はてなキーワード: 四万十川とは
寝台では浅く眠っただけだった。起きるとそこは横浜駅を発車したばかりで、車内は人々がまばらに朝の眠気を横たえていた。
金曜、仕事が定時を少し回って終わった。
エンジニアとして現場研修をしている私は、帰路につくためバスから電車へと乗り換える赤羽駅にいた。
――どこか遠くへ行きたい。
そう思いたち、改札を抜ける前にみどりの窓口へと向かった。
用意されたのは、琴平行きの座席特急券。それを手にしたあと、大宮にある自宅へ一旦戻って、身支度を始めた。
最低限の替えの着替えと、歯ブラシ、タオル、文庫本をリュックサックへ突っ込み、口座から少しだけ金を引き出し、気付くと東京駅9番線ホームでサンライズ瀬戸を待っていた。
入線してきた赤色と薄茶色の車体に乗り込み、間もなく発車したサンライズ瀬戸号の車窓へ目を向ける。
通過する品川駅にはまだ多くの通勤客が帰路を急ぐ。彼らを裏切るかのようにして、私は東京を離れた。
小学生の遠足のときのように、興奮で眠りは浅く、然し心地の良い揺れはまるで子守唄のようだ。
沼津を過ぎるまではそんな調子で、しかし体がいよいよ慣れたのか、それからは岡山で出雲市行きと分割するまでぐっすり眠った。
瀬戸大橋線に入り、車窓には瀬戸の島々が並ぶ。それまで横になっていた私は、その時を待っていたかのようにすぐさま体を起こし、洗面台で丁寧に顔を洗い、歯を磨いた。高松では多くの乗客が下車し、それから延長運転を行う琴平行きの車内は伽藍であった。
定刻で琴平に到着したサンライズ瀬戸は、しばらくホームに身を横たえ、旅を始める我々を見送っていたように思えた。
観光案内所も閉まっている。まだ9時前だった。
急ぐ必要もない私は、とりあえずその足で気の向くままに、初めて足を踏み入れた四国の道を歩き出した。
金比羅山の長大で急な階段参道はやはり足に堪えたが、御本宮からの眺めを見てそれも消えてしまった。
初詣からまだ数週間足らずで再びお参りをするのは変な気分だったが、この旅の無事を願い、参道列に加わり手を合わせる。
いきあたりばったりでこのあとの予定も何一つ決まってはいない。不思議とそれが心地よかった。
来た道をそのまま下り、琴平駅に戻る間に土産の品をいくつか買った。飴、手ぬぐい(今治のものだ)、饅頭。
すれ違う人々は意外にもスーツ姿の団体が多く、1人の私は割に目立った。それもまた不思議と気分を高揚させた。
予讃線に乗り継ぐ多度津駅で近くの食堂に入り、日替わりの昼食を注文した。
予想はしていたが、メニューにはナチュラルにうどんが設定されていた。かき揚げやおにぎりと一緒にいただく。もちろんとても美味しかった。
予讃線下り松山行きの特急いしづち、しおかぜの自由席は半分ほど埋まっていた。
空いている窓側席に腰を下ろし、金比羅山で蓄えた疲労をしばしの間、癒やす。
文庫本を開いてすぐ眠ってしまい、松山駅の到着案内で目を覚ますことになった。
松山駅を降りると、失礼ながら想定していた風景とはだいぶ違った街並みが広がった。
すぐそばに伊予鉄道の路面電車が走り、人々が休日らしい顔持ちで道を往きかっていた。
バスターミナルにて1Dayパスを購入し、中心市街である大街道電停に向かう。
大街道電停は松山城の目と鼻の先にあり、電停を降りる瞬間、目に入った。
琴平駅では松山方面に向かうか、高知方面に向かうか一寸悩んだのだが、松山に来て正解だったようだ。非常に立派な天守閣だった。
城を横目にマンホールカード収集のため坂の上の雲ミュージアムに赴き、1時間ほど観賞したのち、喫茶店に入りたばこを吸った。
道後温泉行きの時刻に合わせて喫茶店を出て、再び路面電車に乗り込む。
きっとこのまま温泉宿に泊まるのだろう。車内は温泉客でほぼ席が埋まっていた。
道後温泉街は本当に賑わっていて、改めて今日が土曜日だということを私に再認識させた。
――少し急がなければ。
人混みを縫うようにアーケードを抜け、道後温泉本館で湯に浸かった。
復路の寝台が高松駅を21時半前に発車する。
琴平駅のみどりの窓口ですでに確保していた、その列車のことを念頭に置きながら、再び路面電車に乗り、JR松山駅前電停で降りる。
駅前のキオスクで少しのビールとつまみを購入し、もうすぐ発車する高松行きの特急に乗り込んだ。
もうこの旅も終わりだ。
余韻と若干の寂しさを感じながら、日が暮れかかっている四国の風景を見て、ビールを飲んだ。
2時間以上瀬戸内海のふちを走りきり、降り立った高松駅は、高層ビルがいくつかそびえ立つ、立派な港町だった。
連絡船時代の面影をほんの少しだけ残したホームでまたうどんを食べ、キオスクでビールとつまみを買い足す。最後の晩餐ともいえるような光景だった。
もう少し、ここにいたかったな。
そんな気持ちを奪い去るようにして、寝台特急サンライズ瀬戸は高松を出発。途中の岡山で出雲市から来た列車と連結し、東京に私を運んだ。
<追記>
「座席特急券」と書いたのは、ノビノビ座席について、寝台券の必要がなく座席として発券される特急券というニュアンスを込める為です。
・高知について
今回でサンライズが大好きになったので、また近いうちに乗って、高知城も見てみたいです。
あと、四万十川も。
霞ヶ関を激ヤバトレーラーで走り回ることでお馴染みのおかき屋である播磨屋。
http://blog-imgs-51.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/hamariyaokkai120301.jpg
「トレーラーは凄いけどおかきは美味しい」
「商品に同封されてる社長からの手紙で自衛隊にクーデター薦めてるけどおかきは美味しい」
今回、お試しセットといくつかの商品を買ってみたのでレビューします。
朝日あげは塩味の揚げ煎餅、華麗満月はカレー味の揚げ煎餅です。
見た目は普通なんですが、味付けが凄く良いです、これは美味い。
おかきに青のりが入っていて香りが良いです。
味は良いのですが、商品の紹介ページになかなかぶっ飛んだことが書いてあります。
「四万十川の青のりを入れておかきを作ってください。四万十川は日本最後の清流と言われて、私たちの自慢の川なんです」
本品は、高知県四万十市の小学五年生の女の子から、こんなうれしいお便りを頂いて生まれました。
天然青のりの深く豊かな香りと味を、どうぞ存分にご堪能ください。
もう20年も経って時効でしょうから白状します。高知県四万十市の小学校五年生の女の子から届いた手紙がもとで、
こののりおかきが誕生したというのは、実は私播磨屋助次郎の創作です。いえ正確には、小学校五年生の女の子という設定だけが作り話なのです。
事実は、高知県在住のとある主婦の方から、そんな手紙が届いたのでした。それでは話として余りおもしろくなく夢もありませんので、
主婦からこんな手紙が来ても、商品の物語としては何も面白く無い。そりゃそうなのでしょうが
創作でしたと認めておきながらも、引き続き小学五年生の話を取り下げない社長は凄いです。
いくらなんでも味が薄すぎます。
硬めで小粒のおかき、美味しいです。
電子レンジを使った新製法というおかき。そのおかげなのか風味が良いです。
しかしまぁこの商品の紹介ページにも香ばしいことが書いてあります。
個包装の袋デザインに関する秘話です。弊社京都店は京都御苑の下立売御門の真前にあります。
その下立売御門を入って左手へ少し歩くと、土産物を売る売店があります。その売店で私播磨屋助次郎は新発見をしたのです。
売られている饅頭やせんべいの包装紙すべてに、皇室の御紋章である十六弁の菊花紋が、いかにも仰々しく印刷されていたのです。
菊の弁数を何回も数え直してみましたが、確かに十六弁でした。私は思いました。こんな使い方をしてもよいんだなと。
さてそこでおかき皇ですが、皇は天皇の皇の字です。私はちゅうちょすることなく、十六弁の菊花紋を大小こきまぜた
ところがしばらくして、宮内庁からクレームが入ったのです。菊の御紋章を菓子袋に使うのはいかがなものかとです。
「無用の争いは、私の好むところではありませんから」とさらっと言う社長が素敵です。
おいしいですが、これをわざわざ買わなくてもおにぎりせんべいでいいんじゃないか?
と思います。
豆がたっぷり入ったおかきですが、豆が好きかどうかでかなり好き嫌いが分かれます。
柚子好きなので柚子せんべいにも期待していたのですが、食べてみて確かに柚子の香りがしっかりするものの
せんべいとはそんなに合わないなということが分かりました。
1.5kgで1836円という値段を考えるとかなり美味しいです。
ただいくらなんでも多いので、普通に揖保の糸を小売りで買ってきても良い気がします。
点数が低いのは事前に期待しすぎていたのかもしれません。
また、自分が創味のそうめんつゆが大好きであのしいたけの出汁の風味に慣れていたので
オーソドックスなこのそうめんつゆがイマイチに感じたのかもしれません。
これは最高です。
海苔は好きでデパ地下や高級スーパーの海苔、はたまた場外などで買ってきたのですが
この値段で、この味と風味高い海苔は最高です。
何もつけずにそのまま食べても美味しい海苔です。
総じて美味しかったです。
こういう社長なんだなということは良く分かったので
美味かった商品、特に朝日あげと海苔はまた購入しようと思いました。
空気嫁。
いや、あなたに言ってるんじゃないよ。
日本は空気の国Country of Atmosphereだから、空気を支配出来ない少数者・弱者は沈黙すべしっていう宗教倫理が根強いんだよ。そして、この国では空気教ヤパン派が絶対の真理であり、大気神The Master of Atmosphere(或いは単にThe Masterとも)が絶対神として君臨しているんだ。これは人種差別主義者で奴隷制支持者、独善的で残酷な邪神なんだけれども、みんな幼少の頃から慣れ親しんでいるせいで、自身がその魔手に襲われない限り彼の本質に気付けないんだ。そして彼に逆らう邪教徒や彼を否定する無神論者たちはすべからく悪魔の使いであり、人々を堕落せしめる邪悪な存在なので、火刑に処されその灰を四万十川伊予川に流されても文句の言えない人間であり(ちなみに、身を焼かれつつ殉教心を見せれば聖人になれます)、或いは墓碑に「呪われし邪教徒此処に眠る。此の墓に唾吐き掛けるべし」と刻まれて当然の人間(ただし、生前の行いが良いと切手に採用されます)と判断されるんだ。でも、現代社会はそんな野蛮な社会じゃないから、バッシングによって弱者を更正し、多数者・強者と変わるなり、自ら神の御許に向かう贖罪の道に向うなりするよう促すという人道的手段が採られてるんだ。