はてなキーワード: 博愛とは
『公園のような公共空間においてホームレスが占拠的な使い方をするようになっていたとしても、境遇を考えればその身勝手さは受忍するべき範囲に収まる程度のものであり排除アートなどで追い出すべきではない』という考え方なのであれば、それは別にホームレスを博愛的に受け入れろということを意味していない。嫌なことだがその程度の精神的苦痛は我慢すべきものであるという考え方に過ぎないのであるから、自分の子供をそこに近付けて精神的苦痛をさらに大きくする行為をとらないという行動との間に何らの矛盾も抱えない。
世の中、嫌なものは排斥したり攻撃したりするのが当然だ、みたいな考え方をしている人が多いけど(これはリベラルでも同じ、というかむしろツイフェミなどの方がひどい)、その前の段階として嫌だけど我慢するのが妥当であるっていう領域があるんだよ。
何らかのトラウマを負った人が、その体験が不条理なものではなく必然のものだったのだと自分に言い聞かせるために、善人や悪人・幸福や不幸等を皆差異なく価値がある(逆に等しく価値がない)とみなすような、悪く言えば雑な価値尺度を持つようになるのはよくある話
嫌な人間や出来事を、「この人や事にも何かの意味がある」みたいに単一のルールで合理化するのはある意味簡単だが、「人類全体を愛することは隣人を愛するよりも容易だ」とも言われるように、個々の物事を個別のふさわしいやり方で処理するのは困難で億劫な行為
精神疾患は自己の現状と精神に大きな齟齬が生じたことの現れだから、今までの価値観で生活していくことはできないということだろう
既に人格改造するためにできることはやってきたわけなので、今更なことしか言えずすまないが、引き続きそうするための努力を続けるしかないのではと思う
鬱が治らない。
女、30手前、鬱歴5年。
仕事で成功して今のところ休んでも問題ない資金あり。結婚、出産も終えて円満離婚した。
人間関係良好。自由にさせてもらってストレスフリーなはず。博愛主義者なので人類皆愛してるからなんか負の感情とかない。
なのに、鬱が治らない。
薬はこれ以上どうにもならんと思う。
心理士系の国立の研究施設で認知行動療法やらコーピングやらもやったしカウンセリングも色々ためした
何で治らんのや。
何で希死念慮あるんや。
強いて言うなら16か、18くらいまでかなり過激な虐待を受けてきた。
食べるもんなくて草とか土食べたりとか、水死させられそうになったりとか。
特に気にしてはなかった。まあ親も人間なので。今落ち着いて仲良しだし。
でもやっぱりそれなのか?
八方塞がりです。あと何したらええのん。
鬱が治らない。
女、30手前、鬱歴5年。
仕事で成功して今のところ休んでも問題ない資金あり。結婚、出産も終えて円満離婚した。
人間関係良好。自由にさせてもらってストレスフリーなはず。博愛主義者なので人類皆愛してるからなんか負の感情とかない。
なのに、鬱が治らない。
薬はこれ以上どうにもならんと思う。
心理士系の国立の研究施設で認知行動療法やらコーピングやらもやったしカウンセリングも色々ためした
何で治らんのや。
何で希死念慮あるんや。
強いて言うなら16か、18くらいまでかなり過激な虐待を受けてきた。
食べるもんなくて草とか土食べたりとか、水死させられそうになったりとか。
特に気にしてはなかった。まあ親も人間なので。今落ち着いて仲良しだし。
でもやっぱりそれなのか?
八方塞がりです。あと何したらええのん。
心底どーでもいいんだわ。
究極俺に関係ないところならば社会がどーなったって構わないんだよ。
たとえば、俺が死んだ後とかな。
社会の役に立つんじゃなくて、社会を俺の役に立てることしか興味ないんよ。
自分が得することを享受し、損することを回避できりゃそれで万々歳。
みんなだってだいたいそーだろ。
損失をしょいこんでも社会に奉仕したいやつなんてそうそういるもんじゃねえ。
だから、ご立派なべき論ばっか打ち立てられても社会の大多数たるところの俺みてーなやつは動かんのだわ。
利得を貪り損害を回避したいフツーのやつがその欲望の通りに行動しただけで、それが自動的に社会にとって望ましい行動になってるように法を設計すんだよ。
俺らみてーなやつを社会のために行動させたいなら、そうする以外の方法は一つとして無え。
でもさ、ご立派なべき論打ち立ててる奴ら、そういう方向性の活動はやんないだろ?
法を作ったり、ルールを作ったりだよ。
だって自分がそれするだけ損だもんな。結局、人ってそういうもんなんだ。
だからこの社会は永久に動かねえ。動くのは、何千人にひとりしかいないであろう損得度外視で全体のこと考えられる馬鹿みたいな博愛主義者が、たまたま運が良くて活動を成功させた時だけだ。
全国の同胞たちよ、
全ての人はみな、平等な権利を持って生まれています。創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権、自由権、幸福追求権があります。
この不滅の文言は、アメリカの1776年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族も生存権、幸福権、自由権を持つということを意味しています。
1791年のフランス革命における人間と市民の権利の宣言(※人権宣言)も、「人は生まれながら自由であり、平等な権利を有し、常に自由であり、権利について平等でなければならない」と言っています。これは、誰も否定することはできません。
それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由・平等・博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。
統治において彼らは、私たち人民に自由・民主を僅かでも与えることはありませでした。
彼らは野蛮な法律を施行しました。彼らは中部・南部・北部でそれぞれ異なる制度を作り、私たちの国家統一を妨害し、私たちの民族団結を妨げました。
彼らは学校よりも数多く監獄を建てました。彼らは、私たちの国を愛し民族を愛する人々を斬り殺しました。彼らは、血の海に私たちの蜂起を沈めたのです。
彼らは、アヘンとアルコールを使って、私たち民族を衰弱させました。
経済において、彼らは私たち民族を骨の髄まで搾取し、私たち民族を困窮、欠乏させ、私たちの国をずたずたにし、不況に導きました。
彼らは数百の理不尽な徴税を行い、私たち民族、特に農民と商人を貧困に陥れました。
彼らは私たちのブルジョワ台頭を許しませんでした。彼らは私たちの労働者を情け容赦なく搾取しました。
1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本のファシストがインドシナを侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本に私たちの国を明け渡しました。そのときから、私たち民族はフランスと日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから、私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞が餓死しました。
今年の3月9日、日本はフランス軍を武装解除しました(※仏印処理)。フランス帝国主義者は逃げる者もいれば、降伏する者もいました。
つまり、彼らは私たちを保護するどころか、5年の間に2回も私たちの国を日本に売ったのです。
3月9日以前に、ベトミン(※ベトナム独立同盟会)は何度もフランス人に対して、日本に対抗すべく同盟しようと呼びかけました。フランス帝国主義者はこれに応じず、より一層ベトミンを迫害しました。更には、敗走の際、彼らはイエンバイとカオバンで政治犯を多数虐殺しました。
しかし、フランス人に対して私たち同胞は依然として寛大で人道的な態度を保ちました。3月9日の変動後、ベトミンは辺境へ逃れた数多くのフランス人を助け、日本の収容所から多数のフランス人を救出し、彼らの生命と資産を保護しました。
実際、1940年の秋から私たちの国は日本の領土となり、もはやフランスの領土ではありませんでした。
日本が連合国に降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。
実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。
フランスは逃げ、日本は降伏し、バオダイ帝は退位しました。私たち民族は独立したベトナム国を建設するために、100年近く帝国主義者たちと戦いました。私たち民族は、何十世紀も君主制と戦い、民主共和制を築いたのです。
ですから、私たち新ベトナム国の臨時政府は、ベトナム全国民を代表して、フランスとの関係を離脱し、フランスが署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム全国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています。
私たちは、テヘラン及びサンフランシスコの会議で民族平等の原則を認めた連合国が、ベトナム民族の独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています。
ある民族がこの80年以上にわたりフランスの奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族は自由を得なければなりません! その民族は独立を得なければなりません!
これらの理由から、私たちベトナム民主共和国の臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。
ベトナム国は自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を維持するために、精神、軍隊、生命、そして財産のすべてを持つ権利があります。
これを以て「ベトナムは日本のファシストから独立した」って喧伝してる人がいるけど、
ですから、私たち新ベトナム国の臨時政府は、ベトナム全国民を代表して、フランスとの関係を離脱し、フランスが署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム全国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています。
私たちは、テヘラン及びサンフランシスコの会議で民族平等の原則を認めた連合国が、ベトナム民族の独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています。
ある民族がこの80年以上にわたりフランスの奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族は自由を得なければなりません! その民族は独立を得なければなりません!
これらの理由から、私たちベトナム民主共和国の臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。
ベトナム国は自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を維持するために、精神、軍隊、生命、そして財産のすべてを持つ権利があります。
朕惟フニ我力皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨り朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
例えば自分が飼っているミケちゃんだけを愛するのではなく、この世に存在している全てのネコを愛している節がある
ヒト好き……って人は滅多にいない
例えば自分の親、兄弟、子、友人、恋人は親愛の対象だが全てのヒトが博愛の対象ってのはあまり聞かない話だ
なんかアンバランスさを感じる
種族全体に対する博愛がネコに対して発動しやすくヒトに対して発動しにくいのは何故か?
以下考えた結果
イエネコの顔はヒトの赤ちゃんに似ている、みたいな話があったはず
赤ちゃん好きな人はこの世に存在しているすべての赤ちゃんを愛おしく思う……ってのはありそうな話か?
であれば本来ヒト族の幼体を愛する感受性をハッキングしているのがネコ族ってことか
赤ちゃんに対する博愛が誤作動した結果ヒト以外の種族がまるまる博愛の対象になることがある、か
なるほどね
チャールズ・テイラー(カナダ)は博愛主義(philanthropy)を世俗主義(secularism セキュラリズム。政教分離、信教自由、宗教差別禁止原則)という形にもっていった
プロテスタントは一方で、共和党トランプのポピュリズム政治(populism 大衆の権利尊重、人気取り)をくさすようなので
セキュラリズムの世俗派(非宗教派)と、ポピュリズム(大衆派)との違いは意識すべきだと思うのだ
プロテスタントは異端差別は嫌なので、セキュラリズム(宗教差別禁止)を「世俗派」と和訳したのかもしれないが
つまりは世俗的資本家(ノブレス・オブリージュでない)の宗教といった風でもある
でアメリカではプロテスタントは(大衆派であるかのように)中絶自由を求め、カトリックは堕胎禁止(皇統ぽい)を求めるという争いがあり
日本ではポルノ規制しろフェミと、表現規制するな派の争いがあるので、ベクトルが反対ではあるが、企画者は同じようにも思える(CIA?)
結局は利権維持のために、医師業界や法律業界を優遇拡大するのかな
真面目な業界人に逢えるといいなあ(棒)
具体的に言うと、帰社時挨拶されない、女性職員から膨大な仕事を振られて残業になりかけても見て見ぬふりをされる、などなど。
去年若い臨時職員が部署の全員にチョコを配り両手で抱え切れない程のお返しを貰い次年度の業務をGETしていた。下らない仕事だが、継続してボーナスが入ればデカい。
自分も前例に倣うべきだと、倣わなければこのクソ狭コミュニティの中では村八分に遭うだろうというのは想像に難くなかった。
バレンタインとは謂わば職場での立ち位置の奪い合い、コネとエゴが右往左往する一大イベントなのだ。
ちょっと仲の良い職員には色を付けた商品を、何なら業後こそっと手渡す。
なので、異動前の部署へ突撃してバカ高いお菓子をバラ撒きたい。
一部の人は私を思い出すだろう、女性職員の中で爪弾きにあいながらも「家族のようで楽しかった!」と最近見聞きした推しの挨拶をそのまま流用した私を。
仕事が逼迫し上司にブチ切れ、しかし本心では仲良くなりたくて趣味の話を合わせていた奇怪な言動を繰り返す私を。
何故ならその部署のエリート新人は今の部署の二十代新人と内通しており、夜な夜な呑み歩いては赤提灯の下、頬を染めている。
私はその人間関係に一石を投じるのだ。
まるで全人類を愛するが如く、博愛主義者の如く身銭を切って返報を求めないが如く、貞淑な妻の如く、三月のイベントなど何も知らないかの如く、配り続けるのだ。
歴史に大した名も残しはしない、細やかな私の愛のプレゼントに一同顔を歪めるがよい。
博愛なんて言うけれど、いっぺんに地球全体なんて本当は愛せない、本当の意味で愛せるのは、家の前に咲いている花ひとつひとつ、隣にいる人ひとりひとり。ミクロな視点を持つことでしか愛は成り立ちえないということ。だから愛なんてある意味しょーもないのだ。同様に人の幸せなんてものもしょーもない。わたしはすずめの戸締りからそういうメッセージを受け取った。
なぜそうたに教員採用試験の設定があったか。そうたは神的存在ではなくあくまで人間で、人間の幸せとはそういう日常の機微だからだ。「死と隣り合わせである」ということなんて忘れてしまいそうな機微があってこそ、幸せがあって、だからこそ人間である。そうたは一方で人生は儚く、人間なんてしょーもないと分かっていたが、一方でそんなことは忘れてしまいそうな日常に生きているし、神様ではなくて人間でありたかった。
地震とは「人生は儚く、生と死は隣り合わせである」ということを忘れた人間に、死を思い出させるためのもの。わたしたちは本来もっと大きな存在に生かされているに過ぎないのに、人はすぐ自分の運命は自分が握っていると思い込む。多くの人はそうだけど、「生きるか死ぬかなんて運」という思想を持つすずめだからこそ、「大きな存在」と対話し扉を閉めることができた。
でもなぜそこにいた人々を想像して、声を聴くことで扉を閉めることができるのか?わたしは「大きな存在」もまた人を愛するからだと思う。「大きな存在」が人なんていうちっぽけな存在の話を聞いてくれるのは、「大きな存在」が愛というミクロな視点を持っているからだ。そうたが「今もう少しだけ時間をください」みたいなことを言いながら扉を閉めてたけど、そんなちっぽけな時間に「大きな存在」が目を向けてくれたのはそれに愛というミクロな視点があるからだと思う。そしてきっとしょーもないなとも思っているのだと思う。
そういうしょーもない愛や幸せ、「死と隣り合わせである」なんてことも忘れてしまうくらいのしょーもない日常を、僻んだりせず愛しいと思う愛もまたしょーもないけど、そういう愛の連鎖と交差が人の人生を満たしているものだと、きっとこの映画は伝えていた。「人生は儚く生と死は隣り合わせである」という思想を持つ二人が最後お互いに「(それでも)あなたと生きたい」と言えたのは、誰かから愛されているということと、誰かを愛するということは、しょーもなくともそれだけで人が生きる理由になるということだと思う。
そしてだいじんこと神もまた、愛というしょーもないミクロな視点を持っていたから、最後は「すずめのために」自ら石になった。「ありがとう」と一言言ってもらえたというしょーもない理由で。
愛も幸せも人生もしょーもないと分かっていながら、それでも幸せでありたいと願うことと、人を愛することで人生を満たして生きていく。人間にはそれしかできないけど、でもそれもまたきっと素晴らしいとそういうことを映画全体で言っているように思えた。
実写化でもまあまあ見れる、それどころかかなり良いかんじの作品も増えてきた。
くだらない話なんだけど、どこかに吐き出さないとやっていられない。
原作は、サイバーパンクの世界観で、探偵と助手のコンビを中心に展開するオムニバスである。
私は、作品を箱推しするタイプだ。ただ、この作品に関しては、主人公二人をかなり推している。関係性から人物像から、嘘じゃないかって思うくらい好みだった。
まず、助手の外見である。もともとは宇宙人で、地球の環境に合わせて体を作り変えたサイボーグだ。原作では、外見にひと目みればその人とわかる強烈な特徴がある。
アクションが多い作品ではあるが、探偵は戦闘(というか人を傷つけるのを)を好まないので全然戦闘能力がない。荒ごとはだいたい助手の担当だ。
主にこの二点だが、これがもう見事に無視されている。
わかってはいたが、こんなに清々しいと怒りよりもあっけにとられる感覚が強い。
助手は至って普通の女になっていたし、探偵は小さめのピストルを携帯し、いざとなれば助手の背後に迫る敵対者を撃ち殺してウインクなどしてみせる。控えめに言って解釈違いである。
助手の話をさせてほしい。
彼女(一応作中では彼女、と言われているので彼女と呼ぶ)の設定はやたらと複雑だ。もちろん、だからこそそれをすべて実写作品にも盛り込めなんて無茶は言わない。
私が許せないのは、前述した外見的特徴を消してしまったことだ。
これは、彼女のアイデンティティといっても過言ではないものだ。地球で一人っきりでいる彼女の、宇宙人としてのアイデンティティそのもの。これを製作者は取り払ってしまったのである。
この際、中性的で慇懃な言動が今どきの流行りに載っていわゆる「強い女」テンプレにはまっていたこともいい。良くないがまあ良い。いや、自分に言い聞かせてはみたがやっぱり良くない。
もともと、因縁があって探偵を憎んでおり、虎視眈々と彼を殺す機会をうかがっている助手である。
だが、無益な暴力は振るわない。その程度の分別もない愚か者だと思われているっていうことなんだろうか。
当然のように外見と性格の件でTwitterも炎上しているが、これについて制作側のコメントはない。
映画オリジナルのストーリーに関しては……アクションだけはよかったんじゃないかな。
助手が不意をつかれて攫われたり拷問されたりするなんてことは、原作を見ればありえないことくらいわかるはずだ。
助けにきた探偵を見てちょっと嬉しそうにするなんてこともまずない。
探偵についてもそうだ。
そもそも博愛主義で誰も(物理的に)傷つけないことを信条に動いている彼が、身を守るためとはいえ人に向かって発砲したり、まして頭を狙うなんてあってはならない。これは誰でも言うと思う。
人を傷つける探偵、正直ただの女の助手と同じくらい見たくなかった。
男女の組み合わせを安直にカップルみたいにする風潮、なんなんだろうか。
原作者の発言力ってそんなに低いの? それとも、原作者がGOサイン出したってこと?
なかったことにして原作を引き続き推すつもりだ。だった。本当だ。
助手が探偵に対してやや心変わりをしつつあるのを見たからだ。こんなに心が乱れたことはない。ていうか実写映像見たときだって正直まあそんなもんだなって思ってた。
でも、あんなに探偵を嫌ってた助手が、ほかでもない原作で、探偵を信頼しつつある。
もしかしたら、全体の流れからしたら、諦めとかそういう気持ちがわいてきても不思議じゃないタイミングかもしれない。
だけど、あの実写の後だ。
もし原作者があの設定を気に入ったんだとしたら?
これまでの設定を気に入ってた私みたいなファンはどうしたらいいのかな。
私もそもそもコメントでやり取りできる場だと知らなかったから、ちょっと気恥ずかしく思ってるよ!
友達にも、あなたはどちらかと言えば人類愛や博愛という感じなのかもねと言われたから、そうなのかもしれない。わかんないけどね。
likeはある、Loveもある、でも恋愛のLoveが無いだけだと思ってるよ。
恋するのは未熟故、そうは思わないけどな!他人を激烈に思えることが未熟って感じはしないけどな……!
でも気持ちに振り回されるのを子供故に、と思うのも確かに一理あるような気もする。
でも、他の方も仰ってた「むしろ精神的に子供すぎて恋愛できてないのでは」というのも一理ある気がする。難しいわ感情、恋愛。何故こうも難解なの……。
ボカロもそうだけど、私の視点からするとやっぱり恋愛の歌は多いなと思う。一見してそうじゃなくても「あなたに会いに行く」みたいな歌詞を見ると「これはもしかして特定の恋愛相手のことを指すのかな」と感じたりもする。そう出ない可能性もあるけどね。
曲の解釈は本当に幅広いよね、直球で具体的な歌詞出会ったとしても解釈わかれることもあるし。
あなたが、命ばっかりをどういう視点でとらえたのか興味あるな!
恋愛が溢れててうんざり……とまでは実はそんなに思わないかも!ちょっと寂しい!みたいなチクッとしたダメージをちまちま受ける機会があるだけで、楽しそうな人らが楽しそうなのはいいなと思う。恋愛ソング可愛い、恋愛してる友達可愛い、恋愛してるキャラクターたちも可愛い!とか結構あるよ。理解できないけど楽しそうなのは可愛いもんな。
その分失恋はすんごく辛そうやが……それもまた私は興味深い経験なんだろうな……いいな……って少し思ってる。友達に話したら「こんなもん体験しなくていいならしない方が絶対いいぜ、クソ辛いもん」って言ってたけど、無い感情に興味が湧いてしまうのは許して欲しい……いや辛い目に積極的に会いたい訳では無いんだけどね。
作曲してみたいなんていいじゃんね!創作活動は楽しいぜきっと!
他の人にも言ったけれど、想像になってもそれ自体は別にいいんじゃないかなって私は思ってる。
仕事とかでは無い創作は自己満足から始まるもんだと思ってるし。そもそも「自分では無いもの」を描く時点で、どんな人も想像で描くことになる部分が出てくるのはそうだと思う。自分のことを綴るばかりが創作では無いと思うしね。
ただもちろん、そこにリアリティを求めたいなら、やはりどんなことでも当事者にインタビューしてみたり、調べて見たりするのは重要なんじゃないかな。
私も普段の趣味の創作で「恋愛感情」を描く時は周りにめちゃくちゃ聞いてえがいてるよ。
それでもなんだか違和感がある気がしてオドオドしてしまうから、まあアレなんだけどな!
ここの文をこんな長文で描き殴れたのも、私自身のことを勢いに任せて書き込んだだけだからだし……自分と異なる感情を想像するのは難しいよなあ。
歌詞を書けば!?と他のコメントでもあるけど、私にそんな能は無い(笑)
歌詞作るのてメチャ難しそうじゃない!?どうやるんだろ、メロディ先に作って歌詞載せるのかな、歌詞書いてからメロディ考えるのかな。
でもメロディ似合う歌詞の量じゃないと、破綻しそうじゃない!?
私にはとても書けそうにないと思ってる……いつか挑戦してみてもいいかもだけど!
……質問とかがあるからば……ここで聞かれた分には私が飽きるまでは絶対答えるからな……!私も色んな人に恋とはなんぞやとアホほど問うたし、それに会話が続くのは楽しいものだしね。もちろん無理に会話を要求する訳じゃないし、きっとここはそう言う場ではないやろからね。チラ裏!
博愛主義とか人類愛とかあってたとえば犬よりは人のほうが結婚しやすい。
言葉がつうじて価値観が共有できる。ウンコをそこにするなといえばしない。
あと「完全に他人である同僚、友人」だから結婚できるのであってパパママ妹弟と結婚するのはやっぱりできなくはないけどダメだろ。半分自分と遺伝子が共通なものを好きになるのなんてちょっと拡大した自己愛みたいなもんじゃん。
自分とおなじ人間ってのはやっかいだぜ、おなじことでおなじように悩み落ち込む。流してくれたり違う視点を提示してくれたりがないとなると一人きりでいるのと大差ないよ。
じゃあ20年ごとに新しい視点をいれるため新しい人と結婚しなおそうとおもう?
軍隊は不足するから補充する、後行程引き取りを行う組織
見識広いはてなーは「えっそれって」と目を見開くはず
(正確性は落ちるけど部分的に)軍隊はトヨタ生産方式、カンバン方式
つまり平時は職業軍人を主体に組織が維持されており、戦時となり前線の職業軍人が不足すると後方の職業軍人を前線へ配置転換し、後方に空いた穴へ徴兵された人員を補充するのが基本なんだ
例外はもちろんあるものの基本的には揺るがず、それは何故なら職業軍人は規律を知り、兵器を知り、知識を知っているから訓練コストが徴兵された人員より著しく低く直ぐに戦場で運用可能だから
徴兵された人員が短期間とたたず前線で死ぬことは今の戦況で(例外を除けば)ありえないんだ
「戦争 = 悪」と断じるのは平和主義者・博愛主義者として実に正しいが「徴兵 = 即死」くらいの勢いで徴兵を叩くのは誤った情報を流していると言わざるをえず、その誤った情報によって戦争では人がより多く死ぬ
平和主義者・博愛主義者のアナタが発信する誤った情報は本来助かるはずだった兵士の命を散らす
今回のロシアの狙いはまさに前線の職業軍人が減ったので後方の職業軍人を前線へ配置転換し、後方の空いた穴へ徴兵された人員を置くのが狙いだ
後方の徴兵された兵士の多くのが主に何をするか?と言えば「兵站の維持」であると思われる
つまり、今回のウクライナ戦争で露呈してしまったロシアの脆弱な補給線が更に弱体化することを意味する
徴兵制を採用するロシアであれ1年程度の訓練じゃ素人同然であり、その素人を再訓練し配置するのだから補給線は弱くなる、1秒掛かっていた1歩が数秒かかるようになる
これはウクライナおよび欧米諸国がロシアの補給線へ目をつけて妨害を繰り返していた成果が発揮されたことによって起きたこと、部分的であれ徴兵というカードを切らせた時点で補給線がボロボロになったことを自白させたことへ等しい
地味だし時間は掛かるが確実に効果がある戦略を取り続けたウクライナと欧米諸国へ敬意を示したい
不足するから補充することを軍隊が繰り返せばどうなるか?民間企業工場や兵器工廠で兵器生産をクッションのように支えていた男性労働力が不足していき、やがてそのクッションは失われる
男性労働力というクッションが失われれば求められるのは女性労働力であり、もしもロシア国内で民間企業工場や兵器工廠に多くの女性が採用され始めたときロシアの補給線は虫の息と言える
このような状況となっているときは既に徴兵人員の多くが前線へ駆り出されていることだろう
徴兵は順番なのだ、徴兵が順番だからこそウクライナと欧米諸国はロシアの補給線へ執拗に攻撃を仕掛けているのだ
そこは日本でも同じ
日本が交渉の末に外国との戦争状態へ陥ってしまったとき先ず徴兵されるのは予備役自衛官で、その予備役自衛官は後方へ配置され、はてなブックマークなどで誤った情報を流し続ける平和主義者・博愛主義者が先ず配置されることは決してない
予備役自衛官というカードを使い切ったとき初めて民間人が強制的に徴兵される(まぁそれが想定される状況になったら日本人男性は日本国外へ出られない法律が出来るだろうけど)
アナタたちが、アナタたちの大切な人々が強制的に徴兵されないようにする方法は4つしか無い
ちなみに4つ目は日本帝国軍へ志願した男性が語る理由の1つでもある
つまり「俺が志願すると空きが1枠埋まるので徴兵対象拡大を1枠分だけ遅らせることが出来る」という考え方だ
馬鹿馬鹿しいクソみたいな考えだが「その1枠分で俺の子供が参戦しなくても良くなる可能性がある」ので馬鹿馬鹿しいクソみたいな考えを納得できなくても理解してしまう父親が少なからず居ることだろう
本当にクソだよなぁ?戦争ってよ!!
そりゃ自分の息子をロシア国外へ逃がすだろうさ!そして父親はロシア国内に残る、1枠残すためにな!!!
親父って馬鹿だよぁ?
そんなことしたって単なる自己満足じゃん!自己満足のため戦争へ加担するなんて平和主義者・博愛主義者に叩かれちまうぜ!
子供の役目しか経験したこと無いヤツへ、親の役目を経験したことないヤツへ一番言いたいわ。
たいての親は馬鹿でクソみたいな理由で参戦し、そしてまだ親でないお前を逃がそうとするぞ。
口だけが上手いお前を産むって判断した時点で狂おしいほどの馬鹿なんだよきっとな。
戦後日本の反省により構築された愛国心に懐疑的な精神性というものは存在したと思う。国を信じ国に従うことで他国を破壊し戦争に負け、戦犯として裁かれ、アメリカ統治の元で環境が激変したのだからそれは自然に起こっただろう。
ネットが普及する中で、これに対するオルタナティブな考え方、つまり薄っすらとした愛国心としての自己肯定、それに伴う博愛や外国への反発、差別意識の表出が広まり、ネトウヨと名付けられた。これは当初、戦後教育へのカウンター的な意識だったはず。
このネット上の空気にはじめから触れている層には、それ以前の世代の意識が左に寄っているように感じられるかもしれない。ネット上で発生した空気を観測してきた年代の人には、考え方が右傾化したように見えるだろう。
おれは戦後教育が描いていた、理想的なお花畑の世界観が好きだ。理想としてビジョンを持たなければ、そこに到達することはないから。