はてなキーワード: 同性カップルとは
→「私だって非公式NL苦手なんですよ!そっちこそ検索避けして!」
私もカップリング物はカプ名で検索避けが必要だと思います。わかります。そこにもう1ステップ、BL苦手な人向けに検索避けを設置して欲しいです。
→「NLもBLも同じカップルですよね?なんで同性愛は隠れないといけないんですか?差別!」
→「何が違うんですか??男の人同士だと何がダメなんですか?それ差別ですよ!」
→「それって同性カップルが気持ち悪いってことですよね?差別やめて!」
説明されなくても分かるかと思っていましたが、違いは
NLは「男女の恋愛を描いた創作物」BLは「男性同士の恋愛を描いた創作物」
です。
いや、実際現実の同性カップルさんがそういうことをしているとして、気持ち悪いとか存在が嫌いとかは思いません。公式で同性が好きなわけでもない推しがそういう表現をしているのが苦手なんです。
→「いや公式で異性が好きとも公言してませんよね?もし推しが同性が好きなら嫌とか差別!」
→「同性愛者かもしれないですよねそれ!決めつけないでください!異性愛の押し付け!」
【追記】→「なぜですか?」
例えば、スマートフォンなどの機械類には「デフォルト設定」というものがあると思います。何か特筆した理由があったり、人為的に変えない限り、機械はデフォルトの姿でそこにありますよね?残念ですが、世の中にはそういった「特筆されなければそうだと大多数が考える状態」というものがあるのです。それに従って何が悪いのか、逆に聞きたいです。
「自分で自衛してくださいよ!こっちが隠れる必要なんてない!ジェンダー平等!!」
非公式男女カップル厨が「男女なんだからいずれくっつくに決まってる」「同性カップルなんてありえない」「うちらの方が正しい」って同じ非公式のBLやGLを長年弾圧しまくってたから
今こうして逆襲されているんだと思う
水星とかそれでめちゃくちゃ荒れてると聞く
カプ二次なんておそらくほぼ「自分がそのカプを見たいから」の動機で始めてるのに、むしろそこを濯ぎたくてか正当化したくてか「明示されていない以上ヘテロとは限らずあらゆる可能性がある」で原作者の定めてるだろうキャラ設定を積極的に曲げていく上にそれに疑問を持つ人の方こそ差別的でアップデートされていないのだとしていく考え方には腐女子だけどおためごかししてるなよって思う
自分の欲望とエゴでキャラの見たい姿を二次創作してるってとこからは目そらすべきじゃないし、胸を張りやすい理由や大義名分でそこを覆い隠すべきでもないとよく自戒するわ
そのへんに拘泥しすぎてついに原作と原作者の権利や意向をないがしろにして恥じない二次オタク結構見るけど、さすがに優先順位間違ってるぞって思う、人の作品借りてるんだぞって
明示されていない以上ヘテロとは限らずあらゆる可能性がある、この考え方リアルではめちゃくちゃ大事だと思うけど二次で自分を正当化したり他人を攻撃する材料にするのはよくない使い方だと感じてる
同性カップルにかぎらずだけどね
私たちには、創業当初から大切にしている「Soup for all!」という価値観があります。……お客様のライフステージが変わり、ご家族やお子様と一緒にご来店いただく方も増えてきた中、Soup Stock Tokyoとしてお子様の成長を一緒に見届けることができればと……
自ら望んで独身を続けてきていたとしても、こう言われれば、自分だけがバスに乗り遅れたかのような感覚を持たされてしまうものである。しかも、これまで味方だと思っていたスープストックに、「他のひとは、新たなステージに進んでいるんですよ」と、後ろから刺されたような気持ちになろう。
https://president.jp/articles/-/69655?page=2
「ライフステージが変わってないなら、お客様じゃないって言うのか」
こんな言い方をニュースでよく聞くと思う。
大抵インタビューされた店主が有り難がる展開になるんだが、しかし在日の日本人客が怒ったりはしない。
俺たちだっているだろ、とはならないのは何故か。
「増えた」
だからか?
だったなら怒りは湧いてこないか?
ホームコンピュータに家のLEDを点けるように命令して、玄関だけ暗かったら憤ると思う。
LEDを点けろ、には、すべてのLEDを点けろってニュアンスがある。
同様に、お客様のライフステージが変わった、と言ったら、すべてのお客様を意味してると捉えられる。
だから、ライフステージが変わった客にだけ言及すればいいのではないか。
男は力が強いんだから荷物持って当然とか、理系が多いんだから機械には詳しいでしょみたいな扱いをされると怒る男も多い。
なぜだろう?
例外だ、普通ではない、異常だとみなされると腹をたてるのは、その人たちの心の中に異常であるのを怖れる・蔑む傾向があるせいではないか。
だとするとライフステージが変わってないお客様が怒るのは理不尽ということになる。
いや妙だな…。
ライフステージが変わっていないお客様が少数派になっただけでは、普通でなくなったとはならないか。
セクシャルマイノリティがマイノリティだと言われてるのを問題視したなんて話は聞いたことがない。
数の多少は単なる事実。
だけどそれでも。
おそらく、ステージは登り階段で、成長の概念に直結してるのが理由ではないか。
これらがポジティブなイメージを持ち、肯定的な使い方を基本とするのは、
社会は拡大して繁栄するのが目的だとみなされているからだろう。
人間の価値観極めてプリミティブな部分に、成長 = 絶対善 がインストールされている。
神を信じない人でも成長の善さは信じてる。
誰であれ「これから頑張っていくよ!」と宣言する人に、いや頑張るな、と横槍を入れたりしない。
なぜ成長が重宝されてるのかは分からん。
だけど、成長概念が善として人々の中に強く内面化されている以上。
生き方の多様性が認識されてる現代で、直線上の成長過程に結婚が含まれてるのは、反社会的だと思う。
同性カップルはもちろんありだし、結婚しない女性の生き方だっていいじゃないか。
弱者男性でも構わない。
ファビョると発言して炎上したスラム街出身の Vtuber を思い出してる。
頭の中で次に使われる機会を待って凍結されてる言葉たち。
腐ってメタンガスを出してるかもしれない。
注意深くみても気付かないかもしれない。
正直こんなの、無理だ。
炎上沙汰が怒ってないパラレルワールドでライフステージの単語だけ見たら、それが内包する排斥性を見落としていただろう。
だけど考察の中で得た結論としては、ライフステージは時代遅れの概念と言わざるを得ない。
ツリー。
https://twitter.com/K_JINKEN/status/1665696991433871360?s=20
@K_JINKEN
「絶対に阻止すべき」
です
同性愛者にとってはなおのこと
なぜかと言えば、現状の婚姻は子孫繁栄を前提にしたもので、それを同性に広げたら、婚姻の優遇を減らす方に進むのが目に見えてます
@K_JINKEN
21時間
詐欺師が金持ちの情弱を騙して財産をぶんどるために活用されることでしょう
@K_JINKEN
21時間
婚姻関係がないと公営住宅に同居できないとか、病院で面会できないとか言いますが…
そんなの全日本同和会にでも入って差別だ差別だとごねりゃあいいだけの話です
税制上の優遇がなくなって、何かあれば慰謝料だの財産分与だのリスクだけになってしまえば、金がある人は結婚しなくなります
@K_JINKEN
これは冗談ではなく、真理です
同和会会員なら、本来の入居用件に該当しない人も居座っているそうですから
@K_JINKEN
38分
【大阪府大東市】市営深野園住宅の一室で メダカ屋開業 同和住宅では やりたい放題?
jigensha.info
【大阪府大東市】市営深野園住宅の一室で メダカ屋開業 同和住宅では やりたい放題? - 示現舎
welst
@welst11
6時間
ごねればいいと言いますが、国が平然と差別をしてるのはマズイかと
そもそも同性愛者の人権どこいったんです?結婚という目に見える形で結ばれたいと思うのは恋人として自然な感情かと。この出発点を無視して議論を重ねるのは無駄かと愚考致します
@K_JINKEN
3時間
現状でも事実婚ができるし、結婚式するのも自由だし、禁止されているわけではありません
配偶者控除なんかも、それだけを目的にする人が出てくると収拾がつかなくなるでしょう
投資家A
@1bitcoinn
5時間
異性でも「結婚」がデメリットしかなくてしない人が増えてるのに、なんで今さら同性愛者が「同性婚」について騒ぐのか謎。自分達を認めて欲しいだけでしょ。
日本ではそこまで差別とかないし、同性婚が可能になったとして、結婚してもただ後悔するだけだぞ?
@K_JINKEN
「こんなはずじゃなかった」ということになるでしょう
うえぽん
@s_uepon
『同性婚』という同性のみが結婚出来る枠を新設すれば良いと思います。
現状の結婚システムに同性を入れ込むよりリスクやデメリット、手間も少ないと思うのですが。
@K_JINKEN
1時間
現状、事実上やることは別に禁止されているわけでもなく、法律の枠外でやっているものに対して、頭ごなしにルールを決める必要性がありません
異性の結婚でさえ束縛されることを嫌う人がいるのに
@TV65377118
6時間
https://gendai.media/articles/-/66067?page=1&imp=0
10年前くらい。まだLGBTQがここまで話題になってないときに、祖母が同性カップルに密着したニュース番組を見て「どっちが女役なんでしょうねえ」って言ったのが気持ち悪くて今でも鮮明に覚えてる。
結婚できないとか、海外の制度と比べて〜みたいなニュースなのにそこ気になるんだ?男女カップルなら役割がはっきりしてるからどんな営みをしてるか気にならないってこと?それとも男女関係なく気になる人なのか?とか色々と考えたけど、多分言ったら「違そういうことじゃない!」ってムキになるし、もう当時70歳近くて口癖のように「ボケてきた」っていうし何言っても無駄やなと思って、「外で言っちゃダメだよ」で収めたけどちゃんと文句言えばよかったなと後悔してる。
LGBTQを差別するな!とかじゃなくて、「ばあちゃん気持ち悪かったな」って感情が記憶に残ってしまったから。ちゃんと話して別の感情の記憶にしておくべきだった。
下世話な徒然文です。
TVで、松潤の耳を齧る岡田信長を見て、ふと、ジャニー喜多川氏の墓は、高野山にあり、ジャニーズのタレントが墓参りに訪れている。ということを思い出した。
いつか、元ジャニーズの自分の推しがジャニー氏の墓参りへ行ったことをラジオで話していた。
その後、他にも名だたる元ジャニや現ジャニの人がジャニー氏の墓参りへ行っていることを何かで見知った。
ググったら、ジャニー喜多川氏の父は真言宗の僧で、かつては稚児だったとか。
ジャニー氏が倒れた時には、病床に様々なものを持ち込んで付き添っていたこともトーク番組で聞いた。
当人が性被害にあったかはわからないけど、少年期に合宿所にいたことは周知の事実で。
今現在、ジャニー氏のかつてのセクハラ、性被害を訴えている人たちは、その犯罪を責めているが、ジャニー氏自体は嫌いではない。という矛盾したコメントを発しているのが散見される。
普通、性被害を訴える人が被疑者の人格を擁護する展開はあまりないように感じる。
(自分は子どもの時、2回同じ奴から痴漢の被害にあったことがある。相手には今でも悲惨な死に方をして欲しいと思う位には、怨んだ感情をもっている)
グルーミングというやつなんだろうか。
ジャニー氏の性被害問題は、被害者とそして外部がシュプレヒコールをあげているのと対照的に、
関連メディア、事務所やタレントが先日まで恐ろしく無反応な様子だった。
真言宗、天台宗系の寺文化には、稚児にも、上稚児、中稚児、下稚児と身分があったらしい。男色の相手になるのは言わずもがな。ということは、ジャニー氏の中では、TVで活躍しているタレントを上稚児感覚で捉えていたのではないかと、下世話ながら想像してしまった。だから被害者声明が今日まで表立っていなかったのでは。
芸能というのは、想像以上に奇々怪界な世界なのだろう…。いずれにしてもそんな世界に入れようとする親はまともではない。
もちろん一番悪いのは、ノーと言えない環境を作り出して、性的行為を強要させる支配者。
私自身は、ノンケだけれども、同性カップルは全然構わない。一方、趣向で、恋愛メインのドラマに興味はなく、BLモノは生理的に受け付けない。老若男女問わず、人が上半身でも裸でTVに映っているとチャンネルを変えたくなる。裸や性的場面を公の場で見たくない。ジャニー氏の夜とか想像したくもない。
文頭の、耳を齧るシーンを見た時には、思わずチャンネルを変えてしまった。
とはいえ、それはそれ。
推しがこれからどんな事をメディアの場で言っても応援できる自信がある。
かの事務所が大嫌いで、関連商品の購入や番組は避けていたけれども、
むしろこれからは、今逆風にあっている彼らのスポンサー商品を積極的に買おうと思ってしまったくらいである。
こんな私もまた支配者層の思う壺なんだろう。
リベラリズムの価値観が浸透した現代社会では、子育ては義務などではなくただの趣味扱い(注)だけど
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(注)子育てを義務だなんて言ったら、身体的に子供を産めない女性、パートナーと子を作れない同性カップル、施設で暮らしている寝たきりの方などが傷つく。
それに「子を産めよ増やせよ」という戦前体制に逆戻りだし、家父長制のもとで女性たちが出産DVを受ける社会になる。
だから、子育てはリベラリズムの価値観において、義務ではなく自由な意思でやりたい個人だけがやればいい趣味のようなものとする。
子どもを産まなかった人を責める不当な圧力に対し、リベラリズムは全力で反対する。
岸田自民政権が「異次元の少子化対策」と言い出したけど、独身税や子無し税なんてものが検討されるなら、仲間を総動員してでも抵抗するよ。
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好きでやる登山だって途中しんどいし、好きで買ったポケモンカードゲームのパックも毎回雑魚ばかり出たらイヤんなっちゃうもの。
精子、卵子“提供者”と“生まれた人”の結びつけ支援へ 新しい民間団体設立
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecfa2b7716c13ae88fb76d4d9cc8ad578d5874fe
こんなのやられたら、生まれた子と支援者は溜飲が下がるかもしれないけど、まずは戸籍上の親上が傷つく。
自分の愛はどうでもいいんかと。
そんなに心の絆よりもナマの血や体のつながりだけが大事なんかと。
さらに身元と紐づくのが嫌で、地位や妻子あるエリート男性(女性も)が精子(卵子)提供してくれなくなるんよ。
それでもあえて精子提供したがるのは、戸籍上の父親上の地位を揺るがすことに悦びを見出す愉快犯みたいなのや、子孫さえ残せば本望のサイコパスばっかりになる。
質の低い生殖細胞であふれかえってまともなのが減ったら、困るのは精子や卵子を購入したい人々よ。
そこらへんの、パワーあるけど不妊のパワー不妊カップルならまだ特別養子縁組を組ませてもらう道もある。
でも一番、立場の弱い同性カップルや、精子提供で子を産みたい未来のシングルマザーはどうなる。
あらゆる範囲から精子や卵子を選べる天然生殖のカップルと比較しても、選択肢は質の悪い精子や卵子ばかりになり、不当に選択肢が狭められる。
一見、生き物上の親上を結びつける活動は弱い者の味方に見えるけど、それをリスクに思う高質な提供者を遠ざけることにより、めぐりめぐって他の弱者の選択肢を不当に狭めることになる。
遠距離かつ向こうの事情で中々会えないけれど、連絡は取っているし、身体の関係もあり、結婚も考えている。正直、恋人以上にパートナーとして考えられる人間もいないくらいだ。
それなのに、気になる人がいる。それも2人。
でも、その2人のどちらかあるいは両方とどうこうなりたいという気持ちは一切無い。むしろなりたくないくらいだ。身体だけの関係とかよく言われるけれど、恋人以外とそういう意図を持って触れ合うのも想像するだけでも絶対に無理だ。
昔からそうだった。恋人ができる前、6年ほど片想いしていた相手がいたが、そいつを好きな間も恋愛的な意味で気になっている相手がいた。でも全員とどうこうなりたいわけではなかった。誰かと付き合う想像をした時、相手はいつも1人だった。なのに複数人を一度に好きになる。恋人ができてからも、しばらくの間例の片想い相手のことが好きではなかったのかと言われれば正直否定はできない。
ポリアモリーという言葉がある。ざっくり言うと、全員の合意を得た上で複数人とパートナー・恋人の関係になるというスタイルのことである。
自分にそれは決してできない。1人としかパートナーにはなれないし、なりたくない。なりたくないのに、一度に複数人を好きになってしまう。
要するに、性的指向の問題なのだ。大雑把に言えば、LGBやパンセクシャル、アセクシャルとかその辺と同じ部類になる…と言えなくもない。多分。今述べた性的指向と違う点があるとすれば、それは名前が無いことだろう。
名前が無いことがこれほどまでに不安だとは思いもしなかった。名前があれば、同じ境遇の人を見つけられたかもしれない。自分の苦しみを、少しでも和らげられたかもしれない。けれど、現状ある言葉で一番近いのは前述したポリアモリーであり、ポリアモリーでは複数人と同時にパートナーになることを是としているのだ。
誤解無きよう言っておくが、自分は決してポリアモリーやポリアモリストを否定している訳ではない。Twitterのフォロワーにもポリアモリストはいるし、一応自分も先述の理由以外でも性的マイノリティーにあたる人間(パンセクシャルのノンバイナリーで、恋人とは世間的には同性カップルにあたる)なのもあって仲間意識のようなものはなんとなくある(もちろん、全ての性的マイノリティーの人がポリアモリーを肯定しているとも思わない。逆もまた然り)。
でも決定的に違うのだ。複数人を同時に好きになる点では共通しているけれど、自分は1人しかパートナーにできないし、1人しかパートナーにしたくない。自分が浮気や不倫をするなんてもっての外だ。
…なんだか同じことばっかり言ってる文章になってしまった。結論としては、1人としかパートナーになりたくないのに複数人を同時に好きになってしまうという自己矛盾と「複数人を同時に好きになる」性的指向の名前がが無いことに対するしんどさ、苦しさといったところか。
言うてこの苦しさを吐き出したかっただけなので特にオチとかは無いです。この考え方に対して他人はどう思うのかっていう好奇心もある。あと、願わくば自分と同じ境遇の人がこの増田に辿り着けますように。そして、ちょっとだけでも安心してもらえますように。
よく「G7で同性婚を認めてないのは日本だけ!」って煽り記事が出るけど、丁寧に記事をよく読むと「同性婚や、婚姻と同等の権利を保障するシビル・パートナーシップ制度を日本は認めていない」等と書かれている。つまり他のG7の国の中には「同性婚」ではなく「パートナーシップ制度で同性カップルの権利を保護している」国があるということ。
日本だと「同性婚」という文字を見ただけでどうしても「伝統が~」「男女の自然な結婚が~」というそもそも論から議論を始めることになってしまう。だから何もすすまない。結婚とは別立てであくまで同性家族の権利を保護するためにパートナーシップ制度法を作ることから始めれば、このそもそも論の議論を回避できる。
テレビなんか見てると同性婚求めてる人らって割りと保守的な結婚観を持ってそうなイメージなんで、やっぱり「憲法上の結婚で認められないと嫌」って感じ?こういう意見は嫌なん?
婚姻とは何であろうか。民法を見ても、婚姻の制度については事細かに書いてあるが、婚姻の実態については何も説明されていない。
婚姻関係を結んだ人々には、制度面で種々の優遇が与えられる。加えて、世間様からの信用も付与される。
いつぞやお隣のご婦人が、「薬指に指環あるだけで安心できるわよね」と話していた。明け透けさに苦笑するとともに、なるほど世の中そういうことなのかと腑に落ちた。
しかし、婚姻制度と、憲法が謳うところの平等主義とは、両立しうるのだろうか?平等主義を留保する程度に、婚姻には「公共の福祉」に資するところがあるということなのか?
婚姻制度が多くの社会で採用されていることからすると、おそらく社会制度の維持に寄与するところが多いとされているのだろう。
現行の婚姻制度は、情愛関係で結ばれ、その関係を維持することを公示した男女にお墨付きを与えている。
(形式的ではあっても)情愛関係及び一対の異性であることを条件とする理由は、いったい何であろうか。
生活の相互扶助がメリットであるならば、情愛関係で結ばれた同性カップル、あるいは性別を問わず友情で結ばれたマブダチが、婚姻制度から排除されるのは、なぜだろうか?
「情愛関係で結ばれ、その関係を維持することを公示した男女」にしかできないことは何かと考えると、一つの解にしかたどり着けない。
すなわち、「生殖」だ。確かに、人口が生産されないことには、社会は維持できない。
暫定的に、異性夫婦の優位性を生殖可能性に認めると仮定した場合、ここでも疑問が生じる。
世の中には、身体的に生殖が不可能だったり、生殖の意思を全く有しない夫婦もゴマンといる。
婚姻の優位性を生殖に求めるのであれば、そのような夫婦にも優遇を与えることの理由が見つからないことになる。
ゆえに、身体的あるいは心情的に生殖の見込みがない夫婦は、婚姻関係から排除すべきということにならないか?
加えて、生殖可能性がほぼ0%である同性婚を認めるなど、もっての外という結論が導かれる。
ここまでは、「生殖可能性によって現行の異性婚が担保される」という、かなり乱暴な仮定を前提としてきた。
それでは、婚姻のメリットとして挙げられる「生活の相互扶助」という観点から考察したい。
この目的を達するためであれば、先に挙げた情愛関係と生殖可能性は、婚姻制度維持の必要条件とは成り得ないだろう。
それであれば、同性婚はもちろんのこと、友情などのライトな関係を基礎として生活扶助を扶助する者同士も、婚姻の枠組みに包括すべきではないだろうか。
さらに言うと、関係者を2人に限定することの意義も瓦解するかもしれない。
結論としては、生殖に重きを置くなら現行の異性婚制度を維持し、生殖不可能な男女は除外するのが、婚姻制度の本旨に沿うことになる。
一方、もう一つのメリットである生活の相互扶助を第一義とするなら、同性婚はもちろんのこと、情愛関係に基づかない2人以上の関係性にも、婚姻関係を認めるべきである。
もちろんこれは机上の空論に過ぎず、運用は現実的に不可能だろう。とりわけ、生活を相互扶助するという意思の真偽を公的に確認する術がない。
しかし、同性婚の導入がこれほど喧伝されてる割に、婚姻の実態に関する議論はあまりにお粗末ではなかろうか。
日本でも同性婚が認められるのは時間の問題という気がしている。
晴れて同性婚が認められたら、次は「ポリアモリーの権利を守れ!」という主張が徐々に市民権を得始めるのだろう。
いまLGBTの権利擁護の意識を持っている人でも、ポリアモリーの運動には顔を顰める。そんな未来予想図が、容易に想像できる。
かように不可解な婚姻という制度に嬉々として乗っかって、また乗っかることを切望する人々で溢れかえるこの世界は、本当に不可解で不気味だ。
※これ以外にも婚姻の社会的利点があれば教えてください。当事者間の安寧とかいうのより、社会とか国家とかマクロスケールでのメリットを知りたいです。
出生主義とは「産まないより産んで虐待する方がマシ」という思想である
にもかかわらず、そう認める人を見かけない。
だってそうでしょ。産んで、その内何割かが不幸になって、何割かが犯罪者になって、そうやって回ってきてるんでしょ社会は。
虐待被害者も犯罪者も障害者もみんな生まれてきて社会を回してる。犠牲者を出しながら。そういう世の中を持続させようという思想なんだから、「産んで死なない程度に虐待する親の方が産まないより偉い」とハッキリ言うべきなんじゃないの。
もし言われたら「ふざけんなテメーが虐待されてみやがれ」って思うけど。
でも、言わないんだよな。産まない女は苦しめとほざく、小山晃弘とか花つ葉とかのアンチフェミ系反出生。女は平気で敵に回して、少子化解決の為に女の人権を制限しろ、女子教育をなくせ、と言うくせに、子供に関しては「虐待されても仕方ない」とは決して言わない。むしろ虐待親を叩く。虐待親を擁護する女を叩く。小山晃弘は母親の虐待被害者だから尚更。
あいつら、「可哀想ランキングに立ち向かい、みんなが言いにくいこと、見ないふりをしている事にズバズバ切り込む反ポリコレ」を気取っておきながら、ダサいやつだなと思う。自分らだって都合の悪い事に切り込んでない。
あいつらは「可哀想ランキング上位」であるらしい女性のことは積極的に敵に回すし虐げる。そうすればミソジニー信者達が持て囃してくれるから。
一方、もっと可哀想ランキング上位である「子供」のことは虐げられないし、敵に回せない。虐待が増えてもいいから子供を産め、なんて言わない。誰もがかつては子供だったからな
子供の人権が重視される現代社会では、誰もがうっすら反出生だと思う。
虐待事件が起きれば、虐待するなら産むな、出産免許制にしろ、と騒がれる。そして虐待したくないから産まない、という人が出てくる。虐待親への刑罰が甘すぎる現状ですらこうなのだから、虐待親への刑罰が厳しくなったらもっと産まない人は増えるだろう
10代前半の出産、逆に60代とかの高齢出産、貧しい未婚女性の出産、DQNやメンヘラの出産、不倫や托卵の子の出産、障害者の出産に否定的な意見ばかりが溢れる。子供が不幸になる可能性が高いからだ。リベラルも保守派も。保守派は同性カップルの出産を子供が可哀想だと叩く。
ちなみに障害者の出産は、親が障害者のケースと子供が障害者のケース両方を指す。親が障害者だと子供がヤングケアラーにされると非難が殺到するし、発達障害者界隈では「発達障害で生きづらい、生まれてきたくなかった。障害のある子供を産まないで。産むことを美談にしないで」という声が大きい。「発達障害で生きづらい女性が理解ある彼くんを得て同じ障害を持つ子供を産みました」漫画の作者は、発達障害界隈に「発達障害者は子供を産むな!遺伝する!」と叩かれていた。
ともかく、子供が不幸になる可能性が高い出産は反出生主義者でなくとも反対する。「子供が不幸になる可能性が高いなら産まない方がいい」というのは「うっすら反出生」だと思う。反出生とは「この世に生まれた時点で不幸になる可能性が高い」というものだからだ。
そして、とにかく産め産め言う出生主義者達は、これらの出産、もっと悲惨な背景の出産も全て肯定できるのだろうか。
その結果生まれる不幸は全て、社会持続性のために仕方ないと言えるのだろうか。
悲惨な虐待の連鎖も、凶悪な毒親も、犯罪者に育ってしまう子供も社会持続性のために仕方ないのだと。
もっと言えば、旭川いじめ事件やコンクリ事件の被害者の苦しみすらも、社会持続性のために仕方ない、子供が被害者や加害者になってしまっても産まないよりマシだから産め、と言えるのか。
性被害のトラウマにより異性との性行為ができず子供を産めない女は子供のいる性犯罪者より蔑まれるべきだと、
そう言えるのか。
言ってみてよ。
さあ。