はてなキーワード: 合法化とは
例えば、九州の餓死事件とか、小田原の「保護なめんな」ジャンパーとか、さいたまの生活保護相互監視条例とか、
リベラル左翼が騒ぎ立てて大事にしたり、潰したりして来たけど、そう言ううるさい奴らを除くと、「まぁそれくらいの犠牲や抑圧は仕方ないよね」って空気の方が強かった気がする。
ましてや今は不法移民や、日本人でも詐病やサボりによる生活保護が急増していることが可視化されているので、ますます生活保護が憎悪されるようになっている。
そのうち、生活保護を支給を決定している役所に対して批判の矛先が向くのは明らかなので、水際作戦を合法化して、数値化できるようにして、
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・精神障害による生活保護受給者であることを自覚し、社会的に無価値であると感じる
・自殺を試みるも失敗
・自治体による致死量ペントバルビタール投与による安楽死を希望
・中学受験で第一志望校に合格するも、中学でのいじめによって人生が狂う
・安楽死への切実な願い
・苦しんでいる人々に寄り添い、支援する
原文は、「精神障害による苦痛と孤独を抱える生活保護受給者からの訴え」です。安楽死への希望は、生きることへの絶望の表れであり、社会に対する深刻な不信感の表れでもあります。社会としては、このような訴えを真摯に受け止め、精神障害者への理解を深め、安楽死に関する議論を深めていく必要もあると言えるかもしれません。
遺伝子レベルで劣っている自分がこの世に生まれてきたこと自体、大きな間違いです。
私の祖母や伯父も生活保護受給者であり、一族には複数の精神障害者と自殺者がいます。
詳細は割愛いたしますが、私は遺伝子レベルの先天的欠陥を複数抱えております。
私のような多重障害者が生まれる確率を試算してみると、一つの都道府県に一人いるかいないかの頻度のようです。
人並みに恋に憧れたこともありますが、私のような欠陥人間は人を幸せにする能力がなく、愛する異性に全く相応しくないため、これまで全ての恋を断念してきました。今後もそうです。
遠くない将来、孤独に死んでいく予定です。
このような暮らしは私としても荷が重いので、家電製品の電源をオフにするように人生を静かに強制終了させたいと昔から考えています。
しかし、その方法が見つからないので困っています。バルビツール酸系睡眠薬を使った自殺には既に失敗済みです。
自治体で致死量のペントバルビタールを用意していただければ、積極的安楽死することに何ら吝かではありません。
オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、コロンビア、スペインなどのように日本でも積極的安楽死が合法化されることを切望してやみません。
そのためにはどこに陳情すればいいのでしょうか? よろしければご教示いただけると幸いです。
それにしても、中学受験で第一志望校に合格した数十年前は、自分の人生がここまで暗いものになるとは全く予想していませんでした。
入学した中学でのいじめが原因で私の人生はすっかり狂ってしまいました。
安楽死反対派は死にたい人の気持ちなんてわからんのだから話し合いは無理なんよ。
だって死にたくない人は生活が充実してて五体満足で後遺症もなくて健康で幸せで毎日に困ってない人ばかりな訳で。反対するのも自分らの生活を支える奴隷がいなくなって困るからにすぎない。死にたくない人が~とか死を望まれて~とか詭弁でしかならない。死にたくないやつは死なねぇし、死にたいやつは死ぬんだよ。同調圧力で死を選ぶと言うが同調圧力で生きることを選ばされてるのはどうなんだよ。
こっちの気持ちを理解できねぇ奴にどん底人生なんて理解出来るわけない。
いい事あるよ!って言うけど治療法もなく完治せずだんだん悪化するが死ねるわけでもなくただただ苦しみに耐えるだけの病気の俺によくそんなもん言えるな。あまりに解像度低くてびっくりするよ。病院行け?行ってるよ。治らないのにまた来たのかって顔される気持ち分かる?分かんねぇよな。あんたにとって病院は行けば治る場所なんだもんな。羨ましいよ。睡眠薬を飲まないと眠れない気持ちも分からんだろう。出口が見えず永遠に光が訪れない気が狂う毎日を送ってないんだな。
水泳の某選手は努力して治したから頑張れ?そりゃあの人は金も期待もあって病院だって医師だって看護師だって手厚く看病しただろう。運もある。俺みたいな金もなく孤独な存在とそんな恵まれた人間を当て嵌めるな。金とコネが無いと良い病院に行けねぇの。お前だってなんでそんなくそ狭い家住んでるの?ビル・ゲイツみたいな家買えないの?って聞かれたら嫌だろ。
理解なんて無理。話し合いなんて無理。
俺が穏やかに死ねるために、お前らには同じような目にあって欲しい。今の生活がどんどん出来なくなって金もなくなって身体も自由にならなくて視力も聴力もほぼ消えて芋虫のようになれば死にたい気持ちが分かるだろう。そうなることを願う。
それが正常に運用されるのは国民全体の人権意識が高い国のみだと思う。
日本にはまだ早い。
SNSやニュースで日本人の人権意識の低さを見るたびに暗い気持ちになる。一番嫌なのは一人一人が「自分の」権利にめちゃくちゃ無頓着なところだ。
マジでつらい。自分のことを理解してない、認めてない、優しくできてない人があまりに多すぎる。毎日自分を抑圧しながら、我慢しながら、見て見ぬフリしながら(もしくはその自覚もないまま)生きてる人が多すぎる。そんな状態で他の人に優しくなんてできるわけがない。そりゃそうよ。
平等や多様性について説かれたところで聞く余裕なんてもてるわけない。自分を愛せなくてしんどいから、「世の中にはこんな酷い目にあってる人もいるんですよ」と言われると、あなたは身勝手な奴だ、甘えんなと責められてるような気がしてしまうんすよね。そんなことないのにね。
若い人からお年寄りまで、自分を蔑ろにしている人があまりに多すぎる。日々がキッツイので(我慢や、臭いものに蓋をしたままの無理矢理な栄養補給にもカロリーは消費する)、新しいことして変に傷つくくらいなら慣れた環境でのらりくらりやるのがマシよね、むしろ利口よねって雰囲気。そういうのが国全体に蔓延してたらそりゃなんの話も進まないし、なんでもかんでも停滞し続ける、さすがにこんなの無理耐えられんって言う人がいれば、甘えんなって叱られる、みんな我慢してるんだからあんたも我慢しなさいって。昔親にめっちゃ言われませんでした? 言われた記憶あるけど、令和になってまで何で全国民我慢比べ大会を開催しとんねんと思うよな、ちょっと意味わかんないわ。
その生ぬるい停滞が、我々の肩に降り積もり続けている、真綿で首しめ続けられてる感じだ。苦しい国だ。
(しかし日本の学校教育からは、『目立たず騒がずお手本通りに長いものに巻かれて大人しくしてろ』というメッセージしか受け取れなかった記憶しかないので、肩書きや所属や他人と比べてどうこうやらにしがみつくようになるのはさもありなんという気もしており、これもまた悲しい)
ふだんはあまり見ないようにしてるけど、最近SNSで人権意識の無さを垣間見て勝手に悲しくなったので書いた。
数年経った今でも忘れられないのは、
自死を選んだ人に対する、「本人がそう思ったのなら、意思を尊重しよう」という言葉が、良い意味で拡散されていたことです。
優しさに包んだ絶望的な冷たさだと思った。
と同時に、スゲー日本ぽいなとも思った。
日本良い国になってほしい、少しでも人権意識あがってくれ、みんなが自分のこと許せて好きになって、他人のことも愛せるようになってほしい、今年の初詣はそういうことをお祈りしました。終わり