「喜怒哀楽」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 喜怒哀楽とは

2023-08-06

anond:20230628175701

悪くはない。ちょっと硬めのテンプレファンタジーと言った所。

ただ、この話を読んで心が動かされるといった事はない。

なぜならばこの物語は結局「世界」を書いているのであって、「人物」を書いているわけではないからだ。

例えば歴史上の偉人…誰でもいいが、アレキサンダー大王あたりにフォーカスした物語を読んで感動できるだろうか?

例えば神話を読んで喜怒哀楽いずれかの感情が湧き上がってくるだろうか?

「良く書けてるな」とは思うが、だからと言って心が動かされるかといえばNOである

ダークスレイヤーの帰還はそういう作品だ。

2023-07-23

海原雄山感情操作

海原雄山感情操作できる能力

喜怒哀楽は勿論のこと、不信感や信頼感などの心の動きもある程度操作できる。

ただし完全に心を操れる訳ではなく、操作できるのはあくま感情レベルだけ。理性が勝ってしまう事もある。

ちなみに美味しさ、不味さはコントロールできなかった。

海原雄山料理主観ではなくロジックで読解しているところがあり、食べた時にどんなに心地よく感じても一定水準に達していない料理は不味いと審判を下すらしい。

2023-07-17

anond:20230717135216

まあ、人の喜怒哀楽ポイントって千差万別だし

「なぜ怒るのか理解できないけど怒る人はいる」ということだけ理解できてればいいんじゃない

2023-07-09

serial experiments lainがNEEDY GIRL OVERDOSEコラボしてしまった……【追記7/9 23:19】

追記

なるほど。

賛否両論意見多様性が強烈だな。

様々な感想存在し、様々なlain感、受け止め方、解釈がある。

作中で全てを語ること無くプレイヤーに委ねた結果、それぞれがそれぞれの勝手喜怒哀楽を持って受け入れる。

このパワーがまだlainに健在であるということを感じたよ。

今のlain周りがその力を生み出しているとは思えないけど、思い出の中にあるlainに今でも確かな力があったと感じる。

俺たちの脳細胞に刻まれ記憶が、ネットの海にlainとは何であったのかという記録を刻み続ける。

無限増殖するデジタルタトゥーlain伝説を語り継ぐんだ。

悪性変異したデュープのようにどこまでも広がっていくんだ。

たとえ今は陳腐化しようがかつてlain伝説として存在したことは、それを語り継ぐ人間がいる限り消えることはない。

生きた伝説でないことが、伝説の死を意味しない。

もう誰も本当の顔を覚えてないはずの歴史的人物名前が残り続けるのは、記憶と記録が相互ループし増殖を続けるからだ。

世紀末時代lainという作品があった」

この事実が失われることはない。今lain権利を持つスタッフによっても不可能なんだ。

今の人類技術ではまだ、刻まれ過去を消し去ることは出来ないから。

追記終わり



アニメ『serial experiments lain』の岩倉玲音が、『NEEDY GIRL OVERDOSE』配信番組にまさかの登場 - 電撃オンライン

馬鹿なんじゃないの?

lainテーマは「サイバーパンク現実のものとなりつつある空間としてのインターネット」であって、「メンヘラうようよの世紀末インターネッツ」ではないだろ。

なんで公式がそこを間違える?

マジで全く別物なんだよ。

かにlain当時のインターネットにはギークナードメンヘラを拗らせた社会不適合者がウヨウヨで、無法地帯を感じさせていたけど、インターネット無法地帯にさせていたのは加速し続ける技術進歩人類法律モラルが追いついていなかったという背景が強かったわけじゃないですか。

インターネット接続することそのものにそれなりの知能(せいぜいIQ90程度だけど)が必要で、そこによって区切りが発生することに対してメンサじみた特権意識を持ったイキり連中のウロつきの空気は今のアングラネットとは全く別物だよ。

玉ねぎ使用もしないで幼稚園児でも明日から使えるインターネット配信活動をする世界作品lain世界は繋がらないよ。

同じくインターネット舞台にしてるって言うならデジモンなりウェブダイバーなり連れてくりゃよかったんだよ。

つうか俺が一番失望してるのはlain公式がこの程度の判断を誤ったということ。

NEEDY GIRL一方的lainラブコールを送るのは勝手だと思うけど、lainの側からNEEDY GIRLに応えるのは違うだろ。

インターネットの海において遍在していてどこに現れてもおかしくないのがlain特性だけど、それならどこかの配信にだけ特別に現れるなんておかしいんだよ。全部の配信に顔を出すこともなくどこかにだけ偏在してしまっているなら、それはlainの在り方としての遍在とはまた別物なんだよ。

直接介入をしないからこそどこにでも存在していることを疑うことが出来るという実態の無さこそが本体都市伝説としての立場を守るべきだろ。

それでもなおlain特別にやってくるだけの繋がりはNEEDY GIRLとの間にはないよ。

ネット舞台メンヘラじみてるから一緒でしょ?」なんてのは外野けが取っていい態度であって公式がそれをやっちゃ駄目でしょ。

なんなんだよ。

25周年の一つの形として「お前らいい加減夢から醒めろよ。これは単なる紙芝居しかね―んだ。著作権持ってるスタッフ自由にして良いおもちゃ以上でも以下でもないんだよ」って突きつけようってのか?

畜生……それが正しいのかも知れねえ……俺たちは和製ニューロマンサーとしてlainを持ち上げすぎてその本質を見失っていたってオチは十分ありうる。

日本技術立国の形として電子の海に強い理解と関心を寄せるオタク達の島であって欲しいというキモい気持ちが、単なる一アニメ必要以上の役割を与えようとしていたんじゃないのか。

カルトアニメとして黙って持ち上げられてくれていたからそれに甘えていただけなのか……。

serial experiments lainに対して俺が見ていた25年の夢はとりあえず醒めたよ。

スゲーアニメだったのは間違いないけど、いつまでも日本サイバーパンク神輿として担ぎ上げるのは間違っていたんだろうな。

いつからだ……放送後3年ぐらいの辺りでもう歯車は狂っていたのかな。

結局コレもさ、lain攻殻ぐらいしか日本でマジメにネット社会の向こう側と向き合おうとした作品が生まれてなかったのが悪いんだよ。

色々あったけどさ、どれも最後はボーイ・ミーツ・ガールで甘ったるくくるんではい終わりにしてたろ。

そうやって誤魔化すんじゃなくて、最後まで物語の中心にネットの闇を置き続けるコンテンツもっと伸びてほしかったんだな。

結局最後は生身の人間ですよなんて話をインターネットコンセプトにしてやって欲しくねえんだよ。

あーでもlainアニメ最後、やっぱ生身だよねとはなったんだよな。

駄目だな……俺は自分の見たいものにピントを合わせてばかりで何も見てなかったんだな。

俺は俺の中にあるlainばかりを見てた。

現実lainスタッフ達がどう育てていきたかったのか、どういう作品だったのか、皆の中でどういう作品だったのかをちゃんと見ようとしてなかった。

から1人で思い込んで突っ走って、25年もかけて勘違いに気づいて今更失望してんだな。

馬鹿みたいだわ。

結局、俺が幼すぎたってだけのオチかよ。

あほくさ。

なんだったんだろうな。

俺にとってのlainって。

長い夢だったな、今やっと醒めた。

本当に夢から醒めたんだと思う。

2023-06-19

DV再生産したかも知れない

付き合ってる彼氏DV再生産したかも知れない。

バツイチ、子持ちで躁鬱持ち。元夫にはDVされて離婚した。付き合ってる彼氏にそういう周期で発狂してしまった。今考えれば後悔しているが、昨日彼氏にキレまくった。とにかくキレまくった。出会った時から今日に至るまでムカついたことを車の助手席で怒鳴り散らした。とにかく怒鳴った。大声で。

様子が変わった。「おはよう」以外の口を利いてくれなくなった。さらに腹が立って「なんか言えよ!」と言ったら能面で黙られた。「昨日はごめんね」と言っても「もういいよ」と言われた。日常生活だけは助けてくれるけど、喜怒哀楽がなくなった。世間話もしてくれなくなった。「うん」「わかった」「ありがとう」「ごめんね」以外何も言ってくれない。

傷つけたとしたら申し訳なく思うけど、彼氏の態度に腹を立ててる自分もいる。 日本の男は弱すぎん?女さん一人立てることもできんの?とも思う。この彼氏DV再生産したってことなの?

怒鳴り続けたことは私が悪いと思う。けど、無視されて私も自己肯定感が下がっていく気がして辛い。彼も辛いだろうが、先に手を出して傷つけたのは彼の方なのに、とも思う。

もう別れるしかないの?

2023-06-13

anond:20230613102608

富野アニメを観よう

――先ほどの山本さんの話にもありましたが、90年代だと「アニメ喜怒哀楽男の子女の子表現するならこんな感じ」といった、お決まりパターン化した処理がよしとされていた頃だったように思います。少なくとも、富野監督の目にはそう映っていた。

山本 そうだと思います。昔のアニメではピンチときに苦しげに片目をつむる、という表情がよく使われてたんですが「それはコミック表現だ。そんなことをする人間はいない」と絶対禁止でした。

https://febri.jp/topics/v-gundam_30th_01_04/

2023-06-08

5年ぶりくらいに書き込む

その頃から増田という場所ネットの泥を寄せた排水溝みたいな場所だったけど、ヘドロが溜まりすぎて水が一切流れなくなってしまったなと感じる

特にここ数日は、やたら結婚子供の話が多くて霹靂としている

定番ネタとは言えこんなレベルの話ばかりになっているのはちょっと異常だなって感じている

子供の話はだいたいが母親中心だ

夜泣きが酷いとかベッドから落ちたとか、姑との教育方針の違いとかそんなのばっかり

小学生に上がればまた給食いじめ問題も出てくるし、受験とか絡むと熱が変わってくる

ここが重要なんだが、子供話題子供の成長や家庭環境の変化に合わせて変わってくるということなんだ

言葉を喋ったりするだけで一大イベントだし、何かにつけて後悔もうれしさも付きまとう

パパママ界隈は地獄のようではあるが、天国地獄も色々ある

けど、増田話題に上がるのはどうも何の変化もない妄想だらけの地獄じゃないのかな?

子供が1年で成長する間に起こる喜怒哀楽の変化に比べ、ここはほぼ無風だ

湿っぽいよどんだ空気が漂っているだけ

まるでサ終したゲーム掲示板毎日書き込まれる天気の話題を見ているようだ

2023-05-15

ねぇ、ブクマしてくださいよ〜

ねぇ~

Oh,ブクマしてくださ~い

ねぇ、ブクマしてくださいよ~

ねぇ~、もう…Oh,ねぇ~ いいじゃないの~

減るもんじゃなし~

増田、とても悲しい~ 悲しいデス。

ねぇ~ ブクマしてくださいよ~

もぅ~ 誠意見せてくださいよ~

ねぇ~ も、もぅ…

な、ねぇ、もぅ、な、なに?

もぅ…こ、こ…の…手斧!!

何それ!!武器!?何?それ!?

何の意味があるの!?

何をそれで表現しようとしてるの!?

アナタがた。

怒り?

悲しみ?

喜び?

喜怒哀楽!?

Hum…いぃじゃないブクマブクマすれば…済むのデス。

Oh,なしのつぶてデスか~?

ねぇ、ちょっと、そっちのはじっこに座ってるブクマ

そぅ、そぅアナタアナタどう思う?

アナタはてサ派?フェミ派?

ねぇ…しゃ、喋ってよ…ねぇ~

もぅ…さっきから黙ってもぅ~ 喋ってよぉ~。

非表示?ワタシを非表示にするんデスか!?Hum.

じゃぁ…ワタシはアナタがたがそうやって

ワタシを非表示にする様を…

批評するコトにしマス

あ…あっウソウソ、気ィ悪くした!?

あ、あ、あっ、でも…そんなに黄色くない…のね、

はてなスターって。

黄色じゃない…のね。うん…

ねぇ、ブクマ…してくださいよ~ No,why?

もぅ、な、なんやねん!な、もぅ、

はてな匿名ダイアリー行ったら、「はてなブログ行け!」

はてなブログ行ったら、「はてなブックマーク行け!」

はてなブックマーク行ったら…「わぁ!増田だぁ!!」

何それ!?

ねぇ、ブクマしてくださいよ〜

もぅ、アナタ達だけよ、今どき増田見てるの!

Oh,ダカラ…ね?いい?だから…今こそ!

ブクマすればいい…いいのよ。

ねぇ~ ねぇでないとねぇ、はてブバッシングするよ。

増田ナメると後がコワいよ~。

ねぇ、どうコワいかは詳しく言わないけれどもね。うん…

2023-05-04

anond:20230504204201

子供定義によるね

喜怒哀楽が状況に応じて抑えられないとかだと50でも幼いなって感じるし

2023-05-03

マジデスはナードコア文脈サブカルクソ野郎になって見ろ

魔法少女マジカデストロイヤーズはナードコア文脈サブカルクソ野郎目線で見たほうが良い。

とりあえず下記2つのリンクを見てほしい。

2011年秋葉原」その衝撃をアニメ表現

JUN INAGAWAさんが中学3年〜高校1年の頃に考えていた漫画OTAKU HERO

https://kai-you.net/article/80335

WWD:絵のタッチに影響を受けたり、尊敬する漫画はいますか?

JUN:あまり「この人!」って方はいないんですけど、描き始めた最初の頃は「アイシールド21」や「ワンパンマン」の村田雄介先生の絵ばかりまねて描いてました。だから僕の絵ってかなり村田先生に似てるんです。村田先生アメコミ風な影のつけ方と、喜怒哀楽の表情の描き方がすごい好きですね。

https://www.wwdjapan.com/articles/816815


なんで敵が(´·ω·`)ショボーン なんだ?2chなのか?と思ったが、2011年秋葉原ワンパンマンのノリと考えると、(´·ω·`)ショボーンも納得がいった。(2010年ぐらいがノスタルジーになる時代になったのかなとも思った笑)

実際、OPEDは謎に不気味でパンクでお洒落サブカルで良いと思う。このオシャレ感で2話のエンドカードポプテピピックコラボしてきたので、サブカルクソアニメ路線確信犯でやっているのかなと思ったら、ポプテピピックプロデューサーが関わっているとは。

https://togetter.com/li/2125391


3話の急に出てきて○すのはアレは何なのかwギャグ路線から急にシリアス展開を入れる緩急が謎で草w

4話で古い閉鎖的なオタク開放的若いオタクメタってきたには草が生えたw

5話は中野舞台になりそうで、とくに聖地秋葉原限定はしなそうである

池袋も出るだろうか。OPの急なザッピング音の転調を考えると、今後の展開がどうなるかわからないところがある。ポプテピピック最終話蒼井翔太氏の実写展開のようなパターンもありえるのだろうか。まじで予想がつかない。


そもそもJUN INAGAWAって誰?インスタからラッパーとのコラボして個展を開いてアニメ化ってどういうことなんだ?感があった。

コラボしたラッパーのA$AP Mobの説明を見たりA$AP Mobの音楽を聞くだけでは、とくにオタクラッパーというわけでもなく、どうつながるのかわからない。

https://block.fm/news/asapmob_is

JUN INAGAWA氏のインスタを見ていくと、ナードコア文脈理解できる気がする。

https://www.instagram.com/p/CYd1nUdF3_x/

このイアンのナードコア大百科 Ian's Nerdcore Encyclopediaを見るにこの文脈ラッパー萌えがつながるのか、と。

https://diskunion.net/clubt/ct/detail/1008022873

https://archive.org/details/ians-nerdcore-encyclopedia/page/122/mode/2up


魔法少女マジカデストロイヤーズをアニオタ目線で見るのは間違いだと思われる。


言及元:anond:20230427160935












蛇足でwアニオタ目線で見ていく。

かくいう私はアキバオタクものが好きです。

最初に見ている限りでは、設定がほとんど逆転世界電池少女じゃね?と思った。

アキバものなのでAKIBA'S TRIP -THE ANIMATION- を越えられるかなと思って最初は見ていた。

このオサレ感、フリクリとか妄想代理人とか似ている感じがするなぁとも思った。

>令和のアベノ橋魔法☆商店街

もわかるーって感じ。

魔法少女モノでいうと暗黒系の魔法少女サイト(2期告知はエイプリルフールだったんかいw)とか。

アメコミ系のアニメ文脈RWBYを見た方が良いだろうか。


4話のネタについては神田川 JETGIRLSや競女!!!!!!!!を見ないといかんだろうか。

そして4話のロボットは、作中だと勇者ゴーディンと言っていたので元ネタ勇者ライディーンになりそうだが、どちらかというと東映スパイダーマンレオパルドンだよね?

レオパルドンというと、いやあれはゼオパルドンか。アキバエロゲおたく☆まっしぐらの失われた佐々木ルート死ぬ前に読まないと死んでも死にきれないという気持ちを思い出したw)


あと2010年頃とすると、シュタインズゲートネタが入るかどうか楽しみにしている。

また(´·ω·`)ショボーン から電車男月面兎兵器ミーナ2chネタが入るか気になる。

エロゲ文脈でいうとブルーアーカイブ -Blue Archive-が上手いこと換骨奪胎して透き通った世界観を表現したのに対して、マジデスがどうするか。マジデスの好きなことを好きだと言える世界を作りたいというテーマはしっかりしてそうだから、それをどうシナリオにして描写するのか、楽しみにしている。韓国からブルーアーカイブだったりフランスからシティーハンター実写版だったり中国からの原神やアークナイツだったりフィリピンからボルテスV実写版だったり、日本オタク以上にオタクをしている、わかっている、海外からディープな熱い作品があふれた中で、アメリカ帰りのマジデスはどう表現するか、文化の違いがあるのかどうか、楽しみである


4話の最初の方のセリフで「壊れた"おもちゃ"<俺のゴーディン>を魔法で〜」というト書きが聞こえてきたオタク増田より。


とりまアナーキーちゃんが元気でパンクかわいいから見て。アナーキーちゃんキャラはあまり他では見ないんじゃなないかな。ブルーちゃん原作の方がかわいいかも派です。

2023-04-16

マツコ会議最新回でマツコが「印度とかアフリカとか自分想像出来ないようなものがある場所に行ってしまうと、脳天直撃を食らう可能性がある」と言っていた

しか

たぶん大丈夫

人間五十年と言うが、Around50ともなると本当に体も心も全く別物になってしまう。余裕であと30年生きるとしても、実際のところは人として終焉を迎えているんだと思う

現代人間は「マイナス20歳くらい」の感覚があるので割と精神も肉体も若いはいるが

実年齢に沿っている人だと「ああ…終わりだな」と実感してるはずだ

ほんで、冒頭に述べた様な「衝撃的な物事」を見聞き体験したとしても「感性が死んでいてボンヤリとしか感じ取れない」状態になっている。全てが茫洋としている

マツコ会議最新回はかつて年商100億を誇ったビジネスマン唐突出家したという話だったんだが

わざわざ出家して心の平穏を求めずとも、人生末期を迎えている人間は「何に関しても心を揺さぶられることが無くなってしまっている」のだ

熱意が無いのは哀しいことだけれども、代わりに平坦な心で居られる

そら、一応生きているので瞬発的な喜怒哀楽は多少あるだろうが、持続性が無い

「あー…」という感じで粛々と残りの人生を歩んでいる

精神肉体マイナス20歳のAround50以外は、もはや何も生み出さないし新規のことに着手したりしない

全て惰性

から北極行っても南極行っても一時的に興奮するかもしれないが(それよりもその行程で「どんだけ時間かかるんだ」との思いの方が強いかもしれない)

帰ってきたら「あー…行ってきた。行ってきた。疲れた」で、心裡に変革を起こすようなことは無いだろう

宇宙とかまで行けたら凄そうだけど(そもそも行くための訓練で「いや、そこまでせんでもいいし」と思ってやめると思うけど)、それでもダメそうだもんなー

この状態、良いのか悪いのか。まあ、どうでもいいが

(つーかもしかしてそんなふうに思うのは歳のせいというよりも精神やられてるのかな。ほんと心が動かない。医者には鬱状態って言われたけれども

幸か不幸か強く「死にたい」とかも思わなくなったから、やっぱり歳のせいで繊細さが無くなったんだと思うわ

みんなこんなもんじゃないのかな)

2023-03-29

anond:20230329154513

プレイヤーとしてセッション面白ければVの中の人ゲームに集中した素の喜怒哀楽が出るから

見せ方次第で化けるかもしれない分野なのかなぁとは思う

2023-03-28

喜怒哀楽の「喜」と「楽」って被ってるから、代わりの漢字を入れるべきでは?

喜ぶと楽しいってさ、似てると思うんだよな

4つしか漢字入れられないのに同じようなの入れてどうすんだ?と前から思ってた

から俺の提案としては、楽しいは省いて、代わりに驚きを入れて「喜怒哀驚」(きどあいきょう)にしたらいいと思う

これでいいよな?他にある?

anond:20230328193917

思考・行動が理解できないのは、知識認知共感性の問題だけど、

感情(喜怒哀楽)に共鳴出来ないのは割と人間として終わってると思う

2023-03-27

政治的発言ツイッターですることについて

政治的発言ツイッターですると嫌な顔をされるというのはツイッター界(特にオタク界隈)で往々にしてあることだと思う。

最初に言っておくと、私はツイッター政治的発言かいわゆる陰謀論を見ると、うわーとなって距離を置くタイプです。

とは言っても、「みんな投票行こうね〜」とか、「この法律変わるらしいね」とか、それくらいの発言ならなんとも思わない。

私が嫌なのはツイッターが、というかTLが喜怒哀楽で言う怒と哀が強くなること。

例えば、「ワクチンには利権が云々」とか、「○○党のせいで生活が苦しい。みんなで落選させよう」とか、そういう語気が強い発言が嫌い。

怒りを原動力とした行動って、良くも悪くもエネルギーが強くて、見てる方はとても疲れるしどちらかというと不快気持ちになる。

こういうこと言うと政治生活は密接に関わってるんだから無関心でいいわけないだろ、って言う人が出てくると思うんだけど、そういうことじゃない。

ツイッター趣味を楽しむためのものであって、議論とか政治的発言ツイッターでしたいとも見たいとも思わないってだけ。ちゃんと考えるべきときには考えるよ。

そもそも政治のために作ったアカウントならもちろん何も思わないし、主の目的政治的発言なんだからどうぞどうぞしか思わないけど、元々違う目的で作ったアカウントなのに語気強めの政治的発言をしても多分真剣に聞く人は少ないし、そりゃ遠ざけられるよ。

全然見たくもない批判や怒りの声を見続けたら苦しくもなるでしょう。

なんで政治の話をしちゃだめなの?って言う奴、まずは言い方に気をつけな

これは悪です!この人は悪です!と言うよりはこの制度あったらいいなとか、この人を応援してます!とかの方がよっぽど印象いいです。

まあツイッターなんて勝手にすればいいけど、最近政治的発言ばかりになって嫌いになった人がいるから勢いで書いちゃった。

2023-03-23

anond:20230323121113

履歴から戻ってきて、入店判定はできるっぽくって入店する際には飛び込み前転をすること、で教えたら理解できるみたいだけれども感情の高まりのそう言った箇所についてのヤッホー!解釈は難しそうな山脈に向かってヤッホー!みたいなのよ。もしかしたら喜怒哀楽はなく淡々としている気持ちなのかも知れない真顔かしらねFF15オープンカーに乗ってぶつかってフロントガラスにヒビは入りまくっているとき主人公たちの顔が真顔なのと一緒なのかも知れないわよ。

2023-03-14

[] 発達障害相貌失認愛着の薄さとアセクシャル・デミセクシャル

恋愛する人・セックスで情を深められる人(他人に向ける性愛フツーにある人)は、

恋愛セックス必要としない人(他人に向ける性愛が無い人)とはどんな人かな?ってなると思うが、タイトルの通り

 

害にありがちな相認でそもそも人の見分けが男女の区別からして曖なので、

芸能人同級生・先輩後輩の推しなんぞできるわけもなく(どれも一緒に見えて興味が持てない・区別が付かない)、

かなり早い段階、自分場合中学入学時にアセクシャル・デミセクシャルだと気づいた

 

大学卒業アラサーになる間際になってから自称する人多いけど、

大学卒業アラサーになる間際まで好きな芸能人同級生・先輩後輩の話をしないってありえないので、

微塵も興味ないって自分はフツーじゃないんだな・・・って早々に自覚すると思うんですよね

ディスグラフィアだったり、スキップ出来なかったり、時間感覚死んでたり、人の見分けが曖昧だったり、

発達障害の特徴ありまくりだったけど、アセクシャル自覚する方がずっと早かったぞ

  

あと人に対して性的欲求のみチャルを閉じているのではなく、人のすべての部分に対して興味・愛着が無い/薄

無差別に人に対する興味・愛着が薄く、親兄弟親戚友人にすら『お前は情がない』的なことを言われてしま

他人と比べたら愛着共感性がだいぶ薄いのかも知れないが、喜怒哀楽と快・不快は有しているし、自分なりに誰かを大事に思うことはあるので、極めて遺憾である

自分的には大事なので、相手から指摘を受けたら今後は相手が傷つかないように適宜修正はしているが、だいぶ常人への道のりは遠い

 

あと、トランスの人や女装家も髭さえしっかりと処理されていれば、パス度が低い=多くの人には男に見える状態でも、女だと誤認するし(男女の区別を髭と服装でしてる)、

同級生プライベートで一緒に旅行とか行ったヤツすら顔も名前も覚えていないし、同僚も会社を辞めたら秒で名前も特徴も忘れるので、

名前を覚えていて特徴も覚えている、つまり個体認識があるのは、自分にとってかなりの特別枠というか家族枠だ

特別枠(家族枠)とは社会人になってからも月1〜3回は遊ぶし15年以上の付き合いであ

その特別枠(家族枠)との関係恋愛性愛関係にくらべたら〜みたいな表現をされるのは非常に不愉快

 

おわり

 

2023-02-21

ブンヤに何を求めてんの?

社会の木鐸だの報道の使命だの、そんなもん値段の付かないゴミだ。あいつらの最優先事項はニュースを売ることだ。

ニュースバリューがあるのは「打ち上げ成功!」「打ち上げ失敗!」の2択だ。人々の喜怒哀楽を大いに刺激してこそニュースは売れる。

打ち上げ中止」は価値が低い。少なくとも成功か失敗よりは価値が低い。ニュースを売るためには価値釣り上げる必要があり、そのためならあいつらはグレーゾーンどころか禁止カードだって使う。

お前らはてブだって気持ち良くマウント取って叩ける記事に群がるだろ。だからこそブンヤは売れる記事を作るんだよ。

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-03

音だけを聴いて耳を澄ます増田スマスマスを耳定期を毛だと雄(回文

おはようございます

何となくもう平常営業よ。

夜は24時前には寝て朝は6時に起きる規則正しい生活で乱さないことが増田プロへの1歩への道よ!

そんなことで、

あんまりお正月年末年始テレビってほとんど全然観てないわ!

たまたまエヌエイチケーの紅白つけたら氷川きよしさんがドラゴンボール超主題歌歌っていてそこだけ見たわ。

紅白合戦とは?と問うぐらいそう思ったわ。

それだったら

テレ東のセットばっちり組んでコントのセットみたいな中で歌う演歌番組の方がよっぽど歌合戦感みがあって、

藤あや子さんが営んでいる小料理屋って設定でのカウンターの中で歌うその歌の後に、

にっかぽっかを着た、

あれがにっかぽっかなのかよく分からないそれなんてワークマン?って聞きたいぐらいだけど

多分港の漁師って設定だと思うの。

料理屋の女将演じる藤あや子さんが歌った後

その港の漁師の設定の吉幾三さんが

マイタケじゃない方雪国の好きよ~あなた~ってカウンターで歌うの渋すぎるわ。

沁みるー!

これが本当の日本の年越し歌謡ショーじゃないの?そう思うわ。

そんなわけで、

私はあんまりテレビも観ていないし何してるかってーと

そんなに実はスプラトゥーン3もSF巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲームサーガ」みがあって

外の世界に気付いた人間になってしまたから、

とりあえず

ログインボーナス最近バイトはしていないけど

とにかくログインボーナスの7500ポイントと今は勝ったらホラ貝もらえてガチャ引けるから

実質1回以上のガチャとそのログインボーナス勝利7500ポイントしたらやめちゃってるぐらい。

と言うか、

持ちブキがセブンファイブオーライダーで熟練度5つ星達成した燃え尽き症候群はありそうでないけど、

次持ち替えたブキのジェットスターは立ち回り方が違って、

サブウエポンのキューバボム活用した立ち回りになるから

セブンファイブオーライダーではほぼあんまり活用しにくいラインマーカーとは違うから

サブ使いまくりまくりすてぃーなのよね。

そんでギアの振り方も考えないとセブンファイブオーライダーと一緒のコーデだと戦えないわ!

サブ強化とサブインク消費減とインク回復アップと

ジェットスターのコーディネートはこーでないと!ってぐらいな勢いでギア構成をブキの特性に考えて変更して戦わないと戦えないわ!

それに気付いちゃったし

そんでね、

サブ強化アップしたら何が違うんだろう?って比べてみたら、

キューバボムの飛距離が笑うほど全然距離飛ばせて笑うわ、

私の実感だとシューターで最長のインク距離セブンファイブオーライダーと同等ぐらいキューバボム投げられるから

これ戦線押し上げるのに結構効果的なのよね。

サブで撃ち壊せるサブは投げても壊されたり迎撃されたりすると意味ないので、

投げ込んでも相手に撃ち破壊されずに

時間が経過すると爆発するので、

相手が近寄れないのよね。

これ結構戦線押し上げたりするのに強力だわ。

シューターってインク消費減だけに気を付けたら良いと思っていた時代があったので、

目から鱗よ。

ぜんぜん立ち回りが違うわー。

実感。

本当に長距離キューバボム投げられるの楽しいわよ。

ドライバーで500ヤードぶっ飛ばす感じ!

結局スプラトゥーン3の話ししてんじゃん!って感じだけど、

以前みたいに12時間ぶっ通しとかってのはないわね。

あとちゃん銭湯通えているので、

しっかり温まれて、

やっぱり家風呂とは銭湯の湯のパワーが違うわね。

圧倒的な熱さと量!それに尽きるわー。

からここお正月今日も入れてばっちり銭湯でしっぽりよ。

あとお正月目標に掲げていた

好きなアニメの今やってるやつを音録音してスマホに入れていつでも大好きなのを聞けるようにする!ってやつ。

録音していたら再生しているタブレットの通知音がライン接続でも入ってきちゃって、

もーお母さん!今録音してるんだからご飯よーって声入っちゃったじゃない!って知らない昭和時代の録音環境のように

えー今通知音入っちゃった!って一から最初からやり直し!

通知をオフにすることを忘れないようにね。

そんで、

私が録音して山下達郎さんばりに言うとデジタルリマスターした音声ファイル

山下達郎さんのラジオで聴いた洋楽が良くって曲買ってみて聴いてみても

山下達郎さんがデジタルリマスターした音質の方が良くって、

原曲聴くとなんかのっぺりした感じがしてなんだこれ?ってなる現象とは違うけど、

その私が録音してデジタルリマスターしたアニメの音声ファイルスマホに入れてイヤホン聴くんだけどー

もう回りくどくて大変な作業だけど、

これが聴いてみるとアニメって目から入ってくる情報9割じゃない?

残りの1割がセリフや曲や効果音だとすると、

いか視覚感覚を持って行かれているかが分かるわ。

音だけをじっくり聞いていると、

私はそんなに声優さんアニメに詳しくなく流行なんかはほとんど知らない丸腰状態ドコモショップバックアップ無しで丸腰で行く母のような状態と全く一緒なんだけど

声優さん役を演じる技の凄さはもちろん、

もの凄くよく分かるのは、

シーンシーンで流れるバックのビージーエムよ。

あれ展開の尺ごとにピッタリと曲が時間あっていて、

そのアニメ流れる喜怒哀楽のシーン毎にある曲を適当に流していて尺が来たらフェードアウトしているかと思ったら、

やっぱり見所のシーンはバチコーン!って曲もシーンと同じ秒数で合致して尺とあってるのよね。

同じビージーエムの曲でも尺によって10秒や15秒の尺で直してるってこと?

あとそう考えてみたらアニメ制作ってもしかして

鬼のような秒単位で綿密に精巧に組み立てられて作られているものなの?って音だけ聞いているとそれすごく感じるのよね。

音だけ聴いてみると情報密度ケインばりに濃すぎるし高すぎて楽しすぎるわ。

これもしかしてテレビアニメを音に録音してそれだけを聴いて楽しんでいるってジャンルあんの?

ってそのぐらいチャクラが開眼した感じよ。

音だけ聴くアニメの楽しみ方って変態かしら?

そんなジャンルが無かったら新ジャンルよね。

昔は第三のビールが新しいものが出るたびに

新ジャンル新ジャンル!って言ってたぐらいでそれ以降一切聞かなくなったもんね。

再び新ジャンル開拓したって良いじゃないって感じよ。

もうさ、

画はばっちり脳内で完全補完できるから音さえあれば

いつでもどこでも観れてることと実質変わりないわよね。

2023年早々にして錚錚たるスゴい発見じゃない?

うふふ。


今日朝ご飯

サンドイッチ屋さんは今日まではお正月気分のお休みだと思うので、

駅中サンドイッチを買いました。

昨日と同じ案外美味しかったチキンブロッコリーサンドイッチよ。

駅の人たちは年始関係なく大変よね。

人も多いしさ。

私も家に居っぱなしだとネタがないので

出掛けてなにかネタが無いかなーってネタキャンペーン中なのよ。

街には出た方がいいわね。

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーターしました、

思いのほか家にいてルービー呑みまくると思ったけど、

大人しいものよ。

ハイボール用にと準備していたけれども

一向に減らないので

そのままでレモン炭酸ウォーラーとして飲んじゃうわ。

じゃないと片付かないじゃない。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-12-19

生理で具合悪くなる症状レパートリー多くて自分の体ながら感心すらする

頭痛(じわじわ、じくじく、ズキズキ、ギリギリという圧迫、モワモワとする気持ち悪さ等)

腹痛(こちらも種類あり)

腰痛

肛門

むくみからだの違和感として体感させられる。皮膚の下特に足の裏の不快感

吐き気

胃腸の不調

目眩

喜怒哀楽の哀しみの増強によるメンタル不安定 

暴食か食欲不振

寒気が続く   

筋力の低下(腕の上げ下げすら息切れしたり) 

不眠

疲れやす

無気力

むくみによる不快感頭痛薬で緩和されるのおもしろいよね

2022-12-17

事件のガワを見ただけで泪が流れそうになった

ジェンダー関係ありません

さいたまホテルに男女の遺体 従業員宿泊客が出てこない

https://news.yahoo.co.jp/articles/95f63df66fe1f4aa94bd60edb9960500069103d6

これ

増田ジェンダーや状況は度外視して年齢良く見て

埼玉県警大宮署員らがこの部屋に駆けつけると、室内で70代くらいの男性と30代くらいの女性が倒れて死亡していた。

これさ。。

30代の女性、もう一人の70代の男性と比べてよ。

半分の人生しか歩めずに終了したやんか。。

どっちも怪死したか純粋最期は似たようなものだと条件統制したとしても。

同じゴールだとしてもそこまで喜怒哀楽体験する様々な時間をもらえるはずだったのに、片方がもう片方の半分しか時間をもらえてないよ。。

何でもらえてないの。

これが男女とも70代ならまだ分かるけど、本当に可哀想

怪死が平等だとしてもその上で、もらえた時間が半分しかなかったのが可哀想すぎる。。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん