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はてなキーワード: 図書館員とは

2019-05-09

実名告発をためらう必要はありません!

anond:20190509223349

1 その図書館実名をここで挙げてください。

2 図書館員に過失はなく、問題の原因はクレーマーにあるので私は図書館員の味方であるということを明確に意思表示してください。(既にされているようですね)

3 上記1と2が書き込まれた画面を図書館職員の方に見せて「これはあなたのことです」と説明してください。これはあなたでもあなた以外のどなたでもかまいません。

4 クレーマーを目撃した方は、上記1と2が書き込まれた画面をクレーマーに見せて「ここに書かれたクレーマーとはあなたのことです」と説明してください。

追記

元増田さんの追記を見ました。

ごく一部のたわごと無視して問題ありません。

これは本当にちゃんとご理解頂きたいのですが、私を含む大多数の読者は、あなた全面的に支持しています

から大丈夫です!

私が提示した解決策についてですが、

3と4は他の協力者でもできますが、1は元増田あなたしかできません。

これ以上被害者を出さないためにも、是非勇気を持って実名告発をお願いします!

追記2)

http://b.hatena.ne.jp/entry/4668535131682274402/comment/camellow

>>camellow マジうぜえなコイツ。<<

こちらも不愉快なのでブックマークをすぐに外してください。

2019-01-18

近藤麻理恵と本に関する議論に潜む無視できない階級意識人種差別

原文:https://www.bustle.com/p/the-marie-kondo-books-debate-has-classist-racist-undertones-that-cant-be-ignored-15796044

近藤麻理恵は一冊目の本である人生がときめく片づけの魔法」が2014年アメリカ出版されたときから社会現象であり続けている。「日本の片付けと整理の術」を詳しく記したその本は、コンマリ・メソッドまたは「Kondoする」と呼ばれる、持ち物に触ってときめきを感じる(it sparks joy)かで判断する片付け法を誕生させた。しかし、やはり近藤の人気が急上昇したのはNetflixで「近藤麻理恵とお片付け」(邦題:KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~)が放送されてからだ。ところが、この人気の急上昇により本にまつわる予期せぬ騒動が発生した。著述家であり「We Need Diverse Books」(多様な人種の子供に向けて本を与える活動をする非営利団体)の創設者の一人でもあるエレン・オーを含むSNS上の大勢の人々によれば、近藤への反発には明確な人種差別と階級意識の要素が含まれているという。Bustle(訳注:原文の掲載サイト)はオーにコメントを求めた。

韓国系でありながら子供時代日本で過ごし第一言語日本であるオーは次のように語る。「近藤麻理恵への反発が発生してからというもの、ずっと意図的に誤解している人々に嫌な思いをさせられています最初文化の違いのせいかと思いました。特に翻訳によって生じる問題についての意識のなさです。アジア言語英語とはかなり違います。どうやってもうまく翻訳できない言葉もあります」。ところが、オーが「人々が意図的近藤を誤解している」と確信するに至るまで長い時間はかからなかった。

すべての始まりはこうだ。Netflix番組の第5話で、近藤若いカップルが本を片付けるのを手伝う。番組の中で、そして著書の中で、近藤コンマリ・メソッドで蔵書を片付けるやり方について広く語っている。Deseret News記事に書かれた近藤が語ったことの要点はこうだ。読んでいない本や、いつかもう一度読むかもしれないという思いにとらわれている本がたくさんあるのなら、それは捨てるべきだ。また近藤は、もしほんの一部だけにときめきを感じるのであれば、一部のページだけをちぎって残すことも薦めている。

Twitter上での否定的な反応はすぐに発生した。

小説家アナカナ・スコフィールドはすぐさま近藤の本を捨てるやり方にSNSで憤慨したうちの一人だ。スコフィールドは「近藤麻理恵だかコンマリだかの本に関する意見に耳を貸すな」とTwitterに書いた。他の利用者たちもすぐに続いた。そのうちの一人であるジェニファー・ライトは「この女はモンスターだ」と既に削除されたツイートで記した。このツイートは「理想的には蔵書は30冊未満にしましょう」という吹き出しが書き足された近藤写真に対する返信として書かれたものだ。ワシントンポスト掲載された書評家のロン・チャールズの「近藤麻理恵よ、おまえのトキメキお片付けは私の本の山には無用だ」をはじめ意見記事もいくつか出た。

しかしこの「理想」の蔵書数は30冊というのは、いったい何なのだろうか?この数字は、近藤コンマリ・メソッド自分の家を片付けたときに使ったものだ。「人生がときめく片づけの魔法」で、近藤自分の蔵書は30冊にするようにしていると書いている。しかし、近藤は誰もがこの30という数字を使うべきだと言っているわけではない。重要なのは近藤は一度も本をすべて捨てるべきだなどと言ったわけではないということだ。Refinery29のインタビューケイト・ムンロは近藤に、ガラクタの山や、本で破裂しそうな本棚ときめきを感じる人はどうすればいいのかを尋ねている。近藤は次のように答えた。

家がちらかった状態でもそれで本当に快適なら、それは良いことです。なにもおかしくありません。その上で、それぞれの物に決まった場所を割りあてたり、それぞれの物がどれくらいの量あって、必要な量はどれくらいなのかを把握したりすることをおすすめします。こういう意識を持つことは大事だと思います


オーは、アナカナ・スコフィールド近藤についてのツイートの後で書いたガーディアン誌の記事を、自分意見に合わせるために近藤言葉意図的に誤解している例の一つとしてあげている。「ときめき(spark joy)という表現が過剰に強調されていて、その言葉近藤が本当に伝えようとしていることが置き去りにされています」。「ときめき」は実際には喜び(joy)と同じ意味ではなく、鼓動や興奮や動悸を意味する。この基本的なことさえ理解すれば、本は喜びだけでなく挑戦や動揺を読者に与えるべきだというスコフィールドの主張が無意味だということがわかるだろう。「ときめき」という言葉意味するのは、本が読者に挑戦や動揺を与えてそれが良い反応をもたらすのならとっておくべきだということなのだ。

オーはさらライトが削除されたツイート近藤を「モンスター」と呼んだことについて言及する。「意図的な誤解は、近藤の助言はそもそも片付けをしたいと思っている人に向けられたものだという事実から目をそらすことから始まっています。片付けをしたくないなら、助言に耳を貸さなければ良いだけです」

近藤への反発は、近藤の流暢でない英語や、独特の言葉かいからかうことまであらゆることに及んでいます」とオーは語る。「ときめきという概念を笑いの種にするたくさんの画像を見て、私の両親が話す片言の英語意図的に誤解しておちょくってきた人たちのことを思い出さずにはいられませんでした」

今回の本を片付けることについての議論には、ある種の特権も絡んでいるとオーは語る。

階級意識エリート意識、たくさんの収納がある大きい家に住めるという特権。私には近藤への反発が何を根拠にしているのかはわからないけど、反発している人たちが特権的な立場にいるということはわかります」とオーは言う。「たくさんの本を持っていなければ賢い人間だとは言えないというエリート意識経済的階級意識です。かつて貧しかたころ、私が持っていた本は10冊もありませんでした。だから図書館は私にとって安らぎの場所だったんです」

以上の点について声を上げているのはもちろんオーだけではない。Twitter利用者ジョナー・ヴェンは一連のツイートで、コンマリ・メソッド本来目的に対する一般的無知についてこう書いている。「コンマリへの批判ネタ画像は、アジア、とりわけ日本文化や影響への無知により、目立たないが本質的人種差別的なものだ」

近藤への反発の人種差別的な側面についてSNS上で反応している人々は他にもいる。作家カットチョーツイートで「有色人種モンスターと呼ぶのはやめてください。既に社会の隅に追いやられている人たちを、人でなし扱いするような言葉を使わないで」と書いた。そして著述家ピューターセレステは「アジア人の女性を不当な理由からかうことに何の意味があるんだ?近藤麻理恵じゃなくてマーサ・スチュワート相手だったとしてもこれ以上続けるのか?違うだろう」とツイートした。

かに、本を捨てるという行為一部の人々にとってかなり感情を動かされるものだし、本の一部をちぎると図書館学校非営利組織などに寄付して役立ててもらうこともできなくなる。しかし、とどのつまり近藤の助言に対する反発は、近藤とは関係がない。むしろそれは、一部の読書家が、自分読書家としての自意識を維持するために必要だと考えている、本を所有するという行為近藤侮辱したという誤解に基づく怒りなのだ

近藤を支持している読書家もたくさんいる。Twitter利用者アレクサンドラダンカンツイートで「驚くかもしれないけど、図書館員として家の本棚コンマリ・メソッドで整理することを100%支持します」と書いている。

しかしたら年明けは、物理的な片付けについてだけでなく精神的な整理についても完璧な時期なのかもしれない。読者の皆さんも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれ本棚のものと、本に書かれた内容とどちらにときめきを感じるのか、自分に問いかけてみてはいかがだろうか。

2018-05-15

anond:20180515091844

大手大学司書さんなら、端末操作キレイ図書館で、なかなか素敵ですけど。

card作るの有料だけど価値はあったりしますね。

公立のそこらへんの図書館などは、絵本借りに来るママや、雑誌ばかり読んでるお年寄りが多いのかも。

私は好きですけど。

ダサい服、そんなに人に言われるような恥ずかしい事なのですね……。怖いなぁ。

市区町村の窓口の方々と、図書館員さんも、たいして変わらないなぁって思っていましたが(比較j的若い女性多目の処しか知らないし)。

ダサいってそんなに、言われる事なんですね。はぁ。服装って、大変ですね。露出控えめで地味で、清潔であればと思うんだけど。

2017-07-18

図書館デジタル化すべきか

静岡県立図書館で床が抜けそうというニュースを受けて、デジタル化について触れた大田区議のツイートがプチ炎上している。

https://twitter.com/okatakashi_oota/status/886542542866595840

図書館目的が、資料収集、整理、保存であるならば、デジタルアーカイブにして紙は破棄してもいいのかも。

閲覧もPadで足りるし。

地域資料以外は、蔵書する意味もない。

この議員の言い方もどうかとは思うが、リプの方も感情的な「紙の本が不要なんて許せないふじこふじこ!」みたいなのばかり。

じゃあ蔵書スペースはどうするの?床抜けていいの?って問題には何の代案も出てこない。

特に「紙の方が電子より保存性に優れてて~」なんてのは頭が痛い。

いくら保存性に優れてても置く場所がなければ棄てるしかないんだよアホか!

なので図書館デジタル化について知っていることをまとめておく。

法制・基本問題委員会中間まとめ

デジタル化が法的にOKかどうかは、ちょうど今年の2月文化庁から中間まとめが出ている。

文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会(第6回)|文化庁

資料2の53ページから

かいつまむと以下の通り。

パブコメでは図書館協会知財協会から賛成のコメントが出ている。(41ページ)

これでもう法的にOKになったのかはよく分からんが、少なくともOKの方向であるようだ。

国会図書館に任せる

上にある「国会図書館から送信」というのは既に行われているサービスで、著作権が切れていない資料でも全国の図書館パソコンで見ることができる。

大田区図書館はまだ参加していないが、パソコン1台あれば済むようだからハードルは低いだろう。

まりデジタル化さえ何とかすれば、システム構築や保守バックアップ等は国会図書館が面倒を見てくれるということだな。

現に東大図書館がデジタル化した資料11冊入っている。

デジタル自体費用

割とピンキリで、専門業者に任せれば質も値段も高いし、自炊レベルでいいなら100冊でも数万円で済む。

何にせよ建物増築するよりは遙かに安いだろう。

紙は破棄していいのか

全部は無理。

そもそも文化庁中間まとめに従うなら、貴重資料絶版資料しかデジタル化できない。

国会図書館出版業界との合意事項により刊行後5年経過したものしかデジタル化できないし、予算も大してついてないので古い資料が優先のようだ。

しかし多くの利用者が読みたがるのは最近の本や雑誌である

そのへんは今まで通り紙で買うか、別の電子書籍サービスを利用するしかないだろう。

一方でデジタル化した古い資料は破棄できる。

というか現在でもスペースが足らなくなれば仕方なく破棄しているわけで、パソコン上とはいえ紙を破棄した分も読めるなら単純に改善になる。

ツイートだと地域資料だけ紙で残してという考えのようだが、むしろ地域資料の方が電子に向いてる。気軽にペラペラめくる娯楽本、ベストセラー類は紙でないと不満が多いだろう。

もちろん「地域資料こそが地域図書館の核であり優先すべき」というのは理想論としてはそうだが、ぶっちゃけ読む人ほとんどいないんすよ…。

「利用率は関係ない!図書館の使命がうんたら」あーうんスペースが無尽蔵にあればね。でも地域資料を残すってことは、代わりに別の本を棄てるってことなんだよね。

なので地域資料デジタル化して、極たまに現れる利用者パソコンへご案内というのは運用として妥当じゃないかな。

おわりに

もっと図書館に金をかけろ。これだから日本は~」みたいないつもの反応もあったけどさ。

図書館員としてはもちろん文化上の意義は訴えたいが、じゃあ医療福祉育児治安よりも金をかけるべきかと言われたら口ごもらざるを得ない。

結局のところ趣味余暇範囲なので、生活上必需なものより優先度が1ランク下がるのは致し方ない。

その中で何とかやってくしかない。

2017-07-13

子供にせがまれ読み聞かせボランティアに入った

子供からどうしてもとお願いされて、今年の幼稚園読み聞かせボランティアに入った。二年ぶり二度目。

子が年少さんの頃に、興味本意で入ってみたものの、読み聞かせ自体よりもボランティアにいる母親同士の人間関係が面倒臭くって懲りてしまい、去年は参加しなかったんだけど、子は去年私が来なかったのをとても残念に思っていたそうで、今年は絶対にやって!と頼まれたのだ。

今年はボランティア仲間の人間関係で悩む事がなくていい。その分読み聞かせの内容に集中出来る。

といってもボランティアは年に2回しかないのだけれど(たった2回のボランティアに一昨年はどんだけ振り回され悩み苦しめられたんだっていう…)。

今年の一回目は既に終わった。子供達の反応はぶっちゃけ微妙。それはしかたのない事だと思う。子供達は同い年でも発達度合いに幅があるし、興味もそれぞれ。そして読む私達はド素人。良い反応を得る事は最初から諦めている。最善は尽くすけれども期待はしない方針

自己満乙と言われたら返す言葉が無い。そんな活動だ。

子供達にとっては良いのか悪いのかは正直分からないんだけれども、私は今まで知らなかった面白い世界に触れる事が出来てよかった。

ボランティアの為の調査自分自身言い訳をして絵本をあれこれ品定めするのは楽しかった。

子供達を連れて図書館へ行くのはずっと前からしていたけれども、絵本児童書のコーナーを自分用事でうろつくのは、自分子供だったとき以来。昔よく読んでもらったり自分で読んだものもあれば、読もうと思ってたけど結局読まずにスルーしていたもの。色々ある。

図書館で毎週のように読み聞かせが行われているのも知った。子供達を連れて行くようになった。

人に本を読んで貰ってそれを体育座りでただじっと聴く、それだけの事が結構面白いんだなと気付く。

図書館読み聞かせをしている人達は、図書館員地域ボランティア人達で、私の入っている幼稚園ボランティアよりはずっと慣れていて上手いのだけれども、それでもやはり本物の役者や咄家みたいには凄くない。しかしそれでも読み聞かせは一つの娯楽として充分に成り立っているのだ。もしかしたら、読み聞かせを聴きに来ている子供達以上に同伴してきた保護者達のほうが楽しんでいるかもしれない。

なのに、読み聞かせ子供達の為にしか開かれていないのだ。子供達が卒業してしまえば大人はわざわざ来る理由は無い。読み聞かせをする方としても、何か読み聞かせメリット云々と理屈を捻り出さないとわざわざやろうとはならない。

子供をダシにしなくても、気軽に読み聞かせをしたり聴いたり出来たらいいなぁ。

2017-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20170506005046

図書館員の俺としては一度見に行かなきゃと思って武雄温泉行くついでに寄ったんだけど

いい悪いはともかく「ウチの図書館より遙かに賑わっている」という現実は受け止めないとと思った

税金の使い方としてどうなのとも言われてるが

じゃあ逆に一部の意識高いしか利用しないような施設税金運営するのが正しいのかって話にもなるわけで

とりあえずツタヤ図書館法律上行政上も紛れもなく図書館であるので

脳内定義で「これは図書館じゃない」と言っても何の意味もないですね

あと資料廃棄はNDL以外はどの図書館でも行ってるよ

物理的にスペースが足りないんだもの 他にどうしろっていうの

2016-08-22

図書館でねー、本借りるんですけど、くたびれてるやつは結構キてる。

まあ借り物だからしかたない。

それぐらいはこちらも承知です。

一応図書館でも返却後の本をざっとは見てくれてるみたいだけど、

はずれかかったページとか、わりと見逃されてそのままになってる。

ばーっとめくってるだけじゃわからないだろうから、それはいい。

でも、申告があれば修理してくれるから気になった本にはしおりして、

返却時に「ここ外れてましたよ」って言ってる。

べつにクレームではない。

返却カウンターで、ここと、ここと…ってやってると、

図書館員申し訳なさそうに言う。

「沢山の人が借りてる本なので…」

わかりますだってすんごいくたびれてる本だから

だってその恩恵にあずかってる一人だし。

自分で所有してる本と比べれば、すごい沢山の人が借りてるんだろうってことは一目瞭然。

から別に文句じゃない。

少しでも本の寿命が長くなるように。

次の人がページ外れにおびえながら読まなくて済むように。

そう思って申告してるんだけど、図書館員対応になんとなくモヤモヤする。

クレーマーに化けるんじゃないかって怯えられてんのかなって。

それともこちらが話してる間のつなぎの言葉をこっちが神経質にとらえちゃってるだけ?

「ご申告ありがとうございました~」

くらいの対応でいいんだけど。

2015-11-19

電子図書館についての提言

全ての本を電子化して、電子データ国立電子図書館管理して、ネット経由で貸し出せばいい。

データ形式pdfDRMはかけない。(図書館で借りた本をコピーできないなんて事は無いわけだし)

未返却と除籍、汚損・破損

未返却のまま除籍される図書館の本は全国でものすごい量に登る。そんな未返却問題が一斉に解決する。

図書館員の憂鬱仕事の一つにその督促業務がある。それも一切無くなる。

また、本が破損したとか、汚れたとか、そういうことが一切起きない。

児童書ボロボロなのを見たことある人もいるだろう。

それを補修するのも図書館員仕事だが、これ一切無くなる。

またそれに伴い、貴重な閉架図書もガンガン貸し出せるし、高額な本も余裕で貸し出しOKとなる。

利用者の利便

図書館の大きな役割の一つに、知を広く市民に広めるというものがある。

だが、図書館は基本日しか開いていない。サラリーマンは土日しか知に触れられない。

多くの図書館月曜日が定休だ。月曜日市民は知に触れられない。

人気のある本は何百人も貸出を待っている。待っている間はその本には触れられない。

図書館が遠くにある人は、図書館までわざわざ出向かないと知に触れられない。

運転免許が無かったら? 怪我をしていたら? 悪天候だったら?

そんな問題も一気に解決だ。

そして何より、「借りたいと思っていた本が図書館にない」なんてことがなくなる。

借りたい本が具体的に決まってるなら、他のどこよりも、この国立電子図書館にある確率が高い。

当然、借りたいと思い立ったらすぐに借りられる。

文化や知識の保存

図書館の大きな役割の一つに、文化や知識の保存というものがある。

この役割に大きな足かせとなっている問題が二点。

まず一点目は図書購入予算。二点目は図書館物理空間だ。

電子図書館ができれば、全国の図書館で同じ本を買う必要がなくなる。ここでまず購入予算が大幅に浮く。

そして、物理的な空間も一切不要となる。棚も不要。そもそも図書館という建物不要になる。

全国にある公共図書館は3200以上。これらのほとんどがいらなくなるのだ。司書も大いに減らせる。

都道府県に一つ中央図書館くらいは残しておくべきだとは思うが)

ただ、これまで日本全国で図書館に使われていた予算のうち相当な部分が浮くことになるのは間違いない。

そのお金で、世界中の本、地方の零細出版社の本、昔の本などをガンガン電子化していこう。

知識の森はどんどん豊かになる。

メディア

CDDVD(やBD)も、一部は図書館にあり、貸し出されている。

少ししかない理由は図書購入予算円盤は高い。

だがそんな制約ももう無くなる。全国に一つだけの国立電子図書館で購入すればいいからだ。

これでまた知識の森が豊かになる。

レファレンス

図書館司書が大量に余る。

が、これで彼ら彼女らは本来業務レファレンスサービスだけに特化できるようになる。

pdfデータOCRしておけば検索が極めて楽になる。

Yahoo!知恵袋みたいな形でレファレンス履歴を蓄積していけば、優秀な司書も分かるようになるだろう。

そのうち、利用者レファレンス履歴検索すれば望む本にたどり着けることも多くなるはず。

本来レファレンス業務がぜんぜんできない」などと嘆いている司書の皆様には、

是非競争原理のなかで切磋琢磨して生き残りを目指していただきたい。

その他

書店死ぬ出版社死ぬ、そして著者が死ぬ問題

この文章は、「図書館役割を究極的に考えた場合」の思考実験なので、このあたりはスルー

公共貸与権を設けるなり、一年猶予を設けるなり、対策必要だろう。

2015-09-25

選書検閲

なんだか最近図書館関連で選書についてよくわからない言説を見かけるようになったので,自分理解をまとめておく。

簡単に言うと,やばい本は避けて購入するけれど,それは選書によるものであり検閲では断じてないという論理


まず,全ての図書館は(少なくとも建前として)「検閲」を嫌う。

図書館における憲法として「図書館の自由に関する宣言」があり,

その第4では「図書館はすべての検閲に反対する」と明記されている。

従って検閲連想させるような言葉,例えば

「適切」「不適切」「良書」「悪書」などは図書館員基本的に使わない(はず)。

ちなみに図書館の自由に関する宣言はまるで反戦スローガンかよと思うほどに

臭い自由を切望する文なので未読の方は是非読んで欲しい。


理想としてはこの建前に基づいて,右の本も左の本も中の本も全部置き,

利用者がその内容を判断する,ということをやりたい。

しかし今のご時世,どこの図書館金も場所もない。

しかも図書は毎日2桁以上刊行されている。

そこで出てくるキーワードが「選書」。


選書とは自館の役割目的考慮しつつ,実際に購入するものを選ぶ作業のことである

ただし,どの図書館ガッツがあるというわけではないし,連日のクレームは避けたい。

従って例えリクエストがあろうと,特定思想ギンギンの本やエロ本は入れない。

しかし,それはあくまでも予算とスペース等の都合という建前で行う。


ついでに小ネタ3つ。

実際問題として,選書単独仕事になることは予算の都合上まずない。

よって,他の業務をつつがなく行いつつ,新刊情報リクエスト,同都道府県内にある

他館の所蔵等々を考えながら選書するのは難しい。

従って取り次ぎからお勧め本セット」などを購入することは多い。


図書館職員はこの選書という作業にものすごいプライドを持っていて,

業務依託とかの話になったとき真っ先に反対材料としてレファレンスとセットで出てくる。

図書館員を黙らせるためにはこの2点をしっかりやっていると見せかけることは非常に重要


何かの思想流行らせたいとき図書館に本をばらまくのは宣伝としてアリだと思う。

ただし単にリクエストをしても予算等を理由により却下されることは多い。

そこで使うべき方法が寄贈。しかし,コストや所蔵の問題であっさり廃棄されることは非常に多い。

とりあえず最低限の条件はクリアしておきたい。是非試して欲しい。

・新品である

・当該館未所蔵である

カバーフィルムがすでにかかっている

目録データ付き

2013-11-14

増えるうつ病図書館ブロガー図書館人間関係に疲れた」

「もう図書館は語りたくない。行くことに疲れたし、肝臓も壊した。おまけに会社も辞めることにしました」

そう語るAさん(40代)は、元人気図書館ブロガーだ。かつては毎日図書館に行き、カレントアウェアネスほか図書館雑誌を欠かさずWebと冊子体で読み,年間500館は訪問していたいたことも。そして図書館好きの間でも一目置かれていた存在だった。しかし、あることをきっかけに精神的不調に陥り、うつ病と診断され、現在は務めていた大手市立図書館休職中だという。

職場飲み会の席で『Aさんって図書館に詳しいんですよね』と女の子たちに聞かれて、僕のおすすめを教えてあげたんです。最近トレンド、館長の人柄、コスパに優れた図書館システムなど様々な側面を考慮して、女子にも受けのいい図書館をです。またゼロ年代から図書館ニューウェーブ系(指定管理系・ディスカバリーサービス)の歴史もわかりやすく教えてあげた。知り合いの図書館員に僕の紹介だと言えばサイン入りの利用者カードぐらいオマケしてくれるんじゃないかとも言いました」

Aさんにそんな話を聞いてきたのは会社20代女性社員3人だった。だが翌日、図書館のおはなし室に入ろうとした時、彼女たちがAさんの話をしていたという。

「酷いことを言っていたんですよ。『図書館ぐらいであんなに得意になれるって終わってる』『彼女もいないし、図書館結婚したんじゃないの』『息がフィルムコート紙魚臭いがする』なんて。その場には僕の後輩の男性図書館員たちもいたみたいで、みんな笑っていた。その日は図書館を早く退庁して、家に帰ったらめまいがして」(Aさん)

電話取材を行っていると、この話をしているうちにAさんは嗚咽をもらしはじめた。国内OPACも全ベンダ制覇するなど図書館に尽くし、恋愛、友人、仕事休日の出勤も図書館に行くために断っていた)を犠牲にしてきただけに、周囲の心ない言葉が響いたようだ。

図書館は結局、僕になにも与えてくれなかったんです」(Aさん)

こういう事例はAさんにとどまらない、筆者がかつて取材協力をお願いしていたある図書館ブロガーは、他のブロガーたちと競うことに疲れ、彼は現在図書館業界を語り出すと吐いてしまうという程精神不安定になっている。またもう一人は、知り合いだった図書館関連協会の事務局から事務局運営にまで口を出すのはやめてください。もうウザいからこないでください』と言われたことを機に、過食に陥って、もともと80キロだった体重現在は120キロになっている。彼は現在外出恐怖症だと言っており、家で「図書館員になろう」を大量に読み漁り、健康状態も心配だ。

2000年代前半から2010年代にかけて、多くの図書館ブロガーたちが生まれ、図書館を語ることに情熱を燃やしてきた。彼らの多くは図書館の自由を語り尽くすことをステータスにしてきたから、語り過ぎて身体を壊すのはわかるが、まさか心まで壊してしまうとは。まあ、ツタヤには罪はないのだが。

2013-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20130530175821

図書館員だし図書館の自由に関する宣言は一応尊重してるけど、一部の人金科玉条みたいに言ってるのはどうかと思うわ。

法律でも何でもないってのは事実その通りだろ。

利用者自身が「んな身内ルールどうでもいいよこっちはTポイントが欲しいんだよ」って言うなら俺はそれに従うよ。

利用者のために宣言があるのであって、宣言のために利用者がいるわけじゃないからね。

2012-06-08

メモ

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:rIL4g9SN2z0J:fmcent.exblog.jp/16000462/+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a

武雄市図書館についての雑惑(とりあえず)。

例によって、かなり長めの文章を書くつもりでいたのだが、どうしても途中から筆が進まなくなってしまった。よって方針を変更し、ちょっと短めの文を書いてみたいと思う。…と思っていたが、最終的に書き上がった文章はそれなりに長いものとなった。覚悟して読んでいただきたい。

まずはじめに断っておくが、私は武雄市在住のれっきとした武雄市民であり、もちろん住民税等も武雄市に納めている。よって今回の問題については一市民として堂々と意見を物申すことが出来る資格があると考えている。

なぜそんな回りくどいことをここで書くのかといえば、ネット上での一部で、「武雄市民以外の人間武雄市のことにごちゃごちゃ口をだすな」的な発言が多用されているためである(誰がどういったかは言った言わないの話になるので、各自検索していただきたい)。よって私がここで発言することには、武雄市民でないからなどという屁理屈は一切言わせないぞ、と一応宣言しておくこととする。

これで拒否されるなら、来年から住民税ふるさと納税制度を利用し合法的に武雄市以外の他都市に支払う覚悟であるので、念のため申し添えておく。

さて、全国ニュースにも取り上げられるようになった武雄市図書館歴史資料館(エポカル武雄)のカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下CCC)への業務委託の件である

5月4日記者会見以来、その内容をめぐって「健全な」論戦が繰り広げられている(と少なくとも私は思っている。そう思ってない方もいるようだが…)。

気の変わらないうちに先に書いておくが、今回の件で私は武雄市長には一つだけ感謝していることがある。それはなぜか。

ふだん私もエポカル武雄は利用している。今年も既に数回は本をかりている。勉強にも行っている。何しろ近くにあるので便利なのだ。ただ行けるのは土日くらいのものだが。

で、だ。私はこれまで生きてきた中で、図書館は「あって当たり前のもの」だと思っていた。武雄市も「市」だが、以前いた土地も「市」だ。法律で「市」には図書館を設置すること、となっているので、図書館があるのが当たり前の環境だったわけだ。これがもし「町」や「村」だったら、図書館がなかったかもしれない(もちろん図書館が設置されている素晴らしい「町」「村」もちゃんとあります。念のため)。

そんな環境で過ごしてきたせいか図書館はあって当たり前、無料で本が読めて借りることもできる、快適な環境で静かに勉強ができる、くらいのイメージであった。

よもやその裏側で、司書さんを始めとするスタッフいかに苦労をされていたのか、選書だったりリファレンスだったり、もちろん貸し出し返却や蔵書整理、はては郷土資料の収集保存など、様々な業務を行なって下さっていたことを、今の今まで恥ずかしながら知らなかったし、考えたこともなかった。また、「図書館の自由に関する宣言」の存在も知らなかったであろうし、その歴史的な背景について知り考えることもなかっただろう。

おそらく、今回の件がなかったら、もしかしたら死ぬまで図書館の裏側については知ることもなく考えることもなかったかもしれない。

そう考えると、今回の件で、改めて図書館に関わるすべての方に感謝すべきだと気づくことができたし、図書館無料で使えることのありがたさ、私たち市民の「知る権利」や「読書の自由(貸出履歴の秘密保持)」があることの大切さに気づくことができた。この点では武雄市長には感謝以外の何物でもない。改めてこの場でお礼を申し上げる。

忘れないうちに、この件についての私の考えを簡単に述べておこう。文句もたくさんあるが、それは後になってくるに連れて出てくるだろう。

まず、指定管理者制度のものの導入については、絶対反対とは言わない。というのも、それこそ最近エポカル武雄で借りてきた本の中に、「私たち図書館やってます」という本がある。興味のある方はぜひ読んでいただきたいのだが、これにはとあるNPO法人図書館委託運営を行なっている事例が事細かに載っている。彼らは市民視点から市民必要図書館のあり方を常に考え運営しており、市民行政参加という面からも評価できるものである。ただ、最近佐賀市指定管理者で運営していた図書館の分館が、直営に戻されるという事例も起きており、どういった形が望ましいのかはよほど慎重に考える必要があるのではないかと思われる。

開館時間の延長についても、概ねは賛成である。私もしがないサラリーマンである以上、図書館に行くことのできる日は決まっている。夜7時でも普通に仕事をしていることも少なくないので、開館時間が延長できたら夜家に帰る前に寄るなど、自由度は格段に向上する。

ただ、便利になる反面、運営費が上がることは覚悟しておかなければならないと思う。市長は1割減という発表をされていたが、本当にそれは可能なのか。民間に委託するから安くする、という簡単な理論ではあるまい。事務の人間を減らせばいいというものでもあるまい。図書館は貸出返却の業務だけではない。TSUTAYAアルバイト店員のような感覚で務まると思ったら大間違いだ。そこはよく精査する必要がある。

それと、蔵書の整理や虫対策の燻蒸など(市長書籍には燻蒸しないと思っているようだが、武雄の場合書籍にも燻蒸を行なっている。過去ホームページに掲載した履歴がある)、どうしても休館日が必要な可能性が出てくるのだが、それはどうするつもりなのか。まぁ蔵書を並べるくらいなら、書店のように利用者のじゃまにならないように随時行うことで、ある程度の作業量をこなすことはできるかもしれない。また、ある村では自動機を利用して無人で24時間貸出を行なっているところもあるので、それも導入の参考にはなるかもしれない(さすがに防犯上すべての本ではないと思うが)。

20万冊の本をすべて開架にするとのことだが、それはそれで結構な話だが、物理的にどうなのか?という疑問は残る。私も通っているのでよくわかっているつもりだが、記者会見スライドで出ていたパースはどう見ても壁の部分にも本がズラリと並べられていた。となれば、かなりの部分を改修する必要が出るだろう。果たしてその費用はどこから出てくるのか。委託費用の削減分と簡単に言うが、前項の理由で本当に削減できるのかは正直怪しいと思う。せめて議会にはきちんと積算根拠が提出されることを望む。でなければ納得はできない。

また、現在開架部分もよほど高い本棚にし、かつ本棚の間隔を狭めないことにはまずそれだけの冊数の収納は難しいだろう。ブックオフのように背伸びしても届かないくらいの高さになってしまうのか。利用者の利便性としては後退しそうな気もする。また逆に貸出不可のため大事しまっておくためにわざと閉架にしておく資料だってあるだろう。そういったものの区別はきちんと付けるべきである

次にカフェダイニングの件だ。

図書館でたしかに喉が渇くこともあるだろう。今の図書館は、入って左側にカフェコーナーと称した空間があり、水を飲んだりジュースを飲んだりすることができるようになっている。あれではダメなのか。そんなにスタバがほしいのか。よくわからない。

第一、市議会1日目での演説を聞いていて私は愕然とした。図書館教育施設というのなら給食はどうなるのか、というあの発言だ。何を言っているのだ。学校は確かに教育施設だ。しかし、そこでは子供たちにきちんと教育をする。給食時間は皆一斉に机の上を片付けて給食の準備をし、盛りつけて皆同時に食事をする。その時に、おしゃべりこそすれ誰が本を取り出して読み始めるというのだ。普通そういうシチュエーションならば、先生が「食べているときは行儀が悪いから本を読まないように」と注意するだろう。もちろん家でも同じようなことがあれば「行儀が悪い」と怒られるだろう。それと図書館コーヒーを飲みながら本を読むのと一緒にしてどうする。それは躾の問題とは言わない。TPOをわきまえろといっているだけだ。

飲み物を飲むなとは言わない。例えばペットボトルのように蓋が閉められるものであれば持ち込み可、ただしこぼして汚したら弁償、とするだけでも市民の利便性は上がるし、こぼしても自分のせいとあきらめも付くだろう。実際にその方式をとっている図書館もあるようだが、調べてみるとよいだろう。

あとは文具を売ったり雑誌を売ったりするということだったが。

まぁ最近は、例えば水族館などの観光施設で、来館記念にと施設のオリジナルグッズを製作販売しているところも確かにある。ゆえに、そういったノリでの文具販売という形なら無くはないかもしれない。エポカル武雄もオリジナルマークがあったはずだ。そのマークが入った筆記具など、オリジナルの物を売ってみるのはありかもしれない。

ただ、それ以外のもの特に雑誌あたりを売り始めるとなるとちょっと話は変わってくる。文具にしろ雑誌にしろ、既に市内にある商店ともろに競合する話になってくるからだ。これは図書館での説明会に言った方から聞いた話だが、とある書店の方が雑誌販売について尋ねたところ、既存書店競争してもらいたい、という旨の話が出たという。

ちょっと待て。競合ということは、つまりTSUTAYA競争しろということか。かたや巨人、かたや零細となってはどこにフェアな競争条件があるというのか。もっと言わせてもらえば、首長というものはそもそもその自治体経済的発展のために力を注ぐのもひとつ重要仕事であろう。そりゃ工業団地を作り企業を誘致することで雇用も生まれ市には税収が入ってくるかもしれん。だがそれだけではなく、雇用された人が市内に住み、消費行動を起こすことで地域経済が回っていくのではないか。では地元商店はどうか。ゆめタウンなど大型店舗が増え、自家用車で買い物に行く人が特に若い人を中心に増えた。そうすると旧来の商店街からは客足が遠のき、もはや青息吐息となってしまっている。そんな中でさら巨人首長自ら引っ張ってきて、競争をせよというその信念が理解できない。むしろ地元書店や文具店等にスペースを有償で貸し出し、ここで商売をして儲けてぜひ市に税金をたくさん納めてくれ、というのが地元自治体のあり方ではないのか。何か根本的なところから間違っていると言わざるをえない。

だんだん疲れてきた。ここから文章崩れます中の人も崩れてます。ごめんなさい。

まず、映画音楽の充実でTSUTAYAレンタルをする、と。それでその内容は既存の武雄店と被らないような品揃えにする、という話だったように思う。

…で?

もう隣接地に別にTSUTAYAを作ったらいいじゃないか。なんで図書館内でやるの?図書館同様無償で貸し出すならともかくとして、有償で貸し出すのだったら単なるTSUTAYAだよね?

むしろ近くにあるレンタル屋(SQUARE)がどう思っているか聞きたいよ。多分本屋さんと同じ事を言い出すと思うけど。

えっと、あと電子端末を使った検索サービスと。

iPadでもWebは見られるよね?今の図書館でもWebで蔵書検索はできるよね?私は結構利用しているのだけど。まぁメリルというちょっと危ないシステムではあるから(岡崎図書館事件でぐぐってくれ)、変えられるなら変えたほうがいいけど、それ以上に何がご不満なの?むしろMy図書館青空文庫化をどうにかして欲しいのだが。

それから?…あぁ、代官山か。

これもエポカル武雄にあった、増田社長の本「代官山オトナTSUTAYA計画」と「情報楽園会社」両方を借りて読んでみた。が、特に武雄に持ってきて嬉しそうな話は何もなし。むしろ確かにカンブリア宮殿でも見たほうがよっぽどマシかもしれん。ただね、テレビを見ただけで簡単に全国で同じ物が実現できると思ったら、大間違いだと思うだけど。代官山はむしろTSUTAYAでは採算度外視番組内でも明言しているわけで、そんないくら掛かるかわからないようなシロモノを丈夫に作って、コスト削減ができるとはとても思えないのだが。コストとコンセプトが見合うという根拠を示してもらう必要がある。

極めつけはTカードだ。

ポイントを付けるためには日時を記録しておく必要が有る(あとで訂正する必要があるかもしれないからね)。貸出日時が全く同じ、ということはまずありえないから(カウンター2台での確率を考えてみればすぐわかる)、その時点で名前が直接わからなくても、特定の人間を判別することは容易だということだ。

もう高木浩光先生はじめ、ネットセキュリティ関係者のみならず、少々データベースが分かる人は総ツッコミしているわけだが、これはもう誰かセキュリティに詳しい人が進言してもらうしかないんじゃないかな。市議会でもそこまで詳しそうな人はいないと思うし。

一つだけ書いておくと、今のコンピュータ舐めるな、と。というか人間を甘く見るな、ということだ。たとえシステムが別々に分かれていても、それを管理する人間が同じであれば、簡単に両方のシステムから共通する情報を抜き出すことはわけないということだ。データさえどうにかしてシステムから取り出せれば、名寄せくらいなら多分私でもできるぞ。世の中には便利なソフトがあるからね。

Tカード規約を知らない人は(カードを作ったけど、あの小さい字なんか読んだことないというそこのアナタだ)、ぜひ一度読み返してもらいたい。ネットにはちゃんと大きな字で書いてある。何故か色は薄いけど。そこには、ポイントプログラム参加企業で個人に関する様々な情報を共通利用できる旨のことがちゃんと書いてある。個人情報法律上は住所とか名前とかだが、個人に関するセンシティブ情報だってたくさんある。家族のこと、買い物の履歴(例えばファミマで何を買ったとかガストで何を食べたとかエネオス石油を入れたとか蔦屋で何のビデオレンタルしたとか…いろいろだ)など、人によってはそんなの他人に知られたくない、といった情報もひとまとめになっているのがこのTカードと呼ばれるシステムだ。ビデオを借りたらポイントが付いて便利じゃんとか簡単に思っているかもしれないが、つまりわれわれは個人情報ポイントと引換に売り渡しているようなものだと思ったらいい。

それと図書館に何の関係が?と思うだろう。図書館歴史的に個人の貸出履歴は秘密にしておきますよ、という宣言をしている(図書館の自由に関する宣言でググってほしい)。今のような平和な世の中ならそうでもないが、以前図書館の貸出履歴がお上の思想調査の材料として使われたという苦い経験があったのだ。それでその反省を踏まえてこの宣言ができ、図書館員は(たとえ民間委託であろうが)この考えを守る、ということで一致している。しかし、CCCがいくら情報を使いませんよーといっても、物理的に別々のシステムから一致する情報を探し出せる条件がそろっているのなら、コソッとされても我々利用者にはわからない。それをしません、とどうやって担保するのか。そこが今だ不明なところだ。

ちなみに、図書館ポイント、というのも実は既に別の図書館で事例がある。図書館独自のポイントではあるが、利用者を増やすというインセンティブだけの目的であれば、それでも十分客寄せの用は果たすだろう。

というわけで、ひと通り書いてみたが、時間がもしとれたら改めて順序立てて書いてみたいと思う。

まぁ、今回の一件については、1ヶ月以上の時間が過ぎたこともあり、twitterなどの議論に参加していても、徐々に話が散漫になってきているような気もしなくもない。それは主に以下の様な理由がある。

(1) この期に及んでもなお、話の全体像はともかく詳細が全く見えてこない。

市長は「議会で説明する」の一点張りで(それはそれでわからなくはないが)、そうかと思えば市民団体から要望でと、当日になって急に説明会を行ったり、5月4日から記者会見で話した内容と、後にブログに記載した内容に一貫性がなかったり、市民に対してきちんとした情報は全くといって良いほど出ていない。その割には市民からの反応が云々とブログに書くなど、何が本当なのかさっぱりわからない。

からの公式な発表といえば、あの不便な顔本(Facebook、ね)にほんの数行書いているのみで、あとはCCCのりリースを見るしかない。と思っていたらさらにその抜粋が今月号の市報に1段だけ掲載されていたという…。なんじゃそりゃ。

市民の多くは、新聞テレビなどの報道を見て初めて知った人も少なくないだろう。なにせ、ITに詳しい人だけが市民なのではないのだからネットが見られないとほとんど情報を知りえないという人も少なくはなかろう。そもそも、図書館存在する理由の一つとしては、経済的な理由で書籍の購入が困難な市民でも、知る権利保証するためという一面がある。とすれば、図書館の話はそういったITと縁遠い人にもきちんと説明責任を負う必要があるのではないか

(2) メリットばかりで、デメリットに触れない

CCCと組むとこんな良いことがありますよ、というのは記者会見でもニュースリリースでも述べられており、基本的にその論調でしか正式な話は伝わってこない。

対して、ネット一部報道などでは、CCCと組むことでこんなことも考えられるのではないか、と専門家(図書館協会やセキュリティ専門家など)の視点も交えて指摘をしているにもかかわらず、やれ荒唐無稽だの、対案を出せだのと明後日の方向でしか返答が帰ってこない。

指摘する方は、「今発表されている計画のままだと、こんなリスクがあり、そのままにしておくとこんな結果になりますがどうですか?」と指摘しているにすぎない。普通対案を考えるのはむしろ指摘されたほうだろう。「そういう問題点なら、これこれこういう方法を取ることで回避できると思います」といった返答をするのが常識だろう。それを蹴散らした挙句暴言まで吐くとは何事か。嘘だと思うならネット上で検索してみるがよい。

…さすがに疲れてきた。まだ書きたいことは山のようにあるのだが、今日のところはそろそろやめることにする。

とにかく今は議会が全て、という話なので、我々としては一般質問の内容をよく精査した上で、地区議員諸氏を説得していくよりほかないかとは思う。議員諸氏が闇雲に条例案に賛成すること無く、上記に挙げたような問題点を今一度理解していただき、よりよい武雄市図書館を作るために全力を尽くしていただきたいと切に願うものである

2012-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20120211212320

ああそうだよ図書館は貧弱だ特に母体の構成員数が500を切るような中小規模の図書館は。予算は減り続け、学術雑誌の値段は上がり続け、人が切られて派遣になったり短時間スタッフになったりする。でも業務は減らない。どうしろってんだ。

エルゼビアのアレな点は「どうしようもないんで雑誌数減らさせて下さい」「減らしても良いけど割引率減らすね^^ 率は戻らないし値段上げ続けるから頑張ってね^^」「必要雑誌だけ試算したら総額上がった……」「継続ありがとうございます^^」てなるとこ。

(ちなみにワイリーは「EJ数は減らせないよ^^ 契約書に書いてあるでしょ^^」て言う。しかも買う時は全部EJ化しろって。嫌ならEJ買うの全部止めろってさ。EJのみの雑誌もあるのに)

(大規模図書館でも、出版社「あ、そちらいっぱい使ってるんで、今度からEJ使った分だけ払ってね^^」図書館「今更従量課金制ですと!?」って言われたりする。本の方が安くつくんじゃねえの……)

図書館員になったからには利用者の役に立ちたいよ。雑誌たんまり用意して、研究の下支えをしたい。でも無理なんだよ。お金いから。お金を確保したり、海外の無茶言う出版社に法的に殴りこみかけたり、同じ規模の図書館で集まって力を合わせてどうにかしてるつもりで、いくつかはできてることもあるけど、それでもきついよ。だって正職員なんて一人いればいいほうだもん。兼任だったり有期雇用だったりするんだもん。

いっそ出版社が全部ぶっ壊れて、研究者たちだけが彼らの世界論文を循環してくれればいいと最近よく感じる。ネットがあるんだから、それがもうできそうな気もしている。でも研究のものに対比して、雑務すぎな気もするんだよ……。

研究系の図書館はもう、紙の雑誌を守ったり、研究者勉強気分転換場所提供したり、研究を一般に発信するとかそういう方向のお手伝いでいいかな……。しんどい。経理に洋雑誌の商習慣を説明すんのしんどい。もっとできることがありそうなのに圧倒的に時間が足りないのがしんどい。

貧弱でごめんなさい。

2012-03-01

今月の出版状況クロニクル批評

■冒頭文

この著者はいつも「欧米出版物の発行額が減ってないのに、日本だけ減ってる! 日本は異常!」と言ってるが、本当にそうか疑問がある。

日本大衆にまで出版文化が広まった数少ない国であり、その移り気な大衆が今インターネットに移行しているというだけの話ではないだろうか。

一方の欧米ではそもそも日本ほど一般大衆にまで出版文化が拡がっていない。

人口あたりの出版物発行額を見れば一目瞭然で、つまり日本80年代00年代出版バブルだったというだけの話である

バブルが弾けて、書店が潰れ、発行額が減る。当たり前の話だ。

それをこの著者は「失われた○年」などと大仰に語る。

著者が地場中小書店立場でのポジショントークに堕しているとしか思えない。

■1:出版科研の売上推移

単なるバブルの崩壊の図だ。「表出している出版危機」などではない。

■2:コミックの売上推移

月刊誌週刊誌は半減しているが、コミック自体は健闘している。ブックオフなどがなければもっと良かったんじゃね?

という分析は正しい。

まあ、80年代からずっと売れ筋コミック書店を支える構図はあったから今さらではあるが。

■3:ナショナルチェーンの地方への大型店出店

この項目はひどい。

大型店が地方に出て商店街シャッター通りになるなんて事例は山ほどある。その書店版が起こっているだけという話。

品揃えも悪く、不便で、綺麗でもない店が潰れるのは単なる淘汰の結果であって、当たり前のこと。

むしろ消費者にとっては歓迎すべき事柄である

しかしこの著者は「大型店はいかん!」と言うばかり。著者がひいきにしてる中小書店は潰れるかもしれないが、それは健全競争の結果でしかない。

また、「大型店が出来て小商店を潰すと全体の売上が減る」というトンデモ理論を展開している。

イオンが出来るとその地域食品需要が減るか。減らない。

大型書店ができても、その地域出版需要は減らない。

出版物発行額が減少してる問題と、この問題は全くリンクなどしていない。

■4:新文化座談会

中嶋の「定価10%増・書店マージン6%増」という提案は書店の苦境を救うにはいい提案だと思う。(ナショナルチェーンが更に元気になる結果となり、中小書店が増えるわけではないが)

あとは再販制が崩れた際に、大型店に対抗する形で、コンビニ型の「やや高いけど近くにあって品揃えも新鮮で綺麗で明るい小さな書店」という業態が成り立つ可能性はあるかも知れない。片岡の言う「生活圏の書店」というのはそういう方向になるだろう。

■5:あずまんが日経に書いた文

書店の知の機能」などという、現状が全く見えていない論点ボケボケの文章なのでスルー

このクロニクルの著者もあずまんの文の内容については完全スルーしているところが可笑しい。

■6:東京都書店商業組合の提案

もういいから時限再販・買切にしちゃえば、って話。

もちろん時限再販・買切の世界がやってきたら、このクロニクルの著者が肩入れしてる中小地場書店はより激しくなる競争に勝ち残れずに潰れるけどね☆

ただ、提案の3にある付録の件は地味に意味があると思うし、4については新古書店問題も絡めて警察連携して取り組むべきだとは思う。

■7:取次の立場

日販社長なら2/12の話なんてどうでも良くて、2/23日経の「買切を増やす」って話の方が100倍も重要だろうに。

なんでそっちはスルーして2/12の話を書いてるんだろう?

2/23日販社長から示された

 (1)書店売上総利益率を35%と約10ポイント高くする代わりに、返品する場合の返金額は仕入れ代金より低くする

 (2)一定期間がたてば書店が小売価格を決められる(時限再販)一方、その後は返品を認めない

 (3)書店の取り分を厚くして、完全買い切りにする

あたりの提案についてこのクロニクルの著者は言及すべきだった。

■8:『スティーブ・ジョブズ

紙の部数に比べて電子書籍は4%ってのはまあ現状妥当数字

ただ、個々の書籍の事例は別にして、大勢としては今後この数字が上がることはあっても下がることはないという点が重要

電子書籍の割合が増えれば書店も取次もどんどん縮小する。

電子書籍価格破壊が発生したら出版社も縮小する。

ま、どっちも起きるだろうけど。

■9:出版デジタル機構

これはつまり電子書籍規格の乱立によるamazon一人勝ち状態を防ぐというのと、上記の価格破壊を起こさないようにするためのもの

■10:JPO経済産業省から補助金ゲット

ここは著者の妄想が素晴らしい。

出版デジタル機構出版社を代行し、取次や書店電子書籍卸売りする」とか。アホかと。そんなお花畑みたいなこと考えてるのかとがっかりする。

電子書籍は取次や書店不要にするもの。当たり前。

編集者さえいれば、出版社不要だと思う著者すら多い。

ただ、著者の言う「出版の魅力は許認可でないその自由、民間の知と力によって生じるもの経産省など官の下とかちゃんちゃらおかしい」という主張には心の底から同意

■11:MARC

公共図書館理念なき膨張が書店を潰した」という著者の主張にも同意

あと図書館図書館員図書館担当に異動してきたただの公務員を、貸出数で評価するのはやめるべき。

MARCはどうでもいいが、デファクトスタンダードになってるTRCに統一すればいいと思う。官が税金を使ってJAPAN/MARCごり押しするとかマジ勘弁。

■12:佐藤優司書育成についての文

司書の問題もあるが、上記の通り司書図書館担当公務員を評価するシステムの問題が根本

■13:出版業界スキャンダル

どうでもいい。

■14:月刊誌囲碁』が休刊

雑誌とともに形成されてきた、多くの近代の「趣味共同体」そのものが消えていきつつある」などと著者は書いているが、単にその共同体ネット上に移動しただけの話。

むしろ、雑誌編集してきた人のような囲碁界周辺の「囲碁を見る側のプロ」が減るのが問題だ。ネット集合知代替できる気もするけど。

■15:エロ付録

クロニクルの著者は「何となく楽しい」などとボケ感想を書いて終えているが、これは重要な話題。

出版物の流通経路が、他の流通経路と比べて圧倒的に効率的(返品を抑えられる場合であるという面を見逃してはいけない。

小売価格の70%近くが販売者に入る流通って他にはほとんど無いのだ。

まり、見る者が見れば、出版流通は美味しい経路だと言うこと。これは今後更に利用してくる会社が出てくるだろう。

これは書店が生き残る道の一つかもしれない。

■16:著者の宣伝

過去出版業界について記す人はいてもいいと思うので、まあご自由に活動なさって下さい。

自分自分の書いた文章を「啓蒙的」と言えるセンスは今時貴重です。

http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20120301/1330527651

2011-10-16

世界が第二の焚書時代を迎えた6つの理由

6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com

By: S Peter Davis

October 11, 2011

これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。

私はこの数年、仕事の一部として図書館書庫をめぐり歩いて、

稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。

焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。

それは不寛容と反知性の象徴だ。

だが今回の焚書は違う理由で起こっている。

#6. あなたの街の図書館でいままさにやられている

本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙田舎図書館だけじゃない。

おそらく世界最高の権威がある図書館大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。

オーストラリアニュー・サウス・ウェールズ大学そのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。

今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された

捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。

17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。

奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。

それをゴミ箱に捨てるのだ。

私は何度もその場にいた。

しつこく横取りを禁じた上司が見ていなければ、

持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。

これはオバマ共産ナチ新世界秩序に操られたソビエト秘密作戦か何かではない。

血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。

というのも……

#5. 寄付するより安くつく

誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。

囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。

図書館の状況は実のところ想像以上に複雑だ。

図書館の本には印が押され、目録に記録され、

蔵書であることが分かるようになっている。

その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。

盗品でないと分かるようにするためだ。

そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする

そして、処理すべき本はとても多い。

図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。

図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。

選択肢は二つ。

学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、

また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、

というのがひとつ

第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、

数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。

第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。

リサイクルセンター紙を買い取ってくれることもあり

そうなれば儲けがでることもある。

もちろんこんなのはみんなが嫌がる仕事だ。

ことに司書にとっては、それはまるで、

ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分けが銃を持っているようなものだ。

それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。

このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本引っかかってしまうことがある

2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。

コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。

また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。

ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。

盗られるかもしれないからだ。

誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。

とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。

そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、

館長はそれを救えとは言えない。

捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。

からの命令は「慈悲は無用」。

どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。

名前を知らない人を撃つのがたやすいのと同じように。

#4. こっそりやらなければならない

みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、

それは本の廃棄が秘密裏になされているからだ。

ほとんどの場合一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。

図書館は廃棄について広報しない。

はい司書こっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。

2004年ごろ、ニュージーランドビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。

しか内部告発によって学者学生にその計画が漏れた。

計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り

それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。

想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。

ある教授図書館を「野蛮人」と呼んで学内電子メールを回し、

図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、

職員と学生に呼びかけた。

私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。

一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。

それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。

たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。

ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。

#3. 経済的に苦しい図書館

本の廃棄を推進する人たちは、図書館機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。

みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。

しかし、図書館の主要な(そして一番費用のかかる)機能は、

学生学者研究に使う学術雑誌の購読を保つことだ。

ご愛読のポルノ雑誌のことを思い出してみてほしい。

コアなものヨーロッパしかない。

から価格為替市場の変動から大きな影響を受ける。

通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌価格も少し変わるだろう。

さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。

そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。

図書館雑誌購読費の最頻値は、数千万ドルをくだらない。

これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。

その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。

そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、

購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?

ところがそれは図書館のパワーユーザー学者学生毎日必要とするものなのだ。

必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。

そうした古い書物は、他の図書館に譲るわけにもいかない。

他の図書館も同じ問題を抱えているからだ。

どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。

というのも……

#2. 図書館はすぐには大きくなれない

図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。

悲しいことだが、それはそれで仕方ない。

しかし、前世から引き継がれた幾千の書物や新聞雑誌が、

コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?

オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。

その図書館では、社交的空間を作るため、1850年からの蔵書と新聞雑誌廃棄された

ピータースレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。

しかし、図書館立場にたってみれば、それを要求しているのは、

学生をはじめとする図書館の支援者たちだ。

彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである

そして出版社は無数の本を出してくる。

ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、

一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。

じゃあ増築すればいいんじゃないの、とお思いだろうか。

問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。

この報告書でも分かるように図書館お金を出している組織予算増額をものすごくいやがる。

図書館はそもそも利益が出せない。

図書館に行ってお金を払った覚えはあるだろうか?

ときに課される延滞料すら雀の涙にしかならない。

図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。

ほとんどの図書館に他の当てはない(建物放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。

#1. 本は電子化されていく

本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。

2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた

最近ハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。

小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、

巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。

現在経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。

この動きは三十年前に遡る。

1980年代図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。

本や新聞雑誌スキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、

図書館ひとつキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。

ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。

それによると、大英図書館アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、

数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。

世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書マイクロフィルムを掲げて

「捨ててはいません。ここにありますよ」と言い返したとか。

今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。

ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。

もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。

彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。

彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、

貴重な書物を捨てることは正当化できない。

世界をまわしている列車お金でできていて、

道は事務書類で敷き詰められていて、

燃料タンク官僚主義でいっぱい。

これが現実だ。

ピラミッドを崩し尽くせたあかつきには、

世界はもっとまともで実用的で効率的ものになるのだろう。

2011-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20110213011448

図書館員って本借りられないのか!初めて知った…

あこがれていたけど本借りられないのは困るなー。

2010-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20100818231642

ネットでかなり盛り上がってからもう6、7年になるか

作家からの抗議の声を図書館員が大声でわめいて回って火消しした結果ネット上では見られなくなったと記憶しているが

2010-03-15

なぜ日本図書館協会非実在青少年に反対しないのか?

図書館の自由に関する宣言には、検閲への反対と自由を守るための団結が高らかに宣言されている。

東京都の「非実在青少年条例に対して、彼らはなぜ行動を起こさないんだろう。

これは検閲ではないんだろうか?

http://www.jla.or.jp/ziyuu.htm

図書館の自由に関する宣言

第4 図書館はすべての検閲に反対する

1.検閲は、権力国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。

 検閲が、図書館における資料収集を事前に制約し、さらに、収集した資料の書架からの撤去、廃棄に及ぶことは、内外の苦渋にみちた歴史経験により明らかである。

 したがって、図書館はすべての検閲に反対する。

2.検閲と同様の結果をもたらすものとして、個人・組織・団体からの圧力や干渉がある。図書館は、これらの思想・言論の抑圧に対しても反対する。

3.それらの抑圧は、図書館における自己規制を生みやすい。しかし図書館は、そうした自己規制におちいることなく、国民の知る自由を守る。

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

1.図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標である。図書館の自由が侵されようとするとき、われわれ図書館にかかわるものは、その侵害を排除する行動を起こす。このためには、図書館民主的な運営と図書館員連帯の強化を欠かすことができない。

2.図書館の自由を守る行動は、自由と人権を守る国民のたたかいの一環である。われわれは、図書館の自由を守ることで共通の立場に立つ団体・機関・人びとと提携して、図書館の自由を守りぬく責任をもつ。

3.図書館の自由に対する国民の支持と協力は、国民が、図書館活動を通じて図書館の自由の尊さを体験している場合にのみ得られる。われわれは、図書館の自由を守る努力不断に続けるものである。

4.図書館の自由を守る行動において、これにかかわった図書館員不利益をうけることがあっては ならない。これを未然に防止し、万一そのような事態が生じた場合にその救済につとめることは、 日本図書館協会重要な責務である

2009-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20090915120744

元増田公共図書館員と勝手に仮定するけど、図書館員としては優秀かもしれないが揚げ足を取られるような文章を書いちゃう時点で公務員としてはいただけないと苦言を呈してみる。文末がほとんど「思う」で結ぶのもいまいち。断言できないのだね。

2009-08-19

試験によく出る民主党-図書館

ほんと、マニフェストというかINDEX2009はきちんと読まないと駄目ぷりが出てこないね。

思わず図書館員の私が絶句したところをあげときます。

学校図書館の整備

子ども読書活動は、子ども言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かにするうえで欠かせないものです。子ども読書活動推進法や、2010年国民読書年とすることを定めた衆参本会議での「国民読書年に関する決議」を足がかりとしながら、全国の学校図書館の整備・充実を進めるなど、子ども読書環境改善します。

また、文字・活字文化の振興を図るとともに、司書教諭が不足している現状にかんがみ、その充実に取り組みます。

はい、ここ。試験に出るよ

司書教諭が不足している現状にかんがみ

司書資格保有者は腐敗するほど余ってます。余っている教諭資格者と違って、コンビニ店員並みの時給でパートタイムとして働く司書が多いのが昨今の現状です。

マニフェストの段階から無駄使い宣言するつもりですか。きちんと現状を把握してから書きましょうね。

もっと、問題になりそうなところ

戦後課題への取り組み

今日日本平和と繁栄の陰には、先の大戦において内外に多くの犠牲が存在したことを忘れてはなりません。そのことを念頭に、戦後課題の解決に取り組みます。

北方領土問題を解決して日露平和条約を締結することや、拉致問題を含む諸懸案を解決したうえで日朝国交正常化に取り組むことが重要です。

また、国会図書館恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。

はい、ここ。こいつはもっと重要。必ず出るからきちんと覚えようね。

また、国会図書館恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。

図書館てのは国民の知る権利を保障する大事な機関。資料が無ければ存在しなかったという事も大いにアリ。歴史てのはそうやって存続してきているからね。

こういった観点から、「特定の思想信条イデオロギーに属さずに、資料を収集・提供する」てのが図書館の当然の常識中の常識。これ、理解していない図書館員が居たら、シューキョー化してる図書館員です。頭いかれてます。でも、たまに居ます。フィクション大好きな人間が集まりやすいから。

そもそも

なぜ平和調査を「政治的に中立でなければならない図書館」に設置する必要がある?それぞれ独立して置き、それぞれ独立した立場で利用してもらえばいいでしょう。

それとも、平和のためには資料として存続してはならない資料を廃棄するつもり? と、勘ぐられても致し方ないよね。

マニフェストはちゃんと読まなくちゃね

http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/img/INDEX2009.pdf

それでは、また来週~

2009-06-22

あ、そうか。違和感わかった。

http://anond.hatelabo.jp/20090621230615

http://anond.hatelabo.jp/20090621233308

この辺書いてた元だけど

http://d.hatena.ne.jp/STI/20090620/1245487335

この記事の違和感

バイト図書館にしばらく居たんで思い出した。

図書館職員は

「業者に直接個人で買いたい本注文してた」よ。

図書館員は「どんな値段の本でも無料仕事場に本が届く」、って立場。

AMAZONを好かない理由は「配達料」だ。

2009-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20090621230615

・・・なんか元記事おかしくね?

なんで図書館員が「発売日」を気にしてんだ?

発売前予約中でなけりゃいいだけなのに。

普通の本は発売日なんか「あとがき」近くに記入してるだけで

表だって書いてないぞ?

http://anond.hatelabo.jp/20090621224758

基本タイトルと作者と値段だけで情報十分って気がするしなー

それより図書館員なのにAMAZONが「日本十進分類法」とか「図書分類コード」が載ってないことに不満ないのか?

Amazonに文句たれるヒマがあったらクソOPACをなんとかしろやカス

http://d.hatena.ne.jp/STI/20090620/1245487335

(「図書館員Amazon検索を好きになれないたった一つの理由」)

まあOPACって言っても図書館によって違うのでこの人のところはちゃんとしたOPACかもしれませんがね。

ひとつの資料につき個別のURLがあるだけでもAmazonの方がはるかに比較にならないくらいマシです。

巷のOPACのクソっぷりを思うにつけ、情報の見た目の事くらい取るに足らないとすら思ってしまうほどだ。

定番になるような決定版みたいな使いやすいOPACソフトウェアが出てきたらいいのにな。

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