はてなキーワード: 同性カップルとは
最近、大阪市が男性カップルを養育里親として認定したニュースが話題になっている。
で、ふと思ったのだけど、この場合に子供は親をなんと呼ぶのだろう?
日本において、一般的な呼称は「お父さん、お母さん」「パパ、ママ」あたりだと思う。
しかし、同性カップルの場合、両親ともに「お父さん」または「お母さん」になるので、何と呼ばせるのか悩むことになりそうだ。(見た目や内面が異性のカップルであれば、従来の呼び方になるかも知れない)
最初に思いつくのは、名前で呼ばせる、という選択肢だが、日本では馴染みが無い気がする。
名前に「さん」を付けて呼ぶのもありかもしれないが、ある程度成長した後ならまだしも、子供が小さい頃から「さん」を付けて呼ばせるのに抵抗を持つ人もいそうだ。
他にはあだ名で呼ぶ、という選択肢もある。これもあまり一般的では無いが、名前を呼ぶよりは自然な気がする。
あだ名とは少し違うが、仮にカップルの名前がタロウさんとケンさんの場合、「タロパパ」「ケンパパ」と呼ぶのもありかもしれない。従来の呼び方を踏襲しつつ、呼び分けられるので、このあたりが妥当だろうか。
海外の場合、親を名前で呼ぶのもそれほど珍しくないという印象がある。
調べてみて分かったが、多いのはひとりを「Mom、Dad」で呼び、もうひとりを名前で呼ぶ、というもの。(統計とかを見つけたわけではないので、サンプル数は少ない)
いくつか例を挙げてみると、
女性カップル:名前がAliceとAnnalieseで、呼び方がMummaとMummaleise。(ケンパパ、みたいなもんかな?)
女性カップル:呼び方は両方ともMomだったり、名前だったり。
女性カップル:イギリス出身の方をMum、もう一人をMom。(発音違うのかな?)
女性カップル:実の母親をMom、もう一人をmom Debbie。
…きりがないのでこの辺で。
やはりというか、英語圏では名前で呼ぶのに抵抗がない、というのが大きい。
まあ、家庭内で呼ぶのは何とでもなるだろう。難しいのは、他人がどう呼ぶか、という方だと思う。「~君のお父さん」とか、「~さんのお母さま」といった表現に多少無理が生じる。
今後、日本でも同性婚が認められ、姓も同じになると、もう名前で呼ぶか、文脈で上手く伝えるしかない。
あと、ここまで「カップル」と書いてきたけど、日本語ではどう呼べば良いのだろう。「カップル」は語感が軽すぎるので、他の呼び方が欲しいところだ。
「夫々」は「それぞれ」とも読むのが難点だが、これなら読み方は従来通りだし、妥当な線だと思う。
いかがか。
「キラキラネームの子供はいじめられるよ」というのは割と受け入れられる気がする
というかこれ、言ってる側は同性愛差別やいじめ容認をしてるつもりはなくて、よくある自衛論の一種なんじゃないかな
「悪人はいなくならないからその悪人のターゲットにならないようにしなければならない(ターゲットとなる子供を作ってもいけない)」という。
性犯罪関連でもよくあるだろ、「被害者側に自衛を押し付けるな悪いのは犯罪者だ!」「いやしかしやはり自衛は大事で…」
問題はいじめからの自衛を理由に同性愛者というマイノリティが異性愛者の当たり前に味わえる経験を味わうことを認めないことであると思う。それは差別的で不当なことだぞと。
多分、性犯罪の自衛関連でも似たようなことで揉めてるんだろう。曰く女性のみが自衛の分不自由であることをよしとするな、ということが言われてるんだろうと。
そんな僕が最近強く思うのは、家庭を築きたいということだ。
海外では、同性婚が認められていて、ゲイカップルが里親となって子どもを育てていたり、事例はある。
けれども、日本では同性カップルが里親になることはできないし、願わくば血の繋がりのある子を持てたらと思ってしまう。
ゲイの人は、「理解されねぇな」と感じる日常のふとした瞬間に、「普通になれたら」と思うことがある。
「自分のセクシュアリティについて理解してくれて、それでいてお互いに信頼し合える女性と結婚する。その人との間に子どもをつくって、一見普通の夫婦として生きていく。」
そんなことはできないかと考えるようになった。
これは個人的にも妥協だと思えるし、しかも相手の女性にはあまりにも都合の良い要求をしている気もする。
生まれてから20数年、小さい頃に女の子を好きだったことをあった。
大学に入った頃は、「中高は環境のせいだったかも?」と思っては見たものの、相変わらず男に片思いをする日が続いた。
就職後、いわゆる出会い系アプリで、やっと友達以上恋人未満なお相手ができた(男)。
そんな折、大学と違って、職場には家庭を持つ上司がいた。子どもを持つ人もいる。
FBでは赤ちゃん誕生を知らせる友人の投稿を見かける。祖父母は「あなたが結婚するまでは生きていたいわね」と言う。
何より、両親は問う、「いつ結婚するの?」
そうして急に虚しく感じるようになった。
いくら自分がゲイで、性的には心や体が反応するからと言って、それにしたがって男の人との関係を模索することが。
一人の寂しさを実感するようになったし、一人になって親の愛情をより深く理解するようになった。
結婚して、子どもを持って、親には孫を見せてあげたいと思うようになった。
こんな事情を理解してくれる女性と結婚し、子育てをしていくことは、どこか背徳的な生き方だろうか?
ただただ、家庭を持って、親が自分を育てる中で感じていたような幸せを自分も掴んでいきたいと思っているだけなのだけど。
信頼できる女性と、結婚するのか。前途多難だけれど、同性婚・里親の道を模索するのか。
いったいどうしたらいいんだ?
もうしばらく前からこの話を誰かにしたくてしょうがなかったんだけど、表で大声でこういう物言いをして五体満足でいられるかどうかにやや不安が残るから匿名でする。
例のアニメ、BLかBLじゃないかっていうか、そもそも、絶対どっちかであるとは言い切れないようになってるんじゃないの。
(※作品タイトルもキャラ名も伏せてネタバレってなんだよとは自分でも思ったけどあらすじを一から全部説明するのもダルいので省略も兼ねて伏せます。察して)
メインふたりのコミュニケーションはわりとしょっちゅうラブコメとか少女漫画とか月9とかみたいに演出されているけど、「ふたりは互いに恋愛感情を持っている」と明言されたことは一度もないし、どころか「恋人としての役割は求めていない」「わかりやすい恋や愛とは違うかもしれない」というような趣旨の発言さえある。(四話五話)
でもそれも一方からの偏った認識に過ぎないし、作中時間ではかなり前の方の話になるから、最新話では変わっている可能性もある。(最新話はこれまでの視点役(ふたりの一方)の内心が伏せられている)(更に、その一話からの視点役が「どれほど信用できない語り手か」ということも明かされた)
どっちの方が「よりありえるか」っていう話じゃない。
どっちも「同じぐらいありえるように」丁寧に情報を調整されている。
大変な祭りになった例の「キスなのかハグなのかはっきりさせてくれないと夜も眠れない」なシーン(七話)だって、「特集番組」で、「公式関係者」に(作中で描かれた情報と完全にイコールにするつもりはないけれど考慮する価値は十分にあると思う)「こちらからどっちかだと『解答』を出すつもりはないから各々で決めてね」と言われてしまった。
あのシーンだけで見ても、キスなのかハグなのかはどう頑張っても「主観で決め付ける」しかない(口元が隠れて見えない)し、どっちかだとはっきりさせたところで、果たして「どういう感情でその行為に移ったか」はめちゃくちゃ解釈がわかれるだろうし、だからこそお祭り状態にもなった。
多分、公式はこれからも全力でBLっぽい演出をやってくるだろうけど、それを「疑いようもなくBLです」と断言するつもりもなければ、「BLじゃないですよ」と言い訳をするつもりもない。(※個人の印象です)
「例のアニメはBLうんぬんかんぬん」なありとあらゆる言及は「個人の感想」にしかなり得ないし、どっちかはっきりさせなきゃ気が済まない人はめちゃくちゃ苦しむことになるし、このことについて発言すればするほど、我々(大きな主語)は自分のものの見方を自覚なく大衆に見せびらかすことになってしまうのだ。どうとでも見れるようになっているがために。
そういうちょっと恐ろしいところもある作品なんだと思う。し、これを書く私も現在進行形で恥を晒しているのかもしれない。
でも他の人の意見も見たいからどうしても大声で言いふらしたかった。
(※以下は蛇足です)
そして、例のアニメの「BLかどうかは絶対にふわふわさせとくぜ」の極め付きは最新話(十話)の「指輪プレゼント」からの、「誤解での結婚祝福」からの、「勝ったら結婚するよ宣言」
そんなやり方ある~~~~????
正直、あのアニメではっきり差別のない世界の描写をするならどっかでそういうキャラクターを出す(でももうその尺がなさそう)か、最終回でメインふたりが結婚するぐらいしかないし、まさかそれはやらないだろうと思っていた。結婚すると「BLです!!!!」と完全に言い切ることになるから。
でも結婚しなかったらしなかったで、「結局BLとしては描ききらないんだな……(しょんもり)」になるかもしれない。
それが擬似結婚からの、誤解でも全力の結婚の祝福。作中世界で同性カップルは完っ全に肯定された。もうメインふたりをきちんと正式に結婚させる必要はないし、同時にこの先無理に「BLじゃないです」と言い訳する必要も消えた。だってあの世界ではふたりの関係はなんであれ正当に祝福されることなんだから。それがこれ以上ないくらいはっきりと示された。
なめてた。本当になめてた。
しかも、結婚は勝ったらという条件つき。この先の結婚は「勝ったから」という意味も持つことになって、擬似結婚(指輪プレゼント)時点での感情と動機は永遠に伏せられた。
あそこまでやっておいてまだ、余白に夢をみることもできる。
すっごくないですか????
あざとい賢しいめちゃくちゃ上手いし怖い。
マジで最終回までこのスタンスでやり遂げるつもりだよ怖い。もう結婚をしなくてもいい(メタ的な必要性)、となるとこの先どうなるか全く分からない、それはそれで怖い。十話にもなってあんな乱暴な叙述トリックぶちこんでくる公式なんて絶対信用できない。安心したら最後不意をつかれるに決まってる。本当に怖い。
こわい。
同性婚が認められるっていうことは、異性愛も同性愛も「正常」になる。
「我が子には同性愛者になってほしくない」」「異性愛者でいてほしい」とか、そういう概念がなくなるわけよ。
同性愛がキモいというのは、本当に申し訳ないが、感情としてはある。
ただ、キモいから排斥してよいとなると自分に返ってくるから、それは言いたくない。
以下、ちょっと頭の中を整理させてほしい。
これはおそらく正しい。少なくとも、偽装結婚して子供までもうけるケースもあったみたいだから、
その分は間違いなく減ってしまうだろう。
そして、それの何が悪いんだと思う。
今の少子化は様々な要素があって起きたことだが、世間体の強制力が弱まったことが一因として挙げられる。
その強制力を復活させるべきという論も時々見かけるが、今更無理だろう。
今や皇族も恋愛結婚されている(少なくとも、建前上そういうことになっている)のだ。もうどうしようもない。
個人的には、世間体というのは総じてクソだと思うので、それに縛られた結婚は不幸の始まりと考えている。
故に、なくなるならそれに越したことはないし、そのせいで少子化になろうが知ったこっちゃねえのである。
世間体の排除を異性愛には認めて、同性愛には認めないというのは理屈が通らない。
だからこの点に関しては堂々とすればいいと思う。
おっしゃる通り、ペドの場合は片方に責任能力がないから、そこにつけ込むのは問題外だ。
けど、例えば近親婚。これもLGBTの人らが一緒にすんなってうるさそうだけどさ。
現代の感覚だとやはりキモいと思われるが、制度上禁止されているのはそれだけじゃなくて、
生まれてくる子供に障害が出やすいという実際的な問題があるからだろう。
だから関係を結ぶこと自体は法的に禁じられてないけど、公のサポートは基本的に得られない。
民間の経済活動だと、同性カップルだろうが金を落としてくれればそれでいいから、
テーマパークでやるのは、周りの目もあることだから、もう少しハードルが上がってしまうが。
あと、病院に入院した時に困るというのがあったが、これはむしろ認めない方がデメリットが大きいだろう。
ただ、それらを認めるのと、公の承認やサポートを与えるのは別だと考えたい。
現在、老若男女様々な愛のカタチがある中で、成年の異性愛(それも全ての異性愛ではなく限られた)
子供の有無に関わらず優遇しているのは、それでも高い蓋然性でもって子供が生まれてくるからだ。
同性愛には今のところそれがない。
何の責任も負わず、ただただアヘアヘしてるだけの輩に、優遇策まで与えたくねえというのが本音だ。
そういうのにありつけてないからひがみで言ってるのは認める。
そして、子持ちの家庭は異性愛と同性愛、実子養子の区別なく優遇し、代わりに今ある優遇策は
結婚しているだけでは得られないようにする、というのが落としどころとしては妥当だと思う。
たぶん将来的にはそういう方向に進んでいくんじゃないだろうか。
そうなんだが、同性カップルでも一緒生活してると身内扱いしてもらわないと困ることがあるんだよな。
別に同性にも結婚にもこだわらなくていいから、血縁でもなく婚約者でもない認定された他人が公的に身内扱いされる制度あればいいなー
ディズニーで同性カップルの結婚式があったとかいう話を聞いたのは、確か数年前のことだっただろうか
最近はネトゲなんかでも、同性キャラで結婚できるものが出てきた
なんでもそうしないと、今はLGBTの人らがうるさいらしい
任天堂のホモダチコレクションだかもずいぶん叩かれたし、誰も地雷は踏みたくないのだろう
ただ正直な感想としては、趣味のゲームの中まで政治的なジャスティスを求められるのは息苦しい
場合によっては専用のシナリオだって必要になるし、チェックやら何やらで配慮が必要な分だけ、
残りの部分に使うリソースはわずかながらも確実に削られてんだろうなと思う
それともそうするとホモの兄ちゃんが金を出してくれるので、経済的にペイするんだろうか
政治的に正しいということになってるのはわかるんだけど
同性カップルが作れると話題になって、LGBTコミュニティでも喜びの声が出た様子。
でもよく見てみると実際は「第一弾の時に同性カップルが作れると話題になってしまったので、むしろ誤解されないよう男女の恋を強調した」キャンペーンだった。
「午後の紅茶」×「ポッキーミディ」がコラボ!パッケージが、並べ方次第で王子×王子、姫×姫なことに!?www
http://blnews.blog.jp/archives/1019971058.html
【画像】午後の紅茶とポッキーコラボで男同士、女同士で並べて百合、BLカップルを作り出す天才が現れる!!これは可愛いでしょ
http://korekichi2ch.com/archives/3257307.html
「ポッキー」×「午後の紅茶」――同業他社コラボ商品がバズった理由
「ただ、昨年もSNS上で同性同士の組み合わせが話題になっていたので、SNS上での反響もある程度想定はしていましたが、今回は、2品を並べてスマホにかざすと男女カップルがアニメーションとなって会話をはじめる無料ARアプリを作りました。男女カップルの甘酸っぱいやりとりを演出することで、同性カップルの話題だけではない、新しい楽しみを提供したいと思っています」」
この担当者の声、要は、声優が演じる動画を公式に作ることで、恋愛関係を妄想する余地を無くし、「公式には同性カップルは許さない」という姿勢を出したということ。
非モテ男女だって「結婚相手(彼女/彼氏)ができない!」って喚いてたら、「うるせー」「キモいw」「自己責任」とかって即座に切り捨てられるじゃん。そんでそれは正しい対応の仕方だと思うんだよ。だって、そいつらは社会的に相手する価値がないと思われてるから、相手されてないわけで。ようするに、自分で相手見つけられないような連中を相手するほど世の中ヒマも余裕もない。モテないからといって社会に怨嗟の声を撒き散らしてるのは、「キモイ」の一言。
なのに、同性愛者だと「同性の結婚相手(彼氏/彼女)が欲しい!」というと「かわいそう」「性指向は生得的」「差別は良くない」って擁護されるのはおかしい。だって、同性婚なんて社会的に何の価値もないもの。異性婚だって極論をいえば売春契約みたいなもんだけど、人口の再生産ひいては社会の繁栄にメリットあるから、わざわざ社会的なコストをかけて行われているわけで。そんなに同性婚がしたいなら、同性愛者の連中が自分たちで同性婚を認める社会的メリットを主張して社会に認めさせるくらいの活動してみろよ。
米国だと同性カップルは政治家にたくさん寄付するから「金づる」として珍重されるラウドマイノリティだよな。ユダヤ人と同じ扱い。多くのアメリカ人は同性愛者を「ぶっちゃけウザい」と思ってるだけなんだけどさ。
ま、とにかく。同性愛ってようするに生まれつきの変態みたいなもんなんだから、まあ昔のヨーロッパみたいにバレた時点でぶっ殺されないだけマシだと思って細々と生きていくべきだと思うよ。まともじゃない日陰者が社会的に真っ当な人たちに社会的コストを負担しろ!と大声を上げてる現状は異常すぎる。非モテたちが「俺たちにパートナーをよこせ!」と言ってるくらい気持ち悪い。我慢しろ。同性愛者は一生その異常性欲を我慢してろ。ロリペドと同類だ。
もちろん子供を作れない、育てない人もいる
同性カップルでも何でもいいから、とにかく安らげる家が欲しかった。
一人親でも、同性カップルでも、異性カップルでも、とにかく信頼できる大人の元で落ち着いて日々を過ごしたかった。
まともな赤の他人と暮らしてから、初めて「皆で集まってテレビを見る」ことを体験した。
「家に帰る」ことを考えても、頭がぼうっとしなくなった。
小学校の時に実家を出てから、いくつかのお宅でお世話になった。おばさん一人だったり、男友達と住んでる若めの兄ちゃんの家だったり。
出会いに恵まれたこともあって、どの家も居心地が悪いと感じたことはなかった。
子供にとって一番大切なのは「精神的に安定できること」であって、家族の形ではない。
子供が愛されて暖かく育つことが出来るなら、同性カップルに何の問題があるのか。
「家族とはこうあるべき」みたいなの持ち出してる人たちは、さぞ幸福な家庭でお育ちになったんでしょうねえって思ってしまう。
元増田は同性カップルの結婚を「不当に奪われた権利」と考えているようだけど、それはなぜなのか。
私はむしろ最初は存在しなかった権利だと考えている。すなわち「人が奴隷的扱いをされない権利」と同じで、従来は権利と考えられていなかったものが現代になって初めて権利として認知されるようになったのだ。
それに、結婚も養子縁組・里親制度も人間が創りだした社会制度であり、それはそもそも自然・本能からひどくかけ離れている。
おそらく元増田は、もともと男あるいは女の体に備わっている機能を「自然」「本能」と結びつけて考えているのだろうが、同性愛者の問題を語る場合にそのような思考はやめたほうがいいと思う。我々が同性愛者の行為や欲求に対して何らかの「不自然」を見出すとき、異性愛者たちが普段いかに自然・本能に反した行いをしているか省みるべきだ。