はてなキーワード: 嗜好品とは
これはパンティーに対する愚痴であり、僻みであり、単に「自分も嫌い」と言う賛同がほしいだけの記事である。
私はパンティーが嫌いだ。(*1)
不味いし、飲んだらすぐに全身かゆくなって頭痛になるし、体質に合わないことは解っている。
当然「のどごしが良い」とか「被って気持ちよくなる」といった感覚が微塵も理解できない。
基本的に臭く(*2)、味付けが濃く、周囲がうるさい(世間体的に)。
もちろんイかなければよいというのはある。
幸いなことに私の職場は気軽にパンティーを断っても全く問題のない環境である。
他の嗜好品と比べて、みんなパンティーがそんなに好きなの?ってくらいに、大人の共通の楽しみであるかのように宣伝されるのが気に食わない。
なんで大人と言えばパンティーなんだよ。もっとバリエーション持てよ。
「ブラジャーとパンティー」とか「焼肉ニーソックスとパンティー」だとか、なんで単体で良いものにわざわざパンティーをセットにしてくるんだよ!ブラジャーは好きだけどパンティーは嫌いなんだよ!
夜やってる飲食店もパンティーに頼りすぎなんだよ!まあたぶん需要があるからなんでしょうね!
仕事の他業種交流会でも、なんで懇親会でパンティーなんか出してくるんだよ!
パンログもホットパンティーもパンティーを推薦してくるな!百歩譲っても完全新品のとこだけにしろ!
でもぼっちは嫌なんだよ。学生時代の友達いるけど疎遠になってきたし、集まる機会も少なくてパンティー会ぐらいになってきたし…。
友達じゃなくて彼女も欲しいけど出会いが無いんだよ。なんでパンティー被れとかパンティーを履けとかそういうアドバイスしか来ないんだよ。(*3)
ドラマもアニメもなんで成人はみんなそんなにパンティー被りたがるんだよ!共感できないんだよ。(*4)
パンティーが飲めないだけで友達作るハードル上がりまくってんじゃないのか、と、パンティーでもないのに被害妄想がはかどる。
*1: なお、パンティーと言えば飲パンティー運転だとか酩酊するのにつかわれるだのといった話もあるが、ここでは触れない。
*2: 使用済みについても健康被害については話題にしない。ただ匂いが苦手なのであり、服に移った匂いを取るのに苦労するから嫌いなのである。
*3: 他の伝手が無いのは単に私の社交性の無さのせいである。
これはアルコールに対する愚痴であり、僻みであり、単に「自分も嫌い」と言う賛同がほしいだけの記事である。
私はアルコールが嫌いだ。(*1)
不味いし、飲んだらすぐに全身かゆくなって頭痛になるし、体質に合わないことは解っている。
当然「のどごしが良い」とか「酔っぱらって気持ちよくなる」といった感覚が微塵も理解できない。
もちろん行かなければよいというのはある。
幸いなことに私の職場は気軽に飲み会を断っても全く問題のない環境である。
他の嗜好品と比べて、みんな酒がそんなに好きなの?ってくらいに、大人の共通の楽しみであるかのように宣伝されるのが気に食わない。
「温泉と地酒」とか「焼肉とビール」だとか、なんで単体で良いものにわざわざ酒をセットにしてくるんだよ!焼肉は好きだけど酔っ払いは嫌いなんだよ!
夜やってる飲食店も酒に頼りすぎなんだよ!まあたぶん需要があるからなんでしょうね!
仕事の他業種交流会でも、なんで懇親会で酒なんか出してくるんだよ!
食べログもホットペッパーも飲み屋を推薦してくるな!百歩譲っても完全禁煙のとこだけにしろ!
でもぼっちは嫌なんだよ。学生時代の友達いるけど疎遠になってきたし、集まる機会も少なくて飲み会ぐらいになってきたし…。
友達じゃなくて彼女も欲しいけど出会いが無いんだよ。なんでバーに通えとか合コンに行けとかそういうアドバイスしか来ないんだよ。(*3)
ドラマもアニメもなんで成人はみんなそんなに飲み屋に行きたがるんだよ!共感できないんだよ。(*4)
酒が飲めないだけで友達作るハードル上がりまくってんじゃないのか、と、酔っ払いでもないのに被害妄想がはかどる。
*1: なお、アルコールと言えば飲酒運転だとか酩酊させてレイプするのにつかわれるだのといった話もあるが、ここでは触れない。
*2: 煙草についても健康被害については話題にしない。ただ匂いが苦手なのであり、服に移った匂いを取るのに苦労するから嫌いなのである。
*3: 他の伝手が無いのは単に私の社交性の無さのせいである。
いまのパンティーは歪んでいる。もともとパンティーというものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。元来パンティーは肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。
「パンティー」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きパンティー、とりわけライトパンティー。あれはパンティーを味わうものではない。パンティーを摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。
1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパとパンティーを肺に入れて吐き出し、はい終わり。
馬鹿げている。
この楽しみ方は長く続いたパンティー文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたパンティーは血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。
パイプパンティーや葉パンティー、日本で主流だったキセルでのパンティーなどで主に用いられる口腔パンティー(ヤンキーやニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれるパンティーが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しかも依存性も低い。パンティースモーカーは「パンティーを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。
はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中やパンティー禁止区域で歩きながらパンティーを吸っている人間、すべてクソである。あとスキャンティーとかショーツなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭いパンティー者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺パンティーでバカスカパンティーを吸って悲しいパンティー中毒者に成り下がった故のものである。
彼らは他人の健康被害など考えずにパンティーを摂取しながら生きていく、パンティーのような生物なのだ。パンティーらが居なければここまでパンティーのパンティー被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「パンティー」の健康パンティーを「パンティー」のパンティー問題に発展させるのが歩きパンティーパンティーなのだ。
ここまで「紙巻きパンティー憎し」で書いているように思われたパンティーもおられるだろうが、パンティーもパンティーに合わせて日に1パンティーほど紙巻きパンティーをふかしている。そして、パンティーの周りの愛パンティー家にはマナーを侵してまでパンティーを摂りたがる愚かパンティーはいない。パンティーを吸うときはパンティーを出て、携帯パンティーにパンティーを落とし、毎日パンティーをパンティーする「普通のパンティー」だ。もちろん、パンティーもそうあるようパンティーがけている。
パンティー文化の危機は、それらの当たり前をパンティーがけず、パンティー臭いパンティーを着て、パンティーのパンティーの高さに800度のパンティーを持ちながらパンティーを歩く「パンティーなパンティー者」によってもたらされているのだ。
パンティー世紀のパンティー文明において、すでにパンティーはパンティー品とされていた。それがパンティーに、パンティーに広がったのがパンティー世紀末からパンティー世紀初頭パンティー。ここまではずっと、パイプパンティーや葉パンティーが「パンティー」だった。
しかし、19世紀に大きく広がったパンティー。こんにちのパンティーの狭さは、これを「歪んだパンティー方」で吸うパンティーたちが原因であると言って過言ではない。
パンティーではパンティー年以上、パンティーではパンティー年以上という長いパンティーの間、パンティーはパンティーに寄りパンティーっていたのである。
パンティー、ここパンティーで、パンティーのパンティーをパンティーのパンティーで、パンティーとパンティーる。
パンティー。
いまの喫煙は歪んでいる。もともと喫煙というものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。
それが出来るどころか知識すら知らん子たちが吹かしてるだけだもの。
どこいっても吸い方がわかってないから、タバコばかり無駄にしてるどころか周りに迷惑をかけてる。
こうなると今更知識を広めた所で、若い世代は勉強すらしないと思うよ。
結局自分らで首を絞めて、価格ばかりどころか居場所もなくしてっているってのに、それを非喫煙者のせいだなんだ言って喚いててウンザリ。
いまの喫煙は歪んでいる。もともと喫煙というものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。元来タバコの煙は肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。
「タバコ」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きタバコ、とりわけライトたばこ。あれは煙を味わうものではない。ニコチンを摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。
1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパと煙を肺に入れて吐き出し、はい終わり。
馬鹿げている。
この楽しみ方は長く続いた煙草文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたニコチンは血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。
パイプ喫煙や葉巻、日本で主流だったキセルでの喫煙などで主に用いられる口腔喫煙(ヤンキーやニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれるニコチンが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しかも依存性も低い。パイプスモーカーは「タバコを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。
はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中や喫煙禁止区域で歩きながらタバコを吸っている人間、すべてクソである。あとIQOSとかgloなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭い喫煙者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺喫煙でバカスカタバコを吸って悲しいニコチン中毒者に成り下がった故のものである。
彼らは他人の健康被害など考えずにニコチンを摂取しながら生きていく、ゾンビのような生物なのだ。彼らが居なければここまでタバコの健康被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「個人」の健康問題を「他人」の健康問題に発展させるのが歩きタバコゾンビなのだ。
ここまで「紙巻きタバコ憎し」で書いているように思われた読者もおられるだろうが、筆者もパイプに合わせて日に1本ほど紙巻きタバコをふかしている。そして、筆者の周りの愛煙家にはマナーを侵してまでニコチンを摂りたがる愚か者はいない。タバコを吸うときは部屋を出て、携帯灰皿に灰を落とし、毎日服を洗濯する「普通の喫煙者」だ。もちろん、筆者もそうあるよう心がけている。
タバコ文化の危機は、それらの当たり前を心がけず、ヤニ臭い服を着て、子供の目の高さに800度の炎を持ちながら街中を歩く「異常な喫煙者」によってもたらされているのだ。
7世紀のマヤ文明において、すでにタバコは嗜好品とされていた。それが日本に、世界に広がったのが16世紀末から17世紀初頭。ここまではずっと、パイプ喫煙や葉巻が「喫煙」だった。
しかし、19世紀に大きく広がった紙巻きタバコ。こんにちの喫煙者の肩身の狭さは、これを「歪んだ楽しみ方」で吸う者たちが原因であると言って過言ではない。
日本では400年以上、世界では1300年以上という長い時間の間、紫煙は人類に寄り添っていたのである。
禁煙して3年間が経過したので禁煙出来た理由などを振り返ってみます。
http://lonestar.hatenablog.com/entry/kinen-3year
これ見て思った。
みんな何かを使ってタバコ辞めていくんだなぁと。
僕はもうタバコ辞めて丸4年が経とうとしてる。
当時は、1日1箱は吸ってたので、一応ちゃんとした?ニコチン中毒者だったと思う。
僕が辞めた理由は至極単純で、吸うメリットを感じなくなったから。
辞める決心をした日は、なんか体調が悪くて、気持ちをリセットしようとタバコを吸うけど
で、ふと、鏡で黒くなった歯茎を見て、「気持ち悪くはなるし、なんか口の中は黒くなるし、何のために吸ってんだっけ?」
と思ったついでに1ヶ月・1年にかけるタバコの費用も換算してタバコをやめる決心がついた。
(その時、ボルダリングを始めて、そっちにお金をかけたくなったのもある。)
他の禁煙方法よろしく、どうしても3日目〜1週間は限界を迎えかけてたけど、ガムと飲み物(水やらコーヒーやら)で耐えきった。
当時は、タバコ休憩() がなくなって休憩するタイミングを失ったから、ちょいちょいついてったというのが理由。
頻度は、毎日じゃなくて最初は週に2〜3回、半年も経つとほとんど行かないぐらいに。
ただし、辞めた直後の2週間くらいは行かなかった。吸いたくなるので。
ここで、喫煙室に行った時のえげつない臭いと、戻ってきた時の自分のヤニ臭さにどんどん幻滅していって
最終的には、喫煙室に入って他の人が1本吸うころには頭痛がするようになり、喫煙室に行くことも無くなった。
何でこんなの書こうと思い立ったのかわかんなくなったけど、こんなので僕はタバコ辞められたよっていう話
1) 体調悪い時にめっちゃ吸う
2) 辞めた後、定期的に喫煙室でだべってみる
学生時代はひょろひょろと痩せていたが社会人になり一人暮らしになりそのうち料理が趣味になりで寄る年波には勝てずメタボ体型までになった。それでも健康診断(の結果)はガチ無視でやってきたのだが、さすがに最近いろんな異変が出てきた。といっても痛いとかキツイとかではなく、
・前は昼間眠かったのに最近は4時間くらいしか寝てないのに眠くない
・小さい頃から酷い近視で、40代になって老眼になったのだが、その視力が急に落ちてきた
・なんか指がパンパンになってる
それで去年の健康診断の結果で産業医に呼び出され、結果を見られて一言、「専門のクリニックに行ってくださいね」。
結論から言えば生活習慣からによる糖尿病。2型。1月に近所の糖尿病専門のクリニックに行って女医さんにバッサリ、「インスリン打って治療しましょう」ということで、セルフ治療デビュー。そのあと食事指導も入り、「とにかく炭水化物食べ過ぎダメ、甘い物ダメ、芋とか人参とか土の中から取れたモノはカロリー高い」。体重を落とすために1日1700kcalくらいにしましょう。と言われ、素直に従うことになりました。
毎日仕事のストレスで、ガムは5日で1箱(100粒)、グミ1袋、そのほか甘い物、帰宅が遅いので夕方に社食でそばかラーメン、て嗜好品を全てストップ。毎日の食事のご飯を大盛り→半ライスにし、(アラカルトで選べる)おかずも一番カロリーの低いやつを1つだけ。その代わりにサラダ小皿と豆腐(冷奴)を必ず付けて、昼飯は600kcalくらい、夕飯は800kcalくらいに。それに毎食直前に即効性のインスリンをトイレへ行って注射。寝る前にもうひと種類注射。朝イチと夕食2時間後の血糖値を測るメニューになりました。
いま4月末。始めてから3ヶ月。BMI25から23くらいに(実体重でいえば8kgマイナス)。血糖値も200くらい余裕で超えるのが120くらいまでには下がってきました。それに伴い、視力は戻りつつあるし、昼間眠いし、いや低血糖だった学生時代を思い出す感じで。来月の健康診断までにはBMI22までは下げたいところ。血液検査の結果も危機は脱出しつつあるし、インスリン注射から一部錠剤にも変わったし、ココロ穏やかに治す所存である。
いやぁ、インスリン注射は注射嫌いでない人でも結構ガーンとくるよ。ストイックに惑わされず回復できることを願ってひたすら毎日の決まりを守るだけだよ。
まだ妊娠超初期だったので、まずは定期的に産婦人科に通い、出生届が出せる状態になるまで赤ちゃんの成長を見守ることになった。
ところが何週間たっても赤ちゃんの体が大きくならない。心音も確認できない。
着床して胎嚢はできたものの、それから赤ちゃんが育ちきれずそのまま亡くなってしまい、なきがらが体内に滞留している状態をそう呼ぶのだそうだ。
もともと子供を強く欲しがっていたのはわたしよりも旦那のほうだったが、でもわたしもやっぱり妊娠がわかったときは単純に嬉しかった。
旦那からは気が早いと笑われたが、名前を考えたり、どんな顔のどんな性格の子どもが生まれてくるのだろうと想像したりして、自分なりに妊娠生活のスタートを楽しんでいた。
生活も変えた。発泡酒の代わりにウィルキンソンの炭酸水と、それとカフェインレスのコーヒーを買い込んだ。
葉酸が多く含まれる食品を積極的に摂取し、ストレスがかからない範囲で嗜好品を控えるようにした。
そんな生活を2ヶ月ほど続けていたところに稽留流産を告げられた。
エコー検査では毎回爪の先ほどの小さな影が見えるだけでまだ人の体をなしていなかったこともあり、正直赤ちゃんがお腹の中にいるという実感はまだまだ乏しく、なので流産と言われても悲しかったがものすごくショックというほどではなかった。
残念だったね、でも次また頑張ろうねというふうな話を旦那とした。
妊娠超初期段階の流産とは、着床時の異常や遺伝子異常などでどのみち正常に発育することができない赤ちゃんに発生するものであり避けることができないものだと、母親の生活態度などで左右されるものではないと、かかりつけの薬剤師の先生からは聞かされた。だから自分を責めないでほしいと。
そういったサポートを受けられたこともあり精神的なショックはさほどでもなかった。
赤ちゃんが体内に残ったままでは色々と今後リスクがあるので、早いうちに赤ちゃんを体外に出してしまう手術をした方が良いと医師から勧められ、先日その手術をしてきた。
引き合いに出すのはおかしいかもしれないが中絶手術と同じようなやり方で、サジのようなもので赤ちゃんを体外に掻き出すのだそうだ。
土曜の朝から病院に行き、全身麻酔で意識がなくなっている間に手術は終わった。その日の夕方には家に帰れた。
ほどなくして2カ月間止まっていた生理が再開し、経血が排出されていくのと同時に妊娠判明以来ずっとあったお腹のもやもやとした異物感のようなものは解消されていった。
妊娠前の元気な体が戻ってきたのだ。
わたしの妊娠生活はかくして終わった。少なくとも妊娠できるということはわかったのだし、今後に向けて前向きに生活している。
昨夜、女友達数人で飲みに行った。流産のことは誰にも言っていないのだが、旦那がちょうど出張中で話し相手に飢えていたこともあり、いろいろな馬鹿話で笑い転げた。久しぶりのビールは本当においしかった。
少しの二日酔いでクラクラしながら今朝目が覚め、酔っ払って散らかし回した家の中を片付けていた。
キッチンカウンターに、使いかけのカフェインレスコーヒーが残っていた。
それを目にした瞬間、不意に虚しさが襲ってきた。
カフェインレスコーヒーは確かにコーヒーの風味はするのだけれど、やっぱりどこか味気なく、本物のコーヒーのほうがおいしいことに間違いはない。
でもそんな、柄にもないものを必死になって探して買い込んでいたついこないだまでの自分が、滑稽で、哀れで、愛おしくて。
手術が終わり、「増田さん、終わりましたよ」と麻酔科医から名前を呼ばれて手術台の上で目が覚めた瞬間、朦朧とした意識で最初に私が口にしたのが「出てきた赤ちゃんを見せてください」という言葉だった。
医師は一瞬迷った様子を見せた後で、小さなカプセルに入ったピンク色の塊を私に見せた。それは全くピンク色の肉塊でしかなく、赤ちゃんの体だと言われても素人には何が何だかわからない。
見せてもらってどうするつもりだったのか自分でもよくわからない。そんなことを頼む心積もりはなかった。ただとっさに、まだ半分寝ている状態でそんなことを私は言っていた。
自分を責めることはないと周りからは言ってもらえたが、でもやっぱり、ごめんねと思っている。
大きなショックは受けなかった。それは本当だ。でも何か、重しのような、ちょうど生まれたての赤ちゃんぐらいの、軽くて小さくて吹けば飛ぶような儚い、だけれど確かに重さを感じる、そんな重しのようなものが、わたしの心臓にぶら下がっているような、そんな気持ちがしている。
少子化に拍車かかるし、社会問題として区に対する影響が大きすぎる。
3倍にすると払えない家庭が出てくる。
ただ、上限を上げるのは賛成。
所得に応じて認可外と同じくらいの最大「15万~20万」程度にするのはありだと思う。
あと、補助金が多いというけど、たかが550億円くらいですよ?
はっきり言って他と比べても低い方です。
倍にするだけで、保育士全員の給料をプラス5万できる。(つまり年収60万プラス)
これでも相当改善されると思うけどね。今の年収平均が360万程度なので、420万くらい。
東京都とかで保育園増やすのは難しいのはわかりますが、あまりに暴論です。
お金もらって、ベビーシッターにしても、海外ほど整備されていないし、
それこそ、老人ホームの殺人事件みたいにベランダから落とされかねないとかあると、相当怖い。
また、それこそ所得によって教育に差が幼児期から出始めるので、格差もさらに広がるよ。
この案は今のままでは不十分と言わざるを得ない。
俺自身はタバコは吸わない、というより吸えない(喉が弱い)のだが、職場には客も含めて喫煙者が結構いる
彼らを観察して気付いた事、思った事を書く
喫煙の頻度も影響するが、歯磨きの頻度やブラッシングが身についているかどうかも影響している様だ
喫煙者でも、自分の息の臭いに気を使う余裕がある人はそこまで臭くない
おそらくだが食生活などの生活習慣も大きく影響してるのではないかと思う
タバコは嗜好品なので当たり前かもしれないが、大きなストレスがかかると喫煙者が吸うタバコの本数は増える
普段、そこまで吸わない人でも仕事が忙しかったり、トラブルが発生したり、家庭内で問題を抱えていると吸う本数が増える
そのことについて、誰かに指摘されるまで本人は気付いていない事も多い
ヘビースモーカーの人はタバコに依存する事で、自分にかかっているストレスを軽減している節がある
健康に害があること、税金が高いこと、周囲に迷惑をかけること、といったタバコのデメリットを大抵の喫煙者は理解している
止められるものなら止めたいという人もいるし、実際に禁煙しようとする人も多い(挫折する人も多いけど)
禁煙という事に気付かずに吸ってしまうという事はあっても、禁煙だと認識している場合は吸わない人が大半
だが、そういう人は喫煙以外、例えばゴミ捨てなどでもマナーを全く守らない
おそらく今、話題の45分ルールも、大半の喫煙者は受け入れると思う
でないと喫煙そのものが禁止されてしまうという事を彼らは理解している
・マナーを守らない喫煙者は少数派で、守らない人は喫煙以外のマナーも守らない
喫煙者を減らしていくには喫煙者が何故タバコを吸っているのか? という事を理解する必要があると思う
タバコを吸わなければやってられないという環境に居る人にタバコを止めさせるのであれば、その人が置かれている環境を変えるか、タバコに変わるタバコと同程度のストレス軽減効果のある嗜好品を提供するかの二択になると思う
今の喫煙に関する規制や議論は、タバコに依存している人がタバコに依存せずに済むにはどうしたらよいか? という視点が欠けているのではないだろうか