はてなキーワード: 卒業制作とは
美大卒です。
現代アート界には「今までのアートの文脈(流れ)を踏まえ、新しい作品を作らなければならない」という暗黙ルールがあって、
・四肢切断というギリギリ要素すら「アート作品」として鑑賞者に見せる
・日本の伝統的技法で先の大戦を皮肉的に描く(日本画的技法がナショナリズムへの皮肉として使われる)
こういった点が目新しかった。
「作品が綺麗かどうか」「鑑賞者が美しいと感じられるか」はクオリティの問題になってくるので、評価基準としては二の次。
(美大の卒業制作レベルだと上記のようなコンセプトよりもこっちを評価する)
ただ会田誠の絵も、デッサン狂いまくりだったらここまで評価されてなかったと思うので、まあこっちもそれなりに重要。
そんな訳で、会田誠の作品は鑑賞者が不快に思おうと何だろうと、まごうことなきアート作品。
ちなみに現代アート界では「作品がきっかけで炎上」という要素も評価要素。社会に影響を与えたということになるから。どこの団体がどういう理由で怒ったかを批評家が考察してこねくり回し、作品の価値を高めていく。
ほんと狭くてクソな世界だと思う。
俺はゲーム開発会社のプログラマ。ゲーム業界で働くコンシューマとソシャゲの間でのプログラマの移動を見て来た一人だ。
怪盗ロワイヤルとか釣りスタとかが流行り始めた頃に、ソーシャル業界が3DCGを理解しているコンシューマ系のプログラマを欲しがってた時期があった。ソシャゲ黎明期で製品と呼ばれているそれは専門学校の卒業制作より下らなくて、コンシューマのプログラマ達がかつて通った2Dの、しかもゲームとは呼べない下らない代物を作る事に嫌悪感を強く持ってた。その当時、年収を倍や三倍にするからとDeNAやGREEに声を掛けられていたプログラマは少なくないと思う。それでも動く人間は本当に少なかった。しかし、特に外国人に多かったけど、1千万を超える様な報酬で転職したって知り合いは確かにいる。その時代にソシャゲ業界に身を投じた彼らは、今や大いに出世して高収入を得ている様だ。どうって事ない三流プログラマですら、本当にいい待遇を得られた時代だった。
ガラケーからスマホが主流になり始める頃に、第二次のソシャゲ転職バブルが来たと思う。ある程度の経験を持ったプログラマは、誰もがスマホが早晩PS2程度の性能を持つ事は予想していたし、そうなった時に3D系の経験を持ったプログラマがソシャゲ会社に必要になるだろうと言う見込みも殆どの人が持っていた様に思う。実際にGREEが3D系の研究チームを作るという話や、ソシャゲ企業が好待遇でコンシューマ系のプログラマを募集しているという話は聞いたし、実際に誘いを受けた事もあった。プラットフォームを作ろうという動きやエンジンを作りたいという動きがあったのもこの頃だろう。この時も、1プログラマに支払う報酬としては破格の待遇だったと思う。好待遇を前にしてもソシャゲ業界を下に見て動かない人は多かった。それでも情報工学の修士課程を出た様な優秀な新人や、その時代に決断をしたゲームエンジン開発をした様な現場のプログラマは先行者投資の特権で好待遇を得ている。株式で巨額の利益を得た人も知っている。ある程度は優秀と目されていた位の人材が、破格の待遇を受けられた時代だろう。
それから時が過ぎ、スマホのソシャゲが儲かるし稼げると分かった時にソシャゲ業界に移るプログラマは多くなった。情報工学を修めた学生が新卒でソシャゲ業界に入る事も珍しくなくなった。しかし、コンシューマ系のプログラマが多く転職した事で、珍しくもなくなって、余程の能力がないと歓迎はされない様に今はなっている。一般のプログラマの転職バブルは終わったと言っていい。それでも最近は、儲かっているソシャゲ会社が利益を継続的に生み出すために、そして次の世代のハードに対応する為に、研究部門やAAA開発部門を立ち上げるようになり出した。有名どころではサイゲームスの研究部門などがそれにあたるだろう。やってる事は、どうせゲームエンジンを焼き増しているだけに違いないんだが。これはかつてコンシューマ系企業が通って来た道だ。しかし、最先端の情報を知っているプログラマはソシャゲ業界には少ない。そうなると、再び札束でビンタする攻勢が、コンシューマ業界でも最優秀なプログラマに対して行われることになる。サイゲームスに限らず、利益を出している各社が間違いなく、この動きに追随すると思う。そうしなければ、サイゲームスに最優秀なプログラマを根こそぎ奪われてしまうからだ。今、そう言う意味では第三次の転職バブルがコンシューマ業界に訪れている。優秀な人は、倍、三倍の報酬でソシャゲ業界に移って、ゲームエンジンの焼き直しをする事になる。
こういう動きに対して「ソシャゲ業界とかガチで下らないwwたいした技術も知識もない。2流の集まり。」と斜に構えて馬鹿にしている間に先行者特権を失い続けているプログラマが本当の意味で賢いのかどうか?正直分からんなと思ってる。今はまだ、ポリフォニーとサイゲームスの間には天と地ほどの差が、経験値と技術力であると思う。しかしサイゲームスに続々と優秀なプログラマが集まっている事も事実だ。こうした動きを見るに、恐らくはゲーム業界そのものが、ソシャゲ屋の巨大化で統合される事になるのだろう。サイゲームスか、ディライトワークスか、Mixiか分からんが、スクエニやカプコンに匹敵する技術力と経験を備えた企業になり、S級のコンシューマゲームを開発し始めるまで10年もないかもしれない。
その時、1番最後に列に並ぶ愚か者になるのは、本当に賢い事なんだろうか?そういう事を自分に自問する。任天堂やソニーにいる1部のプログラマ以外は、総じて負け組と言われてしまう時代が来るかもしれない。でもなぁ、俺が愛するのは技術のみで、自分の知識と腕を活かせない職場では働きたくない。今のソシャゲ業界に行って、研究部門に入ったとしても、満足が行く仕事が出来るだろうか?そこには甚だ疑問があるよね。
スクエニがまだスクエアでしかなかった頃、SFCでFFを作っていた時期に飛び込んだ彼らが、今はサイゲで新しい動きを作ろうとしてる。彼らのセンスを信じるなら、サイゲームスを始めとしてソシャゲ企業はもっと大きくなっていくのだろうと思う。これは俺の予測にすぎないがほぼ確定でもあるようにも思える。ユーザー目線でもソシャゲ=ガチャと見なしてる様だけど、なんとなくだが明治維新の波に乗り遅れた時代遅れてしまってる武士の気持ちではいる。それでも俺が愛するのは最先端の技術だけだ。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
岐阜県現代陶芸美術館で開催中の「浦上父子コレクション引き継がれるコレクター魂」展に
行ってまいりましたわ。
観る順番を間違えて子のコレクションした北斎漫画を先に観てしまいました。
一度にたくさんの作品を観ることができるそうですわ。
「鯨・鮫ほか」の絵が完全にクリーチャーで、むしろ獏の方が現実の動物に見えました。
観察する機会の差なのでしょうか。
有名な「富嶽百景」では、「田面の不二」が物凄い構図で仰天しましたの。
ピンホールの原理で障子に富士山が写った場面らしき版画もありました。
他の展示では前後の漢時代の銅鏡が興味深かったですわ。こちらも息子さんのコレクションです。
「新」時代の銅鏡のひとつだけはプロパガンダが書いてありました。
単于の文字があっても居丈高な異民族政策が失敗したことはおくびにも出していませんわ。
陶器関係では地中の緑釉陶器が白っぽく変色する現象のことを「銀化」と
呼ぶことを覚えましたわ。
同じ建物の下の階では「国際陶磁器展美濃」が開催されていました。
同時開催の多治見工業高等学校専攻科の展示にも白木千華氏の作品があって、
コンセプトの説明をされる方とされない方がいて興味深かったですの。
https://www.youtube.com/watch?v=JA9LNnzrhZ8
いかにもシンセっていう人工的な曲ですが、それが気持ちいいです。
https://www.youtube.com/watch?v=wP1uQNueWXA
ボカロに対抗して作られたフリーソフトのUTAUで作られたかっこいい作品。UTAUは調声難しいんですが、白虎野や銀輪以上の人間っぽさ。作者はアメリカ人の女子高生!!。
https://www.youtube.com/watch?v=TYy09Hy8Qwo
椎名もたさんの中からはこれかな〜。これ聞いてると私は変拍子好きなんだなって感じる。
https://www.youtube.com/watch?v=A3nnfVyaY7g
GoogleのCMにも使われた共同創作の繋がりをテーマにした曲ですが、今回はyoutubeでなくニコニコと合わせた二次創作版を。こっちのがボカロの「みんなでつくった奇跡」感がよく出てます。
誰かの作品がどんどん誰かの創作に繋がっていく姿を3Dソフトで可視化した動画です。繋がれる時代に生きてる凄さを感じられます。
https://www.youtube.com/watch?v=Dx9m4jpocAc
初期の超有名曲のリメイクにボカロ関係の創作に関わってた人たちがみんな参加して作られた合作動画。なんか卒業制作に感じられました。
トラバやブコメをいただいたので、勝手ながら浮世絵を勧めてみる。
変な話だが、鑑賞と制作だったら、制作から入ったほうが鑑賞も楽しくなるように思う。
例えば、葛飾北斎の富嶽三十六景の、有名なところで赤富士と言われる夜明けに朝日で赤く染まった富士山、凱風快晴。
あれを見て、思うのだ。
それは、制作を齧ってみるとひしひしと感じとれること。
知っての通り、オリジナルの浮世絵には原画というものが残っていない。
それを版元、つまり出版社の企画担当に渡して、それを板木屋、彫師という職人に渡り、板に張り付けられてしまう。
板に貼りついた絵ごと、彫ってしまうので、原画は木屑と共にこの世から消えてしまってるわけ。
絵師というか、画工っていうイラストレータの地位というのはそれほど高くなくて、彫師が勝手にアレンジすることだってある。
そもそも、芸術家として心から沸き起こるものを表現するんじゃなくて、売れるものを描くのが至上命題。
彫り終わると、それがすなわち線画のコピーが出来るわけで、そこから「ここを赤、ここを青」って具合で、絵師の指示が入る。
具体的な色を塗るとかでなく、文字で書き入れる程度。
そんで、また色の版が出来上がって、今度は摺り師と呼ばれる職人の手に渡る。
そして、絵師立ち合いで、色合わせを行って、微調整されたら出版、という流れ。
で、その手の浮世絵の解説書なんてのだと、初摺りは手がかかってるけど、そのあとの後摺りは手抜きで改変されてるとかって書いてあり、実際初期ロットと後期ロットは色が違うってんだけど、いざ制作してみるとそれだけじゃないように思う。
明らかに自己主張がある。
摺り師の「俺上手いだろ?真似できないだろ?」
っていう自己主張をビンビン感じる。
いざ木版画を始めてみると、100人中99人はそれを目指す、ある種の技術、方向性というのがあって、それが超絶レベルで、過剰なまでにそれに拘ってるのがよくわかる。
彫師と摺り師の自己主張だけじゃない。
時代の流行、ある意味で街の声さえも作品に取り込まれてるのが、ありありとわかる。
彫師のエゴを、摺師のエゴを、江戸の流行りを、それを引き算してやる。
北斎という人はいい歳して「自分が一番!」と天狗になったり、「バカにされるのは嫌だ!」忙しくぐるぐる同じところを回っていて、とてもかわいい。
少なくとも、自分にはそう感じられる。
ちょっと大胆すぎる実験的な試みも、「褒められたい!」という意識が見え隠れする。
それを差っ引いてあげて、初めて、あの絵の本当のコンセプトが見えてくる。
あるいは、摺師、彫師、版元、江戸の空気と北斎とのジャズセッションがあの作品だったとしたら、今度は自分と北斎のセッションが出来る。
なんて楽しいことだろう。
技術が追い付いたら、いつかそれをやりたい。
前置きが長くなってしまったが、そろそろどうやって浮世絵制作を学ぶか書いてみる。
いざ木版画を学ぼうとしても、浮世絵方式の木版画を教える教室はほとんどない。
なにをもって浮世絵方式というのか難しいけれども、木版画においてかつてスタンダードだった、世界で最も優れてた技術体系と断言できる。
その答えはわからない。
俺も知りたい。
で、そもそもその技術を継承した人というのが少なく、浮世絵の職人がやってる版画教室、あるいはその流れを汲むとする版画家の版画教室は知りうる限りで以下の通り。
現役彫師が教える版画教室。
当然ながら彫りに詳しい。
第七回 朝香伝統木版画教室作品展 2017年6月26日~7月2日
摺師が教える版画教室。京都だが、関西を中心に出張講座や通信講座もやっている。
五所菊雄という版画家で、摺師の内川又四郎氏(ポールジャクレーの作品を摺ってた人)から学んでる。
NHK文化センター 川越教室・木版画講座・作品展 2017年8月21日~8月27日
入学すれば学べるんじゃないかなと思うけども、ちょっとハードルが高すぎる。
野田哲也の師にあたる小野忠重の著書は浮世絵の技法を知るうえでお勧め。
いったん情報収集を始めると、先に沈んだ先輩とつながれるので、芋づる式にオタと出会える。
有名なところだと、独学で浮世絵制作者に転身して、大学や企業との共同研究までしてた元ジャズマン(最近亡くなられた)。
職もビザもなく、浮世絵への情熱だけで日本にきて、浮世絵で飯食って浮世絵で家建てて浮世絵で子供育てたカナダ人。
そのへんは浮世絵バカ一代の二代巨頭で、ほかにもごろごろ、まあいるわいるわ。
みんな平気で仕事を捨て、家族を捨て、学歴を捨て、浮世絵制作沼へ沈んでいく。
自分なんか、趣味の範囲で、まだ片足だけだが、いつか完全に沈みそうな気がして怖い。
コピー機がある今だとありがたみがないが、同じものが何回もつくれるというのは、楽しい。
いまだって、コンビニでカラープリントが80円ってのに、当時はかけそば一杯の値段だったっていうから、江戸時代の印刷技術スゲーって思う。
小学校でやるようなローラーで油性インクを塗る油性木版と違って、水性の絵具で摺りあげるのだが、特徴をいくつか。
まるで、フォトショでみたいにね。
うん、フォトショみたいにね。
赤の上に青を重ねると紫になる。フォトショでレイヤーを乗算モードにしたのと同じ。
前段のほうで書いた、誰しもが目指す技術というのは、きれいなベタ、滑らかなグラデーション、計算されつくした重なり、つまり、フォトショやイラレ。
そういうことなら、原画だって、フォトショやイラレでつくったほうが、出来上がりイメージはしやすいだろう。
今日はここまで。
本格的に、道具の用意、構図の学び方等々の話に入れずに力尽きてしまった。
元増田さんは強そうだから偏見強めの極論気味に書いてみた。語尾無茶苦茶です。
カースト的な意味で人の上位に立ちたいという原動力は、大学生の現時点ではとりあえず有り。
ただ確実に近い将来その価値観は維持できなくなるから、その時改めてアイデンティティが確立できるように覚悟や準備が必要だと思う。
つまり今あなたが持っている原動力でもって、なんらかの成果を出すもしくは出そうと努力して
今の価値観が崩壊した後も大切にできるものを確保しなくてはならない。
あなたはプライドが高そう(それは悪いことじゃない)だからそういう誇れるものが無いと生きるのが辛いと思う。
具体的に言うと
美大において三回生から急にスクールカーストの序列が変わります。
カリキュラムにもよりますが、三回生から基礎教養の時間が減り実技は基本実習から自己表現(作品製作)に変わるんじゃ無いでしょうか。
そういった影響下で高校までの価値観であったリア充勝ち組的な世界観は崩壊して
作品制作への熱意や技術・発想といったものが人と比較され、それの優劣がスクールカーストに大きな影響を与えるようになります。
制作に打ち込まず遊んでいる人間は遊び人としてだんだんばかにされ始め、二次創作的なオタク感もまた不真面目なリソースとし表に出ることは少なくなっていきます。
そしてこれらの成果は講評会や卒業制作などで晒しあげられ、曖昧な勝ち組感などというものよりも長々と記憶と記録に刻まれて行くこととなります。
美大生の就活については、クリエイティブ職の企業で名前の知れている会社がカースト上位になるんじゃ無いでしょうか。
活動的で立派な就活(出来の良いポートフォリオ)もまた三回生以降の評価軸となります。
というわけであなたの思う勝ち組として大学生活を終えるには、来る三回生の環境変化に向けて準備する必要があります。
制作への評価ウェイトが重くなってきたからじゃあ私も、といきなり大作に挑んでもお粗末な結果になってしまうでしょう。
大学は学ぶ場だから本当はそれでいいんだけど、あなたの今の原動力と目標は上に立つことだから、スタートダッシュを決める必要がある。
三回生になる前に絵画なら大きな絵を個人で書いてみるとか(経験)、デザインなら過去のプロダクトを知る。
作家の名前や作品や評価を知り語れるようにして引用してみるとかっこいい。
学校のカリキュラムでやることを、先にやったことがあれば級友に対して教える立場に立てる。
これらの知識を「実際に精力的に活動している事」と組み合わせる事によって、嫌味な上から目線な人ではなく精力的で立派な人となれる。
(性格的に嫌味と思われないための努力は最大限した方が良さそう。)
上に書いたのが制作視点での「できる人」で、もう一つのルート就活強者ルートも有効。
就活の準備しなきゃという話題が出た頃にはポートフォリオの原型を作って尊敬の眼差しを得るのも良い。
ただ早く就職が決まってしまうと、制作ができる人へ転身する必要がある事と
微妙な就職先に決まった時の事などをシミュレートして、制作もある程度頑張る必要がある。
でもまぁ結果は卒業後の「あの会社行ったのか〜」という認識がメインになってくるので
就活頑張ってるポーズがあれば大学生活だけで言えばある程度の地位が築けるとも言える。
バイトなんかしてる暇無いよ。バイトに充てようと思ってた時間で美術の勉強と制作やって、三回生デビューに向けて予習しましょう。
トラックバック見てくれているかな。
学費、生活費で年単位、月単位、その日単位でストックがなくて運転資金がそもそもない状態で辛いし、 まわりは「普通だよ」っていいながら恵まれた家庭環境や潤沢な資本があってうっかり辛さを口に出しても 「頑張れば大丈夫」って全く悪意なくはげまされたりするのも辛かった。
大学生アルバイトっていうと有名国立なら家庭教師があるでしょって言われるけど 少子化の波で塾は個別指導塾(自習室有)にシフトしているし、 塾・予備校と契約して行くとので準備や移動含めて時給換算するとそれほど割のいいバイトでもない。 (学校ないし自宅近辺でコンビニや飲食店のアルバイトの方が移動やシフトの手間が少ない)
webで検索できる範囲は大学生OKのサポート・コールセンター(受電系)や事務はどうだろう。 都心部とは離れた場所のキャンパスや自宅でも事務センターは存外あるので移動時間食わなくて済む。 あとシネコンがあるならシネコンのバイトや施設管理もお勧め。
ただ、面倒なのはシネコンは施設の掲示板に募集が貼られているのだけど それ以外は派遣会社経由の仕事なので何社か登録しに行かなくてはいけないこと。 ただ、登録した派遣会社が大学生程度のテスト作成やサンプリングを受託していると 2時間程度のテスト(学力テストからほぼアンケートまで色々)の受験で 謝礼扱いで5千円以上とかざらにある。(あくまで5千円は保証。難関国立なら倍はある)
個人的には市町村の図書館にない資料で大学のみにある資料(有名人の卒業論文や卒業制作)で 1)地元の図書館へ大学に複写の可否・閲覧の可否の確認を依頼 2)大学からの回答を図書館から申請者に連絡 3)申請者が図書館に行って複写の依頼 とかなり面倒かつ時間もかかるので代行をやってくれるとありがたい。 ちなみに他大学でも学生なら在籍している大学図書館の申請書があれば直接行けたりします。>
年末の速報版は記事にしてたとこ多かったけど完全版は無視ばっかというか似た内容を2回も記事にするとこなんて基本的にないけどな
http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/25/animator-working-environment-02_n_15011282.html
さてその表の内訳として大学生は実質的に美大・芸大生だと思うから辞めたところで食い扶持はどうにでもなるんだけど問題は半数を占める専門学校生で奴らは潰しが効かない
専門学校生でも自主制作してて1人でも完パケられる奴は潰しが効くが実習か何かの集団制作で1つの工程にしか関わらない奴は卒業しても使えない奴が多いんじゃなかろうか
美大・芸大生は在学中に何もしてなくても卒業制作で強制的に完パケものの提出を求められるけど今までのアニメ業界は得意な工程がバラけてる奴を厄介者としてきていた
それが今や監督・演出希望でなくても各工程間を理解できる奴がますます重宝されるようになってきてるみたいのに若手アニメーターが云々の話はそういうとこをちっとも取り上げない
作画内でも一原とか二原とか工程が増えてるのが問題でただでさえ予算ないわ絵の線が多いわなのに関わる人が多くて効率が悪いわ手取り減るわって話だと思ってるんだけど
こんな状況でも相変わらず手塚治虫ガーとか言ってる奴とか円盤を買うからとか言ってる奴は明後日の方向を向いててもはや手遅れだからそのまま放置しといていいかもしれない
冬が近づき、服に密接したセックスに困らない女性たちの胸が目に飛び込むようになり精神衛生上よくない。
いや、いつも精神衛生がよくない気がする。
相変わらず、容姿がひどい女は孤独だ。異性に全く相手にされない。醜いから以外の理由はない。
ついに、あと1年で自分は二十歳になりそうだ。
二十歳になるメリットとしては、ありとあらゆるものに親権者の同意が不要になることだ。
どうしようが、いやでも約365日で二十歳になる。
二十歳でできることの一つが保護者の同意なしで美容整形手術ができることだ。
隆起やら膿、毛穴、凹み、赤みで大学内でも1位、2位を競えるほど汚い肌にとりあえずできる限りレーザーを浴びせよう。
治らないかもしれないけど。
小さい目は取り合えず大きくさせよう。
父親の家の遺伝である腫れぼったい顔で色々言われてきたから、頰の脂肪を溶かそう。できる限り顔を小さくさせよう。
3年前に父親が千代田区の賃貸マンションの一室で大塚家具のソファーに座って言ったことは、「お前モテるぞ 家が金持ちだからな」
真面目にやっていたのに成績はひどかった。
そして元々よくない顔が腎臓の病気の副作用で肌が見ていられない状態だったし、顔全体がパンパンに赤く腫れていた。
あまりにも容姿が悪いので、まわりからの扱いはひどかった。父親も自分の容姿がよくないと言った。
あまりの醜さを不憫に思ったのか「金はある」と自分に言って元気付けようとした。本当に金はあるのかわからない。
そして、また持病がぶり返したら自分はその薬を飲むだろう。
父親は大昔、メガバンに勤めていた。そのときに、見合いで頭の悪い容姿のよくない女をもらった。
しかし、容姿が悪いもの同士の見合いだ。恋愛結婚ではない。そして、ひどいものが生まれて現代で惨めな思いをするのだ。
父の言う通り、金でモテるのか怪しいが、もし金ですり寄ってきたら苦痛だ。
自分ではない。金が好かれているのだ。体が好かれたい。
金なんていらなくて、綺麗な容姿が欲しかったし、それで好かれたかった。
金というのは大事というが、実はそこまで大事じゃないことがバレてきた。
もちろん金は必要だ。貧富の格差が広がっているといわれているし、金があまりにないと悲惨だ。
しかし、自己肯定感にあふれた楽しいセックスをするには金なんていらないのだ。
いい容姿 人的資本というのか、身体的資本というのか そういうものがものをいうのだ。
自分はあまり整形してもよくならないだろう。持病でダメかもしれない。陰毛みたいなくせ毛や身長の低さは治らないだろう。
おちんぴっく、もといオリンピックエンブレム騒動でネット世論()を煽って美味しくアクセスをいただいている糞バイラルメディアのNETGEEK。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という国民性を利用してもうひと稼ぎとばかりに、保守速報や痛いニュースなど憂国の士()連合と徒党を組んで多摩美の卒業制作やらグッドデザイン賞に放火してまわり、下級国民()の皆様がアクセスして溜飲を下げる度に広告費がチャリンチャリンで美味しいですぅ~(^q^)♪と、右手でワイングラス左手でバカを転がしてウハウハするも、情強の皆様から「パクリではなくオマージュ」「グッドデザイン賞はそういう賞だ」との指摘がなされて形勢不利と見るや、知ったかぶりがバレた男子中学生のように「そういう意見もあるね」と「ネットで賛否両論」みたいな見出しをつけて記事化して海底のサンゴに自分でイニシャル刻み込んで記事にしちゃった朝日新聞もビックリの捏造開き直りを絶賛展開中!!(イマココ)
ところでNETGEEKのサイト紹介「NETGEEKについて」を読むと、「著名人もNETGEEKを読んでいます!」という体でネット有名人()の皆様がいかにNETGEEKを支持しているかがツイートを引用()する形で記載されていて、いうなれば書籍の帯に「○○さんもお勧め!」みたいな感じでお墨付きを与えているわけですが、twitterでは今回の炎上に対していろいろ含む感じの発言をされているジャーナリストの津田大介氏(41)も永遠のスーパー中学生Tehu君やはちまこと清水鉄平などそうそうたる顔ぶれとともに「NETGEEKまたスクープだな!」という絶賛ツイートが大・掲・載されていて信頼と実績の糞サイトに太鼓判を押しちゃうの? 押しちゃってるの? みたいになってるんですけれど、こちらジャーナリストの津田氏におかれましてはご納得の上で掲載されていらっしゃるんですかね?
いやまあツイート引用されてるだけですしね、ちょっとtwitterガイドラインに違反する形で画像掲載されてるけど大した問題じゃないからいいよね? みたいな感じなんですかね。もしくは過去に「これからはバイラルメディアだ!」みたいなTOSHINAO SASAKI的な熱に浮かされて(TABILABOも海外メディアの記事をパクってる!とNETGEEKに糾弾されてたのがお笑いだけどネ!)、ついうっかり褒めて称えて持ち上げちゃったけど、昔の話だから仕方がないと思っているのかな?
いやーさすが津田さん懐が広い!!
NETGEEKみたいな糞捏造炎上サイトにお墨付きを与えているかのような形で自分のツイートを使われても文句の一つも言わないなんて!! そんじょそこらのアナルの小さいネット民にはできないことをやってのける! そこに痺れる、憧れるゥ!!
それとも本当にNETGEEKを支持してるの? 実は裏でネットジャーナリスト仲間としてつながっていて相関図とか書けちゃったりするの? 元ネトランでアングラ情報を書いていたライターとして「新しいメディア()のカタチ」だからとかシンパシー感じちゃってたりするの?
気になって夜も眠れません!
『多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』という記事に対する考えを述べようと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20150821111821
・"最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムをは一線を化すような新しいデザイン、
新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。"
・"現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず"
『多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』の筆者は上記の様な内容を、エンブレムが批判されるべきではない理由としてあげています。しかし、どれも論理的ではなく、感情論でしかありません。
デザインとはある程度の理論が存在し、その上にビジュアルの様な表層に見えるかたちを構成するものです(私が学んだことが正しければ)。"直感的"、"シック"、"新しい"、"東京のイメージ"といった感覚的な部分を持ち出し、それを理由として扱うのには無理があると考えます。
私個人の見解でエンブレムの評価に価する点を述べるのであれば、ロゴが”展開する”という部分でしょう。文字への展開、ピクトグラムへの展開、映像への展開など、様々なメディアへの仕組みこそがこのエンブレムの本質だと思うのです。これらの展開する仕組みの齎す価値は不動のものだと考えます。佐野さんの会見でのプレゼンテーションに寄っては、印象が大きく変動したように思えるし、ビジュアルの印象が良くない点が今回多く取り上げられていると思いますが、それはモチーフが曖昧であること、形に込められている意味が表層に現れていないことなどが原因ではないかと推察しています。著名なデザイナーの方や、デザインを学んでいる学生などがこのロゴを批判しないのは、単なる擁護ではなく、ロゴの仕組みを推察し価値を見出しての意見だと考えておりますが、もちろん一般にその仕組みをプレゼンテーションすることや、ビジュアルに仕組みを表すこともデザイナーの仕事であると思っております。その点は佐野さんの今回の会見は残念で致し方ありません。
筆者はデザインを感覚のみで捉えているような意見しか述べていなかったので、理屈的な部分を理解していないのだと考えています。表層的な部分を見て判断するのであればデザインを学んでいる学生としての視点にすら及ばないと思われます。
現在確認したところ記載内容を削除されておりましたが、"情報デザイン学科は、先端技術を用いて新しい可能性を模索することに力を注いできたが、”ただ新しいことをする”学科に陥っている。卒業制作展を見に行ったが、アニメーションのクオリティーは低いし、キネクト使ってることがすごいというアピールをしているかの様で気持ち悪かった"
というのが大まかな筆者の内容です。
筆者は、”なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。”とも仰っています。
情報デザイン学科の卒業制作展に赴き、感覚的に得た情報(クオリティーが低い、気持ち悪い)を持ち出し学科自体を批判していることは、ロゴをパクリだと批判している意見と違いはないように思えるのです。
根本的に考れば、"学科が失敗"することの定義が曖昧であり、失敗ではない例とはどのような存在かを述べていませんし、統合デザイン学科の"ベーシック"を学ぶこと()は成功したという実績が存在するのでしょうか?対として情デが"新しいことをするだけの学科”であるとすれば、統合は"ベーシックしかしない"ということになりますし、発言が軽率であることは確実です(削除されたので自覚したとして捉えていますが)。この意見がロゴ批判と違うと思うのであれば、もう少し理屈で語っていただきたいと考えました。
デザインは感覚がすべてではありません。機能を意図的に含めた様々なアウトプットがデザインです。それを学んだのが情報デザイン学科でした。
今回取り上げさせて頂いた記事があまりにも破綻しているように思えたので、書かせていただいた次第です。
長々と書きたくなかったのですが、文才のない私にはこれが限度でした....。
乱文ではありますが以上が私個人的な意見です。ありがとうございました。
とのことでしたが、情報源はどちらですか?これもまたネット批判の悪い点と同じで、情報源を明示することや自身の理屈の元で意見として述べるのであれば良いと思いますが、それが事実かどうか、何故そう思うのか、という所を明確に述べないまま批評するのは、"なんとなくロゴがかっこ悪い"、"多分パクリ"、と言う方々となんら変わりはないと考えています。誤情報が錯綜するのがインターネットですが、発言する際に少しの考えを載せるだけでも変わるのではないでしょうか。
人が製作した作品に対して、展示を見に行っただけで"クオリティが低い"と述べる方は、本当にその作品のクオリティーを見ているとお思いでしょうか。文脈によって形成されるロゴを否定しないで欲しいと本人が述べているにも関わらず、文脈の見えない視点から人の成果物批判をしていては矛盾が生じます。それがデザインを学んでいる方のするべきことでしょうか。ちなみに私は、クオリティは感覚であると述べている訳ではなく、引用元の筆者の述べている内容は感覚的に捉えたクオリティだけであると述べているのです。背景などを読み取らずに捉えたものが"クオリティ"であるかすら疑問ですが、私自身は文脈を含めてのクオリティであると認識しています。
思えば、縁のない人生でした。
廃品回収を行っている業者でした。
1ヶ月間働いても、時給が500円でしたので金額は目標に届かなかったのですが、
初めて誰かの役に立ち、まとまったお金をもらったことはうれしいことでした。
まったく分野が違うので一度は断り、他の人を当たるように言いましたが、
「他の人がいないんだ、頼むよ」と困っているようでしたので、受けました。
その後、担当の教員によるパワハラ、だれも協力してくれないこと、過剰な責任感から心を病みました。
こんな場所では生きていけないと思った私は、東京に行きましたが、そこの学長も、
「食事と睡眠以外の時間はすべて勉強だ。そうでなければ使い物にならないぞ」という指導方針でした。
私は必死に勉強に励みましたが、他の人は親交を深め合い、協力して卒業制作に挑んでいました。
その頃の私は、今でいう「ぼっち」で、毎日電車に飛び込むか悩んでいました。
その後、卒業制作もできず、うつ病は悪化し、実家に引き取られた私は2年ほど療養することになりました。
そして就職活動を始めるのですが、どこにも就職先はありませんでした。
コンビニのバイトすら落ちるので、この世のどこにも自分を必要としている人はいないのだと思いました。
それから、売れないiOSアプリ(2年で3万)を作るなどしてごまかしていたのですが、
村内のソフトウェア開発会社(といっても、従業員3名)から、Androidアプリを作るように言われました。
とりあえず作り始めるように言われましたが、今思えば、契約をせずに作り始めることがうつが悪化した原因だったのかもしれない。
そして案の定、契約の話はされず、結局契約を締結したのは税理士さんの進言で仕事が終わったときでした。
人月に直すと15万円なので完全に赤字ですが、それまでの収入を考えるといいなと、このときは思っていました。
その後、今度は第三セクターから依頼を受けました。120万、半年で簡単なWebアプリを作って欲しいとのことでした。
金額が少し安いが、他のところにもそのアプリを使うので、他の施設で回収して欲しいと言われました。
少し安い気はしましたが、村のためになるのならと、受けました。
契約書に判をついてくれませんでした。
期間が一年に延びました。
金額が大きく減りました。
他の施設に使う話はなくなりました。
自分が人として生きることがおこがましいのだとわかりました。
人間という生き物は、自分と違ってもっと賢い生き物なのだ、と。
「自分の幸せのために、他人にしわ寄せが行くのは仕方ないのだ」と思える強い存在が人間なのだと。
人生ではなかった。