はてなキーワード: 区切りとは
死んだ奴らがどう思って死のうが生きてる奴らは生きてる奴らが納得できるように好き勝手に死んだ奴らのことを扱うことができる。
これは許されてるってことじゃなくて、可能の方のできるだ。
だから許されてる方でいえば『死者にあったのかわからん尊厳というものを尊重して言葉を送って死者を想った生者達の中でいい感じの区切りをつける』ってやつだ。
我々は葬式をすることで死者に対して出来なかったことの整理をする、その悔しさと無念の整理をする、出来たであろう最大限の善意をそこで発揮する。
葬式に参加するでもない人たちは労いの言葉を送る。お悔やみの言葉を送る。
そうすることでその死者を知った人達は整理を付ける。
逆に生きている人はこれからも関わるかもしれないのでなるべく最小限の関わり方をする。
だから現実の人間は最低限でも礼儀を持って接していないと生きている人が生きているうちにそのことをやり返される可能性がある。
逆にネットなどではやり返される範疇には無いであろう、実際に会うことはないであろうと考えるから不躾な言葉遣いが横行することになる。
生者に厳しく、死者には優しくなる。
とはいえ、単純に『これが最後とは思わんかったから雑な対応をしてしまった』だけである。
そしてそれは別に普通の人間関係の上でも発生しうることで、最大限リスペクトを持って接していたとしても『もっと良い対応ができていたかもしれない』と思い込む人もいる。
そして逆に『俺は最初から関わってないし、そんなに失礼な態度とってないから特に何もする気ないわ』もいる。
ただその場合は死者に触れている存在ではなくなる為“死者に優しくしている存在”として知覚されることはないのである。
死者には優しくされるというのはそういうことなんだと思う。
割と普通に『死んだらどうでもいいし唾吐いたろ』と考えてるとんでもない奴はいるが葬儀に呼ばれる人間性ではないので一般的なところで見掛けられないだけだろう。
そして本人達もわざわざ表でケガはしたくない為に出回らないだけだ。
【2月】 まだまだ寒い。これではやる気が出ない。3月から本気出す
【3月】 年度の終わりでタイミングが悪い。4月から本気を出す
【4月】 季節の変わり目は体調を崩しやすい。5月から本気を出す
【5月】 区切りの良い4月を逃してしまった。6月から本気を出す
【6月】 梅雨で気分が落ち込む。梅雨明けの7月から本気を出す
【7月】 これからどんどん気温が上昇していく。体力温存の為8月から本気を出す
【8月】 暑すぎて気力がそがれる。9月から本気を出す
【9月】 休みボケが抜けない。無理しても効果が無いので10月から本気を出す
【10月】 中途半端な時期。ここは雌伏の時。11月から本気を出す
【11月】 急に冷えてきた。こういう時こそ無理は禁物。12月から本気を出す
【12月】 もう今年は終わり。今年はチャンスが無かった。来年から本気出す
画像検索してるときうっかり類似画像を視界に入れようものなら、際限ない無秩序な画像の提示に付き合う羽目になる。
ここらで諦めたいがここでやめたら後で後悔しないかとかいろいろ考えるうちになかなか区切りがつかない割には、収穫が乏しい。
そんななかで中国の漫画サイトに行き着くことがあるが、なんか表紙を見る分には面白そうな気もするけど、どうもエロがないかぎりは、異言語のを読むときのめんどくさそう感が勝って踏み込めない。
↓こんなやつな。
今日は忙しいっぽいので手早く書いてみたいところだわ。
私の前いた会社のたまーにお手伝いをするんだけど、
まあ隣のフロアだから致し方ない感じでもあるしそんな感じでもないんだけど、
たまーに印刷のまとまってお手伝いがあって、
なんで私が私用に買って使っているラベルプリンターででしか出せないラベルとか出して欲しい依頼が来るの。
そっち会社なら自分とこで買ってそういうの備えたら?って思うけど、
私が大枚叩いて買ったタイ米を食べながらあのなんだっけあの鶏肉のご飯のお粥みたいな食べ物を検索したらお粥じゃなくてカオマンガイだったわ!
えーでもそのぐらい会社レヴェルでの業務なら買っちゃいなよーって思うんだけど、
まあ私はシール1枚に1円上乗せしてシール台請求すればいっかーって。
そうよね、
その間の紙交換や出力されたシールがくるくると丸まって出てくるので
やっぱり何かと束ねて置いて置かなくちゃいけないのよ。
1日とは言わないもののトータル3~4時間ぐらいはかかる計算の物理的にシールが出力されるスピードを単純に秒で割り算してかけ算する道のりと高さ割る2の台形の面積を計算で導き出すかのように計算して算出させると
単純に出力だけでも小一時間かかんのよね。
全部出し切っちゃえればいいんだけど、
シールのロールも2000枚で交換つどつどしなくちゃいけないし
手間っちゃー手間ね!
シールロールを交換は手動だもんねどうしゅどうもないわ。
今日はそんなんで忙しいので
ヤッホーと叫びたいけど叫べない山脈に向かってヤッホー!って叫びたいわ。
そんな感じよ。
でも忙しいのはいつも決まって大体午前中のみなのよね。
うふふ。
ゆっくりしっかりもぐもぐと味わって食べる堪能だわ。
貴重なタマゴよね。
しかといただくわ。
鉄瓶で沸かすホッツ白湯ウォーラーはまた美味しい味わいがあるって言うけど
本当なのかしらね?
私は鉄瓶の味わいは分からないけど
違いが分かるのかしらね?
鉄瓶の先入観なのかも知れないけど、
実際のところはどうなのか未知数の未定だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
法案が可決されてしまうと体が男性のままのトランス女性が男女で分けられている公共のトイレや入浴施設に来るのではと。
しかし、私が脅えているのは全てのトランス女性にではない。トランス女性を騙ったシス男性もしくは性的志向が女性で未手術のトランス女性である。私以外の女性専用スペースについて言及されている方もきっとそうだろう。
なぜ脅えるのか。それは性加害の被害者になる可能性が高いからだ。
まず男性体と女性体では筋肉量が異なる。それは性自認とかではなく否が応でも体の性別で決まってしまう。戯れであっても組み敷かれてしまえば死に物狂いで抵抗でもしないとその差をひっくり返すのは難しい。
次に望まない妊娠というリスク。妊娠というのはそもそも女性側のリスクの方が圧倒的に高い。常日頃のピルもアフターピルも副作用はあるし、堕胎するにも薬が認可されていない日本では手術するしかなくその値段も決して安くはない。そのリスクを負わせるのは言い方は悪いが体が男性の方だ。仮にその能力がないとしても見た目ではその人に生殖能力がないというのは判断できない。
そのため、一律に体が男性である男性やトランス女性やトランス男性が公共のトイレや入浴施設などの女性専用スペースに入ってきて欲しくないと考えている。
ただ、未成年や経済的理由など誰もが性適合手術が出来る訳ではないと言った問題もある。なので女性専用スペースは残したままトランスジェンダーの方にも利用出来るスペースを作るなどの配慮は必要だと思う。女性専用のスペースを使って欲しくは無いと思っているが、公共のトイレや入浴施設自体を使わせるなとは思っていない。
現在の法案の文面ではLGBTQだからと差別しないように、事業者の過重にならない範囲で合理的な配慮がなされるようにと言ったことしか書いていない。法案が通ったからと言って即座に上記のようなことが起こるわけではない。だけれども最悪を想定して問題提起するのは決して悪い事だとは思わない。
最後に私はジェンダーといった区切りで分けられているものはなくなればいいとは思っている。例にあげると男女でしかできない結婚や、男らしさ、女らしさといった考えなどである。
しかし、体の性別で分けられているものについては今一度なぜその区別が出来たのか、その区別を取り払っていいのかを考えて欲しい。
コメントを見て再度考えたのだが、私はトランスの方が怖いのではなく、意図せず孕まされることが怖い。そのため指摘にあるようにトランスフォビアではなくペニスフォビアと言い換えた方がいいのかもしれない。
また、トランスの方々の権利を守るのは大切だと思っているが、ここで問題定義をしなければシス女性の権利は誰が守ってくれるのだろうかとも思う。
片方が権利を主張すればもう片方が権利を侵害され、互いが権利を主張し合うだけでは摩耗戦となってしまうため、法案というきっかけがある今、各々で考えることが大切なのではないだろうか。
○ご飯
○調子
クヨクヨはおしまい。
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第一弾にあたる。
システムはシンプルなコマンド選択式ADVで、複雑なフラグ立てはいらず、真っ直ぐプレイできた。
素っ頓狂で自堕落で豪快で傍若無人な名探偵癸生川凌介と、その助手でしっかり者ながら時折暴走する白鷺洲伊綱、彼らの事件をゲームにまとめている主観人物となる生王正生たちが、ゲーム開発者が自殺した事件の捜査をするうちに、オンラインゲーム中に突然死したもう一つの事件との関連性が見えてくるお話。
2時間もかからずクリアできるボリュームだが、かなり中身が詰まった肉厚な作品だった。
まずは、オンラインゲームと現実、二つの世界の中で被害者と容疑者たちがどのような立場だったかを聞き込みしていき、彼らの輪郭が少しずつ見えてくる捜査パート。
元が携帯電話アプリなのでシンプルなグラフィックではあるもののデザインの意図が伝わる過不足ない立ち絵も用意されている点が、ADVの勘所を抑えている良き点。
そして何より、頭が良く会話の二歩三歩先を行くと自負する伊綱さんのテキストが面白く楽しい。
まだ一作目だが、もう伊綱さんにメロメロで好きなキャラクタになったのは、この捜査パートでの切れ者描写の素晴らしさ故だ。
ボリュームの容量的な都合という裏事情を感じなくもないが、その点を伊綱さんは頭が良いから一を聞いて十を知るんだよ、としている点はアイデアとシナリオの妙が工夫になっていて、僕は好き。
主観人物の生王正生は察しが悪くお馬鹿なので、話が先に進みすぎて置いてきぼりにならないバランス感もキチンとある。
そして捜査パート終了後の謎解きパートでは、タイトルにもなっている名探偵役癸生川凌介が大活躍する。
この謎解きパートが、捜査パートで散々伊綱さんの頭の良さを語っていたからこそキマる、癸生川無双。
所謂「サプライズ」よりの作風で、事件解決のロジックや意外な犯人というよりは、事件の構造自体を理解していなかった滑稽さと、それを見抜く癸生川の先を行く捜査と推測が面白かった。
事件の重要そうなキーワードをかなりあっさり、犯人と関係のない偶然だと断定するところも、偶然であることを示唆しつつも犯罪捜査においてそれを偶然と思うのはよくなさそう、という漠然とした素人目線だとするのが楽しい。
捜査パートで事件の輪郭を浮き彫りにしていく過程が重視され、犯人との対決パートではそこまでで得た証拠で答え合わせをする古き良きADVとは大きく違い、犯人との対決パートからこそ本題が始まるミステリ小説よりの作風だった。
好みは別れそうだが、僕はとても気に入った。
TVアニメの「久保さんは僕を許さない」という作品を見た。コロナの影響で第6話を区切りに続きは来期となるらしい。ここまでの流れ、恋愛もののアニメが好きな自分は、もうのたうち回るほど続きが見たいという状態。それであるから続きが見られないのがあまりにも辛かった。ので、3話位の段階でまとめ買いをしていた原作を、6話終了と同時に一気に読み進めた。
多少のネタバレをお許し願いたい。
これは間違いなく自分の中で恋愛もの作品の上位に入ってくる素晴らしい作品だった。そこかしこで出てくる「その感情に"恋"と名が付く2歩手前」という文句がまさにぴったりだ。自分の感情に自覚していない白石くんと久保さんの掛け合いが大変微笑ましく、もどかしい。お互いがお互いを知ることによって芽生える感情。感情に気付かぬまま、白石くんは優しさ、あたたかさ、無償の愛を久保さんに与え、久保さんはそれを受けて更に感情を震わせ、思いを昂らせる。そして優しさ、あたたかさ、無償の愛を与え返す。なんとあたたかい光景なのだろうか…。
そしてなにが良いって、周りのあたたかい目で見守ってひっぱって支えてくれる友達。葉月、たま、須藤。本当に素敵な友人だよ…。みんなが皆優しくて、白石久保ペアのことを支えていて。今まで「当たり前」の学生生活を送ることが出来なかった白石くんに初めてをたくさん経験させてあげる4人の構図は、目頭が熱くなる。林間学校の写真のシーンは泣いた。
他にも明菜さんや沙貴、白石母や誠太。みんなが優しい。このハートフルな人達に囲まれて、白石くんは幸せ者やな……。
この作品の目玉のひとつとして、表紙裏に隠れたポエムがある。私はなんだかんだでこういったものが好きなので毎巻の楽しみになっていた。刺さったものはいくつかあるが、その中で最も刺さったのは2巻の表紙裏……ではなく、目次にあったポエムである。
10年後の私へ
あなたは
誰のとなりで
笑っていますか
幸せですか
これを見て、30分くらい頭を抱えた。
これをみたどこかの誰か、本当に良い作品だから見て欲しい。何かのご縁でここに流れ着いた作品の関係者の方が見ていらっしゃったら、心からのお礼を伝えたい。素敵な作品に出会わせてくれてありがとうございました。心に残った、素晴らしい作品でした。
と、ここまでの感想を書くならば、わざわざ匿名にしない。私も匿名でない、こういった感想を綴るブログはある。
何故匿名にしたかというと、この作品を見たことによって、自分の心の中のモヤモヤをデトックスしておきたいと思ったからだ。回りくどい言い方を避けると誰にも言えてない自分語りをしてスッキリしたい。こういった作品を読むと、満足感と同時にどうしても思い悩んでしまう(もちろん、作品はなんにも悪くない)。それは過去のトラウマ、トラウマ、トラウマが蘇ってしまうからなのかもしれない。よく考えたら、断片的な話を友人に話してきたつもりかもしれないが、所々は私の脳内にしまったままになっているかもしれない。それを解放したい。そして、これを読み進めてくれた誰かに笑って欲しい。それだけで報われる気がする。
私は北関東に在住する20代前半のしがない会社員である。東京の親元を離れ2年ほど、東京とは打って変わったクソ田舎で過ごしている。
恋愛もの作品が好きだが、所謂オタクの私には恋愛のれの字もない。正直とっくに諦めている。というか、過去のトラウマでやろうと思ってもできない。だからこそ、恋愛ものの作品を見て、幸せそうな男女の関係を見て満たされるのが最近ハマっているのだろう。私は恋愛ができない。
小学生の時も中学生の時も、いっちょ前に好きな子はいた。その中でも一緒に帰ったり、一緒に勉強したり、遊びに行ったりした仲になった子もいた。しかし、それ以上の関係になることは無かったし、それ以上の関係があることも中学3年くらいまで知らなかった。知った時には遅かった。何をすれば良いか。告白ってなんなのか。伝えさきはどうすれば良いのか。わからなかった。そうして、何も伝えぬまま、中学を卒業して、都内の男子校に進学した。
Twitterでたまたま中学最後に好きになった子を見かけた。今思うとかなりの気持ち悪い行動だと思うが、フォローしてDMを送った。返ってきた。当時スマホを持っていなかったので、ガラケーのメアドを交換して、やり取りが続いた。そして、次第に疎遠になった。何をすれば良いのか、わからなかった。気付いたら、関係がなくなっていた。
高校で理系を選択した私は、理系単科大学に進学した。もはやもう恋愛なんてものは程遠い所に行ってしまった。と思っていた。大学1年も終わりの頃、旧友の女子に会った。3年間男子校に通い、オタクを加速させ、見た目も中身も向上させる意欲を失った自分の前に現れたのは、人違いか?と思うほどに変わった友人の姿だった。元々メンタルは強い人間ではなかったが、その日を境に完全にメンタルが弱ってしまった。
「変わらないね」
その何気ない一言には、私を地の底に叩きつけるには十分すぎる威力を孕んでいた。
不思議なもので、メンタルが死んでいるのにそこから何度も会うことになった。麻薬の様なものか、会っている時間だけそれを忘れ、それ以外の時間はもがき苦しんでいた。気付けば、体重は激減し、メンタルは底。なのに自分は人生で初めての告白をした。もちろんダメだった。
分かっていたことなのに、メンタルはやられた。アホ。二度と自分からは言わないと心に誓った。未だにトラウマになって、思い出すと体がビクッとして過呼吸になりかける。
すり減らすメンタルもなくなり、動機が不純過ぎるがカウンセリングを受けた。初回は人生でトップクラスに泣いた。自分が嫌だった。自分が許せなかった。でも、甘やかして勘違いをする自分がいた。それも許せなかった。気付けば、自分の最後の味方である自分を殺していた。
でも、カウンセリングを受けるうちに、自分が許せなくて目を向けていなかった、自分の良いところに気づけた。自分は自分が思う程に悪い人間では無いのかもしれない、と少し思った。それからは少し気が楽な状態で、恋愛のことも忘れ、自分の楽しいことを楽しむ余裕が出来た。恋愛なんてするもんかと思っていたし、する状況にないと思えばより軽くなった。大学3年はそれは楽しい一年だった。
4年になるとコロナ禍になった。部屋でアニメを見て、たまに研究をして、マイペースに過ごせた。オタクのイベントが無くなるのは辛かったが、バイトもなく、悠々な生活をしていた。
していたはずだった。メンタルも平和なはずだった。そんな矢先にバイトが復活した。
世のみんな、巣ごもり生活で人に飢えていたのだろう。ある人物に見つかってしまった。それはバイト先の人間で、今まではあまり話してこなかった同い年のやつだ。
誓は破られた。これが人生初めての「彼女」という存在になった。
ぎこちないながらも遅れた青春を味わっているつもりになっていた。色んなところに行った。しかし怖くて最初に自分から相手に触れることはなかった。
楽しんでいるつもりだった。ドキドキしているつもりだった。でも自分のメンタルは何故か過去最高に落ちていった。
望んでいたキラキラな青春を遅れながらも歩いていたつもりが、何故か自分にとっては茨の道になっていた。何故かわからなかった。それくらいからだろうか。大学に行く朝、自分は線路を見つめることが増えた。
2ヶ月後、漫画のような展開になっていることがわかった。所謂NTRてやつだ。取った本人から暴露されたが、さすがに足が震えた。でも分からない。笑いが止まらなかった。なんか安心感すら覚えた。やっぱりね、という感情か。自分には釣り合わない相手だと思っていたからか。わからない。でもすごく納得してしまった自分がいた。
半ばお前が悪いと言わんばかりに別れを告げられた。何か枷が取れた感覚になった。写真も消した。連絡先はブロックした。バイトは既に抜け出して辞めている。思い出の品は即捨てた。友人と乾杯をした。酒を笑って飲んだ。話をネタにした。涙は出なかった。ここ数年で1番メンタルが良好になった。自由になった。自分を慰めた。自分をもっと好きな自分になる為に、少しずつ努力した。
もっと早い段階で気付くべきだった。自分は誰かとそういう関係になることは出来なかったのだ。ここは漫画の世界では無い。
だからか、自分は恋愛ものの作品を好むのは。自分が好きになる作品には悪い人間は出てこない。皆優しい。主人公たちは幸せになる。
この世界は汚い。これだけ理性的な動物が思慮のひとつも無く本能に走るのが見ていてキレ散らかしそうになる。それが無いのだ、好きな作品には。動物的ではなく人間的な関係で話が進む。自己の本能よりも他人の心を大事にしている。現実もそんな世界であって欲しいのに。
恋愛もの作品の世界はいつまでもカレイドスコープのようなキラキラ世界でいて欲しい。私はそれのレンズを覗き続け、キラキラな世界を見たまま、周りの荒野を再び見ることなく、幸せな気持ちで死んでいきたい。
何を書いているんだかわからなくなった。
飼っていた猫が先日亡くなり、昔、猫が亡くなった時は、庭に穴を掘って埋めただけだったんだけど
今回は火葬しようということになり、火葬車を頼んで火葬してもらった。
最初は火葬ってどうかな?と少し思ったりしてたんだけど、実際にやってみると、線香あげて、焼香して、
猫を火葬炉に入れて、扉が閉まって、また手を合わせて、で、火葬終了後に骨を拾って骨壷に入れる。
この一連の作業を行うことで、心の区切りがつけられた感じがする。
そうだな
・テストの設問に間違った答えを書く ⇒ 失敗(合否は関係ない、その設問にフォーカスすれば、一般的には失敗)
・料理の途中で味見をしたらまずかった ⇒ 失敗(提供される料理の味は関係ない、その味見にフォーカスすれば、一般的には失敗)
幾らでも言えるが、それぞれで
「失敗ですね、失敗したんですよ、認めて成長しましょうよ」
ここでまさか、途中の項目で異常をきたしていても、最終的に目標達成すれば、それは成功であるとか
「はい失敗ー」「私が勝手に決めた区切りで目標を達成してない、しっぱいですー」
ってな
ただし、徹底的に「雅」であることを求める。少しでもよそ見するようなやつがいたらメカニカル舞妓が飛んできて拐っていく。湯においてはひたすら湯を楽しむべきだから。
「毒親」という言葉は前から認知していたし、何度も調べては確かに母には当てはまる箇所があることがわかっていた。しかし、そんなに簡単に流行りの言葉に、そういった枠組みの中にひとを入れてしまってよいものかと長いこと悩み、考え抜いてきた。
別に劇的な出来事があった訳ではないが、時々しているノートに思考やら落書きやらちょっとしたメモやらをかく作業?趣味?こういうのをなんて呼ぶんだかわからないのだが、とにかくノートに思考を書き殴っていたら段々母への暗いわだかまりの方向へエスカレートしていき、彼女の嫌なところを考えたくもないのに考えていたところ、元々あった知識とあいまったところもあるだろうが、彼女への嫌悪感の実態が、「一方的に要求を押しつけてそれに応えない場合被害者ぶって罪悪感を植え付けてくること」だと確信し、確信した途端その性質は正に完全に毒親のそれではないかと笑ってしまった。
ずっと知識として知っていて、確かにそれに当てはまっているとわかっていたのに、何故なのだろうか、自分で思考の筋道を立てることでようやく、認めざるを得なくなった。
私は5年前から実家から離れて一人暮らしをしており、年一回ほどしか実家には行かず、向こうから度々ラインで連絡を催促されるがほとんど無視している状態なのだが、母との関係についてこのまま逃げ続けてはいけないのではないか、はっきりと三行半をつきつけるか、あるいは決して彼女と仲良くやっていきたいとは思わないが何か関係を断つ以外の道があるのではないかと思って悩んできた。
別に関係を断つ決心がついたわけでもそれ以外の何かが思いついた訳でもないが、彼女を毒親だと認めることでようやく一区切りがついた感じがしたのでうれしかった。
元増田として何か意見を言うと論理とか現状認識とかについての粗を指摘されるじゃん。
それにレスバトルとして受けて立って応酬を繰り返すことによって元増田の細部が詰められる側面は確かにある。相手はああいえばこういうでこっちがその穴を塞いでも別の穴を見つけて突きつけてくるんだからまるで雨漏りを塞ぐような作業だ。
だがこれを旧来の文字のやり取りでするのは労力に見合わない感じがするほど疲弊する。対面だったら何分の一かの労力と時間で今までの応酬の流れが終わってるんだろうなと思うことは多い。
正直そこまでする価値あるだろうかと感じてしまう。しかもここの議論で細部へ認識が深化したところでもう元増田を編集する体力は無い。まとめてではなく、もっと議論の区切りごとに小刻みに編集するという方式なら少しは反映できるだろうが、こんどは議論を徹底する体力がなくなる。
増田に書くなんてのは一方的に書き込むのでよく、その一方的な書き込みで理解しない人は切り捨てるべきで仲間を囲うではないが分かってくれる人がわかってくれればそれでいいという態度がちょうどいいのかもしれない。