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はてなキーワード: 喪失感とは

2024-01-12

anond:20240112110351

あんたの言い分を全部肯定したとしても(笑)はありえんわ。やっぱ。

 

相手の男から見たら、昨日まで超仲良くて性格の相性抜群の婚約者にある日「男性としては無理」宣告されて、その日以来ぱったり没交渉のまま現在に至るわけだよね。

マジで希望絶望の落差がひどすぎて喪失感凄いと思うよ。まだ受け入れられてない程かもしれん

完全没交渉だと良い想像も悪い想像無限に広がってどこにも進めない。辛いだろう

誰も見てないLINEトークに「詐欺師が!」って書き込むくらいしか吐き出せる所がないって不憫過ぎんか?

それで何が解消されて前に進めるのか?

 

結局そういう、片側だけに負担を強いるような歪みが男が引き受け(させられ?)たダメージなんだよ

あんたは本来、金だけでなくいろんな方向からサンドバッグになるような立場だったはずだ

実際にはそうはなっていなくて、金どころか親からも、男からも誰からも何のバッシングも受けずに立場も失わずに、まるで円満解決たかのように忘れてのうのうと新しい恋の報告なんぞしてる

 

それはご両親が防波堤になったから、ではなく最終的には男がそれを飲んだからだろ。

立場的に飲まざるを得なかったかあなたのためなのか、男の意地で飲んだのかは知らんが。

それを「そんなに怒りが~」だの「ヤバい(笑」だの。

 

あんたは何なら男の性格を見越して、甘えて、破談によって生じる痛みを全部男側に引き取らせたんだよ。

捨てた相手には連絡取らないのが誠意とか、まぁなんとも都合のいい「責任放棄」の言い換えがあったものだな。

2024-01-07

理屈いくら並べてもあまり効果がないことはわかっている

いくら理屈を並べても結局パチンコを打ってしまう失敗を今まで何度もしている

それはパチンコを打つ理由の大半が「気持ちよくなりたい」という感情に根差しいるからだ

本当に効果があるのはパチンコ依存から抜け出し自尊心に満ちた自分想像することかもしれない

単にパチンコをするなだけだとひたすら喪失感、欠乏感だけに直面する気がするから

2024-01-04

実家の猫が死んだ

今日実家の猫が死んだ

正月帰ったとき檻に入ってればいいのにわざわざ出てきて撫でさせてくれてたのはお別れのつもりだったんだろうか

そうだったらいいな

正月くらいしか実家に帰らない人間だけど思いの外涙が止まらなくてびっくりしている

世話なんて全然してない、ただ撫でてやったり遊んであげたりしただけなのに

喪失感も後悔もあるけれど、言いたいことは正月まで生きてくれてありがとうという言葉かもしれない

今まで生きてくれてありがとう

2024-01-03

2024年版 反AI 怒りの記録

1/1 (月)

KDDI社のau太郎10年目CMAIイラスト化に怒り

・Midjourneyの学習イラスト作家リストが公開され大量の日本人マンガ家イラストレーターの名前が含まれていることに怒り

1/2(火)

不謹慎飛行機炎上AIイラストを、AIイラスト推進派が自治活動警察活動しない・叩かないことに対して怒り

1/3(水)

戦犯ちゃん好意的にバズったことが気に食わない上、さら手書きファンアート二次創作がでてきたことで絵師にも裏切られたことへの怒り

1/4(木)

・1/3放送されたNHK番組「令和ネット論」のなかで、生成AIのみならず画風LoRAも好意的に取り扱い、(フェイク生成のみ少し批判があっただけで)学習データセットへの批判がなかったことに怒り

1/5(金)

・Wizards公式twitterがラヴニカ・リマスター広告画像に生成AIを使った疑惑で怒り(公式は一度否定したが、その後1/8に一部AIイラスト使用していたことを認める)

1/6(土)

タブレットWACOM広告AI生成の龍のイラストを載せて怒り

ヘアサロンAI画像を「美容師が切ったスタイル一覧」に載せて怒り

1/7(日)

・ある同人絵師が、AIイラストという大津波はもう止められない流れだから人間性が浮かび上がる芸術活動シていきたいと意思表明したところ、敗北宣言するなと怒り

・あるTRPGルールブックの表紙や宣伝画像がMidjourney製であることに怒り

AI表記をしない自称AIアーティスト」のリスト作成しようと呼びかけ

・Xに投稿されたイラストリツイートいいねをする前に盗作であるAIイラストかそうでないかを全てを最初に疑ってからリツイートいいねをする必要があるということに怒り

ワコム生成AI広告炎上した原因が、顧客が大切にしている「創作の尊さ」がマーケターは理解できてなかった、という指摘に、そんなことより無断学習勝手に使われたことや何の還元もない搾取構造だろと怒り

香港AIイラストアプリ企業が、能登半島への祈りを伝えるためのAIイラスト投稿企画アナウンスしたら、震災をダシにして生成AI布教かと怒り

・2023/7の森永製菓ICEBOXコラボ絵がAIイラストだと怒り

1/8(月)

・ある同人絵師AI絵と共存していきたいと意思表明したところ、共存などありえない背後から撃つなと怒り

・あるライターの書いた原稿を「文章をChatGPTで作成たかどうか判断するツール」でChatGPTで書いたと判断して怒る

1/9(火)

マクドナルドバタースコッチパイAIイラスト使用した広告剽窃AIを使うな不愉快だもうマクドナルドには行かないと怒り

オプトイン素材のみを使用した基盤モデル作成クリエイターに向けたトークンなどを用いた価値流通還元を掲げるアニメチェーン構想の発表に、信用できない・とっとと沈めと怒り

・生成AIに関して衒いなく「中立であると表明してしまう人はヤバいと怒り

・『争うのはやめて共存する道を模索しませんか』と訴えかける人は話が通じないと怒り

1/10(水)

アイビス社、アイビスペイントver.11.2.0において追加された「AIお手本機能」を提供停止→アイビスは恥さらしだ、信用は取り戻せないと怒り

ワコム投稿についてのメッセージワコムが生成AI利用を認めなかったことに怒り

・知り合いに1人でもクリエイター系の人がいるなら生成AI使嫌われるから

1/11(木)

絵師講師が、AI進化個人的に作り手としての喪失感より消費者としてのワクワクの方が強いと投稿したことに、幻滅した・クリエイター潰す窃盗AI技術を受け入れるな・後進イラストレーターは廃業かと怒り

写真家がMidjourneyV6で生成したフォトリアル作品編集してリアルに仕上げたアート投稿したら、今後モデルの顔を学習してモデル料払わずに顔を使われたりするんじゃないかとか、ディープフェイクや僭称助長すると怒り

アイビス使ったらaiだと思われる・自分が知らない内にAIを使わされているかもしれないと恐怖を訴える

1/12(金)

ジャーナリスト画像生成AIは「絵をパクってきて<合成している>」んじゃないよと投稿したら、パクリ画像が出てくるんだから合成だと怒り

1/13(金)

AIイラストがあることで、絵師が今までやってこなかった盗作対応なんて事務仕事が増え、絵に没頭できなくなることに怒り

Wikipedia「生成的人工知能」の「課題」項目に大量に書き込みがおこなわれ編集合戦に

・「氷河期世代」が「承認欲求の化け物」になって「誰でも簡単創作できて収益化できる」といわれた倫理観が育たなかったこ世代人間が飛びついているんだと怒り

2024-01-02

近所のTSUTAYAが潰れる。

ただのTSUTAYAじゃねえ。

ニ、三階はレンタル業だが、一階にはスタバと大きな本屋が併設された落ち着きのある広々とした空間で、土地治安も悪くない。

子ども連れから勉強してる中高生、老人まで入り乱れて穏やかな賑わいを感じられる、うちの近所では唯一の場所だったんだよな。

まあ、年に数回しか行かないんだけど。

鬱病ちょい手前のときレンタルスペースの視聴コーナーで『ようこそジャパリパーク』を聴いて元気づけられたもんさ。

SPI問題集を解いていたこともあったな。おれが注文するのは決まってチャイティーラテだった。

高校生ときに今の土地引っ越しからというもの、随分とお世話になった。寂しいね

心地よい場所との別れは。

TSUTAYA一個なくなるだけでこうなんだから、此度の震災で数多の思い出を積み重ねた故郷を失った人々の喪失感たるや如何ほど。

ありがとうTSUTAYATSUTAYAフォーエバー。

人々が寛げる場所、憩いの場がまた一つ街から姿を消す。

2023-12-27

元彼が、あたしのこと好きだってさ。

毎日楽しくなくて生きてる感覚がないって。

そうだろうね。

あたしの愛はインパクトデカいから。

ここまでスケールデカい愛を超える女は早々存在しないと思う。

愛のかけ方が半端ないから

差し出す覚悟人生かけて支えて受け止めて

本気で喧嘩して大爆笑して愛するから

喪失感半端ないと思うわ。

ざまぁみろじゃわ‼️

わたしは、もう好きじゃないです。

おわり。

2023-12-26

anond:20231226235253

いや、ガチャゲーって認識ちょっと違う。力説していいか

原神と、同社次作のスターレイル(両方ともTGAのモバイル部門受賞、AppleGoogleベストゲームも受賞)のガチャシステムは、ランダム性を低める工夫が施された、いわば疑似ガチャシステムになっている。

ルートボックスなどに嫌悪感の強い欧米圏でも、これら原神やスターレイルが受け容れられていることから推測してほしいが、国産ガチャゲーとは似て非なるガチャゲーのアコギ感を極力薄めた仕組みになってんだよ。

ちょっと時間がかかるから追記していく。

まず、基礎確率がめちゃくちゃ低い。0.6%でまず引けない。これがすごく良いんだ。そして、★5天井が90連なんだが、そこまで到達することはまずない。というのも、74連目あたりから6%ずつ上昇していく仕組みになっている。

から、運に左右されることがほぼなくて、だいたいの人はだいたいのケースで80連前後に★5を引くことになる。定量配布みたいなもんだな。重要革新的なのは、1~73連の間に引けることがまずない、という部分。

ランダム性があるとしたら、★5を引いたときにかならずしもピックアップキャラじゃない点で、50%確率ピックアップ50%で恒常★5キャラとなるんだが、一回恒常を引いたら次はピック確定となる。

から期待値としては、94連くらいごとにほぼ全ての人がピックアップを1体ずつ得ることになって、国産との違いは、その期待値収束する度合いがかなり高いということだ。

国産ガチャゲーは、基礎率を高くとって、なんならフェスとか言って確率ボーナスする時期を設けて射幸性を煽る。

運さえ良ければ10連や20連回しただけでポロッとウン万の価値があるものが手に入る、そういう射幸性によって中毒性を作り出すことで、ゲーム性がチャチでも夢中にさせられる。

そこが従来のガチャゲースキーム限界だった。そのスキームに収まってるうちは、運による格差をつけて煽るほど儲かる。真逆アプローチだな。

でも引きが悪いとユーザーは離れてしまう。格差を埋めるために、無料10連とかいバラマキ期間を定期的に設けたりして、無課金者が課金者に追いつく余地をつくる。

でも、そういうアプローチは性能インフレありきだからせざるを得ないことで、しか課金のしがいを失わせる。課金して得たものが、無課金者も手軽に入手できてしまうわけだから

原神とスタレはそういうことを一切やらない。課金価値はいつも一定で、ガチャ課金しているというよりは、入手スパンを短縮するための時短課金のような印象に近い。

国産ガチャゲーに慣れている人からすると、「石配布が渋い」ということを最初のうちは言われがちだが、労せずに得られる無料石はたしかに少ない。

作りこまれゲームコンテンツをやり込むことで得られる分は、十分にあるので、ゲームを作る側としても、ちゃんと遊んで貰えるのでモチベーションになるだろうな。

キャラクターの設計も巧妙で、いたずらにインフレさせるようなことはせず(キャラクターの設定を反映して強めのキャラはいるが)、基本的に組み合わせによる、遊び方の幅を横に広げる系の調整になっている。

から環境に追いつくためにガチャの最新キャラ固執する必要もないし、なんなら★4キャラの性能も優れたものが多くて、ガチャゲーに多いTierリストなんかは自分の使い方次第なのであまり役に立たない、いいゲームデザインをしている。

それでなお売上をあげているのは、ガチャゲーのように、廃課金者という上位数%の「太客」に依存して、いかに太客の財布の紐と脳みそをぶっ壊すか、というビジネスモデルを脱却してるからだ。

原神やスターレイルは、ほとんどの人は月額のプランと、バトルパスくらいで遊んでいて、それで月2000円くらいだが、そういう層を引き付けるだけの、ゲームの中身を充実させ、音楽ものすごく凝り、キャラクターを魅力的に見せるためにシナリオ動画を作り込んで、ファンを作り、いわるゆるサブスク課金層をグローバル展開して分厚くすることによって得ている立場だ。

これは飛び抜けた開発力がないと真似できないことではあるが、ゲーマーにとっても理想的エコシステムだと思うんだよ。

それに、サブスク課金ベースにあるからこそ、原神のガチャは、天井期待値94連で計算して2万円ちょっとと、国産ガチャゲー(平均6~7万)よりもだいぶ良心価格で済んでいる。

あと言い忘れていたが、ガチャシステムの特異な点として、天井引き継ぎがある。

国産ガチャゲーだと、天井が高いので、無課金や微課金だと何ヶ月分も石を貯蓄しないと天井に到達できなかったりするが、原神スタレはそうではない。

天井までのカウントが、次回のガチャバナーまで引き継がれるので、すべての引きは、★5へ至る着実な積み増しとして認識することができる。

国産ガチャゲーだと中途半端な貯蓄でガチャに挑み、天井に届かぬ半ばで目当てのが引けなければ、ただ石を失った喪失感けが得られるが、そういうことがない。

また、天井が引き継がれることで、カウント計算してさえいれば、ロードマップ等とあわせて、取得を計画的に実行することができる。

73連手前でストップしておき、目当てのガチャ実装されたら回せば、すぐに引ける、という、ガチャですら一種リソース運用ゲームへと化けさせることができるのは、ランダム性を制御可能なくらいに低めたことの功績だ。

言いそびれていたがキャラクターのガチャピックアップされるキャラは常に1人なので、ピックアップ確定なのにほしいキャラじゃなかった、ということは存在しない。復刻があっても、ガチャバナーは別なので問題ない上、カウントだけは共有される親切仕様だ。

結果として、キャラ取得にかかる費用(予算)も、引けるポイントがほぼ確定しているために予測できる。

ただ原神の場合武器ガチャだけはダブルピックアップ邪悪仕様なので、これに手を出すのは非推奨かつ予算予測不能になるが、普通に遊ぶ分には手を出す必要は皆無だ。

ともかく、自分が払いたいと思える額だけ、コンテンツに正当な対価を支払うことを理性をもって出来る仕組みになっていると言えるだろう。

こういうビジネス周りの革新があるからこそ、HoYoverseは一躍時代の寵児となったと俺は思ってるんだよ。よそが猿真似して成功できるとは言わないが。

俺的には、運に金を払いたくない人にこそオススメできる、次世代ゲームのあるべき形だと言っても過言じゃない。

2023-12-19

はーーーすげえこんもりと大量のうんち💩出た

腹の中の甘い喪失感が今も取れない

2023-12-16

anond:20231211114138

結局1週間も経たずフラれた。イブデートどこ行こうかって話で盛り上がってたのに。

3回しか会ってない状態気持ちが追いついてない、曖昧状態で会い続けるのが1番良くないからって言われたけど、だったら告白したときに断ってくれた方が何倍もよかった。また会おうって言ってくれてた他のマッチ相手にも謝ってアポ取り消しとかしてたのに。ほんと惨め。

でも正直フラれた瞬間にそんな喪失感を覚えてない自分もいて、やっぱり3回会ったか告白しなきゃっていう義務感だけで付き合おうとしてたことも見透かされてたんだと思う。良い子だし一緒にいたいなとは思ってても、その子のこと考えると胸が苦しくなるとか喋ってて緊張するみたいなことは全然なかったし、ただ上辺だけ取り繕ってるだけの自分だった。非モテのくせにヤリモクみたいなマインドでいた自分クズっぷりを思い返すと、自己嫌悪で死にそう。

ここからまた27歳童貞自分磨きをして、限りなく細い筋の出会いを見つけていかなければいけないのかと思うと、気が遠くなるし既に心が折れそう。道行くカップルへの憎悪はもうなくなったけど、それでもSNSを見てると、ただ惚気てる奴とか弱者ぶってるけどパートナーは当たり前のようにいるみたいな人を目撃してしまって、本気で死んでくれないかなぁと思ってしまう。

知らない間に手遅れのレベルで拗らせてしまった。自由恋愛できてる人が俺とは別世界の住人に見える。自分はここからどうしたら良いんだろう。もう末期なのかな。

俺が人生で一番病んでいたとき駄文。案外面白いから読んでみてくれ

よく考えてみたんだけど俺が生きてる意味ってマジでないと思う

親や兄弟世間体のために死なれたら困るというだけ

母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。

他の家族も、俺を見ているというより、家族死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。

周りの福祉関係職員仕事から自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事から仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。

他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。

俺の人生になんの価値があるんだ

こんな人生を続けるのはしんどすぎる

早く死にたい

長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値から早く死ねばいい。人生消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老い自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミ人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい

これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい

これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから死ぬタイミング自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビル屋上飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間本能というものが本当に憎たらしい。

結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題しかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会使い捨てにされるためだけに存在する。

何が言いたいかというと、人間の命は無価値からいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由妨害することに他ならない。

こんな不自由社会で生き続けるのは苦行でしかないだろう。

自分内面の話に戻るが、外に出ると不安不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないか不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔しかないということだろう。

所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚無意味で無価値人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。

世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっとかに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的ものしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味存在しない。創造的な趣味はだいたい自分努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。

快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのもの価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄からだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿から、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしか社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい損切りをするなら今だろう。これ以上醜態晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感ありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚空っぽな感じが加速する。人生意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から環境が変わるたびに、ひどく精神ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないか不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかたから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい不安人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安苦痛を与えてくる存在しかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在不安を与えてくるほうが多い。人間社会比較連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較対象になる。それ以外でも人間比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい社会お荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーション問題があるのは発達障害から、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿からだ。馬鹿から面白い話ができない。馬鹿から、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿から、なにもかもうまく行かない。馬鹿から、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人迷惑を掛けるだけで、邪魔しかならないし、自分楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人コミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想しかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会コミュニケーション重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無Permalink | 記事への反応(1) | 03:08

2023-12-08

趣味を失うと絶望してしま理由

なぜ趣味がなくなるのが辛いかっていうと、自己アイデンティティ喪失からだ。

人間はいろんな要素によって自己認識している。

誰々の息子、どこそこに勤める社会人、誰々の恋人などなど。

どれも失うと辛うのはそこに自己構成する要素の欠落を感じて不安になるからだ。

人間孤立していると不安を感じるようにできているし、アイデンティティ喪失孤立への第一なのだ

趣味から意気込みは人によって違うけど、ペットが亡くなったとか恋人と別れたとか仕事を失ったとか

そういうことと同じレベルで、君は混乱し傷ついて不安になってしまっている。

そして傷ついているので、このネガティブ感情がずっと続くと感じてしまっている。

から

この先の人生長すぎて今すぐしにたくなってきた

とまで思い込んでしまっている。

これは正常な状態ではないはずだ。

からまずは傷ついた自分認識して受け入れいたわるようにしよう。

趣味から周囲からは軽く見られるかもしれないが、今まで楽しんできた分だけ喪失感も大きいはずだ。

充分休んだら自然自分の新たな興味が出てくる。

今まで行ったことがない場所に行ったりすることや新たな体験で新たなアイデンティティが創出され、自分回復していくことになる。

前までその趣味のせいでできなかったけど興味があったことなどやってみるといいと思う。

ただ繰り返しになるが、まずとにかく肝心なのは自分をいたわり、興味を失ったことを受容することだ。

https://anond.hatelabo.jp/20231207095703

2023-12-06

detransition(脱トランス)した16才の女の子の話

anond:20231206174416

https://youtu.be/XkcX0d6cPOE?si=9-utUtpjh64Az9Wp

元のYoutube

https://youtubetranscript.com/?v=XkcX0d6cPOE

翻訳に使ったテキスト

https://www.tiktok.com/discover/nadine-ashtyn-eskridge

tiktokアカウント

彼女の主張には色々同意できない部分もあるのですが、翻訳をそのままはります

文中の注釈はChatGPTがつけたやつそのままです。

よかったら読んでみてください。

—————

こんにちは、皆さん。私の名前アッシュです。私のことをTikTokでAshton Eskridgeとして知っている方もいるかもしれませんし、YouTubeで初めて私を見つけた方もいるかもしれません。これは私の初めてのYouTube動画です。知らない方のために説明しますと、私はディトランジショナーです。以前、TikTokで私のトランジションの話とその後の変化についての動画投稿し、それが大変な反響を呼びました。多くのニュース会社や、インターネット上の素晴らしい人々、例えばブレアホワイト、オウンズ・メン、クロエ・カルなどから注目を集めました。それは本当に驚くべきことでした。そこで、私は主なプラットフォームTikTokからYouTubeに移すことにしました。なぜなら、TikTokでは皆が非常に憎しみに満ちており、そこでコンテンツを作り続けることは私にとって非常に消耗するものでした。だから、ここで試してみることにしました。もっと良い結果が出るかもしれませんし、私はコンテンツ作りを続け、私の物語を使って人々を助けたいと思っています


子供の頃から、私はいつも非常に女性的でした。女の子であることが大好きで、そのすべてが好きでした。きれいな服、きれいなメイクが大好きで、いつもメイクを試していました。そして、きれいで美しいと見られることが大好きでした。たくさんの女友達がいて、女の子らしい趣味を楽しんでいました。成長するにつれて、女の子であることに全く問題はありませんでした。思春期を迎えても、それは私にとって問題ではありませんでした。もちろん、身体的には不快ではありましたが、間違った思春期を迎えているようには感じませんでした。自分の体が変化すること、生理が来ることは自然なことと感じていました。


13歳の時、精神的な健康問題を抱え始めました。非常に鬱状態になりました。そして、本当に本当に多くの苦悩を抱えていました。それはちょうどCOVID-19が流行し、すべてがロックダウンされた時期でした。皆が家に閉じ込められ、私は持っていた友人たちや外の世界から完全に孤立しました。家を出ることはほとんどなく、TikTokDiscordでの時間を過ごし、アニメを見ることが多かったです。なぜなら、当時の私はちょっと変わった13歳だったからです。


TikTok上の人々がトランジションについてのコンテンツ投稿しており、それが彼らにどれだけの幸福をもたらしているか医療的なトランジションの全てについてのことなど、私のフィードにはそうした動画が溢れていました。それらはまるで押し付けられるように表示されていました。


私はそうした動画を見て、自分がノンバイナリーだと決め、アシュトンからグレイ名前を変え、they/themの代名詞を使い始め、髪を全て剃り落としてクリーンなバズカットしました。それはとても大変でした。私は多くのトランスYouTuberを見ていました。ジェイミー・レインズやサム・コリンズなどです。彼らからトランスに関する情報を得て、そのチャンネル動画をほぼすべて見てしまうほどの深い穴にハマりました。そして、ノンバイナリーではなく、完全にトランス男性になりたいと決めました。私はグレイからグレイシンに名前を変え、髪を少し伸ばして、より男性的なカットしました。それでも見た目はひどかったですが、それについては話す必要はありません。


家族に伝えたところ、彼らはとても混乱しました。なぜなら、私が育ったとき、私はいつも非常に女性的で、それについて何の問題も感じていなかったからです。彼らは私の幼少期に何の前兆も見ていませんでした。家族はたくさん質問しましたが、私はただ反抗的で、彼らの質問をすべて封じ込めてしまいました。


私の家族が私に対してトランスフォビア(トランスジェンダーに対する偏見)を持っていると決めつけ、彼らをそう呼んでしまいました。実際には、彼らはただ自分の子供が何を経験しているのかを理解しようとしていただけでした。これが、長い間私たち関係に大きな亀裂をもたらしました。私は彼らがトランスフォビアであると感じていた時、実際には彼らは単に混乱し、何かを理解しようとしていただけだったのです。


大体3~4ヶ月後、家族は私の変化を受け入れ始め、私のために正しい代名詞名前を使い始めました。その時点から、彼らはとてもサポートしてくれましたが、もちろん混乱はまだありました。私はバインダーを使い、胸を締め付けるようになり、それはとても不快で、呼吸が困難でした。常に自分の胸がどう見えるかを意識していて、外出するたびに、「彼らは私が胸がないことに気づくだろうか」と心配していました。恥ずかしいことですが、ネットで認めることになりますが、靴下でパッキング男性器を模倣するための方法)をしました。私は率直なので、このことを隠さずに話します。最終的に家族は、アシュトンローズからグレイソン・クインに合法的名前を変更する手伝いをしてくれました。高校を始める前に裁判所手続きを済ませ、出席を呼ばれる際に間違った名前で呼ばれ、トランスジェンダーであることが露呈するのを避けました。


14歳の頃、私は外出してただ男性たちを観察しました。彼らの立ち振る舞い、自分を持っている方法、歩き方、座り方、態度、使っている言葉など、私はそれらを真似しました。男性らしい言葉を私の語彙に取り入れ、その時点で私の生活は実際には演技のようなものになりました。公共の場所に出かけるたび、人々と付き合うたび、人々と話すたび、私はその演技を続けました。


私は自分がどのように振る舞っているか特に男性的に振る舞えているかに非常に集中していました。私が言うことが男性らしいか男性として疑問に思われないか、そういったことが私のエネルギーの多くを奪いました。一日が終わる頃には、ただこの男性としての偽りの姿を続けることによる疲労感でほとんど疲れ果てていました。社会に受け入れられるため、ただ通り抜けること、男性として受け入れられることに非常に焦点を当てていました。


私はトランス男性としてのレッテル不快に感じていました。なぜなら、私はただの男性でありたかたからです。私の女性としての身体的特徴に関わりたくなかったし、女性男性になろうとしているという事実還元されたくなかった。私はただ、男性として認識され、生まれた時からそうであると人々に信じ込ませたかったのです。そのため、私はステルストランスジェンダーであることを隠すこと)に非常に努力し、誰にも自分女性として生まれたことを知られないようにしました。驚くべきことに、それはうまくいき、新しい自分として出会った全ての人が私が男性として生まれたとすぐに思い込んでいました。彼らは疑問を持たずに受け入れ、そのために、私は男性として生まれたという偽りを続けなければならず、それはさらに疲れるものでした。それはただの演技で、トランス青少年の多くも同じように感じていると思います。演技なのです。


かに、実際のトランスジェンダーの人々の存在を信じています。彼らは存在し、非常に少数です。しかし、今日の現状では、TikTokトレンドとして多くの人が流れに乗っているため、TikTokトランスジェンダー自己同一視している人々の中で、実際にトランスジェンダーである人はごくわずかです。それは非常に小さい割合で、大きなトレンドとしてアプリを席巻しています。それは無害なトレンドではありません。子供たちにダメージを与え、彼らの身体を永続的に傷つけています


ステルストランス男性として生活を始め、シスジェンダー男性として認識されるようになっても、私は常に男性グループの中で浮いているような感覚を抱えていました。私は彼らと本当に馴染むことができないと感じていました。他の男性と会話するのが難しく、私はいつも不器用でした。なぜなら、他の男性たちのような騒がしく、面白い性格を持っていなかったからです。


私は基本的に内気な女の子だったのです。しかし、女性たちと一緒にいるとき、私はとても自然に、はっきりと話すことができました。無理に強いる必要はなく、言葉自然に流れ、女性たちと非常にうまくやっていけました。その理由は、私も女性だったからです。女性たちとの方がうまくやっていけたのは、私が女性だったからであり、男性たちとそうではなかったのは、単純に私が彼らの一員ではなかったからです。私はただ男性であろうとしていただけで、本当はとても不幸でした。


そして、私はホルモン治療を始めたいと思いました。なぜなら、それが私をより良く感じさせると思ったからです。私は男性らしくないことが不幸の原因だと思っていましたが、実際には全く男性ではなかったために不幸だったのです。しかし、私はもっと男性らしくなりたいと思い、テストステロンが引き起こす変化を経験したいと思いました。それが、より男性として疑問に思われないようになり、私がやりたいことができると考えました。


家族ホルモン治療に関して非常に慎重でした。彼らはそれを望んでいませんでした。彼らは私を支持していたとしても、本心ではそれが私にとって正しい道ではないと思っていたからです。しかし、私は「トランス男性の息子を持つか、死んだ娘を持つか」という論点を用いて、彼らを絶えず罪悪感にからとりました。私は懇願し、執拗に頼み込み、最終的には医師との相談の予約を取り付けました。そして、医師たちもまた、私の両親を罪悪感で追い込みました。結局、私の両親はホルモン治療を受け入れることになりました。両親はそれに同意し、同意書に署名しました。


私がテストステロンを始めたのは、16歳になったばかりの時でした。たしか10月だったので、16歳になってから約1ヶ月後です。私がそのホルモンを手に入れるのがどれほど簡単だったか、それは驚くべきことです。処方箋を得る過程では、まず3ヶ月待って予約を取り、その後、医師と話し、テストステロンが引き起こす変化についての小さなアンケートパンフレットを通じて情報を得ました。


そして、同日にクリニック内のカウンセラーと話すことが求められました。しかし、彼女は私の性自認についてほとんど質問しませんでした。もちろん、「あなた代名詞は何ですか?好きな名前は?」などの質問はありましたが、その後は「学校はどうですか?生活は?友達は?」といった、性別とは全く関係のない一般的セラピーのような話題に移りました。彼女が私と話している間にも、まるで確認することなく、私が本当にトランスジェンダーかどうかを確認せずに、推薦状を打ち出しているようでした。私と話したのはたった30分で、彼女は私のことをほとんど知らず、私の実際の性についてもほとんど尋ねませんでした。それから処方箋をもらい、陽気に帰路につきました。テストステロンを始めるのが、次の日にはできるほど、信じられないほど早く、実際にトランスジェンダーかどうかを確認することなく進められました。


私にとって、これらのホルモンを処方する方法は最悪であり、これを変えることはしばらくないと思います。それが、未成年者にこれらのホルモンを渡している方法が、私にとって信じがたい、狂っていると感じる理由です。私は16歳で、まだ16歳です。1ヶ月後に17歳になりますが、その時もまだ未成年です。


テストステロンが私に引き起こした変化は、もちろん声が低くなることです。このビデオ全体を通して、私は声を上げて話しています。これが、声を上げないで話した場合の私の声の音です。テストステロンをやめてから、声はかなり高くなりましたが、元々の声よりはまだ低いです。テストステロンを始める前よりもずっと低い声です。


顔の毛が生えるようになり、それを剃り落とさなければなりません。顔がより角ばり、顎のラインがよりはっきりとしました。体毛の成長もかなり増えました。テストステロンを始める前にもかなり濃い体毛がありましたが、始めてからものすごく濃くなり、私が知っている生物学男性よりも毛深くなりました。食欲がかなり増し、性欲もかなり増しました。テストステロンが引き起こす下部の成長が起きました。髪がかなり薄くなりましたが、幸いにもかなり回復しました。胸毛、腹毛、背中の毛、つま先の毛など、以前は毛が生えていなかった場所に毛が生えるようになりました。とにかく毛が至る所に生えました。


そして、私の妊娠能力については分かりません。子供ができる可能性があるといいのですが、実際には分かりません。生理テストステロンをやめてから幸いにも戻りましたが、以前よりもかなり不規則です。生理が正常に戻り、普通の量の血が出るようになれば、子供ができる可能性があると考えられますが、まだ分かりません。テストステロンを始めた理由は、それらの変化が自分自身について良く感じさせると思ったからです。しかし、実際には、それらは私をより自分自身について悪く感じさせました。鏡を見ると、それが嫌いでした。体毛が嫌い、汗が増えたことが嫌い、顔の変化も嫌いでした。それが、私が自分自身を再評価し始めた時です。


気づいた時、私は間違っていたことに気づきました。私は本当は男性ではなく、ただの女の子で、混乱していただけでした。しかし、ディトランジショナーについてオンラインで見たことがあり、人々がどのように反応するかは恐ろしいものでした。彼らが直面するバックラッシュは信じられないほどでした。そしてもちろん、人生の3年間を一つのこととして生き、周囲の人々にこれが私だ、これが私にとって正しいことだと納得させた後で、彼らが「いいえ、それは違う」と言うのは恥ずかしいことです。そして最終的には「ああ、実はあなたがずっと正しかったんだ」と認めなければならないのです。ディトランジションは屈辱的です。何年も自分自身について間違っていたこと、体に永続的な変化を与えたこと、そしてそれが間違っていたこと。それは屈辱的です。


人々は「ディトランジションはトランジションよりもずっと簡単だ」と言いますが、実際には、私にとっては最初トランジションする方がディトランジションするよりも簡単でした。私が話をした他のディトランジショナーにとっても同じです。トランジションすることの方が、ディトランジションすることよりも簡単です。なぜなら、社会トランスジェンダーの人々を受け入れるように訓練されていますが、一旦「間違っていた」と公言すると、彼らは非難し、恥をかかせ、かつてサポートし、受け入れていたコミュニティから完全に疎外されます。受け入れてくれたはずのサポートのあるトランスジェンダーコミュニティは、あなたを切り捨てます。もはや彼らにとってあなたは何の価値もなく、実際には彼らはあなたを憎んでいます。そして、彼らは一日中あなたを憎むでしょう。トランスジェンダーコミュニティが皆を受け入れるなんて大嘘です。


私がまだ男性として生活していた時、かなり長い髪をしていました。それはおそらくここくらいの長さで、長い髪が好きだったのです。それは私がまだ自分自身であることを感じさせてくれたからです。たとえ他のすべてを変えようとしても、私はまだ私の美しい髪を持っていました。間違っていると気づき始めた時、私は本当に間違っていたくなかったので、自分を元に戻そうとしました。


男性であるという枠に自分を押し込む最後の試みとして、私は自分アイデンティティに対する最後固執、つまり「私は正しい、これが私だ、これに間違いはない」と思い、髪をすべて切りました。それをとても後悔しています。なぜなら、その約1ヶ月後に、私は実際にはトランスジェンダーではなく、ディトランジショナーであると打ち明けたからです。そして、今、私は髪を伸ばし始めることから全てをやり直さなければならないのです。それはとてもイライラします。


とにかく、私はこの決断をする必要があるとついに決心しました。なぜなら、女の子として再び生活している夢を見て、その中でとても幸せだったからです。目覚めた時、「もうこれ以上、この嘘を生き続けることはできない」と思いました。そこで、目覚めてすぐに爪を塗り、アイラインを引いて、数人の親しい友人たちに伝えました。そして、その朝、両親が起きたら彼らにも伝えました。そして、私は「ナディーン」という名前を使い始めることにしました。なぜなら、私は元々自分名前アシュトン」があまり好きではなかったからです。そこで、元の名前の一部を保持するために、「ナディーンアシュトンローズ」と名乗りました。TikTokではプライバシーのためにまだアシュと名乗っていますが、実生活では皆がナディーンとして私を知っていますTikTokでアシュと名乗るのは、彼らが私が誰かを実際に知らないので、少し安全を感じるためです。しかし、TikTokから来た人で、ここでの私の名前がナディーンである理由を疑問に思う人もいるかもしれませんが、それが理由です。


ディトランジショナーとして最初カミングアウトした時のバックラッシュは凄まじかったです。私の人生の中でトランスの人々が、突然私と何の関わりも持ちたくなくなりました。私はたくさんの友達を失って、テストステロンが私の体に残した永続的な影響と共に生きていかなければならなくなりました。


私の身体には常に多くの体毛があり、特に気になるのは声です。私の声は以前よりも低くなり、それが実際にとても不快です。この部分は本当に本当に私を悩ませます。化粧をしないで顔を見ると、自分男性のように見えてしまうと思ってしまます。眉骨の構造など、顔の形がより角ばってしまいました。だから、少しでも対処するためにアイライナーを使っています


さらに、性転換がもたらした精神的なダメージについても触れなければなりません。それは私の自己認識を完全に破壊し、私はまるで10代の女の子としての3年間を失ったように感じています。それは本当に私を悲しくさせ、別のレベルで私を苦しめます経験していない人には、性転換者が経験する喪失感がどれほど深いか理解できないでしょう。私たち人生の大きな部分、自分自身の大きな部分を失います


続き

anond:20231206231532

2023-12-02

久しぶりに浪費する



が色々重なって、月末月初めなのに3万位浪費してしまった…

別にからと言って生活が苦になるってレベルじゃないし、視野が広がったし無意味ではないのだけど

物価高で財布の紐を縛って、外食や遠出もせず、安いコンテンツ我慢してたかお金が出て行くことの喪失感が強いな

2023-11-29

anond:20231129155341

うちの母は全摘した。

やっぱり生理が来なくなるっていうのが特大メリットらしい。

デメリットとしては、更年期症状が早めに来たって。でもそれを差し引いてもメリットが上回るんだとか。

喪失感みたいなのも一切ないらしい。ただうちの母は元々「女でいること」の意識みたいなのが薄い人だし、周囲から変人と言われるのであまり参考にはならないかもしれないが…

母の友人も全摘したけどピンピンしてて、流石に本心は分からないけど、摘出した自分の子宮の写真を嬉しそうに見せられたよ(何で?)。

身体大事にね。

追記子宮を取ろうか迷ってる

追記

スルーされると思ってたので、コメント頂けて嬉しいです。全部読んだ。今後も読み返す。ありがとう!!!

増田身体を気遣ってくださった方々、あなたご自愛くださいね。

貴重な経験談を書いてくださった方々、とても助かります


ちなみに当増田、5年前の筋腫は20センチあった。今回もしばらくは放置してもいいんだけど、

10キロ以上にもなると聞いて、腹腔鏡で済む内に何とかしたいぜ、と思った次第。

主治医家族ともよく話します。(ニーズあるか分からんが)めぼしい進捗があったら書くね。みんなもお身体、大切にね!!!!!


【本文】

経験のある方、もしいらっしゃればご意見を頂きたく…。


増田40歳会社員・既婚・子ども願望まったく無し。


5年前に子宮筋腫ができ摘出するも、

どうも再発したようだ(これから婦人科行く)。


前回の摘出は腹腔鏡手術で、手術翌日に起き上がるのが難儀だった程度で

痛みも負担もさほど無かったんだけど、今回また筋腫を摘出したとして、

再発の可能性がおおいにあるんだよね。


生理健康状態バロメーターとして受け入れてはいものの、

無いに越したことはないし、筋腫だけでなく子宮に関連するガンのリスク

無くなるし……。今後も筋腫が大きくなるたびに手術するくらいなら、

いっそ子宮全摘出しちゃうか? と思い至った次第です。卵巣は残します。


しかし、子ども願望が無いとはいえ女性だけの大事な器官を

負担リスク減のために取っちゃうか」という思い付きで無くしてしまってよいのか

倫理的な部分が気になったり。あと、すべての手術にはリスクがあるよね。


実家の両親にははっきりと「すまんが、子どもはつくらん」と伝えて数年。

増田意志尊重してくれてはいものの、子宮全摘出ってショックだろうな。

義実家には黙っておこうと思う。お義母さんがたいへんな心配性だから


(ちなみに子どもをつくらない理由は、自由に働いてしっかり休養できる、

夫と猫とだけのマイペース生活をこよなく愛し、誇りに思っているため。夫も同意してくれている)


あとは考えておくべきこととして、術後の喪失感もあるのかな? まぁ多かれ少なかれあるだろうな。

閉経するまでのあと10年くらい、毎月の生理とは付き合うつもりだったし。

生理は煩わしいものの、「女の身体なんだなぁ」と実感するタイミングではあり、

からどうこうってわけでは無いが、意味のあることだと思っている。

というか、思ってないとやっていけん。


経験のある方、もしいらっしゃれば、迷える増田にご意見を賜りたく。

よろしくお願いいたします。

2023-11-24

元カノに振られた気持ちを改めたい

2年前、元カノに振られた。

昨日また振られた。

しかし、まだ俺は元カノ固執してる。

元カノイメージ

良い意味の方でサバサバ系。化粧はせずファッションも力を入れないが、着飾らず大学時代と全く変わらない雰囲気であり、誰とでも隔たりなく接する。

元カノとは大学時代部活で知り合い、ずっと一緒に遊んできた。

大学の時も好きだったが告白して振られている。

最初のお付き合い

大学卒業後、俺は実家に戻り地元企業就職した。

元カノ実家に戻り地元企業就職し、俺の地元から近いので年1回程度、部活OB/OGで集まって遊んでいた。

大学卒業して数年後、俺は転職するため上京を決めた。

この転職が実現すると、俺は将来的に地元に戻れること、元カノ東京に連れてくる選択肢が発生することから結婚を見据えた関係現実味を帯びたため、結婚を前提にと匂わせつつ元カノ告白した。

元カノはウダウダ言って受け入れてくれた。子供は何人とか家とか専業主婦とか話していた。流石に気が早すぎると思いつつ、浮かれているのを見て微笑ましかった。

俺は退職して上京した。

転職成功後は元カノデートした。元カノ東京に来てくれて一緒に観光したり、俺が地元に戻ってキャンプしにいった。互いに連絡不精なのでLINEは1ヶ月に一度程度だったけど。

コロナ禍となり、リモートワーク勤務になった。

出社しても広いフロアに数人、仕事以外は1人、プライベート友達はいなかった。

俺の元より低いコミュニケーションスキルは著しく低下していく。

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1人でいる時は、常に元カノのことを考えていた。

LINEの他にもお土産とか誕生日プレゼントとか送り合ってはいたけど、元カノとの繋がりを欲していた。

元カノは行動というボールを投げたら投げ返してくれるけど、決して能動的に動く性格ではない。

常にボールを投げ始めるのは俺。元カノは本当に一緒にいてくれるのか愛情表現を欲していた。

デート友達の延長線上で今までの関係と何ら変わりない。恋人として手を繋いだり2人で遊びに行く機会は増加したけど、俺は特別感を感じられなかった。

唯一、愛情を感じられたのはセックスだけだった。

恋人として奉仕できる機会、恋人以外に見せない仕草

最初は全く反応がなく喪失感を感じていたが、最後の方は達成感と満足感を得ていた。

俺と元カノ恋人たらしめる証明セックスだった。

俺の認知は歪んだ。

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転職して1年、俺は彼女地元に引っ越すことに決めた。リモートワークなら問題ないと気付いたから。

当初の想定通り、元カノ地元引っ越した。

ようやく結婚かと思いつつ一緒に同じ時間を過ごす。

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ある日、誘いを断られた。そういう日もあると理性で理解する。

またある日、仕事中に強いストレスを感じ、元カノセックスしたくなった。風俗ではなく元カノとだ。

俺は衝動的に元カノを呼び出そうとする行動を観測した。理性ではとんでもない行為理解するため、実行しないよう耐えた。

それでも衝動がおさまらない。苦しくて窓から飛び出しそうになる。死んでしまいたくなる。クローゼットに入り暗闇の中でうずくまって耐えた。

ようやく自分おかしいと気づき始める。

〜〜〜

調べを進めると、性依存症に辿り着いた。

俺は「元カノとのセックス」に依存していたと気付いた。

当時は精神科に行ったり、自分思考言語化して書き殴ることで脳内モヤモヤを解消したり、コミュニティ活動することで自分の居場所を作ってコミュニケーション積極的にできるよう頑張った。

実家にいる時は気づけなかったけど、本当に1人になって初めて、人間社会的動物なんだと骨身に沁みた。

〜〜〜

さらに俺は、自分の考えを人に伝えるのが怖いと気づいた。

否定されること、嫌われることが怖かった。

荒療治の一環として、元カノに好きって言葉セックス中にしか言えてなかったので、改めてデートの時に伝えた。もちろん戸惑いもあったが、元カノも「お前とずっと一緒に過ごすと思ってる」と伝えてくれた。

その数週間後、別れたいと言われた。

友達結婚式に一緒に出席後、翌日のデートで言われた。

嫌なところもあれば治すと言いつつも、決意を感じたため、別れるしかなかった。

それから今でも、元カノとは友達として関係は続いてる。

1〜2ヶ月に一度、俺から誘って2人で遊びに行く程度の関係性。

自分に足りないもの

俺はコミュニケーション課題を感じた。

リモートワークで通話が限られており、今の居住地元カノ以外友達はいない状況である

これでは日常的に人と会話できない。この状況が続くとコミュニケーションスキルは上達しない。

から俺はコミュニティ活動を始めた。

ボランティアコミュニティに入ったり、人と会話する状況に身を置いた。

復縁希望を持って、元カノコミュニティに誘いみんなと一緒に遊ぶ。

関係性を自然消滅したくないから、俺の成長を近くで見定めて欲しいから誘った。

コミュニティで中核になりつつ、元カノ含めメンバー皆が楽しめる集まり企画して遊んだ

結果、俺は元カノだけに愛情善意提供するのではなく、多くの人に善意提供するようになった。相手人間として隣人として接するようになった。

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善意提供配分で思い悩むこともあった。善意提供配分が多いほど、返ってこない時に心理的負荷が高まる。少しも返してくれない人に悩むこともあった。

しかし、それはきっと、多くの人が経験してきたことなのかと思う。

俺は今までの人生において、人間とのコミュニケーションを避けてきたから、誰かに与える行為積極的にしなかったから、「今」壁にぶつかったのだと思う。

人間関係において、頭では自分他人境界線に気を付けてきたつもりだった。

それでも感情は、少しも返してくれない人に残念な思いを抱く。

これが人間と思いつつもモヤモヤ言語化できず自己嫌悪する。

から善意提供する時、自分が辛くならない程度だけ配分するよう変えた。分散投資するイメージで。

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マッチングアプリも始めた。

新しい出会いも探すべきと感じたから。

最初メッセージのやり取りがおぼつかなかった。距離感食事の誘い方や進め方、何もかも分からなかった。

ネットで調べつつ失敗しつつ、女性との関係性の築き方を学んでいった。

復縁を試みる

俺はコミュニケーションスキルを向上というより、一から人間関係を学び始めていた。

高校時代は、誰ともコミュニケーションを取らなかった。中学時代コミュニケーションスキル喪失した。この頃は友達0人だ。

大学時代は、自分を変えようと思って入った部活で人に恵まれ、人と関わることは悪くないと思い始めた。お世話になった先輩や、部活友達とは今でも会いに行ける関係を築けた。

今では、新しいコミュニティに優しく受け入れられ、自分が人を受け入れる立場になった。他コミュニティにも繋がりが広がり友達が増えた。自分から関わることで友達ネットワークが増大した。

今なら、元カノ復縁できるのではと、淡い期待を抱いた。

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俺は元カノと2人で遊んでいる時、クリスマスデートを誘った。

結果、断られた。

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いまだ俺は復縁すること、元カノとのセックス固執を感じる。

人生パートナーになりたいのだと思うこともあるが、おそらくそうではない。

理性では元カノ無視して新しい出会いを探そうと行動する。

しかし、ふと元カノのことを考えてしまい、否定を繰り返し、結局元カノ思考が奪われる。

元カノのことを意識的に考えないようにするのではなく、無意識的に他に楽しいことや、熱中することを見つけるのが正解とわかっている。

マッチングアプリ活動して他の女性のことを考える時、

コミュニティで遊ぶ時、

仕事の延長線上の活動をする時、

元カノのことは忘れられる。

しかし、疲れている時、何も思考したくない時、ふと元カノのことがよぎってしまう。

から、今の変わった俺ならと淡い期待を抱き、振られても次に進めると思い、告白した。

これから

元カノを完全に忘れるなら、引っ越すのも選択肢と考える。

ただ、コミュニティで築いた人間関係を捨て去ることになるので、優先度は低い。

マッチングアプリを再開したが挫けそうだ。

マッチングまでいいねを投げ続けることや、マッチング後に会うまでのメッセージやり取りが辛い。相手温度感が低いのか、それとも会話を投げない性質なのかわからないけど、会話に熱量を投げてくれない人を相手取るのは辛い。

自分の中のコミュニケーションとは、自分相手と共同で火起こしするイメージを持っている。

から自分が1人で火起こしして相手は何もしないだけの状況は、精神的にまいる。

やはり結婚相談所も挑戦してみるかの心境に至る。

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俺は以前から元カノと遊ぶ時に戦々恐々としていた。こちらの選択肢で合っているか?嫌われないか?と顔色を窺っている。

この心境で復縁したとして、俺自身幸せになれるのか。

仕事結婚も合う合わないがあることを、今度こそ感情理解したい。

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自分仕事元カノと合わないからといって、自分が全部ダメなわけではない。

感情ではまだ制御しきれてないけど、過度な自責思考にとらわれず、今を受け止める選択肢思考できるようになった。

自分が合わせられる場所で頑張る。

とりあえず次のアクションとして、1人で熱中できる趣味を見つけるぞ。

2023-11-22

スターオーシャンを買った

先日までセールをしてたので息子のスイッチを貸してもらって、スターオーシャン1 -First Departure R-を買った

もうセールは終わってるのでステマではなく、自分語りをさせてほしい

スターオーシャンが発売されたのはSFC末期の1996年7月、既にプレステセガサターンニンテンドー64といった次世代機も発売されている時期だった

うちは貧乏だったので、次世代機を買うことを親にお願いできず、そんな気配を察知した父が秋葉原に連れて行ってくれて買ってくれたのがスターオーシャンだった

当時小学生だった自分はその時までスターオーシャンを知らず、秋葉原ゲーム屋ではずっと64やプレステデモ画面を眺めていた

最後スーファミソフトなら1個買ってあげると言われて、店内をうろつき、あのドラクエエニックスRPGということで選んだのである

もちろん子供なのでエニックスまさか販売元であり、開発元がソフトごとに異なるなんてことは当然知らない

から欲しいゲームではなかったけど、父親の思いつきとやさしさで新しいゲームを買ってもらえてラッキーと、電車の中でほくほくしながら家に帰ったことを覚えている

自宅で早速やり始めてドラクエというよりはFFのような綺麗なビジュアルドラクエのような正面ではなくFFのような横から見た戦闘システム

戦闘中に縦横無尽に走り回るキャラクタースーファミなのにキャラが喋ること、綺麗な音楽に感動した

何よりも感動したのは、ゲーム冒頭1時間がほぼイベントシーンであり、ほぼ操作できないずに会話を見るだけ(世界観説明)だったことだ

今なら批判されるだろうが、ゲームを始めたらとりあえず戦闘してスライムのような雑魚を倒してレベル上げて、ではなく

世界観説明に冒頭1時間やすのが子供ながらに新しく感じたのだ

そして世界観がいわゆる中世RPGだと思ったら、現代社会も出てくるSFだったこと(もちろんゲームの大半は中世RPG的な星の過去に行くという流れで中世RPGっぽくなる)

なんなんだ、このゲーム・・・と畏怖した

とはいえ、周りの友達でやっている友人は皆無だった

みんなプレステ、64、セガサターン話題は持ちきりであり、今更スーファミ?という空気だった

一度友人を家に呼んでスターオーシャン凄さを力説したものの、この戦闘テイルズと一緒じゃんと一蹴された

当然ながらテイルズオブファンタジアはプレイしたことなかった

攻略本もあったのだろうが、ハード末期なので近くの本屋には売っておらず、自力ラスボスを倒してクリアした

おそらく大量の分岐や仲間にしていない仲間がいたと思われるが、自分としては満足だった

父には買ってもらったゲームめっちゃ面白かったよと伝えると笑っていた

そんな父も今年の夏に亡くなった

正直に言ってまだ喪失感が続いている

そんな時に息子のスイッチニュース画面でスターオーシャンセールを見てプレイする時間もないのに買ってしまった

買ったのは1週間以上前だけど、まだ起動すらしていない

自分記憶で美化されているだけならどうしよう、リメイクって言ってるけど昔の雰囲気はあるんだろうか(そもそもよく調べたらPSP版の再リメイクのようだ)

などと不安が募る

今夜にでも勇気を出してやってみようと思う

あの冒頭の1時間は同じなんだろうか

面白かったら、父に面白かったよと伝えたい

2023-11-19

anond:20231119214521

なるほど。EDじゃないけど、半分くらいは気持ちわかるかも。

30後半に入って性欲が極端に落ちた。それに伴った喪失感みたいなものがあって、今やエロ動画見ても心が勃たない。

物理的には勃ってるけど、芯(心)がない状態。辛いよね。

2023-11-15

映画好きだけど怖いの嫌だからホラーは頑なに避けてきた。でもインターネットミーハーから話題性に屈してヘレディタリーとか呪詛を観た。超怖かった。

ママスパイダーマンしてるシーンとかがギャグだとか言ってる人おるけど怖えよ普通に。ヒネてるのかホラー耐性がつき過ぎてんのか知らんけど。

ミッドサマー純愛映画だとかセラピー映画だとか言うノリもあったけど、あれもすみっコぐらしはFateだみたいな誇張こじつけノリに近いものを感じて寒いなあって思った。まあどれほど本気かは知らんけどアリアスター自身もそういうコメントはしてたらしいし、その手の視点的外れという事もないんだろうけど。

とにかく初手で異常に怖いやつを観てハードルが壊れたんじゃね?と思って今まで避けてきたホラーの名作も着手してみようと思った。まずはエクソシストとかエルム街辺りから

全然怖くはなかった。観たあとでも全然一人でトイレ行ける。ストーリー上の怖さは屁でもない。もはやミーム化してしまっているという所もあるかもしれない。チェンソーマン悪魔が親しまれると弱体化するみたいなのもそういう事なんかなって思った。

でもスプラッターというかゴア描写?はやっぱり苦手。耐性がつかない。その点ヘルレイザーは怖いと言えた気がする。メロドラマはかったるいけど、おじさんが受肉するシーンとか光るものがあって普通にかっこいいなとも思った。

銃でパンパン撃たれたりザクッと斬られたりするのは別になんでもないんだけど、引き裂かれたり擦り下ろされたりする所をねっとり映されると直視できない。死刑に至る病の冒頭のアレも観てらんなかった。

エブエブの紙をシュッてやるのとかアウトレイジ拷問とかは、苦手なんだけど怖いともまたちょっと違う気がする。身近な痛みを想起させられて手に力が入らなくなってくなような感じ。

ボコスコ殴られてるのは特に何も感じない。スタント感を感じてしまうのかもしれない。マトリックスで殴られた壁や柱が発泡スチロールみたいに粉々になるのを観て、すごいパンチだなと思うよりはヤワなセットなんだなと思ってしまうような、そんな感じ。

ホラーに限らず決定的な外傷というか不可逆的な欠損を負うのも苦手なんだけど、それはなんというかストーリー的な嫌さであって怖さとはまた別口な感じがする。キャラクターに対する部分的喪失感とでも言うような。

映画は避けてたけど、おれはホラー不条理ものであって欲しかった。モヤッとはするんだけど、伏線が散りばめられたような理詰めの怖さってなんか陳腐な感じがするからアリアスター作品呪詛を観てその考えは少し変わったんだけど、この間ヒッチコックの鳥を観て徹底した謎ってやっぱりいいよなって思った。理解した瞬間の怖さってなんか大喜利とかの親戚辺りにいる様な感じがするし、理解できないが故の恐怖の方がなんか世界不思議に期待出来るような感じがする。

2023-11-04

anond:20231104225754

嵐のため人のコメントが探しづらいときには、自分日記レスして熟考しましょう

嵐のような洗脳に熟考性を奪われてはなりません

現実ハニートラップが現れると、ちょっと得した気分になるかもしれません

しかしこれもまた、妄想などの時間的損失を与えることや、ハニーが消えたとき喪失感を与えるためのものです

したがって恋愛希求はひとまず控えるべきでしょう

そもそもたいていの人間は伴侶は恋愛感情ではなく損得で選んでいます

2023-11-01

anond:20231101083408

俺は逆

オナニーしてないと喪失感がある

オナニーは元気の源

毎日しなくちゃ

もちろんセックスでもいいよ

オナニーをした翌日

さな喪失感がある

仕事をしていて、

今日帰ったら何しようかな?・・・あ、そうか、昨日オナニーしたんだっけ)

と思ってしま

なんとなく2日連続オナニーすることを躊躇うきらいがあるからなんだろうけど

オナニーをした翌日は少し悲しくなる

2023-10-30

唯一の親友と絶交しても悲しくならなかった

幼稚園から関係親友半年前くらいに絶交した(幼稚園からといっても本格的に交流しだしたのは小学生からだけど)あっちは友達が多いからなんと思ってたかからないけど俺は親友だと思ってた。家族以外でライン登録してる唯一の人間だっし、俺が中学から不登校になっても変わらず会いに来てくれて何度も遊んでくれた。

高校からそいつが遠くの全寮制の学校に転校したからそんなに会えなくなったけど、それでも長期休みの時は必ず連絡してくれたし向こうの学校公衆電話から何度も電話くれた。こっちに帰って来た時はあっちも友達いっぱいいて忙しい筈のに俺なんかとも何度も会う機会を作ってくれて遊んでくれた。電車の乗り方もそいつから教わったぐらいだしカラオケとかファミレスとか映画とか本当に思春期らしい青春の全部を教えてくれた。すごく尽くしてくれたし良い奴だったし感謝もしてるけど、その関係にどうしても耐えられなくなってLINE電話番号も削除した。

理由は会うたび聞かされるそいつの充実ぶりに耐えきれなくなったから。もともとタバコも酒もしてたし陰キャの俺とはちょっと方向性が違う奴だったけど、する会話も大体向こうの学校の先輩後輩とBBQしただとか文化祭お笑いライブをしただとか異性関係のいざこざがとかを聞かされる一方で苦しかったし、自分の話もして良かったのかもしれないけど俺は友達がいなくて話すエピソードなんてないからうんうん頷いてるしか出来なかったのが苦しかった。そいつ大学に進学してようやく始めた念願の一人暮らし先に泊りに行こうかと二人で計画を建ててるときに、急に無理になって自分から行きたくないと連絡した。その数か月後くらいに電話で連絡を絶ちたいし一人で生きたいと口頭で伝えた。電話した時あっちは外だったしなんかお取込み中みたいだったけど、ラインで話したいってメッセージ送ったらすぐに電話かけてくれたしなにも文句わず承諾してくれた。もうLINEブロックしたし着信拒否もしたし家凸される以外本当に連絡する手段がない。本当にすごく良い奴で感謝してるし遊んだ後はともかく遊んでる最中は楽しかった記憶もある筈なのに微塵も悲しくなれなかった。

電話が終わった後ようやく一人になれたのかと思って本当に気が楽になったし後々実感が来るのかと思ったら全然悲しくならない。夢のキャストが十年くらい前から変わってないんだけど今もそいつが頻繁に出てくるのにその度喪失感とかもない。むしろ今はすごい充実してる。ずっと好きだったコンテンツサークル参加にも一人で挑戦してて今はその作業がすっごい楽しい。もともと一人の生き方が向いてたのかな。苦しくないのはいいけど急に絶交したいっていっても文句ひとつわずに承諾してくれたあいつに申し訳が立たないなと本当に思う。

強いて当面の不安を言うなら俺はこの先あいつ以上に深い友達を作れるのかな。新しく友達作っても同じ結末になると思うと気が引けるし作り方も小学生以来だし忘れちゃった。今通ってる専門学校では早速孤立してる。

2023-10-27

道具に愛着がわいてしま

家で長らく使っていた直径約21センチの雪平鍋を先日処分したのだが、思った以上に喪失感が大きい。

床に落として円が歪んだり、柄のネジ穴が閉まらなくなったりしたのでさすがに諦めて買い替えたわけだが、

私が生まれる前から40年以上に渡って家で使われていた鍋だし、私にとって、自炊ときはそれしか使わないぐらいの超一軍の鍋だった。

こんな喪失感はもう味わいたくないし、調理器具愛着がわく前に買い替えたほうがいいのだろう。

2023-10-05

は~~うんこたくさん出た

まだお腹の中に甘美な喪失感が残っている

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