はてなキーワード: 在庫とは
直接の関係はなくて、「年に数回会ってごはん食べたりする知人」の妹さん。
前回会ったのが3回目、その前2回は挨拶して世間話(暑いねとか帰りの電車は何時?とか)程度です。
うちに来た理由は、
・みんなと遊びに行きたいのに家が遠いから早く帰らなきゃいけない
・都内に家があったらよかったのに。
ということらしいですが、ここからの飛躍がすごいので、驚いてください。
そういえば姉の話にたまに出てくる増田さんって都内の人だよね!
→そのとき○○や××を教えてあげたら一緒に萌えてくれるかな? いや、萌えないわけがない!
→ついでに原稿を一緒にやってくれたらいいな、いや、お手伝いしてくれるよね!
→そしたらイベントとか一緒に行ったりして! 連れて行ってあげるから売り子は当然だよね!
→こんなにいろいろしてあげるんだから、ごはんおごってくれるよね!
→これってもう相方だよね。相方にしてあげるんだから在庫とか置いといてくれるよね!
→相方なんだから1ページくらいは書かせてあげる。印刷代は折半よ!
→相方なんだから東京に行きたいときはいつも泊めてくれて当然でしょ!
→じゃあ、内緒で行って驚かせてあげよう♪ 荷物もいっぱいだから宅配便で送ればいいよね♪
ここまでついてこれたらかなりのつわものですw
えー
段々荒くなりながら「ふざけんなよ真面目にやれ」を繰り返したし
なんで在庫がないのかについてもうるさく聞かれる羽目になってるし
なんにも労力節約できてないよ?
稀なエラーについて、
マニュアルがない、作ってられない、
まではコストの問題としてわかるけども
同じカードで、いくつかの注文だけ「カード情報がおかしい」って言い出すわけよ。
俺も稀なことが起きてるっぽいというのは何となく察せたので、起きたことをなるべく細かく順に書いて
「なんか変なエラーが起きてると思うけど対処してくだちい」って書いたのよ。
ちゃんと丁寧に書いたんだぜ。
起きた事はしょうがないけど、
それに、それだけやらせて結局商品の在庫がないっつーのはエラーなのかね?
さすがにこっちはなんか中の人がだらけてふざけたことやってる様にしか思えないんだが。
アーーー腹立つ!
してねーよ!w
アマゾンサポート(という名の小学生)は何故かしきりにキャンセルを勧めてきたけど
俺は「キャンセルなんかしねえよ、いいからカード情報変更できるようにしろ(要約)」と要求した。
「こういう操作をして、通らなかった、これは多分アマゾンのシステムがなんか変になってんだと思うよ(要約)」
そしたら君のように、こっちの書いたことをまるまる無視して「通るはずです」みたいなトンチキ返信をよこして、
無駄な一往復をしたあと、「住所が変更されて居るからカードが通らないのです」という意味不明な解決案が来て、
しょうがないからその注文の送り先を変更したら(変更っても全く同じ住所なんだが)カードの更新も通ったわけ。
だから押してねえよ!
それ、キャンセルしたから、在庫が流れたんだろう。なんで、キャンセルしてんだ?
Amazonなら、新しいカード情報追加で、カード追加した後に
古いオーダーの 支払方法変更で カード情報だけ 変更すれば オーソリー通ると思うが?
Amazonで商品のキャンセル押したら、そらそうなる可能性がある。
カードの期限が切れるほど入荷に長い時間かけたのはamazonだが
まあここまではいいさ。
素直に更新した新しいカードの情報を登録しようとしたら、アカウントサービスが言うことを効かない。
システムのメッセージで何故か「カードの情報がおかしい」と言われる。
で、
「こんな出てるけど何。新しいカードは絶対生きてるしミスタイプもしてないよ(要約)」とサポートにメールを送ったら
「カードの情報がおかしいからキャンセルしてもう一回注文してくれ(要約)」と返答が来た。
お前それ、エラーメッセージそのまま読んでるだけじゃねえかと。
「それのどこがサポートだボケ!真面目にやれ!(要約)」と送ったら、今度は
「住所情報が正しくないからカードも無効になってる、手続きして直してくだちい(要約)」とかわけのわからないこと言う。
俺は間違った住所なんかamazonアカウントに入れてないし、長年同じ住所に送ってもらってる。
もう意味がさっぱりわからんけど、すでに入ってるのと同じ自宅の住所を入れなおした。
そしたらカードの情報も登録できたので、意味がさっぱりわからんけどまあ解決らしい。
「キャンセルするならここから手続きしてくれ」なんつーメールがきやがった!
じゃあお前、面倒なメール往復して支払い情報登録したのはなんだったんだよ!
だいたい「商品が入荷して発送準備段階に入った」って言ってたよな!?
その商品どこやったんだよ!この数日の間にキープしないで売っちゃったのか!
それとも元から入荷って言うのが嘘だったのか!
前にもおんなじことがあって、
その時はコンビニ支払いを指定してたので
なんなんだこれ?
アマゾンて販売部門は優秀だろうしとっても便利だけど
サポート部門は小学校低学年と文通してるみたいな気分にさせてくれる。
1回だけならたまたまだと思ったが、1回じゃない。
売り子(店頭販売)もライン工もアルバイトでやったことあるけど、
ライン工は朝8:45始まりだったけど10時位に10分休憩あったし、午後3時にも休憩あったよ。
で流れ作業だから残業も1時間ならその時間内に洗浄など片付けも入っていた。
ある意味、ホワイトカラーよりも時間や疲労による作業ミスも考慮されていて理解があったと思う。
ただ、扱っている製品も工数も多いし、新製品が出れば全部変わってしまうのでこれを覚えたら大丈夫っていうのはなくて、
数年勤めないとベテランになれないと思った。
(ちなみに食品ではないけど衛生・品質管理が厳しく単価が高い一般向け製品でした)
自動車とかもっと大規模なところはその辺きちんとやっていると思う。
(休憩しないと能率落ちるし、休憩するって時間を決めないといっせいに止められないから)
売り子は接客と陳列(ディスプレイ直し)を交互にやったり、お客さんが少ない時はバックヤードで在庫数えたりして
疲労が顔に出ないようにそこそこ息抜きできるようになっていたよ。
まあ、食品ではなかったしスターバックスみたいにスタッフ一丸で社内バリスタコンテストを応援(時間外)というお店ではなかったかもしれない。
円高だから輸出が伸びないのではなく、輸出先に購買力が無いから、輸出が伸びないのである。
円安にする為に、去年の9月に円売り介入をしたが、その結果、どうなったか。輸出したくても、相手先では食料や燃料の高騰によって可処分所得が食われ、工業製品の購入・更新は先送りになっていて、輸出は大幅に減ってしまっている。せっかく円安に誘導したのに、輸出先の在庫がだぶついていて、出荷したくても受け入れてくれない状態となっている。
つまり、通貨の切り下げ競争をやっている相手国に、輸出をする為に同じように通貨の切下げで付き合っても、相手国の消費者はエンゲル係数が上昇している為に購買力が減少し、輸出しても在庫が積み上がるだけで、利益に繋がらないのである。
通貨の切り下げで輸出が伸びて相手国の産業を空洞化させる事ができるのであれば、国際的経済戦争の手法としては有効であるが、相手国に購買力が無い場合や、相手国の国内産業が生産する製品よりも高性能で安価な製品を作り出せない状態では、通貨の切り下げは間違った政策となる。
後進国・中進国は、この間違いを実行してしまい、輸入物資の高騰を発生させ、国内経済を疲弊させてしまい、政情不安を招いている。
食料や燃料といった生活必需品のコストが高騰していて、工業製品に対してお金が回らない状態は、当分続くであろう。工業立国を続けるには、少なくなったお金を吸い取れるだけの信頼性と利便性を実現した製品を供給する事でしか、成立しないわけで、かつ、後進国・中進国に出て行った工場ではコピーできないような製品でなければならない。そういう製品を生産し、そして、国外に余計なお金が流れていかないように、低レベルな製品も国内生産に戻す事が必要となる。
購買力が小さくなっている市場においては、営業マンを送り込み、その国内のメディアに宣伝を流して製品を売るというやり方は、通用しない。市場規模が小さすぎて、営業所や支店を置けるだけの売り上げが維持できないのである。宣伝はインターネットで行い、個人輸入の形で購入して貰うという手法へとならざるを得ない。
宣伝は個別の製品の宣伝だけでなく、企業の信用度を上げる宣伝も同時に行わなければならない。個別の製品の宣伝については、過去の手法が使えるが、企業の信用度を上げる宣伝については、過去の手法は使えない。親戚が従業員になっているとか、本社ビルや工場といった物件が目の前にあるといった信用創造が通用しない顧客に信用してもらうにはどうすれば良いかというと、その企業を支えている株主やユーザーといったソーシャルネットワークの広さ、実存を、その企業のwebにおいてアピールするとなる。インターネット上の既存コンテンツをミラーして、投票によって入れ替えを行っていくという手法は、その手段の中の一つである。
リストラによって親戚が解雇されたとか、工場が廃止されて海外に出て行ったといったことで、社会の中における存在感が希薄になっていくと、外資と信用度に差が無くなり、余計に過酷な競争に巻き込まれるというのが、日本の産業が陥っている失敗の原因の一つと言える。
対策は、企業側だけではなく、政治の側においても、行う必要がある。食料や燃料を生産する方が、はるかに楽なように見えるが、それらで養っていける人員の量には限界がある。日本にとって、工業立国は、当面は過大な人員を食べさせていく為に必要な選択であり、特許権や著作権等の知的財産権や、懲罰的賠償制度、許認可、立地制限といった制度を改廃し、起業を行いえて、しかも、競争が活発化するような産業育成が必要となる。
インクのついた紙の束は、はっきり言って、場所塞ぎである。印刷所で出荷日出荷予定時刻の数時間前から生産を開始されて、出来上がると同時にトラックにのせられた商品は、取次ぎの仕分け所に運ばれ、そこで、全国の書店に向けて、一店舗ずつのダンボール箱に詰められる。このダンボール箱が、再びトラックに載せられて配達される。
去年一年間に発行された新刊は、78501タイトルであり、一日に215タイトルである。去年の一月の時点で、全国の書店数は15500店ぐらいとされている。
単純に、発行部数が15500冊よりも少ない本は、日本全国の書店には確実に配られないし、都心や人口密集地の駅前店などの立地の良い店には重点配本されるから、過去の販売実績を見て、その書店に向いていない商品は、最初から配本されないという事もある。初版3000冊程度だと、有名店上位200店舗ぐらいと、発売前から購入予約を入れてくれている図書館分しか、配本されないと考えた方が良い。
それなりの規模の書店であれば、毎日数箱、立地が良くて売れる店だと数十箱の新刊が詰まったダンボール箱が届き、返本率を70%とすると、そのうちの30%だけが売れて、70%が、売れ残りとして、取次ぎに返送される事になる。
書店の棚に仮に1万タイトル並べられるとしても、一日に215冊出てくる新刊を全部並べ、古い本、すなわち売れなかった本を返本するというFIFOをやったとすると、売れた本の分だけ並べる余地が増えるので、書店に滞留できる日数は66日となる。約2ヶ月である。
実際には、1万タイトルのうちの大部分が、雑誌と文庫とコミックと実用書でしめられていて、文芸書等の売れない本は、せいぜい1400タイトル分位のスペースしか与えられない。客が買っていってくれなかった本は、2ヶ月ぐらい棚に展示された後、出版社の倉庫に返送されて、断裁処理されると考えて差し支えない。
半年間、図書館の取り扱いを控えるという事は、半年後に購入しようとしても在庫は全部パルプに溶かされてトイレットペーパーに再生された後であり、出版社としても、品切れにつき出荷不能という答えを返すだけとなる。図書館が新刊販売と同時に購入した書籍を、半年間、倉庫に寝かせて置けというのであろうか。半年間貸し出ししないのであれば、それを読もうと言う物好きな人は全部購入してくれる筈であるという目論見で主張しているのであれば、図書館が半年後に貸し出し可能としても、誰も借りないという事になる。つまり、図書館にとっては、購入費用と倉庫代と産業廃棄物処理費用が、丸ごと損失となるのである。
繰り返し読み直すような内容であれば、手元に置いておきたいという人も出てくるであろうが、文芸作品で、そのようなレベルに達しているモノは稀であり、その大部分が、一回読んだら十分という読み棄て小説である。
小説の大部分が読み棄て小説である事に気がつくほどに大量の本を読んだ人は、図書館のような、ゴミとして棄てる手間が省ける上に、ただで読める場所を利用するようになる。これが、図書館が文芸書を、短期間で需要が無くなって廃棄処分になると知りつつも、新刊が出るたびに購入して棚に並べる理由である。
新人の文芸作品をわざわざ指名買いしてくれるのは、蔵書リストに新刊をずらりと並べる事が存在理由となっている図書館だけである。
ネームバリューがあるが、作品はわざわざ買って読む程の価値は無いと判断されるような人の本は、図書館の予約リストの人数が膨大になる傾向があるが、予約者数=購入者数ではない。閲覧に対して著作権料を支払えという考え方であれば、代金の大部分がインクのついた紙の束の制作費と物流・販売手数料である媒体を使い続ける事に正当性は無くなる。
矛盾こそが人間性であるという哲学的主張を行うのであれば、そこに一捻りをいれて芸にして見せてこそ、文章芸人と言える。インクのついた紙の束という物質媒体が抱え込んでいる矛盾を放置したままでは、芸が無い。
図書館が買わなくなったら、ネームバリューの無い新人の本は、余計に売れなくなるという自滅願望の発露なのであろうか。そういう芸風は既に時代遅れなので、読む価値が無い駄作とわかる分だけ、親切と言える。図書館も、出版社側の意向にそって購入を取りやめ、半年後に注文を出して、品切れなので取り扱い不能とし、その本と作家ごと、無かった事にするのが合理的な行動となるであろう。出版社側が半年間在庫を抱えてくれなかったという事で、その本の価値については出版社側が判断を下しているとなる。図書館側には責任は無いとなるのである。
そういう特殊な状況がある社会だと仮定するとしたばあいで、かつそれが、延命ではなく根管治療の場合
まず、一般的には特殊ローンで銀行などがなぜ貸さないのか?保険は降りないのか?社会福祉制度はどうなっているんだ?
商業原価には研究費や薬局の維持費、人件費なども含まれるので5倍程度なら妥当。
これを100万円で売っていたら、薬局の店主が餓死して以後誰も薬を作れなくなる。
よって、薬を製造原価で売れというのは、患者を皆殺しにしろというのに等しい。(奇病で在庫のストック管理原価などを踏まえると薄利多売ができないので高くなる。)
したがって、そういう話をするのであれば、借りるつてがなかった。とひところで片付けられてしまうところがトリックで
実際はそんなことないんじゃないの?前提が間違ってるんじゃないの?という設問への疑問を差し挟むべき。
制度としては日本の場合国民皆保険になっているのだから、国民保険による一定額以上の支出の払い戻しによって対応するか
特殊ローンとして国家機関の金融機関での貸し出しを検討すべき。
つまり、国の福祉の問題であってN薬局は関係ない。あるとしたら、国家機関が保証する手形決済には対応しろという話でしかない。
※逆に、この薬が有名な場合、薄利多売が可能になるし、そうでないとしても、より国家機関の介入が多くなる。ということで、原理は同じ。
実家がフレンチレストランを経営しているが、グルーポン系の会社からの営業電話が、このところ頻繁にかかってきている。
ご存じのようにグルーポン系のサービスは各社雨後の筍状態で増えている。そのほとんどが食べログかぐるなびに掲載している飲食店に電話営業の絨毯爆撃を行っている状況なのだろう。
内容もみんな似たり寄ったりで、とにかく半額クーポンを出せと言う。
その度に、電話に出た父か母が「そんなんじゃ原価割れになりますので無理」と返し、「余っている在庫をうまく売ってくれればいいんです」と、これまた判に押したような答えが返ってくると言う。
さて、バードカフェの件で様々な人がすでに語っているように、飲食店の原価率は3割程度だ。どこもここはそう変わらないと思うが、例えば3500円のプリフィックスコースの原価は大体1000円強。1980円のハウスワインのボトルは650円が仕入れ値だ。
これだけ見れば、たとえばプリフィックスのコース二人分にハウスワインのボトルをつけて4000円以下のクーポン作れると思うのも無理はないかもしれない。
結果、粗利は500円程しか出ないわけよ。
例えば一日40組の客が来たとしても、粗利は2万。
元の値段で4組来てくれた方が、利益は出る。
普通にいらっしゃったお客さんを満足させられる対応なんか出来ない。
こう反論をすると、グルーポン系企業はこれまた判で押したようにこう言う。
「その40組のお客さんがリピータになると考えればペイしますよ」
客単価2000円の客が、4000円出しても来るとでも思うのだろうか?
もし40組中1組がリピータになったとしても、荒れた状況に嫌気がさした常連さんが1組は逃げるだろう。
というわけで、まともな飲食店であればグルーポンなんか手を出さない。
1.にわざわざ行く必要はない。バカはまともな料理を出せないので、2.に行く必要もない。
おせちはこの両方が当てはまるケースだろう。500食作ることの意味が分からなかったバカだからこそ、グルーポンなんてサービス使えたわけです。
つらつら書いてきたが、飲食店以外のグルーポン系クーポンを否定する気はない。
例えば美容室やエステみたいに、原価がほとんど無いサービスならアリだと思う。
また、アマゾンギフト券のようにマーケティング的にばらまくのがアリというケースもあるだろう。
しかし、飲食店のようにキャパが限られ仕入が必要な業種では成立し得ないサービスだ。
http://tourer7.at.webry.info/201011/article_25.html
ポンパレード(現在の名称:ポンパレ)が2010年7月21日に掲載した、「ディナーコース+フルーツプレート+オリジナルな演出(要相談)1万円相当を5000円で!」という内容の割引クーポンに対し、対象店舗のサイトで確認するとAコース4800円の内容だったという。そのため不信感を抱くコメントがtwitter上にあふれ、炎上状態となった[26]。
ワロタ 5000円のものを1万円として50%OFFで5000円と表示 どころか
4800円のものを1万円として50%OFFで5000円と表示ってどんだけ。
とか
……には、いくつかの共通点があるらしい。もちろん俺の妄想なわけだが
一つめは、当然ながら不人気な商品である事。誰も買わないからさっさと処分してしまいたいという事情はamazonに限らずどこにでもある。
amazonの倉庫をテレビなどで見たことがある人は知ってると思うけど、あそこは倉庫に無数の商品を棚に並べて置いてあって、それをアルバイトがカートを押して取っていくという方式を採用している。多分機械でピックアップしていく方式もあるんだろうけど。
なので、棚に入りきれない、カートに入りきれない、ベルトコンベアーに乗せられない、梱包が面倒くさい、といった商品は通常とは違う場所に置かれる事になる。そしてそれが注文される度、アルバイトが人力で作業する事になる。梱包にかかるコストも(通常より)高く付く。大きすぎるものはその分輸送費もかかる。そのような商品は、「さっさと在庫処分価格にして倉庫から一掃したい」とamazonが判断するラインを越える日がより早く到来するし、少しでも早く売り切るためにかなり安く設定されたりするわけだ。
http://hamusoku.com/archives/3889507.html
これについて、めちゃくちゃ単純な計算をしてみる。
商品一個あたり1,000の利益が出て年中無休で営業したとしても
200,000,000/1,000/365=548
(少数は四捨五入)
一日に548個の物を売らなければならない。
一日に10時間働くとすれば、一時間に55個のものを売ってるはず。
仕入れから商品の発送までの作業を商品一個あたり3分でこなすストイックさが必要。
その合間にショップとか帳簿とか在庫の管理、マーケティングなんかもやってるんだろうな。
http://koji-sato-0228.blogspot.com/2010/12/blog-post.html
最近できた彼女(と言ってもまだ手をつないで歩く程度)とは今までの失敗経験を活かしてメールではなく電話をマメにかけることにしようと思っていて
まぁ全然それが苦ではないあたりそれだけ好きなんだろうけど。
自分はdocomoで彼女はAUなのでメールはパケホで無料のやりとりできるけど毎日30分以上話しているのでガンガントークが設定できる
AUをサブ携帯として持ったほうが安上がりかもな~?と思ったので新規0円の携帯を物色というか明日またデートなのでその前に欲しかったから
サクっと契約してみた。
ついでに話題になっているスマートフォンIS01も0円で用意できると言われたのでこれも一緒に契約してみた。
IS01は先週の飲み会で職場の知り合いに自慢されて一寸欲しくなっていたし、出来ればIS02もあったらよかったけどそっちは在庫が無いと言われたので
対応してくれた店員さんが元カノにそっくりで一寸複雑な気分になったりした、やっぱり世の中には似てる人っているもんだね。
胸は元カノの方が大きかったけど唇の形とか顔の作りが似ていて、3台分の開通確認とかやってくれているのをじっと見つめてしまったので店員さんも
支離滅裂なまま終わる。
1999年10月18日放送の伊集院光のラジオ番組で“COUNTDOWN CD inワゴン”という企画をやっていた。
伊集院と番組スタッフが東京近郊の中古CDショップ40店を走り回って調べた「100円以下の値札がついている中古CD」の在庫のチャートは以下の通りだった。※( )内は発売日と売上
第1位「たのしくたのしくやさしくね」華原朋美(97年9月18日 41.7万枚)
第3位「愛を語るより口づけをかわそう」WANDS(93年4月17日 112.1万枚)
第4位「Bye-Bye」ブラックビスケッツ(99年5月26日 42.9万枚)
第6位「MAICCA〜まいっか」EAST END×YURI(95年2月13日 113.3万枚)
第7位「こんなにそばに居るのに」ZARD(94年8月6日 78.8万枚)
第8位「宇宙でLa Ta Ta」太陽とシスコムーン(99年7月28日 7.4万枚)
第9位「masquerade」TRF(95年2月1日 138.9万枚)
第10位「おさえきれないこの気持ち」T-BOLAN(93年2月10日 82.6万枚)
第12位「sweet heart」globe(98年9月30日 39.3万枚)
第13位「Perfume of love」globe(98年10月8日 46.9万枚)
第14位「パフィー de ルンバ」PUFFY(98年12月12日 11.8万枚)
第15位「ホイッスル」森口博子(93年6月9日11.6万枚)
第16位「Sa Yo Na Ra」globe(98年9月23日 46.8万枚)
※それぞれの枚数は発表されなかったが、8位の「宇宙でLa Ta Ta」は埼玉のショップ1店舗だけに38枚あってランクインしたことが報告されていた。
・EAST END×YURIのシングルCDの売上は「DA.YO.NE」(94年8月21日発売)が102万枚、「MAICCA」が113万枚、「いい感じやな感じ」(95年4月21日発売)が43万枚。
・「DA.YO.NE」と「MAICCA」は同じくらいの枚数が流通しているが、100円ワゴンに流れてきているのは圧倒的に「MAICCA」。「いい感じやな感じ」は「DA.YO.NE」の半分以下の売上ながら100円ワゴンには「DA.YO.NE」よりも多くある。
なぜこのような現象が起こるのか?
・「DA.YO.NE」を購入した人の半分は本当に曲がいいと思って買った人で、残りは流行っているからなんとなく買った人。
・「MAICCA」を購入した人はEAST END×YURIってなんかよくない?と買ったミーハー層が多い。
・「いい感じやな感じ」を購入した人については、「DA.YO.NE」を純粋に曲のよさで買った人や新し物好きはもう次のものに向かっているので(この時の例はH Jungle with t)ごくわずかのよっぽどEAST END×YURIが好きな人か、乗り遅れてブームをつかんでしまう「つかまされ組」
・「DA.YO.NE」を買った人の50%、「MAICCA」の80%、「いい感じやな感じ」のほぼ100%が中古に入ったという理論がある程度成り立つ。
・更に調べていくと「いい感じやな感じ」の次のシングル「何それ」(95年7月21日発売)は売上8万枚、「ね」(95年12月1日発売)が5万枚、ラストシングル「日曜の朝の早起き」(96年5月22日発売)は4000枚の売上であり、これらは中古ショップではお目にかかることはなかった。
中野 POS(Point of Sale System)を導入したんですよ。それは音楽を殺すからいかんと、僕は最後まで主張したんですが。
―― それはどういう理由からですか?
中野 POSは売れるものだけ売って、売れないものを切るシステムなんです。音楽でも何でも、市場にはヒエラルキーというものが存在しますよね? 大衆向けからマニア向けまで、裾野の広い下の部分から突端まで。その上の部分を切ってしまったら、そのジャンルは死ぬに決まってるんですよ。
―― そんなに売れないけど、そのジャンルの先鋭的な部分ということですよね。
中野 生長点に当たる部分ですよ。そこを切ってしまったら、下は育たなくなるし、つまらなくなっていくんです。だけど会社は売れるものを売って、利益を上げたい。昔は売れなくてもブルーグラスを置いとこう、カントリーの好きな人がいるからって置いてたのが、POS管理になると、それは不良在庫になっちゃうんです。