はてなキーワード: 可視化とは
稼働直後に(時期は若干前後したものの)最高レアとして実装された古株同士で、得意タイプも一緒。
かつスキルもそれなりにシナジーがあり、性能自体初期キャラにある種特有の「シンプル故に代替が効きにくい」ものだったこともあり、稼働直後の選択肢が少ない頃には所謂理想編成の一角として、攻略サイトでは同時にパーティに組むことを推奨されていたりもした。
勿論シナリオ上の設定には(ちょっとした共通点はあったものの)一切の関わりのない同士だったが、そもそも初期キャラ故にその背景設定自体が非常にシンプルで、かつ「主人公の仲間として一緒に行動している」程度の妄想のできる余白はあったので、当初よりささやかながらファンコミュニティでもこの二人をペアとして扱う二次創作がいくつか散見されていた。
自分自身彼らを主力パーティとして同時に編成してプレイすることも多かったので、こんな風にちょっとした交流があったら面白いだろうなーと小さな妄想を楽しんでいた。カプ、というレベルでは無かった気がするが。
やがてゲームが軌道に乗り、キャラが増え、二人揃って理想編成から姿を消すことになっても、戦力が揃っていないプレイヤー向けのお薦め編成には長く二人揃って名前が残っていた。
また、この頃には「一つの大きなシナリオにてそれぞれの役割を担い、相互に詳細な人間関係が設定されているグループのキャラクター」が増え、かつゲーム自体の中心となってきていたが、自分が推す例の二人は相変わらずキャラクター単体でストーリーが完結していた……というか、実装時の紹介イベントのストーリーから一切ストーリー的な進展がないままだった(なので二人とも、古参のお馴染みキャラという立ち位置でこそあれ、人気自体はそこそこといったところであった)。
ゲームのメインストリームからは取り残されつつあったが、そもそもゲーム上の相性が良いだけでシナリオ的な根拠が一切ない二人を勝手に組ませて妄想している身としては(まことに身勝手な話だが)、都合が良かったのである。
二人のどちらにシナリオ上の進展が来たら間違いなくこの関係性は「そもそも存在しない」ものになるだろう、そうなっても、というかもともと「そう」なのだから文句は言えない、所詮は界隈で言う「顔カプ」である。
今のうちに楽しんでおこう……と、おそらく当時はそう覚悟できていたと思う。ここまでが前置き。
ある時、ついにこの二人にゲーム内での公式供給が発生した。しかもそれぞれではなく、二人同時に、両者の交流が描かれるという形で。
ゲーム内のミニイベントの更に1エピソードという大変ささやかなものではあったが、両者のちょっとした共通点に主眼を置き、二人が交流を通してその共通点から生じる問題に向き合い、互いの在り様を肯定するという、ありふれたものながら非常に「良い話」だった。
少なくとも自分はこういった形で両者の交流がゲーム上で実現、可視化されたことに快哉を叫んだし、界隈でも評判の良いエピソードとして捉えられた。
またエピソードで改めて二人の「共通点」が提示されたことで、今後その共通点を巡ってのシナリオの掘り下げを期待する空気も生まれた。
エピソード自体は恋愛の文脈に乗っかったものではなかったが、それを機に恋愛に振った二次創作も増えた。相変わらず二人のゲーム内での出番は増えなかったが、ひっそり自分の中で関係性のエモさを消費している分には全く問題はなかった。
もしかしたらまた進展があるかもしれないし、このまま何もなく古参キャラとして埋もれてしまうかもしれない。進展があったら嬉しい、ぐらいの気持ちでいた。それだけでも十分だった。
状況が変わったのはそれから更にしばらくのことだった。二人のうちの男の方(以降男をA、女をBとする)が、唐突に「一つの大きなストーリーに連なるキャラクター群」に編入されたのである。
それまで全く関連の描写がなかったのに、実はAはシナリオ上での重要な関係者であった、という設定が付与されたのであった。
Aが編入されたキャラクター群と彼らが背負うシナリオはゲームの根幹の一角を成す重要なものであり、注目度も人気も界隈内ではかなり高い。
編入に伴うストーリーはAがこれからそのシナリオグループ内でキャラクターとして新たな一歩を踏み出すに足る説得力を有していた。
彼はそのストーリーの中で、かつてBとの間にあった「共通点」から生じる問題を、ストーリー内で登場した新キャラと一緒に見事に解決してみせた。
故に彼は一気にゲーム内の人気キャラへと出世した。ド栄転である。
Aを主題とした二次創作の数も爆発的に増えた。ただしその中にBの姿は当然ながら影も形もなかった。
その後、Aは自身を取り巻く大きなストーリーの中で、継続的に出番を得、新たな人間関係を構築し、キャラクターとして成長を続けている。
しかしそれはあくまでも彼の属するストーリーの人間関係の中でのことであり、Bについての新たな言及は編入以降一切ないままだ。
今やストーリーの中で大きな役割を担わされたAには、システム上のシナジーで人間関係を妄想できるような隙間自体皆無である。
やがて界隈からAとBがかつて何となくセット扱いされていたという記憶も薄れた。今なら、今でこそ、AとBはまだ設定が固まりきってない頃に勝手に妄想された顔カプと言われてしまうし、自分もそれを否定できない。
かつて予感していた「そもそも存在しない」状態が訪れたということだ。だから結局愚痴にしかならない。
ただもう一つ愚痴を重ねさせてもらうとすれば、Bについては相変わらず全くシナリオ上の出番も掘り下げもないまま時が経過してしまっていることだ。
Bもまた新しい人間関係の中に組み込まれ彼女なりの成長を描写されているのなら、AとBの邂逅はひとときのオタクの勝手な妄想として自分の中でケリをつけられた気がする。
しかしBは、それこそAとのミニイベント以降、キャラクターとしての時が止まったままなのである。それこそAのようにいきなりの設定を生やしてでも掘り下げる余地のいくらでもあるキャラなのに、と、思う。
SNSのTLでAが今の彼の仲間と肩を組んで笑っているイラストが流れてくる度、消化しきれない思いを自覚してしまい、それがちょっとした自己嫌悪になる。
……と、ここまで愚痴って思うが、なんかこれって失恋した側の未練ぽいな……結局は推しカプに失恋した単なるオタクの未練なのだ(そもそも恋自体始まらなかったというやつ)。
究極的にはゲーム辞めれば良いんだよな……という話なのだが、ゲームとしてはそれはそれで相変わらず楽しめているので、結局愚痴をだらだら書き残すしかない。この未練を抱えたまま。
共産系の嫌いな自助共助じゃん。自民や維新の"公助だけでは救えないものもあるから共助自助も必要"に反発してきて今更言うんかい。イデオロギーに殉じて公助マシーンとして救い続けろよ。
自助を前提として公助を絞るのに反対すると、なんで自助の反対になるんだ?
大事な事だ
一人では限界がある
昔からそうしてきた
今してるのは「だったら」という話だ
軋轢もあるだろう、柵もできる、集まりの中に嫌な奴が入る事もある
そう言う面倒事から目を背けて
だから私は関わりません、私に干渉しないでくださいとぶち上げてだ
困ったら頼ろうって、なんじゃそら
「今」やれ
そういう話だ
親子げんかをして絶縁状態になった父が認知症に。介護と看取りを経て、今僕が思うこと
https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/column/oyakogenka/
周りの人に頼ってください
この人についてどうこうという話じゃなく一般論として
町内会でも似たようなことが起こってるし
マンション管理組合なんかもそう
なんなら「なんで払う必要があるんだ、おれは参加しないから払わない」とか言い出す
はてなのリベサなんかだと「そうだそうだ」ってな具合じゃないか?
PTAなんかも槍玉にあげられて、旧態依然とした村社会は消えてしまえとばかりに叩かれる
ところがだ
子育てや介護となると、社会は理解がない、社会は冷たいとか抜かしやがる
その口が困った時に助けられたら「隣近所は暖かい」とか言い出す
【お前は】暖かかったのかい?
【お前は】誰かの子育てを助けたのか?
【お前は】誰かの介護を助けたのか?
「助けてもらったら助けてあげましょう」みたいな事を軽々に書くやつもいるんだけどさ
誰かを助けるには、その誰かから認知されて、頼って貰える存在である必要があるんだよ
うちの親は共産系の活動してて、地域の診療所(共産系)に良く出入りしてた
その関係で、診療所の人とも知り合いで、まだ介護問題なんて騒がれてない頃に、ボランティアのデイケアサービスを手探りしながら「みんなで」立ち上げた
いろんな相談も入ってきたけど、そういう活動して表に立ってたから相談されたわけ
介護対象の祖母が亡くなった時には、共産系の人も町内会も色々助けてくれた
うちの親は町内会は面倒だというし、共産系の集まりも大変だと言うけど、バックレたりしない
助け合いってそういう物だべ
保護がもらえたら選挙の手伝いもしなければボランティアにも参加しない
そういう奴がゴロゴロしてる
「助ける側」にいるとそういうのがすごい可視化されるんだよ
別にさ
本当に困った時に、そのままのたれ氏ねとは言わねぇよ
でもさ
村社会だのなんだのと敵視する時さ
という言葉を思い出して欲しいんだよ
この言葉を聞いて「俺が困るまでは誰も助けねぇし手伝わねぇ」みたいな人間が増えると
周りに頼れる人が居なくなって誰も助けれくれなくなるんだ
「次」じゃねぇ、「今」助けろ
タイトルがすべてなんだけど、頭の整理のために文章にしてみる。
仕事1
趣味2
家庭7
34歳男
165cm 63kg
東京・大阪の中心地から60~90分以内のあたりに住んでいる。田舎と言うには都会に近いけど、都会ではない、地方都市と呼べるほどの発展はない微妙な地域。
よくネットに溢れている公務員あるあるみたいな「仕事のできない高齢職員」とか「最低限のことしかしないやる気なし職員」とか「手は動かさないけど口だけはよく動く職員」なんかはほとんど遭遇しておらず、同業者に比べたらマシな仕事人生を歩んでいる。
過去には外部組織への出向も経験したし、少なくとも「外に見せることのできないどうしようもない職員」という判断はされていない模様。
外部出向もそうだし、近年ではコロナ対応という世界の最前線の一部に立っていたので、世間一般がイメージする公務員的な仕事は実はそんなにやっておらず、割と楽しく仕事をしている。まあ月100時間超の残業もあったし、独身でアラサーという使いやすい人事だったんだろうな、とは思う。
ただ、サラリーマンの宿命だけど、どこまでいっても組織の名前で仕事をしているなあと感じる。テレビに出るような芸能人じゃなくても、YouTuberやVTuber、ツイッターやpixivには激ウマイラストが溢れていて絵で飯を食べている人も15年前よりはるかに可視化されている。
一国一城の主というものには、人間誰しも1回くらいは憧れるよな。全部の責任が自分自身に乗っかかってくるというのは、それはそれでプレッシャーだろうけど。
そういった特筆した才能を磨いて、そして花開く人生だったら…と思うよ。
今後の仕事人生を考えると、氷河期世代に採用を絞りまくったツケを払う段階に来ているので、今の30代は中間管理職の仕事を間近で見る機会もなく中間管理職という立ち位置に放り込まれるのは確実となっている。
わずかばかりの管理職手当とともに残業代が出なくなるのもそう遠くない未来だと思う。
そんな中間管理職になったときにどうやってモチベーションを保っていこうか。
趣味といってもイラストや漫画を描いたり、小説を書いたり、音楽を作ったり演奏したりと、どちらかといえば消費よりは生産寄りの「物事を作るタイプ」の趣味の話である。
仕事の面でも少し触れたが、ネットの発達とともに、これらのものを生業としている人がどんどん可視化されてきた。
かけている時間がそもそも違うのだから比べることもおこがましいが、自分は可処分時間をふんだんに使って何かを作っても、見てくれるのは一部の人(主に面識のあるリアル知り合い)が中心で、広がりがない。
10年くらい投稿を続けていてもそんなものである。まあそもそも投稿数が少ないのが一番の原因だが。
コミケほどじゃないけど小規模な即売会に出したこともある。だがそこで見るのは、ひっきりなしに人が来るサークルと、知り合い数人しか来ない自分のサークルの歴然たる差だけであった。
たらればの話になるが、創作の方に力を入れていれば自分も"あっち側"に立っていたのだろうか。今となってはわからない。少なくとも今は”こっち側”なのだ。
練習してもしても思うように上達しない毎日に苦しみながら、それでも続けていくと思う。
クォーターライフクライシスの大部分はここが占めていると思う。
世の中的には生涯未婚率が男性で3割近く、女性で2割近くになってきており、30代でも未婚率は男性で40~50%、女性で30~40%くらいだろうか。
半数は切っているけど、マイノリティというほどではない。
結局人は自分が置かれた環境でどの位置にいるのかを気にするのである。
職場における30代の婚姻率はゆうに8割を超えており、自組織にいたときも出向先にいたときもそれはさほど変わらなかった。
そういった面から見れば、所詮自分は下位2割の弱者男性なのである。
20代のときに3人くらいと付き合ったけど、結婚には至らなかった。結局そういうことなんだろうなと思う。
同世代の人はたいてい結婚しているし、中には子どもが2人や3人いる人もいる。
高校の部活仲間とは卒業後も仲良くしているのだが、十数人いた同級生も未婚者はついぞ2人まで減ってしまった。
手っ取り早いのは、婚活して苦労しながら伴侶を探すことなんだろうなとは思っている。
だけどそれはつまり、多くの人に「あなたとは一緒にいる気にはならない」という烙印を押され続けることと同義である。就活のときに散々いろんな企業に落とされお祈りされ、人格まで否定されたような気持ちになったあの日々のことを思い出すと、足を踏み出せない。
昔は「自然発生的に仲良くなった人と一緒になるんだろうな」なんて思っていたけど、それはファンタジーの世界であって、現実ではなかった。
結婚というのは、タイミングはあるにせよ、仕事や利害関係を抜きにして「この人となら一緒にいてもいい」とお互いが思えることだと考えている。
仕事という仮面があれば大抵どんな人ともコミュニケーションを取ることができるけど、一度その仮面を剥がすと、"選ばれてこなかった"これまでの人生がずっと続くんじゃないかと暗澹たる気持ちになってくる。
とまあ、今感じているクォーターライフクライシスの原因をつらつらと書いてきた。
結局はどこで自分が自分の人生に折り合いをつけるかなんだろうな。
まだまだ数年単位でかかりそうだ。それまではあがき続けよう。
論文でもマッチングアプリのデータでも身体的特徴でも男の低身長だけが避けられてるのが可視化されてる
実際にコンプレックスで気の狂った低身長男性の集団発狂はネットで可視化されてるが、女の貧乳でそのような集団発狂は見られない
豊胸も注入もホルモン療法による巨乳化も日帰りかつ骨延長手術より安価だが、顔の手術と違い経験者は圧倒的に少ない
河野氏は、脱派閥がテーマとなった今回の総裁選で出身派閥の麻生派を出られないまま立候補した挙句、その麻生氏に見捨てられました。
麻生派はもともと河野太郎氏の父親の河野洋平氏が立ち上げたグループが母体で、それを麻生氏が引き継いだ経緯があります。河野太郎氏はいずれ麻生氏から派閥を奉還してもらえると考えていたのかもしれません。また、麻生氏側は派閥の元オーナーの息子である河野太郎氏の立候補を止められませんでした。
要するに二人とも派閥政治から頭を切り替えららなかった上に、政治家としての甘さを露呈しました。麻生氏も河野氏も代々続く政治家の家系で、派閥を捨てられなかったのは、その家系の御曹司にしか判らない何かがあったのかもしれません。
今回、河野太郎氏は麻生氏に裏切られてブービー賞となり人気の無さが可視化されました。政治生命が危ういです。おまけに自派閥の河野太郎氏から高市氏に乗り換えた麻生氏も思惑が外れ、非主流派になり影響力を失うでしょう。
女は人間である前にメスというカテゴリで見られる。女はメスであることを利用したりして人権を獲得する。メス競争は幼稚園・保育園ごろから始まる。
獲得できない奴もいる。獲得できない奴は不可視化される。
一方で、男はまずオスというふうに見られない奴が多い。むしろオスとして見られない奴の方が多い。
男はオスと見られないことを利用して人権を獲得する。(ただし男の一部はオスであり、オスは人間にならなくても生きていける。人間になってもいいが)
ここでいう人権というのは社会権とか生存権とか尊厳とか財産権とかそういうの。あると人生がワクワクするやつ。
非オスは、女がメスを利用して人権獲得することに羨ましさを感じる。「メスはいいよなー。最初からメスがあって。非オスはオスが無いんだぞ」と。
女は、オスに惹かれるが、中でも自分をメス扱いせず人間扱いするオスに惹かれる。そして逆説的なことだが、女は自分を人間扱いするオスにメス扱いされたい。なぜならそれは特権だからだ。
男から見ると女は単に人権を獲得したように見える。だが女は実はその裏でメスなりなんなり使って闘争している。この闘争は男からはほとんど見えない。とりわけ女と接触点が無いと全く見えない。
闘争から脱落したメスは非メスとして扱われている。非メスは、非オスからすらも興味を持たれない。
一方で、女から見ても、男は単に人権を獲得したように見える。これはこれでその努力が女から見えていない。
「メスとして見られる」という屈辱を受けていないだけで女からしたら羨ましい話だからだ。イージーに見える。
男のほとんどは自分をオスとして見られたいはずだが、女のほとんどは自分を人間として見られたいはずだ。
非オスは「オスとして見られないし、人間としても見られない」という屈辱の地獄で生きているが、メスは「メスとして見られる上に、人間としても見られない」という屈辱の地獄で生きている。
年を取って、女からメスが失われていくと「メスとしてすら見られなくなった」となって、非オスが凛々とするのはそういうことだろう。
運よくすり抜けずにキィニチ確保できたわ
遺物とかこれからだけどキィニチ・エミリエ・深林トーマ・ベネットで使ってくわ(炎神はよ)
履歴みたら2連続すり抜けしてたところだから3連続すり抜けの抑止措置が働いたってことか
どっかで見た画像によると
ああ見つけたこれだ レディットのr/Genshin_Impact/comments/1f5mfqf/the_new_cn_capturing_radiance_theory/
これを統合するとPU確率が55.17%になり、公式発表の「総合確率55%」に合致する
こういうのって祈願カウンターサイトの統計見ても分からんからなあ
要するにすべての人の星5引きが55%になってるわけじゃなくて、極端に運が悪い人を救っていくことで55%に近くなる
だから極めて少ないサンプルを長期間積み重ねていってやっと55%なのが分かる
スタレやZZZにも輸入してほしいわ…というかこの仕組みなら武器ガチャにも適用できるんじゃ?
すり抜け率25%のはずのスタレ武器ガチャ、俺3連続ですり抜けて記録更新中なんだよね
こういう運のバラツキ要素を中華ガチャは極限まで早期に収束させていける土壌があるはずだ
ガチャのランダム要素によるワクワク感さえあればいいわけで実際には極端な幸運や不運はない方がいい人の方がきっと多い
音響でいうローパスフィルターやハイパスフィルター的なガチャ運の平準化だね
それは未来の基本無料ゲームの標準装備になっているべきもんだと思うわけよ
ただし幸運側に振れた場合にも手を加えるかどうかは議論の余地がありそう
幸運側に振れたときは遅効性の平準化がかかっていく感じならよくない?
まあこのへんも明確に可視化されないだけで昔からなんらかの形でガチャ履歴に応じた補正があった可能性もなくはないよね
74連目から確率上昇してくってのは周知されてるけどもっと他のさ
例えば天井カウント浅めのところで光ったときはすり抜けのことが多い、みたいなのは
それ単体で聞くと50%/50%に反するオカルトだけど履歴全体で振り返ると結構なユーザーが同意できる気がするんだよ
40歳か。
俺はもう少し若いが、30歳手前から全く同じ思いを抱いている。
言いようのない焦燥感というか虚無感で胸がいっぱいだ。
おそらくミドルエイジ・クライシスだろうというコメントが付くことが予想されるが
たぶん違うと思う。それに陥るにはまだ若いような気がするし抑うつ傾向があるわけでもない。
最近思っているのは、ラスボス直前でゲームがやりたくなくなる現象と似ている気がする。
良くも悪くも、可視化されすぎたというか。
攻略本もないのに、攻略してしまったような気分になっているというか。
あとはSNS。
否が応でもSNS発信の話題が目に入ってきて、何となしにストレスになっているような感覚。
だって、もう先が目に見えてるもんね。
人間の寿命だってここ数十年変わってなくて、どういう人生を辿るかは目に見えている。
もちろん、どこかの段階で突発的な事故や災害に巻き込まれることはあるだろうし
平和ボケと言われればそれまでだけど。
それを解決することで自分の価値を保てている感覚があったというか
けれど、今の時代、誰もがそういう課題に真正面から取り組める時代じゃない。
仕事だって、自分じゃなくちゃ務まらないとか、そういう仕事が減ってきているように思う。
何だかなあ。
別に自分はファンでもなんでもなく少し遠い界隈のゲーム配信をみるくらいで流れてきた情報をたまに拾うくらいの距離感なんだけど、まあゲームの大会とか人間関係とかで影響はあるので様子を少し見るために
それで加藤純一自体はどうでもいいんだけど、加藤純一は不倫相手に離婚すると嘘をついていたが付き合う気はなく、妻を愛していると断言しているのをみて、思うところがあった
話しぶりをみればそれが本当であるのはすぐに分かる、というか不倫相手にAV女優を使ったオナニーがしたいだけだと言われているのもエグい
※離婚すると騙して性的関係を結ぶのは何らかの処罰が欲しい、妻が自分じゃなく(嘘をついてヤッた)相手に謝れと言っていたのは正しい、加藤純一は良くわかっていなさそうだった
そこでこの前のソープ行け増田を思い出して、いや愛ってあるんだけど、今この世の中にある男性の性欲と愛情の理論は突き詰めると破綻しているんだよな、と思った、加藤純一個人がクソで破綻している、と言うこともできるんだが、それだけじゃない
加藤純一夫妻は一緒にいると友達のようになってしまうため別居しているらしい、しかし加藤純一は妻に自分の子供を産んでほしいと冗談めかして言い、妻はそれにはいともいいえとも言わず、こんなやつの子孫を残してはいけないと言った、配信者の妻としても、女性として自分の気持ちをどちらとも言い切れない答えとしても100点の回答だと思った、この夫妻の間に確かに愛はあるのだと感じた
インターネットに転がっている空っぽ人間同士の茶番なんかにはない人間性の重みがあり、そこに愛さえあれば上手くいくとは行かない辛さがある
不倫しなければいい、性欲は我慢すればいいという単純な性欲の話だけではすまない、パートナーとして一緒にいたい異性と男女の関係でいられないという愛の問題がこのろくでもない炎上によって世間に可視化されている、なかなか重い問題なのでめったにお目にかかれないやつだ※子育て後の問題は、家族としてフェーズが違うので別と私は考える
性欲によって愛を見失うというのは古典的な使い古されたテンプレートだが、なんだかそれ以上の問題がこのこじれにはある
フェミニズム的な考えと同じ方向性になるが、世の中に氾濫するパッケージされた性欲を自分の中に取り入れすぎるとパートナーに向ける恋愛感情や性欲がどこかで幻想の女体やエロ、女性性に犯されてしまい、バグってしまうんだと思う
なんとなくぼんやりずっと考えていたことだが、世間の市場においてエロと愛は切り離されてしまう、男性に向けたエロのメッセージは愛のない性欲のみに市場原理的になってしまうため、どこかで世間で消費されるためにパッケージされた性欲そのものと自分の中の気持ちと連動した性欲を切り離さないといけず、それを本能的に自分の判断で分別をつけられる男性と、できない男性がいるのだと思う※8割の浮気不倫はしょうもなく愛の問題なんかと無縁でただの性欲のせいなのであしからず
世間の性欲と自分の性欲、恋愛感情や愛を切り離すというのは、それらについて男性が語る様子を見るとただ良心に従えというような精神論ではなく、男性の感性、論理、本能、感情など様々なもので行われているようにみえる、そしてエロと愛を破綻させてしまう男性は自分でそれらの手段を持たず、世間的な風潮を取り入れることで生きている男性のように思う
私は世間に流れる情報を取り込むタイプなので、世間にある情報と自分の中の精神を組み合わせて理論を作る、おそらくその性質のせいでよりそう思うのだが、世の中に溢れる情報を統括すると、世間に流布された性欲と愛の理論は破綻している、何かピースが足りていないのだ
街コンに行くと、いつも何を話すべきか迷う。
人が集まる場だし、みんな軽い話題で盛り上がってるんだろうけど、俺はいつも違う。
女性たちは不思議そうな顔をしていたけど、そんなのはお構いなしだ。
だって、これは美の根本に関わる話なんだから。誰でも分かるだろう。いや、分からなきゃおかしい。
「たとえば、ピタゴラスの定理。a² + b² = c² なんて、中学生でも知ってるでしょ?でも、あの定理が持つ幾何学的な美しさ、理解してます?ただの数式じゃないんですよ、これは宇宙の秩序そのものを象徴してるんです。直角三角形の辺の比が、どうしてあんなに完璧に収まるのか、その背後にあるシンメトリーとバランス、これはただの計算じゃ説明できないんです。幾何学は、自然界に隠された美を可視化する手段なんです。あなたの顔のすべてのパーツはそれを示しています。もしかしてお気づきになっていませんか?」
女性たちは相変わらずポカンとしていたが、そんなことは全く気にしない。
「それに、円と黄金比ですよ。黄金比の美しさって聞いたことありますよね? φ(ファイ)という無理数、1:1.618...っていうあの比率は、自然界でも至るところに現れるんです。貝殻の螺旋や、ヒマワリの種の配置、果てはギリシャのパルテノン神殿まで。これらすべてが、幾何学的な美しさの証明なんですよ。建築家や芸術家たちは、何千年も前からこの黄金比に魅せられてきたんです。それが美の基準なんです。たとえば、あなたが好きな絵画も、おそらく黄金比に従って構図が決まっているはずですよ。あなたのお顔もまさにそのとおりで、僕はあなたが数学的に美しいことを証明できます。」
ここまで来ると、女性の一人が「えぇ〜?本当ですかぁ〜?」と、曖昧な笑みを浮かべているのが目に入る。
だが、その目に理解の色はない。いや、むしろ遠ざかっているかもしれない。
それでも俺は一歩も引かない。だって、幾何学は俺の人生そのものなのだから。
「次はもっと複雑な話をしましょうか?ユークリッドの『原論』はご存知ですか?あれは古代ギリシャで書かれた数学書で、数千年の間、数学の基礎として使われてきたんです。『原論』の最初の定義は、点は幅を持たないもの、線は幅を持たず長さを持つもの。これをもとに、無限に広がる空間の中で幾何学的な図形を描くんです。そして、その空間の中に、あらゆる美が存在するんです。アポロニウスの円錐曲線における楕円の美しさなんか、誰でも感動するはずです。見てください!ほらあなたの腕はアポロニウスと言えるし、あなたの全身は原論の誕生にすら資するべき存在と言えるでしょう」
彼女たちは完全に引いていたが、そんなことはもう気にしない。
「俺にとって幾何学は、ただの学問じゃないんです。これは美を追求する哲学であり、生き方なんです。人々がモナ・リザやアフロディーテ像に美を見出すように、俺はピタゴラスやユークリッドにその美を見出しているんです」
幾何学の美しさを語り終えた頃、ようやくふと我に返り、周囲の反応を確認してみた。
皆、頬に赤みを浮かべているが、目は明らかに遠く、何か別の世界に意識を飛ばしているかのようだった。
ひとりは下半身をチラッと確認し、もうひとりは、首元の鎖骨の付け根あたりをいじっている。
こちらを見ている女性もいたが、彼女の表情はどう見ても「本当にこの人何を言っているの…」という困惑そのものだった。
「ええ、そうですね……幾何学って、すごいですね……」と、一人がようやく口を開いたが、その声には熱意も、理解も、ましてや感銘など微塵も感じられない。
表面的に場を繋ごうとするその言葉は、俺が夢中で語っていた美の真髄が、まるで真空の中に吸い込まれたかのように、何も響いていないのをはっきりと感じさせた。
もう一人が、さらに微妙な笑みを浮かべ、「あ、そうなんですか……それで、その定理って、なんでしたっけ……?」と、曖昧に質問してくる。
しかし、それは好奇心ではなく、ただ適当に話を引き延ばすための、無理やりな興味に過ぎないことは明白だった。
俺はその瞬間、すべてを理解した。
ああ、やっぱりこうなるのか、と。彼女たちの心を動かすことは簡単でも、幾何学的美しさを彼女たちに理解してもらうことはできないんだと。
俺の語るピタゴラスの定理も、黄金比の神秘も、彼女たちにとってはただの退屈な講義に過ぎない。
彼女たちは、たぶん俺の年収や、俺の背景、俺の地位の話を楽しみにしていたのだろう。それが街コンで求められる「会話」なのだ。
「まあ、こういう話、ちょっと難しいですかね……」と自分から話を切り上げるが、内心、虚しさと諦念がこみ上げてくる。
俺は分かっているんだ。結局、幾何学の美を理解できる人間は、ここにはいない。
諦めが胸に染み渡り、俺はふと目の前のグラスを手に取る。
冷たい水が喉を通り、ほんの一瞬だけ現実感を取り戻すが、同時に心の中でつぶやいた。
俺は幾何学を愛している。それだけで十分だ。理解されなくてもいい。これが俺の誇りなのだから。
女性たちがどれだけ俺に興味を持ったかなんて、もうどうでもよかった。
最終的に、女性たちがどれだけ幾何学に興味を持ったかは知らない。
だが、俺の中では確信がある。
幾何学こそが、真の美であり、それを理解しない者は本当の美を知らないのだと。
彼女たちには理解できない美が、俺の中にある。それだけで、俺は満たされているんだ。
俺は腰を振りながらそう思った。
「焼き肉屋のマーケティング戦略の話だけなので、その差別の範囲というのは、例え民事訴訟を起こしたとしても受忍の範囲だろうと思います」
「いちチェーン店が、一定期間、この程度のキャンペーンをやることについて『男性差別』であるという議論を持ってくるのは、そもそも性差別の議論として間違っている」
「“これで何で女だけ安いんだよ”って言ってる男に本音を言うと、尻の穴小さいこと言ってるんじゃねえよ馬鹿野郎!女が安くてもいいじゃねえか馬鹿野郎」
「もう、ええわ。それを差別だと言い出したら、男もおしまいやで?」
「ええやんけ、別にそんなもん。そんなに高い肉ちゃうやん。高級店で言うんやったら、わかるけどな」
「だから“半額やから食べに行こう”っていう女性とも“なんで女だけ半額なんじゃー!”って言うヤツとも、俺は付き合わへんわ」
「牛角の女性優遇に文句垂れてる様な男はそもそも牛肉食う資格無いから野菜とお菓子だけ食っとけ。」
「どうでもいいんだよ。これに文句言ってんのは一生女と牛角行く予定の無い今世代限りで居なくなる悲しい独身男性だけだろうが。残念だったな。」
弱者男性とかチー牛という差別用語を使ってるアカウントも、調べたら男ばっかりだったんだよ。
本当に絶望したよ。
フェミがラスボスで、倒せば男性差別もオタク叩きも表現規制もなくなると思って女叩きしてきたし、colaboも叩いたし、暇空にカンパもした。
それらすべてが間違っていたのか?
どうすればいいんだよ。
街コンに行くと、いつも何を話すべきか迷う。
人が集まる場だし、みんな軽い話題で盛り上がってるんだろうけど、俺はいつも違う。
女性たちは不思議そうな顔をしていたけど、そんなのはお構いなしだ。
だって、これは美の根本に関わる話なんだから。誰でも分かるだろう。いや、分からなきゃおかしい。
「たとえば、ピタゴラスの定理。a² + b² = c² なんて、中学生でも知ってるでしょ?でも、あの定理が持つ幾何学的な美しさ、理解してます?ただの数式じゃないんですよ、これは宇宙の秩序そのものを象徴してるんです。直角三角形の辺の比が、どうしてあんなに完璧に収まるのか、その背後にあるシンメトリーとバランス、これはただの計算じゃ説明できないんです。幾何学は、自然界に隠された美を可視化する手段なんです」
女性たちは相変わらずポカンとしていたが、そんなことは全く気にしない。
「それに、円と黄金比ですよ。黄金比の美しさって聞いたことありますよね? φ(ファイ)という無理数、1:1.618...っていうあの比率は、自然界でも至るところに現れるんです。貝殻の螺旋や、ヒマワリの種の配置、果てはギリシャのパルテノン神殿まで。これらすべてが、幾何学的な美しさの証明なんですよ。建築家や芸術家たちは、何千年も前からこの黄金比に魅せられてきたんです。それが美の基準なんです。たとえば、あなたが好きな絵画も、おそらく黄金比に従って構図が決まっているはずですよ」
ここまで来ると、女性の一人が「へぇ〜、すごいですね…」と、曖昧な笑みを浮かべているのが目に入る。
だが、その目に理解の色はない。いや、むしろ遠ざかっているかもしれない。
それでも俺は一歩も引かない。だって、幾何学は俺の人生そのものなのだから。
「次はもっと複雑な話をしましょうか?ユークリッドの『原論』はご存知ですか?あれは古代ギリシャで書かれた数学書で、数千年の間、数学の基礎として使われてきたんです。『原論』の最初の定義は、点は幅を持たないもの、線は幅を持たず長さを持つもの。これをもとに、無限に広がる空間の中で幾何学的な図形を描くんです。そして、その空間の中に、あらゆる美が存在するんです。アポロニウスの円錐曲線における楕円の美しさなんか、誰でも感動するはずです」
彼女たちは完全に引いていたが、そんなことはもう気にしない。
「俺にとって幾何学は、ただの学問じゃないんです。これは美を追求する哲学であり、生き方なんです。人々がモナ・リザやアフロディーテ像に美を見出すように、俺はピタゴラスやユークリッドにその美を見出しているんです」
幾何学の美しさを語り終えた頃、ようやくふと我に返り、周囲の反応を確認してみた。
皆、頬に作り笑いを浮かべているが、目は明らかに遠く、何か別の世界に意識を飛ばしているかのようだった。
ひとりはスマホをチラッと確認し、もうひとりは、手元のグラスに注がれた水をいじっている。
こちらを見ている女性もいたが、彼女の表情はどう見ても「本当にこの人何を言っているの?」という困惑そのものだった。
「ええ、そうですね……幾何学って、すごいですね……」と、一人がようやく口を開いたが、その声には熱意も、理解も、ましてや感銘など微塵も感じられない。
表面的に場を繋ごうとするその言葉は、俺が夢中で語っていた美の真髄が、まるで真空の中に吸い込まれたかのように、何も響いていないのをはっきりと感じさせた。
もう一人が、さらに微妙な笑みを浮かべ、「あ、そうなんですか……それで、その定理って、なんでしたっけ……?」と、曖昧に質問してくる。
しかし、それは好奇心ではなく、ただ適当に話を引き延ばすための、無理やりな興味に過ぎないことは明白だった。
俺はその瞬間、すべてを理解した。
ああ、やっぱりこうなるのか、と。幾何学的美しさを解くことで、彼女たちの心を動かすことはできないんだと。
俺の語るピタゴラスの定理も、黄金比の神秘も、彼女たちにとってはただの退屈な講義に過ぎない。
彼女たちは、たぶん映画の話や、食べ物、旅行の話を楽しみにしていたのだろう。それが街コンで求められる「会話」なのだ。
「まあ、こういう話、ちょっと難しいですかね……」と自分から話を切り上げるが、内心、虚しさと諦念がこみ上げてくる。
俺は分かっているんだ。結局、幾何学の美を理解できる人間は、ここにはいない。
諦めが胸に染み渡り、俺はふと目の前のグラスを手に取る。
冷たい水が喉を通り、ほんの一瞬だけ現実感を取り戻すが、同時に心の中でつぶやいた。
俺は幾何学を愛している。それだけで十分だ。理解されなくてもいい。これが俺の誇りなのだから。
女性たちがどれだけ俺に興味を持ったかなんて、もうどうでもよかった。
最終的に、女性たちがどれだけ幾何学に興味を持ったかは知らない。
だが、俺の中では確信がある。