はてなキーワード: 勉強とは
引用先のご家庭を腐すつもりは無いけれど、
多数参加してる女性プレイヤーは全員Vtuberなのに、男性たちは顔出ししてるゲーム実況者なのをみて、
私は、いまの日本社会は決定的に何かが、何かがブッ壊れて歪んでると思った。
言語化苦手だから何がモヤモヤの原因で、どうしてこうなったのかは分かんないけど、アメリカだったら、こんなゲーム界隈にはならなかっただろうって。
わくわくしてる。したいことがたくさんある。
コンサータがもらえるのかなとか、障害者手帳はもらえるのかなとか。
もう今の職場にはい続けられないのかな、部署異動とか応じてくれるのかなとか。
これまでの人生で滅茶苦茶だった成績や勉強や人間関係や出退勤や家事などの生活のできなさや、衝動的に課金したり高額な買い物をしたり、衝動的に過食したり、衝動的に交遊を絶ったり、自分でなんでこうなってしまうのか理解できなかった色々な部分にようやく説明がつくのかなとか。
親になんて説明しようかなとか。
身辺整理始めた方がいいのかなとか。
わくわくしているよ、久しぶりに。ミドサーにもなって何やってたんだろうね今まで。
【追記】
診断もらえなかった。
知能的に問題はないし、ばらつきはあるけど全体的に平均以上の数字だから気合いでがんばってねとのこと。
今まで気合いでなんとかならなかったから、そもそも根本的におかしいのかと思って相談して検査したけど、じゃあ私の何がおかしくてどうしたら人に嫌われないようにできて人並みに仕事ができるようになるのか全然わからない。
知能とか発達の問題じゃないなら人格とか他の何かに問題があるってこと?それはどうしたらわかって治療できるんだろう。
病気じゃないなら改善できるはずって調べても考えても目に付いた色々な理屈や手段を試しても、まったく改善できない。
>医学的な診断を自己愛めいたアイデンティティに利用しようとする、一番嫌いなタイプのゴミ 死ねばいいのに
万策尽きてそうなる前になんとかできればと思って病院に行ったんだよ。
診断が出たら、自分が駄目な理由がわかったら、普通にできない原因がわかったら、対処できるなら今からでも何とかできるかもしれないって期待してたんだよ人生に
絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。
少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。
絵を描くときには基本的に目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。
これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲンの意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。
でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄な行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。
最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラストを凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。
リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師は別世界に棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである。
だがしかし、絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。
それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。
他の、著作権がどうのという問題は、絵師が共通で抱えている嫌悪感のすり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆が無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。
冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。
少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIのファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。
おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。
当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。
最近は、どうみても実写丸出しの自称「アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道陣である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社と関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。
どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替えて問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。
だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自の問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ。
この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから、比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。
機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。
これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語の論文を機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳は考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章に意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。
小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。
そうした現状にあるのに、海外製品の公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。
これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。
なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。
それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージは存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。
というわけだ。
現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。
さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。
彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから、絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージが市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分は市場に支持されているのだと信じることができた。
が、今は違う。
生成AIから出しただけの画像と手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまったからだ。
だから、自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望は理解できる。
そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像のクオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。
高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげな画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。
そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージを理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術を評価してくれない」という絶望の世界だ。
それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在の伝統的製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体の喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。
言論の自由は侮辱や名誉毀損のような低価値表現には同等に認められていませんし
労働者の「権利」とは企業の「義務」ですから、「企業の負っている義務」について無関係のお前個人が迷惑と言える関係にない
ゲーム禁止されて育った中古の子どもだけど、子どもの勉強嫌い、は放置してあげてほしい。
ゲームがない分、勉強するしかなくて国立大学には入れたしお陰で働けてるけど、
だけど同年代の仲間と思い出を共有できないのは辛かった。
先日知人と飲みに行ったんだが、その際「言語ってどのようなものか?」みたいなことが話題に上ったんだ。
そこで俺は「そもそも一般に使われている言葉は恣意的なもので、必然性はない」と発言した。
いやいや違うよ、もしそれを中二病と呼ぶならソシュールやロラン・バルトなんかも単なる中二病になってしまうから。
そう説明したが、知人は要領を得ない様子で首肯しない。
そこで気づいたんだ。
自分が分からないことに対して、それが少しでも曖昧で、抽象的であるとそれを「中二病」と称することで、自分の知識不足を咎めることなく、逆に「中二病」なことだから知らないほうがまともだと自分を肯定するための免罪符なのだと。
自己欺瞞だ。
未知なるもの、未開なものに対して「中二病」と名づけることで、その可能性に蓋を閉めるという行為は、大人が行うのにはあまりに幼稚すぎないか?
そして彼らはその対象に対しての適切な表現を知らないからこそ、ブラックボックスとして「中二病」という言葉を使っているのだと思う。
漢文とかもそうだけど多くの勉強が無くても「別に困らない」現実に誰も向き合えてない。
素直な子どもたちは見抜いてる。
無くても困らない分野を勉強させる理由を、大人たちが提供する気がないことを。
だからヤル気が出ないんだよ。
俺の兄も似たようなこと言ってたわ。
それで息子はゲーム実況家になりたいって言ってて、
娘はvtuberをやるって言ってる。
中学生のときからパチプロになるって言って、最終的に夢を叶えてるんだから凄い。
目標を持つパワーなのかもな。
俺部下に仕事教えるの上手いってよく言われるけど、「どうしてうまくいかなかったと思う?」なんて言い方一生で一回もしたこと無いな
時間の無駄だし、こっちが少しでも感じ悪いと相手の脳細胞も釣られて動きが悪くなる
まあ、ラーメン嫌いなのにラーメン屋になった店主はいなそうだしな。
それで私は「vtuberだって勉強できなきゃ成れないよ」って諭してるんだけど。
ため息をつく。
どうすればいいだろう。
となると、学問に目覚めさせる鍵は、どうやって勉強好きにするか、ってことか。