だったらさっさと潰した方がいいんじゃね?
一部には自民党の旅行じゃなくて、こっちに税金投入しろって声もあるけど、潰れそうな博物館に国が金出して何の得があるよ?それが利権や支持率を産むのかって話よ。
さっさと収蔵品を興味示す外国に売って、博物館ただんでもっと金と利権を産む施設に変えた方がマシだろう。
]]>そうじゃなきゃ公民館の市民展レベルじゃん
あ、1億円のクラファン?
銀行が融資して刀展かバビロニア展でもやればいいのに
]]>・図書館で電子書籍を貸し出しできる
・個人が自分が買った電子書籍を日数をきめて友人・家族に貸し出しすることができる
なお日本はできません。
このシステムの整備や改善やってるのがアメリカ司書だとしたら?
そう、専門性の妥当性はある
日本の司書は和綴じや和紙による補修というわりと美術品あつかいを司書にやらせてる
絵にしろ彫刻にしろ日本刀だの戦艦にしろ日本で「美術品」「博物館収蔵品」になるってのはすなわち国しか金を出さない死蔵品に棚上げされました、だーれも興味をもってません、という意味なんだよね
ゲームで再発見してようやく注目が得られる
じゃあ日本にもいるはずの本来のキュレーターはなにをやってるの
そう、ゲームをつくっているのです
今日も何十万人の人が孔明やオジマンディアスをフレンドから借りて周回してる
これがキュレーターの仕事です
]]>だから、現地でそれが伝統的に行われているという文脈は文化そのものでしょ?
それを東京に持ってきたとたんに見世物とか猿真似とかくだらないものに成り下がっちゃう。
ルーブル美術館や大英博物館、現地に行くのと、収蔵品が東京に来るのを行列して見るのとだと体験全然違うじゃん。前者は文化、後者はイベント、見世物だと思うね。
東京、巨大な見世物小屋としては便利だけど、文化はむしろないよね。
江戸文化として存在した歌舞伎とか、明治時代の建築とかは東京ならではの文化と言えるけど。
]]>東京にある国立の博物館や美術館の収蔵品は全部地方巡回しないと税金の公平さを欠く。
]]>https://bunshun.jp/articles/-/45917
一市民として悲憤慷慨を隠し得ない
駅周り30分ぐらい適当に歩いてあとはWikipediaの雑引用、かの文春の記者がやることですか?
だいたい駅の話から市の話に自動的にすり替わってるのおかしいだろ お前がやってること、山手線の内側を"ナゾの激坂地域"とか書いて結局目黒駅周辺の話しかしないのと一緒 わかる?
それに自由民権運動の話するならちゃんと自由民権資料館に行って話聞いて来いよ
※自由民権資料館 鶴川駅から徒歩25分。民権運動をテーマにした資料館はここと高知県の自由民権記念館だけ。和風な造りの本館は、民権志士が残した武芸道場を保護・改装したものだ。
文章を順を追って殴りますが、まずね、境川の話が「都県境」で終わるのがもったいなさすぎるんですが…
後々神奈川ネタ出すなら、かつて武蔵国と相模国の国境線が境川だったってところまでやるべきやろ
あとは
・河口に日本一有名な陸繋島の江の島がある
(・中世では現多摩市との境界が武相国境であるような認識があったが、太閤検地の際に完璧に河川が国境線になった)
(・検地以前は境でなかったので高座川と呼ばれていた)
までの情報があった方が良かった
・ラブホ街があるのは昔赤線だったから(市民内では割と有名)
・小田急線はもともと南町田や長津田付近を通る予定だったが、地主がゴネて町田を通った
・「デッキを抜けたら地下」な小田急町田の独特の駅構造は周辺の地形に関係している 境川の流域が狭く、川に沿って坂線がある
・"ただ絹の道があったから"発展したと思うな あれは浜街道(八王子と横浜をつなぐ道)沿道でありながら鎌倉街道沿道なので、東京湾に進む人の流れと相模湾・埼玉から来た人の流れが激突することになり、一躍巨大市場になったんだ 相模湾で捕れた魚を乾かしながら町田まで歩いた商人もいて、駅前に乾物屋が多いことのルーツはここにあるらしい(富沢商店ももともと乾物屋)
・絹の道の由来について語るなら、"ただの道を絹の道にした"鑓水商人の話も欲しいし、どうでもいいですが町田市には槍溝(やりみぞ)という希少苗字が残っています
あと民権運動や水源問題は町田が神奈川になった理由の本質じゃないだろ
多摩郡であったことだろ!!!!!!!!!
町田市は他の多摩地域と決定的に違う地域的特徴があります
多摩川・荒川流域じゃあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
町田市以北の多摩地域のほぼ全域は多摩川流域(八王子、青梅、三鷹等)か荒川流域(東村山、清瀬、武蔵野等)に属します ところが町田市が擁する水系は境川・鶴見川の2系で、多摩川水系の河川はほとんど通っていません おかしいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!流域ごとに郡や地域を区切るなら町田は横浜市や相模原市の一部になって然るべきだろ
多摩川欲しさに東京府が三多摩を合併したのは事実ですが、併合してもなんもいいことない現町田市の地域1町4村まで神奈川県を追い出されたのは"多摩郡に属していたから"ですよ
なんで多摩郡になった理由をつつかないんですか?カスー
【町田が神奈川扱いされるようになったプロセス】
①なんか現町田市のあたりが多摩郡になってしまった
②武蔵国である現横浜・川崎両市がなんか都心と分離され、神奈川県の枢軸になってしまった
③なんか多摩郡が東京都に移管された
インターネットは③を一生擦ってるってことにはよ気付け
※解説
①https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12203290882 ヤバイなこの回答者、郡史ガチ勢?これを見るに武蔵府中との結びつきって相当強かったんだな でも鶴川以東には国府の権力が及ばなかったのもなんか不思議ー
②https://togetter.com/li/1285652 と https://www.customs.go.jp/yokohama/history/hatten.pdf 神奈川県の成立理由はマジでごちゃごちゃしていて最悪だが、"なんかメッチャ白人(しろんちゅ)がいる嫌な場所"と"俺らの住まい"とをひっぺがしたかったという趣旨
町田が揶揄される地位にあるのも一種の奇跡だよ
中世のころ、武蔵府中から丘陵の壁を超えて「多摩」の使命を言いつけられたことに始まり→時は流れて近代、なんか横須賀にゲェジンが来たせいで江戸っぽくないところを別県にせざるを得なくなり→水源問題で都心と神奈川が大モメかました挙句過激派活動家が大暴れして「多摩(笑)」一帯が神奈川県を追い出された
絶対に必然なんかじゃない
もし武蔵国府が調布のあたりにできて鎌倉街道が東にずれていたら、もしペリーが江の島に来航していたら、町田はこんな「仲間外れの市」にはならず、"茅崎県"県央の凡庸な自治体になっていたかもしれないし、はたまた鶴見市や都筑市という巨大な自治体に包摂されていたかもしれないのだ
そしてその世界線でも、ろくでもないライターが「"ナゾの途中駅"本町田駅」とか書いちゃうだろうが、 でもその記事はここの日本ほど多くのpvを稼がず、トレンドにも載らずひっそりと埋もれていくんじゃなかろうか
だから答えるよ
「どうして町田が東京都なのか」
未だに何もわからない
俺たちは雰囲気で町田語りをやっている
市民は「町田は神奈川」ネタにマジになってるわけじゃないよ
飽きたんだよ
お前らが同じ話ばっかりして肝心な要点を見過ごしてるから不快なんだってば
それにステレオタイプで地域を語るのは地域差別となんも変わらんだろ
(前に町田関連のネタツイを自称リベラルに共感RTされたことがあったけどすごい嫌だった いかなる差別にも屈しないなら町田は東京都って言えよ、民主政治が大好きなら民権運動によって東京都に移管された街に最大限の敬意を払ってくれよと思った)
本当に町田が好きなんだったら、インターネット雑語りをやめて、今日から町田にちゃんと向き合え
ネタで町田を神奈川扱いするならテコンダー朴みたいに歴史的経緯を全部踏まえてやれ 憶測で物事を語るな
あと神奈川県に接する駅といえば町田駅だけじゃなくてつくし野駅も鶴川駅もそうです
にしてもこのブロガァーみてぇーなライタァーは駅前で何を見たんだ?日本初の車いす用バスを見たか?町田街道の向こうに佇む広大な谷戸(注)を見たか?谷底の美術館の収蔵品を調べたか?ジョルナのエレベーターのボタンを押したのか?何もしてない
これをポジティブにとらえると、読者にもっと町田の魅力を探させる余地を与えてくれたってことになる
だからどうか、ここから先はスマホの前のみんなに、町田駅や"町田市"を回ってほしい
限界逆張り地理オタク御用達・源流と坂と県境のテーマパークとして、町田市は今でも多くの廃人を寄せ付けている
町田市は本当にすごい 今や小平にも及ぶブルーベリーの産地だし、南町田にはケンタッキー食べ放題店舗があるし、堂之坂公苑は誰も来ないのに水琴窟があるし、玉学には赤瀬川原平の家も残ってるし、白洲次郎の別荘で食べるオムライスはマジでうまいし、つくし野の急坂はどこまでも続くし、小野路宿里山交流館は江戸末期の旅館を改装した建物だから木造で落ち着くし、野津田の山はクソでかいし、相原にはおいしい卵屋(カトウファーム)とアイス屋(東京みるく工房ピュア)があるし、本町田には北条時行の戦った合戦場があるし、リス園の近くに井の頭公園みたいなでかい池があって夏になると隣のちっこい池でメッチャ蓮咲くし、多摩境には都内唯一のストーンサークルがあるし、大泉寺は谷戸の底にすっぽり収まった寺で春になると桜が参道に咲いてめちゃ綺麗だし、恩田川の桜はもっと綺麗で目黒川より混んでないからいい写真撮り放題だし、木曽町の地名の由来は一般通過木曽義仲
とにかく春先にあの戸場谷戸を尾根の上から見渡した時の、菜の花畑や一本立ちの桜や小さな白いトラック、別の尾根が続いている光景は言葉を失うものがあったから、一緒に行こう。
お前は町田を待ってないかもしれないけど、町田はお前をいつまでも待ってるから。
【あとがき】
https://twitter.com/pededeck/status/1246422466135617537 ←これはインターネットで見つけたわかり手
注:谷戸は谷の一種。底が平たい。上から見るとUの字になっている。海進によって土砂が堆積し、このような平底になったようだ。あきる野の横沢入や稲城の上谷戸は有名。
追記 こんなにたくさんの人々のブクマと注目を集めることができて光栄です。卒論も町田のことで書こうと思っていたので、励みになりました。町田地方史研究会のおじちゃんたちに比べたら、自分は町田について本当にニワカで、話せることも少ないけれど、精進しようと思います。
]]>収蔵品に満足してないからいらないっていうなら、魅力的な展示や収蔵について物申せばいいのに、どうして不要!ってなっちゃうんだろう
箱と人がなければ企画展もできないのに。
]]>いっそ自前の収蔵品は持たずに企画展だけを回し続ける方が幾分マシな気がする。
]]>博物館は本物を収蔵する必要はない。
ネットさえあれば、建物すらも無駄で、不要。
これからはIT行革で効率を目指す時代。
高画質写真を撮りクラウドに保存したら本物は処分するべし。
]]>今後、貴重な資料類を保管する施設は災害の危険性が少ない立地を選んで建設しなければならない。
現状では「観光地的に集客できるか」「自治体所有の土地で空いていたのがここしかなかったから」など安易な考えで建設された施設も多いが、
これからは「周囲に山も川も海もない地盤がしっかりした高台」の場所を選んだ方がいい。
そういう意味で言うと、海が見える埋立地の天王洲でアート保管ってどうなのかって思ったりはする。
寺田さん、内陸にも倉庫作りませんか?
]]>302回
今日は西美へ
待機列で並んでいる際に一斉に地震速報が鳴りだしてびっくりしました
いつものように企画展と常設展を回ったのですが、企画展の内容的に常設展を2周したような感じで少し面白かったです
最近の西美はオタクタペストリー的なものに説明文をプリントして天井から吊り下げるのが流行りなのでしょうか
企画展・常設展双方でオタクタペストリー的な説明文がありました
企画展で気になったものとしては、明らかにペルセウスとアンドロメダの構図なのに登場人物が全然知らない人たちな「アンジェリカを救うルッジェーロ」、もさいけどなんかかっこいい「アンティオキアの聖マルガリータ」などがありました
前者は、調べてみると「狂えるオルランド」の中の一場面だそうで、アンジェリカは中国のお姫様、ルッジェーロはイスラムの戦士らしいです
とてもそうは見えんな
狂えるオルランドと言えばドン・キホーテで散々バカにされているタイプの小説という程度の認識しかありませんでしたが、この絵を見ると当時の人気ぶりが伺えます
オルランドはローランのイタリア語読みで、狂えるオルランド自体はローランの歌の前日譚らしいです
常設展を回るのも久々のことでしたが、新規収蔵品の中で、ドミニコ会の象徴でもある白黒の衣装をまとった「聖ドミニクス」がイケメンですてきでした
そういえば「聖母子と三聖人」の聖人のうち二人の衣装も白黒でしたが、あれもドミニコ会となにか関わりがあるのでしょうか
新館では戦争中の疎開で大きく損壊したモネのクソデカ睡蓮が展示されていました
西美の成り立ちと背負った歴史を象徴しているようで、しばらく見入ってしまいました
ところで、あの新館特有の異臭ってなんとなく癖になりませんか
版画素描展示室では最近まとまったコレクションの寄贈を受けたという写本の展示が行われていました
よく考えたら本物の中世写本を目にするのは初めてかもしれません
羊皮紙でも木簡と同じように誤りを訂正するのには小刀で表面を削ったそうで、ヨーロッパでも刀筆の吏という言葉は通用しそうだなと思ったりしました
写本を書いた人々は役人ではありませんが
そういえば常設展にハンマースホイさんがいませんでしたが、まだハマスホイ展で出張中なのでしょうか
本日の日記は増田お嬢鯖部リスペクトでお送りいたしました、それでは皆様ごきげんよう
]]>正義に酔って対話ができない。
Black Lives Matterは大事。
だけど今大規模デモやってコロナの感染拡大につながるリスクは冷静に考えないとヤバイ。
日本でのデモを応援した大坂なおみのツィートへの反応でもそうだけど、大多数は冷静なリスクの指摘なのに、高須克弥のような一部のヤバイ奴だけ取り上げてBlack Lives Matterに反対する奴はレイシストみたいなレッテル貼るのマジで良くない。
銅像倒すのマジで良くない。独裁政権が倒れた時に権威の象徴になってる像を倒すのはわかるよ。ベルギーのレオポルド2世みたいにガチヤバイやつを顕彰するのが今の価値観でヤバイのも理解できる。でも歴史のある像は骨董的価値もある。現在の価値観でヤバイなら、人通りの多いところから撤去して博物館の収蔵品にすれば良い。正義の鉄槌だとばかりに勢いで像を壊すのはタリバンの大仏破壊と何が違うのだろうか?像を破壊するのを放置してたら人を吊すこともためらわなくなるよ。このままリベラルの正義が暴走したらマジで文革になる。リベラルヤバイ。
]]>豊田市郷土資料館に行ってきましたわ。
川上家から寄贈された土蔵が敷地の対角に二つも移設されています。
カマド跡の野外展示はプラスチックのカバーに大量の水滴が付着して
「砂漠で水を得る方法」状態でした。
民俗資料館の煙突付きアイロン(炭を入れます)が可愛らしいです。
変わったところでは戦艦の36cm砲弾が置いてありました。
常設展示はとても綺麗に展示されていて、
石器時代から江戸時代までよくまとまった展示物がありました。
酒呑ジュリンナ遺跡のお名前から同族の匂いを感じてしまいました。
展示されている石棒が、火山岩の岩脈を首元に使ったもので、
はじめてみる形状でしたわ。
でも、わたくしのような淑女はじっくり見てはいけませんわ。
自慢の収蔵品らしき大塚古墳の装飾付須恵器は、
壷の上に四つの壷が寄生した形状で、丸みが連続する様子からは、
縄文時代の土偶に通じるものを感じました。
同様に豊穣への祈りが込められていたのでしょうか?
江戸時代の豊田市は小規模な大名や旗本などに分割統治されていたそうです。
その中では大きな尾張藩家老の寺部渡辺家(徳川十六将の渡辺守綱が祖)が一万四千石で、
大名の挙母内藤家が一万石(のちに一万五千石)と
地位と石高が逆転した関係にあったようで、
近所づきあいが多少ぎくしゃくしたかもしれませんわね。
はてなのみなさんは好きそうですけど。
特別展には昔の輸送道具が置かれていました。
藁や柳、竹という素材から様々な道具を作り出す昔の人の手技には感心しきりです。
わたくしは鰭で箸より重いものを持ったことがありませんので・・・・・・おほほほ。
]]>最後のあいさつで「裏方の仕事に興味があったので、今回実習させていただいたことはとても嬉しく思いました」と言って帰った
内心「あんたのやっていったことは裏方じゃないよ と毒ついていた
なぜかって?
博物館でいえば、「表」の仕事は展示品の前で来館者に説明をする仕事 「裏方」はバックヤードで収蔵品の手入れをする仕事 という意識なのだということは理解できる
だが、中にいるものの意識としては、来館者の使うトイレのペーパーを購入したり、照明器具の交換の資材買ったり、電気量精算したりする仕事が「裏方」という意識があって
前述の学生の発言は、そのような仕事や従事している人の存在を全く視野に入れていないように思えたから
自分がこのように面白くないと感じる理由はわかってるつもり
まずは自分が「便所紙切らさないように買ったり椅子の破れ繕いの依頼する仕事」のこと
今の仕事に関わることが幼いころから大好きで、人事異動でこの仕事に関わることになった時、たまたま同じ職場にいた私の高校時代をよく知る上司に
「その職場は増田にとって天国だろ?」と冷やかされるような場所であること
別の職場にいたときに、やはり同じような職種でいたが、その職場を舞台にしたシミュレーションゲームでは自分の仕事はあってもなくてもいい部品であったこと
そういうのが積もっているのだと思う
なんていうか、あって当たり前だけど存在を黙殺されるような業務分担のところに続けさまに座ると、時々自分の存在意義に疑問が出たり、むしろ自分が存在していいのだろうか?
余計な存在じゃないのか?と考えてしまう
疲れでもたまってるのかな
]]>たまにおもしろい企画展もやってるからそういう時は行くけどさ。
新幹線に乗って東京まで出ればもっとたくさん選択肢が増えるわけさ。
地元を大事にしようって気持ちはいいけど、多様さの面では格段の差があることは否めない。
]]>デパートの美術画廊とかも面白いのやってたりするし
公営のはぐるっとパス持ってたらタダで入れるしけっこう行くよ。
23区内住んでたら大体チャリで行けるし。
収蔵品管理の為に冷暖房の調整完璧ですごい居心地いいし。
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