IHIとやらのツイッターが厳冬の訪れを予感させるので
●12月2日朝 IHIのホームページ問い合わせフォームより、質疑メールを送信
↓
●12月2日昼 IHIコーポレートコミュニケーション部より返信
以下にやりとり全文
(人名は伏字)(リンクアドレスは省略)
●12月2日朝 IHIのホームページ問い合わせフォームより、下記の質疑メールを送信
ご多用中、失礼します。
単刀直入ながら、御社ツイッター担当者への
質疑メールを以下に差し上げます。
(★印が質問事項ですので回答をお願いします)
御社ツイッターアカウントは下記リンクだと思いますが、
twitter.com/IHI_ad/
株主を含めたステークホルダーに対する責任ある会社の
公式ツイッターであるということでしたら、
★ツイッターの担当者名、所属部署をお知らせ下さい。
匿名でこそこそではないはずですから。
(おそらくコーポレートコミュニケーション部の××××氏か
××××氏だと思いますが。返答できなければ暗黙に認めたと判断します)
当該アカウントから発せられるツイート内容は、
あまりにも幼稚で舌足らずで不親切で、
社会性の欠落したネット中毒のオタクが
暇つぶしに落書きしているかのような不気味さと稚拙さが充満しています。
会社のイメージを良くし、親しみやすさを持ってもらう広報宣伝とは違う
異質なモノを感じます。「良き時代の日本経済の顔」だった土光敏夫の会社であり、
日本を代表する大会社としての最低限の品位というものがあるはずです。
赤ちゃんの喃語みたいな奇妙なツイートで、たとえば
リクルート活動においても優秀な学生が採用できるのでしょうか?
幼いツイートが最近顕著ですから、いくつか抜き出してみます。
>おおおお!!!
>スクショスクショ!!
twitter.com/IHI_ad/status/1465917164230422529
>あーあと5日で168歳かぁー
twitter.com/IHI_ad/status/1465582391242928129
「あと5日で168歳になります!」とかならば、
創業168周年を希望に満ちて祝う準備をしているように思えますが、
「あーあと」だの「168歳かぁー」では
今にも死に絶えそうなヨボヨボの老醜を
嘆いているようにしか受け取れません。
>午前9:21 · 2021年11月29日
twitter.com/IHI_ad/status/1465113617779421187
ツイッターの投稿時間を見ますと、勤務時間のはずですが
この悲しい自虐ツイート、月曜の朝9時からする仕事ですか?
中学生の憂さ晴らしみたいな書き込みだけで
給料を得られるとはラクチンですね。
ちなみに御社ツイッターは、自己紹介欄において、
私のツイートに文句があるのならば、会社へ問い合わせよと
下記のようなリンクを貼っていますが、
ihi.co.jp/ihi/contact/
このアドレスは11月ぐらいから
(一本化されたためか、更新し忘れているのか、
メンテナンス中なのか)繋がらなくなっています。
担当者は気づいていないのでしょうか?、
【正しいリンク】
www.ihi.co.jp/ihi/contact/
あどけないツイートを出社早々するぐらいならば、
もっと肝心なお化粧をすべきでは?
>社名のHは播磨のHじゃないです・・(n回目)
>#いいにくいことをいう日
twitter.com/IHI_ad/status/1465115596597522436
IHIツイッターの固定ツイート
twitter.com/IHI_ad/status/1423148853855850497
↑
★これらのツイートの意味は、どういうことでしょうか?
石川島重工業が播磨造船所を吸収合併したのでしょうか?
対等合併ではないのでしょうか?
IHIのHには当然に播磨の意味も含まれているはずでしょうに。
「Hは播磨じゃない」と言い張るのならば歴史的暴挙であり、
合併時の播磨造船所関係者を騙したとかになってしまうのでは?
当の暴走ツイートには、「#いいにくいことをいう日」のタグまで
加えられていますが…。
いやはや暴走ツイートだけじゃなく、やはり御社自体が、
会社公式HPの会社概要欄においても下記のように
「Hは播磨じゃない」かの如き説明をしています。
>現在のIHIは、石川島造船所の流れをくむ石川島重工業が1960年に播磨造船所と合併して
>「石川島播磨重工業(Ishikawajima-harima Heavy Industries)」となった後、
>2007年にグローバルブランドの強化を促進するため,社名を「IHI」に変更して誕生しました。
www.ihi.co.jp/ihi/company/history/
わざわざ地名のHarimaを小文字にする必要があるのでしょうか?
Hを2つ重ねての「IHI」ということではダメなのでしょうか?
石川島中心で、播磨の歴史を矮小化し消し去りたいのでしょうか?
そもそも「石川島」、
江戸時代は罪人やホームレスのための「人足寄場」です。、
IHIと改名したのは、納税者国民からの悪質な窃取である
巨額公金ドロボー事件(談合事件)を起こし、
2007年に45日間の会社業務停止処分を受けたどさくさだったはずです。
その罪を償い続けるために祈念して、
「石川島」中心でIHIなる社名を掲げ始めたのでしょうか?
合併時の石川島重工業の土光敏夫社長も
播磨造船所の六岡周三社長も
「Hは播磨じゃない」と主張されているのでしょうか?
>調印式の様子。右が石川島工業の土光敏夫社長、左は播磨造船所の六岡周三社長。
www.ihi.co.jp/ihi/company/history/
誤記なのか、「石川島工業」となっているのが示唆的です。
平和で持続的なグローバル社会を望むのならば、
「死の商人」とも関係が深い「重工業」、
人を苦しめることにもなる「重」の文字、
石川島播磨重工業の「重」こそが不要であって、
IHIの3文字は、Ishikawa Harima Indutries から創られたと
ハッキリと謳ってもよいぐらいでしょうに。
「Hは播磨じゃない」と言い張るのならば、
「IHIが見捨てた」相生という町の寂れっぷりみたいに、
鈴木商店が消えた、播磨造船所が消えた、
次に消えるのは、当然にIの「石川島」の東京方面では?
Iの文字まで消えてしまえば、
平和のHしか残らない…。むしろ望ましいことのような…
御社のツイートを受けて、
朝日新聞社系のサイトに皮相な記事がつくられました。
twitter.com/withnewsjp/status/1465800566169292807
この船舶ならぬ浅薄な文章を綴ったのは
札付きの若松××という記者で、
ジャーナリズムとは似ても似つかぬ
底の浅いウケ狙い記事ばかり量産している人物です。
若松は記事中で、御社のツイッター担当者から次のような回答を
得ています。
>「IHHI」とならなかった理由については、こう推測します。
>「『石川島』と『播磨』ではなく、『石川島播磨』として
>とらえられているためと考えます。播磨とHeavyの頭文字が
>同じ『H』だったことがすべての始まりですね」
蛇足ながら、私の身内(従兄)の××××がIHIのOBです。
彼の論文が収録された1978年刊行の『石川島播磨技報』
dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3207285
表紙画像にはIHIの3文字が表示されていますが、
雑誌英字タイトルは「Ishikawajima-Harima Engineering Review」
播磨の頭文字も(当たり前ですが)しっかりと大文字です。
鈴木商店以来の会社の歴史を考えるのならば、
「H」には当然に「播磨」の意味も含まれますと
正式に伝えるべきなのでは?
不適切なツイートに基づいて、
いい加減な記事がネット上にばらまかれているのならば、
泉下に眠る播磨造船所関係者の功労や名誉のためにも
会社の公式HPで釈明をするべきです。
以上、縷々と綴りましたが、★印の質問に関して
真摯な回答をお待ちします。
【追記】
若松××が記事を書いていなければ、
御社にこのメールを送っておりません。
上述の××××も現在居住している佐賀への
悪意ある誹謗中傷記事で大暴れした
朝日新聞の若松××だけは断じて許せませんから
※問い合わせフォームにおいて、
なぜ「貴社名」だとか「部課名」が必須になっているのでしょうか?
ツイッターで会社に問い合わせしろと謳っておいて、
問い合わせフォームのサイトは、デリカシーを欠き
不親切としか思えません。一般的な問い合わせ項目が無く、
仕方なく【IRについてのお問い合わせ】から
連絡を差し上げております。
身内のIHIのOBは実名で健在ですが、
この質疑メールは、仮名にて送付しております。
(メールアドレスと電話番号と住所の一部は実際のものです)
IHIツイッター担当者が匿名である以上、
現時点で実名を掲げる必然性は無いと判断しました。
●12月2日昼 IHIコーポレートコミュニケーション部より返信
山田様
平素は格別のお引き立てを賜り、心より御礼申し上げます。
株式会社IHIの××と申します。
この度は、弊社のTwitterを通じて発信した情報において
ご不快な思いをされたとのこと、申し訳ございません。
弊社では、硬軟織り交ぜた多種多様なジャンルの情報を
様々な視点から発信することにより、幅広い層の方に
興味や関心をもってもらうことを意図し、Twitterを運営しております。
山田様から頂いた貴重なご意見も今後の運営の
参考とさせていただきますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
また、誤記や不具合についてもご指摘いただきありがとうございます。
確認の上で適切に対処いたしますので、何卒ご理解のほど、
よろしくお願い申し上げます。
IHI ××
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株式会社 IHI コーポレートコミュニケーション部
×× ××(×××× ×××)
〒135-8710 東京都江東区豊洲三丁目1番1号 豊洲IHIビル
TEL 03-6204-7030
FAX 03-6204-8613
E-MAIL (個人アドレスのため非表示)
URL www.ihi.co.jp
∞━━━━━━━━━━━━∞∞━━━━━━━━━━━━∞
]]>2003 稲葉興作 日本商工会議所会頭
2002 豊田章一郎 トヨタ自動車社長
1994 亀井正夫 住友電気工業会長
1994 小林与三次 読売新聞会長
1994 平岩外四 経済団体連合会会長
1994 鈴木永二 日本経営者団体連盟会長
1991 石原俊 日産自動車社長
1991 本田宗一郎 本田技研工業社長
1990 豊田英二 トヨタ自動車工業社長
1990 斎藤英四郎 経済団体連合会会長、新日本製鐵社長
1987 日向方斉 住友金属会長
1987 小林宏治 日本電気会長
1986 岩佐凱実 富士銀行頭取
1986 井深大 ソニー会長
1985 久保田豊 日本工営会長
1983 佐伯勇 近畿日本鉄道会長
1982 安西浩 東京瓦斯会長
1981 原安三郎 日本化薬会長
1981 松下幸之助 松下電器産業会長
1981 大槻文平 三菱鉱業セメント会長
1980 堀田庄三 日本航空会長
1979 井上五郎 中部電力会長
1978 芦原義重 関西電力会長
1978 永野重雄 日本商工会議所会頭、富士製鐵社長
1978 土光敏夫 経済団体連合会長
1972 新関八洲太郎 三井物産会長
1972 中安閑一 宇部興産社長
1972 高田元三郎 日米通信社社長
1972 加藤弁三郎 協和発酵会長
1972 植村甲午郎 経済団体連合会長
1972 今道潤三 東京放送会長
1970 斯波孝四郎 三菱重工業会長
1970 石坂泰三 経済団体連合会長
1970 足立正 日本商工会議所会頭
どれもそれなりに名前の通った人たちなわけで、むしろ平成の栄典制度改革以降、旭日大綬章が安売りされている印象。
]]>2007 豊田章一郎 経済団体連合会会長
2006 平岩外四 経済団体連合会会長
1987 松下幸之助 松下電器産業株式会社会長
1986 土光敏夫 経済団体連合会会長
没後に勲一等旭日桐花大綬章を叙勲された財界人
1997 井深大 ソニー株式会社ファウンダー最高相談役
1987 稲山嘉寛 経済団体連合会会長
1984 永野重雄 日本商工会議所会頭
1978 植村甲午郎 経済団体連合会会長
1975 石坂泰三 経済団体連合会会長
旭日大綬章までなら、生前叙勲に限っても、南海電鉄でも、全日空でも、JR東海でも、三菱商事でも、NTTでも、日本テレビでも、小松製作所でも、日経新聞でも、名鉄でも、大阪ガスでも、トヨタでも、電通でも、近鉄でも、連合会長でも、ナベツネでも、四国電力でも、商船三井でも、京急でも、旭化成でも、大和証券でも、九電でも、東急でも、王子製紙でも、伊藤忠でも、北陸電力でも、日産自動車でも、積水ハウスでも、もらえるんですよね。
ここを突き抜けるのが大変。経団連会長やっても、もらってない人はもらってないんでね。
あ、だから引き受けたのか、あの仕事。
]]>
その「デマであろうと、いい話だからシェアする。おまえらも感動しろ」派のみなさんにぜひお勧めしたいのが、今月号の文藝春秋に載っている「日本の自殺」という論文です。
この論文、1975年に文藝春秋に掲載されたものの再掲。最初に掲載された当時も相当話題になって、土光敏夫さんが抜き刷りを作って財界人に配って読ませたりしたらしいのですが、当時は福岡の幼い中学生だったので知らない。
ところが、これが最近、文藝春秋の宿敵である朝日新聞の主筆のコラムでも取り上げられたりして、あちこちで注目されているので、異例の再掲になったらしいです。
「日本の自殺」というタイトルから、「国内の自殺率が増えてるとか、そんな話かな」と思ったら大間違い。
豊かな時代を過ごしているうちに、国民の思考力や判断力が衰弱して衆愚化し(「パンとサーカス」ね)、最後には文明が滅びてしまった過去の多くの例から、日本という文明も自ら滅びる道を進んでいるということを警告した論文なんですが、この中で「予言」されている内容が、まさに今の日本の状況そのものに見えるのがポイント。読んでいて、かなりぞくぞくします。
この論文の中で、人々が衆愚になっていく大きな原因の一つとして指摘されているのが「情報の洪水」あるいは「情報汚染」。
マス・メディアを通じて膨大な情報が垂れ流されることで、直接経験によらない間接経験の情報の比率が増え、情報に対する判断や批判が行われなくなり、浅薄な好奇心をあおりやすい一時性の情報ばかりを簡単に消費するようになり、やがて情報を無批判に受け容れるようになる、というプロセス。
論文が書かれた当初はテレビによる情報垂れ流しを危惧していたのだろうけど、今だとネットがまさにこれ。
”情報をシェアする”とか断片的に何か”共感”ってのは、ある種、汚染されてきてる証拠なんだろう。
気軽に何かをしている、能動的に考えているような気分になるが、実は何も考えていないという現実。
キーボードに打ち込む数が減り、クリックするだけでパブリッシュ(リツイート、コピペ)できてしまうという現実、実はすごい罠に陥っているのかもしれない。
これは、アメリカ(インターネット)の陰謀か?(笑)
たまには、パソコンの電源を切って手紙でも書こうかな・・・
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