はてなキーワード: 受診とは
健康茶からステロイド成分検出 国民生活センター「飲用者は受診を」
https://www.asahi.com/articles/ASR4D5S3QR4DUTFL00P.html
うつで精神科に通いながら仕事に行っているのだけれど、昨年末くらいまではそこそこ安定して過ごしていた。
でも、だんだん調子が悪くなってきた。年明けから悪化しはじめて、4月に上司が代わってからさらに気分が下降気味。
新しい上司は熱血漢かつ白黒はっきりさせたいタイプらしい。私を不審に思い、あれこれトラップをしかけて私を観察していた(仕事量を増やしたり、無理に接客させたり、ほかの人員がいる前で説教したり、うつを言い訳に仕事ができないのは甘えだとか罵ったり、厳しい発言のあと「お前のために言っている」だとか言ったり)。
そんなこんなを繰り返してついに動けなくなったところに、上司がこう言い出した。
「これからのお前のために、いやこの事業所のために、お前に関する客観的な情報を得たい。今すぐ病院に行け。自分も一緒に行く。医師と話をさせろ。休職が必要かどうか問う。日常生活についても意見を聞かねばならん。今すぐがダメなら定期受診に同行させろ」
なんでそうなる…
なんでそうなるんだ…
認知症のことが最近話題になっているからお昼休みに書いてるよ。
私は看護師の中でもそんなに賢くない方だから読みづらい文章になると思うけど。
いろいろな方とお会いしていると、やっぱり早め早めにいろいろなところとの繋がりを持つことが大事だと感じています。
ベタだけどとくに「人との繋がり」は強いカード。逆にいうと繋がりが弱い人はトラブルに脆弱だし、認知機能に限らず本人に余裕がなくなってくると人との繋がりが弱くなる。
防御力でもあり、ライフでもある感じ?
でも本人は嫌がる!どうしよう!……っていうのが界隈ではよくある悩みなわけです。
そもそもさ、最近ブクマでも「認知症は脳の死だから、安楽死を認めるべき」みたいな論説が目立って見えるくらいだからね。
「オレが社会的に死んだと思われる!」「死ぬべき存在になってしまう!」っていう恐怖は計り知れないと思う。そりゃ、どんなに困ってても否認したくなるのが普通だよね。
(スティグマの影響は本当に計り知れないから、本当にみんなが生きやすい社会になってもらいたい)
ですので、ホントに過剰に感じられるくらい、オーバーに相手の自尊心に配慮することがコツだと思います。
では、家族からの相談があって、過去に上手くいった事例を少し紹介するね!
普段から内科とかでかかっている先生がいたら、そこと連携するのはオススメ。いきなり精神科と心療内科とかはかなりハードルが高いよ。
信頼できる先生から言われると結構、聞いてくれたりするみたい。
配偶者の方も同じ検査を受けるから付き合って……などで上手くいくケースもありました。夫婦で検査となると一緒に行くってノリにもなりやすいですよね。
認知症という言葉はちょっと重たいので、そう伝えずに脳の機能検査と伝えるのがよかったケースもありました。
認知症の検査をすることで他の病気が見つかる可能性もある、という言い方も結構入りやすいと聞いています。
6.孫に協力依頼
孫は強いカード。
7.地域包括支援センター、保健所、警察と連携する
物盗られ妄想などで家族にも拒否的な場合には警察が受診支援をしてくれる場合もあります。
地域包括支援センターは普段生活しているとあまり関わりがないと思いますが、名前だけでも頭の片隅にいれておくといいと思います。
ご家族に認知症の方がいらっしゃると、本当にいろいろと大変なことばかりの生活かと思います。
家族介護者の教育的な支援やピアサポートなども以前に比べると充実してきていますので、ぜひご活用ください。
最寄りの役場などにも問い合わせてみましょう。
困っている方に「病気を理解し症状とうまく付き合うための支援」「本人や家族が地域とつながり続けるための支援」「当事者同士の出会いや関わりに対する支援」が届いて、お一人であるいはご家族で抱え込まずに済みますように。ご本人もご家族も自分らしく生きられますように。
地域包括で働いてますがこういう相談めちゃめちゃきます。おっしゃってるように70代ってそう言う世代なのかも。経験上なんですが、アルコール性認知症(若い頃から飲み過ぎで脳の一部が破壊されてる)ぽいなと思います。ご家族は苦労されたことでしょう。一度精神科へ入院させて服薬や作業療法で落ち着くかみてみるのがいいと思います。ただこれもめちゃめちゃある話なんですが、配偶者や家族が精神科だけは嫌ってなって受診頓挫する→もっと症状悪くなる、果ては犯罪、結局入院というケースも多いです。心を鬼にして精神科へ相談するのがおすすめです。現代の精神科は昔のイメージとは違って良いとこですよ。口コミも参考にしてみてください。方法としてはまず総合病院の相談員へ相談→精神科へ紹介状がよいかと。あとあまり知られてないですが、精神科には医療保護入院といって精神科医と家族同意のみで入院できるシステムがあります。なので本人が治療拒否してても入院できます👌あとは、こう言う時混乱されると思いますが、「誰が何に困っててどうしたいか」をまとめておくと整理できます。父は→なんも困ってない。病識ない、治療したくない 母は→暴力に困ってる?治したい?精神科は嫌? 増田は→…みたいに。お大事にしてください。
精神科の入院は5種類あって任意入院、医療保護入院、措置入院、緊急措置入院、応急入院がその5つ。
医療保護入院→精神保健指定医の診察の結果、精神の病気のために入院する必要があると判断されて、かつ家族の同意がある時の入院
措置入院→自傷あるいは他害のおそれがあると精神保健指定医2人の診察で判断した時の入院。通報などの手順が明確に規定されている。
病院側も体制(精神保健指定医の手があいているかとか)とか空き病床とか都合があるので、その日に入院できるとは限らないので事前相談がある方がありがたい。本人が嫌がる場合だと最初の受診がラストチャンスになりかねないので初回の受診は非常に重要。暴れる可能性がある場合は精神科単科病院(精神科がメインの病院のこと)だと屈強な看護師を待機させておくなど体制を整えてくれる場合もある。ただ、病院側としては診察していない患者さんを相談の段階で「入院できます」とは安請け合いできないので入院について相談員さんの歯切れが悪い場合もあることはご了承を。
暴力や暴言などの状況と何が困っているか、精神症状(妄想、不潔行為(=壁にうんこ塗ったりとか)などがあるか)、物忘れの状況、内科なども含めた既往歴・入院歴、コロナの時代なので風邪症状があるかとワクチン接種歴、内服薬、飲酒歴などは必須。症状はいつから、どのような症状がどれぐらいの頻度であるかなども必要。紙に書いてあると非常にありがたい。ただ、時々あるがA4の用紙で10枚とかを渡されても時間が無限にあるわけではないので読まれない可能性があるためできればA4用紙1~2枚までにしていただきたい(個人的に思っている基準なので精神科医によって個人差があるかも)。
非常に困難なことが多い。ある程度、本人が理解できるようなレベルであれば「眠れないこと」「気力がないこと」などをフックにすることができると良いが、病院サイドとしては自宅まで連れにいくことはできないので、ここは家族に頑張ってもらうしかない。
抗認知症薬(メマンチンなど)と抗精神病薬(選択肢は多岐にわたるが…)である程度大人しくなったり、怒りっぽさが抜けることが多い。認知症は不可逆な病気なので、うまくいかないこともあるし、治療の過程で拘束や隔離などの手段をとることはある。大人しくなった場合は病院側としては退院できればベストだが、長期入院になる場合もあるし、介護施設に転院するパターンもある。認知症ではない場合(せん妄、水頭症など)は完全に病前の状態まで戻る可能性もなくはない。
家族を精神科にかからせることについて抵抗がある場合があるが、個人的には家族にもそれぞれ人生があり共倒れになることは避けるべきだと思うので家族自身の人生も考えてベターな選択肢を考えたほうが良いと思っている。
入院を想定するのであれば検査なども含めて1日あけてくることが望ましい。たまにおられるが「昼から仕事だから早くしろ!」とか言われても困る。
小学校低学年の息子。
昨年初夏の頃、担任の先生から「授業中ボーッとしていることがある。また、みんなで何かをやるときあまり積極的ではない」という話を受け、もしかしたら……という思いから地域の小児療育センターの門を叩く。まずは親だけが話をしにいきひとまず検査をしようという流れになったものの、どうやらかなり忙しいようで、予約から半年以上が経って今年の頭に受診。二度の検査を経て先日結果が出てきた。
知能指数は平均でひとまず境界知能ではなかったことにホッとしつつ、特性としては「言葉を鵜呑みにしやすい」「社会的コミュニケーションが苦手」ということで、ASD傾向があるとの診断だった。
この話を聞いて、過去の自分のことを思い返していた(発達障害との診断は受けていない。多分そうだろうなというだけの感想)。
小学校〜中学校といじめられるというよりはからかわれる対象で、中学一年〜二年と登校拒否気味。周囲からの「優しい」という言葉を鵜呑みにしてパシリもさせられた(結果そうした扱いをしてきた小中の同級生とはほぼ縁を切っている)。中学〜高校と続けていたブラスバンドも音楽楽器ともに好きだけれど体育会系な部活形式が苦手でサボりがち。
就職してからは深いコミュニケーションが苦手なままどうにかこうにか改善を繰り返しつつ不惑を超えて転職回数二桁に達しながらも何とか年収の中央値以上は稼げているものの、自分の気持と職場環境すり合わせがうまく行かないことも多く鬱を患い薬をかじりながら何とか生きている状態で、いまも現職に嫌気が差していて(主に給与面と昇給がないこと)転職活動をしている。書類で落ちてばかりで、正直凹んでるけれど。
もちろんこうした自分自身と息子との傾向が同じとは限らないし、時代性として彼が大人になった頃は今の自分とは違う課題問題が立ちふさがるんだろうなと思う。
ただ、小学校低学年の段階でこうした診断を受けたことで、少しでも彼の人生の攻略法として使ってもらえればなと思っている。
親としては心配が尽きないけれど。
それにしてもどのタイミングでどのように本人へ伝えるべきか。
子どもに対する目下の悩みは、これだな。
認知症などで暴言のような問題行動が発生し家族が大変な場合、普通の病院や介護施設では介護される家族の意志を尊重しないといけない為ごねると入所入院させれないけど、医療保護入院(医者の許可がないと退院できない)制度を使って負担を軽減できる。
基本こっちは書かない主義なんだがお困りの様子なので私が父を精神科の保護入院まで持ってきた過程を晒す。参考にしてほしい。
私の父は80代後半で要介護1がついてた(これがめちゃくちゃ効いた。すぐ介護や医療のプロに繋がれた。申請してくれてた母に大感謝)だが、母が持病の悪化きっかけに認知症の初期に入ったための介護始まり、それををきっかけに父も一人暮らしになったので介護サービスの開始検討始めたが元々元記事のお父様の様な孤独ヒキこもり老人でコミュニケーションスキル皆無の上物忘れが進んで暴言炸裂のため(それでも元記事のお父様よりはマシな状態)担当のケアマネージャさんに母の介護プランも含め相談始めた。これがまず良かった。
担当のケアマネさん優秀な方で初めててで介護の右も左もわからん、もち精神科の入院まだ考えてない状態の私に今までの経緯はもちろん
*早めのかかりつけ医への相談と父への説明と説得をお願いする事(精神科入院にはかかりつけ医の紹介状が必要なため、この相談実績がいる。家族の状態がマシな場合はこれだけで家族の言うことを聞く時もある。この手の暴言吐くタイプの認知症の人は権威に弱くえらい人や医者には比較的素直)
*市役所や介護施設の申請方法(役所は申請主義のためとにかく早め早めの申請が問題解決のスピードを上げる)
*医療、介護は別分野なので職務責任やサービスが違うこと、できることとできないことをはっきり説明
上記を的確に指示してくれたので、かなり入院までの事務申請や他病院への相談の手間や時間を省くことができた。ケアマネージャは介護サービス運用の責任者で介護のキーパーソンなので大事なお付き合いである(但しハズレのケアマネさんもいるとわ聞いたわ・・)
上記のようにプロへの相談はとっても大事なのでなるべく相談先は確保
*地元担当地域包括センター。市役所介護窓口、相談することで困ってる度合いを自治体にアピールしていざって時の援助をスムーズに。もち情報は市役所他部門にも共有するので相談実績積む方がいい。元記事の方地域包括センター職員さんの訪問あるっぽいのでバッチリ記録残ってると思うぞ。市独自の介護サービス教えてくれたり暴言や暴力振るう患者も運んでくれるタクシーの紹介もしてくれたぞ!
*病院の医療相談員。入退院できる病院は基本ずっと患者に居てられると儲からないんで退院支援するんだけどこちらの担当がこの方々。でも病院内の介護福祉専門家なんでこちらでも相談できる。上記ケアマネージャさんと事務上の連携もいるし、退院時相談する事になるんで先にこちらも声がけしといた方がいい。
*もち家族を担当してくれたお医者さんや看護師さんには医療内容を報連相。
てな感じでガリガリプロを巻き込む。手間も時間もかかるけど結果ある程度の解決まではスピードアップできる。(但しこちらも当たり外れがあるといるとわ聞いたわ・・)
*家族が今まで起こした暴言や困った行動などの経過をなるべく日付つきで記録しておく。メモでもいいと思うけど私はGoogleドキュメントにまとめてメール使える医療機関さんには共有URL教えたり、共有URLをQRコードにしたり、コピペでメールに貼ったり、FAXしかない病院でも印刷してコンビニから送ったりしてなるべく家族の訴えをスムーズにした。口頭だけだとここでも時間取られて大変。
*介護申請してもサービス受けるの難しそう(介護申請して要支援1〜2、要介護1〜5認定降りるとサービス受けれることになる)なら元記事の方のお父様素人目には認知症っぽいので精神科の「物忘れ外来」って名前で地元の病院探して(地域包括センターでも紹介してくれる可能性あり)受診。認知症の診断できるの精神科なので、こっち先に受診してもいいと思う。元記事のお父様酒多いのでアル中の依存症で診断出る可能性もあり。うちの場合は医者にはまだ行く人だったけど精神科は嫌がる可能性あったんで「前の病院で診断書でた」と言ってそれ以外何も説明しないで精神科連れてった。バレないよ、どうせ認知機能落ちてるもん。
こんな感じで先にケアマネさんから紹介いただいた精神科に事前面会して、かかりつけ医&他の病院の紹介状添え医療保護入院となりました。入院したら早めに
*看取り(ぶっちゃけ死ぬまで)病院で面倒見ていただけるか?できないならそれに対応できる病院を紹介してほしい
まあ上記の様な経過で私の場合は一旦落ち着く状態には持って行けた。プレイヤー多いしいっぱい申請あるけど、ここまで持って行けたらだいぶ負担減るので元記事の方の参考になったら幸いです。なお
*暴言暴力家族が精神科のお医者様や看護師さんなどスタッフの方々に迷惑かけるんじゃないかと心配されると思います。私もしたんでスタッフの皆様に頭下げました。経過報告いただいたがちゃんと投薬調整していただいて大人しくしてる様です。それきいた私&旦那&息子's「プロすッゲーー!まじスッゲーー!!」
*「暴言暴力行うとはいえ家族の世話できないなんて」って悩むとても良い性格の方もいると思う。優しいなえらい!でも下手に素人が介入してっ事態ややこしくするよりプロに適切な介入してもらった方が暴言暴力家族本人のQOLも上がると思う。
結構ブコメ&コメントついてて同じような立場の人が多いなとは思った。「姥捨山」と言われる件については私個人としては「はいそうです」と答えます。
父の暴言については親子関係がガッタガタになる程度の言葉は吐かれたので、ぶっちゃけ父のQOLがあがろうが下がろうがどーでもいいと言うのが正直な話。何より父の暴言から家族を守りたかったので。ただ世の中私の様な薄情もんばかりではなく親御さんの介護問題について悩むめっちゃ良いお子さん方がいっぱいいると思うので、そうゆう人には「暴言暴力家族本人のQOLも上がる」と言いたい。実際問題私の父は認知機能落ちて飲まなければいけない薬の管理はできてなかったし、当然昔の人なんで家事一切できない、実家は荒れ放題で不衛生この上なく娘の私、介護のプロの介入も一切受け付けなかったので法的に申請できる私が対応した次第。
あと、医療保護入院利用して思ったのがちゃんと医師の紹介状や病院の相談員の介入がないと難しい仕組みになってること。上記の記事に登場する専門家みなさん介護福祉士、医師、社会福祉士、精神保健福祉士など皆さん見事に国家資格持ちの方々で、こちらの皆様は法律に則った運用しないと法律違反なっちゃう立場と思うので、患者の家族が患者の人権無視した行動したらそれなりの対応は取られると思いますよ。そこで患者の人権守るための仕組みを担保されてるのではないかな?とは思いました。
あとプロや詳しい方コメントで解説や補足ありがとうございます。助かります。
あともう少し補足
医療介護受ける際この書類は必ずいるので必ず実家から探して念の為写真撮ってクラウド上げてスマホで持ち歩くと各種申請や書類作成時便利。とにかくプレイヤーが多いのでケアマネさんや相談員の方の名刺や名札も失礼のない範囲で写真撮影してスマホ入れとくと連絡とりやすい。
*お金について
私と夫はフルタイムで働いてるのでまだ費用面についてはマシな方なんでこの辺りは調査甘いけど、病院も取りっぱぐれたくないのでパンフレットにたいてい治療費の相談窓口を掲載して各種医療費の補助相談乗ってくれる。介護もケアマネに相談できるんで諦める前にやっぱりまずプロに相談だ。
この記事は私が親の介護医療に関わって役たつなってことを紹介する目的なんで、父と人間関係上何起こったかを詳しく書く気はない。読んでいただいた方もそこは読みたくないと思うし、胸糞悪いよ。ただ母に関してはプロに頼りつつ腹括って介護する気ではいる。同じ認知症でも今までの生き様含め周りの対応に差は出るとは思うよ。独身でも周りに信頼されてる人も入れば元増田の親御さんみたいに認知症発症前から家族からの信頼0の人もいるし死に様はそれまでの生き様でるわ。
初めてなので少し緊張したが、閉所も暗所も平気なので特に何事もなく検査を終了。
待合室のテレビで夕方のニュース番組を小一時間ほど眺め、大谷翔平かっこいいなあと惚れ惚れしていると名前が呼ばれたので検査結果を聞きに診察室へ。
輪切りの脳や脳血管の画像などを見せられ、特に異常はなかった旨の説明を受け頓服薬を処方され帰宅。
何も問題がなかったのは良かったのだが、頭部を縦に真っ二つにした断面図が、あまりにも鼻が低く、口元が出っぱっていて衝撃的だった。
自分の鼻が低い自覚はあったけど、ここまで横顔ブスとは思っていなかったのでめちゃくちゃショック。
はあ〜。整形したいけど、鼻と口元って二重整形とかとはわけが違うよなあ。
骨格が不細工だと本当にどうしようもない。
思い返せば中学生ぐらいから「人と違うこと」に強い違和感を感じていた。
母も変わり者と言われていて、自分は「変わった親を支える健気な息子」という謎のラベルで分類されてて同級生からは「変なやつ」扱いされていじめを受けることもあっても地域や家族や親戚からは普通に接せられたため学校だけが特殊な空間だと思っていた。
父は吃音症を持っていて古希を迎えた今でも時々電話口で吃ったりしている。母は母で何の病気か分からなかったが精神的な何かを患っていたようだった。母の実家は、どうやら部落の歴史を持っている地域らしい。母方の祖母は看護婦だったが、民生委員の方と何か地域の活動もしていそうだった。母方の叔父は、なかなか定職につけないと言われていた。政治絡みのニュースを見たときや何かしら挨拶などを求められると「共産主義がどうのこうの」と呪文を唱え始めるので近寄り難かった。ボソボソ話していたので内容は全然記憶にない。母は若くして亡くなったがその葬儀の席でも呪文を唱えていたので憤慨したことを覚えている。母方の祖母も数年後追うように亡くなり、この叔父は施設に保護されているそうだ。
父方の祖父は戦時中に亡くなっている。父が1歳のとき、父方の叔母が祖母の胎内にいるときに満州で戦死したと聞いている。そういえば母方の祖父にもあったことはない。どちらも祖母はきっと女手一人で二人の子供を育てたのだろう。今、身近にいる子育て世代を見ていると恐ろしい時代だなと思うけど。
自分は昔から不思議と「良き先生や良き先輩」に恵まれると言われる。これは34年間はっきりと発達障害を認識するようになるまで酷いストレス下に晒されて精神を壊されるという経験をしてこなかったことが紛れもない証明のように思う。震災のときに大学を卒業して、無い内定だったときは凄い絶望感だったが当時はそれほどなかった「就職支援サービス」に助けを求めたら1年以内に上場企業の事業子会社という良縁に恵まれたこともあった。
昨年末、父は家族同伴を求められる大きい手術を受けた。その関係で実家と居住地を往復するなど体力的に厳しい日々を送った。加えて昨年下半期、所属部署が人員整理の対象になっていて転職するかどうするか本格的に検討を求められていた。人がどんどん減っていく中で責任ばかりが増大するそんな日々を送ったので年が明けてからとうとう体が悲鳴をあげるようになり休職することになった。
心療内科に初めて通ったのでついでに色々と検査もしてみたが、その中で「発達障害の疑い」も見つかった。
それからASDやADHDについてあれこれ調べたりする中で、昔からの違和感について発達障害だとすると説明がつくようなことが実に多い。ようやくはっきりとしたものが見つかりショックを受けるより今は安堵している。
担当医師によると診察の僅かな時間をみるだけでも「多動障害」のような動きが見られるらしい。しっかり診断するには知能テストを受けてもらう必要があるということなので高額ではあるが一生付き合うだろうし受けることにした。
自分は安堵しているがこれを家族や勤務先はどう受け入れるのかは謎だ。ただ私に早い段階から心療内科の受診を強く打診してくれた同僚は、1年前に休職したときに同じように知能テストを受けたらしい彼はグレーゾーンという結果だったそうだけど自分は恐らくはっきり診断されるんだろう。多動障害は多くは大人になると解消されるそうなので相当根強い何かがあるんだと思うし、多分遺伝的なものもあるんだと思う。
父は母についても認めたくなさそうだったから、息子も病気があると認められるとショックを受けそうで対面でじっくり話さないと駄目だろうなあと思っている。
恋愛については避けていたが、紹介したい人がいるという話をありがたいことに頂いてからこういうことが明らかになっている。父もいつまで元気じゃないということがわかった今、診断を受けて次のステップに動ければいいなあと思う。
セルフケアとは、個人が自分自身の健康や福祉を促進するために自発的に取り組む活動や習慣のことを指します。セルフケアは、健康状態を維持するために日常生活で行われることから、病気やけがの回復を促進するための特定の取り組みまで多岐にわたります。
セルフケアの例としては、健康的な食生活を維持すること、運動をすること、ストレスを減らすためのリラックス方法を見つけること、適切な睡眠をとること、病気やけがの治療を支援するために薬を正しく服用することなどがあります。また、定期的に医師や歯科医師、精神保健専門家などの専門家を受診することも、セルフケアの一環として重要です。セルフケアを行うことで、個人は自己管理能力を向上させ、健康的なライフスタイルを維持することができます。
別のガンで母を亡くした増田見て、まさかうちのことじゃないかと思ったらステージⅢの診断から始まってて(=うちではない)、そんなによくあることなのか、と改めて
1か月の節目で何か書こうと思ってたけど新しい話題がなくて結局書いてないんだけど
うち(anond:20230214195255)の場合の経緯(というより気づいた異変)を書いてみる
体の痛みの話をよく聞くようになった(本人はぶつけて悪くしたと思っていた)
・定期健康診断で肝臓に関する数値が基準値の3倍を超えていた(母本人は特に見せなくて、死後に結果の紙が出てきて知った)
<11月>
・代わりに買い物を頼まれた(普段使っていた路線バスに乗りたくない(ワンステップバスに当たると乗降が辛い)という趣旨で代わりを頼まれた)
・異様な便秘があり(おそらく健康診断の値について聞くのを兼ねて)、信頼していた内科を受診する
→薬を貰う
→効かないので再受診
→CTを撮るも「造影剤を使って撮り直さないと分からない」という結果で、大病院に行くことを求められる
<12月>
・年明け最初の診察日、 結果は乳がん転移性肝がん、治療を行った場合死亡する可能性が高いという告知
即日入院を求められるが、無理を言ってその日だけ帰宅(これが自宅で就寝した最後の日になった)し翌日に入院する
この転院自体はおそらく母にとっていい出来事だったと思う(1日120分まで面会が許可されたほか、医師の判断でおやつの持ち込みが許され持って行ってあげた)
ご飯が転院前は普通のご飯だったのが、転院後はおかゆに変わって助かったという話を聞いた(完食して嬉しそうな日もあった)
・第1週の某日、午後9時ごろに病院から意識が亡くなっているという電話が来て直行する(自宅から30分)も、到着時には心肺停止
亡くなる日には変な兆候があり
・コップで水を飲むことができなくなり砕いた氷で水分補給していた
・異常なレベルで光に過敏になっていた(照明を常夜灯にし、カーテンを閉めてほしいと頼んできた)
・何かを話そうとするも、なんの話題かどうか思い出せなくなり結局話せなかった
(唯一、私の鼻水の音を聞いて風邪の心配はしたので、死ぬ間際まで子どもを気遣う能力が残っていることに感心)
後から考えれば謎の便秘は高カルシウム血症の症状で、がんが骨に転移すると起きる症状に他ならなくて
「がんが骨を壊して、酷い便秘を起こす」なんていうのは全然思い当たらないしもうどうすりゃ気づけたんだよ、という気しかしない
普通にうつだと思う。これが加齢による衰えと絞っていてほかの原因を模索できないあたりも思考が狭まるうつ特有の症状だ。
病識がなく、加齢のせいだとおもったり、自責的になっているところ、将来の希望が持てないことなども含めて典型的な鬱の症状です。
易疲労、浅眠、性欲の低下など身体症状も、鬱で説明が付きます。
たいていは大丈夫と思いますが、甲状腺機能低下症など内分泌疾患でも鬱と似た症状が出ることがありますので、精神科や心療内科の前に内科を受診してみても良いかもしれません。
心配なのは、病院にかかることすら億劫で難しい場合があることです。信頼できる友人やご兄弟などご家族がいらっしゃいますでしょうか。
1000人規模の会社にお勤めとのことですので、おそらく専属の産業医の先生や保健師さんなどに相談しても良いかもしれません。つながりのある病院さんがあるとよいです。産業医の先生はメンタルヘルスに詳しくない可能性はあります。
お大事になさってください。
これは"女性ホルモンが多かった頃に比べたら"という相対的なものね
生理による情緒不安定や体のだるさがなくなったから、平均してやる気が高い状態になってるってこと
ゴミみたいなコード直したりするようなめんどくさい仕事とかはやる気でないよ
あと外見と自認する性別がかなり近い状態にあるから、余計なこと気にせず仕事に打ち込めてるのもある
性別関係なくどうのと言われても、自分は自分のことを男性だと思っていて、
男性として扱ってほしいし、手術して見た目が男性になるまでは「見た目と中身のズレ」がすごかった
手術して胸のない自分を見て始めて「これだよこれ!これが本当の自分だ!」って嬉しくなったよ
大浴場が嫌いな人って珍しくないんだね
日本で旅行したりリラックスを求めるとどうしても温泉という文化から離れられないんで、大浴場に入れるようになりたい
大浴場が苦手すぎて公衆浴場でのタオルの作法とかもわからないから、勇気出してみるよ
そもそも男女で尿道の位置が異なるから、竿に相当する補助器具がないとまっすぐ飛ばない
すげー力んでスピード感のある放尿ができればいいけど、竿がないと尿のエイムがゴミでショットガンみたいになる
日本で生活するなら座りションオンリーでもなんとかなりそうだけど、海外旅行がネックだね
胸がついてた時は自分の体見られたくなかったから服脱がなかった
相手のおっぱいは見たいけど自分のおっぱいは見せたくないっていう非対称性が嫌ではあった
背も163cmしかないから、チビの30代男性独身VTuberオタクエンジニアだよ
生理について理解のある彼氏として一瞬彼女がいたことがあったけど、
ここから本編
診断書を取るために1年弱の通院
生い立ちとかもそうだし、金銭的に自立できているのか聞かれたりもする
当時の増田はベンチャーのエンジニアで、コロナ前からリモートが当たり前だったから、トイレや制服の問題で行きづらいなどはなかった
オフィスもあったけどマンションの1室だったからトイレは1つしかないし男女共用。掃除も自分たやる
「女の子がプログラミングなんて珍しいね」なんて言われる昔からプログラミングやってた(スト2みたいなゲーム作りたかった)から、そこは他のFTMより楽かもしれない
手術費を貯めるにも女性はそもそも給与が低いから、そういった意味でエンジニアでよかった
外からはわからないので、手術をして婦人科を受診してそれがなくなっていることを証明しなければいけない
胸はガチでつるぺたなら取らなくてもいいかもしれないけど、大体の人は取る
「近い性器」は男性ホルモンによってクリトリスが肥大化することで、それを小さいペニスだとみなすことでOKという扱い
パートナーに挿入したいとか、諸々の事情がある人は200万以上かけてちんこも作ることができる
その場合「腕や太ももに尿道となる管を埋め込んで1年くらい定着させて剥ぎ取ってちんこを作り、クリトリスの神経を移植する」という大掛かりなもので、
下手な手術をしてしまうと尿のトラブルを抱えるので、9割のFTMはちんこを作らないで、クリトリスが進化したポークビッツのまま
でも子宮卵巣、特に卵巣を取るとホルモンバランスが一気に崩れるから、ホルモン注射を半年くらいして男性ホルモンを増やしてから子宮卵巣を摘出することが健康上良いとされている
だから胸(保険適用)→ホルモン注射(保険適用外)→子宮卵巣摘出(保険適用外)という流れが最安のルート
でもどちらの手術も1週間くらいのダウンタイムがあるので、自分はホルモン注射を始めてから、子宮卵巣と胸をタイで同時に取ることにした
生物学的にも亀頭とクリトリスの先端って元は同じらしいので、男性ホルモンが濃くなってくるとクリトリスが肥大化してくる
今はポークビッツをちょっと切ったくらいのサイズで、挿入はできそうでできない(固くなりづらいから)
ちんこがない男性として生きてはいるけど、「デカくできるもんなでデカくしたい」と思っているので、たまにチントレといって男性もやるような吸引ポンプで伸ばしたりすることもある
毎月生理が来るたびに自分が女性であるということを突きつけられる気がしてマジで死にたくなってたレベルで 生理用のショーツも使いたくないから、ナプキンをボクサーパンツに無理やりつけてた
ちなみに汚物入れはトイレットペーパーの芯捨てたりするから残してるけど、これがある状態で家に女を入れると「同棲してる?」って言われるw
半年するといわゆる声変わりが起こってきて、思春期の男子みたいに声が安定しなくなった
声が低くなるとAPEXなんかのゲームでもVCつけて戦うようになった
声だけで男だと思ってくれる人がいて嬉しかった
男性的に見せたいから筋トレをしていたけど、筋トレの結果が体に現れやすいのはとても楽しい
あとすごいお腹が空く
男性と女性では脂肪の付く場所が違ってて、それが男性に近づいてくる
バイタリティーがよくなるっていうのかな?どんどん仕事する気力が湧いてきて、チャレンジングになる
多分好戦的というか暴力的というか、いわゆる粗暴な行動みたいなのはここからくるのかもしれない
うちはそこそこひげの生えている家計なので、それに近い感じになる
最初は口周りとか顎のひげが生えてきて、最初はT字カミソリでよかったのが、5年もすると電動が必要になる
髭があるだけで男性的に見えるので、最初の頃は嬉しかったけど、どんどん髭剃りが面倒になってくる
胸についてはナベシャツで胸を潰しまくってる人は形が悪いから、胸を取る時の技法が変わるらしく、
ナベシャツは圧迫感がすごくて呼吸しづらいから、家にいるときはブラトップ(ブラジャーは絶対つけたくなかった)だったのでふつうの切開だった
ちなみに乳輪がちょっと小さくなる
子宮と卵巣はお腹を切開して取った 国内だと腹腔鏡でできるらしい
傷が残りやすいケロイド体質の人はそこにタトゥーを入れたりすることもあるとか聞いた
「ボーイッシュな女性」というものがある程度許容されている現代において、FTMとボーイッシュな女性を区別するのは難しいかもしれない
自分は「ボーイッシュな女性」だと思われるのがすごく嫌で、女性だからという理由で荷物を持ってあげようとか、仕事変わってあげようとかそういうのが嫌すぎた
この辺の区別ってとても難しくて、自分も「言ってもわかってくれないだろうしまあいっか」で済ましてたこともあった
だから「女性という枠の中のボーイッシュな女性」という見方じゃなくて、「そういう人もいるよね」くらいで済む時代が来てほしいな
性的な対象は女性なんだけど、それもあんまり表に出してなかった
でも「頼れるアネキ」みたいな立場で親しくしていた女性が「ひげも生えて筋肉質な男性になっていく」なんてある種ぬいペニ現象だよね
別に女なら誰でも好きってわけじゃないんだけど
男子トイレに入るには女性っぽいし、女子トイレに入るとギョッとされるし
女性はトイレで雑談したり化粧したり滞在時間が長いけど、男性はさっと入ってさっと出るから他人を気にすることもないだろうと
でもシャワーは使わないで、ジャージの中に運動着来て出入りしてた
最近都内で流行ってるシャワーなしでそのままの靴と服装で出入りする系のジムはいいね
女性である自分の体を見るのも苦痛だった人間だから、そもそも人に裸を見せるのが嫌
今は筋肉も付いてるし見た目も男性っぽいけど、ちんこないし、大浴場しかないビジネスホテルとか泊まりたくない
立ちションが出来ない(道具を使えばできるけど衛生的にしたくない)から、基本大便器を使う
小便器が空いてても入れないから、大便器が混んでたらそこに並ぶ
FTMだと知らない友達に「開いてるじゃん」って言われるけど、「お腹痛くてさ〜」とお腹が弱い男性のフリをしてトイレに入っている
2019年の暮れ、中国武漢市で発見され、翌年客船経由で日本にて蔓延が始まり、2月より世界的大流行となった新型コロナウィルス感染症。
政府や医療系の有識者などからはマスク着用や自粛の要請がなされた。
一方で私は、ノーマスクandノー自粛で暮らしてきたが、まったく体調は崩していないし、他人に害を加えられたこともない。
そんな私が3年間で続けてきたことを3つピックアップして書いていきたい。
外に出てみると、誰も周りにいないというのにマスクをしている人ばかりだ。
本来マスクは感染対策として着用するものだが、そういうところでつけていても意味がない。
一方で、人と人との距離がどうしても近くなり、マスクの着用が効果的といわれる場面もある。
その最たる例が公共交通機関だ。
航空機(日系航空会社に限る)はマスク着用が強制で、未着用の場合客室乗務員に注意され、(その他指示含め)従わない場合搭乗拒否となる。奥野淳也(マスパセ)氏の一件が有名だ。
ちなみにあるTwitterユーザーによると、全日空はその理由を「不安がる客に配慮するため」としており、感染対策がおざなりになっている印象を受けた。
バスは会社による。筆者は西東京バス(八王子駅~サマーランド線)にノーマスクで乗車したとき、乗務員に注意されたことがある。
一方未着用者を追い出して行政処分を食らったところもある。
鉄道はほとんど強制してこない。一応マスク着用の呼びかけはしているが、「国土交通省からのお願い」とどこか他人事のようだ。
改札口をノーマスクで通過しても、すぐ目の前にいる駅員は何も言わない。こちらをしっかりと見ているはずなのに。
ホームに降りる。監視カメラで見えるし、なんなら構内放送で注意できるのに、やはり何も言わない。
そのまま電車に乗ったが、注意されることもない。
Twitterを見ると「ノーマスクを殴りたい」「控えめに言って死ね」などと物騒なことを言ってはいるが現実はそうでもない。
周りはこちらのことなど気にしないし、なんなら隣に座ってくる。
目立とうと思い、その場でデレステのMASTER+(かなり手を動かす)をプレイしてみたが一瞥だにされず。
もし殴りたいなら殴ればいい。穏便なやり方で済ませたいなら口で注意するなり、通話装置で乗務員にチクればいいはずなのに。
乗務員に通報すれば施設管理権で追い出すことができ、運が良ければ警察行きにすることもできます。
(車内の通話装置は非常停止ボタンではありません。乗務員と通話できるだけで運転見合わせにはなりません)
「ヤバい奴と分かっているから何もしないんだ」と言われるだろうが、これも怪しい。
ヤバい奴だと思うなら、それを避けることだってできる。別の車両に移ればいい。
乗務員へチクりるにしても、離れたところでやればこちらに知られることがないからリスクはさらに低い。
それすらもできないならできないでそっと離れればいいのに、なぜかそうしない。
いやホント、Twitterで愚痴を言うくらいなら勇気を出した方がいいですよ。
中には「顔に自信がないからマスクする」「マスクはマナー」と頓珍漢なことを言う人も出てきた。
当然法で定義されたものではない。調べても色々な人が全く異なること、下手すると正反対のことを言う。
どこを探しても各論的なものしか出ず、誰かが言うたびにその種類は無限に増えていく。
(最近は「マナー講師」とかいう、嘘をでっちあげるビジネスが横行しているそうだが)
「人を不快にしないのがマナー」としても、その基準は人によって大きく異なる。
その論理でいえば、無感情な人の前ではマナーは存在しないし、自分を嫌っている人の前ではどう策を講じてもマナーを履行できない。
結局のところ、「マナーを守れ」というのは「自分が気に入らない」ということなのだろうか。
しかし今ではその目的を見失い、マスクすることそのものが目的と化している。
おそらく周りの乗客もマスクの意義についてはよく理解していないか、薄々疑問を感じているのだろう。
しかし日本の文化上権威の申すことや周りと同じことをしないのは社会的デメリットが大きい。
だから嫌々ながらも、あるいは何にも考えずにマスクをしているのだろう。
…と思ってTwitterを見てみると、「私だって苦しいのに」「みんなやってるのに」という、仮説ドンピシャな投稿多数。
要は小学生が学校でよく言う「みんな苦しいけど頑張っているんだよ」「障害持ってるあの子もやってるんだよ」的な代物だ。
(後者は障害者を見下したうえで無理やりやらせている気がする点人権的にいただけないが、ここでは論じない)
大人になるとなまじ知識があるからこれをカムフラージュする言説を組み立てられるが、これは非常にわかりやすい。
それに匿名を前提としたインターネットのことだ、案外リアルでは影響がないのかもしれない。
過激な意見は目につきやすい(閲覧回数が増え、拡散されやすくなる)からどうしても検索上位に来る。
それはインターネットでは目立つが、実生活では無視できるくらい小さな意見なのだろう。
そういえば、インフルエンザのときはマスク着用者や感染者を見下していたくせに今となっては手のひらを返した小説家の医者がいたっけ。
世界的パンデミックとなった当初は世界各国が都市封鎖及び外国人渡航者の受け入れ停止をしていたため、海外旅行へは行けず。
日本国内でも外出や旅行の自粛要請、それを踏まえた各種イベントの中止などがなされた。
だが交通機関は普通に動いていた。航空路線は大幅減便があったが、それでも移動には影響しない。
従って旅行も自粛しなくてよいと判断し、感染拡大前と同様の行動をとった。
とはいえ1年目は、入国関係で支障をきたすことへの不安から海外旅行はできなかった。
そこで沖縄旅行にとどめることにした。当然ながら全行程ノーマスクである。
沖縄本島は高校の修学旅行で行ったので、ここは簡単に回る程度にし、主として離島を回ることにした。
初日、羽田を出てまずは沖縄本島へ向かった。ここを経由し粟国村で一泊。
次いで本島に戻り渡名喜村、その後は北大東村、最後に与那国島を観光。
航空機・船舶路線がないところ(ナガンヌ島、黒島、水納島など)に行けなかったのは残念だったが。
その後各国が入国者受け入れに寛容になったので、海外旅行もスタートした。
すでに5回渡航しているが、最近だと、数日かけてシチリア島からコペンハーゲンまで列車で縦断した。
成田からシンガポールを経由(ついでに空港のシャワーでひとっ風呂)し、早朝にミラノに到着。そのまま午前の便でパレルモへ飛んだ。
列車でパレルモ中央駅に出て、正午過ぎの寝台特急で24時間以上。今の日本にはない列車の船舶積載も体験した。
ミラノからは特急でヴェネツィアへ。これだけで1日が過ぎてしまったのでまた寝台特急。初めての国際寝台列車でシュトゥットガルトへ。
ハンブルクへ向かい、ミニチュア・ワンダーランド(模型遊園地)へ。
さすがに疲れたので、その日はここでホテルを取り、翌日電車でコペンハーゲンに到着。
で、SASの直行便にて2月半ばの金曜日に帰国した。そのまま土日で東京ドームにコンサートへも行った。
このときから政府の指針により声出しOKとなったうえ思いっきり「密」だったが、やはり健康そのものだ。
感染拡大当初はともかく、自分以外にも自粛などしなくてよいと考える仲間がいたのが心強い。
普通に外出をし、飲み会をし、と人生を楽しんでいるようで何よりだ。
ある日のサンシャイン通りは人でごった返す中、外出自粛を呼びかける豊島区役所職員の声がむなしく響いていたのが印象的だった。
(ちょっとかわいそうと思ったが、本人は職務上やらされているだけで本心はバカバカしいと思っていたりして)
ここでは、行動というより気の持ちようについて話したい。
タイトルの通り、「お願い」「要請」と「義務」「命令」は異なるものだ。
後者は守らない場合に何らかのペナルティが科せられるが、前者は無視しても問題ない。
日本政府は「自粛『要請』」「休業『要請』」などと、「要請」しかしておらず、受けるかどうかはこちらで決められる。
一応「強い要請」もあるが、「お願いします」が「しなさい」になった程度でやはり無視することができる点は変わらない。
言い換えると法的根拠がない以上ペナルティを持った法的拘束力はなく、すなわち自由にできるわけだ。
そもそも自粛したところで何の見返りがあるのか。ないのであればする意味はない。
「自粛と保障はセットだろ」といわれたが、国が何もしない以上こちらが義理を尽くす必要もない。
「お願い」=「義務」という言説があるが、きちんと文字と国語辞典を読めと言いたい。
どこをどう解釈したら「お願い」が「義務」に飛ぶのか。そんなことが書いてある辞書がどこにあるのか。論理を飛躍させるな。
お隣さんが言おうが政府が言おうがお願いはお願い以上ではない。守る義務はない。
いったいいつから「発熱外来は真面目に要請を守っている人だけのもの」になったんですか?なってませんよね?
どこにも「外出自粛していない人は当院の受診をお断りします」なんて貼り紙はないし、ましてやそういう法律もない。
よって、どうしていようが体調を崩したら病院を受診する権利は誰にでもある。
そもそも、政府の「お願い」レベルのことを聞かないだけでだ。いつまでたっても権利が来ない義務を守り続けないだけでだ。
そんなことで壊れる社会なのですか?
その程度で壊れる社会だったら壊れてしまった方が、そして各個人がもっと自由にふるまっても壊れない社会にした方がいいのでは?
ここまで私のノーマスクandノー自粛暮らしをつらつらと書いてきた。
当然ウィルスは見えないので、こちらが感染したかどうかはわからない。
しかし1つだけ言えるのは、感染して発症するかだとか、それでどうなるかは結局のところ運でしかないということだ。
家の中でもマスクして趣味をいくら我慢しようとも感染するときはする。体調が悪いときは悪い。死ぬときは死ぬ。
どちらも確実ではない。神のみぞ知る確率でどれかに行きつくだけだ。
(素人が適当に確率を言おうとしているものもあるが、大概不正確だ)
ちなみに、私はこれでも3年間一切体調を崩しておらず、毎月PCR検査を受けているが陽性判定が出たことはない。
これは私が就労移行支援事業所で訓練を受けていた時に体験したことです。
入所して半年ほどたった頃、事業所施設の代表からご自身が大学で受け持っている福祉関係の授業の中でリカバリーストーリーを発表してほしいと頼まれました。
なんとなく流れで承諾してしまいましたが、よく考えるとリカバリーストーリーは当事者がその体験を共有して糧にするもので、支援者の卵とはいえ大学生の前で発表するのはちょっと違うのではないかと疑問に思いました。代表は実際の授業で、学生にたいしてこれから君たちが支援する人たちがどんな人たちなのか肌で知ってほしい、と言ってましたが、こういう分野で学んでいる学生さんは施設での実習が必ずあるでしょうにと内心納得がいきませんでした。
私は20才前後で初めて精神科を受診しましたが、正しい診断が出てそれに沿った処方薬が出されて症状が安定するまで16年かかっています。今は前向きに生きてはいますが、せめてあと10年早く正しい診断が出ていたらと思うことも時々あります。
若くて希望に溢れているように見える学生さんたちを目の当たりにして、発表の内容も相まって自分が学生さんたちと同じ年頃のときに自殺未遂を繰り返していたことがとてもリアルに思い出され、発表中はフラッシュバック寸前の精神状態でした。あの場でパニックを起こさなくてすんで本当によかったと思います。
もちろん学生さんたちが若くて生き生きして見えるのは表面上のことで、実際はいろんな悩みをかかえているでしょうし、もしかしたらあの場にいた学生さんたちの中にも、心療内科や精神科に通院している方がいらっしゃったかもしれません。
しかしやはり私と彼らの人生の差というものに思いを馳せずにはいられませんでした。引き受けたことをとても後悔しました。
もともと施設でプログラムの一環として取り組んでいたリカバリーストーリーですが、作成当時から苦しかった時期のことを書いていると気分が落ち込んで大変でした。何度か代表と担当の職員にリカバリーストーリーを書くつらさを訴えたのですが、あまり深刻に受け取ってもらえませんでした。この辺りをよく考慮して断ればよかったのですが、私は当時まだしっかりした自己主張ができるまでには回復していませんでした。
事前に渡された発表の原稿には代表の手で補足の文章がたくさん入れられていて、赤ペン先生に添削してもらった答案みたいになっていました。最後は私の好きなミュージシャンの曲の歌詞を紹介しろとの指示が入っていて呆れました。曲の歌詞を紹介するのは拒否して回避できましたが、利用者に対するコントロール欲求が強すぎると思いました。
授業が終わってから代表と担当の職員にカフェでケーキとコーヒーをご馳走になりました。下手に辛かったと抗議をすると感情が高ぶって泣いてしまい、公衆の面前で恥ずかしい思いをするのが分かっていたので努めて平静を装っていました。
学生さんに書いてもらった感想カードみたいな紙を見せられたのをおぼえています。否定的な感想はひとつもなく、最近の若い人はみんな大人しくて真面目だなと思いました。一人くらいは尖ったことを書く人がいそうなものですが、もしかしたらそういうカードは見せてくれなかっただけかもしれません。
担当の職員からその感想カードをコピーしたものをもらいました。これはとても光栄で喜ばしいことなのだから一生の思い出にしろと言わんばかりだなと思いました。受け取りたくないと思いましたがいらないですと拒否する力もなかったです。それから代表に謝礼として五千円の入った封筒を渡されました。働いていなかった当時の私にしてみれば大金でした。今日の辛い体験もこの五千円を手に入れるための我慢料だったのだなと考えて無理やり自分を納得させました。
あと、この時代表に言われた「君は今までの人生で社会貢献ができていなかっただろうけど、今日こうして福祉の未来を担う学生の役に立てたことは立派な社会貢献だから誇りをもってほしい」という言葉にはものすごくモヤモヤさせられました。私が自発的にそのような考えに至ったのならば問題ないですが、それは人に言われて思うことではないし、言葉の前半は完全に余計なお世話だと思いました。
感想カードのコピーは読み返したくもないし持っていたくもなかったので、悪いとは思いつつ最寄駅に設置してあるゴミ箱に捨てて帰りました。
なぜ私はよく知りもしない初対面の若い人たちの前で、困難だらけの、何一つうまく行かなかった今までの人生を語らなければならなかったのだろう。精神科に入院して大学を休学したこと、復学してなんとか卒業できたけれど就活で内定をもらえなかったこと、仕事に就いても不安と緊張ですぐに離職してしまったことなどを、支援者の卵とはいえ現役の大学生たちの前で私が話す必要はほんとうにあったのか。みんな好意的な感想ばかり書いてくれたけれど、それはあくまでそれが授業の一環だからで、心のなかでは私のことを馬鹿にしていたのではないか。
そんな考えが頭の中を駆け巡って涙が止まりませんでした。
この施設にいたのはもうかれこれ5年以上前ですが、このときのことはよく覚えていて、いまでもなんとなく心のしこりとして残っているので書いてみました。
現在でも代表の人がこうしたことをやっているのかはわかりません。
最後に、支援者の卵の学生さんに精神障害当事者のリカバリーストーリーを聞いてもらうことが全く意味がないとは思いません。
ただそれは当事者を大学に呼びつけてゲストのような形で発表させるのではなく、当事者が主催しているリカバリーストーリーの発表イベントなどに学生さんが見学という形で入るのが望ましいのではないかと思います。