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はてなキーワード: 啓蒙主義とは

2021-01-31

anond:20210131185208

一部の社会学者グループ学問的に仮説を立てて調査したりフィールドワークをするより、社会運動理屈をつけて他者学者権威を持って、自己の支持する価値観啓蒙主義政治的正しさの名の下、押し付けていたり、他人価値観糾弾して排除する、活動家まがいの行動をしている問題について全く触れられていないのですが。

政治活動自由言論表現の自由はあるとは言え、やり方が高圧的でかつアンフェアに見えるために反発されているのではないでしょうか?

2020-07-25

すげー納得感しかない

支持母体である労組からもそっぽ向かれる人たちだから

ここんところの一番ホットな議題が自分たちの党の名前をどうするか?な党になにも任せられないよな

立憲民主党パンフレット若者たちのために何をするのかを伝える前に、「あなたがたを主権者として教育する」と言う啓蒙主義的態度を取る限り、野党若い世代の支持を得られることはありません

今の社会制度を作ってきたのが大人であり政治ですよね

そこに若い世代人間たちは、イヤも応もなく放り出されるわけです

その社会に対して、政党としてどのように責任を取っていくのか、それを示すことなく、「主権者としての力を身につけてください」ってお説教されて納得するでしょうか?

立憲民主党の対若者向けパンフレットで、職業訓練労働政策の筆頭として掲げることで、「あなたが好きな仕事に就けないのは、スキルが足りないからだ」という自己責任論的なメッセージを、立憲民主党若者に対して言外に送っています

あなたがたに権利を守る教育を教えます」って言われたら、そりゃ「え、立憲民主党私たち若者を守る気がないから、自分たちでなんとかしろってこと?」って受け取るでしょう

2020-06-20

ロマン主義についての個人的な覚書

ロマン主義啓蒙主義の対になる思想である

現代社会では、人間は等しく理性を持っていると考えられている

一部例外もあるが、例外に属する人は病院だったり刑務所だったり特殊施設だったりに送られるが、

大多数の人間は等しく理性を持っているという前提があるので、義務教育により国家の成員としての訓練を受ける

ロマン主義啓蒙主義に対するアンチである

啓蒙主義人間に備わる合理性、理性を重視するのに対してロマン主義は非合理性感情を重視する

啓蒙主義では人間は等しく同質の理性を持っており、

啓蒙によって同等の認識に至ることができる、そして同等の認識に到ることにより、

社会を秩序立て運用することが可能であり、一部が形成する高度な思考も、啓蒙により継承することが可能と考える

対してロマン主義は、同質の理性ではなく、個々人の固有性を重視する

同質な合理性否定するため、社会を理性により秩序だって運営できるという考えにも否定的であり、

人為的社会形成拒否し、自然への回帰親和的である

2020-05-25

anond:20200525113726

ネットには啓蒙主義実践者も多いし、無料で質の高い情報投稿し続けてる人もたくさんいるけど。

そもそも馬鹿相手にしてないし、馬鹿に楽しんでもらおうって気持ちもないから、馬鹿には届いていないってことだと思うんだよね。

日本には放送大学もあるし、YOUTUBEでもなんでも専門的な内容を解説したりいろんな知見を広めてくれる無数の言説がある。

でもそれがターゲットにしてるのは、そういうものに興味があって科学情報リテラシーを持つ人であって、真に一般大衆向けではない、開かれてるけど向けられてない啓蒙から効果を発揮してないのではないかと思う。

anond:20200525113351

なるほど。

啓蒙主義ちゃんと信じられてないせいで、それをやっている人が少ない。

そういうのもあるだろうな。

ネットに質の良い情報無料投稿し続けるような、初期ウィキペディアンのようなボランティアもっと必要

SNS啓蒙可能

ここで言う啓蒙ってのは、社会全般に知を広めることで社会全般を良くしていこう、という運動のことね。

 

啓蒙主義科学が興ったおころに西欧世界で広まって、しかしこれは西欧中心的・貴族主義的な傲慢さを含む思想であるため、20世紀までには思想上でぼこぼこにされて廃れた。と、俺は理解していた。

でも民主主義自由について考えれば考えるほど、これは啓蒙、という発想を前提している制度であって、現代のわれわれにあっても啓蒙主義を推進する以外の道はないと思えてきた。

民衆全般が賢くならないと、結局のところ民主主義は上手くいくことはない。アベ信者もアベガーも対消滅することはなく、マスコミ馬鹿向けの番組製作してバカを量産し、SNSでは正義ぶった苛めが横行して自殺者が絶えることはないだろう。

から啓蒙を進めないといけない。

 

啓蒙っていうのは、知識と見識が広まることで達成される。

インターネットっていうのは、理論上、その活動にすごく向いているはず。

ところが現実インターネットっていうのは、"啓蒙が行き届いている状態"の、真逆を行っているように見える。

ネットを見れば見るほど、なぜか人は馬鹿になる、ように見える。

 

なぜだ?

 

 

 

仮説1 ネットを見れば見るほど個人は賢くなっているが、バカバカ度合いとバカ流入速度が賢くなる量を上回っている

これな気がするが、特に理由はない。

 

仮説2 ネット構造は実は啓蒙に向いていない

そうだとして、しかしそれはどういう理由なのか? ちゃんと考えると大変そうだ

 

仮説3 群衆は決して賢くなることはない

これはシンプルに間違いなので棄却する。流石に明治時代大衆と令和の大衆では、令和のほうが啓蒙されているよ。コロナ騒動のこととかを精査すれば論証もできるだろう。

 

仮説4 群衆は実際に賢くなっているが、群衆の内部にいるので比較できず、わからない

これな気もするなあ。

2019-06-24

anond:20190624153629

ここでいう「教養」っていうのは、過去啓蒙主義者たちが社会に広めようとした考え方や知識のことだろう。

からまあ無意味ってことはないんじゃないのか。それが無くなったら実際、社会全体は住み悪くなる気がするし。

2019-06-21

啓蒙主義の間違い

勉強することや論理的思考することは、物凄い苦痛なのである

そんなことを強制されるくらいなら、奴隷扱いされたり、騙されたりするほうがマシ。

特に騙されるのはすごい快楽なのだよ。その快楽を奪って思考する苦痛強制する啓蒙主義などクソくらえってことだ。

2018-12-16

今年ではてなをやめます

もういいです。ネットでの正論特にはてな標榜されているような完全理知的人間像を知ることはなんのメリットにもならないと確信しました。

コミュニカティブで清潔で寛容でそんな人間にはどうにもなれそうもありません。自分みたいにタバコを吸い、怠惰向上心もなくバイタリティーもほとんどなくなってきたような人間にはどうにもはてな劣等感インストールする場所としてしか機能していないのです。いえ、仮にタバコをやめ寛容になり向上心を獲得し論理的人間になれたとしてもそれはそれはとても気持ち悪いものになるに違いありません。なぜならその理想的人格はあまりにも過去経験によって成り立っている自己とあまりにもかけ離れているからです。仮に理想的なふるまいをしてみようとすればそれはそれはとても奇妙できもちわるい人間に仕上がるでしょう。

まりもう他人が考える理想的他人として自己形成しようが、あるいはしまいがどちらにしてもうまくいくはずがないのです。自己は常に経験と連動してこそ自然であり魅力的であるのです。

理想的人格から外れてるな、自分は不完全だなというシーンが会社プライベートなどでたびたび訪れることがありますタバコを適切な場所で吸ったり誠実な人みたいに振る舞ったり、本当はクズ罵倒したいのに作り笑いで寛容さを発揮してみたり、努力してそういうポーズをとってみたりはするのですがそのようなことをしているたびに自己がずれていく感覚を覚えます

みんなどうやって折り合いをつけているのかわかりませんが個々人としての人格形成という点においてネットでどういう人間批判されうるのかを知ることは同時にその思考や行動にいたる経験が訪れた時にその感情ブレーキをかけることになります

それが例えば明らかに倫理に外れているようなことであれば自己ブレーキをかけるべきだと言えますしかインターネット議論されているような理知はほとんどが無意味無意義で無思慮な神経質なだけのものです。繊細チンピラマンスプレイニング藁人形論法?いったい誰が言い出したのかわかりませんがそのすべての理想啓蒙主義的であり一様性に人間価値を整理していくのです。

フェミニズムビーガンなどもその一例でしょう。男が敵だと思っている人はそう思っていればいい、野菜だけ食いたければそうすればいい、しかしそういう極端に理念化された価値観は公共性を帯び人々の思考ブレーキをかけることになります

metoo運動にたいするカウンターとして女性自体を避けようといったようにあらゆる世論にたいして僕達はセキュリティーを装備する習性を持っている。非喫煙者の前でタバコを吸えば文句言われるだろうなと事前に考えるようにすべての価値観にたいし事前に考えるようになり公共的な自己しか発揮できなくなり、とても気持ち悪い人間が出来上がる。

事前に考え対処することが正しいと思われるかもしれないが自己は常に事後によって形成される。つまり物語経験のない事前による自己の獲得はすべて偽である。事は常にやってしまえばいい。路上喫煙セクハラも、パワハラも、犯罪も、なにもかも、やってしまえばいい。やってみてはじめて自己と連動した価値生まれる。

その点においてすべてが事前的価値であるはてな上ひいてはネット世論いっさいすべてが無価値である良いお年を

2018-12-02

anond:20181202040157

私は啓蒙主義者だから別に神秘主義的な信仰は持ってないよ。

そうやってごまかし続けるのは自分の考えにあまり自信がないから?

2018-09-24

16 ルネサンス

モンテーニュ『エセー』(70)

17 古典主義・理性尊重・豊かに

デカルト

パスカル

ラ・ロシュフコー箴言集』(95)

ラ・ブリュイエールカラクテール』(98)

18 擬古典主義啓蒙主義ロマン主義

モンテスキュー

ヴォルテール 文明最高/人間クソ

ルソー 文明クソ/人間最高

19 ロマン主義写実主義自然主義象徴主義

セナクール『オーベルマン』(142)

アミエル『アミエルの日記』(143)

ヴィニー『軍隊服従と偉大』(148)

ネルヴァル『火の娘』(160)

バルザック人間喜劇』(168)

スタンダールアンリブリラールの生涯』(173)

フロベールブヴァールとペキュシェ』(188)

ゾラルーゴンマッカール叢書』(202)

モーパッサン脂肪の塊』(204)

レオン・ブロワ絶望者』(209)

20 資本主義世界大戦

ロジェ・マルタン・デュ・ガールチボー家の人々』(235)

サン=テグジュペリ人間の大地』(242)

サルトル

カミュ異邦人』(260)

構造主義

その他

フランス名詩選』 岩波文庫

肉体の悪魔』 レイモン・ラディゲ

狭き門』 アンドレジッド

ボヴァリー夫人』 ギュスターヴ・フロベール

フランス小説の扉』 野崎 歓

モーパッサン短編集』1~3

2018-09-23

anond:20180921234310

多分こういう考え方をもう少し歴史的表現をすると啓蒙思想って事なんだろう。目の前の事象自分自身機械的解釈で分解して理解することが、自分自然コントローラブルにすると考える思想だ。

ただ啓蒙思想についてはWW2以降に政治的宗教的批判の的にさらされた事も知っておいたほうがいい。それに現代政治学社会学などの多くの人文的学術分野は啓蒙思想から脱却して次の段階に進んでる。多くの場合対話によって物事理解されるという点に集約される。これは資本経済理解することからまれものだし、啓蒙主義からまれ社会主義批判することからも見出された。

小難しい書き方になったが、要は整理整頓されていない言論を打ち捨てるより、寄り添って対話して理解しようとすることの方が、より良い結果を導きやすいだろうし、お互いの理解も進むんじゃないかということ。

2018-06-16

あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る” ← 絶対無理じゃね??

ヴォルテールさんはー大層ご立派な事を言って一躍有名になったのかも知らないけどさー身も蓋もない言い方させてもらうと「それ、お互い啓蒙主義者同士でしか適用できないよね」としか思わん。

あと「主張する権利を守る」というのは具体的かつ明確にいうと『「それ」を主張する事で発言者に生じる一切の“不利益”を補償する事』であって、それ以外の行為には何の意味もないよね。

よって、現実であってもインターネッツでもそんな事できるわけないじゃん?極論?曲解?でも、ネットのくだらんつぶやき非難囂囂の後でヴォルテールさん召喚してる奴の要求水準は絶対にそうじゃん?

過去にこういうツッコミ(重箱の隅か?)があったかどうかは面倒なので全然調べてない、がこれって一応の結論は出てたりすん?

2017-10-22

anond:20171022084423

ま、経済かじっただけの人間は多いが、だから相手理論相手がわかるレベルで適正な「批判」を加えて修正する必要がある。

啓蒙主義といえばカッコはいいかもしれんが、結局は世の中のその修正積み重ね。

で、いつから学者」の理論が正しいと思ってた?

学者なんて、アカデミックに籍をおいてるってだけの定義よ。

アカデミックメンツもあるから、それなりにまともなやつを取るだろうという理屈で信頼されるだけで。

その条件に最近博士号を条件にすることもあるだろうけど、そんなの査読論文1,2本で、関連教授がOKと行ったレベルな。分野によっても違うが。

まあ、その理論には批判を加えられる。その中当てはまる範囲、正しい範囲が洗練されていく。

その意味で、長く正しいと言われてた理論批判に耐えられた部分については正しい可能性が高いということは言えるぐらいかね。

2017-06-26

https://anond.hatelabo.jp/20170626120354

本人がしたいって言っているんだから教室でいいやんけ!って人は、ある種の理想主義啓蒙主義で言っているんだと思うけど。学校って想像以上に荒野だったりするからねぇ…先生が見ていない時も多いし。

縦笛だって危ないだろう!っていうのもそりゃそうなんだけど。見慣れなさというのが注射器と縦笛じゃ違い過ぎるから学校先生を含めて、結構荒野だったりするので、あんまり理想主義で動かすのは危険だと思うし。保健室ベターって事もあると思う。

2017-05-23

憲法被害者の声を!肉球新党改憲派

日本国憲法には犯罪者である刑事被告人権利については大量に書かれているが犯罪被害者については一切かかれていない。

犯罪者人権蹂躙された被害者はどうやって権利回復すればよいのだ!

被害者人権救済を新しい日本国憲法記載すべきなのだ

現在憲法国家権力個人対立でのみで考えられている19世紀時代遅れ憲法なのだフランス人権宣言啓蒙主義のまま進化していない!

先進諸国憲法が細かく改正されているのは個人個人問題にも憲法規定しているかなのだ

日本21世紀にふさわしい日本国憲法に変えるべき時に来ているのだ!

日本時代遅れ憲法学者の言うことなんて聞かなくていい。意味がない。新しい時代にふさわしい憲法日本人の手で作るだ!

肉球新党改憲派】は訴える!憲法改正し、日本国憲法被害者の声を!

2017-04-16

受動喫煙対策について語る時にしてはいけないこと

はてな民はかなりの人ができてないので注意してください。


中世ジャップだとか人権後進国だとか、過剰な煽りをやめる。

北米では禁煙が~などという1国だけを対象にした語りをやめる。

別の1国を出されただけで反論のしようがなくなってしま議論できなくなる。

喫煙者を過剰に叩きすぎるのやめる。現状は殆どヘイトスピーチ状態である

WHOが何を持って順位を低くだしてるのか認識する。→つまり屋内での禁煙対策の話

西洋から日本受動喫煙対策については啓蒙主義的な側面があること否定しない。

これをちゃんと認識しないと海外の人が道路タバコを捨てまくってる件で国内世論が反発します。


ちなみに私は喘息持ちで非喫煙者です。

そんな私でも冷静な議論ができるのに今のはてな民を見てるとまともな会話ができてるとは思えません。

本当に反省してください。

2016-06-19

就活マッチョ啓蒙主義的、正解主義的なずさんな物の考え方には反吐が出る

お前のその厳しさでお前以外の誰が救われてるんだ

それを言って気持ちよくなってるのはお前だけじゃねーか

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2015-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20150607042259

プロテスタントの成人洗礼を受けた理系です。

冷静に考えたらただの頭のおかし人間だって分かるだろうに。

偏見を離れ冷静に考えることで真実にたどり着くことができる」というのが一つの信仰の形。

通常は、それに「科学的な手法実験仮説検証を繰り返すことで真実に近づくことができる」という科学信仰も加わる。

どちらも、独立した人間理性を、伝統社会宗教よりも上位に置く啓蒙主義的な思考法で、

フランス革命とかニーチェとかの時代流行した。

20世紀以降は、人類学言語哲学等の発展で「社会から独立した人間の理性」の存在が疑われているから、

元増田のような18世紀的な宗教否定は減っている。

個人的には自分の「冷静に考える」能力をそこまで信頼していないし、

原始時代の葬送儀礼から始まる宗教が、啓蒙主義洗礼もくぐり抜けて、

現代社会に確かに生き残っていることを考えると、

人間存在本質的宗教的ものであり、宗教なしでは生きられないのだろう、と考えている。

2015-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20150111200730

知性を一本の軸にしてそれを基準上下を測ってるだけの時代遅れ啓蒙主義野郎じゃん。

啓蒙しても全員が高品質な知性を得られるわけじゃないんだぞ。そこんとこどう思うんだよ。

2014-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20140614205853

>主旨から外れるけど元々人間自分たちがよりよく生活できるようにするために環境を変えてきた。

その通りだと思うよ

人は理性(つまり啓蒙主義)によって未知と既知を分け、未知を明らかにする事で生き延びてきた

自らの能力を伸ばし、自らの欲求を自らの理性で縛り、個としての極限にたどり着こうとする試みは既に終わった

やはり、大切なのは工夫ですよ

より良く生きるために、根性論精神論必要ないですよ

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