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はてなキーワード: 商家とは

2020-10-13

太鼓持ち幇間)というのが分からない。

実を言うと、キャバクラとかも分からない。

自己肯定感が低いからだろうか。

子供の頃から家庭教師みたいに、太鼓持ちを付けて育てると、自己肯定感の強い素晴らしい人間になって、大人になると総理大臣になったり、やめたりするんのだろうなぁ。

不思議だ。昔の商家とかでは結構教育に気を使ったりしていたようだけど、太鼓持ち需要もあったんだろうか。女の芸者に褒められるよりも、男に褒められたほうが気分がいいとかあるんだろうか。

褒められ慣れていると、他人自分を褒めるのを聞いて素直にいい気分になるものだろうか。金を払ってそういう人を雇う価値があると思うほど。

社内政治で上役を褒めるとかいうならまだ分かるんだけどね。

2020-07-29

anond:20200729000023

しろ大昔の方が階級移動は楽だったんじゃないかと思える面もある。

秀吉農民から日本トップになったし、江戸時代にも金のある商家に婿入りなんてのがあったし。

まあ平和時代が長くなって富が蓄積されると階級固定化されるからな。

定期的に戦争やらなあかんわな。

2020-07-09

anond:20200708230108

>よくネトウヨ勘違いしているが、日本という国は歴史が浅い。

実際ネトウヨが思い描いている日本という国は

1.国家神道もっとも主要の宗教

2.みんな天皇を崇拝

3.夫婦同姓が伝統

4.専業主婦が成人女性のあるべき姿

5.男女はみな結婚すべき

6.結婚するまで童貞処女であるべき

7.みんな清潔で善良

かいう特徴があるみたいだけど、以上すべて明治維新以降、下手すりゃ昭和以降の、それも旧武士階級のような一定以上の階層のみの習慣

実際には大多数の日本人(農民町人は)

1.仏教神道ちゃんぽん信仰神道の方がエラいという意識はない)

2.帝というのがいるらしいことは知ってるが見る機会はゼロだし拝んでもいない

3.庶民には姓がなく武士階級以上の女性結婚後も実家の姓を名乗る

4.農家商家では奥さんも亭主と一緒に働いていた(家業から

5.江戸大坂のような大都市は恒常的に男の人口が女の倍以上だから、一人身で女郎屋通いとかしてるうちに死ぬ方が多数

6.女子は家が貧しければ10代で遊郭に売られ、男子10から地元の悪い兄貴分に誘われて夜這い女郎買いが普通

7.上下水道が不充分な土地では常に道も川も臭くて汚くポイ捨て普通貧困が原因の暴力犯罪少年犯罪もすごく多かった

――そんなんが実態やで

そういう意味においては「みんなが思ってるような日本」は

実際に1945年以降と考えても極論ではない気がする

2020-05-14

anond:20200514012526

商家の婿入りとかそうだし今でも一部の企業でそういうのあるだろ

2019-12-16

anond:20191216160225

ばらまきよさんっていうのがあって

この時期自分プロジェクトをもっているやつらは忙しくて会社と自宅の往復しかできない。

仕事がないと予算商家飲み屋に行くことになる。(会社にいるな)

できる営業は知らん

2019-11-01

沖縄のことを書いておきたいと思った

から首里城燃えてるのをニュースで見て陰鬱気持ちになった。沖縄の方や血縁の方、首里城を訪れたことのある方はなおさらだろうと思う。

私もルーツ沖縄に持つ一人として、ほんの少し心が痛い。といっても、沖縄を訪れたことはないし、今となっては戸籍証拠も残ってない。このまま消えてしまう私のルーツ個人的沖縄との関わりを書き残しておこうと思う。

私の母方の祖母沖縄出身。母は昭和一桁生まれ戸籍大阪市内小学四年生父親が亡くなり、母ひとり子ひとりで苦労したらしい……と、母からは聞いていた。祖母が亡くなったのは私が三歳の頃。当時は沖縄アメリカ占領下にあり、本土復帰が成されてから実の弟さんが訪ねて来られた。たしか夜だったと思うが、フェリー見送りに行ったのか迎えに行ったのか、夜の港へ行った記憶はある。後に聞いた母の話を繋ぎ合わせると、ようやく連絡がとれたものの、祖母がすでに亡くなっていたので、分骨して持ち帰られたのだという。だからおそらく、祖母は生まれ育った土地に帰ったのだと思いたい。しかし、母はその後積極的には沖縄の親戚とは連絡を取らなかったし、向こうからも連絡はなかったと思う。今でも実家手書き電話帳が残っていれば、沖縄の『Tさん』の名前電話番号が残っているかもしれない。

(私が、親が亡くなってから実家没交渉なので確認するすべが無いのが残念なのですが)

……と、思っていたのだ。母の話は整合性あったし、墓には祖母名前が刻まれていて、分骨はしたもの祖母の骨が入っている。沖縄から来たおじさんの記憶ぼんやりとながらある。

しかし、母が亡くなった時に確認した戸籍に、母親(私の祖母)の名前はそこにはなかった。

そこにあったのは、親戚より仲良くさせていただいていた、とある女性名前が書かれていた。親戚よりも仲良くさせていただいてはいたけど、戦争直後に母子家庭同士で助け合ったから仲良かったんだろうなと勝手に思ってたんだけど、そうじゃなかった。

そこから遡って、いつぞや母から聞いた細切れの情報繋ぎ合わせると、えらいややこしい話が出来上がってしまった。

母が生まれた頃(昭和一桁代)、沖縄日本ではなかった。出稼ぎ本土へ来た人は、港湾関係女性は紡績工場で働いてる人が多かった。沖縄出身者は差別を受けてたんで、コミュニティを作ってその中で生きるか、もしくは沖縄出身だということを隠して自活するかのどちらかだったと思う。

祖母沖縄コミュニティを離れたのだと思う。で、何らかのきっかけがあって、大阪とある商家長男の娘を授かることになる。が、ここで祖母戸籍問題になる。

たぶんここで、母の記憶にある『杖に長刀を仕込んだおじさま』が絡んでくるのではないかという推測ができるのだが、これはあくまでも推測であるので置いておく。とにかく、何らかのすり替えが行われて、母はH家の長女に納まった。『大事な一人娘に掃除なんかさせなくていい』と言われるくらいのお嬢様だったらしい。小学四年生父親が亡くなったというのに、終戦直後私立キリスト教女学校入学して高校まで通っているので(同級生だった友人もいたし、写真も残っているので与太話ではないはず)、お嬢様だったのは間違いない。

母は小学校学童疎開生駒の方に行ったという。そこに時々、会いに来てくれていたとも、祖母が食料を求めて京都の奥だか北陸の方だかに度々買い出しに行ってたらしいという話も聞いた。

で、なんだかんだあって、次男坊だった父が婿入りって形で結婚したわけですが、祖母と母はずっと一緒にいたわけで。子供が二人出来て、下の子が1歳になるとほぼ同時に祖母が亡くなったんだけど、この時に葬儀ができないってんで大騒ぎになったとかで。

今考えると、戸籍がない、娘もその事実を知らないって、大騒ぎにもなりますわな。

でも、また何らかの大人たちの仕事により『H家のS子』として葬儀をあげて、H家の墓に収められたんですけどね。

小さい頃、祖母のことも知ってる知り合いに、よく言われたんですよ。黒々とした髪や、大きい目が祖母によく似てるって。

写真で見る祖母はすでにおばあちゃんなので、本当に似てるのかどうかは自分ではよく分かりませんが。でも、沖縄の血を引いてるから目が大きいんだって言われるのは、ちょっと、いやかなり子供心に嬉しかったのを未だ覚えています

でも、祖母本人から沖縄の話は聞いたことがなかったし、祖母沖縄へ行った(帰った)話は聞いていない。

私が知るのは、祖母旧姓が『多和田』だということ。その苗字の弟が、亡くなった祖母の骨を沖縄へ持ち帰ったということ。

母は沖縄のどこに祖母の遺骨が埋葬されてるか聞いてるはずではあるが、それを書き残してはいなかった。その理由はわからない。ただ、電話帳に弟さんの名前電話番号が書かれていた。一度も電話することはなかったけれども。

私には沖縄ルーツとする遺伝子があるはずなのだけれども、戸籍がなんだかよく分からないことになっているので証明する手立てはない。

ただ、無口で気が強いという祖母という、周りの人から聞かされる印象が『沖縄出身』というフィルターを通してみると違ったものに見えてくる気がする。

無口なのは沖縄出身であることを隠すため。漏らさぬため。

気が強いのは、強く在らねば生きられなかったから。沖縄出身者のコミュニティにいれば居心地は悪くなかったろうけれども、大阪人達から差別を受け続け、港湾付近状態の良くない場所に住み続けるしかないわけで。それを抜けるには、そうするしかなかったのではないだろうか。

祖母沖縄へ帰らなかった。母がいたから。沖縄戦場になった時も、祖母沖縄へ帰らなかった。帰れなかった。だから戦争が終わったあとも帰らなかったし、連絡も取れなかったのかもしれない。

祖母の骨は半分沖縄へ帰った。

戸籍では繋がりがないけれども。でも、私の祖母なんだ。どこに埋葬されたのか、今の私ではもう探せないけれども。探すなら、母が生きてるうちに言いくるめてやれば良かったとは思うんだけど。今更言ってもしょうがない。

戦争中、首里城燃え落ちた時、それを聞いた祖母はどう思ったのだろう。帰れない故郷を思って泣いたのだろうか。

私が3歳になる直前に亡くなった祖母の心を今更知ろうとしても難しいけれども。祖母沖縄から大阪へ来て、何を考え、何を隠し、どう生きようとしたのか、もう少し考えてみたい。

2019-08-08

下方婚

江戸時代商家では、婿取婚が広く行われていたとか。

2019-07-17

anond:20190717104909

家父長制が崩壊したのに「嫁」なんて言葉を気取って使ってるのはアホくさいからやめろという話だよ。

嫁(よめ)とは - コトバンク

息子の妻。家父長制下にあった日本では,いわゆるシャモジワタシを受けて主婦となるまでの期間の妻をさす呼称であった。当時の嫁が,一家主婦となるまでには,長い試練の生活を強いられるのが普通で,新潟県佐渡の「添うて7年子のある仲だ,嫁にしゃくしを渡しゃんせ」という民謡などにも,その間の事情はうかがわれる。しかし,家父長制の崩壊した新憲法下の今日では,嫁と主婦との間に,かつてのようなへだたりはなくなってきている。 (→杓子 )  

主婦権(しゅふけん)とは - コトバンク

一家経営において,社会慣行容認される家政管理を中心とする主婦権限家長権が強大であった時代商家,上層農家においては,家事全般にわたる責任者としての座が家長の妻に与えられ,これとともに食生活,衣生活など家事の切り回しに関する権限が,主婦権として確立されていた。オカミ,オウエ,エヌシ,イエトジ,オカタなどの呼称があるのはその証左である主婦権の譲渡ヘラワタシ,シャモジワタシなどと呼ばれ,通常,嫁が婚家の家風になじんだ時期をみて,姑から嫁に対してなされた (→杓子 ) 。隠居制による家族では,夫婦単位生活が営まれるため主婦権も姑と嫁に分散される。家長権が弱まり核家族化した近代家族においては,家父長制下にみられたような主婦権は存在しなくなってきている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

2019-02-13

anond:20190213100037

電話のかけ方から派生したなら昭和以降だろうが商習慣から派生したならもしかしたら江戸時代商家から拡散してるかもしれない

「へいっうちの○○ですかい?いまおりゃあしませんねぇ」

2019-01-11

恵方巻ディスるなら正しくディスれといいたい

大阪まれ大阪育ち、母親商家の出だったので、季節もの縁起物とは縁の深い育ち方をした。大寒(追: 正しくは冬至でしたね、恥ずかしい)には柚湯、端午の節句にはしょうぶ湯に入るし、1/7には七草粥、そして節分には恵方巻(呼称については覚えていない。単に太巻と言っていた気もする)だ。物心付いた頃(7歳位、35年以上前)からずっとだ。

最近(とはいってもここ10年程か?)、商機として恵方巻の習慣が全国展開され、それに纏わる社会問題も露になってきた。ホッテントリ入りも果たした作りすぎでの大量廃棄や、コンビニチェーンでの押しつけ、従業員への販売ノルマ強制等だ。20年以上前だが、自分北新地コンビニバイトしていた時に、本部からノルマで頭を抱える仲の良い店長に協力する形で数本引き受けていた。

こういった問題に声を上げるのは真っ当至極だしどんどんやれば良いと思う。ただ恵方巻風習それ自体ディスるような発言はてブでも最近よく目につくようになってきて、子供の頃から慣れ親しんだ風習を悪し様に言われて正直気分が悪い。

エントリブコメイラときコメントについての要望を書いてみる。

hirahira555 大きな声じゃ言えないけど、恵方巻のことを心のなかで阿呆巻と変換している。

恵方巻やその文化自体に罪はありません。馬鹿にするなら対象を間違えず、アホウイレブンとでも言っててください。

joe1978 東京発の文化じゃないからね。どんどん静粛していくよ。

地方軽視発言イラっとくる。クリスマスハロウィン東京発なんですか?

Toteknon これを期に、伝統でも何でもない謎風習を作って煽るのもう止めてほしい。「夏越ごはん」なんか「米穀安定供給確保支援機構」がぶち上げてるんだぞ。

(少なくとも数十年は続く)伝統で、謎でもなんでもないローカル風習です。自分が知らない文化伝統でもなんでもない謎風習というのは止めてください。

tattyu 太巻き好きだから恵方巻文化マジで嫌い。恵方巻きが流行る様になって太巻き普段見かけなくなってしまった。

(恵方巻というのは基本ただの太巻です。嫌うなら(不味い?)太巻を作ったところを嫌ってください。)追:これは酷い誤読でした。自分の周りではスーパーでもコンビにでも太巻は年中みかけるので勝手に頭の中でマズい太巻が売られて腹が立ったみたいに脳内変換されてました

bventi このクソエ風習広めたやつ誰だよ

クソでもエセでもないローカル風習です。ちなみに広めたのはセブンイレブンだそうです。

mokomokotezawari 関西でもほとんどみかけなかった風習平成中期ぐらいですら梅田ナンバの持ち帰り寿司屋みてて恵方巻きなんて一切やってなかったぞ

北新地コンビニバイトしてた時は周りの寿司屋ではやってましたし、コンビニの太巻も(メイン客層は水商売の方ですが)そこそこ売れていました。

---

追記

節分に食べる太巻の意味でも使っていますが、節分太巻き恵方を向いてかぶりついてしゃべらないで食べる、という風習を"恵方巻"と便宜上呼んでいます一言で済んで便利なので。

2018-10-31

anond:20181031090705

江戸しぐさかな?

時どろぼう

http://net.keizaikai.co.jp/archives/5358

 江戸の町も年の瀬となると商家は書き入れ時でした。嫁いだ娘は実家の前を通りかかっても親の商売多忙さを気遣って、立ち寄らなかったとか。商売相手に対しても「ちょっと近くまで来たから」という気軽な訪問は遠慮するのが当たり前。事前に一筆、書面でことわりを入れてから出向くのが礼儀だったと言います

時泥棒は弁済不能10両の罪。借りたお金は返せるけれど奪われた時間は取り戻せない-。」

 これは、人や物と同じくらい〝時間〟を大事にしていた江戸町方に暮らす人たちの心構えです。10両は現代金額でおよそ100万円に当たります江戸10両を盗む大泥棒は死罪にも値するといわれ、相手の都合も考えず一方的自分の用件を押し付けて貴重な時間を奪ってしまうことは、それほどの重罪だとみなされていました。

2018-10-25

anond:20181025113233

それ武家じゃなくて商家じゃね?

江戸時代武家当人の出来がどうであろうが家ごとに決められた禄が出る&

下手に「優秀な奴が継ぐ」事にしてしまうとお家騒動勃発するから「何がなんでも長男相続」となったが

商家だと優秀な奴に継がせないと潰れるのでボンクラ長男より優秀な次男優先したり、優秀な男を養子や娘の婿にとって継がせるというのが多かった

戦国時代は別な、武家であっても世が荒れてるから「優秀な奴が継がないと家が潰れる」ため)

2018-08-01

[]

中山道みたけ館の「みたけのお嫁入り」展を拝見してまいりましたわ

江戸時代から昭和あたりまでの御嵩町婚礼についてまとめられていました

結納が何度も使い回され、最大で六回にも達したことが興味深かったですわ

もっとも遠くまで行った結納福島県だそうです

1933年婦人倶楽部では嫁入り道具が744円(現在の300万円)で、

1928年御嵩商家竹屋が次女の嫁入りに要した費用が4270円(現在の1700万円)でしたわ

これが山間地域マウンティングですのね

公民館での結婚が試みられた時代もあって写真や道具が残っている点が興味深かったです

あと鼈甲細工のアクセサリーが綺麗でしたわ

それと銃後の生活ミニ展示もあって、棒の先にホタテ貝をつけただけの「杓子」には戦慄しましたの

気温は34℃多治見比較すれば過ごしやすいですわ

そのはずですわ

チェリオメロンソーダを買った自販機があったタバコ屋のカウンターから

太陽電池駆動招き猫が手を振っていましたわ

山際の竹林の繁り方が危ういですの

くちくりんしてやりますわ、一本残らず!

前回です

https://anond.hatelabo.jp/20161030212035

2018-07-30

anond:20180730223315

そりゃ天の使いだぞ

仙台四郎福助にどれだけ商家が貢いだと思ってるのか

その代わり見返りは確実に来る

2018-06-02

anond:20180602033123

専業主婦ママとおばあちゃん団塊ジュニアを育てていた

専業主婦田舎から都会に出てきて近くに家事育児に協力してくれる実家が無い人達の間で生まれ形態だよ。

そうではない田舎は昔から共働き率が高い。

田舎自営業農業商店経営など)が多いというのもある。「農家商家の嫁」が家業を手伝わないなんて選択肢はないから。

から夫両親と同居で仕事家事育児もさせられる田舎の嫁にとって、同居しなくて良くて家事育児だけやれば良い都会の核家族専業主婦は憧れだったし

田舎の親世代も「息子は後継ぎだから田舎に残して嫁を貰いたいが、娘は田舎の嫁になって苦労するより都会のサラリーマンの嫁になって欲しい」

と娘のみを都会に送り出す人が多く、田舎の嫁不足に繋がった。

がんばって大学進学した女がバブル景気に乗り損ねたの

均等法以前~均等法後もまだ浸透してなかった時代

大卒男子のみ」「女子20歳まで」なんて求人普通大卒女に一般就職先は少なく、

大学行くのはコネ就職出来る見込みがあるか、そもそも就職しなくてもいいお嬢様のみだったよ。

今でいう文系院進学みたいなもん。女の大学進学目的就職の為ではなく結婚の箔付けや教養を身に着ける為、って時代

2017-11-27

彼女との同棲を親に反対されている

タイトル通り。アラサー実家住まい自営業後継ぎ男性

彼女との交際自体についても色々言われていたが、どうにかプロポーズまではこぎつけて両家の親にも挨拶済み。

なのだが、入籍前、挙式前の同棲については激烈に反対されており、こんなことな結婚にも賛成しなかったとまで言われる始末。

シチュエーションとしてよくあるであろう交際中の曖昧な期間を伸ばす為のものではなく、その先を見据えた上で


大前提として入籍をするので、その後の生活に向けてお互いの独身生活を徐々に擦り合わせてソフトローンチを目指す

② 二人で貯金をして式や諸々の出費に備える

③ お互いの勤務地の中間くらいにして、通勤時間を減らして生活の質を上げるのは二人にとっても早いほうが良い


というメリット提示しているのだが、全く聞く耳を持たない

話していても明確な反対理由が見えてこず、聞き出すことも難しいのだが、理由としては


A そもそもそういう価値観がない

B 息子の自営能力責任感について懐疑的

C クラシック商家の後継ぎがそんな緩い貞操観念では信用がない

D 天上天下唯我独尊ジジイ認知症ばあさんとの同居という地獄から1世代だけ抜け出すのは許さな

E 可愛い息子と少しでも長く一緒に同居していたい


のいずれかもしくは複数だろうか(リストは思いついた可能性の高いであろう順)。

自分達のメリット相手懸念点が全く噛み合っていないので、現状説得が難しいのは分かる。

だがこれ以上どうやってクリア説明しても、最終的には強行突破になってしまいそうで、それは避けたい。

いっそ言う通り婚前の同棲は止めて、週末通うくらいにした方がいいのかもしれない。

そんな縛られた観念から還暦を越えた当代の家長夫人になっても二人して90近い爺様のいいなりになっているのでは、という捨て台詞は、

森の中にある葦の草むらへ叫んで捨ててきた。

2017-11-24

anond:20171124095835

同性婚かどうか以前に、婚姻制度自体庶民含めた全ての国民に対して法制度化されたのは明治からなので。歴史はそんなに古くない。

それ以前は、貴族血筋武家や一部の金持ちのもの

一般庶民にとっては、結婚ってのは、ある程度お金のある人しかできない、というのが、明治中ごろまで続いたところらしい。

夫婦もの落語にでてくる、「結納を取り交わした間柄」か「仲人なしのひっつきあい」か、というくだりが出てくるけど、

前者が「比較的余裕がある庶民結婚」で、後者がそれ以外の一般庶民という感じ

当時の庶民でも、商家農村なんかは、家同士のやりとりで「働き手」「財産の跡継ぎ」を求めて結婚をするというパターンがあった。

やっぱり現代式の結婚というよりは、家と家の結びつきなんだろうなぁ。

戦後からイメージ結婚スタイルって、ほんと歴史が短いんだよなー。自民極右勢とかネトウヨ勢なんかは、

戦前ってよりも、戦後10年ぐらいの高度成長期イメージで喋ってる気がするわ。三丁目の夕日的な。

2017-11-21

anond:20171121231829

それ以前はそもそも女性選択肢なんてなかったし、親や親類なんかに勝手結婚相手決められて文句も言わせず結婚させられて子供を5人も6人も産ませられてた。

ん?ええと、昭和初期以前の、しか農村の話でいいのかな?

それなら大丈夫

男も田畑インフラの維持にめっちゃこき使われてたから。

しか戦争日清、日露、第二次大戦)でめっちゃ死んでるし

 

男も女も選択肢ないのよ、生きるのに大変なあの時代だと。

商家の出で余裕があったとかでもなければ選択肢の幅なんてないない

 

農家次男三男・次女三女とか調べてみれば笑えるほど悲惨だしね

2017-09-27

旧宮家を復活しても、男系の維持なんて無理なんですよね〜・・・

単純な算数問題

統計見方にもよるが、一家庭内において男子が産まれ確率というのは、

「子をX人授かる可能性」その中からさらに「男子である確率」となり、

一般的出生率(⇓)など用いて算出すると、どうしても減少傾向(右下下がりの傾き)とならざるをえない。

(参考: http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei15/index.html


これらを鑑みると、純粋に「男系男子」だけで家を維持しようとした場合は、

確率的に「3〜5世代」のどこかで、維持が困難という事になってしまう。

なので、旧くからある商家などは、早い内に丁稚やら、婿養子候補などを招き入れ、家が存続できるような仕組みを担保するようにしていた。

(今となっては考えられないが、それ故、「妾」といった存在が、時と場合に応じては許容されていた時代もあった・・・


もう一寸、分かりやすくまとめると、

旧宮家を復活 → 分母を増やす

再婚OK分子を微増(西欧では重婚が不可なので、この形式をとった王室がある)

側室制度の復活 → 分子の数を増やす(増やしたければ、いくらでも調整可能

分母が増える策は、確かに、一時的な維持確率を引き上げる事が可能だが、減少傾向(傾き)を留められるような策ではない。

(増加傾向に転じさせる事は不可能


いま、皇統継承者4名中、50代未満の男子は `悠仁親王殿下` お一方だけと・・・、なんで、これもっと問題にならないんだろうか。


左翼方は、最早、叩く必要すらなく、天皇制を廃する事ができる所まできていて、御の字なのかもしれないが、

右や保守よりの方々は、もうちょっと騒いでも良さそうな気はする。

2017-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20170226102931

ヲタ向けの女性ばかり活躍して男は空気、ってのは

しろ「面倒な事は女に全てやらせて男は楽してたい」と言うヒモ願望の現れで、より女性差別的だと思うがな

まどか母親バリキャリ父親専業ってのもその現れとか分析されてなかったっけか

大昔の農家商家で嫁を馬車馬のように働かせてそれで得た利益は夫が総取りが当然ってやつと同じ構図に思える

2016-06-23

[]23(完):増田の眺望

 北方異民族を追い払ったことで増田島に泰平の世が訪れる。

共通の敵と戦ったことで各家にくすぶっていた敵愾心は冷却された。

それ以上に効果的だったのは増田家(八)が他の三家に送った軍目付の存在だ。

いざとなれば暗殺されるだけの存在みえて、彼らには赴任先の軍を「まじめに訓練する権限」が与えられていた。

増田家(五)の強硬な反対を押し切って付与されたこの権限によって、各家の軍隊雑魚ナメクジ化した。

 戦争を起こそうとしても雑魚ナメクジ同士のにゅるにゅるしたナメクジ試合になると悟って、

次世代当主たちは軍事面での野望を抱かなくなった。一方で海外から侵略者増田家(八)の戦略を洗練させた戦い方で、にゅるにゅると迎撃される事になった。

 最終的に増田島は以下の形に落ち着いた。

アルファマスダ家当主領国石高
増田家(八)大便公方(八)(六)半国(七)(九)560万石

 増田島の統一に中心的な役割を果たした増田家(八)は、石高にして全体の半分近くを領する。

増田島の中央位置するのをいいことに島中から名産品をかき集め、みやこの人間を飽食させる島最大の人肛を誇るうんこ生産国でもある。

 旧増田領(九)に運河建設して南と北の交流活性化平和の中でのさらなる発展を目指している。

 当主意向公衆便所の整備が熱心に進められ、多数抱える人口密集地が衛生的なことは海外商人にも感心されている。

 増田匿兵衛は自分戦争向きの人材だとして引退し、増田家(四)から預けられた増田五郎などの育成にあたっている。

 増田騎馬軍団は馬の機動力を活かして各地をむすぶ伝馬に新しい役目を発見した。

ベータマスダ家当主軍目付領国石高
増田家(四)鎮寇将軍(鎮北将軍あらため)増田出羽守(四)(一)(二)北半国(三)290万石

 増田家(四)は連合軍から制圧した旧増田領(一)を預けられる代わりに、(二)南半国を増田家(五)に、(六)半国を増田家(八)に割譲した。

ただし、海上の交易利権はより広く得ており、増田家(四)の廻船は大洋側でも盛んに活動している。

 当主北方異民族の来寇にそなえる意味公式に鎮寇将軍の名をたまわった。

狄人には和戦両様で対応し、彼らとの交易や旧増田領(三)を中心とする金山銀山の開発で豪華絢爛な文化を興した。

金製の馬糞ウニ模型など「出来は素晴らしいけど、なんで作ったの?」と言われる日々である

 増田家(八)はこの芸術品への対抗に金の雲細工を作らせた。後の金のうんこである

ガンママスダ家当主軍目付領国石高
増田家(五)東上管領増田金吾(五)(二)南半国(六)半国290万石

 まったく動かずに北と西から半国ずつ奪った増田家(五)は増田島全体の穀倉となった。

収穫期が訪れるたびに大量の穀物が北や西に送られ、ここでの穀物の出来が相場に大きな影響をあたえた。

 穀物の形で西に流出する栄養素を補うため、漁業によって得た魚を肥料にする方法が開発された。

その魚の栄養増田家(五)の穀物を食べた人々のうんこの形で海に流出し、潮に乗ったものであり、

ここに穀物うんこと魚(とプランクトン)を媒体とした元素の循環が完成した。

 また、受け入れたカラトラヴァ騎士団との交流増田家(五)を海の果ての国々との取り次ぎ役にした。

彼らは居住制限されながらも、布教と皮膚病を治す薬草の探査にあたっている。

 緯度が異なる旧増田領(二)の半分を手に入れたことは増田家を気象変動に強くして、飢饉の防止に貢献した。

なお、石高増田家(四)と互角ながら、鉱山商業収入では大差があり、文化的には他からゆっくりと遅れて行った。

デルタマスダ家当主軍目付領国石高
増田家(十)西国大宰相増田大学(十)(士)210万石

 増田家(十)は他の増田家に比べて独立性が低く、増田家(八)から干渉を強く受けている。

しかし、増田家(四)(五)の思惑もあって、第四の増田家として存在できている。

二位から四位の三家を足せば、石高では増田家(八)を上回るのである

 増田家(八)も西の外様大名を削るよりも、強い藩屏に育てる選択をした。

また、大陸との取り次ぎ役には歴史的増田家(十)が適任であった。

 歴代当主は気性のあらい増田家(士)の武士制御するのに苦労する。連中の雑魚ナメクジ化が増田大学最大の功績であろう。

その他

大名格の増田旗本格の増田商家になった増田消滅(吸収された)増田
(三)(九)(二)(士)(七)(一)(六)


 役目を終えた忍者たちは、走狗として煮られない自衛のために、集まって一つの村を作った。

文化背景の異なる彼らを結びつける手段として、俳句が盛んに利用された。

俳句でなくても「決まりきった単語」を用いて100文字以内で伝えるのが作法であった。

 より荒っぽい忍者コミュニケーション手裏剣を投げつけあった。

帰農した忍者が増えてから野良仕事に使う手斧活躍することもあったという。

 また、村内の政治的対立回避するためカラトラヴァ騎士団からもらった異国の犬が名目的な村長に推戴された。

村民独身おっさんばっかりだったので、将来性には乏しかった。

 ひとつの戦乱の果てに増田家は以上のように整理されたが、勝ち残った増田家が次々と分家増田家をつくったことは言うまでもない。世に増田の種は尽きまじ。

 なぜならこの世界未来のマースだ。

 そじゃーな!

前回

http://anond.hatelabo.jp/20160622000404

2015-12-17

氏は職業に関連付けられるものなのにね

夫婦同姓の強制合憲だという、にわかに信じられないような最高裁判決が出ました。

夫婦同姓」という制度は、江戸時代武家文化が、とりわけ明治期以降に広められたものであり、古来の文化ではありません。氏は職業の家柄を表しているわけで、武士ならば武家の氏、商家ならば屋号職人師弟で名を世襲し、農家はその土地を表していたものです。江戸時代は、公的には氏を名乗ることは武士特権でしたが、既に姓の通称一般的には広まっていたようだと思われます

江戸時代の段階でも武家特権に憧れる人々は多かったでしょうが明治維新で「四民平等」が施行されたのを機に、皆が「武家並み」を目指したものであることは想像に容易いでしょう。

江戸時代政治社会統制は、武家一般の信仰である儒教に基づいて行われてきました。儒教では、男尊女卑ですし、年長者を敬えだとか、先祖を尊べだとか、そういった「道徳」があります。こうした儒教教義も、江戸時代以降には社会に浸透させられ、それが未だに「日本文化」だと信じこまれしまっています

氏は職業柄を表しているものです。ですから現代の、「夫婦共働き」や、職業のいわば個人主義化の時代にあっては、夫婦同姓の強制というのは江戸時代から儒教信仰帰結しかなく、合理性を欠いています。また言うまでもなく、「信仰自由」に反しています日本の、いわゆる「ガラパゴス」「鎖国」、閉じ籠り根性の表れだといえましょう。

女性活躍」などと誰かさんが言っていますけれど、まったくもって口ばっかりで、言行不一致ですよね。これからはとくに、労働者の実人口の減少を少しでも抑える必要があるはずなのに、結婚妊娠出産といったできごとのたびに就労から疎外されるような社会慣行が根強いのが現実です。

日本古来の文化」と声高に叫ぶ人がいるようですが、そのほとんどは信仰です。しか江戸時代以降の、ながくて数百年程度のものしかありません。誇りが無いから、こうしたプロパガンダ信仰にすがるのでしょうね。到底目覚めそうにないようですから、私は哀しいし、絶望的です。

形式的には「妻の姓にも合わせられる」といっても、それは養子婿のような形態に合わせた制度です。実際にはほとんどの事例で、夫の姓に合わせられています

氏名というのは根源的なアイデンティティですが、そのアイデンティティを奪うということが未だに正当化されているわけです。そして、奪う側に「差別している」「加害している」という自覚が無いことがほとんどですし、さらには奪われる側にまで喜んで差別される人がいるというのも残念ながら事実です。

「選択的夫婦別姓」という案は極めて light な案です。「奪いたくない」「奪われたくない」という意思のある人だけが改姓を避けるのですから

たかがそんなことも許さないのだから日本というのは極めて尊厳破壊的な国家だといえます

2014-12-18

高座から物言い

「高座から物言いをしているのは誰か?」

(以前、普通に話している時、「随分高座から物言いだな。」と話している相手では無い人間に横槍を入れられ、揚げ足を取られ、怒鳴り返そうかと思ったことがある。まぁ、それはどうでもいいんだが。)

身分制度がこの国から表層的に消え、(職業身分による分類・分析が出来なくなった今、何か別の指標・方法を使わなければ社会現象分析する事はできない。

(実の所、「身分制度解体」もその嫉妬心から士族階級」をスケープゴートにして寄って集って叩くと言う単なる日本の伝統芸能()であるイジメと全く同じ構造であった。今で言う「公務員叩き」と同じ。その証拠士族以外は殆ど身分解体されていない。何故なら元々平民が9割以上であったから。「士族のみ」が社会的追い剥ぎにあっただけ。それ以外はいつもながら安穏とした生活を続けているだけで終った。平和ボケして暇だったかストレスの捌け口として士族を狙った八つ当たりに過ぎない。平和ボケすると人は傲慢になる。それまで守ってもらっていた人間攻撃すると言う恩を仇で返す事を平気でするようになる。それどころか明治維新の混乱に紛れて不義を働き、ぼろ儲けしたような成金もいる。まぁ、それは商家豪農と呼ばれる大規模農民が主だが。長くなるので別の時に残すか、、、)

様々な分類法が考えられるが、社会学的・経済学的に見るならばやはり所得資産が解り易いだろう。

そして更にその所得を細かく分析すると、ある特徴が現われてくる。

それは「世代」或いは「年代である

(もしこれが解らないようであればこの先の記事は読まない方が時間無駄にしなくて済む。)

経済学社会学をやっている人間、或いは企業経営をしている人間にとっては「市場分析」が当たり前になるが、それが出来ない人間が一部ではいるようだ。(もしかしたらその能力がないのかもしれない。)

個人的にも実際、会社経営をしながら市場分析が出来ない人間を何人も知っている。

勿論、そう言う人間は大抵経営に失敗している。(まぁ、必然ではあると思うが。)

バブル経済に作った蓄財を細々と消費しながら何とかやっている人間も少なからずいるようだが、まぁそう言う人間の先は永く無いだろう。

市場分析をするとどこに資産が集まっているか良く解る。

そして「最近の若者は消費をしない」と言うマスコミの低レベルスケープゴート作りが愚かしく、滑稽に思える。

彼らに脳味噌を使うと言う行為はできるのだろうか。

そして更に事態悪化させる事に大衆もそれを鵜呑みにする。

自ら調べて分析する事も考察する事もなく、ある一部の人間が垂れ流す駄情報だけを取り入れ、飲み込み、踊らされてしま人間達。

そして、その結果が齎す事に対して何の責任も感じていない。

自分は高座に上がって、それより下に抑圧されている人間を叩くのは簡単だろうな。

勿論、それはイジメ構造に他ならない。

(大抵、イジメ撲滅運動をやっているような市民団体構成員イジメをやるような皮肉が世の中には多いから理由は容易に理解できるのだが。)

「何故、最近の若者は消費しないのか。」を考えた事がないらしい。

意図的に「消費しない」のではなく、消費する元手がないから消費できないのである事さえ理解していない。

滑稽であり、愚かしい。

(そう言えば他人を何の理由根拠も示さないままに「愚かしい」と誹謗中傷していた零細企業社長がいたが、ソイツが一番愚かしいと言う事には気づいていなかったようだな。無知・無学・無教養なのに他人を罵る愚かさは過去俺が関わりを持った人間の中でも一番酷かった。慈悲深いならまだしも本当にソイツ以外の他人を全員見下し、貶めていた。まぁ、そう言う最低な人間も世の中にはいる。)

http://www.jili.or.jp/lifeplan/houseeconomy/asset/3.html

http://www.nli-research.co.jp/report/gerontology_journal/2011/gero11_007.pdf

http://rh-guide.com/data/kojin_sisan.html

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4690.html

バブル経済崩壊してからと言うもの給与右肩上がりにもならない上に若年層の給料は低い水準で停滞したまま。

その人口層に「お前らがカネを使わないから経済が回らんのだ。不況はお前らの責任だ。」とする人口層がいる。

彼らは社会構造が全く理解できていないのだろう。

或いは自分達で持っているか意図的にそう言っているのだろうか。

まぁ、自分が優位に立てる立場におかれている時に、自分より立場の悪い状況下に置かれている人間を罵る事など誰でもできるし簡単な事である

しかし、それでは何の問題も解決できないどころか、問題時間経過と共に悪化していくだけである


「水は高きより低きへ流れる。人の心もまた、高きより低きへ流れる。」

つの時代もそれは不変なのかもしれないな。

2014-07-23

http://b.hatena.ne.jp/entry/nejiko.hatenadiary.com/entry/2014/07/23/071540

夫を「主人」て呼ぶのがイヤンっていう話題へのブコメにこういうのがあって、

apricotbarley 文化 言葉 夫婦

私は自分の夫の事を「主人」と言うより「旦那さん」と言う人の方が気持ち悪い。小学生から国語をやり直してこいと思ってしまう。

日常会話では「旦那」派の自分としては「え??何??小学生からやり直せって、何がそんなにいけないの???」となったので調べたんだけど、

だんな【×檀那/旦那

《(梵)dāna音写

1 ほどこし。布施。転じて、布施をする人。檀越(だんおつ)。檀家

商家奉公人などが男の主人を敬っていう語。「店の大―」

商人が男の得意客を、また役者芸人自分のひいき筋を敬っていう語。また一般に、金持ち身分のある男性を敬っていう。「―、これはよい品でございますよ」「顔見世に―衆を招く」

4 妻が夫をいう語。他家の夫をいう場合もある。「お宅の―」

5 妾(めかけ)の主人。パトロン。「―がつく」「―を取る」


えーと、ほどこしとかパトロンとかの意味合いを含む言葉対外的に使うのが気持ち悪いってことでいいんでしょうか。すみません、本当にわかりません。失礼にあたる言葉なら今後使わないようにするので教えてください。

2014-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20140423135145

女性社会進出を進めた結果、派遣定職には付けないわ、婚期は逃すわで

一生働けるんじゃなくて、一生働かなきゃいけない(派遣で)みたいなの量産してどうすんだ?

激しく勘違いしているようだが、昔から女性の大多数は働いていた。いや働かされていた。馬車馬の如く。

結婚=夫の家の女中兼跡継ぎ製造機となる、と言う意味しかなく

家事育児介護もやり、「家」の仕事(が農家だろうが商家だろうが嫁が一切タッチしなくて良いなんて有り得なかった)もやり、

勿論給料など貰えないのが「嫁」ってやつだった。

それでも昔の女性はそれ以外に食う道が無いから結婚するしかなかった。

その時代女性と比べたら「派遣定職に就かず婚期を逃す」道を選べる現代女性は遥かに恵まれた状態だよ。

家事自分の分だけでいい。出産育児もしなくていい。介護もしたとしても自分の親だけでいい。働いた分はちゃんと給料が出る。

からこそ結婚しない女性が増えたんだ。

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