47.48) 生物学
51:51 土木
52:52 建築
53:53 機械
54:54 電気
55:547 電子通信
56:55 海事
57:56 採鉱・冶金
58:57.58 その他の工業
61:61(62-65) 農林業
62:66 水産業
63:67 商業
65:68.69 交通・通信
71:71.72(73) 絵画・彫刻
73:76 音楽・舞踊
75:78 体育・スポーツ
76:79 諸芸・娯楽
77:59 家事
81:81 日本語
82:83 英米語
84:84 ドイツ語
85:85 フランス語
87:82.86-89 各国語
98:(92-99) 外国文学、その他
いや、もちろんそうだよ。
大学で理系に進むなら、物理・化学・生物・地学、満遍なく勉強しておいた方がいい。それと数学も。
専攻に関係ないと思ったら、うっかりしたところで(特に、研究室配属になってから)登場する。
元増田の質問が「地学を専攻する・した理由は何?」だったから、
それに沿って答えてみただけ。そんなに厳密に言わないで(苦笑)。
とはいえ、自分は高専だったから、高校の事情はよく知らないし、
http://anond.hatelabo.jp/20080104210824
元増田です。ブクマの方に熱烈なご意見を頂いたので、つらつらと何か書いてみたいと思います。
2008年01月07日nagaichi不可知論いってるなあ…。デカルトでも読んで解毒したら?例えば大河ドラマを見ながら、武田信玄が実在したかどうか私は確認できませんとか、この人は言うんだろうか?俺も10代の頃はそういうこと考えたけどね。
2008年01月06日me-can-say-jinでは、あらゆる候補者をあなたは見たことがないから投票しなければいい。金融もサービスもネットも直接みえないのだから嘘かもしれない。ふ〜んて閉じこもって社会の外側の目に見える物だけで生きればよいです。
2008年01月06日zu2
2008年01月06日cubed-l自分自身の専門分野以外なんでも同じ。それでも楽に判断を下せるものはあるんだが
2008年01月06日good2nd「客観的資料とやらから妥当な結論を導き出す専門的能力がない」ので、アポロが月に行ったことも、水が言葉に反応しないことも、なにもわかりません><
2008年01月06日buyobuyoあたまがわるいそんなことは物理でも化学でも地学でも程度の違いで似たような構造があることになぜ気がつかない。何で歴史だけそういう風にしたいの?そこにお前の悪しき願望があるんじゃね?
2008年01月05日hagakurekakugo歴史修正主義微妙
2008年01月05日BigHopeClasic
結局、南京事件についても、どこか不可知論的に頭に放り込んどくしかないと思うのです。私も純粋に真実を知りたい一人なのですが、仕方ありません。
我々は原則的に<<生活世界>>の中で生きていて、その世界の中で「妄想」や「物語」を頂いて生きている、というのは周知のモデルだと思います。マトリックスの世界ですね。本当は目の前にある存在すら100%そこに存在すると確認することは出来ません。ただそこにそれが存在すると頭の中で妄想して生きている。化学の世界においても、原子や分子、そのまた原子核や中性子や陽子を実際見たことのある方は一人もいらっしゃらないと思いますが、あると妄想することを前提にその先の議論を進めているんですよね。物理の世界でもニュートン力学・相対性理論・量子論的に世界が出来ているという妄想が前提です。もっと言えば科学の前提にある数学、とりわけユークリッド幾何学上の公理からして幾分か妄想の域を出ないということもご存知であると思います。
ですが、ほぼ全てのことが妄想・物語であるから私は何も信じない!と宣言するつもりはなくて、社会の総意として「確からしい」とされている妄想・物語の大部分は私も受入れているつもりです。上に挙げた科学の諸理論であるとか、武田信玄がいたこととか、官僚機構や金融システムの存在であるとか。
ただ南京事件は決してそれらと同程度に、社会共有の妄想・物語とされているとは思えません。議論が過熱しているのがその何よりの証拠でしょうし、一般人にとっても「あった?」「なかった?」のどちらか分からないという程度が現状なのではないでしょうか。それは否定論者の宣伝が功を奏したのか、肯定論者の宣伝が足りないのか、その辺はよく分かりません。そして一般人としては、自力でどちらかの立場に到達するには、元記事にも挙げた1、歴史学的能力の点、2、資料収集の地理的・法制的制約等の点、で難しい。
ですからまあ、とぼける以外にないのです。
否定論者の方にとってはこういう態度は好ましくないのかもしれませんが、私のような一般人がとぼける必要もないくらいこの論点を「確からしい」ものとして物語化してほしいと思います。私もそれを受け入れられるよう体制をつくっておきますから、それまでは判断を留保しておくことをお許しください。
あんまり有意義なことかけなかったですね。でも書いたから上げておきます。