はてなキーワード: 占拠とは
近所に公園がある。
午前中はママ友が子供を遊ばせていたり、ジジババがゲートボールをしていたりする。夕方には小中学生が集まってキックベースをしていたり、藤棚の下のベンチに集まってなんかよくわからんけどゲームをしてたりする。
夜になると若者が集まってなんか騒いでる。フィットネスブームが来てからは鉄棒でおっさんが懸垂してたりする。
だがこの公園、20年前、俺が小学校くらいだったころはこんな光景じゃなかった。ブルーシートの住居が立ち並びボロボロの服を着たおっさんが溜まっていた。野球スペースにはネットにおおわれた缶が積まれていた。異臭を放ちまくってた。
俺含め近所の子供は怖がって誰も近づこうとしなかった。
そんなある日、そのホームレスのおっさんの中でもよりキチガイランキングが高いキングオブキチガイおっさんが公園の前を通りかかった女の子に立ちションのついでにちんこを見せつけた。全校朝礼で言ってた気がする。
たぶん、なんやかんやあって一掃作戦が始まり、公園からホームレスが一掃された。警官の見回りが始まり、寝床にしているホームレスがいると退去させられるようになった。
当時の俺たちにとって、あの公園は魔境だった。バケモノみたいな連中がうようよいてマジで怖かった。しょうがないので俺たちは道路や駐車場とかで遊んでいた。普通に危なかったし、車も何回か凹ませた。マジで悪かったと思ってる。
もちろん、あのオッサンらにもいろんな人生があっていろんな理由があってああなったんだろうなってことはわかる。だからって、俺らの子供時代の遊び場を不合理に奪ったこと。俺らを無駄に怖がらせたこと。それを俺は今も許してねえぞ。
何が、自分たちが弱者になるなんてことを考えたこともないんだろうな、だ。俺らはいつだって遊び場の選択権強引に奪われる弱者の側だった。俺らが弱者であったことをいいことに好き勝手しまくったその結果だよ。
彼らの人生が、彼らがホームレスになったことまでが自業自得だとは俺は言わん。俺も一時期、仕事が見つからなくて危うく家を追い出されそうになったことがあったし。俺だったかもしれねぇ。
だが、不法に公園を占拠し近隣住民の精神的安全を脅かし、子供の遊ぶ権利を奪ったことに対してカウンターをくらって居場所を失ったのはそれはお前らの自業自得だよ。
前回のリストhttps://anond.hatelabo.jp/20210707223409が字数制限に達したようなので、書ききれなかった分はここに付け足します。前回はたくさんのブックマーク、コメントありがとうございました。https://anond.hatelabo.jp/20210715114737も参照ください
孫権は自ら軍を率いて曹操軍の籠城する合肥城を攻める。しかし、張陵の奮戦に苦しめられた挙げ句、疫病の発生により撤退を余儀なくされた。更に張陵に追討ちをかけられ、命からがら逃亡した。
・沙苑の戦い
西魏軍は葦原に身を隠し、東魏軍の列が乱れたところを一斉攻撃する戦法で勝利した。東魏軍は6000名が捕らえられ、7万人が捕虜となった。
・パリ包囲戦
885~886年 ★西フランク王国200vsヴァイキング3万~4万
西フランク王国の首都パリをヴァイキングの大軍が包囲。フランク人達は1年にもわたる激しい抵抗を繰り広げ、やがてカール3世率いる援軍が到着したため、ヴァイキングは撤退した
1336年 南北朝・建武の乱 ★足利軍1000vs菊池軍1万
博多へ侵攻する菊池軍と足利尊氏が遭遇。菊池軍に離反者が相次ぎ、敗北した。
・ベオグラード包囲戦
オスマン帝国はハンガリー王位を巡る内戦に乗じてセルビアへ侵攻、ベオグラードを包囲した。ハンガリー軍は5ヶ月に渡って抵抗し、これを退けた。
・クルヤ包囲戦
1450年 オスマン・アルバニア戦争 ★アルバニア軍8000vsオスマン軍10万
スカンデリベグ率いるアルバニア軍がオスマン帝国に包囲された。アルバニア軍は敵軍の補給を断ち、士気の低下と病気の流行に苦しめられたトルコ軍は撤退した。
・ベオグラード包囲戦
1456年 ★ハンガリー軍4000vsオスマン軍3万~40万
コンスタンティノープルを陥落させたトルコ軍は勢いに乗じて、ハンガリーへ侵攻するが、ベオグラードで英雄フニャディ・ヤノーシュの活躍の前に敗れ去る。
・ヘミングステットの戦い
1500年 ★ディットマルシェーン500~1000vsデンマーク軍1万2000
ディットマルシェーンの農民達がカルマル同盟に対して反乱を起こす。農民達はバリケードを築き、土地を氾濫させたため、デンマーク軍は数的優位を活かせなかった上、大勢が溺死したため、撤退した。
・ロドス包囲戦
1522年 聖ヨハネ騎士団6700vs★オスマン帝国8万~12万
ロドス島を支配する聖ヨハネ騎士団をオスマン帝国が包囲。半年にも及ぶ激戦の末に騎士団は降伏。シチリア島へ移った。トルコ軍にも2000~5万の死傷者が出た
・クーセグ包囲戦
1532年 ハンガリー軍700~800vsオスマン軍12万~20万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がハンガリーの小さな町クーセグを包囲。貧弱な装備ながらも守備隊は25日間抵抗し続け、ハプスブルクの援軍を恐れたスレイマン1世は撤退した。ハンガリー軍は最後まで降伏しなかったという説と降伏を受け入れたが少数のトルコ人しか砦に入れなかったという説がある。
現モンテネグロの町カステルヌーヴォをバルバロス率いるトルコ軍が完全包囲。スペイン軍は降伏勧告を無視し、1ヶ月にも及ぶ激戦の末に100名を除いて全滅したが、トルコ軍も8000人から2万人が戦死した。
・アンドリエンの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族2万人
マプーチェ族はスペイン軍に夜襲を仕掛けるが、スペイン軍は警戒を怠らなかったため、返り討ちにされ、3000人が戦死した。
・エゲル包囲戦
1552年 ★ハンガリー軍2000vsオスマン軍3万5000~4万
イシドヴァーン・ドヴォ率いるハンガリー軍がトルコ軍に包囲されるも、厚い防壁、イシドヴァーンのリーダーシップ、トルコ軍の内部対立に助けられ、防衛に成功した。
・マラッカ包囲戦
アチェ王国はポルトガルからマラッカを奪還しようと大軍を派遣し包囲するが、3000人以上の犠牲者を出して敗北した。
・ファマグスタの戦い
1570年~1571年 オスマン・ヴェネツィア戦争 ヴェネツィア8500vs★オスマン軍10万~12万
キプロスのクリスチャン最後の砦ファマグスタが1年近く激しい抵抗を繰り広げた後に降伏した。ヴェネツィア軍は7600人が戦死し、トルコ軍は1万~2万人が死傷した。当初トルコ軍は砦内のクリスチャンの安全を保証するもその約束を反故にし、ヴェネツィア人たちを虐殺し、指揮官のブラガディンは耳と鼻を削がれた上、皮剥の刑に処された。
・英賀合戦
1577年 戦国時代・中国攻め ★小寺軍500vs毛利軍5000
織田寄りの小寺氏を討伐するため、毛利は大軍を派遣する。しかし、小寺軍は敵が上陸した直後を奇襲した。更に農民達に旗を挙げさせ、それを敵の援軍と勘違いした毛利は兵を引いた。
・クヴォダンスコの戦い
1577年~1578年 クロアチア軍300vs★オスマン軍5000~1万
クロアチアの都市クヴォダンスコをトルコ軍が包囲した。防衛軍は3ヶ月に渡って籠城し、3度の大規模な攻撃を退けた。守備隊が全員餓死若しくは凍死した後にトルコ軍は砦を占拠し、敵兵の遺体を手厚く葬った
伊東軍が建設した石城を島津軍が包囲する。しかし、石城は三方を急流、背後を険しい崖に覆われた天然の要塞であったため、島津は一度撤退した。伊東軍の死者10人に対し、島津軍は500人が死亡し、大将の島津忠長も重傷を負った。2ヶ月後島津軍は1万人の大軍を派遣して城を堕とした。
・ナジカニジャ包囲戦
1601年 ★オスマン軍9000vsハプスブルク6万5000~10万
現ハンガリーの都市ナジカニジャをハプスブルクの大軍が包囲。オスマン軍は潤沢な物資があるように見せかけながら防衛戦を繰り広げ、73日目に奇襲攻撃を仕掛けた。これを敵の援軍と勘違いしたハプスブルクは軍を撤退させた。
マラータ王国の台頭を警戒したビジャープル王国は討伐のために軍を派遣する。マラター軍はビジャープル軍の追撃から国王シヴァージーを逃がすため、狭い砦で命がけの戦いに挑んだ。この戦いで両軍とも兵力の半分を失ったが、シヴァージーは逃亡に成功した。
・ハドウの戦い
1694年 ポーランド・オスマン戦争 ★ポーランド軍400vsクリミア・ハン軍4万
ポーランド領ポジーリャに侵入したタタール軍とポーランド軍が激突した。ポーランド軍は木製の柵で守りを固め、弾薬が尽きれば、モンゴル軍の矢を打ち返すなど奮戦し、撃退した。ポーランド軍の損害は100名足らずに対して、タタール軍は1万人以上であった。
・アナントプルの戦い
シク教の台頭を恐れたムガル帝国は討伐軍を派遣する。しかし、グル・ゴービンド率いるシク教徒たちに敗れる。
・ナフプリオ包囲戦
現ギリシアの町ナフプリオをヴェネツィアはトルコから奪還することに成功し、更にパラミディ要塞を建設し、防衛強化に努めた。しかし、トルコの大軍に包囲され、1週間ほどで陥落し、住民達は虐殺されるか囚人として連行された。しかし、この戦いでトルコ軍も8000人以上が戦死した。
・ガングワナの戦い
1741年 マールワール軍1000vs★アンベール・ムガル・バラトプールなど連合軍1万~4万
マルワール王国はアンベール王国の戦争に敗れ賠償金と土地を要求されるが、国民が怒ったため、報復戦争を開始する。マールワール軍の騎兵ははアンベール軍を強襲し、蹴散らすものの、ムガル軍の砲撃によって敗北した。マールワール軍は全員が戦死するか負傷したが、連合軍は12000人が負傷した。
・レイバー橋の戦い
1855年 第二次フランス・トラルザ戦争 ★フランス軍14vsトラルザ軍1000人
セネガルとセントルイスを繋ぐレイバー橋をトラルザ軍が襲撃するも、14名の守備隊に撃退された。フランス軍は3名が負傷しただけであったが、トラルザ軍は127名が死傷した。
江戸幕府は将軍徳川家茂自ら軍を率いて長州討伐に出征する。しかし、西洋化が進められた長州の装備に苦しめられた挙げ句、家茂が病死したため、撤退した。
1879年 第二次アフガン戦争 イギリス軍75vs★アフガン軍2000
カブールの英国居住地に居たピエール・カヴァナリ郷をアフガン人が襲撃した。護衛達は奮戦し、600人死傷させたが、2名を除いて戦死した。
・マイワンドの戦い
1880年 第二次アフガン戦争 イギリス軍2500vs★アフガン軍2万5000
アフガン人とイギリス軍が激突、数で勝るアフガン人が勝利を収めた。しかし、イギリス軍の死者1000人に対し、アフガン軍の死傷者は1万人以上と勝者の払った犠牲も大きかった。
・シャンガニ・パトロール
1893年 第一次マタベレ戦争 イギリス南アフリカ会社37vs★マタベレ軍3000
イギリス南アフリカ会社は現ジンバブエのマタベレ王ロベングラの逮捕のために軍を派遣するが、待ち伏せに遭い3名を除いて全滅した。しかし、マタベレも400~500名が戦死した。
1896年 フィリピン革命 ★スペイン軍100vsカティプナン800~1000
マニラの東サンフアンでフィリピン独立を求める秘密結社カティプナンが武装蜂起を起こすが、スペイン軍に敗れ撤退した。この戦いがフィリピン独立戦争の始まりとなった。
・カカロン・デ・シリの戦い
1897年 フィリピン革命 ★スペイン軍600vsフィリピン6000
ブラカンでフィリピン人がカカロン共和国の設立を宣言し、砦を築いた。スペイン軍は討伐軍を派遣し、砦を攻略した。反乱軍の残党達はスペインに対してゲリラで抵抗を続けることとなる。
・サラガリの戦い
1897年 ティラ作戦 イギリス領インド帝国軍21vs★パシトゥーン人1万人
ティラ地方のアフガン人がイギリスに対して反乱を起こし、サラガリに駐在していたイギリス軍を襲った。イギリス軍は全滅したものの、アフガン人も450名が死傷した。
・サンタ・クルス包囲戦
1898年 フィリピン革命 スペイン軍700vs★フィリピン軍1万
ラグナのスペイン軍最後の拠点サンタ・クルスをホセ・リサールの兄パシアノ・リサールが包囲した。スペイン軍は2ヶ月に及ぶ抵抗でフィリピン軍に大損害を与えたが、降伏した。
・ベーラー包囲戦
1898~1899年 フィリピン革命 スペイン軍50vs★フィリピン軍800
教会に立て籠もったスペイン軍をフィリピン人達が1年にわたって包囲する。スペイン軍はフィリピン軍が700名の兵力を失う程激しく抵抗し続けたが、スペイン本国が敗れたことを知り投降した
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍1200vs★ドイツ軍1万7000
ドイツ軍がポーランド軍の防衛するウェンギエルスカ・グルカ村を通過する際にポーランド軍と2日間交戦する。ドイツ軍は勝利したものの、多大な犠牲を強いられ、ポーランド軍の戦死者は7~20名、7名が処刑された。
・ヴェステルプラッッテの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍205vs★ドイツ軍2600
ドイツ軍が自由都市ダンツィヒのヴェステルプラッテ半島を攻撃。ポーランド軍は1週間に及ぶ激戦の末に降伏。ポーランド軍の死傷者67名に対し、ドイツ軍の死傷者は300~400名であった。
・ウィズナの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍350~700vs★ドイツ軍4万2000
ドイツ軍がウィズナ村を通過した際にポーランド軍の激しい抵抗に苦しめられた。3日間の死闘でポーランド軍は壊滅したが、ドイツ軍も1400名の死傷者を出した。
・ミルの戦い
1940年 第二次世界大戦 オランダ侵攻 オランダ軍2000vs★ドイツ軍3万
ドイツ軍がミル村を通過する際にオランダ軍の激しい抵抗に遭った。ドイツ軍は勝利したが、500人以上が死傷し、オランダ軍は80人が死傷した。
・ソーミュールの戦い
1940年 第二次世界大戦 フランス侵攻 フランス軍2500vs★ドイツ軍4万
フランス軍の訓練生達がドイツ軍の攻略に2日間抵抗した。フランス軍の死傷者250に対し、ドイツ軍の死傷者は400名で戦車も7両破壊された。訓練生達の勇気はドイツ軍指揮官クルト・フェルトですら賞賛した。この戦いはペタン元帥の停戦呼びかけの後に行われたため、最初のレジスタンスであるとされる。
・ニリムの戦い
1948年 パレスチナ戦争 ★イスラエル軍39~45(内12人女性)vsエジプト軍500~800
イスラエルのキブツ(共同体)ニリムをエジプト軍が包囲した。エジプト軍は装甲車、航空機などの支援を受けて攻撃したが、イスラエル軍の防御を突破できず撤退した。
・3234高地の戦い
1988年 ソ連のアフガン侵攻 ★ソ連軍39vsムジャヒディーン、パキスタン軍450~650
3234高地に配備されたソ連空挺隊がムジャヒディーンの襲撃を受けた。ソ連軍は34名の死傷者を出しながらも200名以上を殺害し、撃退した。
・ヴコヴァルの戦い
1991年 クロアチア紛争・ユーゴスラヴィア紛争 クロアチア軍1800vs★ユーゴスラヴィア・SAO36000
クロアチア東部の都市ヴコヴァルをユーゴスラヴィア軍が87日間にわたって包囲した。クロアチア軍は大半が死傷し、多くの民間人も虐殺・追放されたが、ユーゴスラヴィア軍も3600人が死傷し、戦車と武装車両1100両以上と航空機3機が破壊された。
https://anond.hatelabo.jp/20210616172337
歩道の無い狭い道を疾走してきてこっちが避けないといけないし、人混みのなかに我がもの顔で突っ込んでくるのも嫌すぎる(最高速度違反及び、安全運転義務違反)。
こっちはただ歩いたり自転車漕いでるだけなのにクラクション鳴らして(警音器使用制限違反)どかそうとしてくるのも噴飯もの。なんでこっちがお前に合わせなきゃいけないわけェ!?
険しい顔して危険運転してるバス、トラック、タクシーの自動車も嫌だし、アホ面で車道を逆走している高齢ドライバーが運転する自動車も嫌。
以前は「自動車の維持費を10倍にして規制と罰則も3倍強化しろ!」って叫んでいたけど、もはや「自動車で違反を1度でもしたら生涯免許剥奪しろ!」って言いたい。ドイツで生涯免許剥奪適用の前例があるように。
自動車ってマジで邪魔すぎないですか? なんであんなに道路を占拠してくるんですか。自転車だったら4~6台は通行できる空間にドライバーたった1人という無駄をよく見る。無駄。邪魔。迷惑。
徒歩20分、自転車10分のところ5分にしたいからって重量、幅、速度的に極めて有害で更に代表的な公害車両である自動車に依存する卑しさ。人格がゴミ。
そのうえ平気で違法駐車していく遵法精神のなさ。そんなに自動車に乗りたいんなら背負ってろ!
嫌いすぎて定期的に「車カス」でツイッター検索しては、自動車が衝突してグルグルまわってる動画を見てゲラゲラ笑っている。
窓ガラスが血だらけになって、運転手がぐったりしてる海外事故動画もよく見る。
ちなみに日本の統計では自動車乗車中の年間死者数は1200人を超える。自転車はその3分の1以下。
保有台数における事故率死亡率統計を見ても自転車利用者のほうが車カスより長生き。
車離れが進んで自転車が増えるほど重大事故も公害も渋滞も不健康も減らせるというのは統計でも証明されている。
実際に人口あたりの交通死者数は自動車依存度が高い田舎ほど多い事実は都道府県人口あたりの交通死者数統計を見ればすぐにわかる。
自動車依存度が低い地域ほど人口あたりの交通死者は少なく、自動車依存度が高い田舎の地域ほど人口あたりの交通死者数が多い。
つまり自動車は人命を考えればもっと積極的に減らすべき「害物」だということ。
こんな俺に時代は確実に追い付いてきてる。
ニューヨーク、アムステルダム、パリ、オスロ等先進諸国の代表都市は車線を減らしてでも自転車専用道路ネットワーク整備を進めているからだ。日本もスローペースだがそちらの方向に進んでいる。
ポケモンGOやってるけどさ、ポケストとして神社とか寺とかいっぱい登録されてるわけだ。でも俺たちからするとそんなものより自宅前の電柱とか花壇とかがポケストになって欲しいんだわ。そんな辺鄙な場所にあるものがポケストになっていたところで誰も喜ばない。人が多いところにはプレイヤーの数に応じて沢山欲しいから、セルにいくつとかそういう制限はホント辞めて欲しい。そういうのを最初からあるどうでもいい神社とかのポケストが占拠していると腹が立つ。
なんでポケGOにとって重要なものを他のゲームユーザーが勝手に自慢げに語るの?
そんでもって自分達の功績のようにしているのが腹が立つ。とっとと俺の家から届く岩を登録して欲しいんだが、5回くらい申請しても通らない
他人の「その人らしさ」ばかりが視界に入ってきて、「それに比べて自分は……」という劣等感に思考が占拠されてばかりいる。
コンビニで髪を派手な色に染めてる人を見かけては「そんなに思いきれてすごいな、自分にはそんな勇気ないな」って思う。
プロ・アマ関係なくSNSで何か創作・表現してる人を見ると「表現できるものが内にあってうらやましいな」って思う。
作品の考察や深堀りもできない、とがった技術も知識もない、「大好き!」って言えるものもない、半端な消費者の自分には無理。
まとまった休みができたときには、「たまには自分勝手に好き勝手に、なんでもやってみよう」と意気込んだけど、
結局「〇〇すべき・〇〇したほうがいい」「そんなことしてても気晴らしにしかならないし何も残らない、もっと知的で生産的なことをやらなきゃ」みたいな自己検閲がかかってダメだった。
たくさんのものに守られてるからこそ、色んなものに恵まれてるからこそ、今こうやって悩みながらも生きていけてる、贅沢な悩みだっていうのはわかってるつもりではある。でもどうやったら今のこの悪循環を打開できるのか、方向性が見えない。
意を決して前進したところで、「ざんねん、行き止まりでした」ってなるのが怖い。失敗なしには前進できないんだろうけど、取り返しのつかない失敗だってあるだろうに。
なんでみんなは、そんなに生き生きとして生きていけるんだろう。身の程知らずに努力したり、後先考えずに遊んだり怠けたりできるんだろう。
良いことも悪いことも、思い切ってすることができない。
「不器用だね」って知人に冗談半分に言われたとき、「あ、やっぱりそうなんだな」って思ってしまった。
いつから自分はこんなに不器用で生きるのが下手な人間になってしまったんだろう
なにもない、空っぽ
高校時代から成績は優秀だったというハミ山氏。一般的な東大生と同様、問題集や英単語の暗記など猛烈な受験勉強に取り組み、センター試験や二次試験をくぐりぬけて合格した。ただし、その“学習環境”は今考えればやはり劣悪だったと振り返る。
「浴室はゴミなどが占拠しているため毎日銭湯に通い、エアコンが壊れていたため冬は室内でダウンジャケットを着ていました。
勉強用のテーブルはゴミの山に埋もれていたので、布団を折りたたんで机の代わりにして問題集を解いていました。図書館に通って勉強したこともありましたが、公園のベンチや駅のホームなど長時間いることができる場所で暗記系の勉強をすることもありました。当時はそうした境遇にあまり疑問を持たなかったんです。
母からは『東大受けたら受かるから、受験してね』と言われ、『そういうものなんだ』と思って受験勉強しました。もっとも心の奥底では、“勉強して東大に受かったら、何かが変わるかも”という気持ちがあったのかもしれません」(同)
「自宅の状態は相変わらず。家の中と外の区別が曖昧で、玄関から数メートルは“土足ゾーン”でした。母が玄関付近で寝ていることもしばしば。そんな状況ですから、自宅が大学に近いにもかかわらず友達を家に呼ぶこともできなかった。ただその時も“家が汚いから人を上げられない”ではなく、“私の家は人を入れたらダメなんだ”と漠然と考えていました」
作中では、そんな汚部屋暮らしの異常さや、母親の非常識さに気付き、勇気を奮って行動していく姿が描かれる。そんな主人公に自身を重ねるハミ山氏は、「人間は負のパワーでも成長できるのではないか」と問いかける。
「以前は自分の頭で何かを考えることを放棄していましたが、徐々に成長し、作中でも描いている“母を捨てる”という行動にいたります。つらいことや過酷な環境に遭遇し、そこで疑問を持ち、反発するような“負のパワー”かもしれません。そんな“負のパワー”が、成長の糧になることがあると思います」
“毒親”であることをはっきり認識していなかったが、それに気付き、決別したハミ山氏。苦しい境遇をバネにして、いまは自分の人生を少しずつ取り戻す日々だという。
あー。分かる。
仕事できない奴に多いんだよ。こう言う奴。
もちろん、相手が話した言葉はちゃんと耳に入ってるし、脳にも届いてるんだよ。
だけど、聞いた直後に自分の脳の中で勝手に処理が走っちゃって、相手が何を言ったのかが脳内に残ってないの。
具体例あげていく。
取引先「新商品ですが売り上げはどの程度を見込まれていますか?」
ワイ君「この商品はこれまで弊社の弱かった通販層へのアプローチを狙っており、ネット広告などを積極的に出していくことで知名度の浸透を考えています」
同僚君「初年度は1000万円、3年以内に5000万円まで売り上げを拡大する予定です」
回答を読む限り、「新商品」と言う単語から芋づる式に思い浮かぶ連想を語っているように読める。「売り上げ」について何も語っていないからだ。取引先が求めているのはこっちなのにも関わらず、だ。
何か簡単なお願いや質問をした後、「私の言ったことを復唱してみてもらえますか?」と言えば良い。やらかしをする人は、何も答えられない。何故か。相手の話した事に反応して自分の思考がスタートしてしまうからだ。自分の脳内処理で頭がいっぱいで、相手の話した内容が消え失せてしまうのだ。
この癖が治るまでは、ダメ人間扱いは止まらないと思う。そして、学校教育では人の言う事を聞くスキルがなくてもテストで点数が取れてしまうので、社会に出るまで自分の出来なさに気づかないパターンも少なくない。この問題を修正せずに出世する確率はひどく低いから、なんとしても修正した方が良い。
修正するために一番良いのは、復唱をする習慣をつけることだ。いわゆるオウム返しだ。
日常会話で無理して使わなくとも、相手から質問や指示を受けたときに、時々“確認目的で”復唱するだけで良い。復唱するには相手の話を聴く必要がある、という意味でトレーニングになるし、もし相手の話が聴けていなければ、修正してもらえるからいいことづくめだ。
取引先「新商品ですが売り上げはどの程度を見込まれていますか?」
ワイ君「新商品の売り上げはどの程度を見込んでいるか、という質問で良いですね?」
ワイ君「新商品の売り上げは….」
聞き手が、話を正しく聴けたかどうか、話し手に確認するテクは結構何処でも使える。脳内に長時間キープする必要すらないから、記憶力もあまり必要ではない。
話し手は、自分の話した事が相手に伝わっているかどうかについて、大抵不安がある。だから、わざわざ確認してくれるのは悪い話ではないのだ(あまり多いといらっとするので限度はあるが)。
そうそう、こういう事を伝えると、「相手の言う事をそのまま受け入れろと言うのか?」という反応をする奴がごくたまにいる。相手の発言に脳を占拠される感覚になるのかもしれない。
大丈夫だよ。相手が言ったことをちょっとの間だけ頭にキープして、「あなたの言ったことはXXですね」とリピートするだけでいいんだ。受け入れる必要はない。ただ、相手の言った事を脳内に留めておけば良いだけだ。そうする事だけでも、格段に相手と会話できるようになる。
いやいや、1200ドル程度を投資に回せないほどの無産階級という意味ではなくて、ましてや投資機会にアクセスできない程の赤貧プロレタリアートという意味でもなくて、そういう意志も意欲も知識もない連中が物凄い数いるってこと。
馬鹿が「件の闘争は」プロレタリアートによってじゃない」みたいなこと言い出すからそれに合わせただけで、プロレタリアートかどうかだなんてかび臭い定義の話なんてどうでもいいよw
「投資をするという意志も意欲も知識もない連中」も含めた現代の労働者階級によってBLMにしてもウォール街占拠にしてもGAMESTOPの株価吊り上げにしても起きてるんだから、階級闘争が成立しないとかいう馬鹿げた主張が間違ってるって言ってるだけ。
アメリカで起きてる白人至上主義者による攻撃的な諸々の活動なんてのは、現代の階級闘争そのものだろ。
彼らは開かれたグローバルな社会から排斥された「労働者」そのものだろ、かれらの活動は「階級闘争」の側面が強いことはわかるよな?
フランスでの黄色いベスト運動や、アメリカの公立学校の先生による賃上げ運動なんかをみても、資本主義先進国において現代もわかりやすい階級闘争が行われてることは明らか。
黄色いベスト運動があったのに、「階級闘争は起きない」とかいってるのは流石にニュース見て無さ過ぎ、馬鹿は自分の頭で考えるより世の中の情報をとりあえず沢山詰め込んだほうが良いぞ。
「ブルーカラーだろうと猫も杓子も株式やFXやビットコインにアクセスできる現代」であっても、そんなもん何のことかわからんとか、そんな怖いものには手も出せないとか、そういう連中はごまんといるわけで、機会の点ではより平等になった一方で、むしろそのことを言い訳にした巧妙な搾取が堂々と行われているのが現代なわけでしょ。無知無能は自己責任なので貧乏になって当然と言わんばかりでね。
だから、現代文明の落ちこぼれ達は、自分にはどういう機会があるのかロクに気づかず、また自分たちがどういう巧妙な搾取をされているかすらわからずに、反抗と異議申し立ての対象が何なのか見定められないまま、搾取をされて格差が拡大しているのが現状なのでは? (19世紀と違ってね)
ここらへんは論点ずれすぎ、「機会の平等によって結果の平等が得られてる」とか、「貧者は自己責任」みたいな話ししてないからw