はてなキーワード: 古米とは
無洗米でない精米を買うと自宅で研ぐ必要がある。研ぎ汁となって捨てられる米の重量は我々が考えるよりもずっと大きく、全体の3%にもなる。つまり、5kgの米を買った場合、捨てる部分が150gもあるのだ。米5kgのうち約1合を捨てている。流し台から1合の米を流すのを想像してみたまへ。無洗米を買わない理由はあるだろうか。
古米は収穫してから1年以上経過しているので水分が抜けている。見た目ではそれほど大きな違いはないがはかってみるとなんと重量が5%も変化しているのだ。つまり5kgグラムの米を買った場合、新米は水分を250gも余計に買っているのと同じだ。そのぶん米の量が少ない。スーパーから米を買って帰るときに、レッドブル1缶を買ってかえるのと同じということだ。レッドブル1缶飲むと気持ちよくなるよね。翼ははえないけど。
メモっとく
精米してからの時間が味に効いてくるので毎日精米するのが最強だが、そこまで時間はかけられないので週末にその場で精米した米を1キロ購入してその日に炊いて冷凍するようにしている。一日で使い切るので基本的に生米は保管しないが一般的には精米済みのものを買うと思うのでその場合には米の保管は大五郎のような4リットルのペットボトルでよく米びつは買わなくてよい。米びつと違ってキャップが頑丈で虫が入れないので米びつ先生も当然要らない。
米の計量単位の「合」は昔の食事量が基準で、おかずが充実した現代は一合単位でごはんを食べないので計量は必要分のみを容積ではなくキッチンスケール使って重量でやるのが理にかなっている。1合を使うのは長さ測るのに尺とか寸とか使うより不合理。
生米の重量で1合は150g。これを炊くと炊きあがりは概ねその2.2倍の330gになる。生米と区別するために炊き上がり重量のことをごはんの重量と呼ぶことにする。ごはん180gが標準的なパックごはんの一食なので一食炊くには2.2で割った生米80g強をイメージしておけばよい。5kgの生米なら61食なので2000円ならだいたい米代で一食33円の計算。海苔巻きを作るときは海苔1枚につきごはん250g、外食と同じくらい食べたいならこばん300gで計算する。キッチンスケールは5kg計れるやつを持っておくと便利。
ステンレス製の大きなザルとそれがピッタリ入るステンレス製のボウルを一セット持っておくと非常に捗る。ザルの中で洗米すると全然作業効率が違う。ザルの中に計量した米を入れたらその下にボウルを置いてボウルに水を注ぐイメージで水道水を米にかけていく。一回目は米より水位が上がった時点でザルを持ち上げてボールに残った水を捨てる。無洗米ならこれで十分。白米の場合は水を張りながら米をグルグル手早く30回混ぜる→ザルを持ち上げて水を捨てるを繰り返す。グルグル回すのは米とぎ用の柔らかい混ぜ棒が売っているので使うと便利。洗米は冬でも必ず冷たい水でやる。ザルを上げたときにボールに残った水がだいたい透明になったらおしまい。3〜4回位で終わる。米の入ったザルをボウルにかぶせて水を米がしっかり浸る水位まで入れる。無洗米か白米なら40分(夏場は30分)しっかり水を吸わせる。吸水は本当に重要で銘柄以上に味に効く。ザルにあげた米は冷蔵庫で2〜3日はもつよ。うちはやらんけど。
吸水完了段階で生米の重量の1/3くらいの水を吸っている。ザルの水をしっかり切ったら鍋や炊飯釜に移して洗米前の生米の重量と同じ重量の水を加える。そうすると最終的に重量比で米3:水4になるはず。2合なら釜の中に700g(米300g.吸水100g,水追加分300g)入る計算。銘柄や新米か古米かにもよるが炊きあがりで660gくらいになる。無洗米は少し水多めでもよいがこの分量でも問題ない。炊飯器ならここでモードをセットして炊けるのを待つ。
圧力鍋で炊く場合はシュッシュの音が聞こえるまでは弱めの中火、聞こえたらそのまま加圧1分、そこから火を止めて20分放置。加圧時間が長いと鍋にこびりつくくらい柔らかくなるので注意。圧力鍋がシュッシュするまでの時間は火加減と米の量に大きく依存するがうちの場合は12分なので11分でキッチンタイマーをセットしておいて鳴ったら耳を澄まして、シュッシュの音がしたら1分セットしている。タイマーが鳴ったら火を止めて20分またセットしている。普通の鍋でも炊けるが最近やってなくて詳しくないので他の人に譲る。炊き込みご飯作るときは具を米と混ぜてから炊飯器で炊くと芯が残るので要注意。
炊飯器の保温が米を一番まずくするので冷凍は必須。女性用茶碗で150g、男性用茶碗一杯多めで200g、この範囲なら270mlの容器がちょうどいいのでこのサイズのレンジ対応の容器をイオンかどこかで入手しておこう。粗熱取ったらすぐ食べない分を一食分ずつ容器に入れて冷凍するのだがこのときちゃんとほぐして余分な水分を飛ばしておくとおいしくなる。ほぐすときはテフロンのフライパンの上でやるとくっつかない。
冷凍したごはんは食べるときに温めモードで解凍する。解凍した後にもう一度ほぐして冷ますといい。余計な水分が飛んで味のレベルが上がる。容器のままでも食べられなくはないけどこの一手間はすごく大きい。
味に効く要素は経験的には下記の順。あくまで主観。美味しいご飯を食べたかったら高い米を買うよりも炊き方でマイナスにしないことのほうが重要。
1. 長時間の保温後かどうか(負の要因)
4. よくほぐれて余計な水分が飛んでいるか
5. 精米したてかどうか
6. お米の銘柄
7. お米の産地
一人暮らしで米を炊くなら、量は合単位ではなく炊きあがりのごはんの重量単位で決めることと、十分な吸水時間をとること、保温しないこと、ここさえ気をつけてたらいい感じで継続できる。3合炊きの炊飯器で十分。
ワイは古古米でも一向に構わんのやけど、お前らは違うだろ?
そこの弁当は品数が多く、一品一品が丁寧でフライ系を除いたら大体どれも美味しくて
しかしコロナ対策の影響で、しばらくの間閉まり、数日はコンビニパンで過ごしていた。
セブンイレブンのコロッケパンはコンビニパンの中でも至高といえる。
あくる日いつも通らない通りからコンビニに向かうと、そこには魚屋があり、弁当があった。
その弁当はほっけがドンと効果音が付くような分厚さで、弁当の半分以上を占めている。
弁当恋しさと縁を感じ購入を決意。少々値は張るが、炭火で焼いているらしく、少し気分は高揚。
社内に戻り、弁当をあけると確かに魚はいいものだと主張するにおいが立ち込め、気分が高揚。
食してみるとほっけは脂が乗り切った状態を冷凍保存していたらしく、非常に美味。炭火で皮の可食部が少ないのは残念だがそれを差し引いてもおいしい。
しかし気分が高揚したのもこのほっけだけで、それ以外があまりよろしくない。まず漬物は安物と一目でわかるつけ具合で
なおかつ、量が少なすぎる。付け合わせの総菜は私の記憶が正しければ業務スーパーのやつだ。気づきたくない事実というものはどこにでもある。
そしていただけないのが白米だ。私的な表現を使用すると人間味がないのである。
この味には覚えがある。デイリーヤマザキのおにぎりだ。これはただの勘だが古米を洗浄しすぎるとこういった味になるのだろうか。
米を大事にしている私は少々残念ながらあの道を通り、あの魚屋で弁当を買うことはない。
米をついばむうちに、気がかりが生まれた。ほかの魚屋の弁当はどうなのだろうか。もしくは肉屋の弁当も同じく米がいただけないのだろうか
気もそぞろに仕事が片付け、家近くの商店街にいき、専門店の弁当を買いそろえる。
まずはスーパーの中にある魚屋が出しているお寿司。ここはスーパーが改装を行う際に遠方から移転してもらっただけに
魚の品質が高いので愛用している店だ。愛用しているがここも魚は美味しい。が米はいただけない。
どうも魚屋の弁当の米はまずいということは確定してもよさそうである。
次に口直しにお寿司屋さんで買ってきた弁当を食べてみる。うまい。シャリという違いがあるにせよ。雲泥の差は間違いなくあり、食べてみるだけで幸福である。
次は肉屋の弁当を食べてみる。ここのトンカツは遠方の友人が来るたびにお土産に買う一品で肉はだいたい美味しい。
しかし専門店だからと期待していなかったが、期待に反して魚屋よりは味があった。なんとも言えない気分になった。
最後にオーガニック野菜専門店の弁当で占めにする。野菜は甘みをあまり感じられず、野趣あふれる弁当なのだが
肝心の米がいまいちである。完全に予想外だが、これは察するに炊飯器古いのを使用している。変ににおいがついている
米そのものはたぶんきっとオーガニック故に質は悪くないはずだと思いたい。少なくとも魚屋よりはマシだ。ずっとずっとマシだ。
手帳を書くのは苦手というか全く書かないんだけど手帳好きがおくる少し早い来年の手帳の話。
いろいろなことを書く欄がある手帳ってあるじゃない。
目標とかはたまた夢とかを書くところのページの欄の面積が大きい手帳とかって苦手だわ。
予定は未定だし。
あれも出だしから残り何年あんだよ!って途方もなさを感じると共に
ずっと何十年先のこととか書けないわよ。
なんか売り場で見かけたところからして、
ごめん私そんなに意識高くないんだよという、
なんかほら私この手帳使いこなしてる系だけどそれがなにか?圧ぐいぐい出してく感じじゃない。
世界の時差地図とか鉄道路線図とかもらったものリストとか観た映画リストとか、
そうやって意識高い系の付録のページの地図やリストが私を追い込んでくるのよ。
我が強いというか。
私はそこまでは必要ないのそこまでは。
かといって無地の罫線だけのキャンパスノートでも芸が無いじゃない。
話変わるけど、
話しを戻すと、
罫線だけでも素っ気ないし、
といいつつなんか前好きだったB5スリムのちょうど手に持ちやすいサイズだった週間バーチカル手帳は絶版になってしまったし。
これに変わる手帳がないのよねー。
挙げ句の果てには
みんな本当は手帳どうやって書いていいのか分からない人が多いのかも知れないわよ。
自由に書けば良いじゃないのって書かない私が言いたいわ。
日めくりカレンダーも買ってみて日をめくるほどに1日を大切にしたいわねって微かながらの目標があったけど、
もうすでにめくるのすら面倒くさい、
チキンラーメンを作るときお湯を沸かすのはギリギリ面倒くさくないぐらいを上回るぐらい面倒くさくなっちゃって、
もう3月ぐらいで止まってめくってないのよね。
涙そうそうだわ。
きっと1ページみっちみちに書くことがなく、
後で振り返ってみたら私ってこの日白紙ねってなるのが嫌なのからなのかしら?ってその心理なのかな?って思っちゃうわ。
みっちりみちみちに1日書き上げたらなんかそれで満足感なんでしょうね。
私はそれ書く自信ないから、
きっとそれだわきっと。
まったくよ。
原因が分かったわ。
だから見開き1週間の
少なく書いても多く書いても
なんかそれなりに充実した感じの眺めの1日になるそういう手帳が好きなのかも知れないわ。
それか1日1ページの手帳の内容を
もうこれインスタの映え疲れと一緒だわ!
緑色だけで面白そうだからって買ってみたドリンクが甘すぎて飲めなかったって自戒も込めて
これは手帳疲れってことにしておくわ。
うふふ。
あんまり私は好んで食べないんだけど全粒粉の茶色いブラウンのパンのサラダサンドイッチとタマゴサンドよ。
通常の白い食材がちょっと自然風味漂わせる天然な感じの茶色い色になってたら、
なんだか自然に優しそうだったり栄養がアップされてる感じがすると思わない?
卵に関しては茶色い玉子の方が栄養あると思うけど一緒みたいで、
酷い話しこすったら茶色く塗った絵の具が落ちる場合のそういう玉子もあるから、
急須で丁寧に煎れたいと思っているホッツグリーンティーウォーラー、
ティーなのにウォーラーと言ってる当たりに矛盾を感じてしまうわ。
棚を探してみるわね。
急須って茶渋がある方が年季入ってて良い味出しちゃうんだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
日本人は、これほど差別的になったのか——。ニュースを見かけ、そう思った。「大坂なおみに漂白剤が必要、芸人による黒人差別」。
明治以降、西欧列強に追いつけ追い越せと、日本人は持ち前の真面目さで取り組み、ついにその「欧米人」の価値観に追いついたらしい。こうして欧米人と同じく『肌の色が黒いことは悪いことだ』という前提で、「人種差別だ」と叫ぶようになったのだから。
私が批判するのは「漂白剤が必要」と言った「芸人」ではなく、それを「差別」だと叫ぶ日本人のことである。欧米人の価値観に寄り添うことが「良い」ことであると信じ、疑わない人々である。
差別とは何か。それは、並列であるはずの価値を善悪に並べ替え、「悪」のレッテルを貼ったものを貶めることである。そうしてできた価値観というものは、文化に依拠する。当然だ。日本の「新米は良いけど、古米は悪い」という価値観は、コメのない文化、あるいはコメがあっても年に何度も収穫できる地域の文化であれば、形成されることがない。そして、この日本において、「肌の色によって人を分ける」という価値観はない。なぜなら、日本人は異民族との関わりが薄い環境で、文化を築いてきたからである。
それが、なぜ「肌の色」に価値を置くようになったのか。日本が見習った欧米の文化が、そこに重大な価値を置くからである。アメリカでは、いまも「彼が黒人だ」——つまりは「彼の肌は黒い」というだけで、殺意の対象となり、実際に殺される。肌の色の価値観は、人の生死がかかるほど重大なものである。
だから「肌が黒いこと」は「悪い」。これが欧米人の価値観である。しかし、時代が変わり、「肌が黒いこと」で「人を蔑んだり、殺したりする」のは「良くない」ということになったので、それを糾弾することにした。これが欧米文化の価値観である。つまり、「差別」だというのならば、そこには「肌が黒いこと」は「悪い」という、前提が存在しなければならない。それなしに「差別」という言葉は存在しない。
「でも、実際『肌が黒い』ことは『悪い』でしょう」——この価値観から抜け出せないのならば、では別の例を挙げよう。例えば、同じように公の場で「あの人の耳は小さすぎる。もっと大きい耳があったらいいのに」と言ったらどうだろうか。これは人々の糾弾の的になるだろうか。ならないのである。なぜなら「耳の形」については、欧米人も、それを見習う日本人も、強固な価値観がないからである。
では、これが「ファッションモデル」が「細すぎる」という話だったら? 「彼女に足りないのは、脂身でしょうね」。これはどうだろうか。その発言者がもし太っていたら、そこには笑いが起きるだろう。なぜなら、この場合、「太っている」ことに「悪い」という価値がつけられ、「細すぎる」ことには「良い」価値がつけられているからだ。ならば「太っている」ことを前提としたこの「笑い」は「差別」だと糾弾されなければならないだろうか。「肌が黒い」と言ったときと全く同じ温度で、人々は憤慨し「差別だ」と叫ぶだろうか。
「黒人に漂白剤が必要」。これがお笑いとして、面白いか面白くないかという話は別であり、この場合、完全にスベっているので、見ているこちらの心が痛い話ではある。が、そんな個人の話よりも、ここに「差別」を見出す——つまりは「肌が黒い」ことを「悪い」と疑わない日本人がこれほど増えたということには、欧米化のツケを感じずにはいられない。
当たり前のように、欧米の価値を「良い」ものとする日本人。今回の問題についてすら、欧米人にインタビューをし、当然のごとく得られる「差別はいけない」というコメントを記載し、日本人に欧米人の態度を見習わせようとする記事。このまま彼らの後をついていけば、私たちは日本にはなかったさまざまな「差別」を身につけるだけである。日本人が目指すものは、欧米にはない。彼らとは違う、私たちの行く先は別の方向にあることを知るべきである。
どうにかせんと行けないわねと思ってたんだけど、
新しく試しに買ってみたら何か思った以上不快なく快適で
汗かいてもすっと乾いて涼しい感じがするのってやっぱりプラシーボなのかしら?
そうそうこないだ、
脇汗とめる注射をキメてきたの。
痛くて麻酔するんだけど、
朝から飲んできたんですか?って
まあそんなこんなで無事終わって事なきを得まくったんだけど、
やっぱりこのシーズンそう言う人たちでクリニックは一杯だったわよ。
でさ、
面白いのが脇汗止まっても
他のところからその分を補うぐらい汗がドバーって出てくるから、
そうだから汗かいても快適な機能性繊維のインナーを試してみた一寸矢先の結果。
それがなかなか全私で大好評で、
1枚だけ買ってみたところ、
ちょっと買い足してみて
今年の夏はさらに快適になるわねって、
でもまだ梅雨入りもしてないのにもうこの有の様よ。
12月はどれだけ暑くなるのかしらって
いまやもう上方漫才でも言わないぐらいな暑さで、
これから先思いやられるわ。
あと水分補給もよ。
うふふ。
無洗米ですみませんと手間を惜しまない形で若干固めに炊かれたそのご飯は
イタリアではリゾット用で7年熟成させたお米で作るのが超絶美味しいんだって。
というか普通に7年前のお米を炊いて食べたらどうなるのかしら、
と思いつつパスタ半分折ったら茹でたら怒る信仰なのねと思った次第よ。
お味噌汁は面倒くさくインスタントお味噌汁アンド昨日作ったほうれん草のおひたしと納豆と豆腐でした。
1パック買ってきてアメリカンチェリーウォーラーにしてみました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!