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はてなキーワード: 単純化とは

2024-02-24

anond:20240224121151

ファッションなんて自己満で当たり前だし、

ファッションに大して労力を費やしたくない人(世の大多数)でもカジュアルに参考に出来る事が最優先事項なんだから単純化されてなきゃ使えないし、

それが必要いくらファッションに労力を費やせる増田にとっては必要がないけど、世の大多数の人には必要から流行ったというだけの話だろうに

何で「自分には必要ない」というだけではなく「この世の全ての人にとって必要ではない」って言いたがるのか

2024-02-22

anond:20240222131228

女性巨根万能説に同意せず、租チンでなければよい、普通全然よくて巨根の度が過ぎていると痛い、などの意見が多く、

女性が毎月体調に左右される反応に再現性が無いことに対応できる「非言語コミュニケーションスキル」を前戯力として高く評価する傾向にあるけど、

男性巨根万能説、それもデカければデカいほど優れているという数値バトルをしがちで、これは発達障害知的障害があっても「大きければ大きいほど勝ち」という単純化した話にならついていけるからだと思う。

実際は偏差値50~60くらいのゾーンが人気があり、偏差値80のサイズになると痛みのせいで嫌がられ始める。もちろん、偏差値30も嫌がられるが。奇乳より美乳モテるのと同じ。

そして人の中身である知能と発達はとても重要。あと清潔であること、経済的地雷を抱えていないことだ。

2024-02-18

anond:20240218183211

そりゃ円高になって人件費が安い国に工場を作ろうと企業が逃げまくって国内求人が足りなくなり内需経済が立ちゆかなくなったのが民主党の1ドル80円時代。やっと元の求人になったってことはまだ回復途中なの。

民主党円高製造業壊滅説はあまり単純化されすぎているため有害

2011年10月の1ドル75円は、実質実効為替レートで見れば2000年台と大して差がない

実際は日本製造業が衰退しはじめたのは1990年代初頭から

韓国台湾中国エレクトロニクス産業国際競争に敗れたことと、アメリカIT産業に完敗したことが原因

割合としてはアメリカとの国際競争に負けたことの方が影響が大きい

2024-02-17

教育費を抑えることは可能か?

anond:20240216195122

元増田

 

話の構造単純化すると

・まず大切な子供がいて

子供が将来まともな職(高給・安定)に就けるようにしてあげたい

・そのために、いい学校に入れてあげたい

・それにより、教育費が上がり

・結果子供1人が限界になる

という問題

 

もっと単純化するとこれは

予算一定であるとき、1人に全部使ったほうが強い個体を作れる」

という問題だと思う

 

これミクロで見た戦略としては非常にスマートだよね

ただしマクロで見ると少子化となって社会は死んでしま

一次産業二次産業ときだって人間スマートに「できるだけたくさん産む」という戦略を取っていたわけで、本質的に変わったわけではないと思う

 

じゃあ市場を「2,3人生むのが最適」という状態に上手く持っていく必要があって、そうじゃないと絶滅は避けられれない

それをどこでコントロールするかという問題だと思う

教育費を固定

市場バランス

個人自由制限

色々あると思うけど、どれも難しそうだ

中国は一旦教育費のアプローチを取った

 

ーーーー

もちろん教育以外の要素(例えば娯楽の増加による婚姻率の低下)とかもあるんだけど

特に中韓では教育問題が大きいように見えた

儒教問題デカそうだけど、アッパー層ですら1人に絞るのが奇妙に感じた(無尽蔵に教育費をかけられる問題

日本はよく分かんないね

でも着実に増えていると言うデータもある

https://data.wingarc.com/education-cost-per-child-45718/amp

このスマホ時代に何で上がるんだ?と疑問なんだけど

2024-02-14

楽天はどうしてそんなにスマホを売りたいの?

極端な単純化をすれば楽天の規模拡大のためにスマホが最も重要事業なんだろうけど

それは他の事業ではどうしてもダメだったのかな?金融不動産とか手段はあると思うんだけど。

それとも日本通信業界をひっくり返して健全化するために黒船的な思いとかもあるんだろうか。

それとも三木谷社長個人尋常ではなく大きな野望を実現すための事業になっているのかな。

2024-02-13

anond:20240213233456

男ってのも画一的記号しか見てないと思う

ってか男ってのが「自分しかいないと思ってるんじゃないか

まともな人付き合い経験あればそんな単純化できるわけないのがわかるだろうに

2024-02-10

なぜ「小学館第一コミック編集者一同」の声明気持ち悪いのか

面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。

問題文章

https://petitcomic.com/news240208/

この文章が一読して耐え難いほどに醜悪理由を書く。以下、上記URL文章について「本テキスト」と呼称する。

結論

テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。


こうとしか読み取れない理由を書いていく。

なにを主張している文章

テキストそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。

前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館ドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。


順番に見る。

テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。


ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。

要約するとこうなる。


著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」


この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語使用している以上、ここには明瞭な主張がある。

それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。

暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」結論していることになる。


……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか

彼女が本当に「ドラマに口を出してしまたこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権行使)」は、12月時点で終わっていたのだから


そんなわけねえだろ。馬鹿か。


ここには明らかに問題すり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪論理欺瞞があるのだ。

明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。

一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキスト同意することができるだろう。


そんなやつ、どこにいんの?


誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。

にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか

何のための文章

素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇再現を食い止める」だ。

まりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。

ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで著作者人格権をめぐる認識」が事件本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動自殺関係がないことになる。


ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。


なにが「事態単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係時系列無視した、問題ミスリードだ。

そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。

ここには事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。

そうするともう少し穿った見方をしたくなる。

まり「本件を「著作者人格権問題」にすり替える」ことが、本テキスト目的だったのではないか、ということだ。

看過しがたい欺瞞

この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかもっとおぞましいのはこの先だ。

要約するとこうなる。

ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館ドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである

テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。


正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。


芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?

他ならぬ芦原氏がブログで書いていた言葉引用する。

https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。

加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。

(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

これは芦原氏が「小学館時系列に添って事実関係確認し、文章の内容も小学館確認して書かれた」文章だ。

さて、あらためて本テキスト引用する。

原作である先生にご納得いただけるまで脚本修正していただき

馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。

その文章確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?

ここに自己保身以外のいかなる感情があろうか。

ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。


そもそも意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのかガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。

明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から彼女修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館責任はないのか?


無論、担当編集者メディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場担当者たちを非難していい理由にはならない。

繰り返すが、現場担当個人責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力たから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任消滅させる理由にもならないのだ。


小学館責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向ドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的ドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて責任があるのだ。

にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。

それこそが本テキスト歴史的気持ち悪い理由ひとつだろう。

再度「誰に当てた文章か」

書くまでもないことを最後に書く。

ここまで確認してきたように、本テキスト作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」目的としたものである


その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。


この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない

欺瞞自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪レトリックを駆使した挙句そもそもテキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているかだ。

終わりに

本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。

小学館悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題TV局の体質的問題、悪意を増幅させるSNSというシステム問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。


それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。

騙されてはならない。


テキストは、どこをどう読んでも、クソ以下の文章だ。

2024-02-05

anond:20240205185130

この文章はいくつかの問題点があります。主な問題点を以下に挙げます

偏見と決めつけ:

文章は、エコーチェンバー批判的な人々を一方的非難しており、彼らの意見単純化しています。また、エコーチェンバー否定する人々の意見稚拙であるという前提に基づいており、このような決めつけは対話理解を妨げます

エコーチェンバーの影響の過小評価:

エコーチェンバー、つまり自分意見や信念を強化し、異なる視点排除する情報の循環環境は、社会的政治的分断を深めることがありますエコーチェンバーが悪であるという見方は、このような分断を避け、より健全公共対話を促進するための懸念から来ています

コミュニケーションの欠如:

この文章は、エコーチェンバー問題に対する深い理解や、異なる意見を持つ人々との建設的な対話重要性を認識していないようです。異なる視点を持つ人々との対話を促進することは、社会的理解を深め、共通の基盤を見つける上で重要です。

攻撃的なトーン:

文章攻撃的なトーンを用いており、これは他者との対話理解を構築する上で有害です。相手尊重し、開かれた心で対話を試みることが、より生産的な議論につながります

一般化と単純化:

エコーチェンバーに関する複雑な問題単純化し、すべてのエコーチェンバー批判者を一つのグループにまとめています。このような一般化は、問題多様性と複雑さを無視し、有意義議論を妨げます

この文章問題点を指摘する際は、批判的な意見を共有することも重要ですが、対話理解架け橋となるような言葉遣いや態度を心がけることが重要です。

anond:20240205173919

親の名字使用することが家父長制に根ざしているという主張に対する理解を深めることから始めるべきです。

まず、この主張は、家族名前選択に関しては、性別に基づく不平等存在するという点を指摘しています

しかし、この問題に対する解決策として「父親名字を使わせろ」というフェミニスト要求を単純に家父長制の一形態と見做すことは、議論単純化しすぎると考えられます

名前選択自由:

フェミニストの主張の核心は、名前選択において個人自由尊重することにあります

これは、家族名前選択する際に、伝統的に父親名字を選ぶ慣習に疑問を投げかけ、母親名字を選ぶ選択肢も同等に扱うべきだという意見です。

この観点からは、個人自分アイデンティティ自由表現できるようにすることが目的です。

2家父長制の再考:

父親名字使用すること自体が家父長制を強化するという批判は、伝統文化内での性別に基づく役割固定化を指摘します。

しかし、真の平等を目指すには、選択肢を拡大し、個人自由にその選択を行えるようにすることが重要です。

まり父親名字だけでなく、母親名字、または両方の組み合わせなど、名前選択において多様性を認めることが求められます

平等への道:

名前選択を巡る議論は、より広い社会的文化的な平等への議論の一部です。

家族名前選択における平等を実現するためには、法律政策見直し個人自分アイデンティティに合った選択ができるような支援必要です。

これには、教育や啓発活動も含まれます


要するに、フェミニスト要求を単に家父長制の一形態として切り捨てるのではなく、名前選択自由を通じて個人アイデンティティ尊重し、社会的平等を実現するためのステップとして理解することが重要です。

この問題に対する多様な視点対話を深めることが、より平等で公正な社会への道を開く鍵となります

anond:20240205173334

理解不足、誤解、過度な単純化などの問題点があるのですね。ではなぜこのような非論理的思考に陥ってしまうのでしょうか?

■非論理的思考に陥る原因は多岐にわたりますが、以下に主な理由を挙げます

1. 情報の不足や偏り

十分な情報がない、または特定情報からのみ情報を得ている場合、偏った見解理解不足が生じます特にソーシャルメディア特定ニュースチャネルなど、偏りのある情報源に頼っていると、狭い視野物事を考えがちです。

2. 確認バイアス

人は自分既存の信念や仮説を支持する情報に注意を向け、それに反する情報無視または軽視する傾向があります。これにより、一度形成された意見や信念を変えることが難しくなり、非論理的な推論に陥りやすくなります

3. 思考の省力化

複雑な問題簡単理解しようとする際に、ステレオタイプ一般化に頼ることがあります。これは思考の労力を省くための戦略ですが、過度に単純化された結論につながり、現実多様性や複雑さを見落とす原因になります

4. 感情的な反応

感情思考プロセスに大きく影響する場合論理よりも感情に基づいて意見形成することがあります。これは特に個人アイデンティティ価値観に関連する議題において顕著です。感情的な反応は、しばしば非論理的結論偏見に繋がります

5. 社会的影響

周囲の人々や社会的圧力思考プロセスに影響を与えます集団内で共有される意見や信念に同調することで、個人社会的な受容を求めるかもしれませんが、これは必ずしも論理的分析批判的思考とは一致しません。

6. 教育批判的思考スキルの欠如

批判的思考を促す教育が不足している場合、人々は情報分析し、論理的に推論する能力を十分に発達させないかもしれません。このスキルの欠如は、誤解や非論理的結論に陥りやすくする要因です。


これらの要因は相互に影響を及ぼし合い、複雑な社会的文化的議論において非論理的思考矛盾した意見が生じる背景になり得ます意見形成する際には、これらの要因に注意を払い、多様な情報から情報を得て、批判的に分析することが重要です。

anond:20240205172248

□今からある文書を貼ります、それを要約して下さい

はい文書を貼り付けてください。要約いたします。

□(ペースト


■この文書は、フェミニズムリベラル派が夫婦別姓を支持しながら自分の姓を保持しようとする態度について、疑問を投げかけています

著者は、保守派自分の姓や家系にこだわるのは理解できるが、フェミニズムリベラル派が同様の姿勢をとることに対して矛盾を感じているようです。

特に、家制度批判であるにもかかわらず、自分の姓を守りたいという態度は矛盾していると指摘しています

この文書は、姓や家制度に対する価値観の違いと、それらがフェミニズムリベラル思想とどのように関連しているかについての議論を提起しています


□それではこの文章問題点矛盾点などを批判してください


■この文章に対する批判的な分析を行うにあたり、いくつかの問題点矛盾点を指摘することができます

1. 多様性理解不足

フェミニズムリベラル派が一枚岩であるかのような印象を与えますが、実際にはこれらの運動思想は非常に多様です。個人自分の姓を保持したいと考える理由は、保守的価値観に由来するものではなく、自己同一性家族歴史職業的認識など、多岐にわたることがあります

2. 家制度への誤解

文章は、名字を保持したいという考えが家制度の支持と直結していると見なしていますしかし、夫婦別姓を支持する人々が家制度のもの家族概念否定しているわけではありません。むしろ、彼らは個人選択自由尊重し、名字を通じて個人アイデンティティ表現する権利を主張しているのです。

3. 矛盾の誤解

自分名字を守りたいという態度が矛盾しているという指摘は、フェミニズムリベラル思想目的を狭く解釈していることから生じています。これらの運動は、一般的には平等自由基本的価値として掲げており、夫婦別姓の支持は個人選択自由尊重することと一致しています

4. 簡略化された議論

文章は複雑な社会的文化的議論を過度に単純化しています夫婦別姓名字問題は、個人アイデンティティ、法的な認識社会的な慣習など、多くの側面が絡み合っています。これらの側面を無視して、フェミニズムリベラル派の姿勢一方的批判することは、問題全体像を見落とすことになります

結論

この文章批判は、フェミニズムリベラル思想に対する理解不足や、社会的議論の複雑さを適切に扱っていないことに基づいています個人選択自由尊重は、フェミニズムリベラル派が追求する基本的価値の一つであり、名字問題はこのような広い文脈で考える必要があります

2024-02-01

インデックス投信を成立させる技術

株式インデックス指数)の構成銘柄を全部その通りに買うことなんてできないのに、なぜインデックス投信が成り立つの?」という疑問を受け取ったので少し解説する。

インデックス投信に求められるのは、「買った投資家をなるべく儲けさせること」ではなく、あくまで「インデックスと全く値動きを実現すること」であるインデックス投信が実際のインデックスの値動きからずれてしまうことを「トラッキングエラー」と呼ぶが、このエラーが小さい投信こそが優れたインデックス投信ということになる。

そしてインデックス投信が「インデックス構成銘柄を、その通りに全部丸ごと買う」のは、資金量や売買実務の問題で実現不能だ。構成銘柄数が少ないタイプインデックスならある程度可能ではあるが。

なのでインデックス投信は、「インデックス構成銘柄を全部買わなくても、インデックスと同じ値動きになるポートフォリオ」を実現するために、数学を駆使した様々な手段を用いている。

これは例えるなら、世論調査技術に近い。世論調査はたった2000人程度の調査結果で、国民全体の意見分布可視化しようとする技術だ。マスコミによる調査はよく「サンプル数が少なすぎる」「固定電話向けにやるのは実態を表さない」などと素人に叩かれがちだが、実際には選挙結果などが世論調査の結果と大きく乖離することはない。少ないサンプル数が国民全体をなるべく代表するように、サンプル抽出や回答結果の補正技術関係者は磨いてきたからだ。(ちなみにそういう技術を磨いていない、その辺の企業ネットで行った調査などは、全く調査したい集団代表していないことが多い)。

もう少し具体的に、単純化してイメージしてみよう。

例えば、ある指数構成銘柄が3000あるとする。3000銘柄指数の組み入れ比率通りに買ってそれを維持するのは、1つの投信には不可能に近い。

しかし、その3000銘柄の中に実は、「ほぼ似たような動きをする銘柄」が100あり、しかもそんな100銘柄によるグループが30グループある構図だったらどうだろう。

この3000銘柄からなる指数に連動するためには、この30グループからそれぞれ1銘柄ずつ、計30銘柄を持てば十分となる。この手法を「層化抽出法」と言ったりする。

実際にはこんなに単純ではないが、各銘柄の値動きの性質分析することで、「3000銘柄のうち数百銘柄だけ買っておけば、ほぼ指数全体と同じ値動きになる組み合わせ」というのは見つかるものなのだ。この組み合わせ方法と、その組み合わせが日々の資金流出入などで歪んでしまった時の修正方法こそが、運用会社それぞれの「秘伝のノウハウ」ということになる。

ちなみに、

ファンド作ってる側は、目標運用成績を出すためにそれ以外のものを入れざるを得なくなる。

この疑問についてだが、おそらく資産内容の中に一部、先物などのデリバティブ商品が入っているのを見て抱いた疑問ではないかと思う。インデックス投信は「投資家から預かった資金100%インデックス運用に回す」必要があり、一瞬たりとも資金を余らせてはいけないのだが、実際には個別銘柄だけでそれを実現するのは難しい。個別銘柄にはそれぞれ最低投資金額があり、1円単位で売買できるものではないので、その組み合わせにはどうしても「端数」が出てしまうからだ。

なので一時的に余ってしまった部分を埋めるために、指数と同じ値動きをする指数先物活用することがあるのだ。

なので、元増田心配するような「わけわからないもの」が混ざっていることは考えにくい。株価指数と同じ動きをさせることに、サブプライムローンのような株とは値動きの違う商品はなんら貢献しないからだ。

anond:20240201142951

anond:20240201014306

この普通すぎる説明すら感情論理解できなくなってるブコメはもうやばいマジで

原作者意思を一番蔑ろにしてるの、テレビ局でも小学館でも脚本家でもバカッターでもなくて、

お前らはてブゴミじゃん。

お前らが一番原作者バカにしてるよ。


え?脚本家SNSで"弁明"した「から原作者SNSで"反論"したんやろ?SNS個人で弁明することは最初から脚本家仕事じゃないんだから脚本家の"弁明"がなければ原作者の"反論"もなかったのでは。




脚本家が原因かのように誘導したがりすぎの最悪のミスリード


「誰かを攻めたいわけじゃない、という原作者意思」を踏み躙って個人を叩き続けることは、「自分の立派な仕事」だとでも言わんばかりだなあ?

なんで原作者があれだけ「(脚本家とか)個人を責めたいわけじゃない」(もっと複雑な問題なんだから単純化しないで)って伝えてたのに、

「亡くなった原作者意見をわざと踏み躙って」話を勝手単純化して個人攻撃し続けて、上から目線正義ぶってるの?こういうカスたちは。


脚本家が弁明するのは脚本家仕事じゃないかダメだって言うなら、じゃあ「原作者SNS反論する」のだって原作者仕事じゃねえだろ???

よく見る論法だけどこれマジでどんな理屈だ?

ていうかそれ、今後の実写化問題が起きたとき告発しても、「誰々がSNSに漏らすのは仕事じゃない」って潰せるようにするための動きになるんだが、理解できてないのか?

もしくは松本人志問題でも「証言するのは芸人仕事じゃない」ってめちゃくちゃパワハラ側に有利な理屈なんだけど、なんでこの場面で言い出してるの???

マジでこいつらの目的なんなの?

コメント書いたバカと、星つけたクソは説明しろよ?

なんでそんなにも原作者を踏み躙りたがるの君たち?

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

文字を打つのってめんどくさいからみんな何でも単純化・省略して語りたがるけど大事な部分がわりとスポイルされてすぐ喧嘩になるんやろね

全員学力バラバラなのに文字議論するのがそもそも限界あるんや

2024-01-20

自分軸と他人

一部だけなのかもしれないが「自分軸で生きるべきである」みたいな論調を感じるけれど。

単純化して「自分軸=自分意見はあるが協調性が低い」「他人軸=自分意見はないが協調性が高い」と定義すると、そもそも日本の様々なしくみ自体後者をよしとするようにできてないか

そんな中で自分軸とか言い出しても、そりゃ変人みたいに映ってしまうだろうよ。

2024-01-06

anond:20240106175154

本人が後悔せずに死んだならその理屈でもいいけど、

実際は後悔しながら死んでるから

もし生まれ変わったら酒の飲み方を変えると死ぬ前に書いている。

酒を飲む・飲まないの2択で単純化してガバガバ無茶な飲み方していた。

リスクを正しく評価して飲んでいたわけではなかった。

anond:20240106090808

そんなんは大前提やろ、そもそもその場での現品売買ではなくてshipping等の条件ついた契約書巻いてだろうしな。

めちゃくちゃ単純化した話だってかいてるのにそれが理解できないってことか?

anond:20240106085427

わかりやすメチャクチャ単純化した場合仮定だが、円が100円の時と101円の時でドルベースの輸出額が変わるやろ?

2024-01-05

anond:20240105100919

ディスり続けろといったのであって、お前自身が単純な批判やってるなんて一言も言ってないっすね~~~

 

 

もっとも、お前がディスり続けると思ってもないし、単純化問題だとほんまに思っていると信じてない、なんならどうせ単純な批判に乗っかるだろうと思ったから、そういうことは言った。

anond:20240105094751

ほなら全ての自民党批判単純化しょうが

これからも単純な批判は全部ディスっていけよ?

anond:20240105093950

円高物価安になったのは金融政策のせい

円安物価高になったのは金融政策のせい

どちらも間違い

悪夢民主党政権」というワードを使ったリフレ派最大の欠点は過度な単純化

2024-01-03

anond:20240103221355

破綻にいきなりワープしてるアホ

考えが浅いか単純化して気分良くなってるだけだわ

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