はてなキーワード: 区切りとは
そもそもがめちゃくちゃズボラで、自分の身なりを整える行為が苦手なんだけど、お風呂に入るとか髪を洗うとか、服を清潔に保つとか、そういう日常的な行動の中でもとりわけサボりがちだったのが「歯磨き」という行為だった。
極端に忌避する何かがある訳ではないんだけど、漠然と歯磨き粉の味はあまり好きではなかったし、1日実施しないだけで即座に虫歯ができるわけでも歯が黄ばむわけでもないので(いや歯垢は付くんだけど)即効性のある効果が見られないのであれば少しぐらいサボっても大丈夫と楽観視していたんだと思う。
きちんと毎食後に歯磨きしてる人なんかは信じられないかもしれないけど、私はそんな具合で1週間に1、2回ぐらいしか歯磨きをしない人生を送ってきた。
舐めプもいいとこ。
そうなってくると当然虫歯になるんだけど、舐めプの私は歯医者にも舐めプ対応を繰り返した。
歯が痛めば生活に影響が出るので仕方なしと歯医者へ向かうものの、根本的には面倒臭さが勝っていたので、痛みの原因となった大きな虫歯の応急処置が終われば、次の予約をブッチ切りそのまま通院しなくなった。
幸いにも(?)筋金入りの喪女なので、恋人とキスする時の事なんて全く心配の必要がなく、口内環境を整える事についての優先度は限りなく低かった。あと普通にお金もなかったから治療代を渋った面もある。
そんな感じで10代〜20代半ばまでの10数年、口内ケアに対してひたすら最悪な対応を繰り返していた私に転機が訪れたのは2020年も後半に差し掛かる頃だったと思う。オタクとしては別に珍しい事でもない、あるアプリゲームのキャラにハマったのだ。
直接的に作品名を挙げる事は控えるが、某社から展開されている、悪役がモチーフのイケメンがたくさん出てくるやつである。
作品を知ってる方なら、記事のタイトルとハマった作品でもうお察しかと思うが、私がビジュアルで一本釣りされた真面目そうな眼鏡のキャラにはあまり一般的ではない趣味があった。
これまでの人生で、出会ったキャラ……いや、現実も込みで思い返しても、「歯磨きが趣味」なんて言い出す奴には出会ったことがないが、推しは「普通」を自称しておきながら歯磨きが趣味だと宣った。何だ歯磨きが趣味って。性癖の間違いだろ。公式プロフィールに書くな場を弁えろ。
とはいえ、ゲーム本編を読む限りでは歯磨きの印象より他の特技の方が動きとして目立っていたので、初めは私も「言うてちょっとこだわりがある程度でしょ」と楽観視していたわけですが、推しは私の予想を上回る正真正銘、他の追随を許さない歯磨き過激派男だった。
自分の歯磨きで部分用、舌ブラシ、フロスを使い分けるまでは想定内だったが、後輩の歯の磨き方に細かく指導したり、仕上がりチェックのため口を開けろ等と言い始めたあたりから雲行きが怪しくなり、主人公の相棒の魔獣に歯磨き用グッズを買い与え用とする姿でファンもいよいよコイツがマジのガチ勢である事を察しはじめた。
後輩の1人が歯科医の息子と判明した折には、普段の落ち着いた姿から一変、「実家が歯科医院だって!?」「素晴らしい職業じゃないか!!」「余程専門知識が豊富なんだな…是非お前のお父さんに会ってみたい!」とパイロットに憧れる小学生の如きはしゃぎ様を見せられ、お前……そんな顔できたんだな……てか声でっか……と困惑したのは未だ記憶に新しい。
そんな歯磨きガチ勢を推しはじめて間もなく、ジャンルにハマってすぐの頃の勢いとは恐ろしいもので、早々に推しのぬいを手元に迎えた。それまでは所謂ぬい活というものに手を出していなかったのだが、そのジャンルで展開されていたぬいがめちゃくちゃ可愛いデザインに仕上がっていたもので、とりあえず入手するだけ……と軽率にゲーセンへ突撃したわけである。
外食時にはご飯を食べる姿を写真に納め、ぬいぐるみ用の靴や服を用意し、キャラの関連グッズや好物を買い与える生活になった。なお現在進行形である。
不思議なもので、そうやって愛着をもって接していると不思議とぬいに"感情がある"と感じるようになる。
このあたりはぬい活をしている方なら理解してくれると思うけど、頭ではぬいぐるみと理解しているものの、撮った写真や、ふとした瞬間の角度、目線、表情で「いのち」を感じるのだ。
推しを模してつくられた小さきいのちに私がより一層入れ込むようになったのは言うまでもない。
ここで誤解のないように説明しておくと、私は夢女子ではないので、推しに対して付き合いたいだとか出会いたい、推しに褒められたいといった感情は持ち合わせていない。
強いて言うなら握手した手を後ろ手でこっそり拭われたいし愛想笑いで雑に流し対応をされたいモブおじさん願望があるが、話題の本筋とは関連性が薄いので割愛。とにかく、歯磨きが趣味のキャラを推しはじめたからといって「推しくんに会っても恥ずかしくないようにしよう!」なんて意識の高い事は1ミリも考えず、推しを推しはじめた当初は自分の歯磨きに対する意識改善をしようともせずに「趣味が歯磨きってなんかえっちだな」とか考えていたのが私というダメ人間であった。
変化は、推しのぬいに感情や自我を見出すようになった頃に訪れた。
飼っているぬいが、部屋でゴロゴロ寛ぐ私を責めるような目でを見てくるのだ。まるで「まだ歯磨きしないのか?」「寝るまでには磨くよな?」とでも言わんばかりの硬い表情でこちらを見てくる。
この頃には私はすっかり推しぬいをひとつの個として認識しており、もやは「推し」とは別に「ぬい」を推しているような状態にあった。
画面の中の偶像的に愛を注ぐ対象とは別に、手元のぬいに個性を見出し、「自分ちのぬい」という存在として可愛がっていたわけである。飼ってるネコチャンにメロメロのでうちの子が1番可愛いと主張する飼い主に構造は近いと思われる。
「推し」に良く見られたいという気持ちは微塵もないが、飼っている「ぬい」には嫌われたくない。責めるようなその目をやめてほしい。※なお幻覚
そんなわけで、私はぬいの顔色を伺いながら日々歯磨きをするようになった。現状では朝と夜の2回が精一杯だが、理想は毎食後に磨くことらしい。
過去に検診をブッチしたことや長年の舐めプが原因で口内の各所に点在していた虫歯を治すため、数年ぶりに歯医者へも通い始めた。もちろん通院の際にはいつもぬいを連れている。
歯科医院の前で、看板と並べて写真を撮ってあげるとうちのぬいはとても良い表情で笑うのだ。
今日は長年認識しているまま放置していた大きめの虫歯の治療が終了したので、ひとつの区切りのように感じてこの記事を書いた。
幼少の頃から自覚しつつも一向に改善される見込みもなかった年季の入った私の悪習慣は、「推しのぬいに自我を感じたから」というわけのわからん理由で改善へと向かっている。
それはそれとして
反出生主義の主張を読むのにハマっている。
どう考えてもそっち側に行くことはないけど、反論が難しいってところに引かれてるんだと思う。
実際彼らは「人にやさしく」を大義名分に日々各方面に暴言を吐きまくっていて、彼らの言うところの「この世には不幸がたくさんある」を自身で実行している。
所謂「過激派」には私と同世代かちょい上の女性が多い気がする。私だって親と上手くいってない時期もあったしつらいこともたくさんあったけど、不幸が0じゃないとダメってどこから世界を眺めてるんだろう?と思う。
現実的な話だと、人が居なけりゃインフラも崩壊していくよね。もちろん機械化自動化が進んで技術も発展するだろうけど、システムを管理するのには人間が必要なんだし歳食って動けなくなれば誰かの助けなしじゃまともに生きていけない。自分らが未来の子孫のために体張って犠牲になるのでいいです?それに巻き込まれる同世代の反出生じゃない方のことも考えてください。そんなに長生きしない?じゃあその苦痛は他人に押し付けるだけなんですね。ほら結局優しくないじゃん。優しいのは自分と、これから生まれさせられる子供にだけじゃん。
そもそもどれだけ叫ぼうが皆が出生をいっせいにやめるなんてありえないんだから、単純に生むな!!は違うよね。優生思想っぽくなるけど反出生の主張を聞いて「やめとくか…」と思う層は恐らくそこそこの家庭環境の人だと思うよ。ヤンキーがそんな主張に触れるわけないし。
反出生主義を叫ぶ方々(特に過激派)、産まなければ解決って思ってるのが片腹痛い。現実と照らし合わせてもう少し違うアプローチをしたほうがいいんじゃない?
ここ数日彼らの主張を読むのが楽しくてTwitterに浸かってたけどそろそろ試験も近いしこれで一旦読むのを止めよう…その区切りとして書きました。みんな人生がんばっていこうね
借りた額が増えてく借金は駄目、ちゃんと減ってく借金はOKって区切りにしている。
前者はリボ払いとか借金してるのにさらに借りるみたいな行動。後者は目的があるローン。
で、恋人が借金あったらどうかという話だけど、恋人や配偶者と財布が一緒と考えてない。
自分の借金を相手と一緒に返そうとも思わないし、それに対してグダグダ言う相手とは逆に付き合えない。
相手に借金があっても肩代わりしようとか一緒に返そうとも思わない。ちゃんと返せてるならいいよ、ぐらい。
結婚しても、事前に取り決めた額を家計に入れたら残りの金額は自分で好きに使うスタイルでいくし、その範囲で収まる借金なら好きにすればいいと思う。
極端な話、たとえ相手が破産しても別に自分の信用情報には関係ないし、そこはわりとドライにやってる。保証人には絶対にならない。
大乱闘スマッシュブラザーズというゲームを知っているか?
はてなーの人間が最近触れる機会があったのは、①格ゲーにも関わらず大会でキャラ被りがしない ②カズヤ参戦 by逆噴射総一郎 くらいだろう。
スマブラ界の王 MKLeo
ポケモンユナイトの世界大会を目指すも身内の寝坊によりスマブラに帰ってきた漢 ザクレイ
15年間の競技生活に今年で区切りをつける京大卒スマブラYoutuber しょーぐん
プロゲーミングチーム「CR」に加入し海外大型大会を制した プロトバナム
タレントが揃うスマブラ界隈も長らく日本人が勝てない時代が続いてきた。
日本で作られたゲームだから日本が一番強いと思うことも至極当然だろう。
実際、マリオカートやスプラトゥーンでは日本が最高峰であり、世界大会は殆どの大会で日本勢が優勝を飾っている。
だがスマッシュブラザーズはそうではなかった。
現在も競技シーンが盛んであるスマブラDX、スマブラSP(海外ではMelee,Ultimate)は海外コミュニティーが作成し、スマブラ界隈で最も信頼される世界ランキング、通称PGRにおいて日本人が年間一位を飾ったことがないのである。
海外コミュニティーがランキングを作成したのだから海外選手の方が有利なのでは?と思う方もいるだろう。
その推理は半分が正解で半分が間違っている。
PGRにおいて、最も重要視されるのは高tire大会で高順位を獲得することだ。わかりづらい場合、テニスにおける四大大会がスマブラにもあると思ってもらいたい。
世界各地で大会は開催されるが規模が大きい大会はおおよそが決まっていて、アメリカで開催されることが多い。だからこそ、PGRには日本選手よりもアメリカ選手の方がランクインしていることが目立つ。その分、PGRが上位の海外選手に日本人選手がアップセットを起こすことはざらにある。しかし、PGR上位にランクインした日本人選手が海外大型大会を優勝しているかと問われた場合、残念ながら優勝できないのが現実である。
スマブラには世界最強の地位を長期間保った人間が二人いる。「Zero」「MKleo」彼らの共通点はグランドスラムを達成するに等しいレベルで海外大型大会を優勝していったことだ。
「MKleo」は3年間の間、出場した全ての大会で3位以上。1年間に開催された最高tire、Stire大会11つのうち6つで優勝。
日本から彼らのような傑物は今まで存在していない。そして多くの日本人は彼ら二人に打ち負かされてきた。
ここ数年、日本最強の呼び声が高いザクレイでさえもMKleoに何度も敗北している。
海外Stire大会が開かれるたびに日本人選手は遠征を行い、1~10名程度の著名プレイヤーが参戦しているものの、スマブラSP期、日本人が優勝した回数はたったの2回である。
The Big house9のザクレイ。 Double Down 2022のプロトバナム。
そしてDouble Down 2022優勝の結果が出たのが今日。
プロトバナムが世界最強のMKLeoに勝利を収めての優勝だった。
先ほどMKLeoで触れた、3年間出場した全ての大会で3位以上の記録を半年前に止めたのもプロトバナム。
まぁとにかく。お前は黙ってスマブラの競技シーンをtwitchでみろ
お前の大好きなカズヤも競技シーンで暴れ回っている。てぃーパックマンはカズヤを組み合わせることで真の男になった。今の時代はKAZUYAMISIMAだけで会話できるし、KAZUYAMISIMAを何このキャラとかおもってるやつは全員アホだ。MKleoはメキシコの男だ。だからこそ最強から世界最強になるべくして真の男だった。だが、ようやく・・・・日本人にも真の男になるチャンスが回ってきている・・・・。私に言わせて貰えば、今スマブラを見ないやつは全員アホだ。E-SPortにうつつをぬかすキッズたちはAPEXに夢中だが、APEXはもともとスマブラの大会の名前。APEXの大会見たいとかほざく暇があったらスマブラの大会みろ。
LOL以降、PCゲームは企業主導や企業協賛で開催されることがもっぱらだが、スマブラの大会は任天堂が関わることが殆どない。
だからこそ、おもしろいのかもしれない。大会の一つひとつが参加者の熱意によって成立している。
その熱意の最高峰、海外大会の決勝戦に、日本人はしばらく登壇することすら叶わなかった。
それがこの1ヶ月で変わった。
あcola 招待制ではあったが、彼は世界最高峰の選手が集まる舞台で優勝した。
世界最高峰のゲームコミュニティー。スマッシュブラザーズSPのコミュニティー。
増田で婚活の体験談をよく見かけるのだが、同じく婚活を最近終えた身として楽しく読ませてもらっている。
まとまった文章は普段ほとんど書かないので下手くそかもしれんが体験談の一つとして俺も書いてみた。
婚活を始めたきっかけは数年付き合っていた彼女と分かれ、年齢から考えてもう合コンとか殆どないし、コロナ禍で外に出れないしこれは婚活しないと駄目かもな……と考えたから。40歳までに相手を見つけられなかったら諦めるつもりだった。登録した相談所はよくTwitterで話題になるところ。名前知ってるし自分がゲーマーなので話が早そうと思ったぐらいで他の結婚相談所と特に比較せずに決めた。
入会した相談所はオタク特化型だったので、入会前は同じ相談所に所属する人とだけお見合いを組めることを期待していたのであるが、お見合い管理システムのプロフィールにはどの結婚相談所に所属しているのかを書いてはならないというルールがあるらしく、同じ結婚相談所の所属であるかどうかは申し込んで見るまではわからない。どうやって確実に同じ結婚相談所の会員とお見合いを組むのかというと、結婚相談所からの紹介である。同じ結婚相談所、あるいはアライアンスを組んでいる相談所の会員を毎月決まった人数分を紹介してもらえる。私のプランは毎月3人を紹介してもらえた。あくまで「お見合いを申し込んでみてはどうでしょう」という体なので、お見合いに進めるかどうかは相手からOKをもらえないと駄目であるが、同じ結婚相談所内の会員であれば内部での調整はある程度可能であり、どこの馬の骨かわからない人間からの申込みに比べるとOKを貰える確率が跳ね上がる。私の場合、紹介してもらった方へ申し込んでOKを貰える率は体感で7割ぐらいであった。
一方、システムの会員検索を使ってなんとなくのフィーリングでお見合い申込をした場合ではOKをもらえたことは記憶の限り一度もない。マジで全く通らない。まぁ自分だって申し込まれたお見合いに対して写真を1秒だけ見てNGをポチっていたのでお互い様である。
よって、途中からは「紹介される人で良さそうと感じた人への申込み」 と 「自分への申込みで良さげなやつにOKを出す」という方針でやっていくことにした。毎月のこちらからのお見合い申し込みの上限数は私のプランでは20件までとなっていたが、このペースだと上限の20件まで到達することはほぼなく、むしろ毎月5件申し込むかどうか、というペースに落ち着いていった。
また、結婚相談所からの紹介人数の3人/月は一見少ないように見えるが、そんなことはまったくない。婚活の開始当初の紹介は最初の面談内容の情報をもとにしているのであるが、スタート当初は理想とするパートナーのイメージは自分の中でさえ曖昧である。この状態でお見合いを組んでもピントがズレてるのでうまくいかない。最初の3ヶ月から半年ぐらいはフィードバックを担当の人に伝えることによって、よりフィーリングが合いそうな人をピックアップしてもらえるように心がけたほうがよい。また、お見合いは1日に複数回こなしてもいいことにはなっているが知らない人間といきなり雑談してこいというのは常人には1日1回が限度である。そうするとお見合いに土日を全部使っても毎月最大8回ほどが限度である。さらに土日が全部潰れるのは30後半のおっさんには体力的、精神的に来るものがある。そうすると毎月4,5回ほどのペースが限界となり、紹介人数は決して少なくないということがわかってくる。
こう書き出してみるとやっぱり結構かかってるな…。ケチるとわざわざ自分から不利になりにいくことになるので、必要経費と思って気持ちよく払うのが大事だと思う。
1回目に真剣交際に進んだ方は相手から申し込まれたお見合いで出会った方で、真剣交際は相手から誘われて「あ、なんか好意持たれてるんだなー」という気持ちでOKを出したが、私のほうがいつまで経ってもこの人と結婚して生活しているイメージが全く沸かず、相談所の担当の人に相談したところ「自分の直感を信じたほうがいい」というアドバイスを貰えたので私の方から交際終了を申し出た(相手の人の時間を数ヶ月もらっちゃって申し訳ないなと思ったが、相談所の私の担当の人の応答は気落ちせず頑張りましょう!とあっさりしたものだったので良くあることではあるのだろう。こういう後腐れなしにできるのも相談所を使う良いところかもですね)。
今のパートナーとして出会った人は結婚相談所からの紹介によってお見合いを組んだ方で、お見合いの段階で「この人しかありえない!」という直感が働き、私の方からぜひお願いしますと話して真剣交際に進み、そこから退会までとトントン拍子でトラブルもなく進められた。全部の期間は約1年半かかってしまったが終わるときはこんなにあっさりしたもんかと思ったほど。
結婚相談所を使って良かったか?という問いには私はとても良かったと思ってるが、それは無事に成婚退会ができたからであり、ベストかどうかはやっぱり人によるとしか言えないと思う。もっとパパッいろんな人と会いたいというのであればマッチングアプリだろうし、実際、私の独身仲間だった友達は昨年秋にマッチングアプリでパートナーを見つけて結婚まで無事にたどり着けていた。
人生のパートナーになって欲しい!と思える人と出会えたのは本当に運でしかなかったと思うが、お見合いや仮交際の数を重ねることによって自分がパートナーに求めることは何かがちょっとずつ感覚としてわかってきて、さらに相談所の担当の人とのカウンセリングの時間にそれを喋ることによって言語化できるようになる。マッチングアプリにはないメリットはそこにあると思う。
興味もあり1度だけどんなものなのか参加してみた。「パーティ」と名前がついているから大きなテーブルを囲んで会食っぽくやるのかと思うが全く違う。
いわば回転寿司形式である。制限時間10分の間に会話をした相手の印象などをメモらなきゃいけないのでものすごく忙しい。私が参加したのは女性10人, 男性10人が参加したパーティであったが、正直4人目を過ぎたあたりから誰が誰だったのかサッパリわからなくなる。
一通り終わると控室に戻され、何番目に会話した人が気になったかを記入し、相手からも指名されればマッチング成立となる。これはIBJ上のシステムではお見合い申込みOKと同じ状態とみなされ、後日改めてIBJの通常のフローに則ってお見合いが組まれる。なお、確か気になった人ともう1度喋れるチャンスタイムみたいなやつがあった気もする。
参加した結果2人とマッチしてお見合いに持っていけて、おもしろ経験が出来た!と思ってるが、対策を立てずに挑んでマッチングできなかったら9,000円払い損だし懐にもメンタルにダメージがでかい。結婚相談所の人からはIBJ主催のパーティについて特にプッシュされなかったのはこういう形式だからとわかっているのでオススメしないという背景がありそうである。なお、結婚相談所が各々主催するお見合いパーティはまた形式が全く異なるようだ。コロナ禍が多少落ち着いてきたことによって開催もボチボチ再開しているようなので、パーティに参加するなら結婚相談所が幹事をしているパーティに参加したほうがよいと思うし、どういう形式なのかを担当の人に詳しく聞いた上で挑んだほうがよい。
以下、この増田の草稿を書いていて話があまり膨らまなかったネタのメモ。
妊娠12週=死産届が必要→人の形になる(臓器などが一通り揃う)
妊娠22週=日本で中絶できる上限→救命できる限界だった(肺サーファクタントの産生が始まる=呼吸させられる)
出産時=法律上の権利が発生する→新生児に直接的に危害を加えられる(人権保護の対象となる)
俺が言いたいのは、胎児の人権を大切にしろ!ってことではなく、むしろ逆なんすよ
「赤ん坊もぶち殺しまくっていいだろ なぜなら実質自我なんてないようなものだから」
ってことなんすよ
だってそうじゃん
赤ん坊のころの自分に、まったく連続性感じねえよ あの辺って助走期間みたいなもので、つまりは胎内にいたときと大差ないじゃん
でも、世の中ってよくわかんねーじゃん
3ヶ月の赤ん坊を藪に捨てて死なせたりしたら非難轟々じゃんわりと
なぜなんだ
中絶禁止法にブチギレつつ、赤ん坊の命は大切にしたい人たち、どういう思考なんだ
どこでどんな線引きしてんだよ
俺は、「物心ついている」と言えるくらいの賢さがある存在にしか人権を認めたくないという思想を持っているので、実際2歳児とかもぜんぜん「中絶」していいと思ってる
中絶OK、赤ん坊が死んでもどうでもいい、牛や豚やタコを食いまくってOK
皆さんはどうなんだよ
中絶はOK、でも赤ん坊は宝物だから守らないといけない(法的に中絶NGになった瞬間に宝物化するのか?)、牛や豚やタコは食いまくってOK(赤ん坊より賢いのに?!)
わかんねえんですよね
胎児の人権は存在しないか、存在したとしても母親の快不快より下なんでしょ
なぜなんだ
いやまあ、法的には、それがいいと思うよ実際
一番線引きしやすいしね
でも、ここでしたいのは、内心の話なんだよな
皆さんは、心から、「こどもは、法的に中絶をしたらダメになった瞬間/出生の瞬間から守るべき存在になる!」と思っているのか?
俺は思ってないんだよお
ーーー
こういう露悪的な増田を書き散らしてほぼスルーされるっていうのはいいガス抜きになるんだけど、ヘタにブクマが伸びたりすると、慮外のストレスに晒されてしまい、一方で承認欲求が満たされてやや気持ちいい感じもしてしまうため、クセになっちゃう!と一瞬思わなくもないが、でもこんなクソみたいなエントリがいくらどうなったところで、俺が誰にどう承認されたってことになるんじゃボケという話もあり、つまり、最悪
この形の最悪増田体験、もう10回くらいになる気がするんだけど、ホントにやめたほうがいいと思っていて、じゃあどうやってやめるのか?っていうと、これがわからない
実のところ、露悪的な増田を書いてスルーされるのは良いんですよ 普段考えてることに、ムダに下劣なニュアンスを加えて、適当に文を書いて、送信して、何かを発散して、それで終わり
後で読み返してうわー恥ずかしい!と思って消したりもする まだ健全なんだ
なぜ健全じゃなくなるのか?というと、これは、ブクマカの皆さんが悪い
きさまらが戦いを好むばっかりに、戦場にできそうっていうだけで、こういうウンコみたいな、中身のない、中学生が書いたような、糞エントリにブックマークをつけるのが悪い
だいたい、ブックマークですよこれ
お前いいのかよ
今お前の栞にウンコがついたんだぞ
俺は休みの日には早く目が覚めてしまって、そのあと全然眠れなくなるんですよ
そういう、ちょっと寝不足の状態で書いた、自分で読み返しても何言ってるかわかんない、糞エントリ中の糞エントリなんだこれは
実際のところ、俺は法的には現行の中絶制度に全然文句はなくて、内心の話がしたかったんだと思う
結局は「皆さんの心の中にある、中絶・子供の命関係の線引きってどんなもんなんですか?」っていうのを純粋に聞きたかっただけなんですよ
22週?とか、どっかに区切りがあって、そこを過ぎると手術NGになるっていうのはさすがに知ってる
それより前なら無条件に中絶できるわけではないぞ、というのも何かで見た気はするんだけど、なんかそれって建前で、実質は時期さえOKならなんでもOKだと思ってたわ 配偶者同意とかを抜きにすれば…
そうでもないもんなの?実際
裕福で健康で、あきらかに大丈夫やろ!って感じだったら、いくら嫌でも中絶できなかったりするもんなのか?
実際土曜朝から糞エントリ書いて、糞ブクマがビチャビチャついて、皆さんは糞エントリを見ないといけない、俺は自分の糞エントリと向き合わないといけない、本当にダメですよ
さっきからウンコの喩えしか出てこねえな ダメなんですよ俺は ダメなんだ
というわけで、俺はファイアーエムブレム無双 風花雪月に戻らせていただきます
みなさんも、ファイアーエムブレム無双 風花雪月をやったり、The Boysのシーズン3を観たり、そういうことに時間を使ったほうがまだマシだと思う
色々あってもう死ぬか!ってなった時に、自分の出生について知らない部分があったため
出生の経緯を知る数名に「教えなきゃもう死ぬぞ!」と脅迫したら思ってもなかった真実が語られて
死ぬ気は失せたけど生きる気力も湧かないふにゃんふにゃん状態になってしまった話。
この出来事は数年前のことなんだけど、カウンセリングに行ったり投薬治療したりしても
ふにゃんふにゃん状態から抜け出せず漠然と生きていることが辛いのでここに書き出していく。
数年経った今でも、気持ちがぐちゃぐちゃで整理できない状態なので、途中気持ちが爆発して読みにくいかもしれない。あと長い。スマソ。
これは私の家庭に深く関わる話なので家族構成と生い立ちから話したい。
物心ついた時から、母はとにかく厳しくて、私はだらしない人間だった。
何事も白黒はっきりつけなきゃ気が済まない性分の母と自分の気持ちを優先する自己中な私はとにかく喧嘩が絶えなかった。
父は私が生まれる前に亡くなり、母1人子1人フルタイムで働く母は、仕事と育児の両立で忙殺していた。
なんらかの事情で幼い頃は引っ越しを繰り返し、1年以上同じ場所に定着できたのは小学校低学年の頃だった。
我が家には叔母や祖母といった家族の交流はなく、私は預かり保育の常連だった、でも似たような家庭の子がたくさんいたので寂しくはなかった。
幼稚園の頃、母が急病で即入院となってしまい母の友人宅に数ヶ月お世話になったのだが、そこで私は苦労の多い母と可哀想な子という扱いを受けた。
私は父がいないこと、母以外の親族との交流がないことで多少寂しさは感じることはあったが、そこまで可哀想だと自分では思ってなかった。
だけど、この時からなんとなく違和感を感じるような出来事が何度かあり、ただその正体に気づくことも探ることもなくすくすく育っていった。
とにかく自己中な私は、母を怒らせることが多く、1度言っても聞かないため罰として布団叩きで叩かれたりビンタされたり大事な物を壊されたりした。
でもこれは言って理解しない私が悪いので、当然のことだった。母は私を「お前は人間ではない。早く猿から人になれ」と言った。これは口癖だった。
いつからかはもうわからないけど、たくさん怒られて、痛みと恐怖でなんで怒られているのか何を反省しなければならないのかわからなくなっていった。
とにかく殴られたくない、怖い思いから解放されたい一心で謝った、何が悪いかわからず謝っていたので、その場しのぎで嘘の謝罪に意味はないと、さらに叱られ続けた。
これは大学生になっても続き、私が人間になれることはなかった。
母は用事が多く1人で過ごすことが多かった。そんな時は児童向け施設でよく遊んでいた。
広場にある時計を見て、◯時まで遊んでいいよと言われ、その時間になったら母が迎えに来ていた。
ある日、そこで知り合った同い年くらいの子と仲良くなり、一緒にイベントに参加しないかと言われた。
だけどそのイベントは母との約束の時間を過ぎてしまうもので、母の許可なく参加することはできなかった。
その子の母親が、私の母が広場に来たら声をかけてあげるから遊んでおいでと言ってくれたため、どうしても遊びたかった私はその言葉に甘えてイベントに参加した。
イベントが始まり、これまでやったことのない遊びに心から楽しみ大興奮したことを今でも覚えている。なんでこんな楽しい遊びを知らなかったんだろうと思った。
そのイベントの途中、怒鳴り声をあげてイベント会場に入ってきた大人がいた。母だった。
友人の母親とおそらく施設のスタッフに止められながらも、母は私の髪を引っ張って会場を後にした。
帰宅後、私がしてしまった行為がいかに愚かなものか叱責された。
普段は2、3回殴られる程度で済むのだが、今回ばかりは罪の重さから3日食事抜きで母は家から出たまま帰ってこなかった。
母が帰ってこなくなって2日目、痛みと空腹で私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。
約束を破ってまで遊んでしまったことへの罪悪感とそれでも楽しかったこと、遊びたかったことと色んな気持ちでいっぱいだった。
母に強く言われたのが、もし友人と母親が悪人だったらどうするつもりだったのか、誘拐されるリスクがあるのになぜ他人を信用したのかと。
私は友人とその母親が悪人だったらという話にすごく腹を立てていた。なぜなら2人は優しくて、誘拐なんてされなかったからである。
そんな怒りと罪悪感とでぐちゃぐちゃになっていた時に、一本の電話が入った。
普段、私が電話に出ることは禁止されていたが人と喋りたかった私はまたしても約束を破りその電話をとった。
母に用事があった教師は、泣きじゃくる私の声を不思議がり「何があったかゆっくり話してごらん」と言ってくれた。
私はこれまでの出来事と痛みと空腹で辛いこと、もっと遊びたかったこと、友人とその母親を悪く言われて腹が立ったことと思っていた全てを伝えた。
要領を得ない私の話を黙って聞いていた教師は話終わってなく私にこう言った。
「よくわかったよ。辛かったね。お母さんと話してみるね。」
次の日、眠っていたら水をかけられ起こされた。
怒り心頭の母が目の前に立っていた。
「お前は反省していないようだな」と言われた。
教師から、私が電話に出たこと、電話口でとにかく自分が可哀想だと自分のことしか話さず全く反省していなかったことを伝えられたらしい。
どうしてお前はここまでしてもまだわからないのか、申し訳ないと思わないのかとさらに殴られた。
お前なんて産むべきじゃなかったと言われ、今回のことから自分が徹底的に悪であるということを言われ続けた。
この出来事と電話をきっかけに私は常に自分が悪い、自分の非から話させなければならないと強く思うようになった。
反応あれば続き書きます。
これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592
この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。
この言説のキーマンは小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。
日教組が昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。
右翼による日教組批判が特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである。
街宣車で大音量で日教組!日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組の知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校の先生の組合なんて知らんもんである。但し右翼の一般受けは悪かったので日教組の評価は下がらなかった。
また日教組が集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量で軍歌を流し音圧を競うようになった。
すると近所の会社は仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。
でも日教組の知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。
こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。
その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である。
右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼も統一教会も皆同じだ。
だが1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連の改革政策、ペレストロイカを推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。
それによって西側ではゴルバチョフの歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである。
更にソ連共産党は活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。
これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男はソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。
また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。
まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。
またソ連大使館前の道路は街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路が遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバスが20分以上立往生なんて事はザラだった。
こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。
という事でこの時期に日教組の悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである。
まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売やテキ屋も同じだった。
戦後の右翼は、例えば児玉誉士夫など体制と癒着しそれは米国に従順という事でもあった。
1960年代末に左翼の学生運動が盛んになるとこれに対する体育会と右翼学生が組織されていった。新右翼と呼ばれる。
新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制、反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。
ここを境に右翼系の政治結社が誕生して行く。そしてそれらは「街宣車で軍歌を流し辻説法をする」というスタイルを確立していく。
この街宣車は最初は旧軍や自衛隊の国防色(カーキと灰色:バトルシップグレイ)だったのが後述の事情で威圧感の強い黒塗りになっていく。
よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年頃から右翼政治結社は街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。
因みに日本会議の中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである。
80年代になると校内暴力で学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族の右翼感染が進んだ。特攻服や旭日旗が暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである。
こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。
思想右翼の主な資金源というのは機関紙の販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。
が、もう一つのパターンは不正や思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。
ヤクザが参入する主目的は後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである。民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業の商業活動に暴力団が威圧をもって参入する事だ。
企業恐喝に街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。
暴力的手段を行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。
因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり、学生運動で就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会の不正を糾弾する記事を書きまくり、総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正で総会屋が潰されると大方廃刊。
だが技能を身に付けた者は大手メディアでフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身が結構居たのである。
こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組の集会や8月9日の反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音で軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエースにスピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。
ハイデッキ観光型バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ、自動車電話、冷蔵庫とバーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党や共産党のようなプロの街宣用スピーカー、アンプを搭載して、北方領土の日にはフェリーと陸路で釧路とかの空港に回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである。
しかも一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室は渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。
ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザが描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察に問題視されていた。
そこで暴対法が施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。
伊丹十三のミンボーの女には暴力団が右翼の街宣車で企業恐喝に来るシーンがある。この映画は暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹はヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。
余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社は道路に面しておらず、また同社は本社付近の建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。
ちょっと長くなったが、「えせ右翼は在日朝鮮人が右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。
えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的でヤクザが運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。
こうして
となってソ連に勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。
そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞のコラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。
そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力の日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである。
当時は欧州もみな社民政権でリベラル人気で冷戦後の世界情勢にも楽観的だった時代だった。
2ちゃんねるだった頃のvipでよく使われていたネットスラングやで
そこからニコ動・ネトゲ(vip以前から使っている人もいる)に広まっていき今に至るみたいな流れやが?
ネットの最果ての地かつアラサー以上がメインのはてなーが知らないって起きえるの?
若者しか使わないのはカッコや区切りをつけない、ワラ 笑 だと思う
年代問わないのは 草 や w だね
相手のしゃべるままをリアルタイムでメモするのはそもそもどんな人でも難しい。
この2点を気をつけるしかないと思う。
【スペック】
・180cm75kg 顔は普通だと思う
【費用】
相談所入会費 \111,400
相談所月会費 \15,400 × 9ヶ月
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合計 37万円
それ合わせたら +50万くらい。
【思ったこと】
一番やってた月で6人くらい会ったから、集中してやればもっと費用抑えられたと思う。
・割と戦えるスペックだったようで希望出せばほぼ全員会えた。メッセージ2-3往復で会えたので、マッチングアプリよりはるかに楽。自分はとりあえず会って話したいので相談所向いてた。
・相談所とは言え、かなりコミュ力勝負だったと感じる。少ないながらも恋愛経験あってよかった。コミュ力なくて何度も振られたし、恋愛経験なかったら絶対詰んでた。
・コロナのせいか、生活的に独立して正社員でバリバリ働かれてる綺麗な女性も数多く相談所に登録していて驚いた。入会前はそういう女性は相談所にいないと思ってた。
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【追記】
6つ下の看護師。若い子を狙ってたわけではないけど、フィーリングがかなり合った。
自分は今はフリーランスで時間の自由がかなり効くので、単純に婚活に使える時間がサラリーマンより多かったと思います。
職種的に得したっていうのはなかったかなぁ・・・。個人事業主だからローン組みにくいとか収入変動あるとかデメリットは事前に伝えてたけど、それ嫌がる人はいるかも。
恋愛スキル(どれだけ楽しませられるか?気遣いできるか?)で見られることが多くて、自分のコミュ力、というか経験値の低さを感じた。
ここは今更補いようがないので、回数重ねて少しでも経験値とノウハウ貯めるしかないなと割り切ってやってました。
自分が使ってた婚活サイトは収入証明を出してプロフィールに書かれるんだけど、
なぜか個人事業主の場合は年商(確定申告の"収入")を「年収」欄に記入されてた。