はてなキーワード: 在庫とは
黄金のマリオ像、というものを知っているだろうか? 1990年代の子供たちの憧れであり、ゲーム屋の怨念を掻き立てるアレのことだ。
任天堂が始めた「任天堂エンタテインメント」というフランチャイズシステムがある。任天堂の卸を担当している初心会に金を払うことで、大作ソフトが多数回してもらえるようになるのだ。通常はゼルダの伝説が20本しか入らないのに、これに入会していると400本入ってくるというわけのわからないシステムだ。かわりに敷地が何畳以上とか、保証金が最低百万だとか、それなりにリスクも追うわけだが。で、入会すると貰えた店用販促物がこの黄金のマリオ像だ。これがおいてある店は結構子供心に輝いて見えたものだ。店主からしたら忌々しさもあったものだろう。
今ではなぜか初心会がかつてゲーム業界を牛耳っていた悪の大組織に扱われ、その象徴としてこのマリオ像がやり玉に挙がることもあるのだが、もうちょっと詳しくここらの事情を書き残すことにする。おっと、私は決して業界内の人間でないので、そんな人間でもわかる範囲内のことと、想像できるものの話ししかしないぞ。
昭和の時代、ファミコンというものが生まれておもちゃ市場は一気に変わっていった。玩具のなかにデジタルデバイスが入り込み、子供たちは夢中でファミコンゲームを買い漁った。マリオ、ドラクエ、ロックマン、スターソルジャー……いろんなゲームが生まれ飛ぶように売れていった。するとどうなるか。街にファミコンショップというものがどんどん増えていった。
任天堂はおもちゃ流通として使っていた初心会を利用してファミコンソフトを全国に出荷した。この初心会とはようするに任天堂と付き合いのあったおもちゃ卸業の親睦会だ。もともとそんな大それた組織というわけではない。
もちろん昭和の時代からすべての小売店が初心会の問屋と取引しているわけではないし、おもちゃ卸業の会社の大多数が初心会に入っているわけではない。そのため初心会に非参加の二次問屋も多数いた。その二次問屋を通ってファミコンソフトを仕入れる小売店もまた非常に多かった。ファミコンが売れると嗅ぎつけた奴らはこぞって店を立ち上げ、夢中でソフトを仕入れ売りさばいた。ゲーム市場がどんどん大きくなり、セガやNECも独自の流通をつかってゲーム市場に乗り込んできた(一部セガは初心会を使ったりもしていたそうだが)。
ファミコンからスーパーファミコンへとプラットフォームを移した頃、いよいよ任天堂と初心会に難題が降り掛かってきた。「小売店が多すぎる」問題だ。
スーパーマリオコレクションを例にあげようか。どうやっても200万本は売れるゲームソフトだ。工場もそれを見込んで確保する。ところが小売店からの注文を吸い上げた初心会への注文は、それを遥かに超える500万本になる。
なぜこのようなことが起きるのか? 小売店が欲しい数をそのまま問屋に注文するからだ。その地方にすむ子供の数を見込んで小売店は注文する。しかし近隣のライバル店も同じ数だけ発注しているのだ。品切れを恐れた小売店の注文は初心会でまとめられたところで重複に重複を重ねた数字になってしまう。
ではそのまま工場をフル生産して500万本作るべきだろうか? 論外だ。そんなことをしたら小売店には大量の売れ残ったマリオコレクションが棚を締めることになるだろう。その結果はどうなるか。値崩れだ。そしてアタリショックの二の舞になってしまう。
よく「クソゲーの氾濫でアタリショックが起きた」といわれるが、事実はまたもうちょっと違う。クソゲーの氾濫の他に「価格の崩壊」もあげられる。小売店は売れなかったクソゲーを値引きする。値引きしたソフトで消費者は買う。そうすると正規の価格ではそもそも見向きがされなくなる。そのため正規の価格が守られなくなりどんどん値下げに走り、撤退・倒産したメーカーが放出した在庫がさらに市場に流れ、価格はさらに落ち込み……というデス・スパイラルが、アタリショックだ。任天堂は絶対にこの現象を起こしてはならなかった。
適正量を見極め適正量の製品を出荷する。その結果は「儲けさせる小売と、そうではない小売とを選別する」必要に強いられる。すべての店に平等にマリオを出荷すべきだろうか? いや、そうではない。不人気ソフトでも買い取ってくれる、不良在庫を引き取ってくれる小売店を初心会は優遇しようと考えた。人気ソフトしか買わない小売店は卸からしたら不要なのだ。そんな店なら上得意の店に回したほうがマシだ、というわけだ。
それまで抱き合わせ販売をして初心会は小売店を選別してきたが、さすがにいよいよ無理がでてきた。この状況を打破するための小売店選別システム。それが上記の任天堂エンタテインメントであり、黄金のマリオ像なのだ。なんなら小売が卸を担当してマージン取って他の小売店にまわしてもよい(まあこれは表向きはNGということになっていたが)。なお、「敷地面積○畳以上」という条件を満たせなかったプレハブのようなファミコンショップも当時は結構あった。
ところがこのシステムもスーパーファミコン末期には崩壊する。任天堂エンタテインメントに参入する小売自体が増えすぎてきたのだ。さらにはその地方に一店も任天堂エンタテインメントに参入していないような状況だとむしろ在庫は拮抗して小売店にとっては不都合がなくなる。そうなると「誰も参入せずに困らない地方」と「全員参入してしまって困っている地方」とが生まれてくる。最終的に「入れば儲かる商材が大量に仕入れられる」から「入らないとそもそも入荷しない」にまで悪化する地方すら生まれたという。小売の選定にも限界が来てしまった。
そうした状況がプレイステーションによって完全に破壊された。ソニーは独自流通で直接小売店に卸たのだ。問屋は不要になった。問屋は今まで選定する立場にいたが、以降は選定される側に回った。初心会内で吸収合併が続き、数をどんどんと減らしていった。初心会外の問屋も潰れるか、吸収されるかになっていった。初心会はいくつかの改革を行ってきたものの、結局プレイステーションの攻勢に太刀打ちできず解散した。解散後も任天堂の意向を汲んだり任天堂に意見をいったりとしてそれなりに機能していたが、岩田社長へと社長交代が行われたあたりでその動きもだいぶ削がれていった。
なおソニー流通でもいくつかのごたごたがあり、最終的にはゲームメーカーが自社独自の流通を持ち直接小売店に卸すようになった。これがPS1後期。今では大手ゲームメーカーの自主流通に、中小サードがぶら下がる形でゲームは流通されている。みんな大好き日本ファルコムはコナミが流通を担当しているぞ。
初心会は決して業界を牛耳っていた悪の組織ではない。アタリショックの幻影に怯えそれを阻止しようと尽力し、結果滅んでいった(厳密にいえば滅びてはいないんだが……)清濁併せ呑む存在だ。黄金のマリオ像は小売からしてみたら忌々しさを覚える象徴だろう。しかし初心会からしてみたら、それなりに自己の正義というものがあったんじゃないだろうか。
※追記
こんなつまらない日記をブックマークしていただけて感謝。すごく嬉しい。いくつかブコメに返信する
>従事る
多数指摘をいただき大変申し訳無い。何分脳が8bit故許してもらいたい
>任天堂を絶賛するやつってこの話題絶対触れないよな。これのせいでメガドライブとPCエンジンのソフトがどれだけ買いづらかったか(入荷数が極端に少ないという意味)
たしかに小売に対して問屋が「他の所とは取引するなよ」と圧力をかけたという証言はあるのだけれど、じゃあ実際どうだったかというとNECがPCエンジンのCD-ROM2ユニットを売り出したときには至るところから寄越せ寄越せの大合唱になったということもあるんで、「上手いこと小売もやっていた」んじゃないかと思う。もしくは問屋も自分のところを経由する形なら文句言わなかったとかかな。
PCエンジンとメガドライブはただただ出荷量が少なかった。めちゃくちゃ売れたイース1・2やソニック・ザ・ヘッジホッグで30万本くらいだ。同時期のスーパーファミコンはミリオンソフトがずらりと並んでいる。小売は当然売れる商材を中心に揃えるわけだから、圧されてしまうのは仕方ないんじゃなかろうか。
そうして売れる商材を揃えている初心会だからこそ、横暴なことをやっても小売は耐えてきたわけだ。単純に販路が弱いっていうのもあるはずだ。スーパーファミコンは初心会とそれに非参加の二次問屋を巻き込んで在庫のやり取りをしていたので品切れをしてもリピートの確保ができた。PCエンジン、メガドライブはそこに余裕がなかったので即メーカー発注になり、そこにも在庫がなければリピート待ちだ。
>権力もってる人間がオトモダチ優遇したりグレーな事やってたりするのを悪の組織と呼ぶべきではないかって言うと・・・
オトモダチ優遇なんて話しじゃないよ。単純なビジネス上の付き合い。ドラクエとマリオしか欲しくない小売は多かっただろうけれど、そんな小売は問屋からしたら何の魅力もない取引先だってことだね。
>ゴールドマリオ像懐かしいな/最近の任天堂絶賛派はこの件を知らないか、知ってても「流石山内組長は商売上手!」みたいに言うのではなかろうか
山内社長から出た案ではないと思う。というか任天堂発案ではないんじゃないかな。マリオ像も販促物も初心会名義だったので、集まった金は初心会で管理していたのだろう。任天堂からしたらどこの小売に儲けさせるか云々はさすがに範囲外だからね。
これに関しても面白い証言があった。確かにROMはリピートに二ヶ月以上かかり、CD-ROMは3週間ほどで生産できたというんだが、「在庫がなくても問屋にある。問屋になくてもメーカーにある。メーカーになかったらいよいよリピート待ちになるが、3週間後でも二ヶ月後でも結局熱が覚めてしまうから同じことだ」というもの。プレイステーションは問屋とメーカーが一体化していたから、初心会内でやりくりしていた任天堂と比較して在庫の数という面では不利になったかもしれない。ファイナルファンタジーみたいなリピート待ち必須の超人気ソフトはさすがに恩恵があっただろうね。
続きを希望されてて嬉しい。実はネタはあるから、気長に待っていて欲しい。初心会から開放された小売がどうなったかというと、あんまり明るい話題じゃないんだけどね。
https://anond.hatelabo.jp/20200130091130
このときも日テレはZIPを通じてただただマスクが品薄であることだけを報道して、マスクの有用性についてはほとんどの検証を避けた。
その結果国内でもマスクの品薄が発生して本当に欲しい人に届かなくなった。(通勤前に見ることができるのがZIPなだけで他のワイドショーは知らない。)
それからもZIPを観察しつづけたけど、マスクに対するエビデンスがしっかりと検証されるような内容が放送された記憶はない。
日テレにすべての責任があるとは言わないけど、1つのメディアとして不安を煽るような内容だけを報道するのはどうなのか。
そんなZIPで今度は中国野菜が品薄で、その在庫が尽きれば国内の野菜が奪い合いになると報道していた。
またそうやって不安を煽ることだけをする。
その報道には量的要素が全く含まれていなくて、そうなった場合の市場の調整機能がどれくらい用意されているかの説明の一つない。
市場関係者のどれくらいからインタビューしたかしらないけど、一人の市場関係者だけが野菜が入ってこないとコメントしたものを、まるで市場全体がそうであるかのように報道していた。
それが自分たちの報道に都合の良いコメントを残した人間のコメントだけを報道して、直接表現は避けつつも今のうちに買いに走ったほうがよいですよと扇動していることと何が違うのか。
これはすでに市民のパニックを引き起こそうとするテロといっても過言ではない。
そもそもこのニュースを否定する側に中国からの輸入量とか国内の生産量を用意させるのはおかしい。
こうしたニュースが流れる度に、視聴者側の意見が一定数集まればメディア側に報道内容を証明させる仕組みを作るべきではないか。
例えば予想視聴者数のうち3割程度の数が疑問を持つと回答が集まった場合はメディアはその内容を証明するための量的データやエビデンスを集め、それが報道と矛盾した場合は一定期間謝罪と正しいデータの報道を繰り返さなくてはならないとか。
そういう緊張感もないまま、市場関係者の個人的意見をあたかも全体の事実のように報道するのは甚だ疑問でしかない。
BPOはしっかりと仕事をしてほしいし、例えば民法の流したニュースを変わりにNHKが検証してくれるっていうなら受信料だってこれからも喜んで払いますよ。
芸能人のゴシップを流す感覚で人の命に直結する情報を扱わないでほしい。生殺与奪に影響があるのだから殺人に加担するかも知れないくらいの自覚を持ってくれ。
当たり前のようにマスクをつけて街を歩くサラリーマン、若者、老人、そして子供たち。危機が身近に迫っているのをまざまざと思い知らされる。
だが私の同僚は、こんなことを口にするのだ。
「マスクなんて意味がないし、むしろ保菌してますってアピールしているみたい。私はマスクはしない」
これは、ある意味間違ってはいない。感染者が拡散防止のためにマスクをするのは明らかに効果が認められることは周知の事実であるし、ウイルスをもらわないことを目的としたマスクの効果はないとは言わないまでも非常に限定的であることはよく知られている。
しかし、だからといってマスクをしないのは、根本的に考え方が間違っている。
効果があるかどうかに関わらず、このような事態ではマスクをすることが「当然である」と多くの人が感じていることを認識しなければならない。そしてそれに同調できない人は、常識がないと思われるだけでなく、仮想的な「キャリア」であると見なされる。
人は他人を信用しない。だから、もしあなたが他人の前でマスクをしていなければ、あなたはその人にとって危害を加える可能性がある「敵」と見なされる。
仲間に入る方法は簡単だ。マスクをつけさえすればよい。そのマスクに効果があるかどうかは関係がない。装着方法が多少間違っていたとしてもだ。その行為によって、他人はあなたを多少なりとも信用する。万が一キャリアになってしまったとしても、周りは同情してくれるだろう。結果が同じだとしても、マスクをしていたかしていなかったかでその先の人生は大きく変わる可能性がある。
マスクはあなたをウイルスから守ってくれないかもしれないが、あなたの信用を守ってくれているのだ。
だから、マスクは無意味などという考えはいますぐに捨てたほうがよい。在庫はどこも底を尽きようとしている。今すぐに行動しなければ、あなたは社会から取り残されてしまうかもしれない。
生きていくのには何を作るかなんだよね
何をするかじゃないんだよ
していることを経過時間で評価してくれる学校という制度を過ごしたあとでなんにも考えてないと
「なにをするかだ!」とか考える人が多いけど
なにかを生産してほかの人の生産ができないものや足りていないものを補う形で
その補う差額を報酬として受け取らないといけないんだ
絵を描くっていうのは手段であってアートなんだよねアートオブマイライフ
それを売るっていうのはユーチューバーになって24時間自宅のカメラで生放送するのと同じ
たぶん人気でると思うよ たぶんけっこうかせげる
さすがにそれは無理だわっていうから才能の一部である絵とか技術の一部である写真とか
それを利用した小物にして売り切り商品として小売りにするんだよね
報酬があるかどうかっていうのは別の話として仕事してるわけじゃん
そのライフのワークの仕方がアートなわけだよねアートオブライフ
それを売るかどうかは別の話じゃん?
どこをどれだけうっても無限に湧き出てきてどこを売ったらおわるのか
いくらでそれを売るのかっていうマネジメントしないといけないよね
絵をうって転売転載され風俗バイトのポスターに使われフェミニストにたたかれとかされるのか
人気画家としてうれるのか絵画教室をひらくのか個展として入場料を取るのかあるじゃん
高級腕時計とか自動車みたいに現金としての留保を数字にださないように
経費で絵画を購入してその現金を壁掛けの金庫として保管している状態にするとか
そういう用途のために使われる物理的な証券的意味合いの美術品として
オークションや美術品協会内でその価値を掲載して保証している価値の代替品としての
美術品もあるよね
書くことじゃなくて売ることがいるわけで
売るためには売り先が必要で
必要を創出するのかだよね
人に受け入れてもらえないからいい子にしていないといけない
したくもない仕事をして本当にしたいことを夜の街で酔って
疑似体験するのはアーティストの葛藤なんて比較にならないのじゃない?
アーティストの自殺率と学生やサラリーマンの自殺率比べてみようよ
いまお金になってるものをメインにやるのが一番じゃないってことじゃん?
絵よりもバイトのほうが収入があるならバイトで正社員めざしたほうが
クライアントにってクライアントを捕まえるがのそんなに簡単だと思う?
つかまえる腕もタイミングも環境もあるんだからそこにより多く接する必要があるよね
そこでお金にならないことをしないといけないのならその資金力もいるわけで
お金をかせぐためにアートをするためにお金が必要っておかしくない?って思うけど
アートというのがお金になるから仕事をとるために手数料を払うってことじゃないよ
お金をもっている特定個人がそのお金の使い道としてその商品を購入したいと思って
お金をつかって仲介業者がそれをアートと称してその業界の名から一つ売り上げをあげて
在庫がひとつへれば業者は二つ購入しておこうかと予定をたてるじゃん?
おかねもちのいまの購入動向とそのリストにのる名前に割り込むをしないと
絵なんてかいてる場合じゃないし写真なんてとってる場合じゃない
どうせ高いところでろくに細かいものが見えてないんだからはやりのゲージュツとか
むかしの絵画や美術品骨董の価値観をそのまま購入したりしてるだけ
売り手がやばいくらい売り込んでプロデュースしてるアメリカでは
ディレクターがゴミにでも価値をつけてオークションにブッキングするから
カタログに載ればなんでもいいんだよね
そこで貨幣とおなじくらい価値がでるように独自性があってコピーがしにくい
それを業務で利用することで利益につながるものが漫画だったりパッケージデザインだったり
その絵柄を特徴づけて自社製品の目印になる作品を購入したいよね
それが順位としてどれくらいなのか、比較検討できないと価値もつけられないし
どんなすごい技術がつまった作品でもその業界や学会で評価されないと
値段をつける人がつけられないから買えないよね
ただただすごい見てすごいからすなおにただお金をだしたいっていう作品
がもしあるとするならそれをどこで見つけるのかってことだよね
みつかったとしてその取引をどうまとめるかだよね
そういう業者や業界の充実やお金持ちだけがあつまてる芸術学会が
そういう単位でお金をやりとりしているだけのところで芸術やってこうっても
まずお金がないならアートを二束三文の事務で消費してるパワーポイントができる程度と
かわらない扱いの界隈で生きていくしかないよね
無駄な苦しみをしている努力の芸術家はたくさんいるのだろうと思うけど
水滴が岩を穿つようにそのなかからたまにあたりがでたらいいよね
千や万の芸術家の屍の山がその千分の一とか万分の一の割合でまわってきた運を
つかみとった瞬間の輝きをアートとしてみることが芸術そのものだと思うので
かれらが芸術家ってがくぶちのなかでいきながらにもだえてひとのふみだいになっていくさまの絵を
みる楽しみをしているその芸術のたのしみかたもいいんじゃない?
芸術家とやらの人たちが地の底でもがいて人の上にのりあげてすこしでも天に近づこうと
時に落ちたら死ぬようながけにたつことを「アート」と言ったり想像しえなかったひどいことを
人にしかけることを「アート」といってみたりしてる辺境の地獄から正統派の技術を積み上げていけば
貧乏で無名でも欲を出さず積み重ねていけば価値になると信じて地獄の中央でほかの人の足場として
いい趣味してるよねー
理由としては、加盟店社員側と意思疎通ができておらずストレスが溜まる環境だった。
とある作業について、全員が共有すべきだからアナウンスして欲しい
忙しいのか忘れているのか、どちらもスルーされた。
ストレスが日々溜まって、頭痛薬を大量に流し込む日々が続いた。
その時早朝勤務が無断欠勤したのだが
もう一人だけ、しかも何か重要な発注をやらねばならないのでと言われ
広い心で見るべきではあったと反省はしているが
当時の自分にはそんな余裕がなかった。
ありがたいことに即採用となった。
そして時間が来たら帰れることも。
ただし、廃棄の持ち帰りはできないこと
服装が決まっていること
時給が高い代わりに勤務地が選べないこと
などがデメリットとしてあげられる。
するとすぐ紹介されて、何軒か勤務させていただいた。
これまた店舗によって型が違う。
洗う箇所はだいたい一緒だが、細かなパーツが違うなどで少し苦労する。
そしてここはトイレを貸す際は、買い物が条件でかつトイレの鍵を貸与するという
大変珍しいスタイルで、トイレ貸してーといいつつ歩くお客さんにいちいち呼び止めて
これくらいやらないといけなくなった理由として
利用客はありがたく使わせてもらっているのだと
肝に銘じねばならないと実感した。
また洗い物やレジだろうなと思ったのと、夕勤のおばちゃんスタッフから
洗い物やってていいよ、とのことだったのでできるところから進めたのだが
店長が出勤してくると高圧的な態度で、洗い物は私がやりますから、とピシャリ。
言い方がたいへんキツイ人ではあるが
話を聞くとコンビニ勤務はかなり長いらしい。
そのプライドがそうさせるのか、この店長さんが日々洗っているのかわからないが
フライヤーに使う備品の全てが新品同様に綺麗に洗い上がっているのだった。
しかし、この店舗のGoogle マップの口コミには
さもありなん、といったとこか。
派遣の辛いところとしては
(場数をこなせば、あぁ、あの店舗ねって思い出すのだろうが)
それらが何一つ同じでないのが苦労する。
お札も、9枚の束を1枚のお札を半分に折って重ねることがあるかと思うが
少々パニックになることもあった。
在庫が一個になったら補充してください、だったり
とりあえず補充してね、のアバウトなところもあったり
固定スタッフには当たり前のことが
ここも苦労するポイントといえる。
他にも苦労した点は多々あるが
続きます。