はてなキーワード: 因数分解とは
よく分からんのもあって、答え見たらあーそうかって感じだった。一回答え見てパターンを思い出したらある程度はできるようになるでしょ。
ただこれは詰将棋みたいなもんで、この局面は因数分解できますよって言われたら探せるかもしれないけど、実戦で出てくる分解可能かどうか分からん複雑な式を整理できる自信はあまりないなあ。
こういうのは今どきMathematicaにやらせればいいんじゃないかって気もする。
せっかくなのでもう少し抽象化した知識として頭に入れておくことを試みたい。
4a^2 - 9b^2 + 6bc - c^2
3変数の2次式なわけだが、そのような式は一般に、 x := (a,b,c)^T, 係数行列A, 係数ベクトルB, スカラーC として
x^T A x + B^T x + C
と書ける。これが因数分解できる、つまり何らかの係数ベクトルB', B''とスカラーC', C''について、
(B'^T x + C')^T(B''^T x + C'')
となるということだろう。これを展開すると、
x^T B'B''^T x + (C''B' + C'B''^T)x + C'C''
となる。このことから、因数分解可能ならば2次項の係数行列はあるベクトルB', B''が存在してB'B''^Tと書けなければならないことがわかる。
ひるがえって、問題7(2)の場合、係数行列を具体的に書くと、
A =
[[4, f, g],
[-f, -9, h],
[-g, 6-h, -1]]
となる。対角成分から、B'=(2,3,1)^T, B''=(2,-3,-1)^T としてみると、f,gについては自明に成立するが、h, 6-hのペアと矛盾してしまう。
h=3なら問題なさそうであるから、B'=(2,3,-1)^T, B''=(2,-3,1)^Tとすれば成立することがわかる。
これで1次項と0次項をあわせにいけるか?C'C''=0なので少なくともC', C''の一方はゼロであるが、問題の式はそもそも1次項も0次項もゼロなので、C'=C''=0とすればよい。
従って答えはB'=(2,3,-1)^T, B''=(2,-3,1)^Tから(2a + 3b - 1)(2a - 3b + 1)である。
実在する他人の身分・戸籍を乗っ取って、その人物に成りすます行為を指す警察用語らしい。
錦糸町にある山内牧場という居酒屋のあるビルの5階でその名前と保険証をもらった。
「免許証やマイナンバーカードは偽物しか作れないが、保険証とマイナンバー自体は本物を渡せますから」
事務所のソファーで母親から差し出された25万円を数えながら、ツーブロックの筋骨隆々のさわやかな男は私と母親に向かって言うと、
「このマイナンバーは免許証をもう取得済みだから、免許証が欲しいなら別の名義で作らないとだめです。なのでその際はまた相談してください」
そう言って保険証を金庫から取り出して私に差し出した。保険証の裏には付箋が1枚張られていてそこには12桁の番号が書かれていた。
保険証を見ると1990年生まれの生年月日と今まで名乗っていた名前と全く違う名前が書かれていた。
私が生まれたのは1991年の春のことだったらしい。ずっと母親と二人っきりで暮らしてきた。
母親は貯金があるからだとかそういう理由で働きに出ている姿を見たことがない。
友人もいなく、たまに趣味の山登りに一人で行く以外はずっと家にいる母に読み書きからなんやらは教えてもらった。
母は私に因数分解を教えながら
「これでも故郷では町一番の才女だと言われたのよ」
とよく言っていた。
母は頻繁に引っ越しをした。決まって7月だとか12月だとか学校に通っている子供たちが長期の休みになる時期に。
引っ越した街には夏休みや冬休みが終わるまで住むことができた。
私は新学期になったら君たちと同じ学校に通うのだと、学校に通っている子供たちに自己紹介して、
そして新学期が始まるころ引っ越して新しい街に向かった。毎回私はそのたびに大泣きした。
「0で割っちゃいけない」と言われたから。
どうして「0で割っちゃいけない」と言われたの?
0で割ろうとしたから?
0と分かっていて0で割るような状況があるだろうか(反語)
0かも知れない数で割ろうとしたから
しかし1次方程式の場合、係数は0ではない。(1次方程式にならないので)
つまり、2次以上の方程式を解く過程で0かも知れない式で割ろうとしたときに、0で割ってはいけないと言われた。
完全平方なら0で割るとはならない?もっとあとの解の公式ならともかく。
因数分解?
どうして因数分解で解けるの?
どうして掛けて0ならどちらかが0なの?
これこそ問うべき疑問だろう。
聖域なき疑問追求するなら。
超手短に言うぜ。
義務教育の程度が低すぎて基礎教育を終えるのに12年もかかってることに対して最も手際よく出来ないのかをちゃんと考えろってこと。
端的にいやあ、小卒の段階で社会人として十分な能力、中卒の段階で頭脳労働者として十分な能力、高卒の段階で専門労働者として十分な能力を与え、大学に行くのは研究者だけという状態にしろ。
ていうか本来はそういう風に回すはずだったものを、無能が汚職と自己満足の繰り返しに胡座をかいた結果、高校卒業しても微分積分が分かってないやつが半分ぐらいの地獄になってる。
とりあえず、書道・図工・音楽・工作はなくして、総合的学習や英語といった高等教育ごっこも削除、体育の授業も身体の動かし方のトレーニングをメインとし球技などは完全になくす。
各科目の中にある形だけのごっこ遊びも減らし、作者の気持ちよみや単なるパズルの因数分解もなくす。
理科は無駄な部分を減らし、たとえば炎色反応の実験をするのに原子の構造も光の波長と色の関係を理解してないといった状態は完全に無駄なのでそういったものは削る。
社会科では思想的な教育は減らしていき、たとえばWW1・WW2に対して過剰にフォーカスを当てた敗戦史観的な教育は時間の無駄なのでやらない。
弱者男性周りって、正しく価値観のアップデートが必要になる案件なんだよね。
基本的に弱者とされてきたのって女子供なわけで、これはもう覆しようのない事実なわけじゃん。
だってタイトルみたいな台詞を言ったら大多数の人間は共感するじゃん?
因数分解していけば、儒教だの仏教だのっていう宗教から社会やら歴史の話になるんだろうけど、
とにかく、今この時点で「女子供に手を出すやつは許せねえ…!」って台詞があったら、常識人は「その通りだ!」って思うわけですよ。
その常識を変えなきゃいけない。これは大変なことですよ。
もうすこし拡大すると、「女子供、お年寄り、犬や猫に手を出すやつが俺は嫌いなんだ!」って台詞なら共感できるよね。
だってそれは、女子供、お年寄り、犬や猫はか弱い、守るべき対象だってみんな認識しているから。
それが常識ってやつだ。
「女子供、それに弱者男性に手を出すやつは許せねえ…!」って違和感バリバリの台詞に、みんなが共感するようにならないといけない。
というか、「女子供に手を出すやつは~」って台詞そのものが、意図的に成人男性を除外しているような発言だから、所謂ポリコレ的に正しくない発言になってしまう。
これは大変なことだよ。「なにそれめんどくさい」ってなる話なんだよ。そういう根本的な、我々に遍在する意識を変えていこうって話なんだよな。
ロビー活動の一環として、創作物にケチつけたりする必要すらあるかもしれない。
フェミニズムってのは、そういうめんどくさくて厄介な行動をし続けたからこそ、現在問題になってるわけだ。
だからこそ、この話は所謂フェミ含む弱者ビジネスへのカウンターとしても機能してしまう。ややこしいね。
まあ何が言いたいのかっていうと、話が大きくなったらどんどんめんどくさい方向にしか転ばないと思うけど、みんな頑張ってねってこと。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee
共同通信社は30日、憲法記念日の5月3日を前に憲法に関する郵送方式の世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。
改憲なくとも法を生かせば緊急時に行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去の公害の教訓を思い起こしてみると立法・行政の不作為が目立つ。
憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法を指導する上位の規律が必要で、「今まさに緊急時だシフトチェンジしろ」
と行政や立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法の役割なのかもしれない。
という趣旨。
+++++++
「内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権が内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から
公害立法の歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法の余地もある。
実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。
そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在の感染症コントロールの問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。
だから、問題はできることをしない、立法不作為・行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。
しかし。
改憲の世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。
もちろん、行政・立法の性善説に立てば。。という留保はつくが。
というのも、水俣病を例にとって、公害の被害を振り返ってみると。
なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。
漁業法による禁止措置と漁民への補償、食品安全法による有機水銀に汚染された可能性のある魚類の販売禁止、
すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。
こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年。
国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限を行使しなかった、というのが結論。
1970年代、公害の社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として
そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。
法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政の責任が厳しく断罪されたわけだ。
ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず
なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題。
そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、
シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか。
かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線の駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、
通勤している乗客が枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について
非日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、
惰性で日常の論理で動こうとする「慣性(イナーシャ)」が働いているといったが、
ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。
この問題が解決されない限り、改憲による緊急事態条項の検討など、全く意味をなさない。
日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。
いや、だけど一方で、
緊急事態条項のようなシフトチェンジのトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。
どっちなのだろう。
そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長のインタビュー記事を目にしたからだ。
尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン
――東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。
尾身 医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります。
――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?
尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います。
これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応の問題ともつながっているように思えた。
それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存の立法・行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。
改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。
危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつの方法。非常時のガバナンス体制を整備する。
米国のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のように。
そうすれば、現在の河野太郎のような感染症の素人が新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。
彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、
ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民の心配に答えるのは基礎自治体の役割だ。
危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、
集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチンの効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。
目的とロードマップを国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定がベースとなったリーダーシップが重要だ。
ガバナンスの基本は、法、規則基準、科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。
これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国の行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して
説明責任(財政とリソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。
テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。
いずれにしても、緊急時のガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。
現在の菅政権は、こうしたガバナナンスの観点から落第点であり、
首相が何を考えているかわからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。
急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。
国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップに注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップの問題に錯覚してしまうが
本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンスの問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて
どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。
国民にとって予測可能でなければ、国民自身が計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。
(水木しげるの漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウルの本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップを象徴する話だと思う。)
緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガーが必要なのではないか。
そこに非常時へのシフトチェンジが記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。
もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさんが首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、
それが立法や危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味、大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領の権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダーの聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。
日本の政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。
そんなことをインタビューの印象として持った。
同じ制服を着て機械的に物事を教えて、その内容はその後の人生で全く役に立つことは無い。
金太郎あめを増産して、単純労働者を量産する政府のシステムなので義務教育の意味が無いっていう奴がいたんだけど、どうしたもんかな。
「小数点の勉強」とか「因数分解」とかその後の人生で全く必要ない事を勉強して無駄だっていう奴は、大概勉強できずに成績が悪い奴なんだよなぁ。経験上。
それで自分の子供をあえてフリースクールに通わせているのは、そちらの家庭の事情で教育方針だろうからとやかく言うつもりはないけれど。
分数の四則演算なんて役に立たないとか言う考えをもったなら、それは答えを導き出すためにどのようなプロセスを辿っていくかを身につけるための訓練なんだよと諭してはいる。
勉強することだけではなく、どのように課題や問題を解決できるか思考することが出来るかの土台部分が義務教育で基礎教育なんだし、藪から棒に義務教育の無駄を声高に主張しなくてもと思う。
「どこの中二病やねん、」「なんだこいつ」って思わせたらいいじゃん。お前も同僚に対して似た方向のことを思ってるんだから。
同類を見ればわかるんなら、そいつとツルめよ。そうしたら本心の一部を言える人が出来るぜ。
つーか、「お前含むこの世の人全てに、可能な限り、苦しんで死んで欲しい」って、本当にお前の本音が行きついたところなの?
案外、「働きたくない」とか「家帰って寝たい」とか「あんな女とやりたい」とか「家族との関係を良くしたい」とかそういう感情にブレイクダウンできるんじゃないか?
多分、生きづらくなるような考え方や行動のルールを自分で作っちゃったんじゃないか?
「正しいことを言わないといけない」とか「嫌われちゃいけない、キモいと思われちゃいけない」という考えが頭に刷り込まれてるでしょ?
カウンセリングに行ってみてほしい。この考えを取っ払った先に出てくるのがお前の本心。
俺も"俺達"の一部だよ。だけど、徐々に落ち着いてはきている。
まだまだ、生きづらいけどね。俺達は圧倒的なまでに他人を見下して生きてるからね。
そして、自分を客観視しているところもあるから、その中でも自分という「他人」を一番見下している。
「他人を圧倒的に見下している」ってカウンセラーに言えたことは俺の中ではプラスです。
で、俺みたいなやつって世の中にそこそこ数いるんだよね。世界のほぼ全てを憎んでるやつ。
最初の方は「この世の人全て」死んでほしいと言い、二つ目は「世界のほぼすべて」憎んでいると言っている。
言葉に敏感だろうから、「世界の全てを憎んでるやつ」と書いた後「世界のほぼすべてを憎んでるやつ」に書き換えたんじゃない?
この差がお前が胸の奥で大切にしたいと思っていることなんだよ、多分。
ただ、その同僚のことは嫌いなんだろうなw 面倒くさそうだし。
リベラルフェミニズム、ラディカルフェミニズム、マルクス主義フェミニズム、エコロジカルフェミニズム、ポストフェミニズム、アンチフェミニズム、ミサンドリー、ミソジニー
現代の日本のフェミニズムに対しても、ここの騒動で個々人の思想体系は異っているケースが多い
なのでジャパンフェミニズムを把握する場合には因数分解をしていく必要がある
→思想的に該当する例:男女雇用均等、男女の賃金格差なし、夫婦別姓
→思想的に該当する例:育児を女性側が主に負担すること、専業主婦が家事を行うが賃金が発生しない労働扱いされること
→思想的に該当する例:ポルノを批判する、乳袋は不適切と言ったりする、萌え絵を批判する
→さらに過激になるとAV女優やグラビアアイドルを攻撃対象として批判したりする(男性の性的搾取の価値観に加担しているなど)
→思想的に該当する例:結婚しない自由、子どもを持たない自由などを提唱(結婚、子どもを持つと女の幸せが侵害されるという思想)
→思想的に該当する例:女はこうあるべきという無自覚な価値観や発言に強い怒りを感じる
→思想的に該当する例:男はいらない、男児は必要ない減らしていくべきなどの過激的な発言が目立つ
→思想的に該当する例:家父長的価値観を増長させている事なかれ主義や日和見主義、振る舞いに疑問を感じていない女性をフェミニズムの足を引っ張る存在だと批判する動き
→男女平等や不当な扱いを受けている女側の活動の足を間接的に引っ張る女性の存在に不快感を感じている
→該当する例:性表現を批判する側によく見られる現象でOKな表現とNGな表現の定義や基準を明確に示すことができない(感情先行派)
→言語化できないためうまく話し合えず、攻撃側は拒絶された理解されない拒絶感を感じやすい、攻撃されている側も論点や具体的な点を明らかにできず議論が平行線になりやすく疲弊する
→性的表現の批判をして男そのものを憎んでいるAさんもいるし、性的表現の批判をしてるが足を引っ張る無自覚な日和見主義の女の存在に苛立っているBさんもいたりする
→個人レベルで見ると思想の差異があり、一緒のように見えるが部分的なところでだけ共通してる集団でしかなかったりする(主張が複雑化しやすい根本的な原因)
それぞれが違う思想を持った個人の集団だと理解して話を聞く必要がある
また同時に集団としての統一性がとれているとは限らずそれぞれの思想がある個人の寄せ集めであるため、大筋としての共通部分の内容把握にとどめるなどの工夫が必要
そのまま真正面から全て受け止めると、それぞれの思想のある個人の主張の波に潰されるので一歩引いて意見をまとめること